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第8幕 収監令嬢はカエルを飼いたい
第3話 カエルに懐かれちゃったわ
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昨日、『薬草学実習』を午前中で終えてロワネスクのフォンティーヌ公爵邸に帰ってきた私は、すぐに水筒の蓋を開けた。入ったときはカエルは気持ちよさそうにパチャパチャしてたんだけど如何せん密閉空間ではあるし、死んでしまっていたら困るからだ。
水色カエルは『ひょっ?』とでも言うように顔を上げた後、ピョーンと外に飛び出してきた。ビタッと顔にくっついたので
「うぐ、ちょっと待った」
と言いながらペリッと引き離す。
「ひいいいい、マユ様、何ですかそれ!」
ヘレンが腰を抜かしそうになりながら震える手でカエルを指差した。口は四角になり、顔が真っ青になっている。
「カエル、だけど」
「水色ですよ!」
「それってやっぱり異常?」
「勿論です! カエルは緑で……ひいいいい!」
ぷらん、と垂れ下がっていたカエルの両手両足がワキワキ動くのを見て、ヘレンがとうとう尻餅をついた。そんなヘレンをやや気の毒そうに見ていたアイーダ女史が、眼鏡のブリッジをくいっと上げながら溜息を漏らす。
「……マユ様、そのカエルをどこで拾ってきたんです?」
「魔導士学院の植物園で。どうしても私から離れてくれなかったんだけど、水筒になら喜んで入ってくれたから……」
ジタジタしているカエルを試しにテーブルに置いてみると、ビョーンとジャンプし私の胸元にしがみついた。手の吸盤がどうなってるのかよくわからないけど、そのまま微動だにしない。
とにかくおっぱいがお気に入りらしい。困ったな。
「魔物、じゃないよね?」
「魔物は人間には懐きませんし……まさか、名前をつけてませんよね!?」
「うん。それは前に注意されたから」
「とすると、カエルはカエルなのだと思いますが……。マユ様は水魔法が得意ですから、その魔精力と合ったのかもしれませんね」
「カエルの新種かな……」
「ま、マユ様!? ソレ、どうされるんです!?」
ハッと我に返って凄まじい勢いで立ち上がったヘレンがアイーダ女史の背にサッと隠れ、噛みつくように喚く。
「私から離れようとしないし、仕方ないから飼おうかな、と」
「やっぱりぃー! ひああああ!」
「何を食べるのかな。生き物事典みたいなもの、この屋敷にある?」
「いくつかは……」
そう言ってアイーダ女史が何冊か持ってきてくれたんだけど、水色カエルはやっぱりどこにも載っていなかった。
とりあえず、普通のカエルはコオロギや蝿などの昆虫を食べるということは分かったので、試しに離れの塔のそばの草むらに放してみた。だけど嫌がって、すぐに私のところに帰ってきてしまう。
私から離れてくれるのは、私が水魔法で出した水の中に潜るときだけ。それでもその場から離れようとするとバタバタ暴れて飛び出し、部屋中に水を撒き散らしてしまった。
これは学院にも連れて行くしかないわね、と仕方なくヘレンが用意してくれたジャムの空き瓶に水魔法で水を貯めた。そこに入ってもらって、こっそりカバンに忍ばせてきたのだ。
2時間目が終わりお昼休みになったとき、今日の護衛であるツヴァイを人気の無い裏庭に連れ込み、そこで水色カエルを披露した。
何しろヘレンがあの様子だったし、騒ぎになっても困るものね。ただでさえ昨日の一件でよからぬ噂が広がっていて、頭が痛いのに。
「水色のカエル……ですか」
「そうなんですの」
ビタッと私の首筋にくっついて離れない水色のカエルと恐らく八の字眉になっているであろう私の顔を見比べながら、ツヴァイが眉間に皺を寄せる。
瓶から出した水色カエルは、例によって私の胸元に飛びついてきたのだけど、人前でそれはさすがにマズい。
「今はここにいてちょうだい」
とうなじを水魔法の水で濡らしたところ、今のところはおとなしくへばりついてくれている。
そんな私と水色カエルのやりとりを見てツヴァイは一瞬だけ眉をピクリと上げたけど、いたって無表情だった。
「まさか、そのようなご用件だったとは……」
