上 下
2 / 88
1時間目 ストーカー問題

第2話 これは、ピンチ……?

しおりを挟む
 超絶イケメンが私のことを知ってる!! 何か嬉しい!
 ……ってバカ、違う! 惑わされるな!

 浮かれる自分にアッパーを食らわせ引っ込ませる。はい、冷静な方の莉子、前に出てー。
 うーん、そもそも何でおばちゃんじゃないってバレたんだろう。しっかり顔は隠してたのに。

 何か焦点が合わない。ぼんやりとした新川透の顔をまじまじと見つめていると、目が合った彼が
「うっ」
と小さく呻いて口元に手を当て、視線をそらした。
 しかしそのまま何度もこちらをチラ見している。……ような気がする。

 何だ? 何だ? 笑いをこらえているのか?
 人の素顔を見て笑うとは失礼な奴だな。よく見えないんだから多少間抜け面でも仕方ないじゃん。
 うーん、眼鏡が飛んでよく見えない。そうだ、眼鏡はどこに……。

 眼鏡は新川透の足元に落ちていた。私が拾う前にさっと手を伸ばした彼が、眼鏡を持った瞬間
「重っ!」
と驚いたように声を上げた。

「レンズ分厚っ! 伊達眼鏡かと思ってたけど、違うんだ」
「本物の眼鏡です! どうも!」

 拾ってくれたから、一応お礼はね! 言うけどね!
 私はひったくるようにして彼の手から眼鏡を奪うと、すぐにかけた。
 新川透は私が眼鏡をかけたのを確認すると、にやりと口の端を上げた。

 しかし……本当にこれが、新川透だろうか。
 生徒達を相手にするときのような、聖人君子の笑顔はない。
 何というか……意地悪そう?

「ここで立ち話もなんだし、ちょっと外で話そう。昼飯奢るよ」
「結構です」

 こんな目立つ容姿の人と外でご飯とかあり得ない。それこそ月とスッポン、
「なあに? あの瓶底眼鏡」
「落差ひどーい」
「身の程知らず」
と、聞かなくていい陰口を食らい、スッポンはより惨めになるんですぅ。

 つまりは、いらん注目を浴びることになり、誰かに見つかってしまうかもしれない。
 それだけは、絶対に嫌だ。

「私はまだ仕事中で……」
「山田さんから、今日は午前上がりだって聞いてるけど?」
「っ!」

 山田のおばちゃん! 守秘義務はどうした!
 くっ……そんなところにまで手を回しているのか!
 きっと私の名前も、山田さんに聞いたんだな。

 うーん、完全に今日を狙ってたんだな。
 ミネルヴァのこともそうだけど、私がまだ若いってバレたのも非常に都合が悪い。
 彼は浪人生だけでなく、現役高校生も担当しているのだ。
 その中には当然、私の同級生だった子たちだっている。
 ……悔しいが、新川透の言う通りにするしかない。

「……わかりました」

 渋々頷くと、新川透はパッと顔を明るくして嬉しそうに頷いた。
 これから人を脅そうとしている人間の笑顔とは思えなかった。
 なんだか少年のよう……というか、無邪気な感じ。
 生徒相手の聖人君子スマイルとも、先ほど見せた意地悪スマイルとも違う。

 その後、予備校から少し離れたパチンコ屋の駐車場で落ち合う約束をし、私達はその場で別れた。

   * * *

 トイレのミネルヴァ……それは、予備校生たちのお助け女神。

 職員室や自習室、教室のある1階から6階は普段から人が行きかい、トイレの利用者も多い。
 しかし7階は式典や講演会をする大ホールがあるのみで、普段は扉にも鍵がかかっている。当然その7階のトイレも、他の階に比べるとめったに利用する人はいない。

 その7階の女子トイレに問題を置いておくと、トイレのミネルヴァが答えを教えてくれる――。

 それがこの予備校に通う女子生徒の間で広まったのは、今から2か月前の、6月頃のことだった。

 いやね、最初はほんの出来心だったんですよー。
 あれは……ゴールデンウィーク明けだったかなあ、7階の女子トイレに、プリントの忘れ物があってね。
 別にそれは珍しいことじゃないよ。予備校では余ったテストだとか書き損じのプリントだとかがしょっちゅう忘れられているから、たいていは捨てちゃうんだよね。名前が書いてあれば届けるけどさ。

