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始の章【彼女と出会う前】
あやかし夜市
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純和風な日本家屋にまったくもって相応しくない、ひどく高級そうな革張りのソファに沈み込んだそいつは気怠げに欠伸をした。
長い黒髪を外出するときのように結うわけでもなく、見るだけでも鬱陶しいそれをソファの端から垂らし、なにやら物憂げに目を細めて手のひらを額に乗せている。
本人にとっては美しい人間が扇情的なポーズをとっているつもりなのだろうがアレが男よりの、それも本体をデフォルメしたってどう足掻いても可愛くならない触手生物だと知っているこちらとしては余計な想像を働かせて勝手に吐きそうになっている。
「いっ……!?」
そして首元が焼ごてに当てられたように熱くなる。
「なーんか、失礼なこと考えてたでしょ」
「……」
火傷が痛くて答えられる状態じゃありません。
そんな風に装いながら目を逸らす。多分バレているが、おしおきは終わったので良しとする。
「…… ねえれーいちくん、れーいちくん。カレンダー持って来てよ」
ソファに寝転がったままのあいつが目を瞑ったまま言った。
「はあ? そこから見えるでしょうが。とうとうアンタも盲目白痴にっと!?」
最近、漸く料理スキルも上がって文句を言われなくなったので世に伝わる神話群を調べていたのだが、得意気にそのネタで反抗しようとした瞬間背後に一本のナイフがビィィンという恐ろしい音を立てて刺さった。視界の端で数本の髪の毛が散っていくのが見える。
「令一くんなんて将来禿げればいいのに」
「ああ、今その未来がチラッと見えましたよっ! 頭皮ごとずるっといく未来がね!」
首輪は熱くならない。
だいぶこの生活にも慣れて来て混乱していた意識も落ち着き、ついでにあいつもやたらめったらおしおきをすることはなくなった。さっきみたいに思考を読まれたときや、敬語がぽろっと取れると熱くなったり絞まったりバリエーションを増やしたおしおきをしてくるがそれだけだ。リアクションも単調なものしか出てこない。多分あっちも見飽きたんだろう。俺ももう慣れてしまった。
人、それを諦めと言う。
「カレンダー」
「はい、どーぞ」
目の前に壁から取ったカレンダーをチラつかせる。
するとどこか楽しげににやりと口を歪めた邪神は 「くふふ」 とまた気持ち悪くくぐもった笑い声を漏らした。
「れーいちくん、ちょこっとおつかいに行って来てよ」
随分と唐突だな。
こういうとき相手が母さんだったりしたら特売日なのかなと思うのだが、こいつの場合そうはいかない。厄介ごとの匂いがする。
だが、俺に選択肢などない。
「場所はどこです?」
投げやりに了承の意を込めて訊く。
いつもノーヒントの奴だが流石に場所くらいは吐くだろう。
「ここいらで一番小さくて黴臭くて煤けててボロい神社があるんだけどね?」
ひどい言い様だ。
いくら元々敵対していたからといって笑顔で言うことか?
「そこに夜中の二時ピッタリに入るんだよ…… ああ、鳥居はくぐっちゃだめだよ」
そう言われて奴が手を振るうと俺の首に嵌った、冒涜的なチョーカーのようなものが逆十字のネックレスへと姿を変える。
外出の許可が降りたときはいつもこうだ。首になにか付けていることと逆十字は変わらずにころころと呪いの外装を変えてくる。
「オカルト関係、ですね。なら刀も持ってったほうがいいか」
こいつが行けと言って平和に終わった試しがない。
それは悲しいほど俺が知っている。
「赤竜刀持っていくんだね」
その言葉にピタリと竹刀袋に刀を入れる手が止まる。
「これに名前なんてあったんですか?」
「そうだよ。ああ、由来が知りたければますますおつかいに行ったほうがいいね。多分それをあの旅館に置いた私の友も来ているだろうし」
その言葉に衝撃が走った。
「え、あんた友達なんかいるの?」
「激おこスティックファイナリアリティおしおきドリーム!」
首絞めと火傷が同時に襲いその後一時間ほど俺は気絶した。
「ま、そういうことで頑張ってね」
そう言って手をフラフラと振りながら再びソファに沈み込んだあいつはつまらなそうに欠伸をする。
「その友とやらのヒントはないんですか?」
「はあ?」
勿体ぶったように、心底可哀想なものを見る目で奴は 「私にそんなサービス精神があると思うの?」 とのたまいやがった。
「いや、全然」
イラッときたので即答してやるといつの間にか背後に立った奴からヘッドロックを食らう。
「それはやめろ! 死ぬっ!」
奴が紛れもない人外だと嫌な実感の仕方をしてから息を整えた。
「とりあえず、適当に探して来なよ。聞き込みでもすれば大丈夫でしょ」
「は、はい……分かっ、りました。で、なにを買ってくれば?」
冗談みたいなやりとりばかりだが俺にとってはわりとマジで死に瀕していることが多い。あやふやな話題逸らしで目的のおつかいを忘れたらそれを各目になにを命令されるか分からないのでちゃんと訊いておかなければならない。
「お酒」
「は?」
聞き間違いか?
