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間話10

ハティの布切れの行方

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 最終試験『野外探索』の前日。
 アイーダ女史は、緊張を隠せない様子で子爵家の居間に立っていた。
 ハンカチに包んである、ハティが渡した布の切れ端。握りつぶさないように気を付けながら、ひたすら主が来るのを待つ。

「――待たせたな」

 ワイズ王国から帰ってきたガンディス子爵がガシャンガシャンと金属がぶつかる音をさせながら入ってきた。本当に今帰ってきたところらしい。鉄鎧姿のままで、屈強な腕にはいくつかの傷もついている。

「申し訳ありません、ガンディス様。わたくしに会う時間を作ってくださり、ありがとうございます」
「他ならぬアイーダが火急の要件と言うからには、ただごとではないだろう」

 ガンディス子爵とアイーダ女史は、勿論フォンティーヌ公爵邸で面識がある。
 オルヴィアと共に公爵邸に入ったアイーダ女史は、ガンディスが6歳になるまでは彼の家庭教師でもあった。
 そんな彼女がマリアンセイユにかかりきりになり自然と疎遠になっていたが、顔を合わせる機会が無かっただけで何らかのわだかまりがあった訳ではない。

「フォンティーヌの森の護り神、覚えておいでですか」
「勿論だ。忘れるわけがないだろう」

 会ったのは、二回。マリアンセイユが巨大ホワイトウルフを倒したときと、マリアンセイユのリンドブロム聖者学院の入学試験で現れたとき。

 魔獣とも見まごう、その圧倒的な力。
 ガンディスは普段の無邪気な彼らの姿を知らないので、ある意味アイーダ女史よりその存在に強く衝撃を受け、恐れていた。

「マリアンセイユ様たってのお願いで、彼らはワイズ王国領の森も見張ってくださっていたのです」
「そうだったのか」
「……で、こちらなのですが」

 包んであったハンカチをそっと開く。

「ホワイトウルフの子供を生け捕りにし、連れ去ろうとする男たちを見つけたそうです。これはそのとき男が抱えていた袋を食いちぎったもの」

 ハンカチの上には、黄土色の糸に茶色い毛がところどころ織り込まれた小さな布切れがあった。その内側に白い毛が5本ほど絡みついている。

「詳しく調べて頂ければはっきりするかと思いますが、この白い毛はホワイトウルフの毛です。これだけの時間が経ってもなお、わずかに魔精力が残っています」
「……なるほどな」
「ホワイトウルフを捕えようとした者がいる、という証拠になりますね」
「確かにな。ただ、そんなことは既に分かり切っていることだ。こちらでも実行犯は判明し、片っ端から捕えている」

 ガンディス子爵がワイズ王国に出向いていたのは、侵入させていたフォンティーヌ隊から連絡があったからだった。
 アルキス山で密猟していたらしい集団を特定した、と。
 そしてガンディス子爵はワイズ王国に正式に申し入れをし、彼らを捕まえる許可を得たのだった。
 しかし、捕まえることは捕まえたのだが、誰が彼らを動かしていたのかということについては頑なに口を割らなかった。

「誰にも命令なんてされてねーよ! 魔物が荒らされれば、魔王が来るんだろ?」
「魔王が来てこの世界が無茶苦茶になれば、俺たちも好きにできるしな!」
「そうだよなあ!」

 こんな戯言をほざくばかり。たかが山賊だけでこれほど大掛かりな密猟ができる訳がない。絶対に、プロの――聖女騎士団レベルの魔導士が味方についている。
 第一、手に入れた魔物をどうやって売りさばくというのか。

 しかし彼らが全くの嘘を言っているようにも思えなかった。
 本当に、魔王が蘇る世の中を待っている? 誰が彼らをそう焚きつけた?
 そんな血で血を洗う世の中になれば、力と力のぶつかり合い。千年前の惨事が繰り返されることになる。
 リンドブロム大公国の在り方だって変わってくるだろう。これまでの守り重視から、攻撃体制へ。
 必要になるのは、賢王ではなく覇王……。

 そこまで考えて、ガンディス子爵は一つの可能性に行き当たった。黒い思惑にじわりとした嫌な汗が噴き出る。

 そうしたとき、
『裏切者がいる』
というある人物の密告と、
『どうしても直々にお話したいことがある』
というアイーダ女史の報せを受け取ったのだった。
 嫌な予感が拭い去れなかったガンディス子爵は、珍しく現場を離れ、ロワネスクまで急いで戻ってきたのである。