「ああ、ひょっとして噂の件かと思いましたの、ツヴァイは?」
「……」
頷きはしなかったけれど、ツヴァイの眉が再びピクリと上がる。
なるほど、ツヴァイは一言もその話題を出さなかったけど、気にしていたのね。
昨日の『薬草学実習』で、ミーアが落とし穴に落とされるという嫌がらせをされたんだけど、比較的近い場所に私がいたのが目撃されたらしく、
「マリアンセイユ・フォンティーヌがミーア・レグナンドを見捨てた」
「まさか落とし穴に落とした本人なんじゃ」
という噂が学院内でまことしやかに囁かれていたのよね。
私も「気にしない」と言えば嘘になるけど、「気にしても仕方がない」というのが本当のところ。
「アインスが『きちんと報告する』と言っておりましたから、大公宮が噂を真に受けて事実を誤認するとは思っておりませんでしたが」
「それは御心配には及びません。魔導士学院および聖者学院の管理不行き届きの可能性もあり、ディオン様自らが関係者を呼び、徹底的に調査いたしましたので」
それによると、ミーアと顔見知りの魔導士学院の生徒が植物園の奥に土魔法を使って落とし穴を作り、そこにミーアをおびき寄せて落としたと言う。
実は植物園には監視カメラ的な魔道具が設置されており、それを見ることで実習中の行動も採点していたらしい。
もともとは薬草を膨大に採取してネコババしたりしないか、自然を荒らすような行動をしたりしないか、という監視目的で設置されたものだという。
その結果、落とし穴の場所に足を踏み入れたのは魔導士学院の黒ローブの少女たちとミーア、そして声を聞きつけたアインスだけ、ということが明らかになったのだ。
「ミーアは大事には至らなかったんですの?」
「はい。ミーア殿も薬草採取の課題は終えておられましたので、アインスが助け出してディオン様の聴取を受けた後、すぐに帰宅されました」
「そう……。それにしても、ひどい悪戯をするものですわね」
平民から外れ、貴族令嬢にも受け入れてもらえない。
ミーアも辛いところよね……。下流貴族の子息にはモテモテのようだけど、それも反感を買ってしまっているようだし。
「……それで、マリアンセイユ様はそのカエルをどうなさりたいのですか?」
「あ、そうそう」
水色カエルがうなじからまたおっぱいの方に移動しようとしたので、ひょいっと摘まむ。瓶の水を新しく入れ直し、再び中に戻ってもらった。
「フォンティーヌ邸で所有する生き物事典には、このカエルは載っていませんでしたの。それで、博識そうなツヴァイに相談したいのですわ」
「何をです?」
「もっと詳しい事典がどこかにないかと思いまして。例えば大公宮の中とか。カエルのために皆様の手を煩わせる訳には参りませんので、内密に、ですが」
「さすがに大公宮所有の蔵書をお見せするわけには参りません」
ツヴァイが呆れたような声を出す。何を言い出すんだか、とでもいったところだろうか。
「……ですわよね」
「ただ……」
腕を組み、しばらく考え込んでいたツヴァイはふと思いついたように顔を上げた。
「よい機会ですので、学生寮にご案内いたします」
「学生寮?」
確か、魔導士学院と騎士学院の間には、両学院に通う生徒のための寮があるんだったわね。リンドブロムの貴族はロワネスクに邸宅を持っているので、学生寮に住んでいるのは全員平民だ。
興味はあったけど、公爵令嬢マリアンセイユ・フォンティーヌとしては立ち入ってはいけない場所なんだろうな、と遠慮していたのだけど。
こちらです、と言ってツヴァイが歩き始めたので、私も慌てて付いていった。
「学生寮に併設されている食堂と図書館は外からも入ることができ、学院の生徒なら自由に利用できるようになっているのです」
ツヴァイが隣を歩きながら説明をしてくれる。
「そうなんですの。学院の生徒ということは、それにはリンドブロム聖者学院も含まれるんですの?」
「規約上は。ですが、一番奥にある聖者学院からは少し離れていますしね。特に図書館は魔導士学院、騎士学院の生徒も利用する人間はほとんどいません」
「あら、なぜですの?」
「やはり剣技や魔法を重視するからでしょうね。それらの指南書は貴重ですので、寮の図書館には置いてありません。あそこにあるのは歴史学や生物学、天文学や経済学といった、剣技や魔法とは無縁の書物だけですから」