「お酒だってば」
「分かりましたよ…… 行けばいいんでしょう。行けば」
コンビニで買えよ。なんでわざわざ……
◆
そこはボロボロの神社だった。
特定の場所や名前を言われたわけではないので確証はないが、名前さえ掠れてしまって読めないこの神社のことだろうと当たりを付けた。
午前二時まであと一分。
深呼吸して腕時計を見つめる。
足はすぐさま神社内に入れるようにと敷地の前に踏み出しておく。
ピッタリと言っていたのだからピッタリでないとダメなのだろう。
妖怪や神話生物相手に立ち回るときに飛び出さないようにと財布はウエストポーチの奥底にしまってある。
動きやすい服装だ。いざというときのためにポーチの中には小さなナイフも入っている。
まったく、ナイフに刀とは銃刀法違反もいいところだ。
しかし、幸いにも周りには人っ子一人いないし、決して狭苦しいわけでない道路には車一台通らない。…… そう、不自然なくらいに。
「二時…… !」
一歩踏み出した時、世界が変わった。
古ぼけた神社は消え、目の前には車が二台くらい十分通れる広さの石畳が直線上に続いている。その両脇には祭りの出店のようなものが延々と続いていき、真っ暗闇だった雰囲気はどこへやら明るく賑わっている。
「目玉焼きー! 目玉焼きだよー!」
「専門書売ってるぜー! 人間に混じって暮らしたい奴には入り用だぞー!」
「骸金魚救いだー! どうだー? 挑戦する奴はいないかー!」
陽気な声。物騒な言葉。
目玉焼きの言葉に、そんな出店があるものなのかと目を向ければ〝 言葉通りの商品 〟が見えて顔が青ざめていく。
金魚掬いの方へ視線を向けるとそこには想像していたものとはまったく違う光景が広がっている。
人間ほどもあるでかい金魚の目は白く濁り、鱗は乾いて魚とは思えない様相をしている。さらにそれが背ビレで空を泳いでいるのだ。挑戦者らしき三つ目の男が柄杓で水を掛けようとしている。それが「骸金魚救い」なのだろう。
人間がこの場にいることで誘拐されるかもしれないと身構えたが、立ち止まった俺を追い越していく人外達は迷惑そうに俺を避けて祭りへと繰り出していく。
それを繰り返してようやく詰まった息を吐き出して頬を叩いた。
「お酒…… だっけ」
歩き出そうとしたとき、背後から声がかかった。
「おんやあ? 人間が〝 あやかし夜市 〟に迷い込むなんて久し振りだねぇ!」
硬直し、身構える。竹刀袋にかけた手は慌てて 「や、やめておくれよ。アタイはなんにもできないんだから!」 と言った女性にそっと押さえられた。
黄色い着物に橙色の紅葉模様の着物の女性だ。
しかしその短い茶髪から覗く丸い耳と腰の辺りから大きく垂れ下がる太い尻尾が彼女が人でないことを教えてくれる。
ますます警戒して今度はポーチの中のナイフに手を添えようとして、また止められる。
「だ、だからやめておくれ! ここの夜市じゃあ人間に手を出すのはご法度なんだよぉ! ただでさえアタイは弱いってのになにもできはしないよ!」
その必死さに手を添えたままだが一応話は聴くことにした。
「…… 俺はおつかいに来たんですけど、ここはどこなんでしょう? あと、あんたは?」
「よかった。話を聴いてくれるんだね? アタイは絹狸さ。今日は特別な日だからこの先に出張呉服店を開いているんだよ」
きぬたぬき? 逆から読んでもきぬたぬき…… 冗談だろうか。
「だからその手を下ろしてくれって…… 分からないなら調べてみておくれよ。ここは一応電波も入るようになってるからさ」
遠慮なく端末で調べることにした。
出てきた情報は鳥山石燕の創作妖怪であるとされる話。さらにその名前が布を打って柔らかくする砧から来ていることが分かる。確かに、一応そんな妖怪は存在するようだ。
「創作妖怪なんじゃないのか?」
そんな失礼な言葉にはあ、とため息をついた絹狸は自嘲するように笑う。
