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参の怪【絶望に至る病】

「お使い」

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 ◇
 ――ただそれだけを伝えたくて。
 ◇

「っう……」

 ベッドから起き上がり、頭を抱える。なんか変な夢を見た気がする。
 ほとんど覚えていないが、あれは中学時代の夢…… ? 弟の令二が出てきたような気がするが……もうあいつは俺のこと、覚えてないからなあ。

「れーいちくん」
「っうわぁ!?」

 突然耳元で聞こえた気色悪い声に驚きベッドから転げ落ちた。

「もう、そんなに嫌がられると興奮しちゃうなぁ」
「やめろ気持ち悪い!」

 尚も覗き込んでくる奴に反射的な拳が出るが、するりと避けられてバランスを崩す。慌てすぎて前のめりになっていたらしい。

「ああ、もうっ…… ムカつく」

 時計を確認するとまだ朝の6時。
 こいつは基本屋敷にいる上に仕事があっても重役出勤なのでまだ時間はたっぷりある。
 それに今日は仕事の話もなかったはずだし、なぜこんなにも早く起こされないといけないのか。
 怒りを押し殺して自室として充てがわれた部屋を出る。

「まあまあそう言わずにさ」

 俺の後からついてきた奴は胡散臭い笑顔でにやにやとしている。
 起きてしまったのは仕方ないので素早く顔を洗い、リビングとしている部屋でテレビをつけて天気を確認。
 一日晴れているならシーツの洗濯も同時にやるか…… なんて考えていると唐突に嫌な予感が俺を襲った。

「った!?」

 予感に従って顔を手で覆ったところに飛来する赤い物体。
 きちんと掴み取ったものの握った拍子にゴリっと嫌な音を立てて手の平が擦れた。
 ったく、一体なんなんだ? これは。

「…… ? 鱗、か?」

 それは巨大な板のような、三角形に近い形状をしていた。少しだけ丸みを帯びていて艶やかな赤色をしている。
 手のひらほどとは言わないが、15センチはありそうな巨大な鱗のようなものだ。これだけでかい爬虫類などいるわけがないので恐らくは幻獣かなにかの鱗だろう。
 真っ赤ではあるのだが、なんとなく血のような赤という感じはなく、どちらかというと薔薇の赤のような、物騒さのない優しい赤色をしている。

「私は今日、人と会う用事があるからね。お前には私の代わりにお使いしてもらうよ」
「で、これがなんの関係があるんですか?」

 手の中で鱗を玩びながら訊く。

「今日行ってもらうのはお前の刀…… 赤竜刀を作ったヒトのところだよ。あそこには色々と便利な物があるからね…… お使いの金銭が余ったら好きに買ってきてもいいよ」
「はっ!?」

 さらっと話を逸らされたのはいつものことだとして、俺が驚いたのは赤竜刀の下りではない。

「お釣りは使っていいなんて…… これは夢ですか? それとも頭でも打ちました? 変なもの拾い食いしてないですよね、いくらマゾでも自ら腹を下すのは良くないのではないかと……」
「くっ、ふふ…… 令一くんって結構私に対して失礼だよね」

 呆れた声で言う奴に撤回の言葉はない。
 つまり本当に好きに買っていいと言っているのか? この、ニャルラトホテプ様は。

「で、場所はどこです?」
「神奈川の中華街で適当に練り歩いてれば辿り着けるよ。その鱗はちゃんと持っていくように」

 またオカルト染みた行き方しかないのか……
 ま、つまりこれは道しるべだってことだよな。ならありがたく頂戴しておこう。

「あと、ここ最近の彩色いろどり町は物騒だから気をつけて行くよーに」

 確かに、ここ一週間程度で二件も大量血痕だけを残した殺人事件なんてあるが…… それのことだろうか? 
 奴がこんな風に忠告してくるときは首を突っ込んで欲しいときである確率が高いが、素直に首を突っ込んでやる謂れもない。
 そもそもそうでないと俺を心配するようなことを言うはずがない。本当に心配している可能性? ないない。
 そんなオカルトが関わっていますって言っているような事件はこちらから願い下げだ。
 いや、まてよ。まさか奴がその件に関わっていたりしないだろうな? …… 考えるのは止そう。嫌な予感がする。
 考えたってどうにかなるわけじゃないし、考えていなくても巻き込まれるときは容赦なく巻き込まれるのだ。
 要するに考えるだけ無駄。ある程度流れに身を任せていればどうにかなるだろう。
 そして俺は簡単な朝食を作って食事し、昼食のために大量のおにぎりとサンドウィッチ、それにサラダを作って冷蔵庫へ。
 わざわざお使いになど行かせるのだから、いくらリッチな奴でもこれを食べるだろう。レストランにでも行かれたらこの昼食が俺の夕食になるだけなので問題はないな。
 買い出しは必要なさそうだが、せっかく中華街まで行くのだし、観光ついでに食材も買って帰るかな…… と、いくつか電車を乗り継いでいる間に考えて移動する。
 買うものは奴も教えてくれたので抜かりはない。