「そうなんですの……」
まぁ、それらの勉強は与えられているテキストだけである程度は理解できるだろうし、単位を取るだけなら必要ないかもしれないわね。
確かベン・ヘイマーが言ってたっけ。貴族は家で最低限の勉強は終わってるから、授業すら受けない、と。
つまり学問系は「最低限でよし」とされているということだから。
魔導士学院を通り過ぎると、サーカス小屋のような円筒形に円錐の屋根がついた建物が現れた。窓は一切無く、両開きの扉が一つ付いているだけ。『学院専用図書館』と看板が掲げられているけど、確かにこれじゃ入りにくいかもねぇ。
「どうして窓が無いんですの?」
「日光は書物の劣化に繋がりますから」
「なるほど……」
どうやら鍵がかけられていたようで、ツヴァイは銀色の鍵を胸元から取り出した。扉を開けて「どうぞ」と促されたので、中に入る。
細長い廊下が続いていて、その先にもう一つ扉があった。
「わたしはこちらでお待ちしておりますので、どうぞ中へ」
「護衛はよろしいんですの?」
「日中ですから、学生寮側の扉は施錠されております。ここ以外に出入口はございませんので」
「わかりました」
ツヴァイは学院の生徒じゃないから入らないのかしら、と思いながら中に入る。
中央には正方形のテーブルがいくつかと、椅子が並んでいた。恐らく本を読むための場所だろう。
ぐるりと見渡すと、本棚が円形の形でズラリと並んでいる。本棚の列は3列ぐらいあり、まるで波紋のようだ。一列目は中央のスペースと同じ高さ、二列目と三列目は少しずつ高くなっている。中央から前方と左右の三方向に通路が走っていて、一部階段状になっていた。後方は外への扉と繋がっているので、三重丸に十字が切ってあるような形だ。
「――誰? 入ってきたのは」
急に、頭上から凛とした声が飛んでくる。
驚いて声がした方向を見上げると、三列目、一番高い本棚の列から一人の少女が現れた。
ローブではない、聖者学院の制服を着ている。長い黒髪を高い位置で結わえたポニーテールにしている長身の少女。
私を見下ろしていたその切れ長の茶色い瞳が、「あら」というように見開いた。
「まぁ、これは意外な客ね!」
「クロエ・アルバード様!?」
私とクロエ様はお互いを見合わせ、ほぼ同時に声を上げた。
水色カエルは『ひょっ?』とでも言うように顔を上げた後、ピョーンと外に飛び出してきた。ビタッと顔にくっついたので
「うぐ、ちょっと待った」
と言いながらペリッと引き離す。
「ひいいいい、マユ様、何ですかそれ!」
ヘレンが腰を抜かしそうになりながら震える手でカエルを指差した。口は四角になり、顔が真っ青になっている。
「カエル、だけど」
「水色ですよ!」
「それってやっぱり異常?」
「勿論です! カエルは緑で……ひいいいい!」
ぷらん、と垂れ下がっていたカエルの両手両足がワキワキ動くのを見て、ヘレンがとうとう尻餅をついた。そんなヘレンをやや気の毒そうに見ていたアイーダ女史が、眼鏡のブリッジをくいっと上げながら溜息を漏らす。
「……マユ様、そのカエルをどこで拾ってきたんです?」
「魔導士学院の植物園で。どうしても私から離れてくれなかったんだけど、水筒になら喜んで入ってくれたから……」
ジタジタしているカエルを試しにテーブルに置いてみると、ビョーンとジャンプし私の胸元にしがみついた。手の吸盤がどうなってるのかよくわからないけど、そのまま微動だにしない。
とにかくおっぱいがお気に入りらしい。困ったな。
「魔物、じゃないよね?」
「魔物は人間には懐きませんし……まさか、名前をつけてませんよね!?」
「うん。それは前に注意されたから」
「とすると、カエルはカエルなのだと思いますが……。マユ様は水魔法が得意ですから、その魔精力と合ったのかもしれませんね」
「カエルの新種かな……」
「ま、マユ様!? ソレ、どうされるんです!?」
ハッと我に返って凄まじい勢いで立ち上がったヘレンがアイーダ女史の背にサッと隠れ、噛みつくように喚く。
「私から離れようとしないし、仕方ないから飼おうかな、と」
「やっぱりぃー! ひああああ!」
「何を食べるのかな。生き物事典みたいなもの、この屋敷にある?」
