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第9幕 収監令嬢は華麗に踊りたい
◉ゲーム本編[6]・ミーアは涙にくれる
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ゲーム『リンドブロムの聖女』本編その6。
一方、舞踏会に参加しているはずのミーアは……。
――――――――――――――――――――――――
ミーアがリンドブロム大公宮に着く頃には、もうすっかり日は暮れて辺りは真っ暗になっていた。
大公世子ディオンの誕生日パーティだが、まずは大公と大公妃に挨拶するのが先である。案内されるのを待ちながら、ミーアはそっと自分のドレスを見回した。
サルサが用意してくれたのは、レースやリボンが控え目にあしらわれた淡いピンク色のドレス。ありふれたデザインではあるが、いつも身に着けている桃水晶のイヤリングとの相性も良く、小柄なミーアにはよく似合っていた。ミーア自身は気づいていないものの、その場にいる貴族子息たちの注目を存分に集めている。
いつもはお守りのように抱えている桃水晶の杖の代わりに、今日は白い羽扇をギュッと握りしめていた。その不慣れな様子も不安そうに辺りを窺う感じも、青年たちの心を捉えて離さない。
「ミーア、律義に並ばなくても大丈夫だよ。こっちで待ったら?」
そんな青年たちに見せつけるようにミーアに寄り添ったのは、ヘイマー伯爵家のベン。その長身で彼らの視界を塞ぎ、広間の一角を手で指し示す。その先にはイデアを始めとする上流貴族の令嬢たちが談笑していた。
「いえ、そんな……とんでもないです」
「ああ、令嬢方が気になる? 大丈夫だよ」
「あの、ここで待っていた方が、安心できるので……」
あの詩文の授業の一件以来、イデアとミーアは会えば挨拶する程度の仲にはなっていたが、友人と呼べる関係ではなかった。
そもそも、上流貴族である伯爵家と、下流貴族でも下層に位置する男爵家では、天と地ほども立場が違う。初めての舞踏会でただでさえ緊張していたミーアは、あんな煌びやかな令嬢たちの中に入っていく気にはとてもなれなかった。
やがてベンは別の子爵子息に話しかけられ、名残惜しそうにしながらもその場を離れていった。ミーアと一番最初に踊りたかったが、いつまでもへばりついているのもみっともないし、これまで令嬢達にモテまくっていた彼としてはミーアが思ったより靡かないことにも若干苛立っていた。
次にミーアの元にやってきたのは、カルム子爵家のアンディだった。
最初にミーアを庇ってくれた人物で、それ以降もさり気なくミーアを気遣う素振りを見せた。ミーアにとっても、必要以上に距離を詰めてこようとしないアンディは、数少ない心安げる存在だった。
そうしている間にミーアの順番が来て、ガチガチになりながらもミーアはどうにか挨拶を終えた。少し身体が震えてしまったが、授業で教わった通りにはできた、とホッと一息ついた、そのときだった。
大広間の中央で、一組の男女がダンスを踊り始めた。その様子に、皆の注目が一斉に集まる。
大公世子ディオンと、婚約者のマリアンセイユだ。
ディオン大公世子の藍色の髪、黒い瞳を彷彿とさせる衣装を身に纏い、華麗に踊るマリアンセイユ。回るたびに翻る裾は黒鳥の黒い羽根を思わせた。
決して主役であるディオンより目立とうとすることは無く、けれどその存在感は圧倒的で、誰もが歓談を忘れ、二人に見とれていた。
二人は時折顔を寄せ合い、何か言葉を交わしながら視線を交わす。男女の情というよりはどこか浮世離れした、現実世界の喧騒とは一線を画す雰囲気。
ミーアはキュッと、胸の前で右手の拳を握った。
あの日――薬草学実習で落とし穴に落とされ、初めてディオンと対面した日。
ミーアは密かに、ディオンに憧れの気持ちを抱いていた。この人に認められる人間になりたい、と。
ディオンの何も映さないような真っ黒な瞳に、自分という存在を刻みたい。
男爵に言われたからでもなく『聖女』になるためでもなく――ただ自分のために、ミーアはそう願ったのだった。
* * *
「ミーア・レグナンド。お話がありますの。わたくし達と一緒に来て下さる?」
アンディがミーアから離れたのを見計らったように声をかけたのは、ナターシャ・ブストスだった。上流貴族ブストス伯爵家の令嬢で、シャルル大公子に恋い焦がれていた。
