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28話 川越大輔(7)
しおりを挟むバーから飛び出した佐和子はひたすら走る。振り返る事なくただ真っ直ぐに……。
「きゃあ!」
佐和子は凍りついた地面に足を滑らせて盛大に転ける。
それにより、顔や髪、コートまでもがびしょ濡れになり、その場に座り込んだままの状態になる。
……佐和子は思わず待ってしまう……。優しく大きな手が自分に差し出される事を ──。
しかし、そんな手はない。自分からその手を振り払ったのだから……。
佐和子は自身の足で立ち上がり、濡れた顔や髪、コートを軽く払い家路に向かう。
……以前、化粧品販売員とやり取りした会話を思い出しながら……。
『あのお友達とは少し距離を取った方が良いかもしれませんね……。』
『いや、あの人とは本当に何も!』
『分かっていますよ。ただあのお友達を傷付けたくなければ……ね。』
── 本当だった……。大輔さんに中途半端な事して……、私は最低だ……。
佐和子はアパートに戻って来て、圭介の目が覚めないようにそっと玄関のドアを開ける。次に、濡れたコートを玄関に干しておく。
── コートについて聞かれたら、お腹が空いたからコンビニにプリンを買いに行ったと嘘を吐こう。そう決める。
こうして部屋に入り、寝室を覗くと圭介は眠っているのか、布団にいる。
佐和子は安堵の溜息を吐き一言呟く。
「……ごめんなさい……。」
そして、シャワーを浴びに行く。
……しかし佐和子は気付いていなかった。濡れているのは自身の靴やコートだけではなかった事を。眠っていたはずの圭介が実は寝たふりをしていたという事を……。
ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ……。
圭介は朝のスマホのアラーム音で目が覚める。横を見ると佐和子の布団は片付けてあった。
「佐和子!」
圭介は慌てて台所に来る。
「おはよう、圭介。」
佐和子は朝食とお弁当の準備をしている。いつもの光景、しかし最近は体調を崩し家事どころではなかった。
「大丈夫……、なのか?」
「うん!ごめんね、迷惑かけて。もう大丈夫だから仕事に行って!」
圭介は食事が出来なくなった佐和子の看病の為、前日仕事を休んでいた。当分の間、看病が必要だと思っていたが、佐和子の変わりようにただ驚く。
「……うん。」
「ご飯出来たよ。食べよう。」
「……ああ。」
二人はいつも通り、朝食を共にする。
佐和子が盛った食事の量はいつもの半分以下であり、まだ完全な回復ではないみたいだが食べている。……少し無理に口に入れているようにも見えるが、しっかり食べていた。
「……本当に大丈夫か?」
「うん。昨日はごめんね。仕事休んだから大変だったよね?」
「……大丈夫だよ……。」
そうは言うが、昨日休みたいと電話をした時に強い口調で休むと上司に言ってしまった……。思い出しただけで、今日の出勤が憂鬱になった……。
……思わず圭介の表情が曇る。
「……やっぱり大変だったよね……?」
「違うから!じゃあ、そろそろ……。」
圭介は食事を終え、身だしなみを整える。歯磨きをしながら佐和子の濡れたコートや靴を見ている。
「圭介、時間!」
「あ、うん。」
圭介は歯磨きを終え、仕事の準備をし出て行こうとする。いつもなら「行ってきます」と言い出ていくのだが……。
「……コートどうしたの……?」
「……え?」
「……ほら、濡れているから……。」
「昨日ね、お腹空いちゃってコンビニにプリン買いに行ったの!」
佐和子は明らかに瞬きをせずに圭介を見つめる。
「……分かったよ。行ってきます。」
圭介は出て行く。
そんな圭介を見送った佐和子は、力が抜け、ソファーに寝転ぶ。
── はぁー、嘘を考えておいて良かったー。いきなりなら答えられない所だったー。
── 本当に不倫をしていたら私はここに戻って来れなかった……。だからこれで良かったんだ……。
── でも、拒否しなかったら……。
佐和子は大輔の顔が浮かび、思わず起き上がる。その顔は紅潮し、心拍が上昇する感覚を味わう。
ピー、ピー、ピー。
そんな佐和子に洗濯機の終了音が聞こえる。
「……あ、洗濯物。」
一気に現実に戻り、洗濯機から洗濯物を取り出し干し始める。
