漆黒の昔方(むかしべ) ~俺のすべては此処に在る~

加瀬優妃

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18.闇の先(2)

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 アブルの家は、俺たちの世界でいうところの「普通の一軒家」だった。
 1階に台所と十二畳ぐらいの居間。居間の隣にも、もう1つ部屋がある。
 狩りでしとめたのか、ごっつい獣の角があちこちに飾ってあった。
 元々は小奇麗な部屋なんだとは思うが……すっかり闇で真っ黒になっている。
 その闇は、奥の階段から二階へと続いていた。濃さを増してねっとりと漂っている。
 そして……人間とは思えないような呻き声が上から響いていた。

「うわー……何か、感じ悪い……」

 セッカが身震いする。見えないが、感じるようだ。
 祠とはまた違う感じだ。人にとり憑いた闇は、こんなにも気味の悪い物なのか。

「セッカ。この闇は……祠と同じように浄維矢せいやをアブルに打ち込むことでしか回収できない。ただ、知ってるよな? ちょっと時間がかかるんだ」
「うん。その間、押さえつければいいんだよね?」
『水那は俺の後ろにいろ。さっきジンの闇を祓って、疲れただろ。ここからは俺がやる』
『……うん』

 水那が少し嬉しそうに頷いた。
 俺たちは呻き声が聞こえる二階に上がった。
 3つほど扉があったが、そのうちの1つがわずかに開いている。

「何で……俺がこんな目に……ホムラだ。ホムラがいるから……」

 もう精神が完全にねじ曲がったような、男の声が聞こえてきた。

「みんな……俺を……馬鹿にしやがって……」

 ホムラのところに攻め込んだものの返り討ちにあい、仲間もいなくなり、闇にすっかり浸食され……もう正気ではいられなくなったようだ。

「……行くね」

 セッカは俺に頷いてみせると、アブルが居ると思われる扉をバーンと開けた。

「アブル! 大人しくしろ!」
「……女……女なんか、に……」
「うわぁ、キモ!」

 その声を遠くに感じながら……俺は胸の中の勾玉に意識を集中させた。

『――ヒコヤイノミコトの名において命じる。……汝の聖なる珠を我に。我の此処なる覚悟を汝に。闇を討つ浄維矢せいやを賜らん……!』

「ぐああー!」

 俺の宣詞の効果を感じたのか、アブルの悲鳴が聞こえる。

「くそっ、すごい力だな、ほんとに……!」

 セッカが歯を食いしばって鎖でアブルの身体をがんじがらめにしている。
 アブルの目は血走り……口からはよだれをダラダラこぼしていた。
 俺は右手に現れた浄維矢を番え……狙いを定めた。

「――はあっ!」

 矢がアブルの左胸に命中する。アブルがこの世のものとも思えない悲鳴を上げて苦しむ。
 光が……アブルの闇と……辺り一帯に漂っていた闇をすべて絡め取る。

「ぐぎゃああー! 俺の、俺の……!」

 アブルは歯を剥き出しながら両手をぶるぶると震わせ、空を仰いた。
 闇を包んだ光の珠が……俺の胸の中に収まる。

「ぐうっ……」

 祠の闇よりずっと小さいはずだが……かなりの嫌悪感が俺を襲った。
 思わず膝をつく。

「が……あ……」

 アブルが白目を剥き、泡を吹く。
 ずっと押さえ込んでいたセッカが、大きな溜息をついて手元の鎖を緩めた。
 アブルが人形のように床に倒れた。うつ伏せで、ぴくりともしない。

「もう……気味悪い……」
「おい!」

 廊下からドカドカという足音が聞こえ……ホムラが現れた。

「どうなっ……うおっ!」
「とりあえず……闇は回収した」

 俺は大きく息をついた。

「外の様子はどうだ?」
「前の……集落で捕まえている奴らと一緒だ。何でこんなことになってるか分からないって感じでよ。ジンは……倒れたまま目を覚まさない」

 ホムラはそう答えると、泡を吹いたまま意識のないアブルを、まじまじと見ていた。

「領地の境界で待ち構えているアブルの部下って、どうなってるんだろう」
「んー……」

 ホムラは腕を組んで考え込む。
 そして、ふと何かを思いついたように「よし」と頷くと、倒れているアブルを抱え上げた。

「うわっ! ホムラ、ソレ、どうするつもりなんだ?」
「これ見たら降伏するんじゃねぇかな。頭がいなくなっちまったんだからよ」
「……なるほど……」
「ちょ、ちょっとホムラ!」

