ニャル様のいうとおり

時雨オオカミ

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壱の怪【脳残し鳥に御用心】

「脳吸い鳥のウワサ」

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――彼女はそれを望んでいる。


 それは七月二五日。世間一般では夏休みと呼ばれる真っ最中の出来事だった。

「令一くん、ちょっと遠出しようか」

 珍しく怠惰でなくきっちりとスーツとボルサリーノハットをかぶった奴が言った。

「なんの冗談です?」

 俺が軽い口調で言うと、珍しく真面目ぶった顔でネクタイを締めた姿見越しの奴と目が合う。奴の格好はあの日と同じ喪服のようなスーツである。

「仕事だよ、表向きの。旅行会社としての下見と個人経営旅館の買収に行かなきゃ行けないんだ」
「…… で、本音は?」
「さとり妖怪がね、言ってたんだ」

 さとり妖怪の鈴里さん曰く、 「自身の通っている高校のグループが廃墟探索のために旅行する」 のだという。
 なんでもその周辺には 「脳吸い鳥」 とかいう物騒な名前の鳥に関する噂話があり、夏休み中の肝試しに最適なのだとか。

「で、面白そうだから見に行くと?」
「…… まあね。それを聴いた夜刀神にも〝 面白いものを見たら教えて。無かったとしても教えて頂戴ね、面白がってあげるから 〟なんて言われてるし」

 彼女なら如何にも言いそうなことだが、奴がそんな簡単な挑発に乗るのだろうか? 疑問に思っていると、 「くふふ」 と笑った奴が簡易的なお泊りセットをキャリーケースに入れて立ち上がる。

「言ったでしょ? 仕事だって。ちょうど重なったからついでに見物でもしようと思ってね」

 嘘だろう。奴のことだから仕事の方をわざと合わせて来ている。でないと表向きの職業とはいえ若社長自ら下見と買収の交渉に行くはずがない。

「鈴里さんは行かないんですね」

 彼女なら自分で行動しそうなものだが、それとも百鬼夜行の元締めがそう簡単に移動するわけにはいかないのか。

「ああそれね。もうすぐ仕上げの準備をするからグループの行動に合わせて行くことができないんだってさ」
「仕上げ?」

 俺が復唱すると奴はつまらなそうに笑って言った。

「被害者ぶってるいじめの首謀者の心の声をだだ漏れにさせて、絶望のどん底に落としてやるんだってさ。そのための前準備。使うのは彼女の能力だね…… まったく悪趣味だ」

 お前だけには言われたくないだろう。
 しかし彼女にそんな一面があるとは思わなかった。姿見に映った俺の頬は引き攣り、なんとも言えない表情をしている。
 祭りでは親切にしてもらったこともあり、人間に友好的な妖怪だと思っていたのだが、実はそうでもなかったのだろうか。

「さとり妖怪としての食事だよ。だから〝 同盟 〟の規約には触れてない。こういう大きいのを一回すれば数年は持つから高校、大学、何十年か経ったらまた戻って中学から高校って繰り返してるらしい。絶望が好物らしいけど…… 私はあのやり方が好きじゃない」

 自分で全部お膳立てするなんてツマラナイし、と呟く奴。
 一応この邪神にも矜持というものがあったのかとなんとなく感心したが、それもすぐにぶち壊されることになった。

「用意だけして後は流れに任せた方が気持ちいい…… じゃなくて面白いからね」

 取り繕ったようだがもう遅い。このド変態が。

「あれですね、地雷だけこっそり用意して誰かが設置したあとにその上でタップダンスをするようなものでしょう? このドM変態ド畜生ご主人野郎……」
「なんかすごい罵倒の仕方をするようになったよね、れーいちくん」

 一応ご主人扱いしているからかおしおきは執行されないようだ。
 むしろ指を一、二、と四本立てて 「豪華盛りだね」 だなんて頬を染めて言ってやがる。気持ち悪い。

「それじゃあお一人様で楽しんでくればいいじゃないですか」

 悪意を込めて言うと奴はチッチッ、と指を振ってそばに置いてあるキャリーケースを指し示した。

「れーいちくんは荷物持ちに決まってるでしょ?」
「…… それは命令ですか?」
「もちろん」

 語尾にハートマークでもつきそうなほどむかつく笑顔で奴は肯定した。ゆえに、俺に拒否権などなかった。

 ◆

 駅からタクシーで一時間程の田舎道に、俺の持つキャリーケースのガラガラという濁った砂利音が響いていた。

「例のグループが目的にしてるのは山の奥にある孤児院跡で、旅館はそこからそう離れていない高所にある民宿だよ」

 地図を渡されている俺は、その言葉を聴きながら目的地の場所を探す。
 奴は場所が分かっているかのように話しているが、案内する気はないらしい。
 暢気に欠伸をしながら俺の横に並び、小高い山を見つめている。多分、あそこなんだろう。そう注意深く奴の表情を横目で確認すると、前を向いていたその色素の薄い目がぎょろりと俺を捉えた。

「っ……」

 普通はなんでもないはずのその仕草。それに少しだけ気圧された俺はすぐさま目を逸らし、早足になる。
 人間に擬態しているはずなのに異形を感じさせるその瞳は空っぽだった。なにも見ていない。なにも興味がない…… そんな目。故に俺は奴の意図を少しも読めずに歩くしかなかった。

