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おまけ・後日談
聖女の魔獣訪問 番外・サルサ(中編)
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魔王セルフィスに案内されたのは、魔王城の一階部分から外に出た、中庭のような場所。
秘密のアトリエの庭を彷彿とさせるベージュのドーム型のシールド。真っ暗な背景の中にぼうっと浮かび上がる、幻想的な風景。
辺りには丸い葉っぱが生い茂る何本かの樹々と、小さな池。そして赤、ピンク、黄色、鮮やかな色とりどりの花。
二本の木の間には虹のようなストライプ柄のハンモックが掛けられていて、魔物サルサはその上で私に背を向けて横になっていた。近づくと、ぴたりと重なり合っていた背中の蝶の羽がピクリと震える。
「なぁにー? 食事の時間ー?」
気だるげにそう言ってこちらを横目で見たサルサが、私の姿を捉える。その瞬間、銀色の瞳が大きく見開いた。
ガバッと起き上がり、
「ええ!? 何なの!?」
と大声を上げる。ふぁさっと長い蒼い髪が薄い肩から豊満な胸へと落ちていった。
褐色の肌に黒い肩出しボディスーツが映える。なめらかな肩から伸びた、すらりとした細長い腕。
ちらちら覗く胸の谷間といい、剥き出しのむっちりとした太腿といい、本当に魅惑的な魔物だわ。ちょっとSMの女王様チックというか。
「初めまして、カイ=ト=サルサ。マリアンセイユ・フォンティーヌです」
「知ってる、けど……」
呆然としながらそう呟いたサルサは、ふと辺りをキョロキョロと見回した。
「魔王は?」
「無理を言って、二人きりにしてもらいました」
実際には魔王の領域なので、セルフィスはちゃんとこの場を把握しているし見ているはず。
だけどこう言わないと、サルサも安心して話せないだろうしね。
「まずは、お礼を言いたくて」
「お礼?」
「ええ」
すっとその場で、令嬢風のお辞儀をした。サルサが息を呑んだ音が、かすかに聞こえる。
「リンドブロム闘技場の観衆の中に紛れ込み、私が望む展開へと民を誘導してくださったそうですね」
「えっ!? それ、魔王が言ったの!?」
ハンモックの上で起き上がった四つん這いの恰好のまま、サルサがひどく意外そうに叫ぶ。
恐らくこれを見ているセルフィスも驚いているでしょうね。内緒のつもりだったんだろうから。
「いいえ。情報元は内緒ですが、魔王からの命令でそういうことがあった、とだけ伺いました」
「あぁ。……まぁ、それで命は助けてくれるって魔王が約束してくれたし」
「……」
「ミーアにとっても悪い話じゃない、とか言うしさ。ちょっと様子を見させてもらっただけよ」
「そうですか」
「それに、たいしたことはしてないわよ?」
少しは落ち着いてきたのか、サルサは膝を折って腰を落とし、ハンモックの上に座り直す。
そして少し照れ臭そうに、ウェーブのかかった長く蒼い髪を右手でモチャモチャといじり始めた。
「これは千年前の再現だ、みたいなことを匂わせただけよ。後は……そうね、率先して拍手したり声を上げたりしたぐらいかしらね。あの大観衆を魔法も使わずにすべて掌握するなんて、たいしたタマね、マリアンセイユ」
「褒めて頂いて嬉しいですわ」
「ミーアが勝てないハズよねぇ……」
自分の膝に頬付けをつき、サルサはふう、と溜息を洩らした。
「そのミーアから、伝言を預かっています」
「……え?」
意外そうな顔をするサルサに微笑み、すっと息を吸い込む。
“――ずっと、支えてくれてありがとう。私が最後まで頑張れたのは、サルサが傍で励まし続けてくれたおかげです。
