123 / 156
第13幕 収監令嬢は彼に逢いたい
第5話 彼はとても苦労したらしい
しおりを挟む
魔王城の最上階、恐らく魔王に謁見するための大広間。
その一番奥にある玉座に座ったセルフィスは、私を膝に乗せ
「わたしが、魔王です」
と言ったあと、
「ようやく……」
と呟きながら大きく肩を下げ、長い長い溜息をついた。
その様子を、私はどこか夢の中にいるような気分でポケッと眺めていた。そんな私に気づいたのか、セルフィスが少し困ったような顔で右手の手の平を私の顔の前で横に振る。
大丈夫ですか、聞こえてますか、みたいなことを話しかけられてるのは分かるんだけど、返事ができない。
ちょっと待って、今はそれどころじゃないのよ。
魔王? セルフィスが?
え、どの辺が人間を蹂躙した魔王なの? こんな穏やかなのに?
そう言えば、さっきの怒髪天は確かに怖かった。そうかー、あれが魔王の本性の片鱗なのねー。
セルフィスったら、一体いつの間に魔王になったのかしら?
――いや、元々か! だって、魔王なんて急になれるもんじゃないだろうし。
えっ、てことは、ドアタマから魔王は降臨していたということに……っ!
「ぎえええええええ――!」
いろいろなことがようやく繋がって、感情のすべてが特大の叫び声に変換される。
セルフィスは片目を閉じてやや身体を仰け反らせると、
「その色気のない叫び声でどうやって色仕掛けをするつもりだったのか、全く理解できませんね……」
と、ひどくげんなりした顔で私を見上げた。
「いっ、色仕掛けしたいなんて私は一言も言ってないからね! セルフィスが勝手に言い始めただけだからね!」
「こういうのには引っ掛からないんですね。面倒です」
「面倒って言わないで!」
あああ、ちょっと待って。全然わからないわ。
何がどうしてこうなってるのか!
魔王って寝てたんじゃないの!? ついこの間、目を覚ましたんじゃなかったっけ? マデラギガンダはそう言ってたよね! 王獣が! 魔王腹心の部下が!
確かに『今』とは言ってなかったけど……少なくとも『二年前から起きてます』というニュアンスじゃなかったわよ。
じゃあ仮に、王獣にも内緒でとっくに目を覚ましていたとして、だ。
その魔王がなぜ私の傍に? 意味が分からない!
……と、とにかく落ち着こう。ただでさえセルフィスの雰囲気は妖しさ満点だし、このままだと簡単に丸め込まれてしまうわ。
さあ、取り繕おう! 思い出して、あのアイーダ女史の厳しい特訓を! 発動しよう、公爵令嬢スキル!
コホン、と一つ咳払いをし、どうにか口角を上げて完璧な笑みを作ってみせる。
「――ねぇ、セルフィス?」
「あ、始めます?」
「ええ、あなたへの尋問を」
「……」
今、あからさまに「なーんだ」という顔をしたわね。
色仕掛けなんかしないわよ。意味ないじゃない、セルフィス相手に!
「セルフィスは、本当に魔王なの?」
「そこからですか? まぁ、そうです。証拠にどこか攻めましょうか。そうですね、クレズン王国あたりはかなりヤバいことをしていますから……」
「やめてぇぇ――!」
「いきなり国を滅ぼしたりはしませんよ? まずは見せしめに……」
「やめてってば! 何のために私がここに来たと思ってるのよ!」
「わたしのものにするためです」
「違ーう! ……え?」
何か急にアツい台詞がねじ込まれたわよ。物騒なネタからの振り幅が大きすぎて転げ落ちそうだわ。
「違う、というのは酷くありませんか、マユ」
「え、と……」
「すべてを投げ打ってまでわたしに会いたかった、と言ってくれたのに」
「……ひ……」
ちょっと、その蕩けるような眼差しはやめて……調子が狂う。
それならいつもの冷めた表情の方がずっとマシだわ。あんたが私に色仕掛けしてどうするのよ!
くうう、完全に私を堕としにきてるわね! 負けないわ!