「今の世は妖怪にとっちゃ生きづらいもんだよ。畏れと信仰で生きるのはもう限界を迎えちまったから皆人間の中に混じって、〝 そういう奴がいる 〟だとか〝 そういうお話がある 〟って知られることで生きてるんだ。認知度が高ければ高いほど力は強くなるし、旧神もみーんなその方針をとってる。だから作られた都市伝説やら怖い話やらに出てくる奴らも嘘から出た誠になるのさ。創作妖怪とはいえ、アタイの生みの親は有名だからこうしてアタイがいるってわけ」
絹狸が言うには神も妖怪も本来は同じものなのだとか。
それが善に傾いているか悪に傾いているのかの違いであり、どちらも知られていなければ消滅してしまう存在だという。
そして、それら全てを引っくるめて〝怪異〟と呼ぶとか。
ただ、旧支配者や元から存在した太古からの生物は別に信仰や認識がなくても生きていける、と。
「で、アンタはおつかいだっけ? 誰の遣いなの?」
彼女の営む呉服屋を放っておくことはできないため、一緒に向かいながら話をする。
道行く妖怪達は人間が珍しいのかチラチラとこちらを覗き見ている。うすらぼんやりと暗闇に浮かぶ提灯代わりの鬼灯が道を照らしていた。
「神内千夜って、知ってますか?」
「じんない?」
不思議そうに首を傾げていた彼女は思い当たる節があったのか硬直した。
「あー、アンタあれかい。厄介者に気に入られちまった哀れな子羊二号ってアンタのことかい」
なんだそのいらない称号!?
「それってどういう?」
「まあそれはそれとして、酒を買いに来たって言ってたよね」
露骨に話を逸らされたが皆あんな奴に関わりたくないのだろう。その気持ちはすごくよく分かる。
「今日は古椿から香りの高い良い酒が取れる年に二度のうち一度目の日さ。最初の方に採れば採るほど香りは強くて度数も高い高級なものになるんだよ。今日のは強すぎて人が飲めるような代物は採れないけど、アンタの主人に届けるなら最初の方を狙った方がいいね」
そう言って椿の柄が入ったガラス瓶を手渡してくる。
「あ、ありがとうございます」
「いいってもんさ。ここはあやかし夜市。 『同盟』 所属の元締めが支配する安全な百鬼夜行なんだからね。ここでは人間に害を加えたら罰則が待ってる。人間が迷い込んでも比較的安全だし、いつでもおいで」
これは嬉しい誘いだった。
握手をしてぱたり、と揺れる尻尾を見て癒される。
今度からあいつから逃げるときがあったらここに来よう。
「ところで、その椿とやらはどこにあるんです?」
「あー、この道をずーっと行ったところに神社がある。そこでお願いすれば貰えるよ。アタイは店があるから案内できないけど、大丈夫さね」
「あ、それと…… 千夜さ、ま…… の友が来ているはずだって聴いたんですけど、分かりますか?」
顎に手を当てて少し考えた素振りを見せた絹狸がまた尻尾をぱたり、と振った。
「ふむ、アタイにゃさっぱりだね。そもそもここは旧神の縄張りだから旧支配者側の人で無しのことはよく分からないんだ。それだったらここの元締めに訊いてみるのが一番だと思う」
「そうか…… いろいろ助けてくれてありがとうございます」
「いいってもんさ。それじゃあね」
彼女の店を出て、真っ直ぐ神社の方面を目指した。
長い黒髪を外出するときのように結うわけでもなく、見るだけでも鬱陶しいそれをソファの端から垂らし、なにやら物憂げに目を細めて手のひらを額に乗せている。
本人にとっては美しい人間が扇情的なポーズをとっているつもりなのだろうがアレが男よりの、それも本体をデフォルメしたってどう足掻いても可愛くならない触手生物だと知っているこちらとしては余計な想像を働かせて勝手に吐きそうになっている。
「いっ……!?」
そして首元が焼ごてに当てられたように熱くなる。
「なーんか、失礼なこと考えてたでしょ」
「……」
火傷が痛くて答えられる状態じゃありません。
そんな風に装いながら目を逸らす。多分バレているが、おしおきは終わったので良しとする。
「…… ねえれーいちくん、れーいちくん。カレンダー持って来てよ」
