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第3幕 収監令嬢は屋敷を調べたい
第4話 中が駄目なら外よね
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明け方、ラグナと共に緑の中を駆け抜ける。空には、東に赤い太陽が昇り始め、西には白い月が沈んでいこうとしている。
まだまだ空は藍色で、月明かりをより強く感じる薄暗い朝。広大な牧場にそって流れる川と、その行き着く先を眺める。
「ふうん、川はここから森の奥に入ってるのね……」
ラグナから降り、鞄から紙を取り出す。どこまでが草地でどこからが森林になっているのか、だいたいのラインを描いていく。
やっぱりマップは大事よね。お屋敷だけじゃなく、フィールドマップだってちゃんと描いておかないと。秘密の洞穴とか見つかるかもしれないし。
そう考えて、現在私が住んでいる黒の家から始めて、川や森、牧場がどういう風に広がっているのか、そしてお屋敷の周りはどうなっているのかを調べながら、少しずつ描き進めている。
まぁ今のところ、残念ながらそういうイベントが起こりそうな場所は何も見つかってないけど。
アイーダ女史に
「森の奥には絶対に入ってはいけません」
と言われてるからさあ。ぱあっと見回して分かる程度しか書けないのよね。
それに森の奥には魔物がいるって言うし。さすがに遭遇したら、今の私の実力じゃ為すすべもなく終わりだわ。
でも、いつかは足を踏み入れるようになりたいな。オルヴィア様がかつてそうしていたように。
それにねー、結局あの図書室には隠された扉みたいなのは無かったんだよね。
ほら、本棚の中のある特別な本を押し込むとカチッとスイッチが入って本棚がゴソッとスライドして扉が現れる、とかあるじゃない?
だけど、そもそもあの図書室にはもう本は並んでないし。じゃあ本棚自体を手動で動かすのかしら、とズラそうとしてみたものの、ビクともしないし。
魔精力は確かに感じるのに、どうしても奥に行けない。
そして置かれていた初代フォンティーヌ公爵の日記も読み終わって、これ以上新しい情報は手に入らない。
まぁ要するに、手詰まり、となった訳です。
こうなると、同じ場所でウロウロしていても新規のイベントは起こりそうにないしね。だからお屋敷の外に目を向けることにした、という訳。
あの図書室に行ったことが一つのフラグになってるなら、どこかで何かが起こっててもおかしくないんじゃないかな、と思うんだけど。
“……キュウ……”
「……ん?」
風に乗って、変な鳴き声が聞こえてくる。マップを描く手を止めて辺りをキョロキョロ見回してみたけど、それらしき動物はどこにもいない。
まさか、森の奥かな。野生の動物や――魔物もいるって、ニコルさんは言ってたけど。
“アシ……イタイ……”
「えっ!」
今度ははっきり言葉が聞こえた!
子供の声だ。五、六歳ぐらいの、男の子の声。
足を怪我してるの? まさか森の中で迷子になって、動けなくなってるんじゃ?
「ラグナ、行くよ!」
私は持っていた紙を鞄につっこむと、慌ててラグナに跨った。
だけど、私が乗るとすぐに走り出すはずのラグナが
「ブルル……」
と首を振り、駆け出すのをためらっている。
「急いで! あっち、西の方よ! 助けなきゃ!」
手綱をグンと引っ張り、目的地に体を向けさせる。
私の声に、ラグナは何回か蹄を鳴らしたものの、渋々走り始めた。
声と共に漂ってきた、か細い魔精力の気配。その糸を辿るように、西の方角へ――森へと近づく。
普通に考えて、あんな小さな声が私の耳に届く訳がない。
だけど魔精力に乗せて、必死になってSOSを絞り出しているのかもしれない。子供だとちゃんとは使えないことが多いって、アイーダ女史が言ってたし。
牧場にはフォンティーヌ家に雇われている人が家族ぐるみで住んでいる。その家の子かも。
森に近づくにつれ、その魔精力は徐々に濃さを増していった。自然からも生き物からもちょっと感じたことのない気配だ。
ひょっとして、すごい力を持ってる子なのかな。ピンチになって急に目覚めたのかも。だったらなおさら保護しなきゃ。マリアンセイユみたいに暴走なんてことになったら大変だ。
しかし森の手前で、ラグナは急ブレーキをかけて止まってしまった。怒ってもなだめても、それ以上進もうとしない。
この先には行きたくないという意志だけが、強烈に伝わってくる。
森に入ると開拓されてない堅い地面が続く。大きめの石もゴロゴロしてるから、確かにラグナの足には良くない。
「わかった、ここで待ってて。絶対よ!」
子供を救出したら一刻も早く運ばないといけない。
ラグナの背から降りながら強めの口調でそう言うと、カッカッとやや後じさったものの、
「……ヒヒン」
と小さく返事をした。
「頼んだわよ!」
最後にもう一度ラグナに声をかけ、生い茂る草木をかき分けて森の中に入る。
幸い、そんなに奥ではなさそうだ。
“ツキ……モウ……”
苦しそうな声が聞こえてくる。
「大丈夫!? 今行くからね!」
私は創精魔法は使えない。自分の言葉をどうやって魔精力に乗せて伝えればいいか分からない。
だけど自分の言葉を私のところまで届けられたのだから、私の言葉も聞こえるかもしれない、と必死に叫ぶ。
“キャッ!? ニンゲン!?”