 とりあえず着いた駅から観光ガイド片手に練り歩くことにした。
 鱗はカバンの中だが、道しるべだというのならばなんかしらの反応を示すだろう。
 気にせず歩き、買い物をしながら午後に差し掛かるあたりでふと、周りに人気がなくなっていることに気がついた。
 祝日でもない平日とはいえ、先ほどまでは賑やかだった場所が店から出た途端に閑散とした状態になっているのは明らかにおかしい。
 思わず振り返って店に戻ろうとしてみるが、自動ドアだったはずのその場所は開くこともなく、店内も無人にしか見えない。
 つい数分前は確かに人がいたのに、だ。

「なんだ…… ?」

 戸惑って歩き出そうとしたときだ。バッグが突然ふわりと浮き、なにかが外に出ようともがくように布の壁面を押している。
 心当たりといえば一つしかないので、素早くバッグの口を開けてやるとそこから赤いなにかが飛び出してきた。

「きゅおぅ!」
「はっ? え、ど…… ドラゴン?」

 それは鱗と同じくらいの大きさをした15センチ程度の小さな小さなドラゴンだった。
 西洋竜のように四肢があり、大きくて太い尻尾と背中に一対の骨ばった翼が生えている。タテガミまで薔薇色をしたそいつはまさにレッドドラゴンと言えるような形をしていた…… 体の大きさ以外は。
 そいつがドラゴンというより、哺乳類動物のようなやたらと可愛げのある鳴き声をあげて俺の周りをくるくると飛んでいる。
 淡く赤い光に包まれている姿はドラゴンの姿をした妖精のような…… そんなイメージが湧いてくる。

 くるくるくるくる。

「きゅっ!」

 くるくるくるくる。

「きゅ~っお!」

 くるくるくるくる。

「…… きゅうっ!」
「いたっ!?」

 さっきからくるくる回りながらこちらを振り向くドラゴンに一体なにがしたいんだと見守っていたら噛み付かれた。解せない。
 どうやら怒っているようで、きゅうきゅう鳴く喉から猫のようなグルグルという唸りも僅かに聞こえてくる。

「きゅっ! きゅっ!」

 とうとうバランスを崩しつつもそいつが翼で 「あっち!」 とでもいうように指し示し、やっと俺には意味が分かった。
 そういえばこのドラゴン…… というより鱗は道しるべ的な役割を持つのだったか。察しが悪くてすまんな。

 頷いてふよふよと浮かぶドラゴンの後をついていく。
 ときおりちゃんとついて来ているかと確認するように振り返るのがやたらと可愛らしい仕草だ。女子なら 「可愛い!」 と騒ぎ立ててもおかしくないくらいか。
 いくつか路地を抜け、人っ子一人いない道を突き進んでいくとやがてぼんやりとした提灯の浮かぶ道に出る。
 不思議と薄暗くはないのだが、提灯の灯りがやけに綺麗に見えた。赤いドラゴンの描かれた提灯というのが珍しいからかもしれないが。
 そう、赤いドラゴン。
 そして、これから会う奴が作ったらしいのが、現在俺が持っている赤竜刀。この先になにが待っているのか確定しているようなものだろう。

 歪んだ道を歩き、上なのか下なのか、右なのか左なのかといつの間にか方向感覚がおかしくなってきた頃、そこへ辿り着いた。
 薄らぼんやりと浮かび上がる、煉瓦造りの骨董店のような雰囲気。その後ろにそびえ立つホール付のアパートらしきものがなければ、幻想的な異空間にでも紛れ込んでしまったかのような場所だった。
 骨董店らしき店の看板には〝 よろず 〟とだけ書かれており、ガラスの押し扉には呼び鈴の代わりに風鈴がついている。
 よく見ると店の軒下にはどこかの国の国旗らしきものもぶら下がっている。真ん中に、赤い竜。どこの国だったか……
 奥にある道案内の看板を見ると、アパートの方へ向いた矢印に〝 幻想アパート 〟の文字がある。
 明らかに人外専門のアパートだ。
 そういえばさとり妖怪の鈴里さんや、赤いちゃんちゃんこの紅子さんはどこに住んでいるのだろう? 訊いたことなかったな。普通に家があるのだろうか。
 そんな疑問を浮かべていると、チリーン…… と控えめな音を立てて扉から160センチあるかないかのヒトが出てくる。

「きゅっきゅう!」
「あ、ニャル君のところに貸した鱗だ! おかえりー! ってことはお客さんかな?」

 俺の方を見てミニドラゴンを抱きしめているそのヒトは人好きのする笑みで 「いらっしゃいませ!」 と声をあげた。
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