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21.闇の先(5)
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次の日の夜、再び地下の部屋を訪れて……俺は自分の目を疑った。
レッカと水那の前に、親父がいる。ヤハトラにいるはずの親父が。
「えっ……何で親父が!?」
『颯太! 少しはマシな面構えになったな』
親父が俺の肩をポンポンと叩く。
茫然としていると
「おお、そうそう。言うの忘れてたな」
という声が聞こえ、後ろからホムラが現れた。隣にはセッカもいる。
「ホムラ! 久し振りだな」
ホムラとはアブルの家で別れて以来だった。
もう秋に入り、外は少し涼しくなってきているのだが、ホムラは相変わらず薄着だ。筋肉隆々の二の腕が剥き出しになっている。
「それはそうと……何で、親父? いつから?」
「あのあと、アブルの兵士たちを鍛えるのに人手不足でな。何しろ俺は、剣はそんなに得意じゃねぇからよ」
確かに……ホムラは格闘というか、モンクタイプというか、そんな感じだよな。
「ソータ、ケーゴさんが凄いようなことを言ってたじゃねぇか」
「言った……けど……」
親父の前で言われると少し恥ずかしい。
「それで、その話をセッカにしたらヤハトラにいるって言うからよ。剣術部隊の指導を頼めないかってレッカに相談したんだ」
「それで、僕の方から巫女と連絡を取らせて頂きまして。すると快諾だったので。そうですね……一週間ぐらい前かな」
「でも、言葉……」
「だからあたしがここしばらく、ホムラのところにいたの」
セッカが手帳を見せた。俺達との旅で学んだ日本語がびっしり書いてある。
「お父さん、少しはパラリュス語を覚えたらしいんだけどさ。ホムラと話すのは厳しそうだったから」
『本当に世話になったね。ありがとう、セッカさん』
『どいたま、して』
……どういたしまして、かな。若干間違ってるけど、まぁ、いいか。
「……で?」
「ソータさんが言ったように……いよいよ、ワーヒに攻め込みます」
レッカが地図を広げた。
「そのためにホムラの兵士を連れてきてもらったんですが……」
「半分は、まだ仕上がってねぇんだ。ケーゴさんには指導を続けてもらいたいんだけど、俺は戦場に行くし……手下に任せるんだが、細かい部分がどうしても伝わらないからよ」
ホムラが頭をボリボリ掻いた。
「……それで、ミズナさんに通訳をしていただこうと」
「なる、ほど……」
「ミズナさんが外に出るときは僕が障壁をかけますから、安心してください」
「あと、必ず俺の手下をつけるから」
「……わかった」
いよいよ戦争となると、レッカとホムラはそちらにかかりきりになる。
俺の方でも親父と水那の様子は気をつけるようにしよう。
『親父……いろいろと、頼むな』
と、俺が言うと
『任せておけ。こっちの若者は活きが良くていいな! 中々音を上げないし!』
と言って、親父は楽しそうに笑った。
さぞかし、厳しくしごいたんだろうな……。年の割にムチャクチャ元気だからな……。
その後、俺達は明日の陣形を吟味し、ワーヒ攻略に備えた。
親父には俺の方から今の状況や今後の訓練について説明した。
次の日の、夜から昼に変わった瞬間。
レッカが障壁を解除、三方に分かれた部隊がワーヒに攻め込んだ。
まずレッカの部隊が平原地帯イスナ方向に進軍。その間にホムラの部隊がラティブとの境界を制圧した。
俺達弓部隊はその少し上の林から援護し、ラティブからの侵入者、物資の輸送などを止めた。
カガリは屋敷があるサラサにいるらしく、遠方のワーヒの兵士の士気は低い。
わりと簡単に制圧できた。
現在、カガリの軍は、イスナで防御の構えを取っている。
とりあえず一安心だが、カガリの指示でラティブに行っていた連中が戻ってくるかもしれない。
俺はしばらく、ワーヒに詰めることになった。
ワーヒを攻め落としたので俺達は旅に戻ることもできるのだが、最後までレッカを手伝うことに決めた。
ハールに平和を……それが、レッカの思いだし。それに、こんな中途半端なところで放り出すのも忍びない。
俺がワーヒに詰めている間、レッカはイスナとレッカの領地に架かっていた橋を封鎖した。
そして前線に障壁を展開し、再び守りに転じた。
予定より早くワーヒ攻略に入ったため、ホムラが言っていたようにこちらの兵士もまだ万全ではない。
