ニャル様のいうとおり

時雨オオカミ

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未来の章【ムラサキ鏡の降霊術】

【推理】事件が起こるのは何処?

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「さて、調査で分かったことは二つだね。神内さんは大切な人を亡くしている人……特別心を病んでる人をターゲットに声をかけ、死んだ人間に会える方法とやらを説いている。それが紫の鏡だね」
「で、もう一つは……その声をかけられた人間が紫色の塗料を買い占めてるってことだな」

 鏡は別に買い占められてるわけじゃないし、それぞれの家庭でそれぞれの鏡を使うってことでいいんだろうか。紫色の塗料はともかく、鏡なんてどこの家にも当然のことながらあるものだからな。
 鏡がないとしたら、よほど自分の顔を嫌っているか、鏡の中の自分に取って代わられるなんて思っているような変わり者くらいだろう。
 後者の話は実のところ、この街においては全くありえないわけではないのだが。

「っていうか、紫の鏡を20歳までに覚えてると不幸になるとか、死ぬとかの話は結局関係ないじゃないか」
「別の側面を利用しているみたいだね。学生の間で流行っている紫の鏡はスタンダードなやつだったから、てっきりそっちの意味だと思っていたよ」

 紫の鏡に「やだー、思い出しちゃった!」なんてわーきゃー言うくらいなら、害はないからな。不幸の概念が大きくなりすぎて目に見えるくらいになった、とかそういう事例にでも行き遭うのかと思った。

「でもねぇ、確かに大勢の人間が一斉に紫鏡を実行したら、あの世との繋がりが少しだけ濃くなるだろうけれど……さすがに普通の鏡じゃあ、死んだ人に会えるほどじゃないかな。精々ブラッディ・マリーに行き遭う程度だよ」

 ブラッディ・マリー? カクテルか? いや、さすがにそれはないか。俺はそれしか分からないんだが。

「なにかな、その顔……もしかしてブラッディ・マリーを知らない?」
「いや、ブラッディ・マリーって言えばカクテルの名前だろ? 分かるよ」
「分かってないじゃないか」

 紅子さんはあちゃーとでも言うように顔を手で覆って溜め息を吐いた。

「ブラッディ・マリーっていうのは、アメリカの都市伝説だよ。ロウソクを灯しながらとか、その場で三回回るとか、そういう手順を踏んでから、鏡に向かって三回その名前を言うんだ。すると、鏡の中に血塗れの女性の幽霊が現れるってお話だね」
「ああ、なるほど。日本こっちで言う花子さんみたいなもんか。だから鏡の中で行き遭う……ね。いや、死んだ人に会えるんじゃないか」

 それならあの世の繋がりは濃いだろ。

「〝特定の人物〟に会えるわけじゃないって言いたいんだよ。ねえ、お兄さん。人に説明するジョークほど虚しいものってないものだよ?」

 責めるような視線から逃げるように俺は目線を逸らし、話を無理矢理元に戻すために、「普通の鏡じゃ特定の死者との対面なんてできないんだよな。ならなんであいつはそんな噂をばらまいてるんだろう」と続けた。

 邪神ニャルラトホテプこと、神内千夜は無意味な工作なんてしない。あいつは必ず人間の絶望が見られるような、そういう暗躍しかしないのだ。
 それにはある種の確信というか、悪い意味での信頼が積まれているわけだ。
 つまり、裏がある。どこかに必ずだ。

「カクテルなんていうちょっとお洒落なものに憧れて大人ぶってるのは悪いとは言わないけれど……」
「ちょっと不憫そうに言うなよ。というか、俺は23歳なんだから大人だ。偏見にもほどがあるだろ!」
「ねえ、お兄さん。精神年齢って体とは必ずしも比例しないんだよ」
「子供っぽくて悪かったな!」

 閑話休題。
 話題を逸らすことに失敗して更に別方向にハンドルを切るところだった。

「……話を整理しよう、紅子さん」
「はいはい、いくらでも付き合いますよ。アタシもまだ分からないからね。あの神様についてはキミが一番よく知ってるだろうし……不本意だろうけれど」
「俺の不幸が役に立つんなら、それに越したことはない。今は紅子さんがいるから、苦じゃないしな」
「……それはなにより。おだててもなぁんにも出やしないよ」
「照れてる?」
「照れてない」

 照れてるな。
 実際、俺は紅子さんの存在にかなり救われているから、本当のことしか言ってないわけだけれど。

「お兄さん、お洒落な赤い上着はいかがかなぁ」
「おいおい、殺人予告をするなよ」

 〝赤いちゃんちゃんこ〟の由来は、首を引き裂かれて服が真っ赤なちゃんちゃんこを着たようにさせられるからだ。脅し文句としては最上級に怖いぞ。

「……というか、人殺しはしない主義の癖に。照れ隠しがバレバレなんだよ」
「あのね、アタシは今怒ってるの。空気の読めない残念なお兄さんにね。深追いすればするほどアタシはお兄さんが嫌いになっていくだけだよ。分かる?いつも言ってるよねぇ。アタシ、おにーさんのそういうところが大っ嫌い」
「わ、ごめん。本当にごめん」

