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17話 川口佐和子(2)
しおりを挟む「……あの投稿消してくれないかな?佐和子ちゃん、今も怯えていると思うよ。」
「……知らない。」
えみは小さな声で呟く。
「あの日、電車で会ったね。俺達の事いつから見ていたの?」
「知らないってば!」
えみは声を荒らげる。
「……このコート、えみちゃんの好みじゃないよね?百貨店で買ったの?」
「たまたま……。」
「……佐和子ちゃんに勧めていたから?」
「だから知らないってば!」
そう叫び、えみは黙り込んでしまう。
「佐和子ちゃん以外の投稿も全て見たんだ。内容は仕事の愚痴だった。この内容、以前俺に話していた内容もあるよね?」
「……偶然でしょう?こんな愚痴、会社員ならいくらでもある!」
「内容知ってるの?」
「……別に!」
……少しずつボロが出始めている。
「えみちゃん、全てを認めて佐和子ちゃんに謝ってくれないかな?今の君に出来るのは誠意を持って謝り、二度としないと誓う事だけだよ。」
「だから知らない!もう帰る!」
えみはかけてあるコートを取り、着て帰ろうとする。
その姿に大輔は、彼女が自らの行いを話すのは無理だと悟る。だから、こちらから行動を取るしかない。本当はこんな事したくない。しかし……。
『助けて……。』
あの日自分に助けを求めて来た佐和子を思い出し、これでは守れない……と自身に言い聞かせる。
「そんな事で逃げられると思っているの?」
「逃げる?馬鹿馬鹿しいから帰るだけ!」
えみはそう言い放ち大輔を見て固まる。大輔が今までに見た事のない表情をしていたからだ。……その表情は、怒りに満ち溢れていた。
初めて見る大輔の表情にえみは思わず立ち尽くす。
それを尻目に大輔はスマホを操作する。
次の瞬間、えみのスマホは震え通知を知らせる。
「……今、証拠を送ったんだ。見てくれない?」
大輔は悲しく笑う。しかし目からは激しい怒りを感じ取れる。
えみは思う。大輔は裏アカウントの特定は済ませている。しかし、それが自分とは特定出来ていない。愚痴の内容が一緒?そんな事、証拠にならない。今大輔は裏アカウントにメッセージを送ったのだろう。それを、自分のスマホに表示されているのを見て、自分を裏アカウントの主だと特定するつもりだろう。そんな手には乗らない。
「知らないし!私帰るから!」
えみはドアを開けて帰って行くが、大輔は止めない。すぐ戻って来る。確信していたからだった……。
…
案の定、二時間後にえみはバーに戻って来る。
「これ、どうゆう事!」
「ああ、おかえり。アカウント消してくれてありがとう。」
大輔の言う通り、あの投稿だけでなくアカウント事、えみは消していた。あれほど佐和子が消して欲しいと願っては叶わなかった事を、大輔はたった一つのコメントで解決した。
「これがどうゆう意味か聞いているの!本気なの!」
「ああ、君達はそれぐらいの事をした。分かっていなかったの?」
取り乱すえみに、冷静な大輔。
えみは、冷静な大輔の姿が逆に怖く感じる。
えみの裏アカウントにはこのようなコメントが来ていた。
『名誉毀損によりあなた達を訴えます。逃げても無駄。「情報開示請求」を弁護士を通じて行います。すぐにあなた達が誰かは分かります。』と。
えみはこの文章を読み、慌てて裏アカウントを消した。そして消したら問題ないと思いつつ、「情報開示請求」について調べた。
それをしたら裏アカウントの主が自分だと分かり、消しても無駄だと知ったのだ。現に、身元が分かり訴えられている事例も多数ある。
そして何より背筋が凍ったのは、そのコメントは佐和子のアカウントから送られていた事だった。その事から本気だと悟ったのだ。
「……あれだけの事で?」
「あれだけ?何言ってるの?佐和子ちゃんは既婚者だよ。もし、旦那さんがあの写真見たら離婚問題に発展するかもしれない。あの写真を面白がりコメントしていた子や、第三者が拡散なんてしたらどうなると思うの?それをネタに脅していたんだから、想像出来なかったなんて言わさないよ?」