また、敵の物資の供給を完全に止めたため、兵糧攻めという意味合いもあった。
これでカガリが降伏してくれればいいのだが……どうやらある程度は予測していたらしく備蓄でもあるのか、その気はさらさらないようだ。
* * *
そんな状態が1カ月以上続いた、ある日。
俺は久し振りにレッカの城に戻って来た。
ホムラと闘って後悔したから、俺自身も親父の指導を受けたかったからだ。
アブルの家を攻めたときも思ったけど……間合いを詰められたら、弓じゃどうにもならない。
これから旅を続けるためにも、剣術は必要だった。
「……あれ?」
地下の部屋に行くと、水那しかいなかった。
「レッカと親父は?」
「……えっと、外……」
そこまで言うと、水那はちょっと言葉を呑み込んだ。
そして深呼吸すると
『剣術部隊の仕上がり具合を見に行くって、二人で出掛けたの。見るだけだから、私は休んでていいって……』
と、日本語で答えた。
パラリュス語で説明するのが難しかったのだろうが、少しドキリとした。
日本語は、俺たち二人だけが使う言語。急に二人だけの世界になった気がして……実際、この場には二人しかいないことに気づかされて、焦りが出る。
キラミさんのワンピースを借りて着ている水那は……かなり奇麗だった。
思わず目を逸らす。
『ふうん……。レッカ、大丈夫かな。戦場だし、闇も多少漂っているし』
『何かあれば……自分に障壁かけるからって……』
『なるほど』
『……』
『……』
奇妙な沈黙が生まれた。
思えば……二人きりで話すのは、ハールの祠の夜以来だ。
『……じゃ、出直す……』
『待って!』
これ以上二人きりはマズい気がしてそそくさと退散しようとすると、水那が声を上げ、地下の部屋から廊下に出てきた。
『水那、部屋から出たら……』
『颯太くんの傍なら大丈夫なはず……でしょ?』
……そう言えば、そうだったな。久し振りすぎて忘れてた。
ただ、違う意味で大丈夫じゃないかもしれないし、何というか……。
『……あの、もし……あの……』
水那が両手で洋服をぎゅっと握りしめながら俯く。
何かを一生懸命伝えようとしているのは分かったから、俺は黙って水那の言葉を待った。
やがて水那はパッと顔を上げると、真っすぐに俺を見つめた。
『辛かったら……なかったことにして、いい。……あのときのこと』
ゆっくりと……しかしどこか強い口調で、水那は言った。
何か、覚悟したような瞳だった。
『……え?』
それに引き換え、俺は呆気に取られてぽかんと口を開けてしまう始末だった。
なぜなら、水那が何を言っているのか解らなかったからだ。
辛かったら……って、俺が? なぜだ?
だってそれは……むしろ、俺の台詞だろ?
水那がなかったことにできればいいけど、それは絶対無理だから……かえって傷つけるだろうから、言わなかっただけで。
俺がそれ以上何も言えずにいると、水那はちょっと辛そうな顔をして、俯いた。
洋服を掴む手に、グッと力が入ったのがわかった。
あの時より……少し血色がよくなった、柔らかそうな、手。
『あの……強制執行で……不本意……で……何て、言うか……』
『……』
俺を操ったから、俺の意思は完全に無視してしまったと……そう思ってるのか。
俺がイヤイヤ水那の命令に従う羽目になってしまった、と。
……バカだよ。傷ついたのは自分なのに、何で俺を気遣うんだ。
今だって……そんなに震えているのに。
俺は両腕を伸ばして水那の肩に触れようとしたが……諦めて、水那の背後の壁に寄りかかって拳を握りしめた。
本当は抱きしめたかったけど……怖がるから。でも、せめて……今、目の前から逃げられないようにするために。
水那が驚いたような表情で俺を見上げた。
『……無理だ』
『え?』
『別に……俺が辛い訳じゃない。水那が辛いだろうと……思うだけだ。ただ……俺には無理だ。俺の中で、それは……絶対なかったことに……できない』
過程はどうあれ……俺が一番水那の近くにいたときのことを……なかったことになんて、できない。
『……』
水那がじっと俺を見つめる。たまらくなって……俺は水那にキスをした。
しかし次の瞬間……やってしまったー!という後悔がドッと押し寄せた。
『……ごめん!』
俺はいたたまれなくなって、そのまま急いで水那の前から走り去った。
ああ……もう! どうして我慢しきれないんだ、俺って奴はー!