そして彼女は、独自の情報網で『舞踏・礼儀作法』の時間にミーアとシャルルが会っていたことを知ってしまった。この授業だけは大講堂で行われており受講する生徒以外は誰も入れなかったため、ナターシャにはどうすることもできなかった。
誰にも邪魔されないシャルル大公子との時間を手に入れたミーアを憎み、積もり積もった恨みはすでに限界を超えていた。
ナターシャの隣には、もう一人いた。ケティ・ドミンゴ伯爵令嬢である。
人の顔色を窺いがちの内気な女性で、上流貴族の中ではリーダー格のイデアや気の強いナターシャの言いなりだったが、彼女もまた、ミーアに恨みを抱いていた。
彼女は下流貴族から婿をとる予定だったが、アンディ・カルムをその第一候補にしていた。そのアンディが最初にミーアを庇い始めたのを見て、内心嫉妬の炎を燃やしていた。
もともと本気で『聖なる者』を目指していた訳ではない彼女達にとって、ミーアは眼中には無かった。
むしろ近衛武官を侍らせ、シャルルと二人きりの特別魔法科という恵まれた立場にいるマリアンセイユを羨んでいたのだが、ここに来て最下層のミーアが自分達を飛び越えて上流貴族のベンばかりかシャルル大公子まで魅了していることを知って怒りが頂点に達したのだ。
上流貴族令嬢に呼ばれて逆らうことなど、ミーアには到底できなかった。ミーアは二人の令嬢に東側のバルコニーへと連れていかれた。
バルコニーからはさらに両端に階段が付けられており、薄暗い中庭へと続いている。その奥には円錐形の屋根がついた東屋があるようだったが、なにぶん暗く、よく見えなかった。
二人の令嬢にじりじりと詰め寄られたミーアは、自然とその中庭へと続く階段まで追いつめられる。
「ひょっとしてこれから、ダンスの誘いを待つつもりだったのかしら?」
「え、あ……」
舞踏会に来た以上はそれが普通だろうとミーアは思ったが、迂闊に頷いてはいけない雰囲気が漂っていた。自然と、返事は曖昧なものとなってしまう。
ミーアのそのおぼつかない様子に、二人の令嬢はますます苛立ちを募らせた。
「ねぇ、誰と踊るつもりだったんですの? アンディ・カルム? それとも、ベン・ヘイマーかしら? ……まさか、シャルル様じゃないわよね?」
「まぁ、そんなことあり得るのかしら? 信じられないわ」
「そうね、ケティ。信じられませんわ。男爵家の……しかもついこの間まで平民だった女が、こんなところまでのこのこやって来るなんてね!」
ナターシャの語尾が、自然と力強いものになる。隣にいたケティは両手で顔を覆い、ぷるぷると首を横に振った。
「まぁ、何てことでしょう。あり得ませんわ。わたくしなら、辞退いたします。恥ずかしくってこんな高貴な場所にいられませんわ」
「ええ、そうね。ケティはとても謙虚ですもの」
「そんなことはありませんわ。だって……当然のことですわ」
「そうですわね。身の程を知れ、と言ったところかしら」
ふふふ、と笑いながらナターシャがミーアをちらりと盗み見る。ケティも扇で顔の下半分を隠しつつ、ミーアを横目で見る。
「いえ、そんな……」
何を言えば正解なのか――いや、正解など無いのかもしれない。
そう思い、ミーアはどうすればこの場から逃げられるのか全く分からないまま、言葉を漏らした。
これが、二人の癇に障った。
「あら、口答えなさるの? このわたくしに?」
「まぁ、本当にひどいですわね」
「そうですわね。――さすが、孤児院育ちは厚顔ですこと!」
ナターシャが扇を振るった途端、ミーアの足元にあった階段が消え失せる。
ふわりと何かが自分の身体を包んだ気配はしたが、それはミーアを助けてくれるものではなかった。背中から地面に落ち、ビシャッという嫌な音がした。勢い余ってそのまま何回転か庭を転がってしまう。
ミーアの手にはぬかるんだ泥の感触があった。雨が降っていたのか水たまりに触れてしまったらしい。
「ああ……っ……」
「あら、ごめんあそばせ! 魔法の練習に仮初めの階段を造ってありましたの、すっかり忘れていましたわ!」
ナターシャが扇をパチンと鳴らし楽し気に叫ぶ。
上半身だけ体を起こしてバルコニーを見上げると、ミーアがいたはずの階段は跡形もなく消え失せていた。手すりが一部破損しているのかポッカリと隙間が空いているのは朧げに分かったが、それだけだった。
「でも、お怪我はありませんでしょ。ちゃーんと守って差し上げましたもの!」
