想い紡ぐ旅人

加瀬優妃

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1.夢が現実にやってきた

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 ドスンと鈍い音がして

「うぎゃっ」

という自分の声で目を覚ました。右手を伸ばしたまま、床に転がっている。

 なんだ、夢か……。
 すっごくリアルだった。五感全部が研ぎ澄まされるような、身体の中からすべて浄化されるような、素敵な夢だったのに。
 うーん、残念。

 とりあえず床から起き上がる。
 ふわぁっと欠伸をしながら大きく背伸びをすると、両手でシャッと勢いよくカーテンを開けた。朝日がぱあっと降り注いでくる。

「ようし、今日も目覚めスッキリ!」

 何といっても、今日は私の自立記念日。
 素敵な夢も見れたし、なんか、いいことありそう!
 ……でもまずは、家からちゃんと出られるかどうかなんだけどね。

   * * *

 玄関の鳩時計が10時を知らせていた。
 屋敷の玄関で、私はリュックを背負い靴も履いて、もう出かける準備は万全だった。
 だけど……ああ、もうこの状態から1時間経ったのか。

「……だからね、ママ」

 思わず溜息が漏れる。
 目の前には、両手を胸の前で組み合わせてじっと私を見下ろす、涙目のママがいた。

 上条瑠衣子かみじょうるいこっていうのがママの名前。娘の私が言うのもなんだけど、泣きぼくろが印象的なたおやかな美人で、とても40代半ばには見えない。
 それと比べると、私はチビで、元気しか取り柄がないような感じなんだけどね。

 それはともかく、今、私は最大の難関に立ち向かっていた。
 なぜかというと、この家を出ようとしているから。
 幼少期からずっと過保護なママの手から離れ、自立しようとしている訳ですよ。

「私ももう、高校生なの。いつまでもママに甘えてちゃ駄目なの。これが自立の、第一歩なんだってば!」
「15歳なんてまだ子供です。外の世界は危ないの。いい? 朝日あさひ。あなたはまだ、親の庇護を必要とする年齢なのよ」
「庇護って……」

 ママの庇護は凄すぎるんだもん。
 英凛学園の幼稚舎から中学部まで、毎日ずっと送り迎え。
 仮にも、関東エリアを中心にレストランを六店舗も経営するやり手の女社長が、すべて娘の私の予定に合わせて仕事のスケジュールを決める始末なのよ。
 いくら母娘二人きりだからって、ベッタリし過ぎだよ。
 ここらで子離れしてもらわないといけません。うんうん。

 で、私がしたことは何かと言うと……。
 寮が併設されている海陽高校の特待生試験を内緒で受けて合格、入学手続きと入寮手続きを取りました。で、エスカレーター式の英凛学園を退学しました。
 そしてそのことを昨日、初めてママに言いました、以上。
 途中でママに悟られないために、どれだけ苦労したことか……。

 これは、単なる親への反抗、とかじゃないよ。
 ちゃんと、志がある。
 私のモットーは『やらないよりやって後悔しよう』。
 自分で決めたことだもの、ちょっと反対されたくらいで怯むわけにはいかない。

「あのね、ママ。私、医者になりたいの。だけど英凛には医学部がないでしょ」
「それは……」
「だから、海陽に行きたいの。それに、寮に入るのもちゃんと審査があったんだよ。みんな、身元は確かで、ママが気にするようなことは特にないと思うけどな」
「どうしてわざわざ寮に……」
「だから、自分のことは自分でできるようにしたいから!」
「自分のことって……」
「ねぇ。ママは一体、何に対してそんなに心配しているの? 私、結構しっかりしてる方だと思うけど」
「そういうことを言ってるんじゃなくて、だってあなたは……」

 そう言いかけて、ママはかぶりを振った。
 ママが私から視線を逸らした、今がチャンス!

「いえいえ……とにかく、まず……」
「まず、様子を見よう? 危なかったら帰ってくるから。ね、私を信じて!」
「……っ……」
「それでは、行ってきます!」

 一瞬ひるんだママの隙をついて、私はダッシュで玄関を飛び出した。
 ちゃんと説得できなかったことは残念だけど、こうなったら実力行使しかない。
 だって今日は、海陽に呼ばれてるから行かないといけないんだもん。明日はもう、入学式だし。

「――もう、朝日……!」

 ママの声が背中から聞こえたけど、とにかく屋敷の外に出るまで走り続ける。こう見えても足には自信がある。
 ……っていうか、うちの屋敷って玄関から門まで何でこんなに遠いのよ!

