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第2幕 収監令嬢は痛みを和らげたい
第7話 お兄様を攻略しちゃうよん!
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「お、お前、本当にマリアンセイユか?」
「ええ。初めまして、お兄様」
ドレスの裾を持ち、何千回と練習した貴族令嬢の挨拶をする私を、ガンディス子爵が頭のてっぺんからつま先までジロジロと眺める。
今日の衣装は、赤紫と白のコントラストが美しく、黒いフリルがたくさんついたドレス。胸元は白で、肩から袖、アンダーバストから下は赤紫色。腰は太めの布でキュッとしめられていて、かなり胸元を強調した形。黒いフリルの付いたリボンが締められていて、その緒が赤紫色のスカートと共にふんわりとたなびいている。
前の赤いドレスと比較すると、可愛らしさを強調したデザイン。徹底的に妹キャラでいきましょう、ってことだね。
ただコレ、どこぞのウエイトレスの制服を彷彿とさせるなぁ。
「……初めまして?」
さて、そんな私を胡散臭そうに見下ろすお兄様は、金色の髪を短く角刈りにしてゴツい革鎧を纏った、
「こんな貴族令息って存在するのかしら?」
と首を傾げたくなるぐらい厳《いか》つい大男。まるで傭兵みたい。
それに妹を訪問するのに、何で鎧姿なんだろう? まぁ、ガシャンガシャンみたいな鋼の鎧で来られるよりはマシだけど。
「わたくしは、眠りにつく前の記憶が全くないのです」
「そうなのか?」
え、そんな基本情報すら知らないの? どれだけ興味なかったんだ。
「はい。ですからこの一年、魔精力の制御だけでなく、上流貴族の一般常識からアイーダ女史に教えていただく日々でした。ですのでお兄様のことも全く覚えておらず、誠に申し訳ありません」
深々と頭を下げる。
「わたくしを本邸に戻そうと父上にご尽力いただいたと聞いております。ですが、わたくしはまだまだ修行中の身。この地で身につけなければいけないことも多く、お兄様のご厚意にお応えできないのが、本当に心苦しく思っております。本日も、わたくしが出向いて然るべきところなのに……こんな場所まで足を運んでいただき、誠にありがとうございます」
――過去にお兄様がマリアンセイユを冷遇していたことは知りません。
そういうテイで、ひたすらお詫びをし、そして感謝を述べる。
さあ、何も知らない妹にオニーサマはどうする?
「あ……うむ……」
気が引けるのか、ガンディス子爵は私から目をそらしコホンと咳払いをしている。心なしかやや猫背だ。
話に聞いていたようなイライラもしていないみたいだし、見下したような視線も感じない。
どうやら過去は無かったことにするみたいだ。よし、第一関門はクリア。
私達の仲は悪くない、この前提に乗っかってくれるだけでもだいぶん違う。
ひょっとすると、ガンディス子爵も自分で「大人げない」と思っていたのかもしれない。
母親を失った六歳の記憶のまま、マリアンセイユを遠ざけていたこと。
「十分、美しく成長していると思うがな」
「ありがとうございます」
精一杯の令嬢スマイルを披露すると、ガンディス子爵は「おや?」という顔をした。私の背後に控えているヘレンとアイーダ女史を交互に見やる。
「お前――本当にマリアンセイユか?」
「勿論です。何故です?」
「いや……」
ふうん、さすが剣術の達人だけはある。漂う雰囲気で、感覚的に以前とは別人だと見抜いてるんだ。
「記憶がございませんから――ある意味、別人かもしれません」
「ああ……なるほどな」
どうにか納得したらしい。やっぱりなかなか素直な性質のようだ。
「あの、お兄様。わたくし、お兄様に見てもらいたいものがあるのですが」
「ん? 何だ?」
「こちらです」
言いながら、私は旧フォンティーヌ邸の正面の扉を指した。
私たちが対面したのは、旧フォンティーヌ邸の大広間。さすがに私が住んでいる一戸建ては三十畳一部屋しかない状態だから、お客様を迎えられる感じじゃない。
だけどここなら、三か月前の執事長たちの訪問時にいくつか調度品を入れたからね。だからまずはここで会うことになったのだ。
「お兄様。ほら、早くいらしてください!」
私の五倍ぐらいの太さのある腕を掴み、ぐいぐい引っ張って歩き出す。
どうです、オニーサマ。美しく成長した妹に懐かれるのは、悪い気はしないでしょう?