得意気に言葉を続けるナターシャ。屋内からの逆光で、その表情はまったくわからない。しかし、無様な自分を見下ろし満足げに微笑んでいるのだろう、とミーアは思った。
「あらあら、泥だらけ……。でもわたくしの魔法で姿も声も閉ざしてありますから、誰も聞いておりませんし、見ておりませんわ」
ケティがふふふ、と忍び笑いをするのが聞こえた。どうやら彼女の魔法で一時的に周りから隔離されていたらしい。
「そちらからならこっそり表に回ってロワネスクへと帰れますわよ」
「いわば近道ですわね」
「その汚れたお姿を晒さずに済みますわ。感謝してくださいな」
「どうぞお気をつけて」
二人の影がバルコニーからふっと消える。
「それにしてもナターシャ、よくできた魔法でしたわ。わたくしすっかり本物と見紛うところでしたわ」
「ふふふ、舞台装置は重要ですもの。落とすなら、落ちた後の無様な姿まで鑑賞してこそですわ。平民とは一味も二味も違いましてよ」
「怪我をしないように防御魔法までかけてさしあげるなんて」
「あら、自分の足で帰って頂かないといけないんですもの。怪我なんてさせられませんわ」
「それもそうですわね」
二人の声が遠ざかり、やがて屋内へと消えていく。
ふわっと夜風がミーアの泥だらけのドレスを揺らした。ケティの魔法が解除されたのだろう。
緊張と恐怖のあまり、ミーアは彼女達の思惑に全く気付かなかった。巧妙に仕組まれた罠とは言え、前にエレナ達にやられた仕打ちとほぼ変わらない。
彼女らの口ぶりでは、あえてなぞらえたのだろう。ミーアの至らなさを思い知らせるために。
ミーアはそれにまんまと引っ掛かってしまった。それは魔導士としても失格で、情けなさのあまり涙がこぼれた。
今日は、大公世子ディオンの誕生パーティ。踊る踊らないはともかく、彼にだけはお祝いを述べなければならなかった。ちゃんと話ができる、唯一の機会だった。
どうしよう、汚れは落とせるだろうか、とミーアは一瞬考えたが、自分の身体を見回し、到底無理であることに気づいて落胆した。
庭に落ちた衝撃で髪もひどく乱れてしまっている。つけていた羽根飾りが泥まみれになり散らばっているのがミーアの目に入った。
こうなってしまっては、もう大広間に戻ることはできない。
絶望的な気持ちになりながら、ミーアは星が煌めく藍色の空を見上げた。
一方、舞踏会に参加しているはずのミーアは……。
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ミーアがリンドブロム大公宮に着く頃には、もうすっかり日は暮れて辺りは真っ暗になっていた。
大公世子ディオンの誕生日パーティだが、まずは大公と大公妃に挨拶するのが先である。案内されるのを待ちながら、ミーアはそっと自分のドレスを見回した。
サルサが用意してくれたのは、レースやリボンが控え目にあしらわれた淡いピンク色のドレス。ありふれたデザインではあるが、いつも身に着けている桃水晶のイヤリングとの相性も良く、小柄なミーアにはよく似合っていた。ミーア自身は気づいていないものの、その場にいる貴族子息たちの注目を存分に集めている。
いつもはお守りのように抱えている桃水晶の杖の代わりに、今日は白い羽扇をギュッと握りしめていた。その不慣れな様子も不安そうに辺りを窺う感じも、青年たちの心を捉えて離さない。
「ミーア、律義に並ばなくても大丈夫だよ。こっちで待ったら?」
そんな青年たちに見せつけるようにミーアに寄り添ったのは、ヘイマー伯爵家のベン。その長身で彼らの視界を塞ぎ、広間の一角を手で指し示す。その先にはイデアを始めとする上流貴族の令嬢たちが談笑していた。
「いえ、そんな……とんでもないです」
「ああ、令嬢方が気になる? 大丈夫だよ」
「あの、ここで待っていた方が、安心できるので……」
あの詩文の授業の一件以来、イデアとミーアは会えば挨拶する程度の仲にはなっていたが、友人と呼べる関係ではなかった。
そもそも、上流貴族である伯爵家と、下流貴族でも下層に位置する男爵家では、天と地ほども立場が違う。初めての舞踏会でただでさえ緊張していたミーアは、あんな煌びやかな令嬢たちの中に入っていく気にはとてもなれなかった。
