収監令嬢は◯×♥◇したいっ! ~全く知らない乙女ゲー世界で頑張ります~

加瀬優妃

文字の大きさ
上 下
111 / 156
第12幕 収監令嬢は運命に抗いたい

第7話 王獣相手はさすがにビビります

しおりを挟む
 バルコニーから庭に飛び降り、森の木々の中を駆け抜け……気が付けば、青い靄と黒い渦が空をうねる、奇妙な空間に紛れ込んでいた。

(ここが、魔界?)
“そう。じぃちゃんは水の王獣だから、アッチ”

 スコルが鼻先で教えてくれたけど、靄が凄くて空と地面の境目も曖昧になっているから、アッチがどっちなのかサッパリわからない。
 胸元のクォンはというと、ずっとポロポロと涙を溢している。慰めるように背中を撫で続けてるんだけど、ちっとも泣き止もうとしなかった。
 いったい何を、そんなに不安がっているんだろう。

 いつの間にか奇妙な靄は無くなり、湿った空気が辺り全体に充満している場所に出てきた。
 空は暗く、濁った水色を背景に灰色の雲がたなびいている。
 日の光も全く差さない黒いゴツゴツした岩肌には、青黒い苔がびっしりと生えていた。さらに上の方へ目を向けると、シダ植物みたいな鬱蒼とした緑の葉っぱがひしめいている。

 何だろう、熱帯地方のジャングルみたいな、そんな雰囲気。毒蛇とか毒蜘蛛とか気持ちの悪い生き物がいっぱいいそうで、背筋がゾクリとする。
 気温は比較的高く、生温い風が首筋にかいた冷や汗をすうっと撫でていった。
 あれ、そういえば?

「ハティ、隠す魔法はもういいの?」
『ここ、地上』
『じぃちゃんの峡谷』

 ああ、アッシメニアの峡谷ね。リンドブロム大公国とワイズ王国のさらに向こう、大陸の西の果てにあるという……。確かリンドブロムよりずっと暑い地域だったっけ。だから冬なのにこの気温なのか。

 まともに地上から行ったら、いくらハティとスコルでも丸一日以上かかるわ。だから魔界を経由したのね。
 それに、確か王獣の棲み処って聖域になっていて、結界が張ってるんじゃなかったっけ? 地上からは行けないのかも。

 川の源流みたいな細い水の流れに沿うように、固い石がゴロゴロ転がっている道がある。その灰色の通路を川の流れに沿って進んでいくと、一面青緑の湖……というよりドロッとした魔精力が漂う、濁った沼が現れた。

 ――その端の一角に、アッシメニアはいた。

 沼から頭部と前足だけ出している状態。長い顎を水際に付け、頭部から突き出た目はしっかりと閉じられている。鈍く銀色に光る鱗は体中に使い古した銀貨を貼り付けたようにビカビカしている。

 体長20mはある銀の大鰐……確か、目を開けたら終わりなのよね。機嫌を損ねないようにしないと。
 とは言うものの、どうすればいいのかよくわからないけど。

『じぃちゃーん』

 まずはハティがタタタッとアッシメニアの方に駆けてゆく。ピクリと鼻を蠢かしたアッシメニアは、ゆっくりと首をこちらに向けた。

 ひええ、やっぱり大きい! すごい迫力だし、溢れる魔精力はドロッとしていてそれだけで気を失いそう。
 魔獣より上の、魔獣すら支配する王獣というのが納得の存在感。
 ギュウウ、と右手で太腿をつねり、どうにか正気を保つ。

『小娘を連れてきた、か。どういうつもりだ』
『じぃちゃん、ごめんなの。クォンが、泣き止まないの』

 どうやらアッシメニアに甘える担当はハティらしい。
 目が合ったので……といってもつねに閉じてるから、顔がちょうど向き合ったので、といった方がいいかな。
 まぁとにかく視線を向けられたことが分かったので、スコルの背から降りて深々と頭を下げる。泣き続けるクォンの背中を撫でながら。
 そして死神メイスを水平に構え、すっとその場に跪いた。

「アッシメニア様。マリアンセイユ・フォンティーヌと申します。人間の身で聖域に立ち入ってしまい、誠に申し訳ありません。クォン……スクォリスティミが泣き止まず、わたくしから離れようとしないので助けて頂きたく、こちらへ参りました」