どうやら届いたようだ。驚いたような声がはっきりと聞こえてきた。かなり近くにいるようだ。
「そう、安心して! 今そこに行くから!」
返事をして一歩踏み込むと、ムワッとした土埃の混じった風が私を取り巻いた。
……いや、これは風じゃなくて魔精力そのものなのかも。
こんなの感じたことが無い。いったい何が起こってるんだろう?
ちょっと待って……まさかこれは、魔物の魔精力?
男の子が、魔物に襲われてるんじゃ?
一瞬、ゾクリと悪寒が走った。ピタリと足が止まる。
感じたことのない魔精力の気配。これが私の予想通り、魔物のものだとして。
その魔物から、どうやって子供を助ければいい?
魔物……そうだ、生き物なら火をぶつけられれば一瞬は怯むはず。
鞄の中身をまさぐり、魔燈を取り出して右手に握る。急に額から吹き出た大量の汗を、左手で拭う。それでもまだ、私のこめかみから頬へと一筋、汗が流れ落ちていく。
心臓がバクバクしている。深呼吸をして、一度目を閉じる。
――万物の命の源、どこまでも清くどこまでも透き通る水の流れ。その導きたるは清廉なる女神の涙。たゆたう魔の精なる力よ、盟約の言の葉により我の下に現れよ。我に集いて力となれ。
――万物の情愛の源、どこまでも熱くどこまでも精悍なる炎の舞。その導きたるは深淵なる女神の鼓動。たゆたう魔の精なる力よ、盟約の言の葉により我の下に現れよ。我に集いて力となれ。
水と火の詩の詠唱。発動呪文は唱えてないから何も起こらない。
だけどこれで、下準備はできた。
水に触れ、魔燈の炎に触れれば、あとは発動呪文の詠唱だけで出せるはず。正式手順じゃないから、小規模なものしか無理だろうけど。でも、魔物の気を逸らすぐらいはできるに違いない。
最後にもう一度深呼吸してから、立ち並ぶ木々の間をすり抜けた。
丸くポッカリと開いた広場のような場所に出る。丈の長い草がところどころに生えてはいるものの、木はすべて伐採されていて切株があちこちに見える。
その中央には、石造りの円柱のようなものが地面から突き出していた。
井戸、かな。そう言えば、大昔この地を開墾するために水源の確保がどうたらこうたらとか、アイーダ女史が言っていた気がする。
魔精力はこの井戸から立ち昇っている。間違いない。
でも、おかしい。ひどく静かで、争っているような気配はしない。さっきまで聞こえてきた声も、そう言えば全く聞こえない。
まさか……手遅れだった?