飄々とした頼もしい、素敵な私のお姉さんのまま、元気でいてね。
そして……またいつか、会えたらいいな。二人でたわいない話をしながらお茶したいです。”
ミーアがこの言葉を口にしていたときの表情を思い出しながら、言葉の一つ一つに気持ちを込めて、サルサに伝える。
サルサはふいっと目を逸らしたけど、唇がわずかに振るえていた。銀の瞳が、少しだけ細くなる。
「本当の姉妹みたいだったって、ミーアは言っていました。ひょっとして、サルサには妹がいたのですか?」
「ええっ!?」
横を向いていたサルサがギョッとしたように振り返り、私の顔を穴が開くほどまじまじと見る。その銀の瞳がわずかに揺らいで、水面に映った満月のよう。
やっぱり、ミーアを想っていた気持ちは本物。ミーアの言葉を聞いて胸にくるものがあったのだろう。
「何で、そう思うの?」
「魔の者サルサはウツシミチョウを逆に乗っ取って生まれたと聞きましたが」
「それは、その通りだけど」
「それは魔界の常識からするととんでもないことらしくて」
「でしょうね」
「人が想像以上の力を発揮するときって……たいていは、自分のためじゃないんですよね」
合わせて、セルフィスはサルサに『聖女の素質』があったのではないか、と推測していた。
リンドブロムの南部出身であることは判明しているサルサ。まだ貴族の結婚が制限されていなかった時代に平民に紛れた聖女の血。
長い時を経て、先祖返り的にその力を持っていた、だからウツシミチョウに対抗できたのかもしれない、と。
サルサは何も言わなかった。聖女の素質はともかく、『自分のためじゃない』ことは確かだったのだろう。
「それに、サーペンダーに擬態したときも」
黙り込んでしまったサルサの肩が、ビクッと震える。
「黒い鬣が無い、不完全な擬態でしたし。それにあれだけ巨大な体に変身するのは、かなり無茶だったんじゃないでしょうか」
ミーアを守るために頑張ったんですよね、と言外に込めると、サルサが悔しそうに唇を歪めた。
「……だてに『魔物の聖女』は名乗ってないわね」
「うふふ」
どこか居心地が悪そうな顔をしているサルサに、にっこりと微笑む。
魔獣訪問はやっぱり意味があったわ。魔物でも魔獣でもないサルサを理解する足しになった。
美しく蒼い髪を靡かせ、銀の瞳を持つ魔物サルサ。褐色が描く見事な曲線美。ほどよく筋肉のついた美しい足。
こうして見ても、やはり人間の女性の姿は完全に残っている。それは、蝶の魔物でありながら人間であり続けたいと足掻き続けた結果なのかも。
「あとは、カイ=トの意味を調べました」
「……」
「古代語で“妹よ”という意味なんですね。確か、リンドブロム南部地方の方言だったかしら? だから、これを名乗ることで人間の自我を維持していたんじゃないかと推測したのですが」
「ほ、本当に恐ろしいわね、あんた……」
やや身じろぎしながら、サルサが呟く。
サルサの名前は、魔王が与えたものではなくあくまで『自称』。
人間だったときの名字なら『サルサ・カイト』と名乗ればいいはずで、この冒頭につけた言葉には何らかの意味があるはずだと思ったの。聖女がつけたハティやスコルの真の名にも、ちゃんと意味があったものね。
ハティがアイーダ女史から受け取ったいくつかの本。その中には、古代語の専門辞書も含まれていた。
匣迷宮の書斎の本が古代語だらけで読めないから調べたいわ、と思っただけだったんだけど、意外なところで役に立ったわね。
「あなたの話が聞きたいわ、カイ=ト=サルサ」
首を傾け、くだけた口調でそう言うと、サルサは「ふう」と息をついてハンモックから足を下ろした。
ゆっくりと、右足を左足の上に乗せ、絡ませる。
「仕方が無いわね。じゃあ、話してあげるわ」
* * *