バカ、バカだろー! 触れないように拳を握りしめてたって、唇を奪っちゃ意味がないだろー!
梯子をとてつもない勢いで上がる。そいてその勢いのまま、ドンと壁を叩いた。
『おわっ、何だ?』
声がして振り返ると、親父だった。それに……レッカとホムラ、そしてセッカも。
「あ……お帰り……」
「ちょうどよかった。次の手を打つ会議をしようと思ってたんですよ」
レッカがにっこり笑うと、俺を地下に促した。
うおー……。今、このタイミングで戻るのかよ……。
俺は四人の後ろにちょっと隠れるようにしながら地下の部屋に入った。
こういうとき、でかい人間がいると助かるな。
水那が俺達にお茶を出してくれた。ちらりと水那を盗み見たが……特に怒ってはいないようだった。
……多分、だけど。
「ホムラの兵もほぼ仕上がりましたので、次はイスナに攻め込みたいと思います」
レッカが地図を指し示して言った。
「ふうん……。ただ、まだチョロチョロとラティブからカガリ領に入ろうとする奴がいるんだよな。山道のルートからラティブに行こうとしたり。そっちはどうするんだ?」
「それは、ソータさんにお任せしたいのですが。ソータさんは闇の動きからも侵入者を見つけることができる。だから今のところ、誰一人漏らしていないんだと思うんですよね」
「まあ……」
「ソータさんでないと、戦場での弓部隊の指揮は難しいでしょうか?」
「んー……大丈夫じゃないかな。一回経験してるし……。それに一人、リーダーみたいな奴がいて部隊をまとめてくれてるから。じゃあ、弓部隊の一部をもらって、俺がワーヒに残ればいいんだな」
「お願いします」
レッカが頭を下げた。
セッカが「えっと……」と言いながらレッカの方を見た。
「じゃあ、あたしは今度、ソータとレッカの連絡係をすればいいの?」
「そうですね。飛び回ってばかりでお疲れでしょうが、お願いします」
「戦う訳じゃないからね。それぐらいは、大丈夫。ホムラのオリガとも、だいぶん仲良くなれたしね」
この戦争中、セッカは主に各陣営との連絡係をしていたが、その間にオリガを飼い慣らしたようだ。ホムラとはオリガを介して連絡を取れるようになったらしい。
「さすが、俺の女」
「違う! 勝手なことを言うな!」
セッカが真っ赤になって机をドンと叩いた。
ホムラはガハハ、と楽しそうに笑っている。冗談ぽく言ってるけど、相当セッカを気に入ってるんだろうな。
……やっぱり、いいコンビだと思うけど。
しかし俺が言うと本気でキレかねないので
「それで、親父はどうするんだ?」
と話題を変えた。
「ミズナさんと一緒に、しばらくこの城に滞在していただきます。イスナを制圧したら拠点をイスナに移しますが、この戦いが終わらない限りヤハトラまでお送りすることができないので……」
「ふうん……。それならちょうどよかった。俺、親父に稽古つけてもらおうと思ってたからさ」
水那が通訳したらしく、親父が
『そうか! やっとやる気になったんだな!』
とバンバン俺の背中を叩いた。
『いや、なったはなったけど、手加減してくれよ。ほら、ブランクがあるからさ……』
『大丈夫、大丈夫!』
全然大丈夫じゃない……。
親父は水那の方を見ると
『水那さん、それじゃあ、もうしばらくよろしく。……ところで、颯太は迷惑をかけてないですか?』
と言い出した。
く……クソ親父!
今、このタイミングでそれを聞くなー!