── 台所片付けて、冷蔵庫の中身確認して食材使い切らないと。その後は買い物に行って……。
佐和子の頭の中は家事でいっぱいになる。いつものように家事をこなし、10時からのスーパーのタイムセールに行き買い物をする。
このスーパーは前に大輔にご飯を作る為に食材を買った場所だ。ご飯を作った後、美味しい可愛いと褒めてくれ、頬を紅潮させた事を覚えている。
……しかし、バーから帰る際に写真を盗撮され脅されるキッカケにもなった。自分が良い気になっていたから……。
佐和子は色々思い出し買い物を終わらせる。
いつもならタイムセールのスーパーのはしごしているのだが体力が保たない。さすがにすぐ体調が全て戻る訳もなく重たい荷物を必死に持って帰ろうとする。
少し歩くと、バーへの道に続く細道の前を差し掛かる。
……この道に行けばまた大輔に会える。また、昨日のようなトキメキを味わえる。優しく話を聞いてくれて、声をかけてくれる……。
佐和子は歩を進める。勿論、圭介と一緒に住んでいるアパートに向かってだ。その足取りに迷いはない。
── 昨日までの事は夢だった。シンデレラに憧れる女の子の……。大輔さんは確かに王子様だけど私はお姫様じゃない。だから現実に戻らないと……。大輔さんは優しいから慰めようとしてくれただけ……。いい加減、現実見ないとね……。
そう思い、昨日までの雪が嘘のように晴れた空を見上げる。
── 今日は圭介の好きな赤魚の煮付けにしよう!
佐和子は重い袋を持ち家路に向かう。
……佐和子は夢にも思っていなかった。あの優しくてかっこいい大輔がまさか自分に好意を持っているなんて……。
一方、大輔は……。
「痛ってー。」
頭を抑えながら目を覚ます。
そこはバーのカウンター席であり、あの後やけ酒をし眠ってしまったのが容易に想像出来た。
目の前には自身のグラス、パンの空袋、プリンのカップ、オレンジジュースを入れた空のグラス、そして空っぽのウイスキーの瓶だった。
「……佐和子ちゃん……。」
佐和子が食べていた姿を思い出し、大輔はただ脱力する。もしかしたら、今も一緒に居たかもしれないのに……。
しかし大輔は立ち上がり、カウンターの片付けを始めグラスも洗う。
そしてスマホを取り出しメッセージアプリを開き、メッセージを打ち始める。……まだ大輔にはやらなければならない事が残っていたからだ。
その日の夜、店をまた臨時休業にし三人の女性を呼び出す。その女性達はえみの裏垢にコメントを面白がってしていた三人。大輔はコメントしていた三人に関しても特定していたのだ。
話は当然、佐和子を晒すのは止めて欲しいという趣旨の話しだった。
その内の二人は、えみに嫌がらせをしたのか聞いた時と同じく、悪事が知られて怯える人間らしい表情をしていた。
……しかし、一人は明らかに違う。大輔はその姿に背筋が凍る。
「……何故あんなコメントしたの?」
大輔は怯える二人に話しかける。
「だってあの女。……あの人、いつも大輔さんを独占してばかりだから……。」
二人はポツリポツリと話し始める。
「だったら俺に言えば良いだろう?……何故、みんな俺じゃなくて女性に攻撃するんだよ……。」
「え?」
「あ、いや……。続けて……。」
「別に私達はあの人を晒すつもりはなかったし……。ただ、ふざけていただけで……。」
確かに彼女達には写真を晒す事は出来なかった。しかし……。
「もし、えみちゃんが煽りを間に受けて、彼女を晒したらどうする気だったの?」
「……別に私達がやれって脅してた訳じゃないし!」
「じゃあ聞くけど、君達があんな風にネットで複数に絡まれたらどう思う?怖いよね普通に?俺は彼女がえみちゃん一人に脅されているだけなら、まだ冷静に判断出来たと思う。でも複数に絡まれ脅された。恐怖から電話番号を打ち込んでしまった気持ちも分かるよ……。」
「あんなの冗談だし……。間に受ける方が……。」
二人はこの後に及んでも自分達は悪くないと言い訳をしている。……まだ自分達のした事が分かっていないようだ。
「……分かったよ。とにかく彼女の連絡先を晒すのは止めて欲しい。スクショ撮ってるよね?今すぐ消して!それでこちらも大事にする気はないから……。」
「分かってる。そんな事しないし!」
二人はバーから出て行こうとする。
