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黄泉の端
最後の一線
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電車に揺られながら、俺は緊張のあまり吐きそうになるのをこらえていた。
周囲では、休日出勤のためにスーツを着込んだ人や、遊びに出るためのラフな服装の人が多い。いいな……俺の代わりに行ってくれないかな。
今日、俺はオトカワ家に赴こうとしている。事の発端はみみちゃんから送られてきたメール、『お姉ちゃんたちがわからずやです たすけて』という、相当焦っていることがうかがえるもの。
前回、乙川 まみさんに俺がクラップロイドであると露見した。彼女はみみちゃんを守るため、市民ホールの活動から手を引くことを決意。おそらく、その事でみみちゃんとバチバチやり合っていると思われる。
もともと乙川家は、みみちゃんが誘拐されてから活動に否定的だったらしく、俺の正体の露見でいよいよみみちゃんの支持者が居なくなったのだろう。
「……」
ぽちぽちと大将さんに遅刻報告のメールを送り、時間を見れば9時だった。今日は久々に、八百屋のおっちゃんもイコマ先生も来てくれる日だったようだ。戦力不足は心配しなくていいだろう。
……乙川家に行ったところで、どうすればいいんだろうか。みみちゃんは活動したいんだろうし、でも彼女の姉妹の気持ちも理解できるし……。
危ないからもう来ないで? いや、それはもう言った。みみちゃんはそれを跳ねのけて来てくれていたのだ。
みみちゃんが必要なんです? ……自発的に危険に巻き込むのはどうなのだ。言う前から乙川家総出でボコられる未来が見える。
助けてくださいテツマキさん。脳内の鉄の警官に声をかけると、思った通りの答えが返って来た。
(腹を決めろ。お前の度胸を見せろ)
ですよね。
俺は頭の中で最悪のシナリオを描き、1人で笑った。そして立ち上がり、覚悟を決めた。
◆
「……もう一度、言ってもらえます?」
俺の前、恐ろしい目つきでそう言うのは、乙川 あみさん……乙川4姉妹の長姉である。もともと勝気がちな釣り目が、怒りできゅっと釣り上がる。
「秋祭り、4人で出てください」
もう一度、俺は言った。脳内のイマジナリーテツマキさんも呆れかえっているのが分かる。だが、誰に呆れられても、誰に怒られても、俺はこの筋書きで挑むと決めた。
乙川家のリビングは圧迫面接じみて、俺1人に対し、乙川4姉妹がテーブルの向こうに座っている。最初は事務的に迎えられたが、だんだんと姉妹は怒りで仮面が剥がれているのを感じる。
みみちゃんは泣きはらしたのであろう真っ赤な目で、きょとんとして俺を見ている。まみさんはお手本のような『あちゃー』顔だ。次姉のえみさんはあわあわしている。
ごうっ。そんな炎の幻聴を背に、あみさんが背筋を伸ばした。恐ろしい威圧感だ。だが俺も背筋を伸ばし、彼女を真っ向から見返す。
「……堂本さん、でしたっけ」
「はい」
「あなた、うちのみみちゃんに何か吹き込んでくれたみたいですね。それが上手く行ったから、今度は私達ですか」
「わたしはそんなのじゃ……」
「みみちゃんには話してないでしょ!」
ばっしーん! そんな音が聞こえるほどのぴしゃりとした言い返し。何か言おうとしたみみちゃんは、口をつぐんで俯く。
流石にこれは怒りの矛先を間違ったと感じたらしく、あみさんはチラっと罪悪感のこもった視線を飛ばし、次に俺をキッと睨みつけてくる。
「この子を誘拐されておいて、まだ懲りずに勧誘しているその面の皮の厚さだけは認めます」
「……」
「でも、危険と分かっている場所にわざわざ人を呼び込むなんて、誠意に欠ける行動ではありませんか? あなた、みみちゃんにも最初、説明していなかったそうですね」
「それは、俺の不徳の致すところです。……本当に申し訳ありませんでした」
机の向こうへ、頭を下げる。なんなら椅子を退けて土下座しようかと思ったが、流石にひと様の家なので自粛した。それに、土下座して済む問題じゃない。
それはあみさんも同じ感想だったらしい。もっと怒りが燃え盛る音が聞こえた気がした。
「謝られれば解決する問題ではありませんよね? 今日だって、こんな急に訪ねてきて……常識が欠けてるんじゃないでしょうか」
