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放課後 ~後日談~

初詣に行こう ~健彦side~(前編)

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 本当に仁神谷莉子コイツは、なーんにも分かっちゃいねぇな、と思う。
 初詣に一緒に行こうと力説する仁神谷を見下ろし、俺はこっそり溜息をついた。

「お前は行きたいと思ってるんだろ? だったら素直に透兄とおるにいと二人で行って来たらいいだろ」
「やだよ、そんなの。何か心苦しいよ。受験生なのは一緒じゃない」

 一緒だけど問題はそこじゃないっつーの。
 透兄が初詣に行こうなんて言い出したのは、合格祈願云々じゃなくてただお前とデートしたいだけなんだから。
 透兄がそういう普通の恋人っぽいことをしたがること自体がもう青天の霹靂で、それに賭ける透兄の期待値を思うと……。
 ああ、眩暈がする。

「気の遣い方が間違ってる。すっげぇ迷惑……」

 あんまり真っすぐに言ってそれが透兄に伝わってもマズいし、本当にどうしたらいいのやら。
 腹の底から溜息をつきながらどうにかそう返すと、仁神谷は「うーん」と唸り、腕を組んで何やら考え込み始めた。

 現在新川家に居候状態なのを気にしているのは勿論だが、どうやらそれ以上にこれまでの諸々の件で俺に迷惑をかけた、悪いことした、と感じているらしい。
 だけどそれは、透兄の嫉妬を増幅させるドエライ爆弾なのだ。
 残念ながら、そんな珍しい透兄を楽しむ余裕は俺にはまだない。頼むから俺のことはそっとしておいてほしい。

 だいたい、透兄が神頼みなんていう不確かなものに頼る訳がないのだ。すべて自らの目で見、自らの手でやる、という人間だぞ。自分の受験の時も含め、その手のことなんか一切したことはない。
 そんな透兄が『合格祈願』なんていう分かりやすい餌で釣り上げにくるなんて、よっぽどのことなんだから。

 しかしそんな俺の願いはやはり通じなかったようだ。仁神谷は「ふむ」と頷くと
「わかった。じゃ、恵も呼ぶからさ」
と言ってポケットからガラケーを取り出した。

 おいおい、本当に仲良いんだなとは思うけど、中西に頼りすぎじゃないのか?

「お前、ソレ個別補習のときと同じ手だよな。それしか手段がないのか?」
「悪かったね、友達が少なくて。何よ、嫌だった?」

 嫌、というのは中西が来ることについてだろうか。
 それは大きな誤解だ、と思い、慌てて
「そうじゃないけど……」
と返す。

 仁神谷の友達の中西恵は、今は毎週月曜日に透兄の個別補習を受ける、言うなれば勉強仲間だ。
 目鼻立ちのはっきりした間違いなく美人の部類に入る女の子で、ズバズバ物を言う割に空気が読めるというか、俺が仁神谷にどう接すればいいのか困っているところをうまく間に入ってくれている。俺にとっては頼もしい存在だ。

 透兄の「お前らちょっと邪魔」という無言の圧力にも屈しずむしろ楽しんでるあたり、一つ年下だが
「姉御!」
と呼びたくなる。

 まぁ、この鋭いんだか鈍いんだか解らない、何だか手のかかりそうな仁神谷の友達をずっとやってるっていうんだから、やっぱり精神的にタフというか、鍛えられているのかもしれない。

 そんなことを考えているうちに、どうやら話がまとまったようだ。
「じゃあ、また時間とか連絡するね!」
と言って、仁神谷がニコニコしながら電話を切った。

「中西、来るって?」
「うん。それならいい?」
「まぁ、ね……」

 三人よりはずっとマシだし、それなら透兄も折れるかもしれないな。
「仕方ないな」
と溜息をつきながら、俺は玲香さんの家に行くために靴を履いた。

 まぁ、このあと……仁神谷におねだりされてデレッデレになっている透兄と、そんな透兄を見て唖然とする伊知郎兄いちろうにいの姿を目撃することになる訳だけど。

   * * *

 俺にとっての伊知郎兄は、まさに親代わりだ。勉強でも何でも、初めてのことは大概、伊知郎兄から教わった。悪いことをすれば怒られたりはしたけど、基本的にいつも穏やかだったし、優しかった。
 9歳も離れてるから俺が中学生になったときにはもう大学生だったし、忙しい両親の代わりに学校行事に顔を出してくれることも多かった。俺の学校生活をほぼ把握してくれていたから、高校受験や何かあったときの相談は、もっぱら伊知郎兄にしていた。

