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未来の章【ムラサキ鏡の降霊術】

浮遊霊千本ノック

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 紫雲公園は砂場とブランコと滑り台くらいしかない紫陽花公園とは違い、結構大きなところのようだった。
 この地区で一番大きくて、子供達に人気のアスレチックのある公園らしい。

 公園脇の花壇には矢車菊が見事に開花している。菊、か。これはまた……偶然か、そうでないのかは分からないが、〝あの世〟が近くなる条件を満たしている。菊と言えば墓前に添える花だからな。

 これが彼岸の時期とかなら、もっとそれっぽくなっただろうか? 
 ……いや、彼岸花は赤色の〝梅重うめがさね〟地区のほうが恐ろしいほどに生える。あの世を連想する花とはいえ、今回の〝紫鏡〟には関係ないな。

「もう8時か……」
「長くなったら嫌だねぇ」

 俺の言葉に反応し、紅子さんは呟く。
 そういえば、公園で話していただけだから夕飯もまだだな。
 お腹は空いているが……今まで気づかなかった。いや、気にならなかったといえばいいのか? 紅子さんと一緒だと時間が経つのもあっという間だな。

「こんな時間に人がいる……やっぱりここで当たりか?」

 公園の中を池を目指して歩いて行くと、ときおり人とすれ違ったり、遠くに人影が見えたりする。こんな時間だと普通は弾き語りや、楽器の練習をしている極少数の人しか見ないものだけれど、今日はやたらと人が多いらしい。
 ……いや、ここの公園に来たことなんてないのだが。一般論として。

「正解といえば正解だけれどね、その認識は不正解とも言えるかな」
「つまり、どっちだ?」
「あれ、浮遊霊だよ。分かんない? 見えすぎるのもちょっと問題かな」
「えっ、今までの人全部がか!?」
「そうだよ。今のところアタシが把握してる、生きて正気の人間は下土井しもどい令一れいいちさん……キミだけ」

 そういえば、公園の中に入ってから肌寒さが増したような気がする。気がするだけかもしれないが、こういうのは気持ちから侵食されていくものだ。〝気をつけて〟おこう。

「これだけ浮遊霊が引き寄せられてるってことは当たりだね。もう始まっている。時間が経つにつれて異界に近づいていってしまうから、天然の結界が出来上がる前に人間の避難と、浮遊霊を彼岸に返す作業だ」
「彼岸に返すって……どうやって?」

 俺達は浄霊なんてできないだろ。

「通り道になってる池に叩き込む。それだけ」
「……紅子さんって、意外と脳筋思考だよな」
「細かいことをやるのは苦手かな」

 やるべきことはとりあえず把握した。
 叩き込むだけなら俺でもできそうだ。

「リン、リン、起きろ」
「きゅ……」

 俺は鞄を前に持ち、そっと開いて中で寝ていた影に声をかける。
 くあぁ、と大口を開けてあくびをしてからくりくりとした黄色い爬虫類の瞳がこちらを見上げた。

「リン、もうすぐ出番だ」
「んきゅい」

 鞄から文字通り飛び出てきたのは手のひらサイズの赤いドラゴン。
 同盟の創設者に赤い竜がいるのだが、この小さなドラゴンはその鱗の一枚だ。

こいつは、俺がニャルラトホテプをぶった切った刀に打ち直し、今では刀に宿った赤い竜の分け御霊みたま……という少しややこしい存在になっている。
 俺の武器そのものであるわけだし、本番が近い今のうちに起きてもらうのが一番だろう。

 普段はどこぞのカードをキャプチャーする小学生のマスコットのように鞄の中にぬいぐるみよろしく入って過ごしてもらっている。
 今日は中に入れていたお菓子も全部食べてしまったようだ。太るぞ。

「紅子さん、人気ひとけは完全にないんだな?」
「うん、生きて正気を保っているのはお兄さんだけ。あとは浮遊霊に脅かされて逃げ帰ろうとしてる人だとか、盲目的すぎて既に正気じゃない人とか、まあそんな感じみたいだね」
「なら、いいか」

