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第12幕 収監令嬢は運命に抗いたい
第2話 ああ、そういうことだったのね
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「ちょっと繭、ひどい!」
「え、え?」
放課後、親友の美玖と私の隣の席の長谷川くんの三人で喋っていた。それなりに楽しく盛り上がっていたと思うんだけど、
「繭、ちょっとこっち」
と美玖が話を途中で切り上げ、グイッと私の腕を引っ張った。
そのままズルズルと廊下に引きずり出され、長い廊下を通って階段を降り、踊り場へと連れてこられてしまう。
美玖は長谷川くんに片思いをしているらしく、休み時間のたびに私の席にやってきていた。
はっきり言ってバレバレだったし、だからこそ私も長谷川くんを巻き込んで一緒に喋るようにしてたのに。
何で話を断ち切ってまでこんな遠くに引っ張られてこなきゃなんないんだ?
首を捻っていると、いきなり美玖が『ひどい!』と怒り始めたのだ。
もう、全然意味が分からないわよ。
「だから、何がひどいの?」
「何で私が乙女ゲーにハマってること、長谷川くんにバラすのよ!」
「え、駄目だった?」
「駄目に決まってるじゃん!」
「だって、長谷川くんもゲーマーだよ。同じ趣味だし……」
「同じじゃない! 長谷川くん、アクションゲームじゃん!」
「ええ~~?」
その違いって重要かなあ? 美玖が何をそんなに嫌がってるのかわからない。
いつも、自分がやっているゲーム……最近はナントカの聖女とかいうゲームの話を力説してたじゃん。誰やらルートは難しくて起こしたイベントでエンディングが変わるとか、裏イベントがあるらしいとか何とか。
本当のことを言って、何が悪いんだろう。
「ちょっと、繭。まさか繭も長谷川くんのことを……」
「ナイナイ、あり得ない。興味ないもん」
「そんな訳ない! だって、長谷川くん、頭いいし優しいしカッコいいし! 繭だって楽しそうに喋ってるじゃない!」
「単なるゲーム仲間だっての。とにかく、何で隠したいの? ゲームしてること」
何で横恋慕を疑われないといけないの、全く。
興奮するとどんどん脱線するんだよなあ、美玖って……と心の中でボヤきながら話を元に戻すと、美玖はプクゥと頬を膨らませた。
「だって、乙女ゲーにハマってるのって何かイタイ女子みたいじゃん」
「えー、そうかなー? それを言ったら私なんか裏ボス倒せなくてコントローラー投げそうになったとか、コンプリート目指して徹夜しちゃったとか、言いたい放題言ってるけど」
女子としてはオシャレよりゲームに夢中って駄目じゃないかな、とうっすら思うものの、あまり気にせず喋ってたけどな。
「繭はいいんだよ。だって、好かれようと思ってないじゃん」
「ええー? 私、誰が相手でも多分言うけどなあ」
「そりゃ繭はね、そうだろうけど」
美玖がぷんすかしながら、むうっと明らかにふくれっ面をした。
「ほんと、好き勝手やってるよね。なのに男子と仲いいとか、ズルい」
そんなこと言われてもな。
まぁ確かに、思ったことをズバズバ言う私とは違い、美玖は相手によって話題を選んでいるようなところはあった。
「だから好きとかどうとかじゃないんだってば」
「知ってる。でも私は長谷川くんが好きなの!」
「わかってるわよ」
「だから、少しでも良く思われたいから、見せたくないところは隠しておきたいの。なのに、ひどい!」
何でこんなに怒られないといけないのか分からない。
それに長谷川くんの件とは関係ないところでディスられた気がして、さすがにイラッとしてしまった。