 透兄は……外では人当たりも良く、ご近所のアイドルで学校でも人気者だったらしいけど、家では本当に自由気ままだった。自分のことは何でも自分でやってしまうから親にすら相談しないし、6歳も下の俺になんかは当然何も言わないから、何を考えているのか全くわからなかった。

 かと言って家では無表情だった、という訳ではない。近所のおばさんとニコニコと会話したあと、家に入った途端
「井戸端会議のネタ探しか」
と呟きながら舌打ちすることもあったりして……とにかく、オンオフの差が激しかった。

 それでも、俺が高い花瓶を割ってしまって困ってたら家政婦さんに上手く嘘をついて怒られないようにしてくれたり、俺をイジメた上級生に裏でいろいろ動いて仕返しをしてくれたりと、それなりに可愛がってくれてたんだな、とは思う(方向性はともかくとして)。
 女子関係では、玲香さん一筋のどこか鈍い伊知郎兄より女を捌き慣れている透兄の方が相談しやすかったし。

 だから、正攻法というか真面目なことは伊知郎兄から、搦め手や裏側のことは透兄から教わった、という感じだろうか。
 透兄だけは怒らせちゃいけない、と小学校に上がる頃には既に悟っていた気がする。

 でも俺が高校生になると、伊知郎兄は大学を卒業して医者になり、かなり忙しくなってしまった。すると今度は透兄が全面的に勉強を見てくれて、相談にも乗ってくれた。忙しい両親に代わり先生との三者面談に来てくれたのも、透兄だった。
 そう言えば、わざわざ文化祭とか体育祭にまで来てたんだよな。それまでは伊知郎兄に言われて渋々付き合う、という感じだったのに。

 そうして万全の状態で迎えた高3の冬――前期試験前日にウイルス性胃腸炎になってしまい、我慢して受験会場には向かったものの結果は散々だった。
 伊知郎兄も透兄も、現役で医学部に合格している。何で俺だけ……と、恥ずかしくて不甲斐なくて、泣きそうだった。

 両親や伊知郎兄が「気にするな」「頑張ったんだから」と慰める中、透兄は
「何で凹む? 運が悪かっただけだろ」
とバッサリ切り捨てた。

「運……?」
「そうだろう。ウイルス性胃腸炎なんて事前に予防できるようなものじゃないんだし、それを前期試験前日に発症するとか運が悪いとしか言いようがないだろう」
「……」
「自分の行動に後悔するような要因が見当たらないのに、凹んだって無駄だぞ。自分を卑下する必要もない。ラストチャンスだったんなら凹むのもまぁ分かるが、お前は来年受ければいいことだろ」
「……」
「受験会場には行けてよかったな。雰囲気だけでも先に知っていれば、来年緊張せずに済むしな」

 透兄は、俺より先に俺の未来のことを考えているのか。
 そう思うと、この優秀過ぎる兄がとても頼もしく感じた。

 そうだ、別にこれで人生が終わる訳じゃなかった。ちょっと予定が変わっただけだ。俺の目標が変わる訳じゃない。

「終わったことで悩むのは時間の無駄だ。悩むんじゃなくて考えろ。過去を振り返るにしても、病気になったことを悔やむんじゃなくて、これまでのこと全部についてだ。自分に足りないものは何か。一年過ごすんなら、医療関係のニュースを調べたり医者の仕事について考えてみたり、そういう現役だったらできないことをやって、もっと充実した状態で来年臨めるようにすればいい」

 この時だけは、透兄は至極真っ当なことを言っている、と思った。
 それまでの俺なら、この眩しくて危険な兄と比べられないよう、別の予備校を選んでいたと思う。
 だけど自然と、
「今だけはこの兄についていこう」
と思えたのだ。

 ……それが、今日にまで至る苦難の道のりの始まりとは、知らずに。
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