「……分かっていると思うけど、もし彼女を晒したらこっちだってとことんやるよ?君達が一人をネットリンチした。ネット上で公にするよ?」
「はぁー?」
女性二人は立ち止まり大輔を見る。
「そうなったらどうなるだろうね?考えてみなよ?」
二人は明らかに顔色を変える。
「止めて!親に知られる!」
「仕事の人に知られる!働けなくなるじゃない!」
「……それが君達がしてきた事だよ?分かった?」
「……あ。」
二人は頷く。やっと分かったようだ。
……しかし、その様子を黙って見ていた一人の女性が笑いながら軽口を放ってくる。
「……私達がえみの裏垢にコメントしてた?証拠は?」
「だから、晒すように煽りコメントした人物達を調べたんだ!過去の投稿見て分かったよ、以前聞いた愚痴の内容と同じだって!今はえみちゃんの裏垢は消えているけど、やり取りは全て撮ってある!」
「そんなの大輔さんの記憶だけ。どうやって証明するのー?」
「……君は頭が良いから分かるよね?情報開示請求したらアカウント主が誰か特定出来る事……。コメントした方だって同罪になる事を……えみちゃんが本当に佐和子ちゃんを晒したらどうする気だったの?あの二人も、コメントした君達もただでは済まない。分かってやっていたよね?」
「何言ってるのか分からなーい。」
可愛い女性が醜く笑う。
その姿に大輔は確信する。仕組んでいたのは彼女だと……。
「君の狙いは佐和子ちゃんじゃなくてえみちゃん?……彼女美人だもんね……?」
「さあ?何の事だか……。」
「……君達は帰って良いよ。約束守ってね。」
大輔は二人の女性を帰らせる。
「帰して良いの?」
「ああ、彼女達は過ちに気付いている。身内や会社にバレるかもしれないと知り自身の行いに気付いただろう……。えみちゃんもあの子達も想像力が欠如しているだけ。話をすれば自身の過ちに気付き止める。許されない事をしたがまだやり直せるからね……。しかし君は分かってやっていた。SNS上のやり取りで、どこまでならやって良いのかを計算してコメントしていた。直接的に佐和子ちゃんの悪口は言わないようにしていた?だって誹謗中傷になるもんね?」
「だから私は無関係だから……。」
「……やたら晒すようにコメント打っていたね?あのやり取りの後、佐和子ちゃんが俺との連絡を取らないとコメントしているのに君はまだ佐和子ちゃんを晒すようにえみちゃんに嗾けていた。……それを見て分かったよ、目的は佐和子ちゃんじゃなくえみちゃんだと……。彼女、純真だから感情に流される所あるもんね?」
「馬鹿って事?」
「……そう思っているのは君だろう?こうゆう事して楽しい?うちに来ているのだって、そうゆう子を探しているだけだろう?」
女性はその言葉にただ笑う。
「バレてたー?」
「やたら女性客と絡もうとするから……。今考えると色々な子から情報引き出していたと気付いたんだ……。えみちゃんから話を聞いたら純真で真っ直ぐで、派遣で理不尽な思いしながら頑張っているの知ってるよね?そんな子を罠に嵌めようとするなんて……。」
「罠?写真撮って投稿していたのはえみでしょう?私は少し刺激してやっただけ!大輔さんを奪ったあの女を痛い目に遭わせてやろうと!メッセージアプリで送りまくったらブロックしてきたからSNS上でも煽ってやったの!あーあ、結局晒さず終わってつまらなかったなー!」
「……君が佐和子ちゃんを晒す気!」
「さあ?どうでしょう?でも私なら直接やるかな?例えば区内の銀行に、名前と電話番号と不倫妻と書いて郵送するとか?案外こうゆうアナログなやり方の方が足取り掴めないだろうしねー!」
女性は大輔を馬鹿にしたように笑う。
……人を晒して騒ぎになる姿を見て楽しむ。それがこの女性の本性だった……。
今回は佐和子はどうでもよく、佐和子を晒したえみを自分が晒し、笑う計画を企てていたのだ。
「……君は……!」
大輔は怒りを抑え、冷静を装う。
「冗談、冗談!本気にしないでよー!……大体、どうやってこの裏垢が私と証明する気?情報開示請求だっけ?あれ、お金高いよ?私達から慰謝料取ってもマイナスになるし、あの女に金も度胸もないから!怯えて電話番号晒す馬鹿女!」
「俺がだ……。」
「は?」
「俺が君を訴えるよ。」
「何言ってるの?あんたは関係ないじゃない!」
「関係あるよ、彼女が不倫妻だと公にされたら俺は人妻に手を出したバーのマスターと噂される。常連相手の仕事だよ。もし損害が出たら君は払えるの?」
