[完結] 偽装不倫

野々 さくら

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38話 川口圭介(9)

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次の日、佐和子は朝になってもぐっすり眠っていた。佐和子はお酒に弱く、飲んだ次の日は起きる事は出来ない。


── 昨日はどこで何をして来たんだ……。


初めて佐和子を疑ってしまった。

俺は気持ちを紛らわす為にも、久しぶりに料理し佐和子の目が覚めるのを待つ。


佐和子はなんと夜まで眠っており、「頭痛い」と言いながら起きて来た。

『……あ、佐和子……。昨日はごめん……。昼ご飯作ったんだ。……もう、夕食になるけど、食べない?』

『あ、ううん、仕事だもん仕方がないよね……。ご飯ありがとう。』

お互い黙り込む。


『……あ!』

佐和子が声を出す。


『ごめん、ちょっと用事!』

『え?どうしたの?こんな時間から?』

時刻は七時前だった。


『うん、遅くなるから先食べてて。片付けは私がするから。』

そう言い残し、佐和子はスマホのみ持ち出かけて行く。


それから帰って来たのは二時間後。たくさんのお菓子を抱えて帰って来た。


『どうしたの、このお菓子?』

『……あ、えーと、買ってきたの。』

佐和子は異常な程に瞬きをせずに話す。


……俺は知っていた、佐和子は財布を置いて行った事を……。瞬きをせずに話す時は……。


『そっか、お腹空いたよね?ご飯食べて……。』

俺はわざと話を逸らし、これ以上話を振らない。……佐和子から、またあの甘い花の香りが漂って来たからだ。

今日はお酒の香りはしない。つまり飲んできてないらしいが、じゃあどこに行っていたんだ?まさか別の……。


『圭介あのね、実は昨日赤ちゃんが出来やすい日でそれで今日もまだ可能性が……。』


『ご、ごめん!……今、仕事忙しくて、そうゆうの難しくて、だから一年子供を待ってくれないか?』

俺は反射的に拒否してしまった。……また失敗したらと思うと怖かった……。

佐和子は、そんな情けない俺を見てしばらく黙り込む。


『……うん、分かった……。』

そう返事した後は別の話をして、その後一度も子供について言って来なかった。


── 俺は、逃げ出した……。体に問題を抱えている事も、不妊体質かもしれない事も、佐和子から放たれる花の甘い香りからも、全てから……。何か一つでも向き合えば、佐和子はもう戻って来てくれなくなるのではないかと思ったから……。

結局俺は母さんからだけでなく、佐和子からも逃げ出してしまった。




結局、こうして結婚記念日は終わり一年が終わった。

そして次の年になり、支店長の俺への対応はより酷くなっていった。

激しい叱責、明らかに一人で出来ない仕事量を無理に振る、残業しても終わらずより酷い叱責となっていった。


俺はだんだんおかしくなっていた。常に頭や胃が痛い、誰とも話したくない、休みの日は起き上がる気力もない、太陽の光すら辛い、もう布団から出たくなかった。

俺は休みの日は一日寝て過ごし、佐和子から近所への散歩や買い物の誘いすら断るようになった。それに……。


『……ごめん、味薄かった?』

『……え?いや、美味しいよ……。』


『……そう。』


俺は料理に醤油や塩コショウをやたら入れるようになった。佐和子の作ってくれた出汁や風味の効いた味が分からなくなっていたからだ。とにかく疲れを癒したくて、ひたすら濃い味のものを体が求めるようになった。


── 仕事に行きたくない……、でも行かないと次は誰かが……。


そう思い、無理に体を起き上がらせ職場に向かう。気付けば俺は相手の顔色を伺い、怒声に怯え、我慢して都合の良い人を演じるようになった。昔、母さんにしていた事のように……。

東京に来て二年、俺は昔の俺に戻ってしまった……。

そして佐和子も、以前と同じように買い物以外出かけなくなってしまった。……最初の一年は……。


あの結婚記念日以降、佐和子は時折お酒を飲んで帰って来るようになった。俺が残業で10時を過ぎる時、「もういい」と言い出て行った時、それは一週間に一度の頻度だった。

最初は心配で佐和子を必死に探した。しかし俺の足は遅く、追いかけてもすぐ見失ってしまった。周辺の住宅地を探しても見つからなかった。仕方がなく、アパートのベランダから見下ろし佐和子を待つ事とした。

すると佐和子は二時間程で、千鳥足でフラフラ歩いて帰って来た。

俺は危ないと思い佐和子の元に行こうとすると、……後ろに誰かが居た。

遠目からでも分かった。長身な男性……、あの花の香りを漂わせた男性だと……。

佐和子は振り返らない事から、後ろに男性が居た事は気付いていないと思った。


そして、そのままアパートに帰って来た。

俺は聞きたかった。いつもどこに行っているのか?誰と会っているのか?……あの男性は誰なのか?