ソファに寝転がったままのあいつが目を瞑ったまま言った。
「はあ? そこから見えるでしょうが。とうとうアンタも盲目白痴にっと!?」
最近、漸く料理スキルも上がって文句を言われなくなったので世に伝わる神話群を調べていたのだが、得意気にそのネタで反抗しようとした瞬間背後に一本のナイフがビィィンという恐ろしい音を立てて刺さった。視界の端で数本の髪の毛が散っていくのが見える。
「令一くんなんて将来禿げればいいのに」
「ああ、今その未来がチラッと見えましたよっ! 頭皮ごとずるっといく未来がね!」
首輪は熱くならない。
だいぶこの生活にも慣れて来て混乱していた意識も落ち着き、ついでにあいつもやたらめったらおしおきをすることはなくなった。さっきみたいに思考を読まれたときや、敬語がぽろっと取れると熱くなったり絞まったりバリエーションを増やしたおしおきをしてくるがそれだけだ。リアクションも単調なものしか出てこない。多分あっちも見飽きたんだろう。俺ももう慣れてしまった。
人、それを諦めと言う。
「カレンダー」
「はい、どーぞ」
目の前に壁から取ったカレンダーをチラつかせる。
するとどこか楽しげににやりと口を歪めた邪神は 「くふふ」 とまた気持ち悪くくぐもった笑い声を漏らした。
「れーいちくん、ちょこっとおつかいに行って来てよ」
随分と唐突だな。
こういうとき相手が母さんだったりしたら特売日なのかなと思うのだが、こいつの場合そうはいかない。厄介ごとの匂いがする。
だが、俺に選択肢などない。
「場所はどこです?」
投げやりに了承の意を込めて訊く。
いつもノーヒントの奴だが流石に場所くらいは吐くだろう。
「ここいらで一番小さくて黴臭くて煤けててボロい神社があるんだけどね?」
ひどい言い様だ。
いくら元々敵対していたからといって笑顔で言うことか?
「そこに夜中の二時ピッタリに入るんだよ…… ああ、鳥居はくぐっちゃだめだよ」
そう言われて奴が手を振るうと俺の首に嵌った、冒涜的なチョーカーのようなものが逆十字のネックレスへと姿を変える。
外出の許可が降りたときはいつもこうだ。首になにか付けていることと逆十字は変わらずにころころと呪いの外装を変えてくる。
「オカルト関係、ですね。なら刀も持ってったほうがいいか」
こいつが行けと言って平和に終わった試しがない。
それは悲しいほど俺が知っている。
「赤竜刀持っていくんだね」
その言葉にピタリと竹刀袋に刀を入れる手が止まる。
「これに名前なんてあったんですか?」
「そうだよ。ああ、由来が知りたければますますおつかいに行ったほうがいいね。多分それをあの旅館に置いた私の友も来ているだろうし」
その言葉に衝撃が走った。
「え、あんた友達なんかいるの?」
「激おこスティックファイナリアリティおしおきドリーム!」
首絞めと火傷が同時に襲いその後一時間ほど俺は気絶した。
「ま、そういうことで頑張ってね」
そう言って手をフラフラと振りながら再びソファに沈み込んだあいつはつまらなそうに欠伸をする。
「その友とやらのヒントはないんですか?」
「はあ?」
勿体ぶったように、心底可哀想なものを見る目で奴は 「私にそんなサービス精神があると思うの?」 とのたまいやがった。
「いや、全然」
イラッときたので即答してやるといつの間にか背後に立った奴からヘッドロックを食らう。
「それはやめろ! 死ぬっ!」
奴が紛れもない人外だと嫌な実感の仕方をしてから息を整えた。
「とりあえず、適当に探して来なよ。聞き込みでもすれば大丈夫でしょ」
「は、はい……分かっ、りました。で、なにを買ってくれば?」
冗談みたいなやりとりばかりだが俺にとってはわりとマジで死に瀕していることが多い。あやふやな話題逸らしで目的のおつかいを忘れたらそれを各目になにを命令されるか分からないのでちゃんと訊いておかなければならない。
「お酒」
「は?」
聞き間違いか?