「誰があんたを不倫相手だと思うの?」
「分かるよ、この写真をばら撒くから。」
大輔は女性にスマホの写真を見せる。それは佐和子と大輔が手を繋ぎ歩いている隠し撮りされている写真だった。加工もなく大輔の顔も分かるようになっていた。
「は?自分で?馬鹿じゃないの?」
「でもこれで当事者だ。俺が君を訴える理由は出来る。言っておくけど俺はとことんやるよ?俺は卑劣な行為が一番嫌いなんだ。損得勘定じゃなく感情で動くよ?」
「……それだと結局不倫を否定出来なくて店潰れるじゃない!馬鹿なの?」
「……分かってるよ。でも俺はそれより守りたい物を守る。だから彼女には手を出すな!……晒したらこの店の営業妨害の賠償金……。分かったね?」
女性は大輔の目から脅しではないと悟る。もし佐和子を晒したら、大輔は佐和子の不倫相手だと自ら晒し、自分に営業妨害の賠償金を請求してくるつもりだ。……捨て身になった人物ほど怖いものはない……。
「……分かったわよ!馬鹿馬鹿しい!」
女性は帰って行く。
「……はぁー。」
大輔はまだ足が震える。人を貶めて楽しむ人間が本当に居るなんて……。普段の様子やSNSのやり取りから気付いていたが、やはりショックだった……。
しかし、大輔はまだやる事がある。えみへの報告だ。
『……大輔さん……。』
えみは電話を取るが黙り込む。自身の未来が予想出来ているからだ。
「安心して、君は訴えないよ。佐和子ちゃんが嫌がったんだ。……君に謝っておいて欲しいと言ってたよ。『大事な場所の雰囲気を壊してごめんなさい』と……。でもそれは俺が彼女に「うちはカジュアルバーだ」と嘘吐いたからだったんだ。彼女に勘違いさせたのは俺。それだけは分かってて欲しくて……。」
『……え?』
えみは黙り込む。泣いているようだ……。
『……こっちこそ謝っておいて……。勝手に嫉妬してごめんなさいって……。』
「……うん。……これからどうするつもり?」
『もう一度正社員目指して頑張るつもり!……だからもうバーには行かないね……、また嫉妬に狂いそうだし……。』
「そっか、頑張って。彼氏出来たら連れて来てよ。……その時にバーやってたらご馳走様するよ。」
『……あ、そうだね彼氏出来たら行けるか……。うん、それまでやっておいてよ!』
「頑張るよ……、えみちゃんも頑張ってね。」
『……ありがとう大輔さん……。』
こうして電話を終わらせる。……えみにはいずれ彼氏が出来るだろう。根は優しい子だと分かっているから……。しかしその時、自分はバーをやっているのだろうか?
大輔はもう会えないと感じ、えみも好きなペンギンのキャラクターのスタンプ「またね」と書いてあるのを送る。
── 佐和子ちゃんもえみちゃんも、このペンギンキャラクターが好き……。何に対しても肯定してくれるんだもんな……。二人とも普段から誰かに肯定されていないから嬉しいのだと感じていた……。二人は違うようで似ていたな……。
大輔は一人、ペンギンキャラクターのスタンプを見ている。……そしてまたスマホを操作し始める。
ピロロロロ……、ピロロロロ……。
佐和子のスマホが着信音を伝える。圭介だと思い慌てて出る。
「もしもし!」
『……佐和子ちゃん。』
「……あ、大輔さん!」
佐和子はまた「川口圭介」と「川越大輔」を見間違えていた。……そそっかしい性格なのだ……。
「あ、ごめんなさい。」
佐和子は電話を切ろうとする。
『待って、話がしたいだけ!もう大丈夫だから!晒される心配ないから!』
「……本当?」
『うん、もししてきたらやり返すと話したよ。向こうもリスク背負ってまで晒す理由はないからね。』
「……ありがとう、大輔さん……。」
佐和子もえみ同様に泣き出す。大輔の言う通り、リスクを負ってまで晒してこないだろう……。やっと終わったのだと安堵する。
佐和子が落ち着いた所で話をする。
『佐和子ちゃん……、また会わない?』
「……え?あ、ごめんなさい……。」
さすがの佐和子も、これ以上いくと引き返せなくなると分かっている。
『そう?じゃあ大事なストラップと結婚指輪もらおうかな?』
佐和子は預けていた結婚指輪と、忘れて行った鞄とストラップを思い出す。
「あー!!!」
痛恨のミスだった……。あれほど大事にしていた結婚指輪とストラップの存在を忘れるなんて!
