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おまけ・後日談
聖女の魔獣訪問1・フィッサマイヤ(4)
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聖女が現れたことにより、魔王の配下の魔獣達が魔王城に招集された。
なのに飛び出してきたのは、『聖女はわたしの伴侶』という魔王のトンデモ発言。
その場にいたすべての魔獣が
「いったい我々にどうしろと?」
と困惑したという。
マイヤ様がそのときのことを思い出し、深い深い溜息をついた。
一方私も、すぐには言葉が出てこない。
わたしの伴侶? は? いきなり?
急に恋愛モードに入っちゃったわよ。あの殺伐とした雰囲気はどこへ……。
え? ええ? どうしてそんなことになるの?
ああ、そう言えば「魔王が求めたのは聖女だ」ってセルフィスが言ってたっけ。
何となく聞き流していたけど、そういえば変よね。
――魔物には『魔王』を、人間には『聖女』を。
女神は全世界にそう告げて聖女を選んだ。
言うなれば、『聖女』は人間側の旗印のようなものだと思うんだけど?
そう言ってみると、マイヤ様も
『わたくし達もそのように考えていました』
と頷く。
「ひょっとして、女神が魔王に指示を出したとか……」
『あり得ません。それができるのならば、魔王に人間の蹂躙を控えるように命令すればいいだけのはず』
確かにそうね。女神が直接魔王に命令できるのならば、そもそも地上が荒廃するまで魔王を放っておくはずないもの。
となると、完全なる魔王の独断ってことか……なぜ?
『恐らく魔王は――淋しかったのでしょう』
「……」
『無垢で無知な魔王。自分が淋しかったことすら知らなかった』
「……そうなの、ですか」
女神によって生み出され、魔物の望むまま人間たちを蹂躙した魔王。
同時に地上で暮らす人間たちの姿を見て、何か感じるものがあったのかしら。
それが『聖女』という、言うなれば『魔王』のために用意された存在を知って、初めて自らの欲というものが湧いてきたのかしら。
いや、それにしても思い込みが強すぎるよね!
それに聖女シュルヴィアフェスと魔王の温度差がハンパないんだけど!
『その後、わたくしの領域でそっと引き合わせました。魔王は自らの姿を嫌い、すらりと背の高い美青年の姿となって』
まるでお見合いみたいね……って、お見合いなのよね、きっと。
世界の存亡がかかった魔王と聖女のお見合い。……お、重いな……。
「なぜ姿を変えたんですか?」
『地上に降りたばかりの頃、人間男性としてもそう大柄ではない魔王は、魔物たちに侮られることが多かったようです。虚勢を張るために、魔王が魔王らしくあるために、姿を装う必要があったようでした』
「は……」
『ルヴィは傷つき、全てを拒絶しているような状態でしたので……こう、害の無さそうな繊細な外見の方が受け入れられやすいかと、わたくしが魔王に助言したのです』
それが、あの黒い家にかけられていた絵画の茶髪病弱イケメンの魔王か! 謎が解けた!
それにしても、マイヤ様がまるで縁談バ……いえ、仲介人のようだわ。
というより、『聖女に好かれよう大作戦』のブレーンみたいな感じかしら。
いずれにしても、何だかおかしな方向に話が進んでいる気がするわね……って、あら?
