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第10幕 収監令嬢は知らんぷりしたい

第1話 浮かれてる場合じゃなかったわ

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「はーい、クォン。こっちに移ってね」

 図書館の中央に並んでいるテーブルの一角を陣取り、うなじにへばりついているクォンをベリッと剥がす。
 新しく水を溜めたばかりの瓶の中にそっと放すと、クォンは『キュン』と一声鳴き、おとなしくポチャン、と飛び込んだ。

「さ、取れたてご飯よー」

 さきほど図書館脇の草むらで掴まえたばかりのミミズを水の中に入れる。クォンは「およっ?」というような顔をすると、水中をウネウネするピンクのミミズにばくり、と噛みついた。ハグハグと美味しそうに食べている。

 はぁ、ミミズや昆虫にもすっかり慣れちゃったわ。公爵令嬢としてどうなのかしら、と思わないこともないけれど、飼い主としてはちゃんと面倒をみないとね。

「……呑気なものね」
「あ、クロエ」

 呆れたような溜息を漏らしながら、クロエが扉を開けて現れる。
 ディオン様の誕生日パーティから一夜明け、ここ二週間ほど浮足立っていた聖者学院の雰囲気はようやく落ち着きを取り戻していた。
 何しろ、聖者学院はあと一カ月で閉校となる。そして明日からはディオン様とシャルル様による授業見学。
 その結果と、これまでの成績と三週間後の魔法実技試験、そして最後の『野外探索』でもって『聖なる者』の選定が行われるのだ。

「随分と機嫌がいいみたいだけど」
「え、あ、そうかしら!?」

 昨晩初めて舞踏会というものを経験したせいか、何だかぽわぽわしているのよね。
 もうお遊びはおしまいなんだから、私も気を引き締めないと。

「昨日はとても美しかったわよ、マリアン」
「ありがとう」
「ディオン様と二人の姿、とても絵になっていたわ。だからそんなに嬉しいの?」
「え? ディオン様?」

 クロエの言った意味がよく分からず、首を傾げて聞き返す。
 そんな私の様子に、クロエの方が怪訝な顔をした。

「だから、婚約者としてディオン様と踊れて嬉しかったのかって聞いているのよ」
「違うわ。どちらかというと役目を果たせてホッとした、という感じかしら」
「……ふうん」

 一応頷いたものの、クロエは納得できない様子で腕を組んでいる。

「それより、クロエはどうだったの? お婿さん候補は見つかった?」

 これ以上ツッコまれるとうっかりセルフィスの話をしてしまいそうだわ、と慌てて話題を変えた。
 クロエは右手をパタパタと振り、
「え、違うわよ? 婿じゃないわ、種候補よ」
と言い、「ふふふ」と微笑んだ。

「……種?」
「私は婿を貰って侯爵家を継いでもらうんじゃなくて、私自らが侯爵位を継ぐつもりなの。つまり、女侯爵になるのよ」
「えっ!? そんなことできるの!?」

 通常、女は爵位を継ぐことはできない。そして同じ貴族としか結婚できないため、その家に女子しかいない場合は他の貴族の家から男子を養子に貰い、その男子と令嬢が結婚することで爵位を継ぐことになる。

 だけどそうなると、養子に貰えるのは貴族の次男坊ということ。長男は原則として自分の家を継がなければならないからだ。
 貴族は『聖女の血をばら撒かないように』と子供は二人以内と制限されているため、これはかなり厳しい条件と言える。

 下流貴族の場合、女子しか生まれず相手も見つからない場合、その家の爵位は返上することになる。つまり貴族家系が一つ減ることになるのだ。
 だけど、そもそも『聖女の血が聖女の魔法陣を起動する』ということが判明するまでは自由結婚を認めていたため、下流貴族の数は膨大になっていた。血の管理という点から考えると、貴族が減るのはリンドブロム大公国としてはむしろ喜ばしいことらしい。

 でも、上流貴族はそういう訳にはいかない。何しろ『聖女の魔法陣』を守る役目を担っている。絶対に爵位を継承していかなければならない。
 そしてまた、上流貴族の当主はリンドブロム聖女騎士団の団長も兼ねているため、下流貴族の中には嫡男ながら自分の家を継がず、伯爵家に養子に入った人間もいる。
 例えば、エドウィン伯爵がそう。もと男爵家の長男だったらしい。
 貧しい自分の家を継ぐぐらいなら上流貴族の仲間入りをした方がよい、と考える下流貴族の人間は意外に多いらしい。何しろ、その待遇は桁違いなのだから。

