収監令嬢は◯×♥◇したいっ! ~全く知らない乙女ゲー世界で頑張ります~

加瀬優妃

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第8幕 収監令嬢はカエルを飼いたい

●ゲーム本編[3]・ミーアは黒い巨人と出会う

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 ゲーム『リンドブロムの聖女』本編その3。
 穴に落ちたミーア、いったい何が……?
――――――――――――――――――――――――

 いつもの通学用の鞄ではなく赤色のリュックサックを背負い、ミーア・レグナンドは魔導士学院の西にある植物園にやって来た。
 今日は、受講している『薬学』の授業の一環である『薬草学実習』。植物園に自生している薬草を3種類探し出し採取する、という課題が出されている。

 リンドブロム聖者学院に入学して一カ月。ミーアは相変わらず陰口を叩かれたり嫌がらせをされたりしていた。
 炎魔法の初回授業で知り合ったアンディ・カルムがそれとなくミーアを庇ってくれていたものの、彼もいつもミーアに付きっきりだった訳ではない。むしろそのせいで余計に妬まれることになった。
 彼がいないときには、クスクス嘲笑われたり、突き飛ばされたり、テキストを破られたり、と、嫌がらせは一向に収まっていなかった。

 薬草の採取は主に女性の仕事とされている。そのため貴族・平民共に男性の参加者は殆どいなかった。つまり、ミーアの盾になってくれそうな人間はこの場にいない、ということになる。
 しかしわざわざ森に入って薬草を探そうとする貴族令嬢はそうはいないだろう、今日はイジメられることも無いに違いない、と祈るような思いでこの場にやって来たミーアだったが、その淡い期待は別の意味で裏切られることになった。


 孤児院で過ごしていた頃、身を粉にして働くミーアにとても親切にしてくれていた少女がいた。名を、エレナと言う。
 当時、ミーアは裁縫の腕を見込まれ布地に花や鳥などの刺繍を施す下請けの仕事をしていたのだが、それらの布を収めていた先がエレナの両親がやっている仕立て屋だったのだ。
 半年前にエレナが魔導士学院に入学してからは会っていなかったが、この『薬草学実習』で鉢合わせした。

 ミーアは嬉しさのあまり気と頬が緩み、思わず駆け寄った……のだが。

「エレナ様、お久し……」
「まぁ、男爵令嬢サマが仕立て屋の娘に『様づけ』するなんて」

 魔導士学院の黒いローブに身を包んだエレナは、ひどく鋭い声でミーアの言葉を遮った。
 そうだ、今は立場が違ってしまったんだった、とミーアが気づいた時にはもう遅かった。

 魔導士学院は下流貴族と平民が通う魔導士のための学院だが、自分で魔導士のローブを用意することができない平民は学院で支給される真っ黒でサイズの合っていないローブを着る決まりになっている。

 一方ミーアが身につけているのは、貴族しかいない聖者学院で支給された、上等の衣を使いオーダーメイドで作られたお洒落な制服。
 杖は桃水晶を抱く銀の天使の翼の飾りがつけられていて、右耳には杖とお揃いの桃水晶のイヤリングがゆらゆら揺れている。決して高価な宝石ではないが、かといって一般市民が手に取れる品でも無かった。

 悪気は無かった、けれどエレナの自尊心を傷つけてしまったかもしれない、とミーアは自分の軽はずみな行動を悔いた。
 案の定、エレナは口を歪に曲げ、ミーアの制服姿を頭から爪先までジロジロと眺めている。

「素敵な制服ね。それで見返したつもり? 不幸な境遇に同情して随分あなたに優しくしてあげたつもりだったんだけど、お嫌だったのかしら? 私は滑稽だった?」
「そんな……」
「『聖女の再来』なんて言われてるんですってね。すごいわー」