レグナンド男爵領の端にある、グレーネ湖。そのほとりには小さな村があって、村人たちが助け合って暮らしていた。
そこに住んでいたサルサはちょうど二十歳で、六歳下の妹との二人暮らしだった。農業だけでなく養蜂が盛んな村で、姉妹はその仕事をしていたのだけど。
養蜂は蜂が取ってきた蜜を集める仕事だから、周囲にどのような花が咲いているかも把握しなければならない。万が一人間の身体に悪いものがあれば、取り除かなければならないし。
そうしてある日、姉妹は近くの森に探索に出かけた。そして、ちょうど二手に分かれて調査をしていたとき――サルサは魔物、ウツシミチョウに出くわしてしまった。
魔物は魔精力の気配に敏感だ。サルサは当時魔導士ではなかったものの力は十分にあった。ただ、その力を使いこなすための教育が施されていなかっただけで。
そのため、あふれ出る魔精力を抑えられず、魔物に狙われてしまった。
ウツシミチョウに取りつかれ喰われながらも、サルサは思った。
ここで食い止めなければ、この魔物は味をしめて他の人間も襲う。まずは、一番近くにいる妹を。
どうにかして、私がここで踏ん張らなければ。
タダでやられはしない、ここでこの魔物をやっつけてやる……!
その思いが、サルサに力を与えた。眠っていた魅了魔法が開花し、お互いの魔精力をぶつけ合った結果、サルサはウツシミチョウを懐柔することに成功した。
そうして――人間の女性の姿を残しながらも魔物の蝶の力を受け継いだ、これまでに類を見ない魔物が産まれた。
* * *
「そうは言ってもね。そのままでは、魔物としては生き続けられない訳で」
サルサがはあ、と悩まし気な溜息をつく。
「あたしの場合、相手を食らいつくす必要はないから、ありとあらゆる生物から魔精力をちょっとずつ摂取したはいいんだけど、魔物の本能とやらがあるからね」
変化する能力を駆使し、その身を危険に晒すことなく魔物から魔精力を搾取し続けたサルサ。時には、魔獣からも。
そうして魔物として強くなればなるほど、人間だった頃の感覚や感情を手放しそうになる。
「だから、時折人間社会にも紛れ込んでいたのね」
「いや? それは単に、あたしの興味本位よ」
あはは、とサルサが高らかに笑う。
「あまり情が移っても移られても困るしね」
「じゃあ、ミーアにはどうして……」
「なぜか知らないけど、名前を知ってたのよ。あたしの」
それは当然、ゲーム設定を知ってるからなんだけど……これは言えないわね。
「あの真っすぐな瞳でしっかりと名前を呼ばれて『私の味方になってほしい』と言われたら、何か逆らえなくてね。……抗えないほどの魔精力ではなかったんだけど、何となく面白そうだったし」
「妹さんに似ていた、とかではないの?」
「ぜーんぜん!」
キャハハハ、とサルサが笑う。
「というより、妹がいたことは覚えているけど姿形はもう忘れちゃったの。ただ……その頃のことが何となくよぎったのは、確かね」
まぁ、長い間独りだと寂しくなる時もあるわよ、魔が差したのね、とおよそ魔物らしからぬことを呟き、カイ=ト=サルサは苦笑いを浮かべた。
「あーあ、あんたが変な話をするから思い出しちゃったじゃないの」
「何を?」
「ミーアと一緒にいた頃のことよ。メイドになりきるのも大変だったけど、楽しかったなって。カラスになってあちこち飛び回って……疲れて帰ってくると、ミーアが『おかえり、サルサ』と必ず出迎えてくれて。そういう場所がちゃんとあるというのもおかしいわね、懐かしいわ、と思ったり」
「……」
『人の聖女』ミーアは、民衆の心を掴んだ天然の人たらしだ。学院では憎まれることも多かったけど、それは彼女の置かれた立場であって、性格のせいではない。
