収監令嬢は◯×♥◇したいっ! ~全く知らない乙女ゲー世界で頑張ります~

加瀬優妃

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第8幕 収監令嬢はカエルを飼いたい

第5話 詩の詠唱って深いわ

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 聖者学院の授業の中で『詩文』は呪文詠唱にも関わるため、魔導士には必須の学問になる。
 太古から伝わる文言を詠唱しながら自分の魔精力を練り、魔法へと変換するんだけど、トチってしまえばすべてはおじゃんになるし、美しい調べを奏でなければ出来上がる魔法も美しくない。

 上流貴族の子息令嬢は家庭での教育が終わっているため、学問系の授業は殆ど取っていない。だけどこの授業だけは、私以外にも三人が受講していた。ベン・ヘイマー、イデア・ヘイマーの兄妹と、クリス・エドウィンだ。

 ベン・ヘイマーは、控室で妙に馴れ馴れしく話しかけてきた創精魔法科の青年よ。
 あれ以来控室には足を踏み入れなかったから、最初しばらくはこの授業のたびに自信満々顔でにじり寄って来て辟易してたんだけど、最近は「脈がない」と悟ったのか近づいて来なくなったわ。

 イデア・ヘイマーは、例の『本来なら大公世子ディオンの婚約者になるはずだった』令嬢ね。H4のボス格。創精魔法科で、派手な髪飾りが印象的な子。
 顔を合わせれば会釈をする程度だけど、授業ではいつも自信満々に
「わたくしがお手本を見せますわ」
みたいな感じで詩文の朗読を披露しているわ。

 あらヘイマー兄妹って意外に真面目なのね、と思っていたけど、二人ともはっきり言って授業を受ける必要がないぐらい知識が豊富で朗読も上手だったのよね。この授業は下流貴族はほぼ全員受講しているし、自分の力を見せつけたかったのかしら。
 まぁ理由は何にせよ、朗読のテクニックみたいなのも知ることができたし、私としてはためになったのでいいんだけど。

 クリス・エドウィンは同じく控室で会った内気そうな男の子よ。模精魔法科で土魔法が得意らしいの。
 ベンの陰に隠れていたしあんまり印象は無いんだけど、少なくともベンよりは話しやすいかしらね。謙虚だし。

 大したこと無いのに自信満々の俺様キャラって、好きじゃないの。見下されてる感じがするじゃない。
 セルフィスぐらい何でも器用にできて説明も上手な人なら、素直に教えを乞う気にもなるけどねー。それにああ見えてやっぱり執事だから、「教えてやる」感はあまりないのよね。「教えて差し上げる」って感じ?
 あら? あんまり変わらない? まぁいいのよ、こういうのは受け取る側の感じ方の問題なんだから。

 そんな訳で、この『詩文』の授業だけは一番前――つまり上流貴族用の座席に四人並んで授業を受けている。

「それでは『聖女記』第三章第二節を……」
「先生、わたくしが読みますわ」

 例によって、イデアが肩のところまで右手を挙げ、口を挟む。しゃらり、と髪飾りについたビーズの玉が鳴る。
 まぁいつものことよね、実際上手だし、気取ってなければもっといいんだけど、と思いながらテキストに目を落とすと、予想外の言葉が聞こえてきた。

「イデア・ヘイマー。授業が始まって一カ月が経ちましたし、お手本はもういいでしょう。そろそろ、どなたか別の方にやってみて頂きたいですわ」

 おばあちゃんと言ってもいいぐらいのお年を召した品の良い先生が、やんわりとイデアの申し出を断ったのだ。
 ちらり、と盗み見るとイデアが不満そうに口を尖らせているのが分かった。
 そうねぇ、いい加減でしゃばるな、と言われたようなものだしね。彼女がどこまでそれを理解しているかどうかは分からないけど。

「マリアンセイユ・フォンティーヌ。あなたにお願いしますわ」
「……っ、はい」

 あ、あぶなーい! 間抜け顔で「へっ?」とか言うところだったわ!
 だって先生ったら、いきなり当てるんだもの!

 つとめて冷静を装いながら椅子から立ち上がる。目が合うと、老婦人先生はにっこりと微笑んだ。
 うーん、雰囲気は柔らかいんだけど「あなたはどれほどのものなの?」と目が口ほどに言ってるわ。この先生も結構イイ性格してるわね。
 でもまぁ、私に『取柄は膨大な魔精力』という汚名を返上するチャンスをくれたんだと思うことにするわ。

 『聖女紀』は聖女シュルヴィアフェスを称えた詩で、第3章はジャスリー王子に出会うくだりなのよ。だから結構気に入っているの。
 すうっと息を吸い込み、気持ちを落ち着かせる。聖女の清廉さをちゃんと表現したいわ。

「“聖女は夜の帳のような衣を靡かせる”」

『気持ちを込めて、祈りを込めて読みなさい。
 詩文は著者のこだわり抜いた言葉を紡いだもの。似たような言葉は他にもある、だけれどなぜその表現を用いたのかまで思いを馳せる必要があります。』

