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漆の怪【ひとはしらのかみさま】

神中村のルール

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 紅子さんの荷物を一緒に持って、いまだ顔色がよくない彼女の背中をそっと支えながらバスから出る。

「お兄さんは心配性だねぇ」
「いつも無茶する君が悪い」
「そっか」

 彼女は満更でもなさそうにはにかむと、その紅い瞳で俺を見上げる。

「ありがと」
「……いつでも力になるよ」

 一気に顔が赤くなりそうな、そんな自分を俺は誤魔化しつつ頷く。
 な、なんだこの気持ち……今日に限ってはなんだか紅子さんが素直すぎて俺を撃沈させに来ているとしか思えないんだが。
 俺をどうしたいんだこの子は……。

「あ、お二人とも、会議は終わりましたかー?」

 バスを降りれば、二人で会話していたとおるさんとアリシアちゃんがこちらに気がついてパッと顔を明るくした。

「こらこらアリシアちゃん。野暮だよ」
「そういう古矢さんも興味津々でバス内覗こうとしてましたよね?」
「俺は紅子さんが困ってないか見てただけ」
「……古矢さんって妹萌えーなんです?」
「違うよ。シスコンでは断じてないよ。多分」
「あたし、シスコンとは言っていないのですが」
「……」

 賑やかでなにより。
 透さんも誤魔化しきれなかったようだ。お互い女の子に弱いようで苦労するな。こんなところでも親近感が湧く。共感できる男友達っていいな、本当に。

 話が一区切りついたところで、手持ち無沙汰にしていた巫女服の少女が口を開いた。

「話は終わったかしら? わたしの話し方についてはあんまり詮索せんさくしないで頂戴ね。こうしてないと無礼なめられるの。あんた達にじゃなくて、他の大人に」

 少々きつめな言い方だが、悪気はないみたいだ。
 なにか事情があるのなら気にすることはないだろう。
 この子も多分苦労してるんだろうな。

「はい、こっちよ。霧で見えにくいでしょうけど、外よりは幾らかマシだから見えるでしょ? ほら、あそこ。あの資料館が一番大きい建物なの」

 浅葱袴の巫女装束を着た少女は俺達をときおり振り返りながら、村の奥へ導いていく。白い霧の中ではあるが外の一歩先も見えないような濃霧とは違い、この村の中では遠くも一応見渡すことができている。

 確かに、辺境の村には似つかわしくない洋館が、森になっている手前に建っていた。

「そうだ。君の名前は? なんて呼べばいいかな」
「カノ……藤代ふじしろ華野かのよ」

 剣呑な表情で少女……華野ちゃんが言う。

「えっと俺は――」
「言わないで」
「え?」

 自己紹介しようとした言葉は、途中で遮られて続かなかった。

「ひとつ、質問があるの。あんた達の名前は、聞けば漢字まで分かっちゃう名前?」

 脈絡のない質問に目を白黒とさせながら「いや、俺は……間違えられることのほうが多いな」と答える。下土井しもどいなんて苗字は珍しいし、伝えたとしても下戸井と間違えられることがある。令一という名前も、玲一やら零一やら、パターンが多いから間違えられることもある。いや、あった。昔の話だ。

「アタシは分かっちゃうだろうね」

 紅子さんは分かりやすいからな。

「俺は多分分からないよ」

 古矢は古谷と間違えられそうだし、「とおる」という名前もパターンは多いからな。

「あたしは……つづりまでは正解する人がいませんね」

 うん、カタカナなら分からないわけがないが、綴りとなるとちょっと怪しいかもしれないな。こう考えると、初めて聞いて分かりやすいのは紅子さんくらいか? 