どうせ私は恋愛には疎いわよ。だけどさ。
「本当の自分を隠して好かれても、どうしようもなくない?」
「そんなことないよ!」
「だって息苦しいじゃん。もたないよ」
「もつわよ、完璧にやるもん!」
「えー? だからさ、そういうの疲れない? それに騙し討ちみたい……」
何気なく言った言葉だったけど、美玖の逆鱗に触れたらしい。頬からこめかみにかけてみるみる真っ赤に染まり、目が三角になった。完全に怒ってる顔だ。
どうも、この『騙し討ち』という言葉が悪かったらしい。
「あ、ごめ……」
「もういい。繭に言っても分かんないし、どうせ」
美玖の吐き捨てたような台詞に遮られる。
さすがに言い過ぎたと謝ろうとした私の言葉は、無残にもバッサリと切り捨てられてしまった。美玖には届かなかった。
美玖はそのままプイッと私に背中を向け、スタスタと早歩きで階段を昇って行ってしまった。
どうしよう、と一瞬迷ったけど、ここにとどまっていても仕方がない。私も慌てて階段を上がり、美玖を追いかけた。教室へと戻る。
三人で喋っていたときはクラスには半分以上の人が残っていたけど、もう三、四人しかいなかった。美玖はだいぶん急いで移動してしまったらしく、教室には見当たらなかった。
「早坂を探してる? 何か急いで帰って行ったけど」
キョロキョロしていると、件の長谷川くんが教えてくれた。
早坂とは、美玖のことだ。早坂美玖。私の一番の友達。
好きなゲームの種類は全然違うし、美玖は恋愛体質で私は恋愛不感症、そして性格も正反対というぐらい違うけど、なぜか気が合う。
仲良くなったきっかけはやっぱりゲームで、学校からは少し離れた本屋でばったり遭遇した、というもの。
美玖はゲーム雑誌の恋愛シミュレーション特集のページをそれはそれは真剣な眼差しで読んでいて、
「ゲーム好きなんだね。私も好きだよ。RPGだけど」
と話しかけたのが一番最初。
それが三年になってからの六月の出来事だったから、付き合いはまだ半年ぐらい。だけど十年来の親友じゃないか、というぐらい仲が良い。
……良かった、はずなんだけど。
「さっき出て行ったばかりだから、追いかければ間に合うんじゃない?」
「そっか、ありがとう」
「それにしても、早坂って反応が面白いよな。乙女ゲーの話になった途端、顔が真っ赤になってさ」
長谷川くんがそのときのことを思い出して、クスクスと笑う。
「きっと夢中になってんだろうな。どんな内容なんだろ?」
「かなり選択肢がシビアで、一つ間違えると展開が全然変わるらしいよ」
「へぇ。やり込み要素が高いんだろうなー」
乙女ゲーなのでさすがに「やってみよう」とまでは思わなかったみたいだけど、長谷川くんは特に気にするでもなくいつも通りに話をしている。特に美玖への見方が変わった、ということもなさそうだ。
私はホッと、胸を撫でおろした。もし本当に美玖が心配するようなことになってたら、私がフォローしなきゃと焦ってたから。
ほらねー、だから長谷川くんは大丈夫なのに。美玖が乙女ゲー好きだからってドン引いたりしないってば。何となくわかってたもん。
私だって、誰にでもベラベラ喋る訳じゃないのになー。
まぁでも、とにかく美玖を追いかけよう。駅で捕まえられるかなあ。
慌てて身支度を整えると、私は首にマフラーをぐるぐると巻き、急いで教室を飛び出した。
* * *
「――マユ様? まだ寝てらっしゃるのですか?」
そんな声が聞こえ、シャッとベッドの横のレースのカーテンが開いた音がした。
重い瞼を必死に開ける。
メイド姿の細目の女性が、私を心配そうに見下ろしていた。
ああ……そっか。今はこっちだった。