そう思いながらちらりと視線を送ると、やっぱりまんざらでもなさそうだ。腕を振り払おうともしないし、何だかきまり悪そうな顔をしている。
「おい、そう引っ張るな。騒々しい」
「ごめんなさい、でも……」
両開きの深い緑色の扉を開け、外に出る。
そこには月毛のラグラナロクムーンと、ラグナより一回り大きな黒い馬。たてがみも尻尾もすべて黒で、ビロードのような毛並みが本当に綺麗。
そして二頭の馬を連れてきてくれた、ニコルさんもいた。
「ガンディス様、お久しぶりでございます」
「ニコル……これ、グングニルダガーか?」
ガンディス子爵は私の腕をふりほどき、驚いたように目と口を開いてふらふらと黒い馬に近づいていく。
グングニルダガー――オルヴィア様が乗っていた愛馬、グングニルランスの子供。
十六年前、幼いガンディス子爵がこの地に来て可愛がっていた、黒い仔馬の成長した姿。
マリアンセイユを妊娠するまで、オルヴィア様は時折この地を訪れていた。
まだ幼かった、ガンディス子爵を連れて。
上流貴族の子息令嬢は、生まれたら乳母達の手で育てられる。母親と言えど、一日のうちで会えるのはほんの数時間。
だけどこの地に来れば、母子と数えるほどのメイドのみ。私が住んでいるあの黒い扉の小さな家は、そんな母と子が毎日一緒に過ごせる、夢の城でもあったのだ。
そんな場所に、いま私は我が物顔で住んでいる。
大切な思い出の場所を奪ったのかもしれないと――そのことだけは、ガンディス子爵に申し訳ない気持ちになったんだよね。
だから、それならせめて「思い出はちゃんと残っているよ」って教えてあげたかった。お母様を失った痛みが、少しでも和らぐように。
「覚えておいでですか」
「当たり前だ! お前……こんなに立派になったのか!」
「ヒヒーン!」
グングニルダガーが元気に啼く。
ガンディス子爵の顔がクシャッと崩れて、少年のような笑顔になった。顔を撫で、首を撫で、嬉しそうに抱きつく。
「しかし、どうしてニコルとグングニルダガーがここに?」
「マリアンセイユ様に頼まれましてな」
「なぜマリアンセイユがニコルを知ってるんだ?」
ガンディス子爵が驚いたように私を見る。
これなら大丈夫、第二段階もクリアね、と思いつつ、申し訳なさそうに微笑む。
「お父様には……内緒にしてくださいます?」
「何だ?」
「わたくし、ニコルさんから乗馬を習っておりますの。これがわたくしの馬、ラグナロクムーンです」
クリーム色の身体を撫で、ラグナに寄り添う。
ガンディス子爵は今度こそ本当に目を見開くと、口を大きく四角に開けた。
「乗馬!? お前がか!?」
「ええ」
「なぜ!?」
「母上のような、真の魔導士になりたいからですわ」
私の答えに、ガンディス子爵はひゅっと息を呑んだ。
* * *
乗馬服に着替えた私はラグナに乗り、グングニルダガーに乗ったガンディス子爵と共に黒い家までの道を駆けてゆく。
「お、お兄様……さすがに、は、早いですわ……」
「ほら、上半身のバランスが崩れているぞ。それじゃ馬の方が負担に感じる」
「す、すみません……」
オニーサマ、嫌わなくなったのはいいですけどもう少し可愛い妹を気遣ってもらえませんか。
早く行きたいのは分かるけどさ!
でもさすが、聖女騎士団の副団長として野山を駆け巡っているだけはある。フォンティーヌ隊はこの公爵子息が直接出張って仕切ってるのもあって、相当厳しいらしいけど。
同情するよ、フォンティーヌ隊の皆さん。
あああ、それにしてもやっぱり胸が痛い!
