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参の怪【絶望に至る病】

「ただそれだけを伝えたくて」

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「な、なんなんだよなんなんだよこれはぁ!?」

 俺が外に出ると、押野君を背後に庇って青水さんと対峙する紅子さんがいた。
 押野君はどうやら目撃した今でも青水さんが立って動いていることに混乱しているようだ。頭を抱えて 「嘘だこんなの、こんなの、で、でも…… !?」 と呟き続けている。

「至、わたし会いたかったよ……」

 ふらふらと近づいていく青水さんは、あのとき渡した香水の小瓶が丁度入るくらいの袋を首から下げている。鞄は持っておらず、図書館で会ったときよりも制服が破れているように思う。
 彼女が近づくたび紅子さんが押野君を庇いながら一歩一歩下がって行く。

「あいつらに協力してたんじゃないの? だからわたしに教えたんでしょう? ねえ、至。ねえ、ねえ、ねえ、ねえねえねえねえねえ!」
「おやおや情熱的だね。青水さん、君はそれを知ってどうするつもりなのかな?」

 ふらふらと歩いていた彼女は紅子さんの質問でようやく押野君以外の人間がそこにいることに気が付いたようだった。

「ふふ、ふふふふ、分かるでしょう? なんで邪魔するの?」
「このままじゃ説得なんてできそうもないよ、お兄さん」

 分かっている。
 彼女は今自分の目的以外のものが見えていない。

「ふふふ」

 青水さんが指をすっと上げる。
 その瞬間に紅子さんが押野君を思い切り突き飛ばしその場に伏せた。

「残念」

 青水さんが指さした箇所はコンクリートであろうとも抉れ、まるで強い衝撃が加えられたかのように砕け散った。視界に紅い蝶が翻る。
 その直線状にいた紅子さんも巻き込まれ、そこには昨日見た裏路地の惨劇が繰り返されたかのような……

「まるでアタシがグチャグチャのミンチになる姿を目撃してしまったみたいな顔をして、どうしたのかな?」

 肩を叩かれ振り返ると、いつのまにか背後には無傷のままにやにやと笑っている紅子さんがいた。

「はっ!? えっ、紅子さん無事!? どこにも怪我はないか!?」
「おにーさん慌てすぎ……」

 苦笑して彼女は再び押野君の所へ行く。押野君も現実が上手く受け止められないようで紅子さんのことを何度も見直しながら 「あ、赤座?」 と呟いている。
 彼は一般人だからな。こんな展開にはついていけないだろう。
 紅子さんは先程までより近い位置にいる青水さんと対峙して顔をしかめ、 「鼻がおかしくなりそうだよ」 と悪態をついている。

 鼻…… ? と疑問に思った俺が横目で時計を確認しつつ、その場の空気をいっぱいに吸い込むとなんとも生臭い臭いが鼻腔に入り込んできたではないか。
 臭いの元を辿ると興奮しているのか、悪辣な顔になっている青水さんに辿り着く。

 腐った臭い…… 彼女に売った香水。その先に導き出される答えは……

「死体が…… 動いてる…… ?」

 あの香水は臭いを消す作用がある。対象を無臭にしてしまうのだ。
 それならばケルベロスであるアートさんがすぐに捕まえられなかったのも、あの高架下のゴミ捨て場や現場の無臭さも説明がついてしまう。
 やはり裏にクソ邪神の影ありか。

「至…… 君が憎いの。憎くて憎くてたまらなくて…… 最後までずっとずっとずっと憎かった。だからわたしをいじめ殺したやつと、君も一緒なんだよ」
「で、でもお前…… 自殺で…… !?」
「ああそうだね自殺だね…… あいつらも落とそうとは思ってなかったんじゃないかなぁ? それを利用して死んでやったのにどうして〝 自殺 〟ってことになっているのかわたしにはさっぱり分からないよぉ! やっぱり殺したのは君達…… だから死んで? ねえ? そのためにわたし、戻ってきて…… うう?」