やがてベンは別の子爵子息に話しかけられ、名残惜しそうにしながらもその場を離れていった。ミーアと一番最初に踊りたかったが、いつまでもへばりついているのもみっともないし、これまで令嬢達にモテまくっていた彼としてはミーアが思ったより靡かないことにも若干苛立っていた。
次にミーアの元にやってきたのは、カルム子爵家のアンディだった。
最初にミーアを庇ってくれた人物で、それ以降もさり気なくミーアを気遣う素振りを見せた。ミーアにとっても、必要以上に距離を詰めてこようとしないアンディは、数少ない心安げる存在だった。
そうしている間にミーアの順番が来て、ガチガチになりながらもミーアはどうにか挨拶を終えた。少し身体が震えてしまったが、授業で教わった通りにはできた、とホッと一息ついた、そのときだった。
大広間の中央で、一組の男女がダンスを踊り始めた。その様子に、皆の注目が一斉に集まる。
大公世子ディオンと、婚約者のマリアンセイユだ。
ディオン大公世子の藍色の髪、黒い瞳を彷彿とさせる衣装を身に纏い、華麗に踊るマリアンセイユ。回るたびに翻る裾は黒鳥の黒い羽根を思わせた。
決して主役であるディオンより目立とうとすることは無く、けれどその存在感は圧倒的で、誰もが歓談を忘れ、二人に見とれていた。
二人は時折顔を寄せ合い、何か言葉を交わしながら視線を交わす。男女の情というよりはどこか浮世離れした、現実世界の喧騒とは一線を画す雰囲気。
ミーアはキュッと、胸の前で右手の拳を握った。
あの日――薬草学実習で落とし穴に落とされ、初めてディオンと対面した日。
ミーアは密かに、ディオンに憧れの気持ちを抱いていた。この人に認められる人間になりたい、と。
ディオンの何も映さないような真っ黒な瞳に、自分という存在を刻みたい。
男爵に言われたからでもなく『聖女』になるためでもなく――ただ自分のために、ミーアはそう願ったのだった。
* * *
「ミーア・レグナンド。お話がありますの。わたくし達と一緒に来て下さる?」
アンディがミーアから離れたのを見計らったように声をかけたのは、ナターシャ・ブストスだった。上流貴族ブストス伯爵家の令嬢で、シャルル大公子に恋い焦がれていた。
そして彼女は、独自の情報網で『舞踏・礼儀作法』の時間にミーアとシャルルが会っていたことを知ってしまった。この授業だけは大講堂で行われており受講する生徒以外は誰も入れなかったため、ナターシャにはどうすることもできなかった。
誰にも邪魔されないシャルル大公子との時間を手に入れたミーアを憎み、積もり積もった恨みはすでに限界を超えていた。
ナターシャの隣には、もう一人いた。ケティ・ドミンゴ伯爵令嬢である。
人の顔色を窺いがちの内気な女性で、上流貴族の中ではリーダー格のイデアや気の強いナターシャの言いなりだったが、彼女もまた、ミーアに恨みを抱いていた。
彼女は下流貴族から婿をとる予定だったが、アンディ・カルムをその第一候補にしていた。そのアンディが最初にミーアを庇い始めたのを見て、内心嫉妬の炎を燃やしていた。
もともと本気で『聖なる者』を目指していた訳ではない彼女達にとって、ミーアは眼中には無かった。
むしろ近衛武官を侍らせ、シャルルと二人きりの特別魔法科という恵まれた立場にいるマリアンセイユを羨んでいたのだが、ここに来て最下層のミーアが自分達を飛び越えて上流貴族のベンばかりかシャルル大公子まで魅了していることを知って怒りが頂点に達したのだ。
上流貴族令嬢に呼ばれて逆らうことなど、ミーアには到底できなかった。ミーアは二人の令嬢に東側のバルコニーへと連れていかれた。
バルコニーからはさらに両端に階段が付けられており、薄暗い中庭へと続いている。その奥には円錐形の屋根がついた東屋があるようだったが、なにぶん暗く、よく見えなかった。
二人の令嬢にじりじりと詰め寄られたミーアは、自然とその中庭へと続く階段まで追いつめられる。
「ひょっとしてこれから、ダンスの誘いを待つつもりだったのかしら?」
「え、あ……」
舞踏会に来た以上はそれが普通だろうとミーアは思ったが、迂闊に頷いてはいけない雰囲気が漂っていた。自然と、返事は曖昧なものとなってしまう。
ミーアのそのおぼつかない様子に、二人の令嬢はますます苛立ちを募らせた。
「ねぇ、誰と踊るつもりだったんですの? アンディ・カルム? それとも、ベン・ヘイマーかしら? ……まさか、シャルル様じゃないわよね?」
「まぁ、そんなことあり得るのかしら? 信じられないわ」
