上 下
12 / 34

11.デーフィの祠(6)

しおりを挟む
 俺達三人は山頂に向かって登り始めた。
 山と言ってもそんなに険しくはないので、2時間もあれば頂上に着きそうだ。

 しかし、祠に近付けば近付くほど闇が濃くなる。
 セッカは何も感じないようだが、水那はかなり怯えていた。

 危険なので俺が先頭に立ち、水那には
「俺の上着の裾を掴んでろ」
と言って後ろを歩かせた。セッカは一番後ろだ。

「セッカは何も感じないか? 気分が悪いとか」
「んー、ないねぇ……」

 ネイアは、闇が人の劣等感にとり憑いて鬱屈させたり、人の欲に取り憑いて好戦的にしたりする、と言っていた。
 あるがままの自分を受け入れ他人を受け入れるセッカには、闇もとり憑く隙がないのかもしれない。

「……お前、いいヤツなんだな」
「今さら?」

 セッカはアハハ、と声に出して笑った。

 そうこうしているうちに、頂上近くに着いた。
 2メートルぐらいのぽっかりとした穴が開いている。どうやらこの奥に祠があるのだろう。
 俺の目には、穴から何本もの黒い触手みたいなものがうねうねしているのが見える。

「……行くか」

 俺は後ろの二人に振り返った。

「かなり闇が濃い。とりあえず二人とも俺に掴まってくれ。ただ、祠の前に来たら俺は矢を放つ必要があるから、そのときは適当に足でも掴んでろ。とにかく、絶対に離れるな」
「あたしも?」

 セッカが不思議そうな顔をする。

「セッカはかなり耐性がありそうだけど、念のため。さすがに何か感じるだろ」
「……うん。近寄りたくない感じ」

 セッカは頷くと、水那の肩を抱いた。水那はかなり大量の汗をかいている。
 もともと闇をかなり引き付ける体質で、俺の加護だけで防いでいる状態だからな。

「ミズナ、もう少しだよ」

 セッカが元気づけるように水那を抱きしめる。水那は黙って頷いた。

「……じゃ、行くぞ」

 一歩、足を踏み出す。何とも言えない圧迫感がある。
 黒い触手が、俺の周りに近寄ろうとしてはぐにゃりと曲がって遠ざかる。
 それでも気になるように、俺の周辺に纏わり続ける。

 ――奥に辿り着くと、急に天井が高くなった。5メートルはあるだろうか。
 小高い山が作られていて、そのてっぺんに祠がある。
 祠の真ん中に丸い窓のようなものがあり、そこから闇を吸収しているようだ。
 今は闇で見えないが、その奥にジャスラの涙の結晶が安置されているのだろう。
 ネイアが狙えと言っていたのは……多分、この窓だな。

「……行くぞ」

 俺が言うと、セッカは俺の左腕から手を離し……左足に掴まって地面に這いつくばった。
 俺の邪魔をしないようにするためだろう。水那も同じように右足に掴まっている。

『水那。気持ちを強く持て。何があろうと俺の身体から手を離すなよ。いいな』
『……うん』

 水那が少し朦朧としながら頷いた。
 俺は深呼吸すると、鳩尾を押さえた。

 勾玉の力を感じる。
 ……すると、俺の脳裏に、前に見たあの男の姿が映った。
 俺の意識と……ゆっくりと混ざり合ってゆく。

『――ヒコヤイノミコトの名において命じる。汝の聖なる珠を我に。我の此処なる覚悟を汝に。闇を討つ浄維矢せいやを賜らん……!』

 記憶の中の男の声と俺の声が重なる。
 右腕を掲げると、光が放たれ……手に浄維矢が現れた。

 周りの景色が一切なくなった。
 スローモーションのように、自分の一挙一動がゆっくりに感じられる。
 俺の目に映るのは……祠の丸い穴だけだ。

 感覚が研ぎ澄まされるのが解る。
 俺は弓を引き絞り……浄維矢を放った。
 蠢く闇を切り裂き、真っ直ぐ飛んで行く。

 矢が丸い穴に穿うがたれた瞬間――辺りが光に包まれた。
 俺は残心のまま……その様をじっと見つめた。
 闇が光に絡め捕られて……丸い珠に凝縮される。
 その丸い珠は浄維矢の軌道を戻り、弓を伝い、俺の腕を辿って胸の奥に納められた。

