上 下
7 / 88
1時間目 ストーカー問題

第7話 ケガの功名、な訳ないって

しおりを挟む
「あれ、どうしたんだい? その指」

 予備校に着いていつものグレーの清掃服に着替えていると、山田さんが不思議そうな顔をして私の手を指差した。
 ガーゼで覆い、固定用テープでぐるぐる巻きにされた、3割増ぐらい太くなった私の右手の親指。

「スライサーで親指を削っちゃいました」
「はあ? 馬鹿だねえ」
「はは……」

 思いついたらすぐやってみたくなる。家に帰ったらお茶漬け用に買っておいた塩昆布があったので、私はさっそくスライサーを取り出した。
 あった、あった。4種類の刃がセットになっているやつ。輪切りとかもこれでやっちゃえばラクだよね。

「ふ、ふーん♪ ふふん、ふふーん♪」

 グリーンボールはザク切りし、洗っておく。きゅうりをスライサーで輪切りにして、これらに塩昆布を混ぜてよく揉み込めばOK。
 彩りをよくするために、お母さんは人参も入れていたっけ。確かに白と緑だけじゃちょっと淋しいけど、まぁいいか。

 そうして機嫌よく鼻歌を歌っていたら、きゅうりごと自分の親指もスライスしてしまったのだった。
 アレって、すぐには血が出ないんだよね。
 びっくりして自分の親指をみたら、先の左側が斜めにカットされてる。
 野菜が血にまみれる前に慌てて絆創膏を貼り、ボウルに入ってしまった自分の親指の破片(……うぷ)を取り出した。
 よし、セーフ。ちゃんと食べられる。
 だけど……痛い!! めっちゃ痛い!!

 右手はもう使えないので、左手で揉み込んで作りました。味はちゃんと思い出の味になったから良かった。
 モップを持ったり雑巾で拭いたりとかは、どうにか親指を使わなくてもできた。固定テープが多少は水を弾いてくれるので、雑巾絞りもある程度は問題ない。

 さて……そんなことより、ストーカー調査だ。
 私はトイレ掃除がメインで、生徒たちがウロウロしている職員室や教室があるフロアに足を踏み入れる用事はあまりないんだけど、ゴミや忘れ物を探すフリをして少しだけ入ってみようか。
 浪人生は私より年上の人達ばかりだし、まず私の事を知っている人はいないだろう。それに、高校時代は眼鏡をかけていなかったから今の私の姿とは結び付かないに違いない。

 ……とは言え、人がごった返す休み時間は怖いので、授業時間中に侵入してみた。
 エレベーターホールからガラス戸を通って中に入ると、真ん中に八畳ほどのフロアがあり、二十人ずつぐらい収容できる教室が三方に並んでいる。
 授業が行われているのは、一つの教室だけ。――新川センセーの授業だった。

 空き教室には生徒は誰もいなかったし、ここでは噂話も聞けそうにないなあ……。ストーカーも、授業中は盗撮してなかったんだよね。
 さ、戻るか……。他のフロアも覗いてみなきゃ。
 何も情報は得られなかったな、と溜息をつきながらエレベーターホールに戻る。

「……ちょっと」

 馴染みのある声が背後から聞こえてきたので振り返ると、新川透が立っていた。
 妙に怖い顔をしている。

「センセ、授業は……」
「今は演習中。それより、それ、どうした?」

 私の手を指差しながら睨んでくる。
 小声でヒソヒソ言っているのに、妙に迫力があるな。
 何で怒ってんだ、この人は?

「ちょっと怪我しただけですよ。怪しまれるんで早く教室に戻ってください」
「け……」
「とにかく、こっちも隠密行動中なんで。じゃっ!」

 何か知らんが面倒くさい。
 私は左手をしゅたっと上げると、タタタッとエレベーターとは逆の職員用裏階段へと走った。
 新川センセーだって、さすがに授業放棄はしないだろう。
 階段を降りる前にちらっと振り返ると、もうそこには新川透の姿はなかった。


 その後、各フロアを見回ったけれど、特に怪しい人物もおらず、隠密調査は空振りに終わった。
 夕方に仕事が終わり服を着替えた後、オバちゃん達もみんないなくなってからこっそりタブレットを取り出した。
 預かり物だし、あのボロアパートに置きっぱなしにする気にはなれなかった。鍵のかかる更衣室の棚に置いておいた方がマシだと思ったし。
 例のブログを覗いてみたが、残念ながら新しい記事は投稿されていなかった。
 
 やっぱり狙いは金曜日かなあ、と思いながら仕舞おうとすると……そのタブレットが、急にパッと変な画面に変わり音が鳴りだした。

 ん? ん? 何だこれ?