「何だ、苦しいのか? やはり病気なんじゃないだろうな」
「違い、ます……」
「しかし息が上がっているが」
「それはお兄様のペースがあまりにも早いからです!」
思わず言い返すと、ガンディス子爵は「ははは」と声に出して笑った。手綱を引き、速度を少し緩める。
カポッカポッと歩くぐらいのペースになり、ホッとして息をつく。
「本当に病気じゃないんだろうな?」
「違います」
「真の魔導士を目指す前に、お前が目指すべきは立派な大公妃だ。体を鍛えることは悪いことではないが、ずっと寝たきりだったお前がそんな急に……」
「だから違います、私は元気なんです!」
「しかしそんな苦しそうに胸を押さえて……」
「これはですね、胸が揺れて痛いんです!」
あああ、しつこい!
と思った瞬間、叫んでしまった。やっちゃった、もう少し懐柔してから切り出そうと思ったのに。
だけどガンディス子爵は「はあ?」と声を上げたものの、一応私の言葉を待ってくれているようだ。
失敗したと思ったけど、意外にいいタイミングかもしれない。
「胸が上下に揺れると、ひどく痛いのです。聖女騎士団の女性の方々は布を巻いて動かないようにしているそうですが」
「あ……まぁ」
「しかし私は同じようにする訳には参りません。ドレスを着た時の胸の形が悪くなってしまいます」
「う……む」
微妙な話題なのか、相槌が曖昧だ。
「手に入るブラジャーは乗馬の振動に耐えられるようなものではなく……かといって乗馬のために革鎧をオーダーメイドするなんて、父上はきっと許してくれません」
「まぁ、そうだろうな」
そこまで話したところで、ちょうど黒い家に着いた。二人とも馬から降り、とりあえず一息つく。
私はそっと、ガンディス子爵の革の鎧に触れた。
獣の爪が掠ったような線がいくつかある。だけど使いこなされて鈍く光る、ガンディス子爵のごつい身体によく馴染んだ革鎧。
「鎧の革は、かなり厚いのですね」
「それはそうだ。身を護るための物だからな」
フンと鼻息を荒くする。
「乗馬のために革鎧を着るなど、俺にしたら馬鹿馬鹿しくて聞いてられないが」
あら、だいぶん遠慮がなくなってきたわね。いい傾向だ。
ニヤリと笑いたくなるのを堪え、申し訳なさそうな顔をする。
「そうですわね。申し訳ありません」
「謝る必要はないが」
「……でも、ここまで頑丈でなくてもいいので、胸を守ってくれるような物はないだろうかと考えておりますの」
ヘレンが言っていた。布では無理でも、革なら胸を綺麗に包む形が作れるかもしれない、と。
革には水で濡らして曲げるとその形状が固定される性質があるから、比較的簡単に胸の形に合わせられるって。
揺れを抑えてくれればいいだけだから、貴族の鎧に使われるような分厚い上等な部分ではなく、むしろ使い物にならないと捨てられるぐらいの薄い柔らかい革。
それならば加工もしやすく、重ねれば強度も上げられる。そして、革は使えば使うほど体に馴染む。
「……胸を守る?」
「柔らかめの革で形を作って、下着に縫い込みますの。そうすれば多少動いても抑えてくれますし、またアンダーからしっかり持ち上げれば、加齢による垂れなども補ってくれるのでは」
こっちはアイーダ女史の案ね。年齢を重ねるとデコルテ部分の肉が下に下がり、反ったようなラインになって胸は垂れてしまう。ドレスを着たとき、年齢を感じさせるのは首と胸。大きく丸い胸が、張りのある肌の象徴だというのに。
普段から持ち上げるようにしていれば、それを少しでも避けられるのではないか、と。
「……ふうむ」
ガンディス子爵は、思いのほか真面目な顔で頷いた。何か心当たりでもあるんだろうか。
「で? 具体的には何を望む?」
そういえばセルフィスが言ってたわね。即断即決、経営面は奥さんに丸投げでも、カリスマ性のある頼れる領主だと。
「ギルマン領のアルキス山地では大量の鹿が生息すると聞いています。野山の草を食べるだけではなく農作物の被害もあるとか」
「よく知ってるな。確かにここのところ捕獲数は増えている」
「鹿の革がブラジャーに使えないか、と考えているのですが」
「はぁ!?」