「色気で誤魔化そうったってそうはいかないわよ」
「効いているようで嬉しいです」
「それはもういいから、質問に答えて。ねぇ、魔王って聖女フェチなの? 聖女なら何でもいいの?」
「どうしてそうなるんですか。……あ、聖女シュルヴィアフェスが気になっているんですか?」
「……」
その言い方だと、昔の恋人を気にしている心の狭い人間みたいで素直に頷けない。
だから違う、と言いたいところだけど……気になってるのは確かなのよね。
どうも、話で聞いていた魔王の話といま目の前にいるセルフィスの言動が繋がらないのよ。
あ、古の魔王とセルフィスって別人なんだっけ? あれ?
「あの、絵本の魔王いるでしょ。聖女シュルヴィアフェスを略奪した」
「そういう認識なんですね。まぁいいでしょう」
「あれは、セルフィスなの?」
そう、ここよ、大事なところは!
魔王と聖女についてはいろいろ妄想しちゃったからなあ。御伽噺のように感じてたから、どうもイメージが……。
「先ほども言いましたが、同じであり異なる存在です」
「……」
その意味が解らないから聞いてるんですけどね。
魔王です、と暴露したあとは肩の荷が下りたのか妙に感情表現が豊かだけど、こういう含みのある言い回しは全然変わらないわね。
ところで、ずっとこの体勢で話をするのかしら。
どこかに椅子は……と辺りを見回したけれど、ガラーンとしていて何も無かった。
中央を縦断している金刺繍の赤絨毯。向かって右側は、室内なのに土と泥の地面、それと大小二つの池がある。地中や水棲の魔物が謁見するためかしらね。
そして左側は草原を思わせる若草色で覆われた、ふかふかな床になっている。獣系の蹄や爪を傷めないように、かしら。壁から黒い頑丈そうな棒が何本か突き出ているのは、鳥系の止まり木かしらね。
そうよね、魔獣や魔物が椅子なんか使う訳がなかったわ……。
「なぜモゾモゾしているんですか?」
セルフィスが殆ど表情を変えないまま私を見上げている。
こっちが聞きたい。なぜそんなに平然としていられるのかしら? 触れ合ったのはまだ3回目、しかもかつてない密着度なのに。
何を考えているのか分からないのは相変わらずだわ!
「あの、落ち着かないんだけど。予備の椅子とかないの?」
「ありません」
「あの小部屋にあった椅子を持ってきてもいい?」
「駄目です」
「何で……」
「古から、魔王城における聖女の椅子は魔王の膝と決まっています」
「はえっ!?」
真顔で何てことを言うのよ! 千年前のことだから知らないと思って! 馬鹿にしてる!
「嘘つかないでよ!」
「本当ですよ」
「信じない。だってセルフィス、嘘ばっかりだもん」
どうだ、参ったかー。
最初から嘘だらけだと、いざというときに信じてもらえないんだぞー。
言ってやった、と思いながらオーバー気味にプイッと顔を背けると、セルフィスが
「やれやれ、困りましたね」
と呟きながら私の左手を取ったのが分かった。
左手の甲に何か柔らかいものが当たった気がしてちらりと見ると、セルフィスが自分の唇を私の手の甲に押し付け――そのまま唇を滑らせて人差し指を咥えようとしている。
「ひやああああ!」
「……ですから、その叫び声はどうにかしてください」
「な、何するのよ!」
何か、えっ、エロい! わ、わわわ私の指で何をしようとしてるのよ!
だ、だだだ、だいたい、叫ぶようなことするから悪いんじゃない!
んぎぎ、と力を入れて左手を引っこ抜こうとしたけど、セルフィスの握力が強くて全く動かない。
掴まった。完全に掴まったわ。もう逃げられない。
何で? これ、何らかの呪縛の魔法とか言わないよね? それとも本当に私を食べようとしてるのかしら!?
「顔を背けるからです。見張ってないと、どこに口づけるか分かりませんよ?」
「お、脅さないでよぉ!」
「口説いてるんですが……」
違いがわからない! 魔王流だから!?
唇をぷるぷる震わせていると、セルフィスがふう、と息をついた。少しだけ艶っぽさが治まった……気がする。
「質問しておいて答えを信じない、は困るんです。説明が無意味になるでしょう?」
「そうだけどぉ……」
「だったらもう説明はしませんよ。わたしはさっさとマユを寝室に連れて行きたいのをずっと我慢しているんですから」
「しん……っ!」
何てことを言うのよ! ダンス以外、ロクに異性と触れ合ったことも無い私に!
治まったとか、気のせいだった! この人、色気全開だ――!