ミーアのそういった人を惹きつける部分に、サルサの人間だった部分が強く魅かれたんだろう。
何となく、二人の関係性が見えた気がした。
だとすると……希望はまだ、ある。
秘密のアトリエの庭を彷彿とさせるベージュのドーム型のシールド。真っ暗な背景の中にぼうっと浮かび上がる、幻想的な風景。
辺りには丸い葉っぱが生い茂る何本かの樹々と、小さな池。そして赤、ピンク、黄色、鮮やかな色とりどりの花。
二本の木の間には虹のようなストライプ柄のハンモックが掛けられていて、魔物サルサはその上で私に背を向けて横になっていた。近づくと、ぴたりと重なり合っていた背中の蝶の羽がピクリと震える。
「なぁにー? 食事の時間ー?」
気だるげにそう言ってこちらを横目で見たサルサが、私の姿を捉える。その瞬間、銀色の瞳が大きく見開いた。
ガバッと起き上がり、
「ええ!? 何なの!?」
と大声を上げる。ふぁさっと長い蒼い髪が薄い肩から豊満な胸へと落ちていった。
褐色の肌に黒い肩出しボディスーツが映える。なめらかな肩から伸びた、すらりとした細長い腕。
ちらちら覗く胸の谷間といい、剥き出しのむっちりとした太腿といい、本当に魅惑的な魔物だわ。ちょっとSMの女王様チックというか。
「初めまして、カイ=ト=サルサ。マリアンセイユ・フォンティーヌです」
「知ってる、けど……」
呆然としながらそう呟いたサルサは、ふと辺りをキョロキョロと見回した。
「魔王は?」
「無理を言って、二人きりにしてもらいました」
実際には魔王の領域なので、セルフィスはちゃんとこの場を把握しているし見ているはず。
だけどこう言わないと、サルサも安心して話せないだろうしね。
「まずは、お礼を言いたくて」
「お礼?」
「ええ」
すっとその場で、令嬢風のお辞儀をした。サルサが息を呑んだ音が、かすかに聞こえる。
「リンドブロム闘技場の観衆の中に紛れ込み、私が望む展開へと民を誘導してくださったそうですね」
「えっ!? それ、魔王が言ったの!?」
ハンモックの上で起き上がった四つん這いの恰好のまま、サルサがひどく意外そうに叫ぶ。
恐らくこれを見ているセルフィスも驚いているでしょうね。内緒のつもりだったんだろうから。
「いいえ。情報元は内緒ですが、魔王からの命令でそういうことがあった、とだけ伺いました」
「あぁ。……まぁ、それで命は助けてくれるって魔王が約束してくれたし」
「……」
「ミーアにとっても悪い話じゃない、とか言うしさ。ちょっと様子を見させてもらっただけよ」
「そうですか」
「それに、たいしたことはしてないわよ?」
少しは落ち着いてきたのか、サルサは膝を折って腰を落とし、ハンモックの上に座り直す。
そして少し照れ臭そうに、ウェーブのかかった長く蒼い髪を右手でモチャモチャといじり始めた。
「これは千年前の再現だ、みたいなことを匂わせただけよ。後は……そうね、率先して拍手したり声を上げたりしたぐらいかしらね。あの大観衆を魔法も使わずにすべて掌握するなんて、たいしたタマね、マリアンセイユ」
「褒めて頂いて嬉しいですわ」
「ミーアが勝てないハズよねぇ……」
自分の膝に頬付けをつき、サルサはふう、と溜息を洩らした。
「そのミーアから、伝言を預かっています」
「……え?」
意外そうな顔をするサルサに微笑み、すっと息を吸い込む。
“――ずっと、支えてくれてありがとう。私が最後まで頑張れたのは、サルサが傍で励まし続けてくれたおかげです。
飄々とした頼もしい、素敵な私のお姉さんのまま、元気でいてね。
そして……またいつか、会えたらいいな。二人でたわいない話をしながらお茶したいです。”
ミーアがこの言葉を口にしていたときの表情を思い出しながら、言葉の一つ一つに気持ちを込めて、サルサに伝える。