それはかなり想定外のことだったようで、ガンディス子爵は今度こそ顎が外れんばかりに口を大きく開けた。
「ええ。初めまして、お兄様」
ドレスの裾を持ち、何千回と練習した貴族令嬢の挨拶をする私を、ガンディス子爵が頭のてっぺんからつま先までジロジロと眺める。
今日の衣装は、赤紫と白のコントラストが美しく、黒いフリルがたくさんついたドレス。胸元は白で、肩から袖、アンダーバストから下は赤紫色。腰は太めの布でキュッとしめられていて、かなり胸元を強調した形。黒いフリルの付いたリボンが締められていて、その緒が赤紫色のスカートと共にふんわりとたなびいている。
前の赤いドレスと比較すると、可愛らしさを強調したデザイン。徹底的に妹キャラでいきましょう、ってことだね。
ただコレ、どこぞのウエイトレスの制服を彷彿とさせるなぁ。
「……初めまして?」
さて、そんな私を胡散臭そうに見下ろすお兄様は、金色の髪を短く角刈りにしてゴツい革鎧を纏った、
「こんな貴族令息って存在するのかしら?」
と首を傾げたくなるぐらい厳《いか》つい大男。まるで傭兵みたい。
それに妹を訪問するのに、何で鎧姿なんだろう? まぁ、ガシャンガシャンみたいな鋼の鎧で来られるよりはマシだけど。
「わたくしは、眠りにつく前の記憶が全くないのです」
「そうなのか?」
え、そんな基本情報すら知らないの? どれだけ興味なかったんだ。
「はい。ですからこの一年、魔精力の制御だけでなく、上流貴族の一般常識からアイーダ女史に教えていただく日々でした。ですのでお兄様のことも全く覚えておらず、誠に申し訳ありません」
深々と頭を下げる。
「わたくしを本邸に戻そうと父上にご尽力いただいたと聞いております。ですが、わたくしはまだまだ修行中の身。この地で身につけなければいけないことも多く、お兄様のご厚意にお応えできないのが、本当に心苦しく思っております。本日も、わたくしが出向いて然るべきところなのに……こんな場所まで足を運んでいただき、誠にありがとうございます」
――過去にお兄様がマリアンセイユを冷遇していたことは知りません。
そういうテイで、ひたすらお詫びをし、そして感謝を述べる。
さあ、何も知らない妹にオニーサマはどうする?
「あ……うむ……」
気が引けるのか、ガンディス子爵は私から目をそらしコホンと咳払いをしている。心なしかやや猫背だ。
話に聞いていたようなイライラもしていないみたいだし、見下したような視線も感じない。
どうやら過去は無かったことにするみたいだ。よし、第一関門はクリア。
私達の仲は悪くない、この前提に乗っかってくれるだけでもだいぶん違う。
ひょっとすると、ガンディス子爵も自分で「大人げない」と思っていたのかもしれない。
母親を失った六歳の記憶のまま、マリアンセイユを遠ざけていたこと。
「十分、美しく成長していると思うがな」
「ありがとうございます」
精一杯の令嬢スマイルを披露すると、ガンディス子爵は「おや?」という顔をした。私の背後に控えているヘレンとアイーダ女史を交互に見やる。
「お前――本当にマリアンセイユか?」
「勿論です。何故です?」
「いや……」
ふうん、さすが剣術の達人だけはある。漂う雰囲気で、感覚的に以前とは別人だと見抜いてるんだ。
「記憶がございませんから――ある意味、別人かもしれません」
「ああ……なるほどな」
どうにか納得したらしい。やっぱりなかなか素直な性質のようだ。
「あの、お兄様。わたくし、お兄様に見てもらいたいものがあるのですが」
「ん? 何だ?」
「こちらです」
言いながら、私は旧フォンティーヌ邸の正面の扉を指した。
私たちが対面したのは、旧フォンティーヌ邸の大広間。さすがに私が住んでいる一戸建ては三十畳一部屋しかない状態だから、お客様を迎えられる感じじゃない。
だけどここなら、三か月前の執事長たちの訪問時にいくつか調度品を入れたからね。だからまずはここで会うことになったのだ。
「お兄様。ほら、早くいらしてください!」
私の五倍ぐらいの太さのある腕を掴み、ぐいぐい引っ張って歩き出す。
どうです、オニーサマ。美しく成長した妹に懐かれるのは、悪い気はしないでしょう?