 さっき突っ込んで訊くのはダメだと考えていたくせにこの有様だ。
 23歳の俺が歳下の子に甘えるとかどうなんだ。ダメだろ。もっとちゃんとしていないと……実年齢でも紅子さんは20歳で歳下なんだからさ。
 いやしかし、紅子さんが塩対応をするのは俺にだけだと思うと満更でもないんだが……

「なにそのにやけ顔……お兄さん、余計なこと考えてるでしょう」
「ん、い、いや、ごめん」
「おにーさんのスケベ」
「いや! それは違うからな? 決して変なことは考えてないから! ごめんって紅子さん!」
「謝るってことは肯定してるも同然なんだよ。分かるかな? ……はあ、で、結局情報の整理をするんじゃなかったのかな」

 呆れ顔で話を戻す紅子さんに弁明するのをやめ、そういえばそうだったなと一つ咳払いをする。
 今日は何回彼女の呆れ顔を見ることになるのだろうか……本気で軽蔑されないだけ、まだマシではあるはずなんだが。

「まずは、神内のやつが〝死者と会って会話することができる方法〟として紫鏡を噂で広めていたんだったな」
「そう。それで、間に受けた人々が紫色の塗料を買い占めている」
「鏡は特に買い占められたりはしていない」

 紅子さんが頷く。
 首を傾げながらだったために、さらりと流れるように前髪が揺れた。
 俺の方が遥かに身長も座高も高いために、座っていても自然と上目遣いをされる形になってしまう。恋を自覚したばかりの俺には色々と心臓に悪い。

「でも、大勢が手鏡で紫鏡をするくらいじゃあの世との繋がりはそれほど濃くはならない……と」
「そう、詐欺師みたいなことになるよね。これで神内さんが得られるのは人々の〝絶望〟じゃなくて、精々〝落胆〟くらいだし」
「あいつなら、そんなぬるい結末で満足するはずがないな」
「そこで、まだ裏があるはずなんだけど……」
「なあ、姿見を使ったとしてもそこまであの世との繋がりは濃くならないんだろ?」
「恐らくね……そっか、もっと大きな鏡じゃないと死者とご対面できるほどの繋がりはできない。なら、そのもっと大きな鏡を探せばいいのかな」

 鏡。
 でもそんなに大きな鏡なんてあるか? 
 姿見以上の、大きな鏡。昔は学校の体育館とか、武道場なんかに大きな鏡が設置してあったりしたが……その、とうの学校に通っている紅子さんがなにも言わないということはそういうのはないんだろうしな。

 あとはダンス教室の鏡とか? 
 しかし、それでも足りるかどうかは分からないしな。大きな鏡に使うために塗料を買い占めているのだとしたら、もっともっと大きななにかが必要になるはず。

「鏡……」
「鏡、映すもの……うーん、アタシ達も鏡を使って異界に移動しているから、普通思いつきそうなものなんだけれど」

 紅子さんの住居は高校生の一人暮らしの都合上、〝こちら側〟にはないからな。こちらと同じくらい広い、鏡の世界が怪異達が住んでいる場所だ。
 だからここまで思い浮かばないとは思っていなかった。

 息抜きに、こめかみを押さえつつ紫陽花公園をぐるりと見渡す。
 まだ時期じゃないから紫陽花は咲いていないが、景色はいい。近くにある川からときおり鯉かなにかが跳ねる音が聴こえて……

「そうだ!」
「え、なに。分かったのお兄さん」
「池だ。池だよ紅子さん! 大きな水の塊……池ならこちら側を映す鏡になるだろ!」
「池、か。うん、そうだね……思いつかなかったのがちょっと悔しいな。大きな池なら公園にいくらでもあるからね……」
「でも、場所は分からないよな。彩色町って公園も多いし、川も池もたくさんあるから……儀式的に利用するなら一箇所だけだと思うんだが」

 俺の言葉で考えるように黙り込んでいた紅子さんは、自分のスマホを取り出すとなにごとか操作し始めた。

「なにか分かったのか?」
「ちょっと、この街の地図をね……だって〝紫鏡〟なんだよ? あの世に繋げるために紫鏡を利用するというのなら……最も繋がりの強い場所にするはずだからね」

 紫。色の名前から名付けられることの多いこの街には、該当箇所が多い。
 特に今、俺達がいるのは……〝紫紺しこん〟地区だ。

「紫紺地区内で、特に大きな池のある紫の名前を持つ公園。紫の名前を持つ池。そうやって絞れば……ほら、出た」

 スマホに映し出されていた場所の名前は──紫紺地区、紫雲公園、紫苑池。

 間違いない、ここだ。
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