ガガッと熱が上がり、下瞼を押し上げる。うるっと涙が込み上げてきた。
二の句が告げられず、口をパクパクさせてしまう。
「そういう表情は、相手を煽りますよ」
「しっ、知らないわよ、そんなの!」
「どうやらあまり分かってないようなので、はっきり言いますね。――わたしは、マユを愛しています。だからこそ、二年も待ち続けたのです。こんな回りくどいことをしてまで」
「んぶふうぅぅっ!」
大事なとこで、清らかな乙女らしからぬ音が鼻と口から洩れたわっ。しかも涎を垂れそうになってしまった!
絶対いろいろリアクション間違えてるわ。しっかりして、私ぃ!
でっ、でも、だって、慣れてないもの、こんなの!
いやあ、心臓がドキドキしすぎて血管が切れちゃう! 鼻血が出そう!
顔を隠したいのに、手は完全に拘束されちゃってるし!
「お願いだから、手を……」
「嫌です。ちゃんとわたしを見てください」
「動悸が本当にヤバいから! ……はっ、まさかあの紅茶に何か仕掛けが!?」
「ただの人間界の紅茶です。魔界でも飲めるよう、防腐魔法はかけましたけどね」
さすがにセルフィスがムッとした顔をする。
「さぞかし緊張のあまり喉も乾くだろう、と用意したのですが」
「ご、ごめんなさい。……だけど、セルフィスが悪いんだからね! よくわかんないことばかり言うから!」
「ものすごく分かりやすく愛を伝えたつもりですが?」
「だからぁ、それが一番わかんないのよ! だって、魔王は聖女シュルヴィアフェスを愛してたはずじゃない! だから聖女が亡くなったとき、気力を失くしてフテ寝したって!」
「まぁ、間違っていませんね。ですがそのときの魔王の心は、もう失われています」
「……へ?」
心は、失われている。じゃあ、体は?
「千年前の魔王が為したことは記録としてわたしも把握しています。しかし聖女を失い、魔王はすべてを放棄して自分の殻に閉じこもってしまったんですね」
「え……」
「これは使い物にならない、ということで女神によって魂は天界に回収され、代わりに入ったのがわたしです。ですから、マユと少し近いですね。わたしは記憶がありますが」
「近い……」
何だろう、何か大事なことを言われてると思うんだけど、天界とか女神とか出てきて急激にスケールが大きくなっちゃったから、よく分からないわ。
「古の魔王が手に入れたかったのは確かに『聖女』ですが、やがてそれはシュルヴィアフェス本人への愛に昇華されました」
「そうなんだ……」
「しかしわたしは『聖女』を手に入れたかったのではありません。マユを手に入れたかったから、『聖女』になってもらうことにしたのです」
「……へっ?」
何かセルフィス、いま変なこと言わなかった?
本末転倒だっけ? ちょっと違うかな。とにかく、目的と手段が何かゴチャゴチャの、おかしなこと。
「な、何で『聖女』?」
「約定がありますから。その辺の田舎娘ならともかく、魔王が公爵令嬢、しかも大公世子の婚約者を攫う訳にはいきません」
「田舎娘だってダメでしょ」
「人買いも少なからずありますから、そう大きな騒ぎになることはないですよ」
「えー……」
「しかし、未来の大公妃となるとそうはいきません。合法的に手に入れられるとしたら、『聖女』だけでしょう」
それ、合法的って言うのかなあ。古の伝承、都合のいいように使おうとしてない?