「いくつかは……」
そう言ってアイーダ女史が何冊か持ってきてくれたんだけど、水色カエルはやっぱりどこにも載っていなかった。
とりあえず、普通のカエルはコオロギや蝿などの昆虫を食べるということは分かったので、試しに離れの塔のそばの草むらに放してみた。だけど嫌がって、すぐに私のところに帰ってきてしまう。
私から離れてくれるのは、私が水魔法で出した水の中に潜るときだけ。それでもその場から離れようとするとバタバタ暴れて飛び出し、部屋中に水を撒き散らしてしまった。
これは学院にも連れて行くしかないわね、と仕方なくヘレンが用意してくれたジャムの空き瓶に水魔法で水を貯めた。そこに入ってもらって、こっそりカバンに忍ばせてきたのだ。
2時間目が終わりお昼休みになったとき、今日の護衛であるツヴァイを人気の無い裏庭に連れ込み、そこで水色カエルを披露した。
何しろヘレンがあの様子だったし、騒ぎになっても困るものね。ただでさえ昨日の一件でよからぬ噂が広がっていて、頭が痛いのに。
「水色のカエル……ですか」
「そうなんですの」
ビタッと私の首筋にくっついて離れない水色のカエルと恐らく八の字眉になっているであろう私の顔を見比べながら、ツヴァイが眉間に皺を寄せる。
瓶から出した水色カエルは、例によって私の胸元に飛びついてきたのだけど、人前でそれはさすがにマズい。
「今はここにいてちょうだい」
とうなじを水魔法の水で濡らしたところ、今のところはおとなしくへばりついてくれている。
そんな私と水色カエルのやりとりを見てツヴァイは一瞬だけ眉をピクリと上げたけど、いたって無表情だった。
「まさか、そのようなご用件だったとは……」
「ああ、ひょっとして噂の件かと思いましたの、ツヴァイは?」
「……」
頷きはしなかったけれど、ツヴァイの眉が再びピクリと上がる。
なるほど、ツヴァイは一言もその話題を出さなかったけど、気にしていたのね。
昨日の『薬草学実習』で、ミーアが落とし穴に落とされるという嫌がらせをされたんだけど、比較的近い場所に私がいたのが目撃されたらしく、
「マリアンセイユ・フォンティーヌがミーア・レグナンドを見捨てた」
「まさか落とし穴に落とした本人なんじゃ」
という噂が学院内でまことしやかに囁かれていたのよね。
私も「気にしない」と言えば嘘になるけど、「気にしても仕方がない」というのが本当のところ。
「アインスが『きちんと報告する』と言っておりましたから、大公宮が噂を真に受けて事実を誤認するとは思っておりませんでしたが」
「それは御心配には及びません。魔導士学院および聖者学院の管理不行き届きの可能性もあり、ディオン様自らが関係者を呼び、徹底的に調査いたしましたので」
それによると、ミーアと顔見知りの魔導士学院の生徒が植物園の奥に土魔法を使って落とし穴を作り、そこにミーアをおびき寄せて落としたと言う。
実は植物園には監視カメラ的な魔道具が設置されており、それを見ることで実習中の行動も採点していたらしい。
もともとは薬草を膨大に採取してネコババしたりしないか、自然を荒らすような行動をしたりしないか、という監視目的で設置されたものだという。
その結果、落とし穴の場所に足を踏み入れたのは魔導士学院の黒ローブの少女たちとミーア、そして声を聞きつけたアインスだけ、ということが明らかになったのだ。
「ミーアは大事には至らなかったんですの?」
「はい。ミーア殿も薬草採取の課題は終えておられましたので、アインスが助け出してディオン様の聴取を受けた後、すぐに帰宅されました」
「そう……。それにしても、ひどい悪戯をするものですわね」
平民から外れ、貴族令嬢にも受け入れてもらえない。
ミーアも辛いところよね……。下流貴族の子息にはモテモテのようだけど、それも反感を買ってしまっているようだし。
「……それで、マリアンセイユ様はそのカエルをどうなさりたいのですか?」
「あ、そうそう」
水色カエルがうなじからまたおっぱいの方に移動しようとしたので、ひょいっと摘まむ。瓶の水を新しく入れ直し、再び中に戻ってもらった。
「フォンティーヌ邸で所有する生き物事典には、このカエルは載っていませんでしたの。それで、博識そうなツヴァイに相談したいのですわ」