 とにかく、礼儀はちゃんと! これはどこの世界でも同じよね!
 声が震えそうになるのを必死に押し隠し、道々考えていた口上をしっかりとした口調で述べる。

『……近う寄れ』
「は、はい!」

 立ち上がり、スコルとともにゆっくりと近づいていった。
 そうして目の前まで来ると、アッシメニアの迫力はもっと凄まじいものになる。
 顔だけで二メートルぐらいあって、バカッと口を開けたら簡単に丸呑みされそうだ。
 よく見ると銀の鱗は傷だらけで、魔王侵攻の際に人間と戦ったときの痕かな、と思った。

 クォンが私の胸元から飛び出し、ビョーンとアッシメニアの頭の上に飛び乗った。ポロポロと涙を溢し、キュンキュン何かを訴えている。

『……なるほどのう。マデラに、のう』

 キュン、とクォンが鳴く。アッシメニアはついっと私の方に顔を向けた。

『ミーアという少女がマデラギガンダの洞窟に近づいているらしい』
「え……」

 マデラギガンダ? 土の王獣の?

『一度会っている、とは聞いていたがのう。そしてどうやら、マユ……だったか。お主に悪意を漲らせての行動、のようだ』
「えっ?」

 全然意味が分からない。
 ミーアがマデラギガンダの洞窟に行った。私への悪意を持って。
 そしてミーアは、一度マデラギガンダに会っている……?

「あの、申し訳ありません。真意を掴みかねるのですが」
『スクォリスティミは、魔獣の気配に敏感だ。そして主と認めた、お主に対する悪意にも』
「はぁ……」
『この二つが交わるとき、激しく泣く。呑気な顔をしておるが、お主はこの少女に恨まれる覚えはないのか?』
「え?」

 恨まれる覚え……は、ないとは言わないけど。
 だけど、悪意というほどのことかしら? どうも、アッシメニアの言ってることがピンとこない。

 首を傾げていると、アッシメニアはふん、と鼻息をついた。ブオッと生臭い息が顔にかかって危うく仰け反りそうになったけど、どうにか堪える。

『少女は恐らく、マデラギガンダにお主の存在の危険性を訴え――この世界から消すように唆すのではないかのう?』
「――――ええっ!?」

 ど、どういうこと!? 何でそんなことに……。ディオン様からミーアにはどんな連絡がいったのかしら。
 私は「ミーアが側妃になれるように協力する」とちゃんと言ったはずなのに。疎ましくも思ってないわよ。ディオン様にはちゃんと、伝わっていたと思うわよ。

 でも、そうだ。ミーア・レグナンドは『リンドブロムの聖女』のヒロイン。
 そのディオンルートの結末が『側妃』では、真のハッピーエンドとは言えないってこと?
 そうよ! 『聖女』になり『正妃』になる。これがミーアにとっての最高のハッピーエンドじゃないの!

「え、あ……」

 ゾクゾクゾクと腰から背中に悪寒が走り、思わず両腕をクロスさせて自分の身体を抱きしめる。

 そうよ、いくら通常じゃ――この世界の貴族社会の常識じゃあり得ないことでも。
 ヒロインにはヒロイン補正があるのよ。一発逆転の、究極の裏イベントが用意されているのよ!

 脳裏に浮かんだ茶色い巻き毛の可愛らしいミーアの顔が、黒いボブカットの拗ねたような美玖の顔に変わる。
 その瞬間、いつか交わした会話が蘇ってきた。

 ――難しいんだぁ、このゲーム。ディオン様の正妃になるには、条件がいろいろあってさあ。
 ――へぇ。
 ――ちょっと、もう少し興味を持って聞いてよ。ディオン様には婚約者がいてね、この人がいなくならないと正妃にはなれないのよね。それが難しい。
 ――いなくなるって、随分物騒ね。
 ――まぁね。でもゲームだし。

 ちょ、ちょ、ちょっと、美玖!
 確かにこの世界はゲームの世界よ。だけど、私にとってもあんたにとっても、実際に生きている、これからも寿命が尽きるまで生き抜いていかなければならない、現実の世界でしょ!
 それは、殺人よ! 私を殺そうとしてるのよ!
 そんな罪を犯してまで、正妃になりたいの!? その重荷にあんた、耐えられるの!?

「と、止めなきゃ!」
『まぁ、案ずるな。ハトとスク、スクォリスティミの面倒を見てくれたよしみじゃ。マデラギガンダには儂がとりなしてやるぞ』
「そういう問題じゃないです!」
『ふん? だいたい、マデラギガンダが少女を気に入らなければ、少女は喰われて終わりだ。一石二鳥ではないかのう?』
「んな訳ないでしょう! あの子は――友達なんです!」

 とにかく、美玖がマデラギガンダに会うのを止めないと。
 このイベントの発生自体を阻止しなくちゃ! 絶対に、美玖のためにならない!