俺は内心かなり焦っていたが、
『……はい。いつも……守ってくれています』
と水那は少し微笑んで答えていた。
ごめん、水那。気を使わせて……。自分が情けないよ、俺は。
まあ、とにかく……レッカとホムラが揃ってるし、兵力も上がった。前線は、大丈夫だよな。
俺は……俺のやるべきことをやろう。
そう心に決めると、俺はぎゅっと拳を握りしめた。
次の日になって、レッカとホムラとセッカがイスナに向かった。
俺はワーヒに戻り、ラティブを出入りする人間の監視をしていた。
イスナにはカガリの残りの兵士の約半分……500ぐらいの軍勢がいたようだが、この場にもカガリはおらず、比較的順調に制圧できたらしい。
その後は何人かがラティブに逃げ出そうとしていたが、俺の方で捕まえた。
これで……残っているのは、カガリのいるサラサだけだ。
あともう少しで、このハールの内乱も――終わる。
レッカと水那の前に、親父がいる。ヤハトラにいるはずの親父が。
「えっ……何で親父が!?」
『颯太! 少しはマシな面構えになったな』
親父が俺の肩をポンポンと叩く。
茫然としていると
「おお、そうそう。言うの忘れてたな」
という声が聞こえ、後ろからホムラが現れた。隣にはセッカもいる。
「ホムラ! 久し振りだな」
ホムラとはアブルの家で別れて以来だった。
もう秋に入り、外は少し涼しくなってきているのだが、ホムラは相変わらず薄着だ。筋肉隆々の二の腕が剥き出しになっている。
「それはそうと……何で、親父? いつから?」
「あのあと、アブルの兵士たちを鍛えるのに人手不足でな。何しろ俺は、剣はそんなに得意じゃねぇからよ」
確かに……ホムラは格闘というか、モンクタイプというか、そんな感じだよな。
「ソータ、ケーゴさんが凄いようなことを言ってたじゃねぇか」
「言った……けど……」
親父の前で言われると少し恥ずかしい。
「それで、その話をセッカにしたらヤハトラにいるって言うからよ。剣術部隊の指導を頼めないかってレッカに相談したんだ」
「それで、僕の方から巫女と連絡を取らせて頂きまして。すると快諾だったので。そうですね……一週間ぐらい前かな」
「でも、言葉……」
「だからあたしがここしばらく、ホムラのところにいたの」
セッカが手帳を見せた。俺達との旅で学んだ日本語がびっしり書いてある。
「お父さん、少しはパラリュス語を覚えたらしいんだけどさ。ホムラと話すのは厳しそうだったから」
『本当に世話になったね。ありがとう、セッカさん』
『どいたま、して』
……どういたしまして、かな。若干間違ってるけど、まぁ、いいか。
「……で?」
「ソータさんが言ったように……いよいよ、ワーヒに攻め込みます」
レッカが地図を広げた。
「そのためにホムラの兵士を連れてきてもらったんですが……」
「半分は、まだ仕上がってねぇんだ。ケーゴさんには指導を続けてもらいたいんだけど、俺は戦場に行くし……手下に任せるんだが、細かい部分がどうしても伝わらないからよ」
ホムラが頭をボリボリ掻いた。
「……それで、ミズナさんに通訳をしていただこうと」
「なる、ほど……」
「ミズナさんが外に出るときは僕が障壁をかけますから、安心してください」
「あと、必ず俺の手下をつけるから」
「……わかった」
いよいよ戦争となると、レッカとホムラはそちらにかかりきりになる。
俺の方でも親父と水那の様子は気をつけるようにしよう。
『親父……いろいろと、頼むな』
と、俺が言うと
『任せておけ。こっちの若者は活きが良くていいな! 中々音を上げないし!』
と言って、親父は楽しそうに笑った。
さぞかし、厳しくしごいたんだろうな……。年の割にムチャクチャ元気だからな……。
その後、俺達は明日の陣形を吟味し、ワーヒ攻略に備えた。
親父には俺の方から今の状況や今後の訓練について説明した。
次の日の、夜から昼に変わった瞬間。
レッカが障壁を解除、三方に分かれた部隊がワーヒに攻め込んだ。
まずレッカの部隊が平原地帯イスナ方向に進軍。その間にホムラの部隊がラティブとの境界を制圧した。
俺達弓部隊はその少し上の林から援護し、ラティブからの侵入者、物資の輸送などを止めた。
カガリは屋敷があるサラサにいるらしく、遠方のワーヒの兵士の士気は低い。
わりと簡単に制圧できた。
現在、カガリの軍は、イスナで防御の構えを取っている。
とりあえず一安心だが、カガリの指示でラティブに行っていた連中が戻ってくるかもしれない。
俺はしばらく、ワーヒに詰めることになった。
ワーヒを攻め落としたので俺達は旅に戻ることもできるのだが、最後までレッカを手伝うことに決めた。