嘘よね、信じたくない。
「来たよ。……無事?」
恐る恐る、井戸の中を覗き込む。
思ったより深く暗いので魔燈を擦り、
「“炎よ、此処に舞い踊れ”」
と火の呪文を小声で唱え、手の平の上に再生する。
想像よりずっと深い井戸の底にあったのは――お城の石垣のような光沢のある灰色の塊。よく見ると、モップのような毛の流れが見える。
私の声に反応して、灰色の毛玉がブルルと震えた。中から尖った耳と碧色に光る瞳、大きく裂けた口が現れる。
グワッと牙をむく。犬……というより、これは狼だ。
「……キュウ」
“……ミツ、カッタ”
獣の口が動いて、苦しそうな鳴き声が漏れる。
それと同時に聞こえてきたのは……さっきまで聞こえていた、子供の声。
何てことだ。子供なんていなかった。
この灰色の狼が、私に言葉を伝えてたんだ。
まだまだ空は藍色で、月明かりをより強く感じる薄暗い朝。広大な牧場にそって流れる川と、その行き着く先を眺める。
「ふうん、川はここから森の奥に入ってるのね……」
ラグナから降り、鞄から紙を取り出す。どこまでが草地でどこからが森林になっているのか、だいたいのラインを描いていく。
やっぱりマップは大事よね。お屋敷だけじゃなく、フィールドマップだってちゃんと描いておかないと。秘密の洞穴とか見つかるかもしれないし。
そう考えて、現在私が住んでいる黒の家から始めて、川や森、牧場がどういう風に広がっているのか、そしてお屋敷の周りはどうなっているのかを調べながら、少しずつ描き進めている。
まぁ今のところ、残念ながらそういうイベントが起こりそうな場所は何も見つかってないけど。
アイーダ女史に
「森の奥には絶対に入ってはいけません」
と言われてるからさあ。ぱあっと見回して分かる程度しか書けないのよね。
それに森の奥には魔物がいるって言うし。さすがに遭遇したら、今の私の実力じゃ為すすべもなく終わりだわ。
でも、いつかは足を踏み入れるようになりたいな。オルヴィア様がかつてそうしていたように。
それにねー、結局あの図書室には隠された扉みたいなのは無かったんだよね。
ほら、本棚の中のある特別な本を押し込むとカチッとスイッチが入って本棚がゴソッとスライドして扉が現れる、とかあるじゃない?
だけど、そもそもあの図書室にはもう本は並んでないし。じゃあ本棚自体を手動で動かすのかしら、とズラそうとしてみたものの、ビクともしないし。
魔精力は確かに感じるのに、どうしても奥に行けない。
そして置かれていた初代フォンティーヌ公爵の日記も読み終わって、これ以上新しい情報は手に入らない。
まぁ要するに、手詰まり、となった訳です。
こうなると、同じ場所でウロウロしていても新規のイベントは起こりそうにないしね。だからお屋敷の外に目を向けることにした、という訳。
あの図書室に行ったことが一つのフラグになってるなら、どこかで何かが起こっててもおかしくないんじゃないかな、と思うんだけど。
“……キュウ……”
「……ん?」
風に乗って、変な鳴き声が聞こえてくる。マップを描く手を止めて辺りをキョロキョロ見回してみたけど、それらしき動物はどこにもいない。
まさか、森の奥かな。野生の動物や――魔物もいるって、ニコルさんは言ってたけど。
“アシ……イタイ……”
「えっ!」
今度ははっきり言葉が聞こえた!
子供の声だ。五、六歳ぐらいの、男の子の声。
足を怪我してるの? まさか森の中で迷子になって、動けなくなってるんじゃ?
「ラグナ、行くよ!」
私は持っていた紙を鞄につっこむと、慌ててラグナに跨った。
だけど、私が乗るとすぐに走り出すはずのラグナが
「ブルル……」
と首を振り、駆け出すのをためらっている。
「急いで! あっち、西の方よ! 助けなきゃ!」
手綱をグンと引っ張り、目的地に体を向けさせる。
私の声に、ラグナは何回か蹄を鳴らしたものの、渋々走り始めた。
声と共に漂ってきた、か細い魔精力の気配。その糸を辿るように、西の方角へ――森へと近づく。
普通に考えて、あんな小さな声が私の耳に届く訳がない。
だけど魔精力に乗せて、必死になってSOSを絞り出しているのかもしれない。子供だとちゃんとは使えないことが多いって、アイーダ女史が言ってたし。
牧場にはフォンティーヌ家に雇われている人が家族ぐるみで住んでいる。その家の子かも。
森に近づくにつれ、その魔精力は徐々に濃さを増していった。自然からも生き物からもちょっと感じたことのない気配だ。
ひょっとして、すごい力を持ってる子なのかな。ピンチになって急に目覚めたのかも。だったらなおさら保護しなきゃ。マリアンセイユみたいに暴走なんてことになったら大変だ。
しかし森の手前で、ラグナは急ブレーキをかけて止まってしまった。怒ってもなだめても、それ以上進もうとしない。
この先には行きたくないという意志だけが、強烈に伝わってくる。
森に入ると開拓されてない堅い地面が続く。大きめの石もゴロゴロしてるから、確かにラグナの足には良くない。
「わかった、ここで待ってて。絶対よ!」
子供を救出したら一刻も早く運ばないといけない。
ラグナの背から降りながら強めの口調でそう言うと、カッカッとやや後じさったものの、
「……ヒヒン」
と小さく返事をした。
「頼んだわよ!」
最後にもう一度ラグナに声をかけ、生い茂る草木をかき分けて森の中に入る。
幸い、そんなに奥ではなさそうだ。
“ツキ……モウ……”
苦しそうな声が聞こえてくる。
「大丈夫!? 今行くからね!」
私は創精魔法は使えない。自分の言葉をどうやって魔精力に乗せて伝えればいいか分からない。
だけど自分の言葉を私のところまで届けられたのだから、私の言葉も聞こえるかもしれない、と必死に叫ぶ。
“キャッ!? ニンゲン!?”