ややフラフラする頭を抱え、ゆっくりと体を起こす。
「お体の具合は大丈夫ですか? 昨日は本当にお疲れでしたから……」
「うん……多分」
「アイーダ女史を呼んで参りますね」
ヘレンの姿がレースのカーテンの向こうに消えた。扉の開く音、すぐに閉まる音。そしてコツコツという階段を降りていく音が聞こえてくる。
ああ、そうか。こっちが現実。
リンドブロム大公国に住む公爵令嬢、マリアンセイユ・フォンティーヌ。大公世子ディオンの婚約者。
それが、今の私。
そして、このゲーム世界のヒロインであるミーア・レグナンド男爵令嬢。
それが、美玖なんだ。
漠然とそう思った。ミーアとダブって見えた黒髪の少女は、美玖だったから。
だから、私も前の記憶を思い出したのか。
あの後、私は駅で美玖の姿を見つけた。美玖はいつもの癖で白線のギリギリのところでボーッとしていた。危ないからソレ止めなさいって何度も言ったけど、聞かないのよ。
声をかけようとした途端、ホームを走っていた小学生が美玖にぶつかった。
「美玖――!」
小学生を咄嗟に支えた美玖が、よろけてホームから落ちそうになった。助けようとしたけど、私の首に巻いていたマフラーが美玖の鞄に引っ掛かって、結局二人とも線路に落ちた。
……多分、だけど。
最後に見たのが、私に向かって手を伸ばす……違うな、私まで落とすまいと私を突き飛ばそうとした、美玖の手だ。
それと、美玖の必死な表情。ミーアを助けたとき、オーバーラップした映像だ。
なるほどねぇ。よくわからないけど、この世界に呼ばれたのは本当は美玖だったんだね。私はついでに来ちゃった、ただのお邪魔虫だったのか。
「はあああ……」
溜息をつきながら私がベッドから降りたのと、アイーダ女史とヘレンが部屋に入ってきたのが同時だった。
「マリアンセイユ様? お加減はいかがですか?」
「大丈夫よ。少し疲れてるけど……パルシアンに帰らなきゃ。取って来ないといけない物があるの」
窓から降り注ぐ光はかなり眩しい。きっともうお昼近いんだわ。さっさと準備しないと。
「お兄様の許可は貰ったか……」
「いけません」
最後まで言い終える前に、アイーダ女史にビシリと却下されてしまった。
びっくりしてアイーダ女史の方を振り返る。
「どうして? 体は平気よ?」
「そうではなく……実は呼び出しを受けております。――内々に」
「呼び出し? 私を?」
「はい」
「……」
密猟事件の事情聴収の続きかしら。それとも魔獣事件の方かな。
フェルワンドのこととかサーペンダーのことは上手く誤魔化せたと思ってたんだけど。聖女の魔法陣を知ってるなんて、到底言えないものね。
あれ、でも……。
「内々に?」
「はい。ディオン様からの、お呼び出しです」
アイーダ女史が、慎重な面持ちで告げる。
咄嗟に浮かんだのは、ミーアと目を合わせたときのディオン様の苦しそうな表情。
ちょっと……まさか。
婚約破棄を言い渡されるんじゃ!
あれ、今となってはそれを喜べばいいの? いや駄目よね。でも私としてはもうその辺はどうでもいいんだけど、公爵家としては……。
あ、でも、お父様はそういう意図ではなかったんだっけ?
いや、でも、もう到底引き返せないところまで来てるし、そんな訳には……。
あれ? あれ~~?
ちょっと神様! 私にいったい、どうしろって言うのよ!
昨日の度重なるショックと、今朝思い出した元の世界の記憶、それとディオン様の内密の呼び出しという恐ろしい出来事に、私は完全に混乱していた。
そんな中最後に浮かんだのは、セルフィスの顔。必ず報われる、と力強く言ってくれた。少しだけ、気分が落ち着く。
……セルフィス。セルフィスだったら、何て言う? 何て言ってくれる?