 アイーダ女史が、そう教えてくれたのを思い出す。
 言葉の意味、韻や調べを意識する。
 聞いている人たちの心の中に沁み込むようにと。


「……“湖の深淵、森の深奥。聖女の祈りが天の河となり降り注ぐ”」

 最後の一文を読み、顔を上げる。老婦人先生が目を見開いて固まっている。
 えっ、と思い上流貴族席を見回すと、ほぼ全員が同じ顔。

「あの……先生?」

 そんなにおかしかったかしら、と思いながら小首を傾げると、先生はハッと我に返り、にっこりと微笑んだ。
 パチパチパチと拍手する。

「非常に素晴らしい朗読でしたね。行間を読む、とはまさにこういうことです」

 先生の言葉に、後ろの下流貴族席がざわざわし始める。何しろイデアの朗読で拍手なんてしたことはないのだ。
 どうしよう、嫌味でも飛んでくるのかしら、と思ったけれど、よく耳をそばだててみると

「綺麗な声……」
「淀みない、とはこういうのを言うのね」
「変な音が耳に残らないし」
「性格が出るのかしら」

という声が聞こえてきた。
 どうやら大絶賛してくれているらしい。

 だけど……あの、下流貴族の子息令嬢の方々ー。それ、イデアの朗読はクセも圧も強いって言ってるようなものだから!
 私は彼女を貶める気は無かったのよ、と思いながらイデアを見ると、真っ赤な顔をして私を睨みつけている。
 内心ダラダラ汗を流しながら「悪気はないのよ」という気持ちを込めて目礼し、そっと椅子に座った。

 ヘイマー兄妹は炎魔法の使い手と聞いている。炎と言えば、躍動感と圧倒的な殲滅力。特にテクニックに走りがちな彼女の朗読はその辺が顕著になってしまうのはある意味仕方な……。

「あの、先生」

 下流貴族席から鈴が鳴ったような可愛らしい声が飛んできた。
 この空気で発言するの、すごいわね、と思ってちらりと見ると、何とミーア・レグナンドだった。

「何です? ミーア・レグナンド」
「魔法の呪文詠唱は属性により留意する点が違うと聞いています。詩文の朗読も、そうなのではないか、と。イデア様とマリアンセイユ様の違いを、その観点から説明していただきたいのですが」

 あ、それー! 私が言いたかったやつ! ナイスフォローだわ!
 ……って、ミーアってこんなに積極的に発言できるタイプだったっけ?

「そうですね。では……」

 どうにか教室内のざわつきが収まり、みんなの視線が私とミーアから逸れて黒板に向く。
 先生の解説を聞きながら、ミーアはどうしてこんな行動に出たのだろう、と漠然と考えを巡らせていた。
 ゲームのヒロイン、ミーア・レグナンドの行動はこの物語に確実に影響を与える。それはすなわち、私にも影響を与える、ということだから。


   * * *


 『詩文』の授業が終わると、ミーアがイデアに呼び止められているのが見えた。その隣にはベン・ヘイマーもいる。
 イデアの表情はと言うといつもの気取った笑顔ではあるけれど、私に向けるような敵意は感じられない。どうやらミーアにお礼を言っているようだ。

 あのあと授業は詩文の朗読が呪文詠唱にどう繋がるか、そして詩文の文言により表現の仕方が変わるように呪文詠唱も属性により変わる、ということを先生は説明してくれた。
 私は水魔法を最も得意としているのだけれど、四属性とも扱う。炎魔法に関してはイデアの朗読の特徴を取り入れた方がいい、ということになる。
 なるほどね、と頷ける部分も多く、ミーアの発言には感謝したのだけど。

 そしてイデアの隣のベンも、ミーアに意味ありげな視線を寄越している。
 なるほど、ベンのターゲットはそっちになったのね、と思うと同時に、今回の件はミーアのベンルートのフラグかしらねぇ、とも思った。
 まぁいずれにしても私には影響がないかな、と考えながら教室の扉に手をかける。

「素晴らしい朗読でしたね、マリアンセイユ。僕の知る限り一番美しい音色でした」

 急に背後から声が聞こえ、振り向く。クリス・エドウィンだった。
 彼は模精魔法科なので一緒に受講している授業は多く、上流貴族の中では顔を合わせる機会が多い。
 だけど、こんな風に話しかけてきたのは初めてだった。

「ありがとうございます。ですが先生の解説にあった通り、意識の違いですわ」
「そうかもしれませんが……より詩文を理解し、作品世界を表現しようとしていたのは、マリアンセイユの方だと思う、ので」

 最後の方はちょっと詰まりながら、モジモジと恥ずかしそうに言葉を発する。
 そんな赤くなりながら言われるとこちらが照れるわね。純朴青年タイプは嫌いじゃないわ……って、これ、私がヒロインの世界じゃなかったわね。選ぶ権利はないんだった。

 これ以上話していろいろと誤解を招いても困ると思い、微笑みながら
「ありがとうございます」
とだけ言って教室を出た。すぐ外には今日の当番であるドライがいて、「おや?」というような顔をする。

「お顔が赤いようですが、熱でも?」

 しまった、クリスの照れがうつっちゃったかしら。

「今日、授業で詩文の朗読を致しましたの。思い出して恥ずかしくなってしまいましたわ」
「トチったとか?」
「あら、そんなヘマは致しませんわ」
「ですよねー」

 ドライのどこかくだけた物言いは、ちょっとホッとする。
 ちらりと後ろを見ると、クリスは教室の扉の入口でまだ私の姿を見送っていた。

 困るわね、私は別にクリスルートに行くつもりはないんだけど。
 とは思いつつ、少しだけはしゃいでいるのが自分でもわかる。
 授業後の何気ないおしゃべり、というのはこれが初めてだった。
 だからクリスの邪気のない言葉と視線がちょっとだけ嬉しくて、少しだけ心が和らぐのを感じた。
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