「そうね、ケティ。信じられませんわ。男爵家の……しかもついこの間まで平民だった女が、こんなところまでのこのこやって来るなんてね!」
ナターシャの語尾が、自然と力強いものになる。隣にいたケティは両手で顔を覆い、ぷるぷると首を横に振った。
「まぁ、何てことでしょう。あり得ませんわ。わたくしなら、辞退いたします。恥ずかしくってこんな高貴な場所にいられませんわ」
「ええ、そうね。ケティはとても謙虚ですもの」
「そんなことはありませんわ。だって……当然のことですわ」
「そうですわね。身の程を知れ、と言ったところかしら」
ふふふ、と笑いながらナターシャがミーアをちらりと盗み見る。ケティも扇で顔の下半分を隠しつつ、ミーアを横目で見る。
「いえ、そんな……」
何を言えば正解なのか――いや、正解など無いのかもしれない。
そう思い、ミーアはどうすればこの場から逃げられるのか全く分からないまま、言葉を漏らした。
これが、二人の癇に障った。
「あら、口答えなさるの? このわたくしに?」
「まぁ、本当にひどいですわね」
「そうですわね。――さすが、孤児院育ちは厚顔ですこと!」
ナターシャが扇を振るった途端、ミーアの足元にあった階段が消え失せる。
ふわりと何かが自分の身体を包んだ気配はしたが、それはミーアを助けてくれるものではなかった。背中から地面に落ち、ビシャッという嫌な音がした。勢い余ってそのまま何回転か庭を転がってしまう。
ミーアの手にはぬかるんだ泥の感触があった。雨が降っていたのか水たまりに触れてしまったらしい。
「ああ……っ……」
「あら、ごめんあそばせ! 魔法の練習に仮初めの階段を造ってありましたの、すっかり忘れていましたわ!」
ナターシャが扇をパチンと鳴らし楽し気に叫ぶ。
上半身だけ体を起こしてバルコニーを見上げると、ミーアがいたはずの階段は跡形もなく消え失せていた。手すりが一部破損しているのかポッカリと隙間が空いているのは朧げに分かったが、それだけだった。
「でも、お怪我はありませんでしょ。ちゃーんと守って差し上げましたもの!」
得意気に言葉を続けるナターシャ。屋内からの逆光で、その表情はまったくわからない。しかし、無様な自分を見下ろし満足げに微笑んでいるのだろう、とミーアは思った。
「あらあら、泥だらけ……。でもわたくしの魔法で姿も声も閉ざしてありますから、誰も聞いておりませんし、見ておりませんわ」
ケティがふふふ、と忍び笑いをするのが聞こえた。どうやら彼女の魔法で一時的に周りから隔離されていたらしい。
「そちらからならこっそり表に回ってロワネスクへと帰れますわよ」
「いわば近道ですわね」
「その汚れたお姿を晒さずに済みますわ。感謝してくださいな」
「どうぞお気をつけて」
二人の影がバルコニーからふっと消える。
「それにしてもナターシャ、よくできた魔法でしたわ。わたくしすっかり本物と見紛うところでしたわ」
「ふふふ、舞台装置は重要ですもの。落とすなら、落ちた後の無様な姿まで鑑賞してこそですわ。平民とは一味も二味も違いましてよ」
「怪我をしないように防御魔法までかけてさしあげるなんて」
「あら、自分の足で帰って頂かないといけないんですもの。怪我なんてさせられませんわ」
「それもそうですわね」
二人の声が遠ざかり、やがて屋内へと消えていく。
ふわっと夜風がミーアの泥だらけのドレスを揺らした。ケティの魔法が解除されたのだろう。
緊張と恐怖のあまり、ミーアは彼女達の思惑に全く気付かなかった。巧妙に仕組まれた罠とは言え、前にエレナ達にやられた仕打ちとほぼ変わらない。
彼女らの口ぶりでは、あえてなぞらえたのだろう。ミーアの至らなさを思い知らせるために。
ミーアはそれにまんまと引っ掛かってしまった。それは魔導士としても失格で、情けなさのあまり涙がこぼれた。
今日は、大公世子ディオンの誕生パーティ。踊る踊らないはともかく、彼にだけはお祝いを述べなければならなかった。ちゃんと話ができる、唯一の機会だった。
どうしよう、汚れは落とせるだろうか、とミーアは一瞬考えたが、自分の身体を見回し、到底無理であることに気づいて落胆した。
庭に落ちた衝撃で髪もひどく乱れてしまっている。つけていた羽根飾りが泥まみれになり散らばっているのがミーアの目に入った。
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