 リンが手のひらの中に収まり、緋色の刀身の打刀うちがたなに変化する。刀身には爬虫類の鱗のような模様が走り、まるで手に吸い付くように重さを感じさせない。

 〝赤竜刀せきりゅうとう

 それがこいつのなまえだ。
 銃刀法違反? 既に周囲には人気がないのも確認したし、オカルト的異常が起きている現場では磁場が狂って電子機器は大体おかしくなる。監視カメラがあったとしても、砂嵐しか残らないだろうな。

 もし、超常的ななにか映ってたとしてもまともに受け取る人間はそういないだろうし、赤竜刀のことがバレても普段はミニドラゴンの姿なので刀が見つかることはない。問題なんてないな。

「……見事に紫色の池になっているね」

 池の周囲に辿り着き、紅子さんは静かに言った。

「これ、どうやって後始末するんだよ」
「初めから後始末の心配? そんなこと言ってるから女性を楽しませることができないんだよ」
「は? なにがだよ」
「だからおにーさんはいつまで経っても、20歳すぎても筋金入りの童貞だってこと」
「余計なお世話だよ!」
「ああ、違うね。失礼、相手がいないんじゃあ、そのシミュレートも意味がないね」
「ええ、謝るのはそっちなのか……」

 成人してから初めて恋をした女の子に、手酷く下ネタでからかわれる。俺が一体なにをしたっていうんだ。

「相手に、なってあげようか?」
「え」

 一瞬、脳裏をいろんな妄想が過っていったが、それを必死に追い出して顔を覆う。

「冗談だよ」

 知ってた。現実は非情だ。

「嘘は嫌いなんじゃなかったか?」
「嘘は言うのも言われるのも嫌いだよ? ま、冗談は言うけどね」

 未練がましく深追いするつもりは、ない。

「ねえ、お兄さん」
「ん? なんだよ」
「ちょっと水面、触ってみてくれないかな」
「なんで俺が?」
「キミじゃないと……ダメなんだよ」

 言い方があまりにも卑怯だった。
 反射的に伸びた左の手のひらが水の中に……沈まずに硬いものに触れる。
 まるで水面全体が薄氷のように固まっている。そう、〝紫色の鏡〟のように。

「アタシはほら……すり抜けちゃうでしょ?」
「わっ、本当だ」

 俺の隣にしゃがみこみ、紅子さんも水面に手を伸ばす。その結果は、普通に水の中に手が沈むだけだった。
 隣の俺が、水中に手を差し入れられずにいるのに、彼女は実にあっさりと手を水に浸している。
 理由は訊かなくてもなんとなくわかった。

 〝幽霊〟

 つまり、あの世の者だから。
 紫の鏡を通してあの世の者が来るんだったら、紅子さんがその中に入ることができるというのも自明の理だ。
 俺に鏡のように固まった水面を触らせたのも、彼女だとすり抜けてしまうからだろう。

 水の中の俺は紫がかった黒い瞳でこちらを見つめる。ゆらり、ゆらりと風もないのに波立つ水面が不気味だった。

「なあに、お兄さん。鏡の自分と向き合っちゃって。ナルシストなのかな?それとも鏡の向こうの自分と入れ替わりたいの?」
「い、いや…… なんでもない」

 べ、別に水面からなにか飛び出すかもなんて考えてないぞ。こんなの今更だし、怖いとか思ってないからな。

「あー、さっさと終わらせて夕飯にでもしような」

 精一杯の話題逸らし。しかし、紅子さんは「仕方ないねぇ」とでも言うような顔をして話を合わせてくる。

「遅い夕飯だけれどね。どこに行くの? 外食?」
「俺が作るよ。キッチン、借りるからな」

 俺がそう言うと紅子さんはきょとりと目を瞬いて、「……ふうん、そう。ありがとう」と言葉を零し、そのまま背を向けてたったったっと浮遊霊達が集まっている方へ向かった。
 照れている……のだろうか。そうだったらいいな。