 ミーアが城下町で騒がれ、男爵令嬢になったのはエレナが魔導士学院に入学した後のこと。
 風の噂でそのことを知ったエレナの胸中は穏やかではなかった。

 孤児院育ちだから可哀想、親切にしてあげないと。私ってなんて優しいのかしら。

 そう見下し、自分の虚栄心のためだけに彼女に親切にしていたエレナは、ひどく裏切られた気持ちになってしまったのだった。

「あの……」
「貴族サマとお話することなんて、何もございませんわ。ごめんあそばせ」

 わざと令嬢口調で言い切ると、エレナは一瞬だけ視線を投げかけ、すぐにくるりと背を向けてしまった。近くにいた仲間たちを促し、さっさとその場を離れてしまう。
 その中には、孤児院に住んでいた頃のミーアに時々声をかけてくれた女の子もいた。目が合うと微笑んでくれた子も。
 しかしその誰も、そのときと同じ表情はしていなかった。

 ミーアの居場所は、もうどこにも無かった。


   * * *


「あの……ミーア」

 ミーアが一人で薬草探しをしていると、辺りを窺うようにしながら一人の少女が声をかけてきた。
 エレナのすぐ近くにいた、かつてミーアとも話をしたことのあるマチルダという女の子だった。

「マチルダ……」
「さっきはごめんなさい。私、エレナには逆らえなくて」

 内気な少女、マチルダが申し訳なさそうに目を伏せ、小声で言う。
 ミーアはぶんぶんと首を横に振ると

「いいの、私が考え無しだったんだから。ごめんなさい、マチルダ」

と言い、どうにか笑顔を作った。
 マチルダに罪は無かったが、抉られた傷はすぐに癒されるものではなく、ミーアも心の底からは笑えなかった。

「ミーア、薬草は集まった?」
「えー……と、ううん、まだ」

 本当はすでに3種見つけ終わっていたが、まだ昼前。嫌味に聞こえるかもしれない。せっかく勇気を出して話しかけてくれたのに会話が終わってしまう、とミーアは嘘をついた。

「あの、ね。あっちで見たことのない葉を見つけたの。行ってみない?」

 マチルダがぐいっとミーアの手を引き歩き始める。まだ返事もしてないのに、とミーアは考えたが、
「エレナに見つかる前に教えたいのかもしれない」
と思い直し、マチルダの後に付いていった。

 樹々を抜けると、小川のさらさらという音がどこからともなく聞こえる、少し開けた場所。
「あれよ」
と声を上げたマチルダがタタタッと先に走ってゆき、地面に生えた青緑色の葉の一つを指差す。
 しかし、薬草とは多くの草木から栄養素を吸収し、突然変異して生まれるもの。見たところ、マチルダが指差した辺りは同じ種類の草木しか生えていないし、それが薬草である可能性は限りなく低い。

「それは……――っ!?」

 違うんじゃ、と言いかけたミーアの顔に、何かがペタッと張り付いた。急に視界が暗くなって叫び声が出そうになったが、どうにか唾を飲み込む。
 何だかフゴフゴ音がしている。ひんやりとして少し生臭い。

「いやあ、何それ!」

 マチルダの叫び声が聞こえた。ダダダッと遠くへ走っていく音が聞こえる。何事かと自分の顔からペリッと剥がしたソレを見て、ミーアは今度こそ叫び声を上げた。

「キャ――!!」

 手にしたのは、水色のカエル。つるん、ぐにょんとした手触りが気持ち悪い。思わず後ろに放り投げ、逃げるように走り出してしまう。
 その途端、ミーアの足元から土の感触が消えた。

 地面が割れた、とミーアは感じた。バキッと小枝が折れる音が聞こえ、真っ黒な穴に呑み込まれていく。
 それは土の魔法を駆使して作られた落とし穴だった。気づいた時には視界はすべて土で、ミーアは騙されたことを知った。ドスンと自分の足の上に尻餅をつき、足首から『グキッ』という嫌な音が聞こえる。落ちた振動で土がこぼれ、ミーアの頭の上からボロボロと落ちてくる。