「スコル! マデラギガンダの洞窟に連れて行って!」
『ええっ!? 無理だよ、オレ知らねぇもん!』
「ハティ!」
『うー、ハトも知らなーい』
「アッシメニア……様っ!」

 あやうく呼び捨てしそうになり、ドッと大量の冷や汗をかきながら付け加える。

「お願いします。今すぐに、私が美玖……いえ、ミーアの元に行く方法を教えてください!」
『はぁん?』
「友達なんです! 私を殺すとか、そう仕向けるとか、そういうことをさせる訳にはいかないんです! とにかく止めたいんです!」
『マデラギガンダに遭遇したら、二人とも喰われるかもしれんのう』
「だから、その前に止めるんです! お願いします!」
『……』

 その場に正座し、地面にひれ伏すように頭をこすりつける。その上から『ふむぅ』という臭い鼻息がまたもや吹きかけられた。

「お願いします! どうか……」
『ああ、五月蠅いのう。黙れ』

 いっそう増した濃い魔精力オーラと共に、バフッと吐息のようなものも降ってきた。
 とにかく喋らない方がいいらしい。何度でも懇願したいのを堪え、むぐぅ、と口元を強く引き締める。


 そうして――沈黙がしばらく続いた。こうなったら根比べ……ああ、だけど、こうしている間にも美玖は!
 ジリジリしていると、アッシメニアがようやく沈黙を破った。

『――その調子で、フェルも誑し込んだのか』
「へ?」

 言われた意味がよく分からず、顔を上げる。アッシメニアの顔が私の右手の方を向いている。
 ああ、フェルワンドの銀の腕輪を見てたのね。

「滅相も無いです。お願いして、食べるのをちょっと待ってもらっただけです。これは、その予約といいますか……えー……」
『ハト、ガンバルの。マユを、守るの!』
『おう! 次に戦った時は、絶対に勝とうな!』
「できれば戦わずに済めばいいんだけどね。……あっ」

 意気揚々と宣言する二人にいつもの調子でツッコんでしまい、慌てて居住まいを正す。

 礼儀、お願いしている立場なんだから、礼儀をきちんとしないと!
 相手は好々爺に見えても、まごうこと無き水の王獣!

 再びガバッと、地面に顔を擦りつけるように頭を下げる。

『……無知は無敵じゃのう、確かに』

 アッシメニアはそう呟くと、ブハア、と大きな息を吐いた。

『ハト、水の丑寅に小三十間、火の戌亥に中五里、土の辰巳に大六丈じゃ』
『……ウシ、トラ……ゴリ…ダイ、ロク……。ウン、わかった!』
「え?」
『マユ、行くぞ』
「え? え?」

 スコルにグイグイ袖を引っ張られ、中途半端な正座になりつつキョトキョトしてしまう。
 あ、足がちょっと痺れた……。

『察しが悪いのう。ほんにお主は魔獣に認められた人間なのかのう』

 アッシメニアがぶふう、と不満げに息を漏らした。

『二人に洞窟への行き方を教えた。やれるもんなら、やってみることじゃな』
「あ、ありがとうございま……きゃあっ!」

 お礼を言っている間にドン、とハティに突き飛ばされた。ジンジンした足では身体を支え切れず、そのままスコルの背に乗せられてしまう。

「ちょっと、あんたたち! ちゃんと挨拶……」
『いいから! マジで時間ねぇんだよ!』
『洞窟、遠いの!』 
「え、ちょ、きゃあああ――!」

 そのままスコルが走り出してしまったので、私は必死で背中に掴まった。
 慌てて後ろを振り返ったけど、沼はもう見えなくなり――アッシメニアの魔精力も嘘のように掻き消え、辺りはもとの青黒い靄に包まれていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ピンクの髪のオバサン異世界に行く

拓海のり
ファンタジー
私こと小柳江麻は美容院で間違えて染まったピンクの髪のまま死んで異世界に行ってしまった。異世界ではオバサンは要らないようで放流される。だが何と神様のロンダリングにより美少女に変身してしまったのだ。 このお話は若返って美少女になったオバサンが沢山のイケメンに囲まれる逆ハーレム物語……、でもなくて、冒険したり、学校で悪役令嬢を相手にお約束のヒロインになったりな、お話です。多分ハッピーエンドになる筈。すみません、十万字位になりそうなので長編にしました。カテゴリ変更しました。

[完]異世界銭湯

三園 七詩
ファンタジー
下町で昔ながらの薪で沸かす銭湯を経営する一家が住んでいた。 しかし近くにスーパー銭湯が出来てから客足が激減…このままでは店を畳むしかない、そう思っていた。 暗い気持ちで目覚め、いつもの習慣のように準備をしようと外に出ると…そこは見慣れた下町ではなく見たことも無い場所に銭湯は建っていた…