「えーと……」
「まぁ、魔獣がマユを攫うか襲うかしたときに横取りして囲い込んでしまうという手もあるにはあるのですが、わたしもいつでも動ける訳ではないので万が一間に合わなければおしまいですし」
「……」
何か物騒な単語ばかりね。とても恋愛の話をしているとは思えないわ。
「それに、マユの意思を最大限尊重したかったのです」
「それはどうも、ありがとう……」
「いえいえ」
「……」
いろいろ配慮してくれたらしいので、とりあえずお礼は言ってみたけど。
やっぱりよく分からないわ。
「え、あの、『聖女』になってもらうってどういうこと?」
「もともとは、あのパルシアンの地で『召喚聖女』として人々に認知してもらうつもりでした。時が来たら、聖女の魔法陣への扉を開放して」
「あの秘密のアトリエのことね」
「そうです。聖者学院に行くこともなく、その身を危険に晒すこともなく」
しかし、巨大ホワイトウルフの一件でそういう訳にはいかなくなった。
いやそもそも、聖獣と契約を交わしたときから流れは大きく変わってしまった、とセルフィスは少し苦し気な顔をした。
そう言えばハティ達の話をしたとき、すごく慌ててたわよね。珍しかったから覚えてるわ。
「ハティとスコルは、セルフィスの差し金ではないのね」
「出会うきっかけを作ったのはわたしです。彼らならマユを気にし、密かに護ってくれるだろうと思いました。そしていつか、聖女の魔法陣へと案内してくれるだろう、と。……誤算だったのは、マユが彼らにまったく怯えず、そして彼らもマユをまったく警戒せず、逆に興味を持ってしまったことです」
結果、必要以上に私に近づいた彼らは私の名付けに縛られてしまい、セルフィスの想定よりだいぶん早く、正式に『聖獣の契約』を結ぶことになってしまった。
『聖獣の契約』は聖女によるものなので、魔王であるセルフィスにはどうすることもできないのだと言う。
女神により、魔王セルフィスは物語に直接関与することを禁じられていたらしい。
物語の方向性を決定する言動をしたら一発退場……要するに、魔王から降板させて強制的に魂を天界に戻すぞ、と脅されていた。
そもそも身体が眠ったままの魔王セルフィスは、そう頻繁に自由に動くことはできなかった。
だから、どうにか影を生み出し、女神の目を盗んで時折私の元へ訪れて様子を探ること、そしてさり気なく自分の望む方向へ誘導することしかできなかった、と言い、セルフィスはその頃の苦労を思い出すかのような溜息をついた。
とにかく、セルフィスが裏でいろいろ気を揉みながら動いていたのはわかった。
私を無理矢理魔界に連れて来るんじゃなくて、私自身がちゃんと納得して魔王の下へ来るように、と。
それはわかったけど、なーんか腑に落ちないのは……何故だろう?
その一番奥にある玉座に座ったセルフィスは、私を膝に乗せ
「わたしが、魔王です」
と言ったあと、
「ようやく……」
と呟きながら大きく肩を下げ、長い長い溜息をついた。
その様子を、私はどこか夢の中にいるような気分でポケッと眺めていた。そんな私に気づいたのか、セルフィスが少し困ったような顔で右手の手の平を私の顔の前で横に振る。
大丈夫ですか、聞こえてますか、みたいなことを話しかけられてるのは分かるんだけど、返事ができない。
ちょっと待って、今はそれどころじゃないのよ。
魔王? セルフィスが?
え、どの辺が人間を蹂躙した魔王なの? こんな穏やかなのに?
そう言えば、さっきの怒髪天は確かに怖かった。そうかー、あれが魔王の本性の片鱗なのねー。
セルフィスったら、一体いつの間に魔王になったのかしら?
――いや、元々か! だって、魔王なんて急になれるもんじゃないだろうし。
えっ、てことは、ドアタマから魔王は降臨していたということに……っ!
「ぎえええええええ――!」
いろいろなことがようやく繋がって、感情のすべてが特大の叫び声に変換される。
セルフィスは片目を閉じてやや身体を仰け反らせると、
「その色気のない叫び声でどうやって色仕掛けをするつもりだったのか、全く理解できませんね……」
と、ひどくげんなりした顔で私を見上げた。
「いっ、色仕掛けしたいなんて私は一言も言ってないからね! セルフィスが勝手に言い始めただけだからね!」
「こういうのには引っ掛からないんですね。面倒です」
「面倒って言わないで!」
あああ、ちょっと待って。全然わからないわ。
何がどうしてこうなってるのか!
魔王って寝てたんじゃないの!? ついこの間、目を覚ましたんじゃなかったっけ? マデラギガンダはそう言ってたよね! 王獣が! 魔王腹心の部下が!
確かに『今』とは言ってなかったけど……少なくとも『二年前から起きてます』というニュアンスじゃなかったわよ。
じゃあ仮に、王獣にも内緒でとっくに目を覚ましていたとして、だ。
その魔王がなぜ私の傍に? 意味が分からない!
……と、とにかく落ち着こう。ただでさえセルフィスの雰囲気は妖しさ満点だし、このままだと簡単に丸め込まれてしまうわ。
さあ、取り繕おう! 思い出して、あのアイーダ女史の厳しい特訓を! 発動しよう、公爵令嬢スキル!