── 佐和子は自身がまだ浮ついていると自覚する。いつもの自分なら、ないと不安になる。……そうならなかったのは大輔の事を心の奥で想う自分が居るからだ……。
「取りに行く!お店やってるよね?」
『今日は臨時休業だよ?でもバーには居る。だから返す事は出来るけど。』
「……あ、明日にする……。店やるよね?」
『さすがに警戒してくれた?しばらく休業予定なんだ。』
「そうなの?大丈夫?もしかして今回の事で迷惑かけた?」
『そうゆう訳じゃないよ、ただの休暇。それより警戒してくれた?』
「違うから!」
佐和子は明らかに動揺する。頬は熱くなり、心拍の向上を感じる。
『……じゃあ土曜日の11時バーに取りに来て?昼なら良いだろう?』
「……うん……。分かった。」
『待ってるよ。』
電話が切れる。佐和子は本当に行って良いのか悩むが、受け取ったらすぐ帰ると決める。自分さえしっかりしていたら間違いは起きない。自身にそう言い聞かせる。
一 土曜日 一
「買い物に行ってくるねー。」
佐和子は寝ている圭介に軽く話す。いつも「行ってらっしゃい」としか言わない圭介だが、珍しく体を起こす。
「……俺も行く……。」
「え?ただの買い物だよ?近所だよ?」
佐和子が驚くのも無理はない。圭介が一緒に行くと言うのは東京に来て初めてだった。
「すぐ用意するから、荷物持つから。」
そう言い着替えを始める。
「いや!いいの!大丈夫だから!持てるから!」
佐和子は明らかに目を逸らす。
「……分かった。」
「帰って来たらご飯作るから。すぐ帰ってくるからね。」
佐和子は慌てて出て行く。
「……行ってらっしゃい……。」
圭介は佐和子を送り出す。……その目には涙が光っていた……。
佐和子は走る。早く、指輪とストラップと鞄を受け取り買い物をして帰る。いつもの日常に戻すと決めたのだから……。
大道から細道に入って行き、決められたルートに歩いて行く。慣れるまで何度となく迷って、バーに着いた時は喜んでいた。……しかし、今日でこの道に来るのは最後……。少し寂しいがそう決めたのだから……。
バーに着きドアを開ける。そこには大輔が待っていた。
「待ってたよ。中にどうぞ。」
「……あ、いや……。すぐ帰るから……。」
大輔は佐和子の返事にすぐ反応せず、周りを見渡している。
「……大輔さん?」
「……あ、いや……。やっぱり警戒しているかな?」
「違うから。……買い物してお昼ご飯作らないといけないから……。」
「……そっか……。」
大輔は明らかに表情を変え、カウンターに置いておいた鞄、鞄に付いたストラップを佐和子に返す。
「……あれ指輪は?」
「……ああ、これ?」
大輔はズボンのポケットから出した、ケースに入ってある指輪を見せる。
「ありが……。」
その瞬間、大輔は手を挙げる。
「え?ちょっと!」
佐和子はジャンプして取ろうとするが、身長180センチの大輔に対し、身長155センチの佐和子が届くはずもなく唖然とする。
「だーめ、返して欲しかったら、今日一日デートして!そしたら返してあげるから!」
「……は?」
「じゃあ行こう!」
大輔は佐和子の手を引き走り出す。
「ちょっと待って!指輪返してもらう為にデート?意味分からないんだけどー!」
佐和子の絶叫が響く中、二人は細道を抜けて大通りに出る。
「じゃあ一番はお昼を食べに行こう!」
「いや、だからお昼ご飯作らないといけないんだって!圭介待ってるから!」
「メッセージアプリで帰れないと連絡しておいたら良いよ。さすがに午前様はさせないから!」
「何時間歩き回る気!」
佐和子はただ唖然とする。
大輔が一体何を考えているのかが佐和子には分からない……。それはそのはず、これは大輔による恐ろしい計画の始まりだったのだから……。
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