どうやら届いたようだ。驚いたような声がはっきりと聞こえてきた。かなり近くにいるようだ。
「そう、安心して! 今そこに行くから!」
返事をして一歩踏み込むと、ムワッとした土埃の混じった風が私を取り巻いた。
……いや、これは風じゃなくて魔精力そのものなのかも。
こんなの感じたことが無い。いったい何が起こってるんだろう?
ちょっと待って……まさかこれは、魔物の魔精力?
男の子が、魔物に襲われてるんじゃ?
一瞬、ゾクリと悪寒が走った。ピタリと足が止まる。
感じたことのない魔精力の気配。これが私の予想通り、魔物のものだとして。
その魔物から、どうやって子供を助ければいい?
魔物……そうだ、生き物なら火をぶつけられれば一瞬は怯むはず。
鞄の中身をまさぐり、魔燈を取り出して右手に握る。急に額から吹き出た大量の汗を、左手で拭う。それでもまだ、私のこめかみから頬へと一筋、汗が流れ落ちていく。
心臓がバクバクしている。深呼吸をして、一度目を閉じる。
――万物の命の源、どこまでも清くどこまでも透き通る水の流れ。その導きたるは清廉なる女神の涙。たゆたう魔の精なる力よ、盟約の言の葉により我の下に現れよ。我に集いて力となれ。
――万物の情愛の源、どこまでも熱くどこまでも精悍なる炎の舞。その導きたるは深淵なる女神の鼓動。たゆたう魔の精なる力よ、盟約の言の葉により我の下に現れよ。我に集いて力となれ。
水と火の詩の詠唱。発動呪文は唱えてないから何も起こらない。
だけどこれで、下準備はできた。
水に触れ、魔燈の炎に触れれば、あとは発動呪文の詠唱だけで出せるはず。正式手順じゃないから、小規模なものしか無理だろうけど。でも、魔物の気を逸らすぐらいはできるに違いない。
最後にもう一度深呼吸してから、立ち並ぶ木々の間をすり抜けた。
丸くポッカリと開いた広場のような場所に出る。丈の長い草がところどころに生えてはいるものの、木はすべて伐採されていて切株があちこちに見える。
その中央には、石造りの円柱のようなものが地面から突き出していた。
井戸、かな。そう言えば、大昔この地を開墾するために水源の確保がどうたらこうたらとか、アイーダ女史が言っていた気がする。
魔精力はこの井戸から立ち昇っている。間違いない。
でも、おかしい。ひどく静かで、争っているような気配はしない。さっきまで聞こえてきた声も、そう言えば全く聞こえない。
まさか……手遅れだった?
嘘よね、信じたくない。
「来たよ。……無事?」
恐る恐る、井戸の中を覗き込む。
思ったより深く暗いので魔燈を擦り、
「“炎よ、此処に舞い踊れ”」
と火の呪文を小声で唱え、手の平の上に再生する。
想像よりずっと深い井戸の底にあったのは――お城の石垣のような光沢のある灰色の塊。よく見ると、モップのような毛の流れが見える。
私の声に反応して、灰色の毛玉がブルルと震えた。中から尖った耳と碧色に光る瞳、大きく裂けた口が現れる。
グワッと牙をむく。犬……というより、これは狼だ。
「……キュウ」
“……ミツ、カッタ”
獣の口が動いて、苦しそうな鳴き声が漏れる。
それと同時に聞こえてきたのは……さっきまで聞こえていた、子供の声。
何てことだ。子供なんていなかった。
この灰色の狼が、私に言葉を伝えてたんだ。
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