コホン、と一つ咳払いをし、どうにか口角を上げて完璧な笑みを作ってみせる。
「――ねぇ、セルフィス?」
「あ、始めます?」
「ええ、あなたへの尋問を」
「……」
今、あからさまに「なーんだ」という顔をしたわね。
色仕掛けなんかしないわよ。意味ないじゃない、セルフィス相手に!
「セルフィスは、本当に魔王なの?」
「そこからですか? まぁ、そうです。証拠にどこか攻めましょうか。そうですね、クレズン王国あたりはかなりヤバいことをしていますから……」
「やめてぇぇ――!」
「いきなり国を滅ぼしたりはしませんよ? まずは見せしめに……」
「やめてってば! 何のために私がここに来たと思ってるのよ!」
「わたしのものにするためです」
「違ーう! ……え?」
何か急にアツい台詞がねじ込まれたわよ。物騒なネタからの振り幅が大きすぎて転げ落ちそうだわ。
「違う、というのは酷くありませんか、マユ」
「え、と……」
「すべてを投げ打ってまでわたしに会いたかった、と言ってくれたのに」
「……ひ……」
ちょっと、その蕩けるような眼差しはやめて……調子が狂う。
それならいつもの冷めた表情の方がずっとマシだわ。あんたが私に色仕掛けしてどうするのよ!
くうう、完全に私を堕としにきてるわね! 負けないわ!
「色気で誤魔化そうったってそうはいかないわよ」
「効いているようで嬉しいです」
「それはもういいから、質問に答えて。ねぇ、魔王って聖女フェチなの? 聖女なら何でもいいの?」
「どうしてそうなるんですか。……あ、聖女シュルヴィアフェスが気になっているんですか?」
「……」
その言い方だと、昔の恋人を気にしている心の狭い人間みたいで素直に頷けない。
だから違う、と言いたいところだけど……気になってるのは確かなのよね。
どうも、話で聞いていた魔王の話といま目の前にいるセルフィスの言動が繋がらないのよ。
あ、古の魔王とセルフィスって別人なんだっけ? あれ?
「あの、絵本の魔王いるでしょ。聖女シュルヴィアフェスを略奪した」
「そういう認識なんですね。まぁいいでしょう」
「あれは、セルフィスなの?」
そう、ここよ、大事なところは!
魔王と聖女についてはいろいろ妄想しちゃったからなあ。御伽噺のように感じてたから、どうもイメージが……。
「先ほども言いましたが、同じであり異なる存在です」
「……」
その意味が解らないから聞いてるんですけどね。
魔王です、と暴露したあとは肩の荷が下りたのか妙に感情表現が豊かだけど、こういう含みのある言い回しは全然変わらないわね。
ところで、ずっとこの体勢で話をするのかしら。
どこかに椅子は……と辺りを見回したけれど、ガラーンとしていて何も無かった。
中央を縦断している金刺繍の赤絨毯。向かって右側は、室内なのに土と泥の地面、それと大小二つの池がある。地中や水棲の魔物が謁見するためかしらね。
そして左側は草原を思わせる若草色で覆われた、ふかふかな床になっている。獣系の蹄や爪を傷めないように、かしら。壁から黒い頑丈そうな棒が何本か突き出ているのは、鳥系の止まり木かしらね。
そうよね、魔獣や魔物が椅子なんか使う訳がなかったわ……。
「なぜモゾモゾしているんですか?」
セルフィスが殆ど表情を変えないまま私を見上げている。
こっちが聞きたい。なぜそんなに平然としていられるのかしら? 触れ合ったのはまだ3回目、しかもかつてない密着度なのに。
何を考えているのか分からないのは相変わらずだわ!
「あの、落ち着かないんだけど。予備の椅子とかないの?」
「ありません」
「あの小部屋にあった椅子を持ってきてもいい?」
「駄目です」
「何で……」
「古から、魔王城における聖女の椅子は魔王の膝と決まっています」
「はえっ!?」
真顔で何てことを言うのよ! 千年前のことだから知らないと思って! 馬鹿にしてる!
「嘘つかないでよ!」
「本当ですよ」
「信じない。だってセルフィス、嘘ばっかりだもん」
どうだ、参ったかー。
最初から嘘だらけだと、いざというときに信じてもらえないんだぞー。
言ってやった、と思いながらオーバー気味にプイッと顔を背けると、セルフィスが
「やれやれ、困りましたね」
と呟きながら私の左手を取ったのが分かった。
左手の甲に何か柔らかいものが当たった気がしてちらりと見ると、セルフィスが自分の唇を私の手の甲に押し付け――そのまま唇を滑らせて人差し指を咥えようとしている。
「ひやああああ!」
「……ですから、その叫び声はどうにかしてください」
「な、何するのよ!」
何か、えっ、エロい! わ、わわわ私の指で何をしようとしてるのよ!