 殺されそうになって自ら自殺か…… 悲惨だな。そんなにも憎んでいたのか。

「……」

 紅子さんは彼女の話を聞いてじっとガラス片を見つめていた。
 そして不服そうに、そして複雑そうな顔をしながら 「おにーさん」 とか細い声で呼んだ。

「どうした?」
「時間がないんじゃないの? 早く説得してあげなよ」
「分かった」

 俺は押野君の方へ歩み寄り、尻餅をついたまま呆然としている彼を起こした。
 その間にも、なぜか先程の攻撃を行おうとはせずに包丁を取り出した青水さんが紅子さんに受け流されている。
 ガラス片のあの短いリーチで包丁を器用に巻き込み、彼女を転ばせる。どうやらできるだけ傷をつけないように対応しているみたいだ。

「押野君、そのキーホルダー借りてもいいかな?」
「はあ? あんた誰だよ…… いや、それであいつは満足してくれると思うのか?」
「…… もちろん」
「なら、頼む。俺は…… あいつに恨まれてるのは当然だと思ってたけど…… あんな顔は、見たくねーよ」

 般若のように恐ろしい顔をしている青水さんは、まっすぐと押野君をつけ狙っている。今は上手く紅子さんが近づけないようにしてくれているが時間の問題だ。それに、もうすぐ電話してから五分以上経つ。

「青水さん聞いてくれ! このキーホルダーに見覚えがないか!? 押野君がいじめた奴らと共謀してたなら、君とお揃いのキーホルダーを持ち続けているわけがないだろ!? よく考えてくれ!」

 青とピンクのキーホルダーを掲げたまま彼女達に近づいていく。
 青水さんは包丁をピタリと止めたまま視線を俺の手元に向けた。殺意は収まっていないだろう。そんなまさか、そんなことがあるわけない。半信半疑のまま迷いを見せている。鞄の中から彼女の日記をゆっくりと取り出す。その間も彼女は動かない。

「さっき、君の日記を見させてもらったんだ。勝手に見たりしてごめんな。でも……」

 俺は日記の目的のページを開くと声に出して読み上げた。


 〝 至は悪くない。知らなかったんだから。
 わたしが殺される結果になったとしても、至は悪くないよ。憎みたくない。憎みたくなんてないよ 〟


「君は、彼のこと憎みたくないんじゃなかったのか? 悪くないって、思っていたんじゃないか? よく思い出してみてくれよ」
「わたし、が…… ?」

 青水さんの暗く濁った目に少しだけ光が戻ったような気がした。

「それにさっき君の家に入って分かったんだけど、押野君は毎日君の遺影にお供えを持ってきているみたいだ。そんな彼が君を裏切るはずがない。そうだろ?」

 青水さんの手から包丁が滑り落ち、地面に当たって軽い音を立てた。
 もう彼女の瞳から暗い感情が見えることはなかった。説得、成功だ。
膝から崩れ落ち、彼女は嗚咽を漏らしながら押野君の名前を何度も、何度も繰り返しながら謝る。

「そっか…… そうだったんだ…… わ、わたし憎んでたんじゃなくって…… ただ〝 ありがとう 〟って、ただそれだけを伝えたくて…… それなのに! なんで、なんで忘れてたんだろう…… ? ごめん、ごめんね至…… わたし、わたしっ!」

 紅子さんはその様子を見ながら静かにガラス片をいずこかへしまいこんだ。一件落着だと思ったのだろう。これで青水さんの心は救われた。

「お、オレは…… なあ、香織、気付いてやれなくて、ごめん」

 彼…… 押野君もよろよろと、おぼつかない足取りで彼女に歩み寄る。
 なんだ、いい子じゃないか。不良みたいな恰好をしていても日記の通り優しい子なんだな。

「ごめん、ごめんな。ずっとずっと、言えなかったんだ。オレ、やっぱりお前といたときが一番楽しかった。だから、また会えて、こうやって、話ができるのが…… 夢みたいだ」

 泣いたまま二人が抱き合い、笑う。
 それを見ながら、横目で確認した紅子さんはとても複雑そうな顔をしていた。
 そういえば彼女の死については俺もよく知らないんだったな。もしかしたら、似たような境遇だったのかも、なんて。そうだったらなんだか悲しいな。紅子さんは怪異だから地獄に連れ戻されるなんてことはないだろうが。

「おーおー、これだけ待ってやったんだ。もういいだろ?」

 そのとき、俺の背後から声がした。
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