「私は別に離婚させる気なんて!拡散なんて!写真だって加工していたし!」
「……君は彼女を知らないから加工したら問題ないと思っただろうけど、リアルの彼女を知っている人が見たら分かるよ。特にコート、マフラー、鞄は同じ物を使用している事が多い。疑ったら一発で分かるよ。……もし旦那さんの職場の人が気付いたらどうなるかな?銀行員って書いてあるし知ってるよね?硬い仕事だと分かっているよね?お金を扱う仕事なんだよ?世間に対する信頼が必要な仕事だと容易に想像つくだろう?……まあ、妻に不倫の末、離婚された銀行員など普通にいるだろう。それぐらいなら仕事にも昇進にも影響ない。しかし妻の不倫写真を世間に流出された銀行員となれば話は違う。解雇まではいかないにしても昇進には響くかもしれないね……。そうなったらどうする気だったの?旦那さんの生涯年収に響くよ?君が賠償金払うの?」
えみは黙り込む。そこまでの想像が出来なかったようだ。
「お金だけで済めば良い方。もし……、もし、佐和子ちゃんが死を選んだら君達は殺人者になるよ?」
「はぁ!そんな訳!」
「起きないと何故言えるの?離婚に耐えられない、旦那さんの損害を自分のせいだと苦しむ、世間から後ろ指を指される、理由なんていくらでもあるよ。旦那さんがそうなってもおかしくないよ?そんな想像も出来ないの?君はこの夫婦が離婚になったら責任取れるの?損害賠償払えるの?この夫婦が死んだらどうするの?この夫婦の人生なんだと思ってるの?君達がしていた事はネットリンチだよ!集団で嫌がらせして何がしたいの!」
大輔は声を荒らげる。いつも優しい大輔からは想像がつかないぐらいの形相だった。
「お、夫がいるくせに不倫する方が悪いんじゃないの!」
えみも声を荒らげる。二人が本気でぶつかった瞬間だった。
「……仮に俺達が不倫関係でも名誉毀損は成立するよ?しかも、本当に不倫はしていない。彼女は旦那さんしか見ていないよ。」
「嘘!あの女あなたに色目使ってる!私全て知っているんだから!」
「……どこまで彼女の事知っているの?話してくれない?」
「……分かった、話せば良いんでしょう?」
えみはカウンター席に座る。名誉毀損で訴えられ、そして大輔に一連の悪行を知られている。もう怖い事は何もなかった。どこか吹っ切れた表情をしている。
大輔はえみに水を出し、いつもの場所に立つ。その構造はいつもの接客のスタイルだ。
えみはその姿に小さな溜息を吐き、出された水を一気に飲む。そして……、話し始める。
「……私はね、あの女が大っ嫌いだったの!」
えみの表情から佐和子に対する嫌悪感を感じ取れる。
「佐和子ちゃんの事が?……彼女、君に何かしたの?」
「何も……。あの女は私の事なんか知らないだろうし。」
「じゃあどうして?」
大輔は本当に分からないのだ。女の嫉妬を……。
「あの女、私が店に来たら居るの。あなたの目の前に……。いつも話しているのは夫の愚痴。構ってくれない、寝てばかり、『うん』と『ごめん』しか言わない。そんなくだらない事ばかり……。そんな事どうでも良いじゃないの!こっちはね、生きていく為に働いているの!自分で生きていく為に!夫に養ってもらっていながら何悪口言っているの!あんなお気楽主婦、痛い目に遭えば良いの!だからあの堕落した姿を撮って投稿してやったの!」
佐和子のバーでの盗撮はそんな事が理由だった。
それを言い放つえみの表情は、悪口を言う醜い姿ではなく悲壮感に満ち溢れていた。
大輔はえみの表情から感情を読み取る。
「……そうだね、生活の為に必死に働いているえみちゃんからしたらお気楽に聞こえるかもね。少なくても生活には困っていないからね。でも人の欲求はそれだけかな?『夫に愛されたい』、当然の主張だと思っていたけど。」
「違う!あの女、夫だけじゃなくあなたにも愛を求めた!」