だ、だだだ、だいたい、叫ぶようなことするから悪いんじゃない!
んぎぎ、と力を入れて左手を引っこ抜こうとしたけど、セルフィスの握力が強くて全く動かない。
掴まった。完全に掴まったわ。もう逃げられない。
何で? これ、何らかの呪縛の魔法とか言わないよね? それとも本当に私を食べようとしてるのかしら!?
「顔を背けるからです。見張ってないと、どこに口づけるか分かりませんよ?」
「お、脅さないでよぉ!」
「口説いてるんですが……」
違いがわからない! 魔王流だから!?
唇をぷるぷる震わせていると、セルフィスがふう、と息をついた。少しだけ艶っぽさが治まった……気がする。
「質問しておいて答えを信じない、は困るんです。説明が無意味になるでしょう?」
「そうだけどぉ……」
「だったらもう説明はしませんよ。わたしはさっさとマユを寝室に連れて行きたいのをずっと我慢しているんですから」
「しん……っ!」
何てことを言うのよ! ダンス以外、ロクに異性と触れ合ったことも無い私に!
治まったとか、気のせいだった! この人、色気全開だ――!
ガガッと熱が上がり、下瞼を押し上げる。うるっと涙が込み上げてきた。
二の句が告げられず、口をパクパクさせてしまう。
「そういう表情は、相手を煽りますよ」
「しっ、知らないわよ、そんなの!」
「どうやらあまり分かってないようなので、はっきり言いますね。――わたしは、マユを愛しています。だからこそ、二年も待ち続けたのです。こんな回りくどいことをしてまで」
「んぶふうぅぅっ!」
大事なとこで、清らかな乙女らしからぬ音が鼻と口から洩れたわっ。しかも涎を垂れそうになってしまった!
絶対いろいろリアクション間違えてるわ。しっかりして、私ぃ!
でっ、でも、だって、慣れてないもの、こんなの!
いやあ、心臓がドキドキしすぎて血管が切れちゃう! 鼻血が出そう!
顔を隠したいのに、手は完全に拘束されちゃってるし!
「お願いだから、手を……」
「嫌です。ちゃんとわたしを見てください」
「動悸が本当にヤバいから! ……はっ、まさかあの紅茶に何か仕掛けが!?」
「ただの人間界の紅茶です。魔界でも飲めるよう、防腐魔法はかけましたけどね」
さすがにセルフィスがムッとした顔をする。
「さぞかし緊張のあまり喉も乾くだろう、と用意したのですが」
「ご、ごめんなさい。……だけど、セルフィスが悪いんだからね! よくわかんないことばかり言うから!」
「ものすごく分かりやすく愛を伝えたつもりですが?」
「だからぁ、それが一番わかんないのよ! だって、魔王は聖女シュルヴィアフェスを愛してたはずじゃない! だから聖女が亡くなったとき、気力を失くしてフテ寝したって!」
「まぁ、間違っていませんね。ですがそのときの魔王の心は、もう失われています」
「……へ?」
心は、失われている。じゃあ、体は?
「千年前の魔王が為したことは記録としてわたしも把握しています。しかし聖女を失い、魔王はすべてを放棄して自分の殻に閉じこもってしまったんですね」
「え……」
「これは使い物にならない、ということで女神によって魂は天界に回収され、代わりに入ったのがわたしです。ですから、マユと少し近いですね。わたしは記憶がありますが」
「近い……」
何だろう、何か大事なことを言われてると思うんだけど、天界とか女神とか出てきて急激にスケールが大きくなっちゃったから、よく分からないわ。
「古の魔王が手に入れたかったのは確かに『聖女』ですが、やがてそれはシュルヴィアフェス本人への愛に昇華されました」
「そうなんだ……」
「しかしわたしは『聖女』を手に入れたかったのではありません。マユを手に入れたかったから、『聖女』になってもらうことにしたのです」
「……へっ?」
何かセルフィス、いま変なこと言わなかった?