「何をです?」
「もっと詳しい事典がどこかにないかと思いまして。例えば大公宮の中とか。カエルのために皆様の手を煩わせる訳には参りませんので、内密に、ですが」
「さすがに大公宮所有の蔵書をお見せするわけには参りません」
ツヴァイが呆れたような声を出す。何を言い出すんだか、とでもいったところだろうか。
「……ですわよね」
「ただ……」
腕を組み、しばらく考え込んでいたツヴァイはふと思いついたように顔を上げた。
「よい機会ですので、学生寮にご案内いたします」
「学生寮?」
確か、魔導士学院と騎士学院の間には、両学院に通う生徒のための寮があるんだったわね。リンドブロムの貴族はロワネスクに邸宅を持っているので、学生寮に住んでいるのは全員平民だ。
興味はあったけど、公爵令嬢マリアンセイユ・フォンティーヌとしては立ち入ってはいけない場所なんだろうな、と遠慮していたのだけど。
こちらです、と言ってツヴァイが歩き始めたので、私も慌てて付いていった。
「学生寮に併設されている食堂と図書館は外からも入ることができ、学院の生徒なら自由に利用できるようになっているのです」
ツヴァイが隣を歩きながら説明をしてくれる。
「そうなんですの。学院の生徒ということは、それにはリンドブロム聖者学院も含まれるんですの?」
「規約上は。ですが、一番奥にある聖者学院からは少し離れていますしね。特に図書館は魔導士学院、騎士学院の生徒も利用する人間はほとんどいません」
「あら、なぜですの?」
「やはり剣技や魔法を重視するからでしょうね。それらの指南書は貴重ですので、寮の図書館には置いてありません。あそこにあるのは歴史学や生物学、天文学や経済学といった、剣技や魔法とは無縁の書物だけですから」
「そうなんですの……」
まぁ、それらの勉強は与えられているテキストだけである程度は理解できるだろうし、単位を取るだけなら必要ないかもしれないわね。
確かベン・ヘイマーが言ってたっけ。貴族は家で最低限の勉強は終わってるから、授業すら受けない、と。
つまり学問系は「最低限でよし」とされているということだから。
魔導士学院を通り過ぎると、サーカス小屋のような円筒形に円錐の屋根がついた建物が現れた。窓は一切無く、両開きの扉が一つ付いているだけ。『学院専用図書館』と看板が掲げられているけど、確かにこれじゃ入りにくいかもねぇ。
「どうして窓が無いんですの?」
「日光は書物の劣化に繋がりますから」
「なるほど……」
どうやら鍵がかけられていたようで、ツヴァイは銀色の鍵を胸元から取り出した。扉を開けて「どうぞ」と促されたので、中に入る。
細長い廊下が続いていて、その先にもう一つ扉があった。
「わたしはこちらでお待ちしておりますので、どうぞ中へ」
「護衛はよろしいんですの?」
「日中ですから、学生寮側の扉は施錠されております。ここ以外に出入口はございませんので」
「わかりました」
ツヴァイは学院の生徒じゃないから入らないのかしら、と思いながら中に入る。
中央には正方形のテーブルがいくつかと、椅子が並んでいた。恐らく本を読むための場所だろう。
ぐるりと見渡すと、本棚が円形の形でズラリと並んでいる。本棚の列は3列ぐらいあり、まるで波紋のようだ。一列目は中央のスペースと同じ高さ、二列目と三列目は少しずつ高くなっている。中央から前方と左右の三方向に通路が走っていて、一部階段状になっていた。後方は外への扉と繋がっているので、三重丸に十字が切ってあるような形だ。
「――誰? 入ってきたのは」
急に、頭上から凛とした声が飛んでくる。
驚いて声がした方向を見上げると、三列目、一番高い本棚の列から一人の少女が現れた。
ローブではない、聖者学院の制服を着ている。長い黒髪を高い位置で結わえたポニーテールにしている長身の少女。
私を見下ろしていたその切れ長の茶色い瞳が、「あら」というように見開いた。
「まぁ、これは意外な客ね!」
「クロエ・アルバード様!?」
私とクロエ様はお互いを見合わせ、ほぼ同時に声を上げた。
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