ニャル様のいうとおり

時雨オオカミ

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始の章【彼女と出会う前】

「夜が這い降りて来る」

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 すれ違う人外達にはすぐに慣れた。
 比較的人間の姿に近かったり動物の姿だったり、あいつやクトゥルフ神話の生物と違って旧神側の生物達は心臓に悪くない健全な姿形をしているようだ。
 勿論伝承には気持ち悪い姿形のものもいるようだが、そういうのは人型をとったり化身になったりして人間に害がないように配慮しているらしい。
 服のデザインから蜘蛛であることが分かる女の子や帯が蛇のように蠢いている女性。たまに突撃してくるすねこすり。
 沢山の妖怪達を横目に神社を目指していると、俺を追い越して行こうとした女性からその豪華な帽子がはらりと落ちた。

「あらいけない」
「大丈夫ですか?」

 帽子を拾って手渡そうとして硬直。
 あまりにも、美しすぎたのだ。

「うふふ、人間が迷い込むだなんてとっても珍しいことですわね。拾ってくださってありがとうございます」

 あいつも大概美しすぎる容姿をしているが、その性格のせいで魅力は半減どころか最低値まで落ちる。それでも見た目だけはいいあいつと同じくらいか、それ以上にその女性は美しかった。

 つばの広い帽子には月を象った飾りとリボンがついており、服装は深い藍色の肩出しワンピース。スカートの端には月とそれを覆う雲の模様が刺繍され手には白い手袋。藍色のリボンを使って腰の辺りで一括りにされた金色の髪に、月のような金の瞳。帽子が落ちて見えた側頭部から生える彩度の低い黄色の美しい二本の巻き角。

 人でないことがありありと分かるその美しすぎる容姿に、硬直した体をなんとか動かして帽子を手渡す。

「どこかに向かおうとしていたようですけれど、貴方も椿のお酒を頂きにいくのかしら? 今宵の美酒は人間には強すぎると思うのだけれど」
「は、はい……  でも俺が飲むわけじゃありませんから……  あ、それとここの元締めも探しているんです」

 詰まりつつ答えると微笑を漏らしながら女性が 「うふふ」 と笑う。

「そう、貴方がそうなのですね…… 元締めなら奥の方にいるでしょうけれど…… そうね、特別にわたくしが案内してあげますわ。どうかしら、ご一緒しませんこと?」

 目を細め、面白いものを見るような目に少々の既視感を覚えつつも了承の意を伝える。
 彼女は月の模様が描かれた扇子で口元を覆って小さく笑った。

 相変わらず奇妙な出店の多いこと。
 しかし食べ物関係の店が多くなってきたところで俺の腹が少しばかりきゅう、と情けない音をあげた。夕飯は食べたとはいえ深夜までずっと活動して歩いているのだ。小腹も減るものだ。

「あらあら可愛らしいわね。そうねぇ、これなんてどうかしら? とっても、とっても美味しいわよ?」

 どこか粘つくような絡みついてくるような声に自然と手が伸びる。
 辺りは不思議と静寂に支配されていた。
 にやにやとどこか覚えのある笑みを扇子で隠し、こちらを観察する彼女に違和感を覚えつつも俺の体は自然と動かされる。
 そして普通のイカ焼きに見えるそれを手にした瞬間、辺りに喧騒が戻った。

「それを食べてはいけません、人間」

 口に入れる直前で鋭い声が飛び、びくりと震えてイカ焼きを取り落とす。 「あ」 と言って追った視線に映ったそれはイカ焼きなどではなく、何かの大きなタコかイカの足を焼いたような、もしくは触手のような得体の知れないものに焼き目のついた物体だった。

「それは…… いえ、詳しく言う必要はありませんね。そんな趣味の悪いものを食べてはいけません。それ以上人をやめたくないならば妖怪の跋扈する世界で食事をしてはいけませんよ」

 俺を止めたのは女の子だった。
 見た目は高校生くらいで、ショートにした黒髪に鈴のリボンがついている。
 髪から覗いた耳には、目玉のような不思議な模様のイヤリングが揺れている。服装は少々幼いように見えるが先ほどの女性と同じようにフリルが沢山ついた格好をしている。しかし上がドレスのような外見をしているのに対し履いているのは下駄というちょっとチグハグな格好だ。
 そして彼女は完全に人型だった。どこにも妖怪の特徴らしきものは見えない。
 だけれど、人をやめたくないならとは一体どういうことだろう? 