本末転倒だっけ? ちょっと違うかな。とにかく、目的と手段が何かゴチャゴチャの、おかしなこと。
「な、何で『聖女』?」
「約定がありますから。その辺の田舎娘ならともかく、魔王が公爵令嬢、しかも大公世子の婚約者を攫う訳にはいきません」
「田舎娘だってダメでしょ」
「人買いも少なからずありますから、そう大きな騒ぎになることはないですよ」
「えー……」
「しかし、未来の大公妃となるとそうはいきません。合法的に手に入れられるとしたら、『聖女』だけでしょう」
それ、合法的って言うのかなあ。古の伝承、都合のいいように使おうとしてない?
「えーと……」
「まぁ、魔獣がマユを攫うか襲うかしたときに横取りして囲い込んでしまうという手もあるにはあるのですが、わたしもいつでも動ける訳ではないので万が一間に合わなければおしまいですし」
「……」
何か物騒な単語ばかりね。とても恋愛の話をしているとは思えないわ。
「それに、マユの意思を最大限尊重したかったのです」
「それはどうも、ありがとう……」
「いえいえ」
「……」
いろいろ配慮してくれたらしいので、とりあえずお礼は言ってみたけど。
やっぱりよく分からないわ。
「え、あの、『聖女』になってもらうってどういうこと?」
「もともとは、あのパルシアンの地で『召喚聖女』として人々に認知してもらうつもりでした。時が来たら、聖女の魔法陣への扉を開放して」
「あの秘密のアトリエのことね」
「そうです。聖者学院に行くこともなく、その身を危険に晒すこともなく」
しかし、巨大ホワイトウルフの一件でそういう訳にはいかなくなった。
いやそもそも、聖獣と契約を交わしたときから流れは大きく変わってしまった、とセルフィスは少し苦し気な顔をした。
そう言えばハティ達の話をしたとき、すごく慌ててたわよね。珍しかったから覚えてるわ。
「ハティとスコルは、セルフィスの差し金ではないのね」
「出会うきっかけを作ったのはわたしです。彼らならマユを気にし、密かに護ってくれるだろうと思いました。そしていつか、聖女の魔法陣へと案内してくれるだろう、と。……誤算だったのは、マユが彼らにまったく怯えず、そして彼らもマユをまったく警戒せず、逆に興味を持ってしまったことです」
結果、必要以上に私に近づいた彼らは私の名付けに縛られてしまい、セルフィスの想定よりだいぶん早く、正式に『聖獣の契約』を結ぶことになってしまった。
『聖獣の契約』は聖女によるものなので、魔王であるセルフィスにはどうすることもできないのだと言う。
女神により、魔王セルフィスは物語に直接関与することを禁じられていたらしい。
物語の方向性を決定する言動をしたら一発退場……要するに、魔王から降板させて強制的に魂を天界に戻すぞ、と脅されていた。
そもそも身体が眠ったままの魔王セルフィスは、そう頻繁に自由に動くことはできなかった。
だから、どうにか影を生み出し、女神の目を盗んで時折私の元へ訪れて様子を探ること、そしてさり気なく自分の望む方向へ誘導することしかできなかった、と言い、セルフィスはその頃の苦労を思い出すかのような溜息をついた。
とにかく、セルフィスが裏でいろいろ気を揉みながら動いていたのはわかった。
私を無理矢理魔界に連れて来るんじゃなくて、私自身がちゃんと納得して魔王の下へ来るように、と。
それはわかったけど、なーんか腑に落ちないのは……何故だろう?