「なんか、カエル多くないですか?」
「そう? そうでもないと思うけど」

 周囲から響くカエルの大合唱と、時折跳ねるそれらを見て言ったのだが、奴は上を見上げて大きく伸びをしながら否定する。
 俺は東京産まれ東京育ちだったから、こういう自然の中にカエルがこんなにいるものなのかは知らない。中学の頃にあったキャンプは骨折していて参加できなかったし林間学校はインフルエンザを患っていた。
 今思えば酷い不運だが、高校の修学旅行でこいつに遭いクラスメイトは惨殺され、俺は隷属させられている。その上俺のことは誰も覚えていないから外も出歩きにくい。まともな自然というものを知らないのだから、もしかしたらこのうるささが普通なのかもしれない。

 反響する合唱に、カエルとは木の上にもいるものだったか? と、ふと思った。
 そして山中に入ってから三十分程し、崖の横をちょうど通り過ぎた時だった。

「き、君たち避けてくれ!」

 ガリガリと、十メートルいかないくらいの崖から誰かが滑り落ちて来たのだった。

「あっ、だ、大丈夫ですがぶぇっ!?」

 ちゃっかり避けてつまらなそうにしている奴とは違い、咄嗟に受け止めようとした俺は動きやすい服装をしたその女性の下敷きとなる。

「す、すまない!」

 背中の上に柔らかいなにかが動く感触。幸いだったのは彼女がスカートでないことか。ひどくボーイッシュな格好をしている。キャスケット帽を被った彼女は慌てて俺の上から退いて、ついでよろけながら近くの木を掴んだ。
 彼女と一緒に落ちてきたのであろうバッグからはこの付近のパンフレットと、ネットから拾ったらしい廃墟の情報をプリントアウトした書類がはみ出している。
 身長は俺より20センチ以上低く、神内よりも10センチは高い。160後半くらいだろうか。

「いっつつつ…… いやぁ本当にすまない。しかし助かったよ、ありがとう。まさか崖があるとは……」

 木に寄りかかったまま左足を休ませているところを見るに捻挫だろうか。俺がクッションになったとはいえ随分と痛々しい。

しずめちゃーん、大丈夫ー!?」
「なぁに馬鹿やってんだ、さっさと上がってこいよ!」
「み、緑川さん、あんまり崖下を覗き込んだらあぶないよ……」

 崖の上から聞こえてくる賑やかな声。
 女子一名、男子二名のその声に反応した彼女はちらりとこちらを見てから崖上に声をかけた。

「私は大丈夫だ! すぐに戻る!」

 雄々しく、と言ったら失礼か。
 凛々しい表情のまま声をあげた彼女に崖上の三人は安心したように静かになった。

「こほん、失礼。貴方達はこの先の民宿に用ですか?」

 スーツの奴がいるからか、それとも混乱が落ち着いたからか、丁寧に崖の上を指差しながら彼女が質問する。
 俺がそれに答えようとすると、すぐ横から奴か答えるように口を開いた。

「ええ、そうですよ。少しばかり古いものに興味がありまして、今日はそこを拠点にして泊まろうと思っているのですよ。もしや、貴女もそうですか?」

 気持ち悪い。
 なにがって、奴が敬語を使っていることだ。
 いつもと違い過ぎて鳥肌さえ立ってくる。そんな俺に気づいているのか、さりげなく足を踏まれる。彼女の見ていないところで思い切り踏み返してやったら睨みつけてきた。今度はその目を見ても、得体の知れない恐怖が襲ってくることはなかった。

「ええ、私は青凪あおなぎしずめという。よろしければ宿までご一緒しませんか?」
「私は神内千夜と申します。勿論、ご一緒させていただいますね」
「俺は下土井令一って言います。よろしく」
「神内さんと下土井さん…… よろしくお願いします」

 そう言ってひょこひょこと覚束ない足取りで歩き出す彼女に気づき 「あ、ちょっと待ってください」 と引き止める。

「…… なにか?」

 不思議そうな顔をする彼女の足を指して 「挫いてますよね? 青凪さんがよければですけど、背負って行きましょうか?」 と言う。流石に不躾だったかと言ってから後悔したが彼女は可笑しそうに 「ふふ」 とニヒルに笑った。

「女子高生のEにやられたかい? お兄さん」

 顔が真っ赤になった。

「い、いやそういう意味ではなくてだな!?」

 こういうからかいは神内に腐るほど受けているが女性から受けるのは初めてのことである。正直気恥ずかしい。

「私の下僕ツレがすみません。ですが歩くのもお辛そうですし、せめて肩をお貸しますよ。ああ、男二人ですし、信用がないのでしたら仕方ないですけれど」
「いや、助かりますよ。こちらこそからかったりしてすまないね。いやぁ、どうしても癖でやっちゃうんです」

 俺と奴とで彼女の態度が違うのは、スーツを着ているかいないかだろうか。正直身長の関係で奴の方が年下に見えるはずなのだが、不思議と俺への態度の方が気安い。

「じゃ、しっかり背負ってくださいね、おにーさん」

 女子高生って怖い。俺はそう認識した。
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