「じゃあ、ジャスリー王子より魔王の方が、先に聖女シュルヴィアフェスに会っているんですか?」
『そうですわ。……あら?』
私の言葉に、今度はマイヤ様が不思議そうに首を傾げる。
『マリアンは伝承をどう解釈していたんですの?』
「どう、と言われますと?」
『初代魔王と聖女シュルヴィアフェスについてですわ。先ほどのお話では、ルヴィがのちに地上に降りた話もご存じだったのでしょう?』
「あ……そうですね」
地上では、魔王と聖女については殆ど伝わってなくて、聖女に関してはジャスリー王子との物語がメインな訳だけど。
「そうですね……。あくまで初代フォンティーヌ公爵の日記を読んだ上での、勝手な推測なのですが」
『構いませんわ。マリアンの解釈が聞きたいんですの』
「えー……っと」
〝聖女シュルヴィアフェスは人間も魔物も選べず、王獣フィッサマイヤ様に匿ってもらった。しかしジャスリー王子が必死の思いで聖女を探し、ついにフィッサマイヤの森に辿り着いた。
最初は渋っていた聖女シュルヴィアフェスだったが、やがて二人は愛し合い、子供も生まれた。
しかしかねてから聖女を手に入れたいと考えていた魔王が、約定を盾に王子から聖女を略奪した。世界の安寧のためにやむなく魔界に行った聖女は、そのうち魔王にほだされて相思相愛になった。〟
「……こんな感じでしょうか」
ややドキドキしながら、マイヤ様の答えを待つ。
まさか私の勝手な妄想話を聞かせる羽目になるとはね。そしてこんな風に、古の伝承の答え合わせをすることになるとは。
マイヤ様はふるふると首を横に振ると
『半分は当たっていますが、半分は違いますわね』
と少し寂しそうに溜息をついた。
まぁそうよね。ジャスリー王子よりも先に魔王が聖女に会い、思いを寄せていたとなると、全然違う話になるわ。
うーん、ただ魔王の場合、擦り込みに近いし、思いを寄せていた、と言っていいのかどうかわかんないけど。
* * *
何も知らず何も考えず、虚勢を張り力を振るう事でしか自分の存在意義を見出せなかった魔王。
そんな魔王のふるまいは当然、聖女シュルヴィアフェスに受け入れられるものではなかった。
しかし辛抱強く訪れる魔王に、聖女は徐々に慣れていった。
例の、茶髪病弱イケメンの変装もそのうちバレてしまったそうだ。
「ルヴィよ、まだか」
「まだも何も、アタシはここから出たくないの」
「お前が拾ったソールワスプ、元気だぞ」
「そうか」
「カバロアントも」
「それは良かった」
「……見に来ぬか?」
「そんな手に乗ると思う?」
「むぅ、駄目か」
「駄目だね」
「ならばわたしが会いに来よう、ずっと」
「来なくていいから」
「何を言う。聖女は魔王の番なのだ」
「あんたそればっかりだね! 他に言うことないの!?」
……とまぁ、これぐらいのやり取りができるぐらいの仲にはなったらしい。
しかし、ジャスリー王子がフィッサマイヤの森に現れたことで、事態は一転してしまう。
やはり人間である聖女シュルヴィアフェスは、傷だらけになりながらも森を彷徨い、もがき苦しむ彼を見捨てられなかった。
人間界をどうにかしようと積極的に動く姿にも好感が持てた。
しかし、それ以上の気持ちは無かった。だから彼を、人間を選ぶ気はなかったのだが――。
『ジャスリー王子は隙をついてルヴィをわたくしの結界の外に連れ出し、強引に身体を奪ってしまいました』
「えっ……」
『そして運悪く、子供もできてしまった』
「運悪く……」
初代リンド・リンドブロム大公、ひどい言われようだわ。
でも、魔獣側からしたらそうよね。
「魔王はジャスリー王子が聖女シュルヴィアフェスに会いに来ていることは……」
『知っていました。我々魔獣は、魔王に嘘をつくことはできませんから。しかし魔王はルヴィ以外に関心がありませんでしたから、そこまで考えが至っていなかったように思います』
なるほど、「ああ人間が来てるのか、そうか。それよりルヴィは?」みたいな感じかしらね。眼中にないというか。
魔王はそうだとしても、フィッサマイヤ様は?
「しかし魔物側としては、聖女には魔王と手を組んでほしかったのでは? マイヤ様ならジャスリー王子を遠ざけることもできたのではないかと思うのですが」
『そうですが、最終的に和睦を結ぶためには人間側をまとめることができる人材が必要になります。もっとも勢力範囲が大きいワイズ王国との伝手は必要だと考えていました。しかし――』
マイヤ様の瞳が淀み、視線がテーブルの上のカップへと落ちる。
『まさか、そんなことになるとは』
「……」
『ただ、このままでは悪戯に時間が過ぎていくだけでした。地上の安寧へと大きく事が動いたのは、やはりジャスリー王子がきっかけと言えるでしょう』
「え、なぜですか?」
『身重となったルヴィは、わたくしから離れなければならなかったからです』