ハールに平和を……それが、レッカの思いだし。それに、こんな中途半端なところで放り出すのも忍びない。
俺がワーヒに詰めている間、レッカはイスナとレッカの領地に架かっていた橋を封鎖した。
そして前線に障壁を展開し、再び守りに転じた。
予定より早くワーヒ攻略に入ったため、ホムラが言っていたようにこちらの兵士もまだ万全ではない。
また、敵の物資の供給を完全に止めたため、兵糧攻めという意味合いもあった。
これでカガリが降伏してくれればいいのだが……どうやらある程度は予測していたらしく備蓄でもあるのか、その気はさらさらないようだ。
* * *
そんな状態が1カ月以上続いた、ある日。
俺は久し振りにレッカの城に戻って来た。
ホムラと闘って後悔したから、俺自身も親父の指導を受けたかったからだ。
アブルの家を攻めたときも思ったけど……間合いを詰められたら、弓じゃどうにもならない。
これから旅を続けるためにも、剣術は必要だった。
「……あれ?」
地下の部屋に行くと、水那しかいなかった。
「レッカと親父は?」
「……えっと、外……」
そこまで言うと、水那はちょっと言葉を呑み込んだ。
そして深呼吸すると
『剣術部隊の仕上がり具合を見に行くって、二人で出掛けたの。見るだけだから、私は休んでていいって……』
と、日本語で答えた。
パラリュス語で説明するのが難しかったのだろうが、少しドキリとした。
日本語は、俺たち二人だけが使う言語。急に二人だけの世界になった気がして……実際、この場には二人しかいないことに気づかされて、焦りが出る。
キラミさんのワンピースを借りて着ている水那は……かなり奇麗だった。
思わず目を逸らす。
『ふうん……。レッカ、大丈夫かな。戦場だし、闇も多少漂っているし』
『何かあれば……自分に障壁かけるからって……』
『なるほど』
『……』
『……』
奇妙な沈黙が生まれた。
思えば……二人きりで話すのは、ハールの祠の夜以来だ。
『……じゃ、出直す……』
『待って!』
これ以上二人きりはマズい気がしてそそくさと退散しようとすると、水那が声を上げ、地下の部屋から廊下に出てきた。
『水那、部屋から出たら……』
『颯太くんの傍なら大丈夫なはず……でしょ?』
……そう言えば、そうだったな。久し振りすぎて忘れてた。
ただ、違う意味で大丈夫じゃないかもしれないし、何というか……。
『……あの、もし……あの……』
水那が両手で洋服をぎゅっと握りしめながら俯く。
何かを一生懸命伝えようとしているのは分かったから、俺は黙って水那の言葉を待った。
やがて水那はパッと顔を上げると、真っすぐに俺を見つめた。
『辛かったら……なかったことにして、いい。……あのときのこと』
ゆっくりと……しかしどこか強い口調で、水那は言った。
何か、覚悟したような瞳だった。
『……え?』
それに引き換え、俺は呆気に取られてぽかんと口を開けてしまう始末だった。
なぜなら、水那が何を言っているのか解らなかったからだ。
辛かったら……って、俺が? なぜだ?
だってそれは……むしろ、俺の台詞だろ?
水那がなかったことにできればいいけど、それは絶対無理だから……かえって傷つけるだろうから、言わなかっただけで。
俺がそれ以上何も言えずにいると、水那はちょっと辛そうな顔をして、俯いた。
洋服を掴む手に、グッと力が入ったのがわかった。
あの時より……少し血色がよくなった、柔らかそうな、手。
『あの……強制執行で……不本意……で……何て、言うか……』
『……』
俺を操ったから、俺の意思は完全に無視してしまったと……そう思ってるのか。
俺がイヤイヤ水那の命令に従う羽目になってしまった、と。
……バカだよ。傷ついたのは自分なのに、何で俺を気遣うんだ。
今だって……そんなに震えているのに。
俺は両腕を伸ばして水那の肩に触れようとしたが……諦めて、水那の背後の壁に寄りかかって拳を握りしめた。
本当は抱きしめたかったけど……怖がるから。でも、せめて……今、目の前から逃げられないようにするために。
水那が驚いたような表情で俺を見上げた。
『……無理だ』
『え?』
『別に……俺が辛い訳じゃない。水那が辛いだろうと……思うだけだ。ただ……俺には無理だ。俺の中で、それは……絶対なかったことに……できない』
過程はどうあれ……俺が一番水那の近くにいたときのことを……なかったことになんて、できない。
『……』
水那がじっと俺を見つめる。たまらくなって……俺は水那にキスをした。
しかし次の瞬間……やってしまったー!という後悔がドッと押し寄せた。
『……ごめん!』
俺はいたたまれなくなって、そのまま急いで水那の前から走り去った。
ああ……もう! どうして我慢しきれないんだ、俺って奴はー!