「……!」

 急に胸の奥がしめつけられるような感覚がして、思わず膝をついた。
 視界がぐるぐる回り、立っていられない。
 
「ソータ!」
『……っ……!』

 気が付けば、周りの空間は元の景色に戻っていた。硬そうな岩肌、湿った地面が目に入る。
 セッカと水那が両脇から俺の身体を支えた。

「いや、大丈……夫。初めてで少し疲れただけだ」

 俺は立ち上がって二人の腕を離すと、再び祠を見上げた。
 丸い穴の奥――ジャスラの涙の結晶がひときわ美しく輝いている。
 そして……入りきらずに周りに漂っていた闇が、ゆっくりと穴に吸い込まれていくのがわかった。

   * * *

 頂上の穴から出ると、森を覆っていた闇がゆっくりとこちらに移動しているのが分かった。
 ジャスラの涙がもとの輝きを取り戻したことで、再びデーフィの闇をゆっくりと絡め取っていくのだろう。

“……ソータ。宣詞を唱え、無事デーフィの祠を鎮めたようだな”
「おわっ!」

 急に自分の中から声が聞こえ、俺は変な声を上げてしまった。
 セッカと水那が不思議そうな顔をしている。二人には聞こえないようだ。

「その声……ネイアか?」
“そうだ。勾玉が反応したので、その力を使って話しかけている”
「ふうん……。あ、そうだ」

 俺は懐から透明な珠が入った袋を取り出した。1粒取り出して見てみる。
 やはり輝きは……ない。

「今朝、岩穴で小さい透明な珠を3粒ほど拾ったんだ。何か気になって取ってあるんだが、これ何だ?」
“何だと!?”

 ネイアの声が大きかったので思わずのけぞる。胸の中から声が響くって、変な感じだ。

“お前、それをどうやって見つけたのだ?”
「何か光ってたというか気配を感じたというか……そんな感じで」
“――それは、ジャスラの涙の雫だ”
「へ?」

 まじまじと見る。
 さっき祠で見たジャスラの涙の結晶はまあまあ大きく、かなり輝いていたようだったけど……。

“祠に安置されている結晶は、女神ジャスラがその場に留まり、大量に流した涙が固まってできたものだ。そして雫は、女神ジャスラが彷徨いながら零した涙だ。性質としては同じものだから、集めればそれなりの力を発揮するはずだが……如何せん小さすぎて見つけられない、というのが実情だ”

 道理で……。昨日の夜は疲れてたせいか、全然気付かなかったからな。

“それを見つけることができたとは……ソータはやはり、かなり大きな力を持っているようだな”
「じゃあ、見つけたら拾っておいた方がいいってことだよな」
“そうだ。ミズナに渡しておくのが良いであろう”

 俺は珠を袋に戻すと、水那に渡した。
 水那は不思議そうに袋の中を覗いている。そしてハッとしたように俺の顔を見上げた。
 水那はフェルティガエだから、何か力を感じたのかもしれない。

『ジャスラの涙の雫、らしい、お守り代わりに持ってろ』

 水那は大事そうに袋を持つと、こくんと頷いた。

“ソータ。水那の耳を自分の胸にあてろ”
「へっ?」
“わらわが水那と話をするためだ”

 それって、抱き寄せろって言ってるのと同じだよな……。
 何となくこれまでの経緯から、水那は男が怖いんじゃないかと考えていて……だから俺は、自分から水那に触れるのはやめようと思っていた。
 靴擦れの時も、かなり怯えていたからな。
 ……まあ、意識がないときはともかくとして。

「いや、でも……」
“もうすぐ力が切れる。早くしろ”

 ネイアが少しイライラしたような声で急かす。
 俺は溜息をつくと
『……水那。ネイアが話をしたいらしいんだ。俺の胸のこの辺に耳をあててくれ』
と、鳩尾を指してそのまま水那に伝えた。
 俺からする訳にもいかない以上、これしかない。

 水那は少し不思議そうな顔をしていたが、両手を俺の胸に添えると、そっと擦り寄って来た。

「……っ」

 ぐはぁっ、思ったより攻撃力が高い……!
 なぜだ、別にそういう経験がないわけでもないのに。
 こう、胸の奥にくるというか腰にくるというか、うう、相手が水那だとこうも違うのか。