 セッカがホムラを引っ張った。

「せめて縛り上げときなさいよ。急に起きて暴れたら困るじゃん!」
「おっ、気が利くな」
「気が利くとかそういう問題じゃないでしょ!」

 ホムラがいったんアブルを下ろすと、セッカが腰につけていたロープでアブルを縛り上げた。
 ……何だかんだ言って、いいコンビな気がする。

「捕まえた連中の見張り、頼むな。じゃ、ちょっと行ってくらぁ」

 そう言うと、ホムラはアブルを抱え上げ、散歩にでも行くような気軽さで部屋を出て行った。

「……豪快だな……」
「……っていうか、バカなだけよ」
「セッカとお似合いな気がするけどな」
「なっ……! あんなバカ、お断りよ!」

 セッカはそう怒鳴ったけど、何となく顔は赤い気がした。
 これ以上言うと俺の身が危ない気がしたので、俺は「とりあえず出るか」と言って部屋を後にした。

   * * *

 その日、夜になってもホムラは戻ってこなかった。
 そう遠くはないはずなので少し心配だったが、戦争しているような気配もなかったので、とりあえずアブルの家の周辺でセッカと交代で休みながら一晩明かした。
 家の周りに転がしておいた見張りは、すっかり気力をなくしておとなしくなっていた。

 ジンは、夜が昼に変わる頃に目を覚ました。しかし意識はあるものの当分動ける状態ではなかった。
 闇はすっかりなくなっていたし、反抗できる状態でもなさそうだったので、とりあえずアブルの家の一室に寝かせ、セッカを見張りにつけた。

 昼になってだいぶん経ってから、ホムラがアブルを抱えて戻ってきた。
 背後に大量の人間を引き連れていたので、腰を抜かしそうになった。
 集落に捕らえられていたアブルの手下たちと、領地の境界で待ち構えていた手下たち、そしてホムラ自身の部下たちだった。
 ざっと数えて……千人近くはいるようだった。

「よう! 待たせたな!」
「何だ、何が始まるんだ、いったい……」
「とりあえず集めとこうと思ってよ。アブルがこういう状態だし……」

 ホムラがどさっとアブルを降ろす。
 アブルはまるで心が空っぽになったように……虚ろな目で全く動かず、何も喋れない状態だった。
 とりあえずジンと同じ部屋に寝かせ、セッカと交代してホムラの部下二人を見張りに付けた。

「……で、どうするつもりなんだ?」
「何か、闇がどうとか言ってたからよ。ソータに連中の様子を見てもらった方がいいかと思ってよ」
「……確かに」

 俺の見たところ、闇にとり憑かれている連中はいなかった。
 祠の闇の回収も終わっているので、この辺りはかなり澄み切っている。再び闇に囚われる可能性は低そうだった。
 手下たちも正気に返って――乱暴な性質は生まれ持ってのものだったみたいだが――ホムラに従うことに異論はなかったようだ。

「あとは俺と俺の部下でやるから、ソータたちはアブルの家で休んでいいぞ。昨日、あんまり寝てねぇだろ」
「わかった。助かるよ」

 ホムラに礼を言い、俺と水那とセッカはとりあえずアブルの家に入った。

「はー……疲れた……」

 セッカが肩をこきこき鳴らしながら背伸びをした。

「ソータ、体は大丈夫? あれ……あの光の矢、すんごく疲れるんだよね?」

 セッカが心配そうに俺を見た。

「まぁ……。でも、だいぶん慣れてきたからな」
「ミズナは大丈夫? 初めて闇を祓ったんでしょ?」
『……うん』

 ミズナは自分の胸元を押さえた。

『何だか……少し、力の使い方が分かった気がするの。……雫のおかげかも……しれない』
「……力、分かった、雫、だけ聞き取れた。……ミズナは何て言ったの?」

 例の手帳にメモをしながら、セッカが俺の方を見る。

「ジャスラの涙の雫のおかげで力の使い方が分かった気がする、ってさ」

 水那が言っている雫は……多分、祠で飲ませた雫のことを言っているのだろうとは思ったが、あのときのことはセッカに言う気にはとてもなれなかった。

「そうなんだ。すごい力があるんだね、あのつぶつぶ。見つけたら拾わないと」
「セッカには見つけられないよ。俺が見つけたら、拾うのを手伝ってくれ」
「りょーかい」

 でも……それだけじゃない気がする。
 水那の口数が、かなり多くなったような気がした。それに、俯くこともかなり減った。
 ネイアに言われて、前向きに頑張ろうとしてるんだろうか。
 自分のせいで、とばかり考えるんじゃなくて……自分に何ができるか、を。

 ――ふと祠でのことを思い出して、俺は水那から目を逸らした。
 昨日は闇が漂っていたせいで気づかなかったが、玄関のすぐそばに扉があった。
 開けてみると、狭い部屋に一つだけベッドが置いてある。見張りの人間が仮眠でも取る部屋だろうか。

「とりあえず、俺はここで寝る。この辺りは闇を回収したばかりで奇麗だから、ミズナは俺の近くに居なくても大丈夫だぞ」

 その部屋を指差しながら言うと、セッカが「わかった」と言って頷いた。

「じゃ、水浴びしたら一緒に寝よう、ミズナ」
「……」

 水那はセッカに向かって頷くと、俺の方をちらりと見た。

「……おやすみ」

 俺は少し笑って二人に手を振ると、部屋に入ってベッドにごろんと横になった。

 水那が何か言いたげな気もしたが……俺、そんなに不自然じゃなかったよな?
 これから、どんな顔をして旅をすればいいんだろう。何か申し訳ないというか、あんまりエラそうなことも言えない気がする……。

 そうしてぐちゃぐちゃといろんなことを考えてしまい……俺はなかなか寝付けなかった。
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