サルサはふいっと目を逸らしたけど、唇がわずかに振るえていた。銀の瞳が、少しだけ細くなる。
「本当の姉妹みたいだったって、ミーアは言っていました。ひょっとして、サルサには妹がいたのですか?」
「ええっ!?」
横を向いていたサルサがギョッとしたように振り返り、私の顔を穴が開くほどまじまじと見る。その銀の瞳がわずかに揺らいで、水面に映った満月のよう。
やっぱり、ミーアを想っていた気持ちは本物。ミーアの言葉を聞いて胸にくるものがあったのだろう。
「何で、そう思うの?」
「魔の者サルサはウツシミチョウを逆に乗っ取って生まれたと聞きましたが」
「それは、その通りだけど」
「それは魔界の常識からするととんでもないことらしくて」
「でしょうね」
「人が想像以上の力を発揮するときって……たいていは、自分のためじゃないんですよね」
合わせて、セルフィスはサルサに『聖女の素質』があったのではないか、と推測していた。
リンドブロムの南部出身であることは判明しているサルサ。まだ貴族の結婚が制限されていなかった時代に平民に紛れた聖女の血。
長い時を経て、先祖返り的にその力を持っていた、だからウツシミチョウに対抗できたのかもしれない、と。
サルサは何も言わなかった。聖女の素質はともかく、『自分のためじゃない』ことは確かだったのだろう。
「それに、サーペンダーに擬態したときも」
黙り込んでしまったサルサの肩が、ビクッと震える。
「黒い鬣が無い、不完全な擬態でしたし。それにあれだけ巨大な体に変身するのは、かなり無茶だったんじゃないでしょうか」
ミーアを守るために頑張ったんですよね、と言外に込めると、サルサが悔しそうに唇を歪めた。
「……だてに『魔物の聖女』は名乗ってないわね」
「うふふ」
どこか居心地が悪そうな顔をしているサルサに、にっこりと微笑む。
魔獣訪問はやっぱり意味があったわ。魔物でも魔獣でもないサルサを理解する足しになった。
美しく蒼い髪を靡かせ、銀の瞳を持つ魔物サルサ。褐色が描く見事な曲線美。ほどよく筋肉のついた美しい足。
こうして見ても、やはり人間の女性の姿は完全に残っている。それは、蝶の魔物でありながら人間であり続けたいと足掻き続けた結果なのかも。
「あとは、カイ=トの意味を調べました」
「……」
「古代語で“妹よ”という意味なんですね。確か、リンドブロム南部地方の方言だったかしら? だから、これを名乗ることで人間の自我を維持していたんじゃないかと推測したのですが」
「ほ、本当に恐ろしいわね、あんた……」
やや身じろぎしながら、サルサが呟く。
サルサの名前は、魔王が与えたものではなくあくまで『自称』。
人間だったときの名字なら『サルサ・カイト』と名乗ればいいはずで、この冒頭につけた言葉には何らかの意味があるはずだと思ったの。聖女がつけたハティやスコルの真の名にも、ちゃんと意味があったものね。
ハティがアイーダ女史から受け取ったいくつかの本。その中には、古代語の専門辞書も含まれていた。
匣迷宮の書斎の本が古代語だらけで読めないから調べたいわ、と思っただけだったんだけど、意外なところで役に立ったわね。
「あなたの話が聞きたいわ、カイ=ト=サルサ」
首を傾け、くだけた口調でそう言うと、サルサは「ふう」と息をついてハンモックから足を下ろした。
ゆっくりと、右足を左足の上に乗せ、絡ませる。
「仕方が無いわね。じゃあ、話してあげるわ」
* * *
レグナンド男爵領の端にある、グレーネ湖。そのほとりには小さな村があって、村人たちが助け合って暮らしていた。
そこに住んでいたサルサはちょうど二十歳で、六歳下の妹との二人暮らしだった。農業だけでなく養蜂が盛んな村で、姉妹はその仕事をしていたのだけど。