 侯爵家であるクロエの場合、長男だろうが縁談を断る人間はまずいない(というより断れない)。だから下流貴族からお婿さんを探して結婚するもんだと思っていたんだけど。

「まぁ、条件をクリアすればね。上流貴族だけの特権だけど」

 クロエは肩をすくめると、その『女侯爵』について説明してくれた。
 令嬢が本来学ぶ必要のない、剣術や軍事学を学んで所定の単位を取得し、騎士学院で実施される最終試験をパスすること。
 そして、経済学、気象学など領地経営に必要な知識を修め、魔法学についても手習い程度ではなく魔導士学院レベルの知識と技能を会得すること。
 これらをすべてクリアした上で大公殿下の許可を貰うことで、女侯爵になれるのだという。

「そ、そんなに大変なの!?」
「聖女騎士団の団長を務める以上、貴族子息が修めるべき学問も修めないといけない、ということね」
「なるほど……」

 だから何だか忙しそうにしていたのか……。
 そして先月中に騎士学院の方は無事クリアしたのだという。
 さすがクロエ姐さん、ハンパないです。私もだいぶん頑張っていたつもりだけど、あくまで令嬢の範囲内。聖者学院と騎士学院をハシゴして勉強してたなんて、尊敬しちゃうなあ。

「そこまでして自分で爵位を継ぎたかったの?」
「私、任せるより自分でやりたい方なのよ」
「ふうん……。でも、あれ? 爵位を継いだら結婚できなくなるの?」
「できないことはないけど、結婚って制約もあるし相手に権利を渡すという側面もある。そこまでしてもいいと思える男性がいたら、むしろ素直に婿をとって爵位を継いでもらってるわよ」
「そうか……」
「だから子作りだけ協力してもらって、一人で育てるの。その方が余計な横槍も入らないしね。自由に恋愛を楽しもうと思うわ」
「こ、子作り……」

 だから『種候補』なんて言い方をしてたのか。
 ……って、た、種って!!

 やっとクロエの言っていた意味が解り、思わず赤面する。
 そんな私の顔を見て、クロエが「あら?」という顔をした。

「性知識が無い訳じゃないのね」
「あ、あるわよ、それなりには……」

 こっちの世界では正式には習っていないけれど、もとの世界での常識はある程度覚えている。
 だけど私は、あっちでもこっちでも処女です。だから経験はない。
 でも、ないからこそ何か、恥ずかしい!

「それなり、ねぇ。でもマリアン、そう遠くない未来にあなたの身にも起こるのよ」
「え?」

 クロエの言っている意味がわからず、ぽかんとしてしまう。
 そんな私を見て、クロエが「やっぱりね」と呆れたような声を出した。

「前から気になっていたのだけど、マリアンはディオン様をどう思ってるの?」
「大公世子であり、婚約者よ」
「そうじゃなくて。男としてどう思ってるの?」
「ええっ? 考えたことも無いわ!」

 思わず叫ぶと、クロエが「はああ」と大きく溜息をついた。

「それって大丈夫なの? マリアンはディオン様と結婚するのよ」
「ええ、そうね」
「聖者学院が終わって、冬を越えて……そうね、早ければ来年の春ぐらいにはそういう話になると思うわ」
「えっ! もう半年もないじゃない! 私、大公子妃としてきちんとお役目をこなせるかしら!?」
「いやだから、そこじゃなくてね」

 クロエが人差し指でこめかみをグリグリしながら眉間に皺を寄せる。

「ディオン様と『あんなこと』や『そんなこと』もするのよ。男として見ていない、興味も持っていない相手に、そんなことできるの?」

 『あんなこと』や『そんなこと』……。
 昨日踊ったときの、ディオン様の冷めた顔と手を思い出す。ダンス自体は、別に嫌とも感じなかった。だってそれが、私の義務だと思ったし。
 でも……そうか、『あんなこと』や『そんなこと』も義務なんだ。私の場合は。

 咄嗟に浮かんだ感情は、『怖い』だった。
 まだそこまで踏み込まれたくはない。そんな気持ち。

 そして次に浮かんだのは、セルフィスの顔。一緒に踊ったときの腕や手の感触を思い出す。
 セルフィスはディオン様と違ってそんなに背は高くない。だから自然と顔の位置が近くなって、何だかドキドキしたっけ。

「……まぁ、そんな顔ができるなら大丈夫なのかしら?」

 クロエの言葉に、ふと我に返る。

「そんな顔?」
「さあっと青ざめたから心配になったけど、すぐにぽうっと赤くなったから。そういう恋する乙女の顔ができるんなら、大丈夫かしらね」

 私の気にし過ぎだったかしら、とクロエが独り言ちる。
 一方私は、それどころではなかった。

 恋する乙女……恋する乙女ですって!? 私が!? セルフィスに!?
 あり得ない! というより、無理よ!
 セルフィスと『あんなこと』や『そんなこと』なんてできない!
 は、恥ずかしすぎるわ! 無理無理無理無理~~!