◆ ◆ ◆
フィッサマイヤは、れっきとした火の王獣。聖女シュルヴィアフェスだからこそ、ずっと一緒に暮らすことができた。
しかし、お腹の子にそこまでの耐性はない。聖女が護るにしてもただでさえ普通ではない身体、限界があった。
そうして、聖女シュルヴィアフェスはお腹の子を守るためにフィッサマイヤの元を離れるしかなくなった。ジャスリー王子についていく道しか選べなくなったのだ。
フィッサマイヤは自らの毛で編んだ腕輪をルヴィに渡し、静かに見送った。この世界の希望である彼女を、護るために。
ジャスリー王子はワイズ王国の第二王子だった。王位を継ぐわけではないが、聖女とはいえ辺境の村出身のルヴィを妃にすることはできなかった。
聖女シュルヴィアフェスは、不安定な立場のままワイズ王国に迎えられた。そして子供が生まれるまで、ワイズ王国の王宮の奥にひっそりと匿われていたという。
しかし王国も、到底安全とは言えなかった。王太子である第一王子とその妃の間には、すでに王子が生まれていた。
王太子夫妻は
「庶子が王位を継げるわけがない」
と考えていたものの、不安は拭えなかった。
この世界を救うはずの『聖女』の子供となれば何が起こるかわからない。
ジャスリー王子はそのことを察し、生まれたばかりの赤ん坊リンドをルヴィと引き離した。
もともとワイズ王国では、王子を育てるのは母ではなく乳母やメイドなど、王宮の使用人たちである。ましてや聖女とワイズ王国の血を引く特別な子供、当然、特別な育て方をしなければならない。
そしてジャスリー王子はワイズ王に
「王子なんかより偉い、聖女の御子だ」
と言い、まったく新しい身分の保証を願い出た。
そしてワイズ国王も、『聖女が産んだ子供』の重要性はよく分かっていた。
これからリンドをどのように扱っていくべきか、慎重に考えねばならなかったのだが――。
この頃、世界は再び混沌としていた。聖女を奪われた魔王は自棄になって地上で大暴れしていたからだ。
ひとまずリンドの身分は保留となり、ワイズ王国王宮の奥深くで、大切な御子として育てられることになった。
そして再び一人になった聖女シュルヴィアフェスだったが、冷遇されていた訳ではなかった。
ワイズ王国で『客人』として丁重に扱われていた。時折ジャスリー王子も会いにきたし、王宮の人間も一定の敬意は払っていた。
しかし王子の妻では決してなく、王宮の一員になれた訳でもなかった。
つまりワイズ王宮は、聖女シュルヴィアフェスにとって決して居心地のいい場所ではなかったのだ。
こうしている間にも、魔王は地上の人間を蹂躙している。
何が善で何が悪かはわからない。
だけど魔王は、躾けられていない子供のようだった。彼を叱る者はなく、暴れることでしか自己主張できない。
――そんな魔王を止めるのは、自分しかいない。
自分の息子も含めた人間の未来を守るために、ルヴィは表に出る決意をした。
なのに飛び出してきたのは、『聖女はわたしの伴侶』という魔王のトンデモ発言。
その場にいたすべての魔獣が
「いったい我々にどうしろと?」
と困惑したという。
マイヤ様がそのときのことを思い出し、深い深い溜息をついた。
一方私も、すぐには言葉が出てこない。
わたしの伴侶? は? いきなり?
急に恋愛モードに入っちゃったわよ。あの殺伐とした雰囲気はどこへ……。
え? ええ? どうしてそんなことになるの?
ああ、そう言えば「魔王が求めたのは聖女だ」ってセルフィスが言ってたっけ。
何となく聞き流していたけど、そういえば変よね。
――魔物には『魔王』を、人間には『聖女』を。
女神は全世界にそう告げて聖女を選んだ。
言うなれば、『聖女』は人間側の旗印のようなものだと思うんだけど?
そう言ってみると、マイヤ様も
『わたくし達もそのように考えていました』
と頷く。
「ひょっとして、女神が魔王に指示を出したとか……」
『あり得ません。それができるのならば、魔王に人間の蹂躙を控えるように命令すればいいだけのはず』
確かにそうね。女神が直接魔王に命令できるのならば、そもそも地上が荒廃するまで魔王を放っておくはずないもの。
となると、完全なる魔王の独断ってことか……なぜ?
『恐らく魔王は――淋しかったのでしょう』
「……」
『無垢で無知な魔王。自分が淋しかったことすら知らなかった』
「……そうなの、ですか」
女神によって生み出され、魔物の望むまま人間たちを蹂躙した魔王。
同時に地上で暮らす人間たちの姿を見て、何か感じるものがあったのかしら。
それが『聖女』という、言うなれば『魔王』のために用意された存在を知って、初めて自らの欲というものが湧いてきたのかしら。
いや、それにしても思い込みが強すぎるよね!
それに聖女シュルヴィアフェスと魔王の温度差がハンパないんだけど!