養蜂は蜂が取ってきた蜜を集める仕事だから、周囲にどのような花が咲いているかも把握しなければならない。万が一人間の身体に悪いものがあれば、取り除かなければならないし。
そうしてある日、姉妹は近くの森に探索に出かけた。そして、ちょうど二手に分かれて調査をしていたとき――サルサは魔物、ウツシミチョウに出くわしてしまった。
魔物は魔精力の気配に敏感だ。サルサは当時魔導士ではなかったものの力は十分にあった。ただ、その力を使いこなすための教育が施されていなかっただけで。
そのため、あふれ出る魔精力を抑えられず、魔物に狙われてしまった。
ウツシミチョウに取りつかれ喰われながらも、サルサは思った。
ここで食い止めなければ、この魔物は味をしめて他の人間も襲う。まずは、一番近くにいる妹を。
どうにかして、私がここで踏ん張らなければ。
タダでやられはしない、ここでこの魔物をやっつけてやる……!
その思いが、サルサに力を与えた。眠っていた魅了魔法が開花し、お互いの魔精力をぶつけ合った結果、サルサはウツシミチョウを懐柔することに成功した。
そうして――人間の女性の姿を残しながらも魔物の蝶の力を受け継いだ、これまでに類を見ない魔物が産まれた。
* * *
「そうは言ってもね。そのままでは、魔物としては生き続けられない訳で」
サルサがはあ、と悩まし気な溜息をつく。
「あたしの場合、相手を食らいつくす必要はないから、ありとあらゆる生物から魔精力をちょっとずつ摂取したはいいんだけど、魔物の本能とやらがあるからね」
変化する能力を駆使し、その身を危険に晒すことなく魔物から魔精力を搾取し続けたサルサ。時には、魔獣からも。
そうして魔物として強くなればなるほど、人間だった頃の感覚や感情を手放しそうになる。
「だから、時折人間社会にも紛れ込んでいたのね」
「いや? それは単に、あたしの興味本位よ」
あはは、とサルサが高らかに笑う。
「あまり情が移っても移られても困るしね」
「じゃあ、ミーアにはどうして……」
「なぜか知らないけど、名前を知ってたのよ。あたしの」
それは当然、ゲーム設定を知ってるからなんだけど……これは言えないわね。
「あの真っすぐな瞳でしっかりと名前を呼ばれて『私の味方になってほしい』と言われたら、何か逆らえなくてね。……抗えないほどの魔精力ではなかったんだけど、何となく面白そうだったし」
「妹さんに似ていた、とかではないの?」
「ぜーんぜん!」
キャハハハ、とサルサが笑う。
「というより、妹がいたことは覚えているけど姿形はもう忘れちゃったの。ただ……その頃のことが何となくよぎったのは、確かね」
まぁ、長い間独りだと寂しくなる時もあるわよ、魔が差したのね、とおよそ魔物らしからぬことを呟き、カイ=ト=サルサは苦笑いを浮かべた。
「あーあ、あんたが変な話をするから思い出しちゃったじゃないの」
「何を?」
「ミーアと一緒にいた頃のことよ。メイドになりきるのも大変だったけど、楽しかったなって。カラスになってあちこち飛び回って……疲れて帰ってくると、ミーアが『おかえり、サルサ』と必ず出迎えてくれて。そういう場所がちゃんとあるというのもおかしいわね、懐かしいわ、と思ったり」
「……」
『人の聖女』ミーアは、民衆の心を掴んだ天然の人たらしだ。学院では憎まれることも多かったけど、それは彼女の置かれた立場であって、性格のせいではない。
ミーアのそういった人を惹きつける部分に、サルサの人間だった部分が強く魅かれたんだろう。
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