 ママが用心深すぎるんだよね。庭には、あのやたら音が鳴る砂利も敷きまくってるし、センサーライトは勿論、防犯カメラも何台も付けられてるし、窓はすべて防犯窓で補助錠も取り付けられてるし、そして、このやたら高いフェンス!

「はぁ、はぁ……」

 私は立ち止まると、目の前にそびえ立つ黒い鉄のフェンスを見上げた。
 幅の狭い、縦格子……見方によっては檻だよね、コレ。
 何でも、横格子は足をかけて乗り越えやすいんだそうだ。だから横の棒は一番上と一番下にしかない。
 とまあ、そんなことはどうでもいいとして。

「うりゃー!」

 助走をつけると、思い切りジャンプして一気に上の横棒を掴む。
 そのまま縦格子を踏み台にしてさらにジャンプ! そのままフェンスを越えて、道路側へ。 

「よっしゃ!」

 いつものガッツポーズを決めた後、私は玄関の方を振り返った。
 ママは……追いかけては来なかった。
 左手を固く握りしめて、胸元に。そして……何かを諦めたように、微笑んでいた。

「頑張ってくるからね!」

 大声で叫んで手を振ると、ママはゆっくりと頷いて、小さく手を振った。
 仕方ないわね、という顔をしている。

 そうなんだよね。
 ママは何故か、私が本当にしたいと思ったことについては最後には思う通りにさせてくれるところがあるの。
 そういうところが、好きだよ。私のこと、ちゃんとわかってくれてるんだ、と思うから。
 だから……強引にいけばどうにかなるかな、とは思ってたんだ。

   * * *

 とりあえずバスに乗るために、鼻歌を歌いながら歩道を歩く。
 バス停までの道には、歩道にまで伸びる立派な桜並木があった。
 少し散り始めたところで、花びらが風に乗ってザーッと私の周りを舞っている。
 桜も私を応援してくれてるのかも、なーんて勝手な解釈をしながら、木々を見上げる。
 いつも車で送り迎えだったから……こうしてゆっくりまわりの景色を見ながら歩くなんて、久し振りかも。

「すご~い! あー、自由って素晴らしい!」

 大声で叫んで、その場でジャンプする。
 あ~、何だか体が軽い!

 ふと前を見ると、目的のバス停の近くにいつの間にか誰かが立っていた。
 確かさっきまで、誰もいなかったのに。

 目が合って、思わず立ち止まった。
 白い服の、ハーフみたいな顔をした茶色の髪の男の子。すぐにでもアイドルになれそうな、かなりかっこいい……。
 どこかで見たような、と思ったのは一瞬で、すぐに思い出した。

 ――夢で逢った男の子だった。



「……えっ……」

 びっくりしすぎて、男の子を凝視したまま一歩も動けなかった。
 
 これって現実? それとも夢の続き?
 
 いや、このままじゃ怪しまれるでしょ、と思ったけど目を逸らせなかった。けれどなぜか、彼も私の方を真っ直ぐに見ていた。


 ……どれぐらいの時間、そうしていただろう。後から考えるとほんの2、3秒じゃないかと思うんだけど、そのときの私は時間が止まったように感じていた。

「……アサヒ?」
「へっ?」

 美少年が急に話しかけるから、思わず変な声が出てしまった。
 何で、私の名前……。

 私が戸惑っていると、美少年はにこっと笑った。
 ちょ……ちょっと! 使い古された表現だけど……笑顔が眩しすぎるんですけど!

「12月24日生まれ」
「えっ……」
「で、身長が小さいのを気にしてる」
「ちょ……」
「だけど4歳から習っている空手は黒帯で」
「ま……」
「運動神経は抜群。そんな上条朝日かみじょうあさひ、だよね? 好きな食べ物は……」
「す、ストーップ!」

 やっと口を挟めた。
 それより、いきなり私のことをズバズバ言い当てるってどういうこと?
 ……っていうか、頭がこんがらがってきた。

「えっと、えっと……何? あなたは誰?」
「僕?」

 男の子は私の目の前まで歩いてきた。
 ち、近い……というか、近くで見ても王子様みたい……なんてアホなことを考えていると、男の子は少し頭を下げた。

「僕は、ユウディエン=フィラ=ファルヴィケン。今日から朝日のガードだよ」

 彼のさらっとした茶色い髪が流れて……私の目に、左耳の花のピアスが映った。
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