 適当に画面に現れたボタンを押すと、プツッと切れる。
 何だったんだ……と思っていたら、再び鳴り出した。

 これ……まさか、電話? タブレットって、電話ができるの?
 よく見ると、画面には『新川スマホ』と表記されている。どうやら新川透からの電話らしい。
 だとすると、出ないとマズい。

 悩んだ挙句、タブレットを縦にして肩に担ぎ、音が鳴る方を耳に当ててみた。
 これ、10インチあって大きいから、重い……。

「もしもし?」
“莉子? どこにいる?”

 何で呼び捨てやねん、と思ったけど、大きい声も出せないのでとりあえずスルーする。

「予備校の更衣室です。今から自転車で帰ります」
“あ、そっか、自転車か……”

 向こうからチッという舌打ちのようなものが聞こえてきた。

「それよりこれ、電話がかかるんですか? 他の人からかかってきたらどうしたら……」
“大丈夫、その番号は俺しか知らないから”
「そうですか」

 そう言えばガラケーの電話番号は聞かれなかった。最初からコレで連絡を取るつもりだったのか。
 だったらちゃんと言っておいてよね。タブレットなんて初めて見たんだから、びっくりするよ。
 ってか、これいつまで担いでいればいいの? 重いー!!

“もうすぐ上がるから、待っててくれないか?”
「何でですか? 今日はブログの更新もないし、特に報告することはないですよ」
“いいから”
「ちっともよくないです。……それとですね!」

 溜まりかねて、私は叫ぶように声を荒げた。

「タブレット、重い! もう電話切ってもいいですか!?」
“は? 重……”
「だから、担いで耳に当ててると重いんです! 切りますよ!」
“……ぷはっ! ぶははははは――!!”

 な、何だ!?
 新川透の口から発せられたとは思えないような豪快な笑い声が聞こえてきて、私は思わず耳を離した。腕もいい加減限界がきていたので、プチっと電話を切る。

 何なんだ、もう……。頼むから誰か、新川透のトリセツをください。

   * * *

 アパートに戻ってから再びタブレットを取り出す。ブログを確認すると、新しい記事が投稿されていた。

『信じられない! 新川センセーの大笑いをゲット!!』
というタイトルの記事には、確かにちょっと見ないぐらい大笑いしている新川透の写真が載っていた。
 確かに、生徒向け聖人君子スマイルとも、前にちょっと見た意地悪そうな笑顔とも違う。
 これは貴重だわね……。
 ブログの主も、興奮気味にその目撃した時の様子を語っている。

『電話の相手、誰だろう!? 友達かな!?
 まさか……恋人!?
 そんなの嫌だ――!!』

 いやいやお嬢さん、単なる奴隷みたいなもんです。心配めされるな。

 それはそうと……これ、裏口の喫煙所付近かな。一度外に出て電話をかけたのか……。
 あっ、ってことは!! 裏口には駐輪場があるから、自転車通学の子かも!
 生徒が裏口に来るには、表玄関から外の道路をぐるっと回って来ないといけない。電車通学の子はまず立ち寄らない場所だ。職員は校舎の中の職員専用通路を通るから、すぐに出れるけどね。

 と、いうことはだよ、建物の中から裏口に出る新川透を仮に目撃したとしても、生徒は表から大回りをしなければいけないから、1分以上はかかる。
 会話時間を考えると、この写真を撮れる可能性は、限りなく低い。
 ということは、最初から駐輪場にいてたまたま電話をかける新川透と遭遇したに違いない。

 自転車通学の生徒は、確か予備校で一覧にして管理していたはず。違法駐輪の自転車と区別するためだ。
 これでかなり絞り込めるかも!

「いえーい!」

 バンザイしたところで、再びタブレットの画面が切り替わった。
 勿論、皆さんご存知の――新川透ですよ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

雑司ヶ谷高校 歴史研究部!!

谷島修一
ライト文芸
雑司ヶ谷高校1年生の武田純也は、図書室で絡まれた2年生の上杉紗夜に無理やり歴史研究部に入部させられる。 部長の伊達恵梨香などと共に、その部の活動として、なし崩し的に日本100名城をすべて回る破目になってしまう。 水曜、土曜更新予定 ※この小説を読んでも歴史やお城に詳しくなれません(笑) ※数年前の取材の情報も含まれますので、お城などの施設の開・休館などの情報、交通経路および料金は正しくない場合があります。 (表紙&挿絵:長野アキラ 様) (写真:著者撮影)