「マヨヒガというお話はご存知ですか? その場所にあるものを持ち帰ると幸福になれますが、そこで食事すると二度と帰れないという伝承です。その話以外にもイザナミ様は黄泉の食べ物を食べて地上には帰れなくなられてしまいましたし、人外の世界のものを食べると人の世に戻れなくなる話というものは多くあるでしょう。ここもその例外ではありません。食べるならもっとまともな見た目のやつを持ち帰ってから食べてください。持ち帰って食べるならば問題はありませんからね」

 一気に喋った彼女がりんご飴の出店を指差す。
 そこでようやっと先ほどの女性がその場からいなくなっていることに気がついた。

「…… またあの人の仕業ですか。まったく性格の悪い」

 呆れ笑いを浮かべている女の子だが、俺はなにも言っていないはずだ。

「分かりますよ。だって私はさとり妖怪ですから。さて、お初にお目にかかります厄介者に気に入られた哀れな子羊二号さん。私はこのあやかし夜市の元締め…… 『同盟』 所属の鈴里すずさとしらべと申しますわ」

 ちょん、とスカートの裾を軽く抓んでお辞儀をする鈴里さん。
 さとり妖怪といえば心を読むことで有名だ。なるほど、納得した。
 しかしこんなところで元締めに会えるとはラッキーだ。
 絹狸も言っていた 『同盟』 について軽く疑問に思いながら答えようとすると見事に先回りされた。

「同盟というのはつまり、〝 恐怖による存在ではなく、認知による存在の方法で人間と共存しましょう 〟という考えの元に集まった旧神を中心とした集まりのことです。今はこちらが主流で、それを犯す知性や理性のない妖怪や、人類を脅かす旧支配者側の者を取り締まったりしている、ようは警察みたいなものですね。キチンと規則が決まっていて、全ての人外に対応しています。勿論、人を食べることでしか生きられない者も存在しますので〝 食べる分だけ取ること 〟なんてルールもありますが」

 それじゃあ、あいつはその同盟と敵対していることになるのだろうか。

「いえ、かの邪神は弱った旧神を匿ったり、規則の一線を超えぬように知識を与えるだけでことを起こすのは人間だったりとルールの穴を付いて行動しているので取り締まりはできません。こちらとしても派手に動いてくれさえすれば旧神総出で嬉々として封印してやるんですが、そんな隙は見せてくれませんから……」

 嫌そうな顔で言う彼女に同意する。
 確かにあいつはそんな簡単にボロなんて出さないだろう。
 早く封印してくれないかな。

「そうしたいのは山々ですがこちらも規則を作った各目上、規則違反していない者には手を出せないんですよね…… ところで、貴方みたいな警戒心の強そうな方が彼岸のものを口にするとは考えられません。一体誰にそそのかされたんですか?」

 唆された、のだろうか。
 でも親切にしてくれたあの女性のことはあまり疑いたくはない。

「はあ……  貴方が捜しているのはその女性ですよ、残念ながら。かの邪神とほぼ同類です。初恋は叶わないんですよ、諦めてください」

 いやいやいや別に恋なんてしてないから! 
 確かに人間離れした美貌だったからついつい心を許していた気がするけど! 

「さて」

 鈴里さんが背後を振り向いた。

「見ているのでしょう。出てきなさいよ、夜刀神やとのがみ

 強い口調で言われたその名称に周囲の空気が凍りつくように冷えていき、悍ましい雰囲気へと変わっていく。
 まるでなにかに睨まれているような、絡みつくようなねっとりとした視線。それが俺を捉えて離さない。
 しかし、それも次第に落ち着いていく。
 視線を落とすと、ネックレスが自己主張するように仄かに光っていた。

「え? え?」

 空間が捻じれ曲がっていき、そこに巨大な目玉が現れる。
 縦長の瞳孔で、ギョロギョロと瞳を動かしてはこちらにピッタリと目を向け、止まる。空間に走るように入った鱗模様の罅に俺が連想したのは巨大な〝 蛇 〟の目玉。
 目玉が動き出し、俺の背後へ回る。

「っひ!?」

 突然のことに悲鳴を上げて逃げようとするが、それよりも早く瞳孔がぐわっと開き、そこから俺の背後から抱きしめるように白い手袋を嵌めた手が伸ばされる。
 肩や頬にかかった金色の髪がくすぐり、その形の良い唇が耳元で囁くように開かれた。

「あなたの側に降り立つ夜太刀…… 夜刀神やとのがみ縛縁はくえん真宵まよい、と申しますわ。よろしくしてくださいね? 無貌の愛し子」

 耳に息が吹きかかりぞわぞわと肌が泡立っていく。
 その感覚は、そのねっとりとした感じは、あいつにそっくりだった。

「離れなさい。人間をからかうのも大概にしないとあの子に怒られますよ」
「仕方ありませんわね…… うふふ、わたくしが人で無しで奇人な邪神の友ですわ」

 あいつにどんな友達がいるかと思ったら同類かよ。だが納得はした。
 この粘つく感じは間違いなく性格の悪いあいつの友だ。
 そんな俺の思考を読んだのか、くすくす笑っている鈴里さんが見えた。

「夜刀神…… ってことは神様、なんですか?」
「ええ神様ですわ。ですが、千夜には遠く及ばぬ知名度しかありませんの。わたくしなんてとってもマイナーな、ただの祟り神ですもの」

 ただのじゃない!? この人もやっぱりろくでもなかった! 

