ニャル様のいうとおり

時雨オオカミ

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肆の怪【嗚呼、麗しき一途の華よ】

ストーカー

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 部屋には壁の色が分からなくなるほどの写真が飾られていた。
 どれもこれも、同じ女性の写真。それも目線が微妙に外れていたり、後ろ姿を撮っていたり、本人の許可を取っていない撮影であることは間違いない。
 その中には制服を着ている写真もあり、その制服は紅子さんと同じ七彩高等学校の物だ。
 ドン引きしながら少し大人っぽい私服の写真を手にとって裏返すと、先月の日付と時間、七彩高等学校から多くの入学者を出す七彩大学の名前が載っている。
 高校生のときからずっと撮影をしているのかもしれない。
 女性は珍しい薄い色の髪に、泣きぼくろ。それに羽根飾りのついたヘアバンドをしている。大人っぽい笑みが似合う人だな。
 その視線はことごとく外れているが。

 つまりこれは……

「ストーカー、か」
「さすがにこれは気持ち悪いよねぇ……」

 あの紅子さんが顔色を悪くするほどの気持ち悪さらしい。

「あーっと、日記? 日誌? とにかく観察記録的なのがあるみたいだから見てみようか」
「帰ってきたりしないか?」
「平気平気。ほら見てよお兄さん。どの写真も、真夜中に撮ったらしいものはないけど、少し暗くなった時間までの写真はあるだろう? つまりストーカーの彼は夜まで帰って来やしないんだ」

 確かに深夜の写真はないし、薄暗い写真の裏を見ても時間は遅くて 午後7時までのものしかない。

「じゃあ、観察記録だ」





 ◯月◯日

 昔のことを書く。
 俺ん家は代々庭師をやってるらしいが、それはとある桜のためなんだと。
 ご神木だから大切にするようにと念入りに教えられてたし、桜の下で会う子供を紹介されて 「将来きみのお嫁さんになるんだ」 とベタなことを言われて調子に乗ったっけな。
 えらく可愛い女だったが、年の差が酷すぎてロリコン疑惑がかけられちまうし、さすがに無理だっての。
 そんなこと言ってもちっとも撤回しやがらねー変な子供だったな。

 ◯月◯日

 変なのが見える。

 ◯月◯日

 赤い糸みたいなのが俺の小指を捕まえてて、あの女はすぐ俺のことを見つけ出しちまう。あの女、十年以上経ってるのにちっとも姿が変わらねえ。気持ち悪い。逃げたくても赤い糸とかいうふざけたモンのせいで無理だ。
 あの桜の手入れはきっぱりやめた。両親はとっくに死んでるし、文句は言われねえ。気持ち悪い。

 ◯月◯日

 ずっと変なものが見える。
 最近だと追ってくるし、良いことなんかねえ。
 仕事も手につかねえし、最悪だ。

 ◯月◯日

 追われてるときに声が聞こえた。
 女の声だった。見たら、学生の女が俺を追ってきていたやつを見ながら俯いていやがる。
 寝覚めが悪くなりそうで近寄ったんだが、その前に追ってきてたやつは花になって散った。
 女の手元を見たら追ってきてたやつを描いたスケッチブックと、それに突き立てるカッターナイフがあった。
 助けられたのは俺の方だった。
 女は俺に見られたことに目を丸くして驚くと、 「今のは忘れてください」 っつって、逃げ出した。
 あれなら助けてくれるんじゃないかと思った。

 ◯月◯日

 二度目の接触で赤い糸を切ってもらった。
 そしたら、あの子供はもう俺を追えなくなったみたいだった。
 やった! やった! やったぞ! 助かった! 
 忠告的なものを受けたが今はいい。
 気分がいいから景気良く一杯飲もう。


 ◯月◯日

 あの花吹雪は綺麗だった。
 もっと見たい。

 ◯月◯日

 あの気高さを保存しないのはもったいない。
 もっと見ていたい。
 桜なんかより、ずっといい。

 ◯月◯日

 いっそあの花吹雪になれればいいのに。





「うっわ」

 俺の言葉は見事に紅子さんとシンクロした。

「青葉って子、きっと本気だったんだろうねぇ。絵本のことも考えると……」
「庭師の敦盛さんは管理者ってことか」

 管理者は桜の夫とも呼ばれる。そして、桜が眠るときは一緒に眠る。桜の神様へ捧げられた生け贄みたいなものなのか。
 それを代々受け継いでいて、一族は疑問もなく桜の世話をしていたのか? 他にも桜の放棄をしている人がいてもおかしくないのに、青葉が庭師のおっさんに執着しているのはなんでだ? 
 まさか、眠る時が近づいているとか…… ? それなら焦るのも分かるんだが。それとも、本気で惚れていたとでも言うのか。