本当にもう、肝心な時にいない人だわ、全く。
とにかくさっさと大公宮に行って、面倒なことはとっとと片付けよう。ここでオタオタしてても仕方が無いわ。
それに――パルシアンに行かないと、セルフィスには会えないんだから。
「え、え?」
放課後、親友の美玖と私の隣の席の長谷川くんの三人で喋っていた。それなりに楽しく盛り上がっていたと思うんだけど、
「繭、ちょっとこっち」
と美玖が話を途中で切り上げ、グイッと私の腕を引っ張った。
そのままズルズルと廊下に引きずり出され、長い廊下を通って階段を降り、踊り場へと連れてこられてしまう。
美玖は長谷川くんに片思いをしているらしく、休み時間のたびに私の席にやってきていた。
はっきり言ってバレバレだったし、だからこそ私も長谷川くんを巻き込んで一緒に喋るようにしてたのに。
何で話を断ち切ってまでこんな遠くに引っ張られてこなきゃなんないんだ?
首を捻っていると、いきなり美玖が『ひどい!』と怒り始めたのだ。
もう、全然意味が分からないわよ。
「だから、何がひどいの?」
「何で私が乙女ゲーにハマってること、長谷川くんにバラすのよ!」
「え、駄目だった?」
「駄目に決まってるじゃん!」
「だって、長谷川くんもゲーマーだよ。同じ趣味だし……」
「同じじゃない! 長谷川くん、アクションゲームじゃん!」
「ええ~~?」
その違いって重要かなあ? 美玖が何をそんなに嫌がってるのかわからない。
いつも、自分がやっているゲーム……最近はナントカの聖女とかいうゲームの話を力説してたじゃん。誰やらルートは難しくて起こしたイベントでエンディングが変わるとか、裏イベントがあるらしいとか何とか。
本当のことを言って、何が悪いんだろう。
「ちょっと、繭。まさか繭も長谷川くんのことを……」
「ナイナイ、あり得ない。興味ないもん」
「そんな訳ない! だって、長谷川くん、頭いいし優しいしカッコいいし! 繭だって楽しそうに喋ってるじゃない!」
「単なるゲーム仲間だっての。とにかく、何で隠したいの? ゲームしてること」
何で横恋慕を疑われないといけないの、全く。
興奮するとどんどん脱線するんだよなあ、美玖って……と心の中でボヤきながら話を元に戻すと、美玖はプクゥと頬を膨らませた。
「だって、乙女ゲーにハマってるのって何かイタイ女子みたいじゃん」
「えー、そうかなー? それを言ったら私なんか裏ボス倒せなくてコントローラー投げそうになったとか、コンプリート目指して徹夜しちゃったとか、言いたい放題言ってるけど」
女子としてはオシャレよりゲームに夢中って駄目じゃないかな、とうっすら思うものの、あまり気にせず喋ってたけどな。
「繭はいいんだよ。だって、好かれようと思ってないじゃん」
「ええー? 私、誰が相手でも多分言うけどなあ」
「そりゃ繭はね、そうだろうけど」
美玖がぷんすかしながら、むうっと明らかにふくれっ面をした。
「ほんと、好き勝手やってるよね。なのに男子と仲いいとか、ズルい」
そんなこと言われてもな。
まぁ確かに、思ったことをズバズバ言う私とは違い、美玖は相手によって話題を選んでいるようなところはあった。
「だから好きとかどうとかじゃないんだってば」
「知ってる。でも私は長谷川くんが好きなの!」
「わかってるわよ」
「だから、少しでも良く思われたいから、見せたくないところは隠しておきたいの。なのに、ひどい!」
何でこんなに怒られないといけないのか分からない。
それに長谷川くんの件とは関係ないところでディスられた気がして、さすがにイラッとしてしまった。
どうせ私は恋愛には疎いわよ。だけどさ。
「本当の自分を隠して好かれても、どうしようもなくない?」
「そんなことないよ!」