「……俺?俺なんか眼中にないよ。」
「嘘!あの女、休みの日にあなたのバーに来ていたじゃない!」
「……あの日?……あの日か……。」
大輔は佐和子の二枚目の盗撮写真を思い出す。佐和子が美容院に行き、その後自分にお金を返すとやって来た日だ。
大輔は事の経緯を話す。自分が美容院の予約を取り無理矢理行かせた事、代金を払った事、佐和子がお金を返したいと言って来た事、代わりにバーの掃除をしてくれた事を。
それを聞いたえみの表情は明らかに険しくなる。大輔は、佐和子が自分に取り入ろうとしている訳ではないと庇うつもりで話したが、それは火に油を注ぐ言動だった。
「……あの女、年甲斐もなく派手な格好して、良い気になっていたからまた撮って投稿してやったの!その後、消せなんてコメントして来たから笑ったわ!当然スルーしたけど!」
えみは笑って悪態をつく。
……しかし、少し無理しているように見える。
「……あの時間、まだ帰ってくる時間じゃないよね?どうしたの?」
えみは大輔を見て、目を逸らす。何かあるようだ。
大輔はその様子から、ある事を察する。その事は後でゆっくり話を聞くと決め、佐和子についての話を継続する。
「あの日は?俺達が買い物に行った日はいつから見ていたの?」
「……駅のホームであの女の元に駆け寄る所……。声かけたのに……。」
「気付かなかった……。」
「そうだよね?あの女の元に一直線だった!コートかけて、手を握って……。馬鹿みたい!あんなの演技なのに!」
「違うよ!あの子昔怖い事あってそれを思い出して苦しんでいたんだよ!」
「乗り換えが出来ないっていう馬鹿な話?あんな話信じるの?」
「……彼女、本当に震えていたんだ。俺は信じている……。」
「だからそれが馬鹿だって言っているの!馬鹿な女の手口なの!」
「だから彼女は……!」
大輔は黙る。これ以上話しても感情的な水掛け論になるだけだと気付いたからだ。
「それからずっと俺達を見ていたの?」
「そうだよ、それから手を繋いで歩いていた!いい大人が何しているの?その後は一緒に化粧品見て、コート見てた。こんな高級な物買わせようとする嫌な女。」
えみは自身のコートを見る。大輔が言った通り、このコートは百貨店で佐和子に見立てたコートだった。10万以上する上質のコートだ。
「見ていたなら分かるだろう?俺が先走ったんだよ。彼女は拒否していた……。」
「そんなのあなたの気を引く演技に決まっているじゃない?それを良い事に服のコーディネートまでさせてプレゼントまでさせようとしていた!」
「だからあれは俺が……!」
大輔は黙る。感情的になってはいけないと自らを諭す。
「その後は化粧品店で化粧教えてもらっていた。あの女、基礎すら知らなくて笑いを堪えるのに必死だった!」
「店の中入ったの?」
「私もカウンセリングに行ったの。横だったから話がよく聞けた。あの女、安物ばっか使ってるの!主婦になったら終わりだと思った!」
「……君もいずれ主婦になるかもしれないよ。馬鹿に出来る話じゃないと思うけど。」
「ならない!結婚して夫もいるのに他の男に色目を使う女になんかならない!」
「だから俺達はそんな関係じゃないから!」
えみは大輔の否定の言葉を鼻で笑いながら話を続ける。
「……あの女、化粧品販売員になんて言っていたか知ってる?『誰の為に綺麗になりたいのか?』と聞かれて夫に振り向いて欲しいからだと言っていた!そんな相手庇うの?」
大輔はその話に明らかに表情を変える。分かっていたが、そうゆう話を聞くのはやはり辛いのか……。
「……分かってるよ。」
そう呟くと、大輔もグラスに水を入れ一気に飲み干し溜息を吐く。その表情は悲壮感を漂わせていた。
えみは大輔のその様子に泣きそうになるが、必死に抑える。
「……偽装不倫って何よ?」
「……え?」
大輔はえみを見る。何故知っているのかと言いたげな表情で……。
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