「考えていても答えは出ないね。そこは本人に訊かないと意味がない。想像したくても、アタシはそういうのと無縁だからねぇ」
「可愛いからモテそうだけどな」
「…… そんなことはないんだよ」

 少し俯いた紅子さんは首を振るとこちらに顔を向け、笑う。

「お兄さんも褒め上手だね。アタシ大好きになっちゃうかもー」
「棒読みすぎるぞ、紅子さん」
「ふふっ、まあ、褒め言葉は素直に受け取っておくよ。ところで、これからどうするのかな?」

 事務所には結局誰もいなかったし、むしろ問題しか見つかっていないしな。
 どこにいるかも分からない、ましてや顔もろくに知らないおっさんを探すよりも、この大学生を探して周辺を調べた方が早く見つかる気がする。
 でも、そうなるとストーカーのストーカーをするというか…… その大学生には悪いことをすると思う。
 こちらには紅子さんがいるので俺一人よりは警戒されない気がするが、一体どうやって話しかけるか。

「もう夕方だし、もしかしたら大学にこの〝 いろは〟って子がいるかもしれないんだよねぇ。なら張ってみて考えればいいんじゃないかな。ほら、いなければ明日に回してもいいだろう?」

 〝秘色ひそくいろは〟
 写真の裏に載っていた名前だ。恐らくストーカーされている女性の名前だろう。
 日記を見る限り、不思議な力を持っていそうな子だ。
 俺みたいに刀を振り回すだけじゃない。ちゃんとした霊能力みたいな、そんな感じの。
 そちらの切り口からなら、自然に声がかけられるかもしれない。
 同じオカルトに携わる人間として……

 よく考えてみれば、俺は妖怪やら神様やらには会ってきたが同じような立場の人間には会ったことがない。
 周りの連中が皆限りなく人間に近い見た目をしているせいで気づいていなかったが、〝 見えて、対処する 〟ことができる仲間はいなかったな。
 青凪さん達は対処のできない人間だったし、青水さんは綺麗に見せかけているだけの…… 悪くいえば死体だった。
 押野君も対処のできない人間だ。

 俺と深く関わって共にオカルトを乗り越えた人間というのは、実はいない。
 邪神は邪神だし、紅子さんは人間らしいが赤いちゃんちゃんこというれっきとした都市伝説だ。人間ではない。
 ケルヴェアートさんは地獄の番犬。しらべさんもさとり妖怪。アルフォードさんも本性は赤いドラゴンだ。

 なんてことだ、俺は人外共に囲まれすぎてぼっちになっていた。

 …… っていうか、そうだ。俺はニャルラトホテプに強制ぼっちにさせられてしまっていたんだった。忘れていた。

 あまりにも皆が人間くさくて、忘れてしまっていた。
 俺と紅子さん達は、根本的に違う生き物のようなものなんだって。

「どうしたのかな? お兄さん」
「いや、その…… オカルトに対応できる人間の仲間って、今までいなかったんだなあと」
「ああ、そういえばそうだね」

 紅子さんは包帯で覆われた自分の首を撫でながら、言う。

「お兄さんは、寂しい?」

 寂しくないといえば、嘘になる。
 ニャルラトホテプあいつと二人きりだったときと比べれば随分と心に余裕ができた。
 それはひとえに、すぐに連絡がついて気遣ってもくれる紅子さんみたいな相談相手ができたからだろう。
 だから感謝している。俺が沢山の物を失い、地獄にいるという認識を忘れさせてくれて。

「今は、そんなに寂しくないな」
「そっか」

 真っ赤な柘榴のような瞳はこちらからふい、と逸らされて瞼を落とす。
 紅子さんはそれ以上聞いてこなかった。

「お兄さん、急がないと大学の辺り探しに行けないよ」
「ああ、もう行こうか」

 黙したまま自然に隣を歩き、電車に乗る。
 大学に着く頃にはもう暗くなり始めていた。
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