「なら、あんた。名乗るのも呼ばれるのも苗字か名前、どっちかに固定しなさい。この村では絶対に両方の名前を漢字まで教えてはいけないわ。いいわね? これはルールよ」
「アタシは、元々名前でしか呼ばれてないから大丈夫だね。分かったよ、華野ちゃん」

 皆、紅子さんのことは紅子さんか紅子お姉さんと呼んでるし、そこは大丈夫だな。

 それにしても漢字を含めた両方の名前を教えてはいけない、か。
 名前。真の名前ってやつかな。怪異や神に対して本当の名前を知られると、魂を握られたも同然だとかなんとか。そういう話があったはずだ。

「華野ちゃんは大丈夫なの?」

 透さんが言う。そういえばそうだ。さっき彼女は苗字まで名乗っていた。

「藤代家の人間は例外なのよ。だからあんた達だけ気をつけなさい」
「へえ、例外があるんだねぇ」

 しみじみと紅子さんが言った。
 特定の一族だけ真名を言っても大丈夫、か。それはそれで変な話だな。

 ……あれ、そういえば同盟で真名については注意されたことないな。人間に友好的だからか? それともなにかもっと条件が揃わないと危険にはならないとか。

 はっ! まさか俺が紅子さんに〝令一さん〟と呼ばれるときは否が応でも従ってしまうのはそのせい……いや、俺が名前呼びに耐性がないだけだな。普段呼ばれ慣れていないから、ついつい嬉しくて言うことを聞いてしまうんだ。うん、分かりきっていたことだな。

「キーワード式の怪異、かな」

 紅子さんがぽつりと呟いた。
 それに反応したのは透さんだ。

「そうだね、キーワード式っていうと紅子さんもそうだよね。〝赤いちゃんちゃんこ着せましょうか〟って言葉にイエスで答えると発動するタイプの」

 紅子さんは普段も隠れて奇襲したり不意打ちするのが得意だけれど、相手がキーワードに答えればよほど格上の相手じゃない限り一撃必殺みたいなことができるらしい。
 故にキーワード式の怪異である、と言えるわけだ。

「アタシ以外にもキーワード式っていうのは結構いるからねぇ」
「そうだね、あとは名前を呼ばれたら振り返ってはいけないとか……そういう感じなのかも。漢字まで知られちゃいけないってことは、もっと限定的な……」

 小声でやり取りをする二人はまるでオカルト専門家のようだ。
 俺は又聞きするくらいでそこまでオカルト方面に明るくないから、参考になる。
 ……もっと勉強するべきかもしれない。そうしたら紅子さんの知識にだけ頼らずに済むからな。

「ああ、そうだ。自己紹介の途中だったね。忠告通りアタシは名前だけ。紅子って呼んでくれればいいよ」
「あたしはアリシアです。別に苗字まで名乗る必要はありませんよね」
「そうだね、みんなお揃いで名前だけ言っちゃおうか。俺は透って名前だよ。よろしく」
「俺の名前は令一だよ。宿泊の話が通ってないところ悪いんだが、よろしく」

 アリシアが俺達を苗字で呼ぶかもしれないのは慣れてないから仕方ないとして、一応ここは皆にならって名前だけ名乗っておくことにする。
 俺達の自己紹介を聞いた華野ちゃんは気にした風もなく「そう、よろしく」と言ってスタスタ歩いていった。

「宿泊に関しては……しょうがないわ。あんた達はなにが目的でここに来たの? 観光? こんな辺境に」
「あー、景色が綺麗で温泉があるって聞いたからだな」
「温泉地なら山を越えた場所にもあるじゃないの」

 俺が答えると、華野ちゃんは剣呑な表情でこちらを振り返った。
 嘘ではないぞ。アリシアのために秘湯に浸かりに来たわけだし。ついでにオカルト的事件があったら対処するだけで。