 高認から大学受験を目指している私としては、そういうプリントって助かるんだよね。独学だとどれぐらい自分ができてるかもわからないし、予備校ではこんな問題をやっているのかあ、と参考にもなるしさ。

 でね、その日の忘れ物は漢字テストだったんだ。名前も書いてない、さらの状態。
 トイレ掃除が予定より早く終わって時計を見たら、仕事終了まであと10分。漢字テストも10分。上手い具合に胸ポケットにはシャーペンが入っていて。
 時間つぶしがてらやってみるかあ、って思ったのよ。

 それで真剣になってしまったのがマズかったね。廊下から数人の女子の声が聞こえてきて、もう焦っちゃって。
 掃除用具をガバッと右腕で掴み、『清掃中』の立札を左腕で抱えて、猛ダッシュ。声とは反対の職員用の階段へと大慌てで逃げ込んで。
 後ろめたさから声のする方は見なかったけど、2、3人の女子が何やらテンション高くきゃいきゃいと話してたみたいだったなー。
 
 でね、その書き込んだ漢字テストのことはすっかり忘れちゃったのよ。

 翌日、再び7階の女子トイレを訪れたら洗面台の上にはプリントがあって、そのときに初めて思い出した。
 昨日の漢字テストそのままになってたのか、と思いながら手に取ると、今度は数学のプリントに変わってた。その余白には『これはどうですか?』という小さな丸い文字が書いてあって。

 いんやもう、びっくりしたねー。
 だってこれって、昨日の漢字テストの持ち主からのコメント、だよね?
 どういうこと? 挑戦状? 私のことがバレてる? 
 まさか昨日の集団の誰かだった? だからって掃除のおばちゃんに思い至る?

 いろんなことが、頭をぐるぐると駆け巡った。

 何もせずに無視するのが一番いいってのは、わかってたんだ。
 そうすれば、あの漢字テストは何かの間違い、イタズラということになり、そのまま忘れ去られていくんだろうって。

 でも……結局、答えを書いちゃった。

 高校をやめてから、一年近く経つんだけどね。
 同年代の子たちが生き生きと学校生活を送ってるのを見ると「いいな」と思うし。
 同じプリントを解くことで、ちょっと仲間入りできた気分になれたし。
 あとやっぱりね……完全に日陰にいる私を見つけて声をかけてくれたことが、嬉しかったんだよね……。

 最初はその小さな丸文字の子だけだったけど、そのうち色々な女子に広まったみたい。毎日のように、7階の女子トイレにプリントが置かれるようになった。
 英語、国語、数学、日本史、物理、化学……。
   
 最初はさー、ビクビクしてたよ。掃除中や移動中に女子生徒と出くわすたびに、バレるんじゃないかと思ってひやひやしてさ。
 だけど彼女たちは私を掃除のおばちゃんと信じ切っているようで、声をかけることなんてなかったし視線を寄越すことすらなかったんだよね。

 いてもいなくても関係ない。誰にも認識されない存在。
 それが、現在の私。

 さ、寂しくなんかないよ? これはそういう話じゃなくて、ホッとしたって話ね。そっちだから。
 あ、でも、一度だけ私のことを話題にしている女子グループに遭遇したことがあるな。

「ねぇ、誰だと思う? ミネルヴァって」
「古手川さんじゃない? 東大進学コースの才女だし」
「でもさ、本人は違うって」
「そりゃ認める訳ないよー」
「でもさー、ミネルヴァ、文系教科は強いけど理系教科はちょっと弱いよね。前さ、1つ間違えてた」
「だっさー!!」

 悪かったな、ダサくて……。
 教えてもらった答えを丸写しするのはダサくないのか。
 まぁでも、『ミネルヴァ』やるようになったおかげで現状だと理数系教科が厳しい、ってわかったんだし、良しとするか。

 そんな感じで……最初の漢字テストから3か月が過ぎた。
 もう大丈夫だと安心しきっていて、私なりにこの毎日を楽しんでたんだけどなあ。まさか、新川透に見破られるとは。
 彼がなぜ私に目をつけたのか、そしてその目的は何なのか。
 とにかくそれを、知らなきゃ駄目だよね!
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