『その後、わたくしの領域でそっと引き合わせました。魔王は自らの姿を嫌い、すらりと背の高い美青年の姿となって』
まるでお見合いみたいね……って、お見合いなのよね、きっと。
世界の存亡がかかった魔王と聖女のお見合い。……お、重いな……。
「なぜ姿を変えたんですか?」
『地上に降りたばかりの頃、人間男性としてもそう大柄ではない魔王は、魔物たちに侮られることが多かったようです。虚勢を張るために、魔王が魔王らしくあるために、姿を装う必要があったようでした』
「は……」
『ルヴィは傷つき、全てを拒絶しているような状態でしたので……こう、害の無さそうな繊細な外見の方が受け入れられやすいかと、わたくしが魔王に助言したのです』
それが、あの黒い家にかけられていた絵画の茶髪病弱イケメンの魔王か! 謎が解けた!
それにしても、マイヤ様がまるで縁談バ……いえ、仲介人のようだわ。
というより、『聖女に好かれよう大作戦』のブレーンみたいな感じかしら。
いずれにしても、何だかおかしな方向に話が進んでいる気がするわね……って、あら?
「じゃあ、ジャスリー王子より魔王の方が、先に聖女シュルヴィアフェスに会っているんですか?」
『そうですわ。……あら?』
私の言葉に、今度はマイヤ様が不思議そうに首を傾げる。
『マリアンは伝承をどう解釈していたんですの?』
「どう、と言われますと?」
『初代魔王と聖女シュルヴィアフェスについてですわ。先ほどのお話では、ルヴィがのちに地上に降りた話もご存じだったのでしょう?』
「あ……そうですね」
地上では、魔王と聖女については殆ど伝わってなくて、聖女に関してはジャスリー王子との物語がメインな訳だけど。
「そうですね……。あくまで初代フォンティーヌ公爵の日記を読んだ上での、勝手な推測なのですが」
『構いませんわ。マリアンの解釈が聞きたいんですの』
「えー……っと」
〝聖女シュルヴィアフェスは人間も魔物も選べず、王獣フィッサマイヤ様に匿ってもらった。しかしジャスリー王子が必死の思いで聖女を探し、ついにフィッサマイヤの森に辿り着いた。
最初は渋っていた聖女シュルヴィアフェスだったが、やがて二人は愛し合い、子供も生まれた。
しかしかねてから聖女を手に入れたいと考えていた魔王が、約定を盾に王子から聖女を略奪した。世界の安寧のためにやむなく魔界に行った聖女は、そのうち魔王にほだされて相思相愛になった。〟
「……こんな感じでしょうか」
ややドキドキしながら、マイヤ様の答えを待つ。
まさか私の勝手な妄想話を聞かせる羽目になるとはね。そしてこんな風に、古の伝承の答え合わせをすることになるとは。
マイヤ様はふるふると首を横に振ると
『半分は当たっていますが、半分は違いますわね』
と少し寂しそうに溜息をついた。
まぁそうよね。ジャスリー王子よりも先に魔王が聖女に会い、思いを寄せていたとなると、全然違う話になるわ。
うーん、ただ魔王の場合、擦り込みに近いし、思いを寄せていた、と言っていいのかどうかわかんないけど。
* * *
何も知らず何も考えず、虚勢を張り力を振るう事でしか自分の存在意義を見出せなかった魔王。
そんな魔王のふるまいは当然、聖女シュルヴィアフェスに受け入れられるものではなかった。
しかし辛抱強く訪れる魔王に、聖女は徐々に慣れていった。
例の、茶髪病弱イケメンの変装もそのうちバレてしまったそうだ。
「ルヴィよ、まだか」
「まだも何も、アタシはここから出たくないの」
「お前が拾ったソールワスプ、元気だぞ」
「そうか」
「カバロアントも」
「それは良かった」
「……見に来ぬか?」
「そんな手に乗ると思う?」
「むぅ、駄目か」
「駄目だね」
「ならばわたしが会いに来よう、ずっと」
「来なくていいから」
「何を言う。聖女は魔王の番なのだ」
「あんたそればっかりだね! 他に言うことないの!?」
……とまぁ、これぐらいのやり取りができるぐらいの仲にはなったらしい。
しかし、ジャスリー王子がフィッサマイヤの森に現れたことで、事態は一転してしまう。
やはり人間である聖女シュルヴィアフェスは、傷だらけになりながらも森を彷徨い、もがき苦しむ彼を見捨てられなかった。
人間界をどうにかしようと積極的に動く姿にも好感が持てた。
しかし、それ以上の気持ちは無かった。だから彼を、人間を選ぶ気はなかったのだが――。
『ジャスリー王子は隙をついてルヴィをわたくしの結界の外に連れ出し、強引に身体を奪ってしまいました』
「えっ……」
『そして運悪く、子供もできてしまった』
「運悪く……」
初代リンド・リンドブロム大公、ひどい言われようだわ。
でも、魔獣側からしたらそうよね。
「魔王はジャスリー王子が聖女シュルヴィアフェスに会いに来ていることは……」
『知っていました。我々魔獣は、魔王に嘘をつくことはできませんから。しかし魔王はルヴィ以外に関心がありませんでしたから、そこまで考えが至っていなかったように思います』
なるほど、「ああ人間が来てるのか、そうか。それよりルヴィは?」みたいな感じかしらね。眼中にないというか。
魔王はそうだとしても、フィッサマイヤ様は?