バカ、バカだろー! 触れないように拳を握りしめてたって、唇を奪っちゃ意味がないだろー!
梯子をとてつもない勢いで上がる。そいてその勢いのまま、ドンと壁を叩いた。
『おわっ、何だ?』
声がして振り返ると、親父だった。それに……レッカとホムラ、そしてセッカも。
「あ……お帰り……」
「ちょうどよかった。次の手を打つ会議をしようと思ってたんですよ」
レッカがにっこり笑うと、俺を地下に促した。
うおー……。今、このタイミングで戻るのかよ……。
俺は四人の後ろにちょっと隠れるようにしながら地下の部屋に入った。
こういうとき、でかい人間がいると助かるな。
水那が俺達にお茶を出してくれた。ちらりと水那を盗み見たが……特に怒ってはいないようだった。
……多分、だけど。
「ホムラの兵もほぼ仕上がりましたので、次はイスナに攻め込みたいと思います」
レッカが地図を指し示して言った。
「ふうん……。ただ、まだチョロチョロとラティブからカガリ領に入ろうとする奴がいるんだよな。山道のルートからラティブに行こうとしたり。そっちはどうするんだ?」
「それは、ソータさんにお任せしたいのですが。ソータさんは闇の動きからも侵入者を見つけることができる。だから今のところ、誰一人漏らしていないんだと思うんですよね」
「まあ……」
「ソータさんでないと、戦場での弓部隊の指揮は難しいでしょうか?」
「んー……大丈夫じゃないかな。一回経験してるし……。それに一人、リーダーみたいな奴がいて部隊をまとめてくれてるから。じゃあ、弓部隊の一部をもらって、俺がワーヒに残ればいいんだな」
「お願いします」
レッカが頭を下げた。
セッカが「えっと……」と言いながらレッカの方を見た。
「じゃあ、あたしは今度、ソータとレッカの連絡係をすればいいの?」
「そうですね。飛び回ってばかりでお疲れでしょうが、お願いします」
「戦う訳じゃないからね。それぐらいは、大丈夫。ホムラのオリガとも、だいぶん仲良くなれたしね」
この戦争中、セッカは主に各陣営との連絡係をしていたが、その間にオリガを飼い慣らしたようだ。ホムラとはオリガを介して連絡を取れるようになったらしい。
「さすが、俺の女」
「違う! 勝手なことを言うな!」
セッカが真っ赤になって机をドンと叩いた。
ホムラはガハハ、と楽しそうに笑っている。冗談ぽく言ってるけど、相当セッカを気に入ってるんだろうな。
……やっぱり、いいコンビだと思うけど。
しかし俺が言うと本気でキレかねないので
「それで、親父はどうするんだ?」
と話題を変えた。
「ミズナさんと一緒に、しばらくこの城に滞在していただきます。イスナを制圧したら拠点をイスナに移しますが、この戦いが終わらない限りヤハトラまでお送りすることができないので……」
「ふうん……。それならちょうどよかった。俺、親父に稽古つけてもらおうと思ってたからさ」
水那が通訳したらしく、親父が
『そうか! やっとやる気になったんだな!』
とバンバン俺の背中を叩いた。
『いや、なったはなったけど、手加減してくれよ。ほら、ブランクがあるからさ……』
『大丈夫、大丈夫!』
全然大丈夫じゃない……。
親父は水那の方を見ると
『水那さん、それじゃあ、もうしばらくよろしく。……ところで、颯太は迷惑をかけてないですか?』
と言い出した。
く……クソ親父!
今、このタイミングでそれを聞くなー!
俺は内心かなり焦っていたが、
『……はい。いつも……守ってくれています』
と水那は少し微笑んで答えていた。
ごめん、水那。気を使わせて……。自分が情けないよ、俺は。
まあ、とにかく……レッカとホムラが揃ってるし、兵力も上がった。前線は、大丈夫だよな。
俺は……俺のやるべきことをやろう。
そう心に決めると、俺はぎゅっと拳を握りしめた。
次の日になって、レッカとホムラとセッカがイスナに向かった。
俺はワーヒに戻り、ラティブを出入りする人間の監視をしていた。
イスナにはカガリの残りの兵士の約半分……500ぐらいの軍勢がいたようだが、この場にもカガリはおらず、比較的順調に制圧できたらしい。
その後は何人かがラティブに逃げ出そうとしていたが、俺の方で捕まえた。
これで……残っているのは、カガリのいるサラサだけだ。
あともう少しで、このハールの内乱も――終わる。
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