婚約破棄とか言って早々に私の荷物をまとめて実家に送りつけているけど、その中にあなたが明日国王に謁見する時に必要な書類も混じっているのですが

マリー
恋愛
寝食を忘れるほど研究にのめり込む婚約者に惹かれてかいがいしく食事の準備や仕事の手伝いをしていたのに、ある日帰ったら「母親みたいに世話を焼いてくるお前にはうんざりだ!荷物をまとめておいてやったから明日の朝一番で出て行け!」ですって? まあ、癇癪を起こすのはいいですけれど(よくはない)あなたがまとめてうちの実家に郵送したっていうその荷物の中、送っちゃいけないもの入ってましたよ? ※またも小説の練習で書いてみました。よろしくお願いします。 ※すみません、婚約破棄タグを使っていましたが、書いてるうちに内容にそぐわないことに気づいたのでちょっと変えました。果たして婚約破棄するのかしないのか?を楽しんでいただく話になりそうです。正当派の婚約破棄ものにはならないと思います。期待して読んでくださった方申し訳ございません。

【完結】婚約破棄されたので、引き継ぎをいたしましょうか?

碧桜 汐香
恋愛
第一王子に婚約破棄された公爵令嬢は、事前に引き継ぎの準備を進めていた。 まっすぐ領地に帰るために、その場で引き継ぎを始めることに。 様々な調査結果を暴露され、婚約破棄に関わった人たちは阿鼻叫喚へ。 第二王子?いりませんわ。 第一王子?もっといりませんわ。 第一王子を慕っていたのに婚約破棄された少女を演じる、彼女の本音は? 彼女の存在意義とは? 別サイト様にも掲載しております

家に帰ると夫が不倫していたので、両家の家族を呼んで大復讐をしたいと思います。

春木ハル
恋愛
私は夫と共働きで生活している人間なのですが、出張から帰ると夫が不倫の痕跡を残したまま寝ていました。 それに腹が立った私は法律で定められている罰なんかじゃ物足りず、自分自身でも復讐をすることにしました。その結果、思っていた通りの修羅場に…。その時のお話を聞いてください。 にちゃんねる風創作小説をお楽しみください。

私はお母様の奴隷じゃありません。「出てけ」とおっしゃるなら、望み通り出ていきます【完結】

小平ニコ
ファンタジー
主人公レベッカは、幼いころから母親に冷たく当たられ、家庭内の雑務を全て押し付けられてきた。 他の姉妹たちとは明らかに違う、奴隷のような扱いを受けても、いつか母親が自分を愛してくれると信じ、出来得る限りの努力を続けてきたレベッカだったが、16歳の誕生日に突然、公爵の館に奉公に行けと命じられる。 それは『家を出て行け』と言われているのと同じであり、レベッカはショックを受ける。しかし、奉公先の人々は皆優しく、主であるハーヴィン公爵はとても美しい人で、レベッカは彼にとても気に入られる。 友達もでき、忙しいながらも幸せな毎日を送るレベッカ。そんなある日のこと、妹のキャリーがいきなり公爵の館を訪れた。……キャリーは、レベッカに支払われた給料を回収しに来たのだ。 レベッカは、金銭に対する執着などなかったが、あまりにも身勝手で悪辣なキャリーに怒り、彼女を追い返す。それをきっかけに、公爵家の人々も巻き込む形で、レベッカと実家の姉妹たちは争うことになる。 そして、姉妹たちがそれぞれ悪行の報いを受けた後。 レベッカはとうとう、母親と直接対峙するのだった……

心の声が聞こえる私は、婚約者から嫌われていることを知っている。

木山楽斗
恋愛
人の心の声が聞こえるカルミアは、婚約者が自分のことを嫌っていることを知っていた。 そんな婚約者といつまでも一緒にいるつもりはない。そう思っていたカルミアは、彼といつか婚約破棄すると決めていた。 ある時、カルミアは婚約者が浮気していることを心の声によって知った。 そこで、カルミアは、友人のロウィードに協力してもらい、浮気の証拠を集めて、婚約者に突きつけたのである。 こうして、カルミアは婚約破棄して、自分を嫌っている婚約者から解放されるのだった。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

処理中です...