そう思いながらちらりと視線を送ると、やっぱりまんざらでもなさそうだ。腕を振り払おうともしないし、何だかきまり悪そうな顔をしている。
「おい、そう引っ張るな。騒々しい」
「ごめんなさい、でも……」
両開きの深い緑色の扉を開け、外に出る。
そこには月毛のラグラナロクムーンと、ラグナより一回り大きな黒い馬。たてがみも尻尾もすべて黒で、ビロードのような毛並みが本当に綺麗。
そして二頭の馬を連れてきてくれた、ニコルさんもいた。
「ガンディス様、お久しぶりでございます」
「ニコル……これ、グングニルダガーか?」
ガンディス子爵は私の腕をふりほどき、驚いたように目と口を開いてふらふらと黒い馬に近づいていく。
グングニルダガー――オルヴィア様が乗っていた愛馬、グングニルランスの子供。
十六年前、幼いガンディス子爵がこの地に来て可愛がっていた、黒い仔馬の成長した姿。
マリアンセイユを妊娠するまで、オルヴィア様は時折この地を訪れていた。
まだ幼かった、ガンディス子爵を連れて。
上流貴族の子息令嬢は、生まれたら乳母達の手で育てられる。母親と言えど、一日のうちで会えるのはほんの数時間。
だけどこの地に来れば、母子と数えるほどのメイドのみ。私が住んでいるあの黒い扉の小さな家は、そんな母と子が毎日一緒に過ごせる、夢の城でもあったのだ。
そんな場所に、いま私は我が物顔で住んでいる。
大切な思い出の場所を奪ったのかもしれないと――そのことだけは、ガンディス子爵に申し訳ない気持ちになったんだよね。
だから、それならせめて「思い出はちゃんと残っているよ」って教えてあげたかった。お母様を失った痛みが、少しでも和らぐように。
「覚えておいでですか」
「当たり前だ! お前……こんなに立派になったのか!」
「ヒヒーン!」
グングニルダガーが元気に啼く。
ガンディス子爵の顔がクシャッと崩れて、少年のような笑顔になった。顔を撫で、首を撫で、嬉しそうに抱きつく。
「しかし、どうしてニコルとグングニルダガーがここに?」
「マリアンセイユ様に頼まれましてな」
「なぜマリアンセイユがニコルを知ってるんだ?」
ガンディス子爵が驚いたように私を見る。
これなら大丈夫、第二段階もクリアね、と思いつつ、申し訳なさそうに微笑む。
「お父様には……内緒にしてくださいます?」
「何だ?」
「わたくし、ニコルさんから乗馬を習っておりますの。これがわたくしの馬、ラグナロクムーンです」
クリーム色の身体を撫で、ラグナに寄り添う。
ガンディス子爵は今度こそ本当に目を見開くと、口を大きく四角に開けた。
「乗馬!? お前がか!?」
「ええ」
「なぜ!?」
「母上のような、真の魔導士になりたいからですわ」
私の答えに、ガンディス子爵はひゅっと息を呑んだ。
* * *
乗馬服に着替えた私はラグナに乗り、グングニルダガーに乗ったガンディス子爵と共に黒い家までの道を駆けてゆく。
「お、お兄様……さすがに、は、早いですわ……」
「ほら、上半身のバランスが崩れているぞ。それじゃ馬の方が負担に感じる」
「す、すみません……」
オニーサマ、嫌わなくなったのはいいですけどもう少し可愛い妹を気遣ってもらえませんか。
早く行きたいのは分かるけどさ!
でもさすが、聖女騎士団の副団長として野山を駆け巡っているだけはある。フォンティーヌ隊はこの公爵子息が直接出張って仕切ってるのもあって、相当厳しいらしいけど。
同情するよ、フォンティーヌ隊の皆さん。
あああ、それにしてもやっぱり胸が痛い!