「存じております。そして、この布が証拠になるのではないかと」
「何?」

 アイーダ女史からハンカチごと布切れを受け取ったガンディス子爵は、ん?と眉間に皺を寄せた。

「お気づきでしょうか」
「……この織り目は……」
「はい」

 リンドブロムではロワーネの谷を中心とする大公家直轄領の他、上流貴族八家が所有する広大な領地がある。さらに外側には下流貴族の領地が点々と散らばっている。
 それぞれの領地では通常の領地経営のほか、特産品などを収入源としている場合がある。
 例えばフォンティーヌ公爵家は広大な敷地で飼っているリンドブロム牛、リンドブロム豚。それと、ギルマン領での革加工。最近ではザイラ夫人によるブラジャー産業も軌道に乗り始めている。

 ハティが噛みちぎったという袋は、その菱形模様の織り目が特徴的なとても丈夫な布で作られたものらしい。特にダークウルフの抜け毛を織り込んだものはその中でも一級品で、一般市民が入手できる代物ではない。
 魔物を捕えるには普通の袋では対応しきれず、魔精力で守られたこの布がどうしても必要だったのだろう。

 この布の織り目は『エドウィン・ロンバス』と呼ばれ、リンドブロムの貴族の間で非常に愛されている。
 そんな布を密猟犯に持たせることができるのは、布を作っている大元と深く関わりのある人物だけ。

「……まさか……」
「……」

 その名を口にすることは、さすがに憚られた。

 まさか、上流貴族が裏で動いていたとは。世界を守るべきリンドブロム聖女騎士団を指揮する、伯爵家が。
 いや、まだエドウィン伯爵が黒幕だとははっきりしていない。伯爵家の下請けを担っている下流貴族の可能性も捨てきれない。
 ここは慎重に動かなければ……。

 ガンディス子爵は思考を巡らせると、身の安全を考え、アイーダ女史を子爵邸にそのまま滞在させた。
 そして翌日――『野外探索』当日、ガンディス子爵は『密告者』であるレグナンド男爵と秘密裏に会った。

「いや、確かにわたしは伯爵にはお世話になりました。しかしねぇ、悪事の片棒を知らず知らず担がされていたとは夢にも思いませんでしたよ!」

 でっぷりとした身体をぶるぶると振るわせ、レグナンド男爵が唾を飛ばす勢いでまくしたてる。

「当主の代わりに下流貴族が領地経営を手伝う。リンドブロムではよくあることですが、それがまさか、魔物の密売だったとは! 知ったときは生きた心地がしませんでしたよ!」
「声が大きいです、レグナンド男爵」

 ガンディス子爵が唾がかからないように身を引きながら眉を顰める。

「本来ならば、実際に取引をしたあなたも罪に問われるんですよ?」
「だからこうしてお願いしてるんじゃないですか。わたしはほんとーに、何も知らなかったんです。だがミーアの件では伯爵にも恩がある。さすがに事が事ですし、板挟みになったわたしとしてはどうすることも……」

 よよよ、とレグナンド男爵がハンカチを目に当てる。非常にわざとらしいし憎たらしい。
 はたして、密売に気づいてすぐに密告したかどうかは怪しいものだ。いくばくかは美味しい思いをしたに違いない、とガンディス子爵は思ったが、レグナンド男爵が密告をしなければ――あの布切れだけでは、伯爵が関与しているところまでは辿りつけなかっただろう。
 逆に、もし布切れがなくレグナンド男爵の密告だけだったとしたら、すぐには信じられなかったに違いない。裏を取るのに、恐らく一か月はかかるはず。

 つまり――ハティの布切れとレグナンド男爵の密告。この二つが揃って、初めて事態は動いたのだ。

「あなたの処遇を決めるのはわたしではありません。……が、あなたに関しては不問とするよう、わたしと父から大公殿下にも働きかけます。それでよろしいですか」

 上流貴族の筆頭、フォンティーヌ公爵家が申し入れをすれば、自分は罪に問われることはないだろう。
 レグナンド男爵は、ホッと胸を撫で下ろした。

 ガンディス子爵としても、小者のレグナンド男爵に構っている暇はなかった。
 何しろ、エドウィン伯爵の目論見はあまりにも黒く、決して許すことのできないものだ。
 魔物密猟の目先の目的は、自分の懐を肥やし他国とも連絡を取り合い、自らの力を蓄えること。
 最終目的は、魔王が蘇る混沌の世界を再現すること。

 そしてその理由は、賢王となりうるディオンを廃し、覇王となるシャルルを大公とする世の中を望む、ということなのだから。
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