「それは! それは、わたしが助けを呼んだんです。おねえちゃん達が分かってくれないから」
「分かってくれないからって、私達が何を分かってないって言うの。どれだけ危ないか分かってないのはみみちゃんの方でしょう」
だめだ姉妹で言い合いを始めそうだ。俺は咳払いし、もう一度注意を此方へ引き付ける。
「俺は、みみちゃんの歌を聞きました。そして、彼女があなた達と一緒に歌いたいと思っているのも」
「!」
まみさんが反応し、俺を見てくる。あみさんは少しだけ怯み、言葉を探しているようだった。そして、ゆっくりと声を出す。
「……それで?」
「俺は彼女の歌声が好きです。きっと、秋祭りで聞く沢山の人も好きになってくれる。あなた達が一緒なら、もっと」
「ふん。わざわざ市民ホールで歌う意味もないでしょう」
「……そうでもないですよ。少なくとも、みみちゃんにとっては」
そう言って、俺はみみちゃんへ視線を投げる。彼女は一瞬だけこちらの意図を図りかねた顔をしていたが、すぐに頷いた。そうだ、ここはキミが踏ん張ってくれないといけないところだ。
あみさん、えみさん、まみさんの視線がみみちゃんへ集まる。彼女はもぞもぞして、それから自分の心を示すべく口を開いた。
「……おねえちゃん。私、市民ホールが好きです」
「何度も聞いたわよ、みみちゃん。いくら好きでも……」
「わたし、お父さんも好きでした」
「……」
その言葉に、長姉は何か言おうとしていた口を止められた。彼女の中に、何か決定的な揺らぎが生まれるのが見える。
乙川家の末妹は純粋だった。何度も彼女の中で生まれていた揺らぎを、この時はじめて、姉妹で共有することになったのだろう。4姉妹は、皆、黙って次の言葉を待っていた。
「いつも傍に居なくても、ずっと病院に居ても、家に帰って来なくても、お父さんが歌う歌が好きでした。お姉ちゃんもお母さんも泣くから、イヤなことなのかなって、わすれようとしたけど……」
「……みみ」
「市民ホール、おなじなんです。あそこのおばあちゃんが作ってくれるおにぎり、好きです。あそこに集まって笑ってくれる皆の顔が好きです。わ、わたし……」
こらえきれず、みみちゃんの泣きはらした目から涙が落ちた。その目には、どこかで置き忘れてきた父親との絆の影が映る。……いいや、置き忘れてなどいない。彼女は、ずっと大切に持っていたのだ。ただ、心の奥深くに。
涙を振り払い、みみちゃんは目を上げた。そして、あみさんを見た。
「わたし、押し込められて、泣いていたくない。ぜんぶ大事だから、ぜんぶ大事にしたい」
「……」
あみさんは声を失っていた。俺も、その言葉を前に、声を出すのさえ躊躇われた。
音が無くなったかのような空間の中で、不意にあみさんが溜息を吐いた。脱力し、椅子にもたれ、天井を仰いで顔を手で覆う。
そして、一言だけ、ぽつりと漏らした。
「……姉ちゃんが悪かったよ。ごめん」
その泣きそうな言葉を聞き、みみちゃんは決壊したように涙をこぼし、しゃくり上げ始めた。あみさんがみみちゃんを抱っこし、ぽんぽん背中を叩き、隣の部屋へ行くのを、俺は眺めるしかなかった。
やがて長姉の泣き声も隣の部屋から聞こえ始めたころ、まみさんが肩をすくめて言った。
「……4人で歌えって、大胆すぎ。心臓止まるかと思ったんデスケド」
「名案かと思ったんだよ……ですよ」
そういえばもう1人居たなと、次姉のえみさんを見て慌てて言葉遣いを取り繕う。
えみさんの目元は髪で隠れ、全く表情がうかがえないが、やがて彼女はビッと親指を立てた。なんなんだこの人は……。
◆
「条件がある」
2人そろって真っ赤な目元で戻って来たあみさんとみみちゃんは、椅子に座り直しながら、先ほどよりいくらか緊張の薄れた様子だ。
特にあみさんは丁寧だった言葉遣いが崩れ、そのレディースっぽい見た目に相応しくなっている。怖い。
「条件?」
「秋祭りで歌う条件」
そういえばそんな話だったな。みみちゃんの想いを引っ張り出せればなんでもいいと思ってたから忘れてた。
「えっと、どんなのでしょうか」
「1つ目。二度とみみちゃんを危険に晒させない事」
成程、2つ以上あるらしい。まあ1つ目はこちらとしても絶対条件だ。
「尽力します」
「尽力じゃ足りない。もしダメだったらアンタをバイクの後ろに括りつけて引きずり回してやる」
「か、必ず守ります」
「よし」
怖すぎませんか? 暴走族の長?