「何だ、苦しいのか? やはり病気なんじゃないだろうな」
「違い、ます……」
「しかし息が上がっているが」
「それはお兄様のペースがあまりにも早いからです!」
思わず言い返すと、ガンディス子爵は「ははは」と声に出して笑った。手綱を引き、速度を少し緩める。
カポッカポッと歩くぐらいのペースになり、ホッとして息をつく。
「本当に病気じゃないんだろうな?」
「違います」
「真の魔導士を目指す前に、お前が目指すべきは立派な大公妃だ。体を鍛えることは悪いことではないが、ずっと寝たきりだったお前がそんな急に……」
「だから違います、私は元気なんです!」
「しかしそんな苦しそうに胸を押さえて……」
「これはですね、胸が揺れて痛いんです!」
あああ、しつこい!
と思った瞬間、叫んでしまった。やっちゃった、もう少し懐柔してから切り出そうと思ったのに。
だけどガンディス子爵は「はあ?」と声を上げたものの、一応私の言葉を待ってくれているようだ。
失敗したと思ったけど、意外にいいタイミングかもしれない。
「胸が上下に揺れると、ひどく痛いのです。聖女騎士団の女性の方々は布を巻いて動かないようにしているそうですが」
「あ……まぁ」
「しかし私は同じようにする訳には参りません。ドレスを着た時の胸の形が悪くなってしまいます」
「う……む」
微妙な話題なのか、相槌が曖昧だ。
「手に入るブラジャーは乗馬の振動に耐えられるようなものではなく……かといって乗馬のために革鎧をオーダーメイドするなんて、父上はきっと許してくれません」
「まぁ、そうだろうな」
そこまで話したところで、ちょうど黒い家に着いた。二人とも馬から降り、とりあえず一息つく。
私はそっと、ガンディス子爵の革の鎧に触れた。
獣の爪が掠ったような線がいくつかある。だけど使いこなされて鈍く光る、ガンディス子爵のごつい身体によく馴染んだ革鎧。
「鎧の革は、かなり厚いのですね」
「それはそうだ。身を護るための物だからな」
フンと鼻息を荒くする。
「乗馬のために革鎧を着るなど、俺にしたら馬鹿馬鹿しくて聞いてられないが」
あら、だいぶん遠慮がなくなってきたわね。いい傾向だ。
ニヤリと笑いたくなるのを堪え、申し訳なさそうな顔をする。
「そうですわね。申し訳ありません」
「謝る必要はないが」
「……でも、ここまで頑丈でなくてもいいので、胸を守ってくれるような物はないだろうかと考えておりますの」
ヘレンが言っていた。布では無理でも、革なら胸を綺麗に包む形が作れるかもしれない、と。
革には水で濡らして曲げるとその形状が固定される性質があるから、比較的簡単に胸の形に合わせられるって。
揺れを抑えてくれればいいだけだから、貴族の鎧に使われるような分厚い上等な部分ではなく、むしろ使い物にならないと捨てられるぐらいの薄い柔らかい革。
それならば加工もしやすく、重ねれば強度も上げられる。そして、革は使えば使うほど体に馴染む。
「……胸を守る?」
「柔らかめの革で形を作って、下着に縫い込みますの。そうすれば多少動いても抑えてくれますし、またアンダーからしっかり持ち上げれば、加齢による垂れなども補ってくれるのでは」
こっちはアイーダ女史の案ね。年齢を重ねるとデコルテ部分の肉が下に下がり、反ったようなラインになって胸は垂れてしまう。ドレスを着たとき、年齢を感じさせるのは首と胸。大きく丸い胸が、張りのある肌の象徴だというのに。
普段から持ち上げるようにしていれば、それを少しでも避けられるのではないか、と。
「……ふうむ」
ガンディス子爵は、思いのほか真面目な顔で頷いた。何か心当たりでもあるんだろうか。
「で? 具体的には何を望む?」
そういえばセルフィスが言ってたわね。即断即決、経営面は奥さんに丸投げでも、カリスマ性のある頼れる領主だと。
「ギルマン領のアルキス山地では大量の鹿が生息すると聞いています。野山の草を食べるだけではなく農作物の被害もあるとか」
「よく知ってるな。確かにここのところ捕獲数は増えている」
「鹿の革がブラジャーに使えないか、と考えているのですが」
「はぁ!?」
それはかなり想定外のことだったようで、ガンディス子爵は今度こそ顎が外れんばかりに口を大きく開けた。
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