 そうしたら紅子さんが一拍おいて話に入る。

「混んでいる場所が苦手でね。アタシが提案したんだよ」
「そ、そうそう。俺も混沌としたものは嫌いだし」

 合わせて発言すれば、脳裏に神内の姿が浮かび上がってきて米神を揉んだ。
 混沌なんて言うからだ。俺は馬鹿か。同盟ではそういうのを引っくるめて忘れて活動したいのに。

 今の仕事には慣れてきたし、信頼も得てる。そのうち、アルフォードさんあたりにこの呪いを解く方法も聞きたいな。
 なにも言われたことがないから、もしかしたら現状ではこの呪いを解く術がないってことかもしれないが……聞かれていないから教えようとしないだけって可能性も一応あるからな。

「そうなの……着いたわ。客間の準備なんてしてないからちょっと埃が積もってるかもしれないけど、掃除は定期的にしてるから汚くはないはずよ。気になるならわたしに言って。掃除するから」
「ううん、道具さえ用意してくれれば勝手にやるよ」

 透さんが答えた。
 しかし、この大きな洋館を放置せずにちゃんと掃除してるのか。アリシアと同じくらいなのに、凄いな。だが……親の話題が出ないあたり、もしかしたら一人で住んでいるのかもしれないな。そこはあまり踏み込まないようにしておかないと。

「そう。あと、食事はどうするの? 幸い、昨日食糧搬入車が来たばっかりだから余裕はあるのよ」
「食材があれば俺が作ろうか? これでも料理は得意なんだよ」

 今度は俺が答える。
 こういうときこそ役立つのが、磨かれた家事スキルだよな。

「なら、お手伝いだけお願いするわね。みんな一緒でいいんでしょ? あ、こっちのほうは全部空き部屋だから好きに使っていいわよ。ちゃんと一人一部屋あるわ。あんまり騒がしくはしないように」
「分かった。ありがとう華野ちゃん」
「いいえ、知らなかったとはいえお客様だもの」

 紅子さんの礼に当然と言った様子で華野ちゃんが答える。

 すごくしっかりした子じゃないか。なんであんなに「帰れ」と食ってかかっていたんだろう……やっぱりこの村になにかあるのかな。だから帰したかったとか。思いつく理由はそれぐらいか。

「館内図を見て。今の場所はここよ。それから、この部屋がわたしの部屋。なにかあったら来て。ノックはちゃんとすること。キッチンはこっち。食堂はここ。室内シャワーはこっちよ。分かった?」
「ああ、なにからなにまでありがとうな」
「温泉の場所は食事のときに言うから、とりあえず荷物を置いてくるといいわ。手伝ってくれる……えっと」
「令一だ」
「レーイチさんは一通り荷物置き終わったらキッチンに来てね」
「分かった」

 華野ちゃんからの説明を受けて指定された部屋のある廊下を四人で歩く。

「一人一部屋ですね」
「え? ああ、そうなるか」
「どうしたのかな。もしかしてアタシと同室になりたい? 騒がしくするなって言われたのに、お兄さんったら大胆だね」
「違う! 防犯上の問題で男女に分かれるのかと思ってただけだ!」

 ここぞとばかりにからかってくるんだから、この人はもう。

「うーん、それもそうだけれど……お兄さん、電波は生きてるよね?」
「ああ、普通にネットも電話もできるな」
「なら、お互いの部屋に行くときとかはグループチャットで連絡すればいい。そうすれば万が一はないよ。あとはちゃんと鍵を閉めておけばいい」
「防犯してもオカルトな現象には対処できないんじゃないか?」
「それはそれ、なにかあったら扉を蹴破ればいい」

 出た。紅子さんの意外に脳筋なところ。
 ここまで食い下がるということは多分、紅子さんは一人になりたいんだろうな。ならそれをむしかないか。

「分かった。じゃあそうしよう。入り口の近くから紅子さん、アリシア、俺、透さんの順でどうだ?」
「それならいいよ」
「じゃあ、あたしはこの部屋ですねー」
「うん、そういうことならそれでいいよ。じゃあ荷物置いて来ちゃうね」

 こうして俺達は資料館の一室を間借りして宿泊することになったのだった。
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