「しかし魔物側としては、聖女には魔王と手を組んでほしかったのでは? マイヤ様ならジャスリー王子を遠ざけることもできたのではないかと思うのですが」
『そうですが、最終的に和睦を結ぶためには人間側をまとめることができる人材が必要になります。もっとも勢力範囲が大きいワイズ王国との伝手は必要だと考えていました。しかし――』
マイヤ様の瞳が淀み、視線がテーブルの上のカップへと落ちる。
『まさか、そんなことになるとは』
「……」
『ただ、このままでは悪戯に時間が過ぎていくだけでした。地上の安寧へと大きく事が動いたのは、やはりジャスリー王子がきっかけと言えるでしょう』
「え、なぜですか?」
『身重となったルヴィは、わたくしから離れなければならなかったからです』
◆ ◆ ◆
フィッサマイヤは、れっきとした火の王獣。聖女シュルヴィアフェスだからこそ、ずっと一緒に暮らすことができた。
しかし、お腹の子にそこまでの耐性はない。聖女が護るにしてもただでさえ普通ではない身体、限界があった。
そうして、聖女シュルヴィアフェスはお腹の子を守るためにフィッサマイヤの元を離れるしかなくなった。ジャスリー王子についていく道しか選べなくなったのだ。
フィッサマイヤは自らの毛で編んだ腕輪をルヴィに渡し、静かに見送った。この世界の希望である彼女を、護るために。
ジャスリー王子はワイズ王国の第二王子だった。王位を継ぐわけではないが、聖女とはいえ辺境の村出身のルヴィを妃にすることはできなかった。
聖女シュルヴィアフェスは、不安定な立場のままワイズ王国に迎えられた。そして子供が生まれるまで、ワイズ王国の王宮の奥にひっそりと匿われていたという。
しかし王国も、到底安全とは言えなかった。王太子である第一王子とその妃の間には、すでに王子が生まれていた。
王太子夫妻は
「庶子が王位を継げるわけがない」
と考えていたものの、不安は拭えなかった。
この世界を救うはずの『聖女』の子供となれば何が起こるかわからない。
ジャスリー王子はそのことを察し、生まれたばかりの赤ん坊リンドをルヴィと引き離した。
もともとワイズ王国では、王子を育てるのは母ではなく乳母やメイドなど、王宮の使用人たちである。ましてや聖女とワイズ王国の血を引く特別な子供、当然、特別な育て方をしなければならない。
そしてジャスリー王子はワイズ王に
「王子なんかより偉い、聖女の御子だ」
と言い、まったく新しい身分の保証を願い出た。
そしてワイズ国王も、『聖女が産んだ子供』の重要性はよく分かっていた。
これからリンドをどのように扱っていくべきか、慎重に考えねばならなかったのだが――。
この頃、世界は再び混沌としていた。聖女を奪われた魔王は自棄になって地上で大暴れしていたからだ。
ひとまずリンドの身分は保留となり、ワイズ王国王宮の奥深くで、大切な御子として育てられることになった。
そして再び一人になった聖女シュルヴィアフェスだったが、冷遇されていた訳ではなかった。
ワイズ王国で『客人』として丁重に扱われていた。時折ジャスリー王子も会いにきたし、王宮の人間も一定の敬意は払っていた。
しかし王子の妻では決してなく、王宮の一員になれた訳でもなかった。
つまりワイズ王宮は、聖女シュルヴィアフェスにとって決して居心地のいい場所ではなかったのだ。
こうしている間にも、魔王は地上の人間を蹂躙している。
何が善で何が悪かはわからない。
だけど魔王は、躾けられていない子供のようだった。彼を叱る者はなく、暴れることでしか自己主張できない。
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