「ようやく思考が直結したみたいね。よかったわ」
「直結って……!」
「じゃあちょっと、マリアンの耳に入れておきたい話をするわね」

 私の動揺はさらっと置いて、クロエが淡々と話を進める。
 ちょっと待って、こっちはまだ思考がまとまってないって言うのに……。

「舞踏会の日、嫌がらせを受けたミーア・レグナンドをディオン様が助けたらしいわよ。大公宮筋の極秘情報だから、学院生は誰も知らないけど」
「えっ……」

 熱くなった頬を押さえていた両手が、ビクリと震える。

 ミーアが、ディオン様に助けてもらった? 二人は昨日の夜、会ってたの?
 しかも何、その王子様に救われる的な胸キュンイベントは。

 それってまさか……ミーアがディオンルートのフラグを立てた、ということ?
 私が『聖女の泉』でセルフィスと踊って、浮かれている間に。

「それって……私じゃなくてミーアを婚約者にするかもしれない、と……」

 思わず、一番恐れていたことが口からこぼれる。
 しかしクロエは
「まさか! それは発想が飛び過ぎよ!」
と言って「あはは」と大声で笑った。右手をブンブンと振る。

「マリアンがフォンティーヌの森で眠り続けたままなら『大公妃として不適格』とか何とか理由を付けられる可能性はゼロではなかったけれど、それでも婚約破棄なんてよっぽどじゃない限りあり得ないのに。しかも今はこうして皆に認知されているし、社交界デビューも果たしたんですもの。公爵令嬢を押しのけて男爵令嬢が正妃に成り代わるなんて、考えられないわよ」
「……」

 そう言えば、そういう意図もあって聖者学院に来たんだったわよね。ちゃんと表に出てきて婚約者として立派に振舞って、他の令嬢が付け入る隙を与えないようにしよう、って。
 それは間違ってなかった訳だけど。

 確かに、普通に考えれば『あり得ない』ことだろう。
 だけど相手はミーア・レグナンド。ゲーム『リンドブロムの聖女』のヒロインよ。いわばこの世界の中心人物。ヒロイン補正でどうとでもなるわ。
 ディオンルートがもし存在するなら、ディオン様と結ばれるエンディングがある、ということよ。

「だけど、ミーアが『聖なる者』に選定されたら、ちょっと解らないわ。少なくとも側妃として推される可能性はかなり高くなると思う」
「側妃……」
「聖女シュルヴィアフェスになぞらえて、とかね。貴族としても、一番身分の高い公爵令嬢のマリアンより、一番身分の低い男爵令嬢のミーアの方が御しやすいからよ。利用しやすい、ということね」
「利用……」
「フォンティーヌ公爵より身分の高い貴族はいないんだから」

 つまり、伯爵家の方々にとってはミーア、およびレグナンド男爵の方が扱いやすい、ということか……。

 俯いて考え込んでいると、クロエがふう、と息をついて私の肩にポン、と手を乗せた。思わず顔を上げると、いつもどこか私をからかうような目で見ていたクロエが、優しいお姉さんの顔をしている。

「マリアン。本気でディオン様と結婚するつもりなら、立場だけじゃなくて相手のことをちゃんと考えた方がいいわ。……それと、自分の気持ちも」
「自分の……」

 自分の気持ち、と言われてふとセルフィスの顔が脳裏をよぎる。
 馬鹿ね、今は関係ないじゃない、と頭の隅に追いやった。

 自分の気持ちと言われても、私がディオン様の婚約者で、正妃になるという未来は変わらないわ。というより、変えてはいけない。
 だって私のこの世界における存在価値は、それしかないんだもの。

 考えたところで仕方ない――私が出来ることと言ったら、最初の目的通り『聖なる者』になること。
 ミーアの脅威から逃れるためには、もうそれしかないんだわ。

 ……そんな訳で、若干の不安を抱えつつ第10章の始まりです。

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