「だって息苦しいじゃん。もたないよ」
「もつわよ、完璧にやるもん!」
「えー? だからさ、そういうの疲れない? それに騙し討ちみたい……」
何気なく言った言葉だったけど、美玖の逆鱗に触れたらしい。頬からこめかみにかけてみるみる真っ赤に染まり、目が三角になった。完全に怒ってる顔だ。
どうも、この『騙し討ち』という言葉が悪かったらしい。
「あ、ごめ……」
「もういい。繭に言っても分かんないし、どうせ」
美玖の吐き捨てたような台詞に遮られる。
さすがに言い過ぎたと謝ろうとした私の言葉は、無残にもバッサリと切り捨てられてしまった。美玖には届かなかった。
美玖はそのままプイッと私に背中を向け、スタスタと早歩きで階段を昇って行ってしまった。
どうしよう、と一瞬迷ったけど、ここにとどまっていても仕方がない。私も慌てて階段を上がり、美玖を追いかけた。教室へと戻る。
三人で喋っていたときはクラスには半分以上の人が残っていたけど、もう三、四人しかいなかった。美玖はだいぶん急いで移動してしまったらしく、教室には見当たらなかった。
「早坂を探してる? 何か急いで帰って行ったけど」
キョロキョロしていると、件の長谷川くんが教えてくれた。
早坂とは、美玖のことだ。早坂美玖。私の一番の友達。
好きなゲームの種類は全然違うし、美玖は恋愛体質で私は恋愛不感症、そして性格も正反対というぐらい違うけど、なぜか気が合う。
仲良くなったきっかけはやっぱりゲームで、学校からは少し離れた本屋でばったり遭遇した、というもの。
美玖はゲーム雑誌の恋愛シミュレーション特集のページをそれはそれは真剣な眼差しで読んでいて、
「ゲーム好きなんだね。私も好きだよ。RPGだけど」
と話しかけたのが一番最初。
それが三年になってからの六月の出来事だったから、付き合いはまだ半年ぐらい。だけど十年来の親友じゃないか、というぐらい仲が良い。
……良かった、はずなんだけど。
「さっき出て行ったばかりだから、追いかければ間に合うんじゃない?」
「そっか、ありがとう」
「それにしても、早坂って反応が面白いよな。乙女ゲーの話になった途端、顔が真っ赤になってさ」
長谷川くんがそのときのことを思い出して、クスクスと笑う。
「きっと夢中になってんだろうな。どんな内容なんだろ?」
「かなり選択肢がシビアで、一つ間違えると展開が全然変わるらしいよ」
「へぇ。やり込み要素が高いんだろうなー」
乙女ゲーなのでさすがに「やってみよう」とまでは思わなかったみたいだけど、長谷川くんは特に気にするでもなくいつも通りに話をしている。特に美玖への見方が変わった、ということもなさそうだ。
私はホッと、胸を撫でおろした。もし本当に美玖が心配するようなことになってたら、私がフォローしなきゃと焦ってたから。
ほらねー、だから長谷川くんは大丈夫なのに。美玖が乙女ゲー好きだからってドン引いたりしないってば。何となくわかってたもん。
私だって、誰にでもベラベラ喋る訳じゃないのになー。
まぁでも、とにかく美玖を追いかけよう。駅で捕まえられるかなあ。
慌てて身支度を整えると、私は首にマフラーをぐるぐると巻き、急いで教室を飛び出した。
* * *
「――マユ様? まだ寝てらっしゃるのですか?」
そんな声が聞こえ、シャッとベッドの横のレースのカーテンが開いた音がした。
重い瞼を必死に開ける。
メイド姿の細目の女性が、私を心配そうに見下ろしていた。
ああ……そっか。今はこっちだった。
ややフラフラする頭を抱え、ゆっくりと体を起こす。
「お体の具合は大丈夫ですか? 昨日は本当にお疲れでしたから……」
「うん……多分」
「アイーダ女史を呼んで参りますね」