0
お気に入りに追加
31
あなたにおすすめの小説

〈完結〉髪を切りたいと言ったらキレられた〜裏切りの婚約破棄は滅亡の合図です〜
詩海猫
ファンタジー
タイトル通り、思いつき短編。
*最近プロットを立てて書き始めても続かないことが多くテンションが保てないためリハビリ作品、設定も思いつきのままです*
他者視点や国のその後等需要があるようだったら書きます。

ピンクの髪のオバサン異世界に行く
拓海のり
ファンタジー
私こと小柳江麻は美容院で間違えて染まったピンクの髪のまま死んで異世界に行ってしまった。異世界ではオバサンは要らないようで放流される。だが何と神様のロンダリングにより美少女に変身してしまったのだ。
このお話は若返って美少女になったオバサンが沢山のイケメンに囲まれる逆ハーレム物語……、でもなくて、冒険したり、学校で悪役令嬢を相手にお約束のヒロインになったりな、お話です。多分ハッピーエンドになる筈。すみません、十万字位になりそうなので長編にしました。カテゴリ変更しました。

【完結】初級魔法しか使えない低ランク冒険者の少年は、今日も依頼を達成して家に帰る。
アノマロカリス
ファンタジー
少年テッドには、両親がいない。
両親は低ランク冒険者で、依頼の途中で魔物に殺されたのだ。
両親の少ない保険でやり繰りしていたが、もう金が尽きかけようとしていた。
テッドには、妹が3人いる。
両親から「妹達を頼む!」…と出掛ける前からいつも約束していた。
このままでは家族が離れ離れになると思ったテッドは、冒険者になって金を稼ぐ道を選んだ。
そんな少年テッドだが、パーティーには加入せずにソロ活動していた。
その理由は、パーティーに参加するとその日に家に帰れなくなるからだ。
両親は、小さいながらも持ち家を持っていてそこに住んでいる。
両親が生きている頃は、父親の部屋と母親の部屋、子供部屋には兄妹4人で暮らしていたが…
両親が死んでからは、父親の部屋はテッドが…
母親の部屋は、長女のリットが、子供部屋には、次女のルットと三女のロットになっている。
今日も依頼をこなして、家に帰るんだ!
この少年テッドは…いや、この先は本編で語ろう。
お楽しみくださいね!
HOTランキング20位になりました。
皆さん、有り難う御座います。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】義妹とやらが現れましたが認めません。〜断罪劇の次世代たち〜
福田 杜季
ファンタジー
侯爵令嬢のセシリアのもとに、ある日突然、義妹だという少女が現れた。
彼女はメリル。父親の友人であった彼女の父が不幸に見舞われ、親族に虐げられていたところを父が引き取ったらしい。
だがこの女、セシリアの父に欲しいものを買わせまくったり、人の婚約者に媚を打ったり、夜会で非常識な言動をくり返して顰蹙を買ったりと、どうしようもない。
「お義姉さま!」 . .
「姉などと呼ばないでください、メリルさん」
しかし、今はまだ辛抱のとき。
セシリアは来たるべき時へ向け、画策する。
──これは、20年前の断罪劇の続き。
喜劇がくり返されたとき、いま一度鉄槌は振り下ろされるのだ。
※ご指摘を受けて題名を変更しました。作者の見通しが甘くてご迷惑をおかけいたします。
旧題『義妹ができましたが大嫌いです。〜断罪劇の次世代たち〜』
※初投稿です。話に粗やご都合主義的な部分があるかもしれません。生あたたかい目で見守ってください。
※本編完結済みで、毎日1話ずつ投稿していきます。

クラス転移で神様に?
空見 大
ファンタジー
空想の中で自由を謳歌していた少年、晴人は、ある日突然現実と夢の境界を越えたような事態に巻き込まれる。
目覚めると彼は真っ白な空間にいた。
動揺するクラスメイト達、状況を掴めない彼の前に現れたのは「神」を名乗る怪しげな存在。彼はいままさにこのクラス全員が異世界へと送り込まれていると告げる。
神は異世界で生き抜く力を身に付けるため、自分に合った能力を自らの手で選び取れと告げる。クラスメイトが興奮と恐怖の狭間で動き出す中、自分の能力欄に違和感を覚えた晴人は手が進むままに動かすと他の者にはない力が自分の能力獲得欄にある事に気がついた。
龍神、邪神、魔神、妖精神、鍛治神、盗神。
六つの神の称号を手に入れ有頂天になる晴人だったが、クラスメイト達が続々と異世界に向かう中ただ一人取り残される。
神と二人っきりでなんとも言えない感覚を味わっていると、突如として鳴り響いた警告音と共に異世界に転生するという不穏な言葉を耳にする。
気が付けばクラスメイト達が転移してくる10年前の世界に転生した彼は、名前をエルピスに変え異世界で生きていくことになる──これは、夢見る少年が家族と運命の為に戦う物語。
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。
侯爵令嬢に転生したからには、何がなんでも生き抜きたいと思います!
珂里
ファンタジー
侯爵令嬢に生まれた私。
3歳のある日、湖で溺れて前世の記憶を思い出す。
高校に入学した翌日、川で溺れていた子供を助けようとして逆に私が溺れてしまった。
これからハッピーライフを満喫しようと思っていたのに!!
転生したからには、2度目の人生何がなんでも生き抜いて、楽しみたいと思います!!!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる