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第2幕 収監令嬢は痛みを和らげたい
第4話 たまには真面目になるわよ
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「いい、ラグナ。私があなたに乗ったら、じっとしてるのよ。勝手に走りだそうとしちゃ駄目」
「ヒヒンッ」
「お前がモタモタしてるのが悪いって? まぁそう言いたくなるのもわかるけど、ほら、何しろ初心者なんだから。最初はちょっと気を使ってよ。あとで大好きなリンゴをいっぱいあげるから。それにしても出荷レベルのリンゴしか口をつけないなんて、あんた相当のグルメね。贅沢な舌よ、本当に……」
「――何をそんなにたくさん喋っておられるのですかな?」
淡いクリーム色の顔と体、そしてたてがみと尻尾がクリーム色から白色のグラデーションになっている、私よりうんと背が高い一頭の馬。
この月毛の『ラグナロクムーン』の顔を両手で包み目を合わせながら話しかけていると、背後からやってきたニコルさんが白い髭をひねりながら不思議そうに首を傾げた。
やばっ、聞かれちゃったわよ、と思い、慌てて令嬢の立ち振る舞いを思い出す。
「いえ、コミュニケーションが大事と仰ったので、対等に話してみようかと……」
「確かに申し上げましたが、そんなにガッツリ話しかけなくてもよろしいですぞ」
ニコルさんは、馬車の御者を務めてくれたおじいさん。
この牧場の管理を一手に引き受けてくれている人で、公爵家との付き合いも長いらしい。
幼少のマリアンセイユはこの場所に訪れたことがないので、私とは本当に初対面ということになる。昔のマリアンセイユを知らない人との会話は、何となく気が楽だ。
「しかし、ラグナロクムーンがこうもジッとしているとは。やはりマリアンセイユ様のお目は確かなようですな」
ニコルさんがふむふむと感心したように唸っている。
馬術を習うということになって、まず最初に厩舎に連れてこられたの。黒い馬や茶色い馬、大きい馬や小さい馬、ずらりと並んでいて壮観だったなー。
で、ニコルさんが
「まずはマリアンセイユ様。ご自分に合う馬をお選びください」
っていきなり言ったの。
え、自分に合うかどうかなんてどうやって決めるの?と思ったんだけど、人に魔精力が宿るように馬にだって宿っているんだよね。
だからどうしても相性というのがあって、それは当人同士にしか分からないみたい。特に私のようにたくさんの魔精力を蓄えている人間にとってはそれが何よりも大事なこと、らしいのだ。
その中で、私が一目惚れしたのが、この月毛のラグナロクムーン。
淡いクリーム色と白のたてがみが目に飛び込んできて、まるでスポットライトを浴びてるかのようだったわ。
名前を聞いて、さらに感動。ラグナロクと言えば、ゲームでは最強装備に匹敵するアイテムに名付けられる名前よ。いやでもテンションが上がるよね。
で、このラグナロクムーンはこの厩舎では暴れ馬として名を馳せていた牡馬で、ニコルさんぐらいしか御せなかったらしいの。
だけど私との相性はピッタリだったようで、とりあえず暴れたり蹴ったりはしないのよね。
ただ、まだ私を認めてはいないみたいだけどね。だからさっきはコンコンと話して聞かせていた訳なんだけど。
「では、参りましょうか」
念のため、ニコルさんがラグナの手綱を引いている。
私はラグナの左側に立ち、左手で手綱とラグナの白いタテガミを掴む。左足を鐙にかけ、鞍を掴んでえいやっと身体を持ち上げ、右足をラグナの向こう側に。体勢を整えたら右足も鐙にかけて。
「……っと!」
私が乗ったな、と思ったらラグナはすぐに駆けだそうとする。うーん、せっかちだな。
だからニコルさんに支えてもらっていたし、私もさきほどちゃんと言い聞かせてたんだけど。
ラグナは右の前脚で地面をカッカッと蹴っている。
もう、そんな急かさないでよ、と思ったけど、ニコルさんは「ふぉっふぉっふぉっ」と高らかに笑った。
「どうやら早くマリアンセイユ様と駆けたくて仕方がないようですな」
「え、そうなの? うーん、じゃあ早く乗れるようにならないと」
もうちょっと待っててね、と顔を撫でながら、ラグナに声をかける。
止まっている馬にバランスよく乗るだけでも、結構大変なのよね。
首や肩も真っすぐ背筋もスッと、姿勢よくしないと駄目なの。特に下半身は両足で馬の体を挟み込むようにするから、太腿やお尻にもどうしたって力が入るし。
だけど緊張して固くなり過ぎたら、それはラグナにも伝わる。なかなか難しい。
だけど、体幹が鍛えられるのは確かね。アイーダ女史が「馬術なら」と言った意味が、よくわかったわ。
ニコルさんに引いてもらいながら、ゆっくりと歩き始める。ラグナは
「こんなちんたら歩いてらんねぇよ」
といった感じではあるのだけど、我慢して付き合ってくれている。
そしてニコルさんも、最初は私が公爵令嬢ということで恐縮していたみたいなんだけど、だいぶんくだけてきたような。
そろそろいいかな、と思い、
「ニコルさんは、母を知っていると聞いたのですが」
と聞いてみた。
「ええ。オルヴィア様も乗馬を嗜まれましたからな」
「本当に? 母はどんな様子だったのでしょう?」
「……」
ニコルさんが驚いたように私を見上げる。
あら? 失敗した?
顔を知らない母の様子を知りたがる娘、というセンで問いかけたのは、そうおかしくはないと思うんだけど。
「お話ししてよいのですか?」
「勿論ですわ。どんな風にここで過ごしていたのか、とても知りたいのです。……あ、父に黙っていた方がよいことは、きちんとわたくしの胸の内に納めますわ」
口元に人差し指を立ててウインクすると、ニコルさんはホッとしたように息を漏らし、続けて「ふふふ」と楽しそうな笑みを浮かべた。
「マリアンセイユ様はなかなか愉快なお方ですな。それでは、率直にお話しいたしましょう」
ふっと笑みが消える。ニコルさんの白い眉毛と白い髭にはさまれた水色の瞳が、どこか遠くを見つめる。
「オルヴィア様は本当に逞しい方でしたなあ。背もわたしより10cmは高かった」
あら、意外な導入だわ。
まぁ、ドレスのサイズから女性にしてはガッチリした体格だったんだろうな、とは思ってたんだけど。
ニコルさんより10cmは高いとなると、175cmぐらいはある。確かに逞しいわね。ちょっと肩幅のあるスーパーモデルみたいな感じかな。
「そして身長ほどもある杖を背負い、ここで一番大きな黒毛の馬、グングニルランスで朝駆けをするのが日課でいらっしゃいました」
「……え?」
杖を背負って大きな馬で駆け巡ると言われ、浮かんだのは某劇画タッチの漫画の登場人物みたいな姿だった。
高々と槍を突き上げ――って、いや、あり得ないし!
でも、その馬の名前、どうしてもあのでっかい召喚獣の姿しか思い浮かばない!
オカーサマが女装した男みたいな姿で再生されちゃう!
いやいや、きっとバルキリーみたいな感じかしらね。女戦士とでも言うか。
背が高くてちょっと腹筋割れてるけど、フォルムはボン・キュー・ボンというか。
そうよね、うんうん。
どうにか頭の中の想像を修正したところで、ニコルさんが
「ご立派でしたよ」
と感心したように呟いた。
「緑の野原から林、森へ。そうやって自然を巡るのが、魔導士としての本来のあり方だと」
「本来?」
『自然を巡る』という言葉に、私はゆっくりと辺りを見回した。
青い空に白い雲。遠くには深い緑の山。そして黄緑色の牧場。その脇を流れる小川。茶色い木の塀。灰色のサイロと厩舎。ベージュの使用人住居。オフホワイトの小ぶりな一軒家。そして、黒い扉のオルヴィア様の小さな城。
朝日も昇りきらぬ頃、ここを馬で駆け巡る女魔導士か。カッコいいな。
「自然を愛し、自然を理解し守り、そのために魔精力を使い魔法を行使するのが本来の魔導士。作り物で囲まれた本邸では、それもままなりません。だから時々ここに来たいのだ、とそれはそれは素敵な笑顔でお話しくださりました。確か、オルヴィア様は『リンドブロム聖女騎士団』でも指折りの魔導士だったと伺っております」
「へえ……」
そっか、公爵とは魔物退治で出会ったって言ってたっけ。
確か、上流貴族八家は聖女騎士団の各団長でもあるのよね。その部下の一員だったのかな?
もとの世界でいうところのオフィスラブか。若き社長とヒラのOL。
あらっ、そう考えると何だかドラマティック!
「でも、そのお話でいくと、貴族の魔導士はすべて仮初めの魔導士ということになってしまいますが」
確か貴族って、リンドブロム大公家の傍、中枢のロワネスクに本邸があるんじゃなかったっけ?
自然に触れる機会なんてないんじゃない?
私の問いに、ニコルさんは少し困ったような顔をした。どうやら答えにくいことを聞いてしまったようだ。
「わたしには、オルヴィア様の真意は計りかねますが」
と前置きした上で、噂に聞いたという『リンドブロム聖女騎士団』の話を教えてくれた。
聖女シュルヴィアフェスが魔王の元に赴いてから千年以上が経ち、聖女騎士団もかつてのようなヒトと魔物の仲裁という役割とはかけ離れてきているらしい。
各地に赴いてヒトが魔物を殺し過ぎないよう見張るはずが、その土地の有力者にワイロを掴まされて見て見ぬふりをしたり、ひどい者は土地の人間と一緒になって魔物を討伐したり。
「どうしてそんなことを?」
「魔物の皮や骨は死してなおも魔精力が宿っており、それらを材料として作った鎧や武器には貴重な効果が付与されるそうです。ですから欲しがる人間も多く、裏で高値で取引されているようで」
「そう……」
「あ、あくまで噂ですよ? 本当だったとしても、それは騎士団の下の人間がそうだというだけで……」
ニコルさんが急に慌てふためいて手をブンブンと振る。
父のフォンティーヌ公爵も聖女騎士団の団長の一人。つまりは公爵の悪口を言っちゃったようなものか。
「大丈夫、誰にも言いませんわ。聞きたがったのは、わたくしですから」
貴族に関するよくない噂なんて、アイーダ女史やセルフィスは話してくれないよね。
これはきっと、貴重な情報。
「それで、母上は本来の魔導士たらんとここにたびたび訪れていたのですね」
と、話を元に戻すと、ニコルさんがちょっとホッとしたように肩から力を抜いた。
「ええ。かつての魔導士が作り出した魔法をただ身につけただけでは、真に人と魔物の均衡を守ることはできない、と。……ここには魔物もいますのでね」
「えっ、いるの!?」
あわわ、思わず素が出ちゃったわよ、と自分の口を押えたけど、ニコルさんは特に驚くわけでもなく、ハハハと声を上げて笑った。
「勿論、おりますとも。ここの周囲の山や森や林、川など、奥の方にではございますが。牧場など人が生活する圏内に現れることはございません。……思えば、オルヴィア様が馬で隅から隅まで駆け巡っておられたのもそのためでしょうな。人と魔物の境界線。それを守り、また魔物たちに知らしめるために」
……となると、その役割を怠ればここも魔物の巣窟になってしまうかもしれないんだ。
セルフィスが言っていたのはそういう意味だったのかな。オルヴィア様のような魔導士になってくれ、と。
あら? でもそうなると、大公子妃になる、という目的の方はどうなるんだろ?
そっか、リンドブロム聖女騎士団も名ばかりになってきた、って話だったわよね。
大公子妃、ひいては大公妃になった暁には、その辺の改革もしっかりできるように、ということかな?
リンドブロム聖女騎士団は、半分は剣術に優れた騎士、半分は魔法に優れた魔導士で構成されていると聞いている。
騎士は魔物と敵対し、切り伏せることはできても魔物側に立って考えることはできない。大公も、きっとそうでしょ。
そもそもはそれで人は過ちを犯し、魔王という存在を生み出してしまったんだから。
……と、私にしては珍しく黙って考え込んでいると、ラグナロクムーンが
「ヒヒーン!」
と嘶き、グワッと上半身を上げた。
思わず後ろに反り返り、馬上から落下しそうになる。
「ちょっとラグナ! いきなり暴れないでよ!」
「ヒン、ヒヒーン!」
「喋ってばっかりで退屈だ、じゃないのよ! 大事な話をしてたんだからね!」
「フンッ……」
「まぁ確かに、考えても無駄ね。まずはラグナを乗りこなせるようにならないと、オルヴィア様の遺志も継げないんだし、頑張るわよ」
「ブルルルル……」
「頑張れよ、じゃないのよ! あんたも私に協力するのよ!」
「ハハハハ……本当にラグナロクムーンと話が通じてるかのように会話なさる」
ニコルさんが大きな口を開けてとても楽しそうに笑っている。
本当に分かるのよ、と言ったら、きっとびっくりするだろうな、ニコルさん。
「ヒヒンッ」
「お前がモタモタしてるのが悪いって? まぁそう言いたくなるのもわかるけど、ほら、何しろ初心者なんだから。最初はちょっと気を使ってよ。あとで大好きなリンゴをいっぱいあげるから。それにしても出荷レベルのリンゴしか口をつけないなんて、あんた相当のグルメね。贅沢な舌よ、本当に……」
「――何をそんなにたくさん喋っておられるのですかな?」
淡いクリーム色の顔と体、そしてたてがみと尻尾がクリーム色から白色のグラデーションになっている、私よりうんと背が高い一頭の馬。
この月毛の『ラグナロクムーン』の顔を両手で包み目を合わせながら話しかけていると、背後からやってきたニコルさんが白い髭をひねりながら不思議そうに首を傾げた。
やばっ、聞かれちゃったわよ、と思い、慌てて令嬢の立ち振る舞いを思い出す。
「いえ、コミュニケーションが大事と仰ったので、対等に話してみようかと……」
「確かに申し上げましたが、そんなにガッツリ話しかけなくてもよろしいですぞ」
ニコルさんは、馬車の御者を務めてくれたおじいさん。
この牧場の管理を一手に引き受けてくれている人で、公爵家との付き合いも長いらしい。
幼少のマリアンセイユはこの場所に訪れたことがないので、私とは本当に初対面ということになる。昔のマリアンセイユを知らない人との会話は、何となく気が楽だ。
「しかし、ラグナロクムーンがこうもジッとしているとは。やはりマリアンセイユ様のお目は確かなようですな」
ニコルさんがふむふむと感心したように唸っている。
馬術を習うということになって、まず最初に厩舎に連れてこられたの。黒い馬や茶色い馬、大きい馬や小さい馬、ずらりと並んでいて壮観だったなー。
で、ニコルさんが
「まずはマリアンセイユ様。ご自分に合う馬をお選びください」
っていきなり言ったの。
え、自分に合うかどうかなんてどうやって決めるの?と思ったんだけど、人に魔精力が宿るように馬にだって宿っているんだよね。
だからどうしても相性というのがあって、それは当人同士にしか分からないみたい。特に私のようにたくさんの魔精力を蓄えている人間にとってはそれが何よりも大事なこと、らしいのだ。
その中で、私が一目惚れしたのが、この月毛のラグナロクムーン。
淡いクリーム色と白のたてがみが目に飛び込んできて、まるでスポットライトを浴びてるかのようだったわ。
名前を聞いて、さらに感動。ラグナロクと言えば、ゲームでは最強装備に匹敵するアイテムに名付けられる名前よ。いやでもテンションが上がるよね。
で、このラグナロクムーンはこの厩舎では暴れ馬として名を馳せていた牡馬で、ニコルさんぐらいしか御せなかったらしいの。
だけど私との相性はピッタリだったようで、とりあえず暴れたり蹴ったりはしないのよね。
ただ、まだ私を認めてはいないみたいだけどね。だからさっきはコンコンと話して聞かせていた訳なんだけど。
「では、参りましょうか」
念のため、ニコルさんがラグナの手綱を引いている。
私はラグナの左側に立ち、左手で手綱とラグナの白いタテガミを掴む。左足を鐙にかけ、鞍を掴んでえいやっと身体を持ち上げ、右足をラグナの向こう側に。体勢を整えたら右足も鐙にかけて。
「……っと!」
私が乗ったな、と思ったらラグナはすぐに駆けだそうとする。うーん、せっかちだな。
だからニコルさんに支えてもらっていたし、私もさきほどちゃんと言い聞かせてたんだけど。
ラグナは右の前脚で地面をカッカッと蹴っている。
もう、そんな急かさないでよ、と思ったけど、ニコルさんは「ふぉっふぉっふぉっ」と高らかに笑った。
「どうやら早くマリアンセイユ様と駆けたくて仕方がないようですな」
「え、そうなの? うーん、じゃあ早く乗れるようにならないと」
もうちょっと待っててね、と顔を撫でながら、ラグナに声をかける。
止まっている馬にバランスよく乗るだけでも、結構大変なのよね。
首や肩も真っすぐ背筋もスッと、姿勢よくしないと駄目なの。特に下半身は両足で馬の体を挟み込むようにするから、太腿やお尻にもどうしたって力が入るし。
だけど緊張して固くなり過ぎたら、それはラグナにも伝わる。なかなか難しい。
だけど、体幹が鍛えられるのは確かね。アイーダ女史が「馬術なら」と言った意味が、よくわかったわ。
ニコルさんに引いてもらいながら、ゆっくりと歩き始める。ラグナは
「こんなちんたら歩いてらんねぇよ」
といった感じではあるのだけど、我慢して付き合ってくれている。
そしてニコルさんも、最初は私が公爵令嬢ということで恐縮していたみたいなんだけど、だいぶんくだけてきたような。
そろそろいいかな、と思い、
「ニコルさんは、母を知っていると聞いたのですが」
と聞いてみた。
「ええ。オルヴィア様も乗馬を嗜まれましたからな」
「本当に? 母はどんな様子だったのでしょう?」
「……」
ニコルさんが驚いたように私を見上げる。
あら? 失敗した?
顔を知らない母の様子を知りたがる娘、というセンで問いかけたのは、そうおかしくはないと思うんだけど。
「お話ししてよいのですか?」
「勿論ですわ。どんな風にここで過ごしていたのか、とても知りたいのです。……あ、父に黙っていた方がよいことは、きちんとわたくしの胸の内に納めますわ」
口元に人差し指を立ててウインクすると、ニコルさんはホッとしたように息を漏らし、続けて「ふふふ」と楽しそうな笑みを浮かべた。
「マリアンセイユ様はなかなか愉快なお方ですな。それでは、率直にお話しいたしましょう」
ふっと笑みが消える。ニコルさんの白い眉毛と白い髭にはさまれた水色の瞳が、どこか遠くを見つめる。
「オルヴィア様は本当に逞しい方でしたなあ。背もわたしより10cmは高かった」
あら、意外な導入だわ。
まぁ、ドレスのサイズから女性にしてはガッチリした体格だったんだろうな、とは思ってたんだけど。
ニコルさんより10cmは高いとなると、175cmぐらいはある。確かに逞しいわね。ちょっと肩幅のあるスーパーモデルみたいな感じかな。
「そして身長ほどもある杖を背負い、ここで一番大きな黒毛の馬、グングニルランスで朝駆けをするのが日課でいらっしゃいました」
「……え?」
杖を背負って大きな馬で駆け巡ると言われ、浮かんだのは某劇画タッチの漫画の登場人物みたいな姿だった。
高々と槍を突き上げ――って、いや、あり得ないし!
でも、その馬の名前、どうしてもあのでっかい召喚獣の姿しか思い浮かばない!
オカーサマが女装した男みたいな姿で再生されちゃう!
いやいや、きっとバルキリーみたいな感じかしらね。女戦士とでも言うか。
背が高くてちょっと腹筋割れてるけど、フォルムはボン・キュー・ボンというか。
そうよね、うんうん。
どうにか頭の中の想像を修正したところで、ニコルさんが
「ご立派でしたよ」
と感心したように呟いた。
「緑の野原から林、森へ。そうやって自然を巡るのが、魔導士としての本来のあり方だと」
「本来?」
『自然を巡る』という言葉に、私はゆっくりと辺りを見回した。
青い空に白い雲。遠くには深い緑の山。そして黄緑色の牧場。その脇を流れる小川。茶色い木の塀。灰色のサイロと厩舎。ベージュの使用人住居。オフホワイトの小ぶりな一軒家。そして、黒い扉のオルヴィア様の小さな城。
朝日も昇りきらぬ頃、ここを馬で駆け巡る女魔導士か。カッコいいな。
「自然を愛し、自然を理解し守り、そのために魔精力を使い魔法を行使するのが本来の魔導士。作り物で囲まれた本邸では、それもままなりません。だから時々ここに来たいのだ、とそれはそれは素敵な笑顔でお話しくださりました。確か、オルヴィア様は『リンドブロム聖女騎士団』でも指折りの魔導士だったと伺っております」
「へえ……」
そっか、公爵とは魔物退治で出会ったって言ってたっけ。
確か、上流貴族八家は聖女騎士団の各団長でもあるのよね。その部下の一員だったのかな?
もとの世界でいうところのオフィスラブか。若き社長とヒラのOL。
あらっ、そう考えると何だかドラマティック!
「でも、そのお話でいくと、貴族の魔導士はすべて仮初めの魔導士ということになってしまいますが」
確か貴族って、リンドブロム大公家の傍、中枢のロワネスクに本邸があるんじゃなかったっけ?
自然に触れる機会なんてないんじゃない?
私の問いに、ニコルさんは少し困ったような顔をした。どうやら答えにくいことを聞いてしまったようだ。
「わたしには、オルヴィア様の真意は計りかねますが」
と前置きした上で、噂に聞いたという『リンドブロム聖女騎士団』の話を教えてくれた。
聖女シュルヴィアフェスが魔王の元に赴いてから千年以上が経ち、聖女騎士団もかつてのようなヒトと魔物の仲裁という役割とはかけ離れてきているらしい。
各地に赴いてヒトが魔物を殺し過ぎないよう見張るはずが、その土地の有力者にワイロを掴まされて見て見ぬふりをしたり、ひどい者は土地の人間と一緒になって魔物を討伐したり。
「どうしてそんなことを?」
「魔物の皮や骨は死してなおも魔精力が宿っており、それらを材料として作った鎧や武器には貴重な効果が付与されるそうです。ですから欲しがる人間も多く、裏で高値で取引されているようで」
「そう……」
「あ、あくまで噂ですよ? 本当だったとしても、それは騎士団の下の人間がそうだというだけで……」
ニコルさんが急に慌てふためいて手をブンブンと振る。
父のフォンティーヌ公爵も聖女騎士団の団長の一人。つまりは公爵の悪口を言っちゃったようなものか。
「大丈夫、誰にも言いませんわ。聞きたがったのは、わたくしですから」
貴族に関するよくない噂なんて、アイーダ女史やセルフィスは話してくれないよね。
これはきっと、貴重な情報。
「それで、母上は本来の魔導士たらんとここにたびたび訪れていたのですね」
と、話を元に戻すと、ニコルさんがちょっとホッとしたように肩から力を抜いた。
「ええ。かつての魔導士が作り出した魔法をただ身につけただけでは、真に人と魔物の均衡を守ることはできない、と。……ここには魔物もいますのでね」
「えっ、いるの!?」
あわわ、思わず素が出ちゃったわよ、と自分の口を押えたけど、ニコルさんは特に驚くわけでもなく、ハハハと声を上げて笑った。
「勿論、おりますとも。ここの周囲の山や森や林、川など、奥の方にではございますが。牧場など人が生活する圏内に現れることはございません。……思えば、オルヴィア様が馬で隅から隅まで駆け巡っておられたのもそのためでしょうな。人と魔物の境界線。それを守り、また魔物たちに知らしめるために」
……となると、その役割を怠ればここも魔物の巣窟になってしまうかもしれないんだ。
セルフィスが言っていたのはそういう意味だったのかな。オルヴィア様のような魔導士になってくれ、と。
あら? でもそうなると、大公子妃になる、という目的の方はどうなるんだろ?
そっか、リンドブロム聖女騎士団も名ばかりになってきた、って話だったわよね。
大公子妃、ひいては大公妃になった暁には、その辺の改革もしっかりできるように、ということかな?
リンドブロム聖女騎士団は、半分は剣術に優れた騎士、半分は魔法に優れた魔導士で構成されていると聞いている。
騎士は魔物と敵対し、切り伏せることはできても魔物側に立って考えることはできない。大公も、きっとそうでしょ。
そもそもはそれで人は過ちを犯し、魔王という存在を生み出してしまったんだから。
……と、私にしては珍しく黙って考え込んでいると、ラグナロクムーンが
「ヒヒーン!」
と嘶き、グワッと上半身を上げた。
思わず後ろに反り返り、馬上から落下しそうになる。
「ちょっとラグナ! いきなり暴れないでよ!」
「ヒン、ヒヒーン!」
「喋ってばっかりで退屈だ、じゃないのよ! 大事な話をしてたんだからね!」
「フンッ……」
「まぁ確かに、考えても無駄ね。まずはラグナを乗りこなせるようにならないと、オルヴィア様の遺志も継げないんだし、頑張るわよ」
「ブルルルル……」
「頑張れよ、じゃないのよ! あんたも私に協力するのよ!」
「ハハハハ……本当にラグナロクムーンと話が通じてるかのように会話なさる」
ニコルさんが大きな口を開けてとても楽しそうに笑っている。
本当に分かるのよ、と言ったら、きっとびっくりするだろうな、ニコルさん。
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