コミュニティーサバイバル 〜生き延びた先に待つコミュニティーで追放されぬよう、本日も強制労働に心臓を捧げる日々〜

アモーレ ポン太
ライト文芸
 主人公ベルシュタインは3年間、家に引きこもり、ゲーム漬けの毎日をおくる生粋のニートだった。  そんな彼の日常はある日を境に崩れ去った。 日々ゲームをしていた彼の生まれ育った街に未知なる生物が現れたのである。  そんな未知なる生物はカラダに角が生えるかのようにして、なんとカラダに飛び道具を生やしていた。 弓なり、銃なり、レーザー銃なりを生やしたその生物は、手足の感覚と同じようにそれらを使いこなし、人間を襲った。  たちまちやつらの出現で街は崩壊。ベルシュタインはその後、とあるコミュニティーへと身を寄せることになる。  しかしそこで待っていたのは、強制労働。 本人の意思は度外視され、そのコミュニティーの共同体としての存続のため、彼は嫌々汚れ仕事を押し付けられてしまう。 そんな理不尽な仕打ちをしてくるコミュニティーでも追放されたくない彼は今日も1日、16時間労働をする。 ※ 小説家になろうでも掲載している作品です。 小説家になろう https://ncode.syosetu.com/novelview/infotop/ncode/n3879gu/

月が綺麗だなんて言わないわ

野田C菜
ライト文芸
私が素敵な女性になる唯一の方法

婚約破棄王子は魔獣の子を孕む〜愛でて愛でられ〜《完結》

クリム
BL
「婚約を破棄します」相手から望まれたから『婚約破棄』をし続けた王息のサリオンはわずか十歳で『婚約破棄王子』と呼ばれていた。サリオンは落実(らくじつ)故に王族の容姿をしていない。ガルド神に呪われていたからだ。 そんな中、大公の孫のアーロンと婚約をする。アーロンの明るさと自信に満ち溢れた姿に、サリオンは戸惑いつつ婚約をする。しかし、サリオンの呪いは容姿だけではなかった。離宮で晒す姿は夜になると魔獣に変幻するのである。 アーロンにはそれを告げられず、サリオンは兄に連れられ王領地の魔の森の入り口で金の獅子型の魔獣に出会う。変幻していたサリオンは魔獣に懐かれるが、二日の滞在で別れも告げられず離宮に戻る。 その後魔力の強いサリオンは兄の勧めで貴族学舎に行く前に、王領魔法学舎に行くように勧められて魔の森の中へ。そこには小さな先生を取り囲む平民の子どもたちがいた。 サリオンの魔法学舎から貴族学舎、兄セシルの王位継承問題へと向かい、サリオンの呪いと金の魔獣。そしてアーロンとの関係。そんなファンタジーな物語です。 一人称視点ですが、途中三人称視点に変化します。 R18は多分なるからつけました。 2020年10月18日、題名を変更しました。 『婚約破棄王子は魔獣に愛される』→『婚約破棄王子は魔獣の子を孕む』です。 前作『花嫁』とリンクしますが、前作を読まなくても大丈夫です。(前作から二十年ほど経過しています)

坂の上の帰り道

早稲 アカ
ライト文芸
 小学校からの帰り道、赤いランドセルでミチルはいつもひとりで帰ります。なぜかいうと、ミチルの家は他の子たちより違う道を通るからです。そんな帰り道のお話です。

5歳で前世の記憶が混入してきた  --スキルや知識を手に入れましたが、なんで中身入ってるんですか?--

ばふぉりん
ファンタジー
 「啞"?!@#&〆々☆¥$€%????」   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  五歳の誕生日を迎えた男の子は家族から捨てられた。理由は 「お前は我が家の恥だ!占星の儀で訳の分からないスキルを貰って、しかも使い方がわからない?これ以上お前を育てる義務も義理もないわ!」    この世界では五歳の誕生日に教会で『占星の儀』というスキルを授かることができ、そのスキルによってその後の人生が決まるといっても過言では無い。  剣聖 聖女 影朧といった上位スキルから、剣士 闘士 弓手といった一般的なスキル、そして家事 農耕 牧畜といったもうそれスキルじゃないよね?といったものまで。  そんな中、この五歳児が得たスキルは  □□□□  もはや文字ですら無かった ~~~~~~~~~~~~~~~~~  本文中に顔文字を使用しますので、できれば横読み推奨します。  本作中のいかなる個人・団体名は実在するものとは一切関係ありません。  

桜井優子は、陶芸に夢中!

ひかるたまご
ライト文芸
桜井優子は入学早々陶芸部員による強引な部活の勧誘に合い、仕方なく陶芸部の部活動見学をすることに。そこで粘土が魔法のように形を変えるのを見て桜井優子は、入部をけついする。 桜井優子とその友人達の青春ドタバタコメディが今始まる!

桜吹雪と泡沫の君

叶けい
BL
4月から新社会人として働き始めた名木透人は、高校時代から付き合っている年上の高校教師、宮城慶一と同棲して5年目。すっかりお互いが空気の様な存在で、恋人同士としてのときめきはなくなっていた。 慣れない会社勤めでてんてこ舞いになっている透人に、会社の先輩・渡辺裕斗が合コン参加を持ちかける。断り切れず合コンに出席した透人。そこで知り合った、桜色の髪の青年・桃瀬朔也と運命的な恋に落ちる。 だが朔也は、心臓に重い病気を抱えていた。

処理中です...