「お酒だってば」
「分かりましたよ…… 行けばいいんでしょう。行けば」
コンビニで買えよ。なんでわざわざ……
◆
そこはボロボロの神社だった。
特定の場所や名前を言われたわけではないので確証はないが、名前さえ掠れてしまって読めないこの神社のことだろうと当たりを付けた。
午前二時まであと一分。
深呼吸して腕時計を見つめる。
足はすぐさま神社内に入れるようにと敷地の前に踏み出しておく。
ピッタリと言っていたのだからピッタリでないとダメなのだろう。
妖怪や神話生物相手に立ち回るときに飛び出さないようにと財布はウエストポーチの奥底にしまってある。
動きやすい服装だ。いざというときのためにポーチの中には小さなナイフも入っている。
まったく、ナイフに刀とは銃刀法違反もいいところだ。
しかし、幸いにも周りには人っ子一人いないし、決して狭苦しいわけでない道路には車一台通らない。…… そう、不自然なくらいに。
「二時…… !」
一歩踏み出した時、世界が変わった。
古ぼけた神社は消え、目の前には車が二台くらい十分通れる広さの石畳が直線上に続いている。その両脇には祭りの出店のようなものが延々と続いていき、真っ暗闇だった雰囲気はどこへやら明るく賑わっている。
「目玉焼きー! 目玉焼きだよー!」
「専門書売ってるぜー! 人間に混じって暮らしたい奴には入り用だぞー!」
「骸金魚救いだー! どうだー? 挑戦する奴はいないかー!」
陽気な声。物騒な言葉。
目玉焼きの言葉に、そんな出店があるものなのかと目を向ければ〝 言葉通りの商品 〟が見えて顔が青ざめていく。
金魚掬いの方へ視線を向けるとそこには想像していたものとはまったく違う光景が広がっている。
人間ほどもあるでかい金魚の目は白く濁り、鱗は乾いて魚とは思えない様相をしている。さらにそれが背ビレで空を泳いでいるのだ。挑戦者らしき三つ目の男が柄杓で水を掛けようとしている。それが「骸金魚救い」なのだろう。
人間がこの場にいることで誘拐されるかもしれないと身構えたが、立ち止まった俺を追い越していく人外達は迷惑そうに俺を避けて祭りへと繰り出していく。
それを繰り返してようやく詰まった息を吐き出して頬を叩いた。
「お酒…… だっけ」
歩き出そうとしたとき、背後から声がかかった。
「おんやあ? 人間が〝 あやかし夜市 〟に迷い込むなんて久し振りだねぇ!」
硬直し、身構える。竹刀袋にかけた手は慌てて 「や、やめておくれよ。アタイはなんにもできないんだから!」 と言った女性にそっと押さえられた。
黄色い着物に橙色の紅葉模様の着物の女性だ。
しかしその短い茶髪から覗く丸い耳と腰の辺りから大きく垂れ下がる太い尻尾が彼女が人でないことを教えてくれる。
ますます警戒して今度はポーチの中のナイフに手を添えようとして、また止められる。
「だ、だからやめておくれ! ここの夜市じゃあ人間に手を出すのはご法度なんだよぉ! ただでさえアタイは弱いってのになにもできはしないよ!」
その必死さに手を添えたままだが一応話は聴くことにした。
「…… 俺はおつかいに来たんですけど、ここはどこなんでしょう? あと、あんたは?」
「よかった。話を聴いてくれるんだね? アタイは絹狸さ。今日は特別な日だからこの先に出張呉服店を開いているんだよ」
きぬたぬき? 逆から読んでもきぬたぬき…… 冗談だろうか。
「だからその手を下ろしてくれって…… 分からないなら調べてみておくれよ。ここは一応電波も入るようになってるからさ」
遠慮なく端末で調べることにした。