ヘレンの姿がレースのカーテンの向こうに消えた。扉の開く音、すぐに閉まる音。そしてコツコツという階段を降りていく音が聞こえてくる。
ああ、そうか。こっちが現実。
リンドブロム大公国に住む公爵令嬢、マリアンセイユ・フォンティーヌ。大公世子ディオンの婚約者。
それが、今の私。
そして、このゲーム世界のヒロインであるミーア・レグナンド男爵令嬢。
それが、美玖なんだ。
漠然とそう思った。ミーアとダブって見えた黒髪の少女は、美玖だったから。
だから、私も前の記憶を思い出したのか。
あの後、私は駅で美玖の姿を見つけた。美玖はいつもの癖で白線のギリギリのところでボーッとしていた。危ないからソレ止めなさいって何度も言ったけど、聞かないのよ。
声をかけようとした途端、ホームを走っていた小学生が美玖にぶつかった。
「美玖――!」
小学生を咄嗟に支えた美玖が、よろけてホームから落ちそうになった。助けようとしたけど、私の首に巻いていたマフラーが美玖の鞄に引っ掛かって、結局二人とも線路に落ちた。
……多分、だけど。
最後に見たのが、私に向かって手を伸ばす……違うな、私まで落とすまいと私を突き飛ばそうとした、美玖の手だ。
それと、美玖の必死な表情。ミーアを助けたとき、オーバーラップした映像だ。
なるほどねぇ。よくわからないけど、この世界に呼ばれたのは本当は美玖だったんだね。私はついでに来ちゃった、ただのお邪魔虫だったのか。
「はあああ……」
溜息をつきながら私がベッドから降りたのと、アイーダ女史とヘレンが部屋に入ってきたのが同時だった。
「マリアンセイユ様? お加減はいかがですか?」
「大丈夫よ。少し疲れてるけど……パルシアンに帰らなきゃ。取って来ないといけない物があるの」
窓から降り注ぐ光はかなり眩しい。きっともうお昼近いんだわ。さっさと準備しないと。
「お兄様の許可は貰ったか……」
「いけません」
最後まで言い終える前に、アイーダ女史にビシリと却下されてしまった。
びっくりしてアイーダ女史の方を振り返る。
「どうして? 体は平気よ?」
「そうではなく……実は呼び出しを受けております。――内々に」
「呼び出し? 私を?」
「はい」
「……」
密猟事件の事情聴収の続きかしら。それとも魔獣事件の方かな。
フェルワンドのこととかサーペンダーのことは上手く誤魔化せたと思ってたんだけど。聖女の魔法陣を知ってるなんて、到底言えないものね。
あれ、でも……。
「内々に?」
「はい。ディオン様からの、お呼び出しです」
アイーダ女史が、慎重な面持ちで告げる。
咄嗟に浮かんだのは、ミーアと目を合わせたときのディオン様の苦しそうな表情。
ちょっと……まさか。
婚約破棄を言い渡されるんじゃ!
あれ、今となってはそれを喜べばいいの? いや駄目よね。でも私としてはもうその辺はどうでもいいんだけど、公爵家としては……。
あ、でも、お父様はそういう意図ではなかったんだっけ?
いや、でも、もう到底引き返せないところまで来てるし、そんな訳には……。
あれ? あれ~~?
ちょっと神様! 私にいったい、どうしろって言うのよ!
昨日の度重なるショックと、今朝思い出した元の世界の記憶、それとディオン様の内密の呼び出しという恐ろしい出来事に、私は完全に混乱していた。
そんな中最後に浮かんだのは、セルフィスの顔。必ず報われる、と力強く言ってくれた。少しだけ、気分が落ち着く。
……セルフィス。セルフィスだったら、何て言う? 何て言ってくれる?
本当にもう、肝心な時にいない人だわ、全く。
とにかくさっさと大公宮に行って、面倒なことはとっとと片付けよう。ここでオタオタしてても仕方が無いわ。
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