 ふと視線を感じて振り向くと、セッカがじーっと俺達を見ていたので、俺は必死で冷静を装った。

“ミズナか。雫は受け取ったか?”
『……はい』
“わずかだが、力が感じられるはずだ。それで……祠に吸い込まれる闇は視えるか?”
『……はい』
“この闇が浄化できるか……せめて祓うことができるか練習するとよい。失敗しても、祠に安置されているジャスラの涙が吸収してくれる。ソータも近くにいるし、気楽にな”
『……わかりました』
 “そろそろ時間切れだ。……ああ、親父殿は元気だぞ”
「そうか。……ありがとう、ネイア」
“……ふっ”

 ネイアは少し微笑んだようだった。
 そして間もなく、俺の胸の中から気配が消えた。
 水那はパッと俺から離れると、右手を自分の胸にあて、少し溜息をついた。

 俺に触れるのに緊張したんだろうか。……嫌だったとか?
 まさかな。そうではないと信じたい。

 ずっと黙っていたセッカは、俺達二人を見比べると
「何で急にイチャイチャし始めたの?」
とあっけらかんと聞いてきた。

「イチャイチャって……違う! 勾玉を通じてネイアと話してただけだ」
「ああ……そういうこと」

 だから、そういう微妙なことを言うなよ……。
 そう思ってセッカを少し睨んだが、セッカは全く気にしていないようだ。

「ネイア様、何て言ってたの?」
「闇の浄化の練習をしてみろ、と。俺が回収した後の方が安全だから」
「なるほどねー」

 俺は水那を見た。

『そのジャスラの涙の雫は、祠の結晶と同じものらしいんだ。……小さいけど。水那の助けになるかもしれない』

 水那は頷くと、俺が渡した小さな袋を胸に押し当てた。祈りを捧げる。
 ……しかしまわりの闇は水那を素通りして祠の方へ飲み込まれていくだけで、特に変化はない。

「……何もなってないな」
『……ごめんなさい……』

 水那が申し訳なさそうに俯く。

『気にするな。まだ旅の最初だ』

 俺はそう言うと、セッカに向き直った。

「セッカ、そろそろ戻るか」
「そうだね。帰りは……実は裏技があるんだけどさ」
「裏技?」

 セッカは辺りをキョロキョロと見回すと、ピューッと口笛を吹いた。
 しばらくすると、山の向こう側からバサッバサッと何かが羽ばたく音が聞こえてきた。
 空を見上げると、羽の生えた白い馬が飛んでくる。

「何だあれ! ペガサスか!?」
「ぺ……何? あれは、チョロンパっていう生き物。この山の向こうに少しだけ生息してるんだ」

 そのチョロンパとやらが、セッカの前に降り立った。
 クーン……と鳴いてセッカに擦り寄っている。何だかセッカに懐いているようだ。
 ……というか、容姿と名前が全然つり合ってない気がするのは、俺だけだろうか。

「子供の頃に迷子になってウチの方に来たことがあって……。怪我してたから、手当てして群れに戻してあげたんだ。それ以来、口笛の音で来てくれるんだよ。多分、ウチぐらいまでなら飛んでくれる」
「そんな便利なものがあるなら、なんであんな苦労して、森を越えて……」
「臆病な生き物だから、森を越えて気配であたしだって分からないと来てくれないんだ。口笛も聞こえないしね。だから、帰り道限定」

 そう言うと、セッカはチョロンパに向き直って頭を撫でた。

「チョロ。三人、乗せて?」
「クーン……」

 チョロは犬のような声を出すと、ゆっくりとしゃがんだ。
 乗っていいよ、ということだろうか。
 ……しかし鳴き声は子犬みたいって……何だかぐちゃぐちゃだな。

 まず俺が乗ってから水那を引っ張り上げて乗せる。そして、セッカが最後に飛び乗った。

「じゃ、行こうか!」

 セッカの声で、チョロは再び翼をはためかせた。
 ワンッと一声鳴くと、ゆっくりと宙に舞い上がる。
 しかし、あまり高い所まで飛べる訳ではないようだ。多分、祠の山を越えるぐらいが限界なんだろう。

 俺は下を見下ろした。
 黒く淀んでいた森は、大部分が光を取り戻していた。大半の闇は、祠に取り込まれたようだ。
 もともと少なかった草原地帯は、より奇麗に澄み渡っている。草の青が目に沁みるくらい眩しい。

 振り返って祠のある山を見ると……ゆっくりと闇を飲み込みながら、どっしりとその存在感を示していた。
しおりを挟む

処理中です...