しかし……。

俺は慌てて布団に被り、寝たふりをした。……怖かった……、とんでもない事実があるのではないかと……。

だから、俺はこの不安に蓋をする事にした。また逃げた……佐和子から……。


それ以降、佐和子が何か話して来ても俺は真正面に向き合わなくなった。気付けば、「うん」と「ごめん」しか言わなくなっていた。

佐和子はそんな俺に呆れたのか、何も言わなくなっていき、お酒と花の香りを漂わせて帰ってくる頻度が増えていった……。

俺はもう追いかけなかった。全て俺が悪いのだから……。必ず帰って来てくれる事を信じて俺は待つ事にした。

12時が過ぎようとも、どれだけ疲れていても、どれだけ眠くても佐和子を待っていた。……全てを知りたい気持ちと、知りたくない気持ちが入り混じり精神がおかしくなりそうでも、ただ耐えていた……。


こうしている間に、転勤してきて1年11ヶ月、あと1ヶ月で2年になろうとしていた。

今までの転勤のペースは大体2年毎だった。……そろそろ、また辞令が出る頃ではないかと密かに期待し始めた。

── 地元に帰りたい……。帰ってあの頃みたいに佐和子と車で出かけたい。またあの海に二人で……。


[そろそろ子供が欲しい]


あの海で佐和子に言われた事を思い出した。……俺は ──。

佐和子が子供を欲しがっていたのも、一年待って欲しいと頼んでいた事も忘れていた……。


[東京に行っても仲良く暮らそう]

俺はその約束をすっかり忘れて、佐和子を置いてけぼりにしていた。佐和子は仕事をまた辞めて、家族とも友達とも別れて付いて来てくれたのに……。

東京に来る時の、「佐和子を塞ぎこませない、俺が外連れ出す。不安な佐和子の側にいる」と決めていた事すら忘れてしまっていた……。


俺は佐和子との修復を図りたいと思った。許されるなら、もう一度チャンスが欲しい……。その一心だった。


だから一ヶ月後の結婚記念日に、去年のやり直しをさせて欲しいと佐和子に頼んだ。また仕事で遅くなるといけないから今年は家でゆっくり過ごそう、洋食屋とイルミネーションは日曜日のクリスマスに行こう。そして、子供の事も話し合おうと……。

それを聞いた佐和子の顔は一気に明るくなり、笑って頷いてくれた。

俺は今度こそと決めた、佐和子から逃げないと……。今まで放っておいた事を謝り、ちゃんと帰ってくるから夜出かけるのは止めて欲しいと頼み、……そして子供が出来ないのは俺のせいかもしれない事を話すと……。


……そう決めたが、俺はまた悩み始めてしまった。佐和子が、俺のせいで子供が出来ないと知ったらどうなるのだろう?……子供が出来ない事が理由で離婚になる話は聞いた事がある……。それぐらい子供は大事な存在なのだろうと思った。

……離婚……、佐和子と……。

俺は仕事中に私情を挟んでしまった。そして、それがとんでもないミスを起こしてしまった。


幸い、損害にはならずに済んだが、仕事を増やし残業になってしまって行員全てに迷惑をかけてしまった。……俺は必死に謝った。

すると、誰も怒らず許してくれだが、やはり支店長は許してくれなかった……。


『お前なんて辞めてしまえ!迷惑なんだ!』

『申し訳ありませんでした!』

俺は何度も頭を下げる。


しかし、やはり叱責は止まらず毎日この失敗を責められ俺はどんどん追い詰められいった。……幼い頃、母さんに叱られた事を思い出し苦しくなっていった……。


── 仕事辞めようかな……。俺なんていない方が良いんだ……。


初めて退職を考え始めた。俺が居ると迷惑になる……。俺はアパートにどうしても帰る気がしなくて、繁華街をただ歩き回った。




ピロロロロ、ピロロロロ。

佐和子から電話がかかってきて応対する。さすがに0時回っていたら電話かけてくるかと思いながら……。


『圭介?大丈夫?どうしたの?今、会社?』

『……あ、うん、そうだよ。』

俺は嘘を吐いた。一人退職を考えながら繁華街を彷徨っているなんて言えなかった……。


『……ねえ、本当に今……。……ううん、気を付けて帰って来て……。』

『佐和子、先寝てて。』


『……うん……。』

佐和子は小さい声で返事をして電話を切る。

俺は佐和子の声を聞いて思考を巡らす。


── 佐和子は俺の仕事の為に付いて来てくれたんだ……。何勝手な事言っているんだ?

俺は自身に言い聞かせて働くと決めた。私情など挟まずに必死に……。





『今日は早く帰って来てね。』

佐和子はある日、ニコニコ笑いながら仕事に行く俺を見送る。

── どうしたのだろう?

分からないまま仕事に行った。


この日はいつも以上に支店長の叱責が酷く、割り振られた仕事量も多かった。

しかし気にしても仕方ない。俺はとにかく必死に仕事をこなして家に帰った。


すると佐和子が暗い表情で俺を出迎えた。

『……遅かったね……。』

『あ、ごめん!先寝てて良かったのに……。』


『……今日何の日か覚えてるよね?』

『……え?』

俺は混濁の表情を浮かべてしまう。


── え?何の日だっけ?融資の約束?契約の判子をもらう日?入金ミス?……また俺は失敗をしたのか?


『もういい!』

そう言い佐和子はまたアパートを出て行ってしまった。

俺はまた何かやってしまった。でもその理由が分からなかった……。

俺は一人、用意されている食事を冷蔵庫から出す。


── あれ?今日多くないか?それになんか品数も多いし……。

そう思いながら半分程食べ、片付け、お風呂に入り佐和子を待つ。

すると二時間程でまた帰って来た。俺は慌てて布団を被り寝たふりをした。

しかし、佐和子は帰って来てすぐにソファで眠りについてしまった。お酒を飲んで帰ってくるといつもこうなる。


『……佐和子風邪引くよ……。』

そう言い俺はいつも通り、佐和子をパジャマに着替えさせ、布団に運ぶ。


『偽装よ!偽装!偽装してやるー!』

そう叫んだと思ったら、またすぐ寝てしまった。


『……偽装……?』

佐和子が突然騒いだ不穏な言葉。

その日から、佐和子の様子が変わっていった……。



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