転生したら第6皇子冷遇されながらも力をつける

そう
ファンタジー
転生したら帝国の第6皇子だったけど周りの人たちに冷遇されながらも生きて行く話です

ぽっちゃりおっさん異世界ひとり旅〜目指せSランク冒険者〜

ぽっちゃりおっさん
ファンタジー
酒好きなぽっちゃりおっさん。 魔物が跋扈する異世界で転生する。 頭で思い浮かべた事を具現化する魔法《創造魔法》の加護を貰う。 《創造魔法》を駆使して異世界でSランク冒険者を目指す物語。 ※以前完結した作品を修正、加筆しております。 完結した内容を変更して、続編を連載する予定です。

異世界転生、防御特化能力で彼女たちを英雄にしようと思ったが、そんな彼女たちには俺が英雄のようだ。

Mです。
ファンタジー
異世界学園バトル。 現世で惨めなサラリーマンをしていた…… そんな会社からの帰り道、「転生屋」という見慣れない怪しげな店を見つける。 その転生屋で新たな世界で生きる為の能力を受け取る。 それを自由イメージして良いと言われた為、せめて、新しい世界では苦しまないようにと防御に突出した能力をイメージする。 目を覚ますと見知らぬ世界に居て……学生くらいの年齢に若返っていて…… 現実か夢かわからなくて……そんな世界で出会うヒロイン達に…… 特殊な能力が当然のように存在するその世界で…… 自分の存在も、手に入れた能力も……異世界に来たって俺の人生はそんなもん。 俺は俺の出来ること…… 彼女たちを守り……そして俺はその能力を駆使して彼女たちを英雄にする。 だけど、そんな彼女たちにとっては俺が英雄のようだ……。 ※※多少意識はしていますが、主人公最強で無双はなく、普通に苦戦します……流行ではないのは承知ですが、登場人物の個性を持たせるためそのキャラの物語(エピソード)や回想のような場面が多いです……後一応理由はありますが、主人公の年上に対する態度がなってません……、後、私(さくしゃ)の変な癖で「……」が凄く多いです。その変ご了承の上で楽しんで頂けると……Mです。の本望です(どうでもいいですよね…)※※ ※※楽しかった……続きが気になると思って頂けた場合、お気に入り登録……このエピソード好みだなとか思ったらコメントを貰えたりすると軽い絶頂を覚えるくらいには喜びます……メンタル弱めなので、誹謗中傷てきなものには怯えていますが、気軽に頂けると嬉しいです。※※

〈完結〉髪を切りたいと言ったらキレられた〜裏切りの婚約破棄は滅亡の合図です〜

詩海猫
ファンタジー
タイトル通り、思いつき短編。 *最近プロットを立てて書き始めても続かないことが多くテンションが保てないためリハビリ作品、設定も思いつきのままです* 他者視点や国のその後等需要があるようだったら書きます。

駄々甘ママは、魔マ王さま。

清水裕
ファンタジー
 ある日、人里離れた森の奥で義理の母親と共に暮らす少年ヨシュアは夢の中で神さまの声を聞いた。  その内容とは、勇者として目覚めて魔王を退治しに行って欲しいと言うものであった。  ……が、魔王も勇者も御伽噺の存在となっている世界。更には森の中と言う限られた環境で育っていたヨシュアにはまったくそのことは理解出来なかった。  けれど勇者として目覚めたヨシュアをモンスターは……いや、魔王軍は放っておくわけが無く、彼の家へと魔王軍の幹部が送られた。  その結果、彼は最愛の母親を目の前で失った。  そしてヨシュアは、魔王軍と戦う決意をして生まれ育った森を出ていった。  ……これは勇者であるヨシュアが魔王を倒す物語である。  …………わけは無く、母親が実は魔王様で更には息子であるヨシュアに駄々甘のために、彼の活躍を監視し続ける物語である。  ※基本的に2000文字前後の短い物語を数話ほど予定しております。  ※視点もちょくちょく変わります。

異世界転生ファミリー

くろねこ教授
ファンタジー
辺境のとある家族。その一家には秘密があった?! 辺境の村に住む何の変哲もないマーティン一家。 アリス・マーティンは美人で料理が旨い主婦。 アーサーは元腕利きの冒険者、村の自警団のリーダー格で頼れる男。 長男のナイトはクールで賢い美少年。 ソフィアは産まれて一年の赤ん坊。 何の不思議もない家族と思われたが…… 彼等には実は他人に知られる訳にはいかない秘密があったのだ。

処理中です...