出てきた情報は鳥山石燕の創作妖怪であるとされる話。さらにその名前が布を打って柔らかくする砧から来ていることが分かる。確かに、一応そんな妖怪は存在するようだ。
「創作妖怪なんじゃないのか?」
そんな失礼な言葉にはあ、とため息をついた絹狸は自嘲するように笑う。
「今の世は妖怪にとっちゃ生きづらいもんだよ。畏れと信仰で生きるのはもう限界を迎えちまったから皆人間の中に混じって、〝 そういう奴がいる 〟だとか〝 そういうお話がある 〟って知られることで生きてるんだ。認知度が高ければ高いほど力は強くなるし、旧神もみーんなその方針をとってる。だから作られた都市伝説やら怖い話やらに出てくる奴らも嘘から出た誠になるのさ。創作妖怪とはいえ、アタイの生みの親は有名だからこうしてアタイがいるってわけ」
絹狸が言うには神も妖怪も本来は同じものなのだとか。
それが善に傾いているか悪に傾いているのかの違いであり、どちらも知られていなければ消滅してしまう存在だという。
そして、それら全てを引っくるめて〝怪異〟と呼ぶとか。
ただ、旧支配者や元から存在した太古からの生物は別に信仰や認識がなくても生きていける、と。
「で、アンタはおつかいだっけ? 誰の遣いなの?」
彼女の営む呉服屋を放っておくことはできないため、一緒に向かいながら話をする。
道行く妖怪達は人間が珍しいのかチラチラとこちらを覗き見ている。うすらぼんやりと暗闇に浮かぶ提灯代わりの鬼灯が道を照らしていた。
「神内千夜って、知ってますか?」
「じんない?」
不思議そうに首を傾げていた彼女は思い当たる節があったのか硬直した。
「あー、アンタあれかい。厄介者に気に入られちまった哀れな子羊二号ってアンタのことかい」
なんだそのいらない称号!?
「それってどういう?」
「まあそれはそれとして、酒を買いに来たって言ってたよね」
露骨に話を逸らされたが皆あんな奴に関わりたくないのだろう。その気持ちはすごくよく分かる。
「今日は古椿から香りの高い良い酒が取れる年に二度のうち一度目の日さ。最初の方に採れば採るほど香りは強くて度数も高い高級なものになるんだよ。今日のは強すぎて人が飲めるような代物は採れないけど、アンタの主人に届けるなら最初の方を狙った方がいいね」
そう言って椿の柄が入ったガラス瓶を手渡してくる。
「あ、ありがとうございます」
「いいってもんさ。ここはあやかし夜市。 『同盟』 所属の元締めが支配する安全な百鬼夜行なんだからね。ここでは人間に害を加えたら罰則が待ってる。人間が迷い込んでも比較的安全だし、いつでもおいで」
これは嬉しい誘いだった。
握手をしてぱたり、と揺れる尻尾を見て癒される。
今度からあいつから逃げるときがあったらここに来よう。
「ところで、その椿とやらはどこにあるんです?」
「あー、この道をずーっと行ったところに神社がある。そこでお願いすれば貰えるよ。アタイは店があるから案内できないけど、大丈夫さね」
「あ、それと…… 千夜さ、ま…… の友が来ているはずだって聴いたんですけど、分かりますか?」
顎に手を当てて少し考えた素振りを見せた絹狸がまた尻尾をぱたり、と振った。
「ふむ、アタイにゃさっぱりだね。そもそもここは旧神の縄張りだから旧支配者側の人で無しのことはよく分からないんだ。それだったらここの元締めに訊いてみるのが一番だと思う」
「そうか…… いろいろ助けてくれてありがとうございます」
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