 俺も池の端から立ち上がり、刀を構え直す。
 それから近くに寄ってきた高齢の男性の姿をした浮遊霊を峰で池の中に叩き落とす。

『な、なんてことするんだぁ! これだから若いもんはぁ』
「あ、あんた! あんた! あたしの夫になにするのよぉ!」

 なんだろう、この罪悪感。

 紅子さんはいつものように手のひらサイズの〝ガラス片〟を持ち、闇の中から突然現れてみたり、人魂に変化して不意打ちしたりで浮遊霊をあちら側に戻す作業をしている。飛んだり跳ねたり、浮遊できるわけでもなく、完全に身体能力で行なっているはずなのにすごいな。しかも闇夜に紛れて不意打ふいうっているからか、あまり生身の人間には見られていないみたいだ。

 それに比べて俺は……発狂しているとはいえ、刀でこの場にいる人間の大切な幽霊を打ちのめしながら池に落としている男になっている……そんなの、見ている側からすれば悪魔の所業じゃないか。
 罪悪感が酷い。

 そうやって罪悪感と戦いながらも黙って浮遊霊をバッティングしているのだが、次から次へと浮遊霊が周囲に集まってきてしまってまるでキリがない。

 なんせ池から出てくるのもいれば、この場のあの世に近づいた雰囲気に引き寄せられて街から集まってくる浮遊霊もいるのだ。
 普段見えないやつや、隠れているタイプのやつ、それに動物霊まで引き寄せているから、二人で〝お引き取り〟作業をやっていると追いつかない。

 このままじゃ夕飯どころではなく、夜明けまでやっていても終わらなさそうだ。
 こうなったら、あの鏡をどうにかするしかないだろう。
 しかし、鏡になっているとはいえ、池に撒かれた紫色の塗料を回収するなんて到底できやしないことだろうし……一体どうすればこの無意味な〝千本ノック〟が終わるのやら。

「お兄さん、赤竜刀であの鏡を割ってきてくれるかな。多分それならできるはずだよ。その刀は〝無謀〟を斬るんでしょ」
「水に溶けた塗料を取り除く無謀さ……ね。いけるかな」
「やってみるしかないかな。そうやってできるわけがないって思うものほど斬ってみる価値はあると思うよ」
「分かった。やってみる」

 千本ノック開始から一時間ほどだろうか……いや、もっとか。
 現在時刻は23時、深夜。あの世との繋がりが濃くなる時間帯。
 そして、着実に〝なにかが起こる〟だろう時間帯でもあった。

 ゆうらり、と風もないのに水面が凪ぐ。
 俺が池に刀を突き立ててやろうと向かい始めた、そのときだった。
 まず、水面から巨大な甲殻類のあしのようなものが突き出た。それから、空中を漂っていた浮遊霊に向けてその脚が鋭く伸ばされる。
 浮遊霊が跳ね上がるように飛ばされるのを見て、水面から出てきた脚に殴られたのだと初めて理解した。

 脚が、突き出たような複眼が、蛇腹のような甲殻が、池の中から顔を出す。
 その姿はまるで地面に掘った巣穴から顔を出しているようで、それが自然の姿だと言わんばかりに紫色の水面全体を覆ってしまっている。

「お兄さん!」
「な、なんだあれ……エビ?」

 間抜けな声が出てくるのも仕方がないだろう。
 俺は、そんな生き物見たことがなかった。いや、もしかしたらあったのかもしれないが、少なくともすぐに思いつくような身近な存在ではなかった。

「釣れちゃったねぇ……」
「え、あ?そ、そうなるのか……?」
「もう、お兄さんがフラグになるようなこと言うから」
「俺のせいではないだろ!」

池から顔を出しているのはまさに〝化け物〟だ。
サメとかクラーケンとか、さっき想像していたようなものではなかったが、どんな生物でも見上げるような大きさがあれば立派な化け物だろう。

そいつは……シャコ。
10メートル以上はありそうな、巨大な化け物シャコだった。
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