「うぅ……」

 呻くミーアの耳に、遠くの方から笑い声が聞こえる。

「いい気味!」
「せっかくの制服も泥だらけ~、あははっ!」
「それよりあの変な生き物、何?」
「びっくりしたよねー。どこ行ったんだろ?」

 何人かの少女の声。その中には、間違いなくエレナとマチルダもいた。
 何とも言えず悲しくなり、涙がこぼれそうになる。

 水色のカエルは、恐らくマチルダも知らないアクシデント。だけど薬草を餌に、まんまとこの落とし穴まで誘導されたのだ。
 頭上を見上げる。冷たい土の穴から見える青い空は、ただただ悲しい。

 どうしてこんなことをされないといけないんだろう。
 男爵令嬢の娘に生まれたのは、私のせいじゃない。癒しの力だって、私が望んだことではないのに。

 足の痛みが心の痛みを代弁して訴えてくれているような気がして、ミーアは挫いた足を治療魔法で治す気には到底なれなかった。ただぼんやりと、丸く切り取られた青い空を見上げる。
 やがて地中に響くほどの足音が聞こえたと思うと、にょきっと一人の男が顔を出した。随分と強張った顔をしている。

「大丈夫ですか!? ……え、ミーア・レグナンド様!?」
「あ、はい!」

 そうだ、マリアンセイユ様に付いていた近衛武官だ、と気づいてミーアは慌てて返事をした。

「お怪我はありませんか? 頭とか……」
「大丈夫です……が、足を挫いてしまって……」

 治癒魔法はどうした、と言われるかもしれないと気づいて、思わず口をつぐむ。
 その様子をどう勘違いしたのか、近衛武官は「申し訳ありません!」と大きな声で謝った。

「わたし一人では助け出すのは無理そうです。一度学院に戻って助ける手立てを募ります。それまで一人で大丈夫ですか?」
「は、はい!」

 この人は何も悪くないのに謝らせてしまった、と思ったミーアはなるべく元気な声で返事をした。少し安心したらしい近衛武官がホッと息をつき、「では!」と声をかけて穴から消える。

 大丈夫じゃないです、心が。
 誰かにそう言えたら、どれだけ楽だろう……。

 痛む足を擦りながら俯く。涙が零れ落ちそうになり慌てて右手でそっと目頭を押さえると、穴から差す光が急に消えた。
 頭上から落とされた影……ヒヤッとした空気。
 ミーアはハッとして顔を上げた。そのまま、鎖で縛られたかのように身体が硬直してしまう。

 穴から覗いていたのは、ギロリとした巨大な濃紺の瞳、しかも右目だけ。なのにその眼と黒い頬だけで、完全に穴を塞いでしまっている。

「ひっ……!」

 反射的に後ずさるが、穴の中に逃げ場など無い。すぐにドン、と土の壁に背がついて焦って辺りを見回す。
 ミーアは恐る恐る再び顔を上げた。

 不思議なことに、禍々しいオーラは感じない。しかし普通の人間とはとても思えない、巨大な顔。圧倒的な魔精力オーラ
 恐らくミーアでなければ、その魔精力オーラにやられて正気を失っていたに違いない。

『なんだ、人間の娘か』
「ふぅ……っ!」

 頷いたつもりが、身体が固まってしまい首が動かない。ガシャンという鉄の鎧の音が鈍く響き渡る。

『娘、カエルに会ったか』
「は、はいっ!」

 奥歯をガチガチ言わせながら、ミーアはどうにか返事をした。

『どこへやった?』
「わ、わかりません……っ! お、驚いて、思わず投げて、しまって……!」

 嘘をつく余裕が無かったミーアは、正直に答える。
 黒い巨人はチッと舌打ちようなものを打つと
『ん? あっちか……?』
と不意に顔を上げた。その隙間から、さあっと太陽の光が落とし穴の底にいるミーアを照らす。

『……ふん』

 ミーアを一瞥すると、黒い巨人はそのまま遠ざかっていった。ホッと息をついたミーアの目に、巨人の背が一瞬だけ映る。
 折り畳まれた、鈍く光る黒い蝙蝠のような翼。屈強な肉体を覆う真っ黒な鎧から突然生えたような、不思議な丸み。

「――王獣、マデラギガンダ……っ!」

 ミーアの恐怖に引き攣った声が、落とし穴の中で響いていた。
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