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狭間の章【はじめての依頼】
雨が降るおまじない
しおりを挟む「つまり、紅子さん達はその、鬼太ろ」
「それ以上はだめだよ? お兄さん。けれど、それを考えると日本の文化って偉大だよねぇ。いや、人間の文化がってことになるのかな。ネットが普及してから劇的に動きやすくなったって聞くからね」
「ふうん」
「ネットには嘘も混じっているけれど、アタシ達からすれば本当に怪異に悩まされている人の書き込みにはそれ相応の怪異の気配ってやつが漂っているものなんだよ。だからね、そこから辿って同盟の連中が勝手に解決しちゃうわけ」
公園の中を歩きながら紅子さんは説明してくれる。彼女の姿は既に人間としての制服姿ではなく、いつもの赤いマントの姿になっている。学校に通っているときとは服装が違うし、彼女はあんまり人付き合いをする性格じゃないようなので、同じく学校に通っている生徒だとは依頼者にも気づかれることはないだろう。
それにしても、彼女は学校の七不思議やっていたんじゃなかったっけ。いや、同盟とやらは人を驚かすのは容認されているのか。
まだまだ知らないことも沢山あるんだな。
「それで、なんで俺なんだよ」
「アタシだけでもいいんだけど、オカルト専門家の大人って建前の人がいるほうがいろいろやりやすいからねぇ。だからお兄さんには協力してほしいんだよ。ダメかな?」
おかしいな。疑問形のはずなのに有無を言わさないなにかを感じる。
「分かった。分かった。やればいいんだろ」
紅子さんも面倒くさい性格をしているとはいえ、神内のいる屋敷にこもっているよりはいくらかマシだろう。
あいつを相手にしているより、紅子さんのほうがまだ可愛げがある。人に危害を加えることはないし、彼女は人間の味方。
それに怪異の解決っていうのもちょっと興味が湧かないでもない。
「ありがとう、お兄さん。でも今回も遅刻したことは忘れないからね」
「それは忘れてください」
「やーだね。まったく、どうやったら遅刻なんてするんだか」
「それは俺が知りたい」
神内の奴を相手していたら時間がギリギリだったり、忘れ物をしたり……毎回気をつけていれば済む話なのになぜか遅刻をしてしまう。幸い、数分の遅刻くらいしかしないが、こうも遅れる場面だけ紅子さんに目撃されているといたたまれなくなるな。
「さて、そろそろ時間だよ。準備はいい? お兄さん」
「ああ、事情は分かった。怪異の専門家みたいなフリをしとけばいいんだろ?」
「うん、大体はアタシが話を進めるから合わせてね」
時間ピッタリ。夕刻の時間だ。
公園の外からひた、ひた、と足音が聞こえてくる。
歩くのも億劫だと言わんばかりの、ゆっくりとした足取りの音だ。
同じく音に気がついた彼女と二人、目を合わせて頷く。
足音の主がやってくるまで公園の入り口を睨んでいると、曲がり角から傘を差した人物がやってきた。
この晴れ渡った夕空の中雨なんて降っていないのに、しっかりと抱き込むように身を縮めながらブレザーの男子生徒が歩いてくる。
こうして見るだけだと、彼がお化けだと言われても納得しちゃうだろうな。
「あの……あなた達が?」
「こんばんは。キミの悩みを解決するために来た専門家だよ」
「話を聞かせてほしいんだ」
皮肉気ないつもの笑みではなく、にっこりと微笑んだ紅子さんに男子生徒が安心したように息をつく。
大きくハッキリとした声で話しかけているため、ヒソヒソ話なんてできやしないが、人通りが少なくなっているので問題はないはずだ。
「あの……スレッドに書いた通りなんですけど。僕、どうすればいいんでしょうか」
「お兄さん」
「え? あ、うん。えっと、その、君の中で雨が降るようになったきっかけとかはあるかな? なにか心当たりとか」
俺が尋ねると、男子生徒は大きめの声で「あります」と言った。
大きな雨音の中で声を出していると意識しているせいなのだろうか。大音量の音源の中で人と話そうとすれば自然と出てくる声が大きくなる。そういう感じで、彼は話していた。
「もう、鼓膜が破れてしまいそうで……参ってたんです。話をするのに、僕の家に来てもらう必要があるのですが、いいですか?」
「原因が家にあるならそのほうがいいね。行こうか」
「親は大丈夫なのかな?」
「夜まで帰ってきません。大丈夫です」
道すがらに話を聞いた。
彼によると、雨が降って欲しくておまじないを試したとのことだった。
「僕、強制参加の体育祭が嫌で……」
ああ、それは嫌だな。