「ところで、わたくしを探していたようだけれどなにか御用なのかしら?」

 やっと離れてくれた夜刀神さんが扇子で口元を隠す。

「あ、そうだ赤竜刀! …… あれをあの旅館に置いたのはあなただとあいつに聴きました。あれについて教えて欲しいんです」
「赤竜、ですか」

 竹刀袋から刀を取り出して見せるとそれをまじまじと見た鈴里さんが呟いた。

「それは〝 無謀むぼう断ちの刀 〟ですわ。号はあなたが言った通り…… 赤竜刀ね」
「無謀…… 断ち?」

 俺が繰り返すと 「うふふ」 と笑った彼女が続ける。

「そう、無謀を勇猛へと変化させるという、人間にピッタリな刀ですわ。うふふ、そう、あれをあなたが使ったのね。可哀想に」
「は、はあ?」

 別に哀れまれる筋合いはないんだが。

「だってそうじゃない。あれを使う機会がなければ今頃あなたはお仲間と一緒の場所に行けたのだから…… 精神が強くて幸運だというのも残酷なものですわね」

 その言葉に頭の中が沸騰するように様々な思いが駆け抜けた。
 それの大部分は怒りで、焼き切れるようなその感覚に思わず握りしめた刀をそのまま彼女に振り下ろす。
 お前に何が分かる。
 あの惨状で、どうすればよかったというんだ。
 胸の中に渦巻く気持ち悪さに気分は最悪だ。

「あら怖い」

 軽く避けられた一撃は地面に吸い込まれるように当たり、地響きが起こる。それだけ威力の乗った一撃だった。
 鈴里さんが顔を顰める。

「その威力があればアレを喜ばせるのも当然ですわね。ともかく、確かに〝 むぼう 〟を断ち切ったのでしょう。アレを切ったのだから〝 無貌むぼう断ち 〟にもなりましたわ。素敵よね」
「〝 アレ 〟って…… 友達じゃないんですか?」

 絞り出した言葉に彼女はさも当然のように続けた。

「友達ですわ。ただ、アレは人間の絶望が間近で見たくて行動していて、わたくしは人間の味方をしているという違いはありますけれど。だから救済処置としてその刀を無断で置かせて頂きましたの。じゃないと愛しい人間の死ぬ数が増えてしまいますから」

 胡散臭い。
 本当にそんなことを思っているのだろうか、この人は。
 今更ながらに帽子の下から覗く二本の巻き角が悪魔の角に見えてきた。

「それで、その刀のことですわよね。わたくしは号と由来を気に入って購入しただけですから、詳しい効果は存じ上げませんわ。詳しいところを知りたいのならそれを作った赤い竜に会うことね」

 想像したのは巨大な竜が火を吐き出す場面だ。

「安心しなさいな。別にそのまま竜が構えているわけではありませんわ。化身が店を構えていますから、会ってくればよろしいのではなくて?」

 また、化身の話か。神様ってやつはそうポンポンと分身できるものなのか?

「…… ってことは、あなたも化身ってやつなんですか?」
「ええ」

 その割には角が隠れていないけど。

「本体を見た人間は血縁が絶えるまで祟られるらしいですよ。気をつけてください」

 鈴里さんがさらりと言った。なにそれ怖い。

「てことは、あいつも化身…… ?」
「ええ…… そうだわ、良いことを教えてあげましょう。千夜はマゾなんですの」

 存じておりますが。
 そういった目線で見つめると怪しげな笑みを浮かべて楽しそうに彼女は言う。

「そのために、自宅以外では魔法は一切使わないし自身の怪我も治さないだなんていう制約を設けていますわ。あなたのその首輪は魔法の一部です。自宅以外の場所ならばオシオキをされることもありませんし、その刀を使えば簡単に立場が逆転しますわよ」

 つまり、外では敬語を外しても謀反しても魔法の反撃はされない…… ? 

「情報感謝致します」

 実に綺麗なお辞儀だった。

 ◆

 無事幻想的な光景の中で古椿の酒を受け取り、ついでに赤い竜の居場所の情報を貰い、俺は大きな収穫にほくほくとしながらあやかし夜市の敷地内から出た。

 そこにいたのは鳥居に寄りかかって十六夜の月を見上げる我が主人。
 絵になる光景だが、俺は無言で斬りかかった。

「っちょ、令一くん!?」

 ぎりぎりと真剣白刃取りの状態で手を血塗れにしながら奴が焦る。
 腕がぷるぷると震えているが、その頬はどこか薄っすらと染まり、口元は笑みを浮かべて喜悦すら浮かんでいる。本当、気持ち悪い奴だ。

「待って待って! それ以上いけない!」
「……」

 無言で力を込める。

「ダメだって! 中身出ちゃう! 死んだら中身出ちゃうからぁ! 無差別テロでも起こす気なのお前は!?」

 幸いにもこの神社周辺には人避けがなされているようなのでいくらこいつが叫んだところで警察は来ないし、俺はストレス発散できて満足できる。最高の気分だな。

「たんまっ、たんまぁぁぁ!」
「うふふ、情けないお姿ですわねお友達」

 俺達の頭上の木に腰掛けた優雅な二角の蛇神が言う。
 それを聞いて体良く利用されたことに気がついたがそれでも構わない。
 俺は更に力を込めた。

「ック、お前の仕業ですか夜刀神!」

 俺以外に奴が敬語キャラで通していることなど、知りたくもなかった。
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