俺も強制的に参加させられる体育祭は苦手だった覚えがある。なにせ、背が高いからいろんな種目に出させられるのだ。単純に走るだけならいいんだが、特にバスケットボールみたいな小手先の器用さが必要になってくる競技は苦手だった。しかし、180㎝の身長で一番推されるのもバスケットボールなのである。気持ちは分かる。
「雨が降ればいいって思って。ネットでおまじないを調べて、信憑性がありそうなのを試したんです」
「どんなおまじないなんだ?」
「えっと、天気を変えるおまじないってやつで……近所にある廃れた神社で、リンゴをお供えして変えたい天気を三回お願いしながら唱えるんです」
ポツポツと、彼が語るおまじないの内容はこうだ。
まず、特定の神社に行き、お天気岩という平たい岩にリンゴを供える。
それから変えたい天気の願い事を三回、目を瞑って唱える。
この場合、彼は「雨が降りますように」と三回唱えた。
それが終わったらリンゴを回収して家へ持ち帰る。このときに喋ってはいけない。
家に帰ったら、これまた喋らずに粘土と布を使っててるてる坊主を作る。
彼の場合、晴れではなく雨にするためのおまじないなので逆さまのてるてる坊主を作る。供えたリンゴを一口齧るごとに逆さのてるてる坊主を作り、吊るす。それを繰り返すのだ。必ず、喋ることなくこれを行わなくてはならない。
そうして繰り返すごとにポツポツと雨が降り出し、彼は成功したことに喜んだ。
けれど、おまじないには喋ってもよいタイミングなどは書いていなかったようだ。
リンゴを食べきり、その分の逆さまてるてる坊主を作り上げ、雨が降り出して彼は声を上げて喜んでしまったのだ。
「きっと、あれでおまじないが失敗したんです。だから僕にだけ雨に囚われてるんです。きっとそう」
「ううん、でもおかしいねぇ。アタシ達には本当に雨が降っているようには見えないし、キミも濡れているようには見えない」
「本当なんです。ほら……」
紅子さんの言葉に彼が傘を下ろす。
「ほら、こんなに濡れて……寒い、寒い、寒いんだ」
「……お兄さん。アタシの目がおかしいんじゃないよね?」
「ああ、紅子さんはおかしくなんてないよ」
多分、見えている光景は一緒だろう。
彼は少しもずぶ濡れてになんかなっていない。
けれど、彼には自分がずぶ濡れになっているように見えているし、感覚もそうなっているということだ。俺達には異常なんてないように見えているのに、彼だけが異常を感知している。これは一体どういうことなのか。
「傘、差してていいよ」
「ありがとうございます……これがないと外は寒くて」
俺達には濡れているようには見えない……が、彼の寒がりようと脅えようは真に迫っているので、今は真実を伝えずに好きにさせておくことにした。
無理に言って、不安にさせる必要はない。
「ここが、僕の家です」
「ここが、ねぇ……けれど気配が薄い気がする。キミからも怪異の気配みたいなのは感じるけれど、それも薄いからなあ……そんなに強い怪異じゃないと思うんだけれど」
気配が感じない……強い怪異じゃないっていうのは、なんとなく分かるな。
俺達には影響が及ばないわけだし、影響を受けているのはこの男子生徒だけ。
怪異だとしても限定的な性質を持ったやつだろうな。
「家に怪異の気配はなし」
「家に憑いてるわけじゃないみたいだな。やっぱり本人か?」
「ぼ、僕に……ですか?」
弱気な彼を見る。
彼にしか聞こえない。分からない現象。
なら、どうやってそれを見せているのか?
「……ねえキミ、神社でお願いしたって言ったね?」
紅子さんがつかつかと彼の前に歩み寄り、その顔を覗き込んだ。
「わ、わあ! そ、そう、です!」
「……なあるほど」
彼の顔を覗き込んでいた彼女はそうして俺のほうへと振り返ると、その口元を三日月に持ち上げる。
「ねえ、確かキミ。村雨君だったよね」
「は、はい!」
「……着せましょうか、着せましょうか。赤い赤いちゃんちゃんこに興味はないかな?」
「え? 今なんて」
「紅子さん!?」
囁きかけるように彼へ〝キーワード〟を言わせようとする彼女にストップをかける。
彼女は赤いちゃんちゃんこだ。彼女のその問いかけにYESと答えてしまえば殺されてしまう! 彼女がそんなことをするとも思えないが、紅子さんも怪異の一人だ。万が一があるかもしれない!
「解決してもいい? って聞いてるんだよ」
「え、そのためにお願いしてるんですから、いいに決まってるじゃないですか!」
「言ったね? 許可したね? アタシに、許可をしたねぇ?」
「紅子さんダメだ!」
彼女の赤い瞳の瞳孔が縦長になっていく。
怪異らしいその顔。怪異らしく歪んだ口元。彼の背後に瞬間的に移動した彼女は彼の首を裂いてやろうとガラス片を首元に当て、そして……。
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