「2つ目。これからは姉妹全員で呼びかけに行ける日しか行かない」
「!?」
「あ、あーはい……大丈夫です」
次姉のえみさんが超絶反応して水をこぼすのを見ながら、俺はおどおど返事するしかない。それはどういう感情の表れなんだ……。
「3つ目」
指を折り、あみさんはニヤリと笑って俺を見た。さあ何が来る。
「……半端な舞台にしないこと。うちのみみの歌を聞かせてやるんだから、最低でもホールに満員じゃないとね」
「……勿論です」
「いいよ。それなら私も乗せられてあげる」
覚悟を決めた返事に、あみさんは立ち上がり、手を差し出して来た。俺も立ち上がり、手を握ると、すさまじいグリップが返って来る。
痛みに怯んでいると、あみさんは狂暴な笑顔を浮かべ、トドメの一言を放った。
「これからよろしくね、ボディガードくん」
……気合入れてボディをガードしてないと殺されそうだ。
◆
なんとか秋祭りへの4姉妹参加を勝ち取ってフラフラ市民ホールへ向かっていると、また鼓膜が震えた。ホワイトノイズじみた音の後、チューニングされて言葉が聞こえ始める。
「……これは」
(どうやら、以前に調査した『ジュウロン会』の施設が攻撃されているようです。少々お待ちください……)
(((……応援を! こちらアワナミ4、現着し応戦中ですが……ぐわっ!? なんだこの、ばけ……)))
(マッピング完了。視界に表示します)
激しい衝撃音で途切れる無線に、俺は思わず耳を抑える。
それと同時に、そう離れていない通りから爆炎が立ち上るのが見えた。表示されたマップでは、ストリート3つ分の距離だ。
「……くそ、急ぐぞ!」
(了解。情報収集を継続します)
現場へ駆け出した俺は、ほんの数秒で惨憺たる現場を目の当たりにすることになった。
ひっくり返ったパトカーに、赤々と炎を噴きあげる中華料理店。店内では、倒れた店員が数名確認できる。
「パラサイト、スーツアップ」
(了解、スーツアップ)
銀のアーマーに包まれ、店の扉を慎重に押し開く。……中に入れば、惨状がさらに見える。何か衝撃を食らい、倒れている人々。壁に開いた大きな穴は、今もパラパラと破片を落とす。
銃を構えて倒れている人間もおり、まあカタギの店ではないことが裏付けられた。
『……いくらカタギじゃなくても見殺しにも出来ないしな』
ぶつぶつ独り言を言いながら、店内の中国人を担いで外へ運び出す。炎は天井をなめつくすように動いており、全焼は免れないだろう。時間がない。
その時、店の奥から悲鳴が聞こえた。バッと顔を上げ、そちらを透視すると、1人の中国人が誰かに追い詰められている。
『パラサイト』
(この事態を引き起こした犯人で間違いありません)
『くそ、1人でここまでやったのか! どんな怪物だよ』
毒づきながら走る。透視した視界の中、中国人の喉元へ向け、その人物が蹴りを繰り出そうとしている……! 明らかに、人を殺す蹴り!!
『やめろーッ!!!』
厨房の台を飛び越え、全力で割り込む……そこには、信じられない光景があった。
「おや、やはり来ましたか」
『な……』
灰色のスーツ、糸目、眼鏡の……アワナミ組若頭補佐、アマタ シュウが居た。彼は、俺が封じたハズの脚で立ち、ネクタイを締め直しながら視線を此方へ向ける。
「去死吧ーッ!!」
「ふん」
一瞬の隙に、シュウの後ろの中国人が拳銃を向ける……が、キュオン、と特徴的な音が響き、中国人は倒れ伏した。その喉元は衝撃に潰れ、半分ほど内にめり込んでいる。
殺したのだ。シュウの右脚が、今、一瞬だけ霞んだ。予備動作もなく、蹴りを放ったということ! 俺は咄嗟にガードの構えを取り、じっと相手を見つめる。
「お前に倒された時は絶望したものですよ。私の脚も、使い物にならなくなりましてね」
『……そいつは悪かったな。喧嘩両成敗ってことで、謝り合って終わりにしないか?』
「いえいえ、むしろお礼を言いたかったくらいです。私は進化したのですから」
キュオン。一瞬後、俺はガード越しの強烈な衝撃をこらえて数メートルも後退っていた。いま、見えたのは……ヤツの右脚がするりと動き、キックの型を取り……そこからは見えなかった。スピード……恐ろしいほどの速度。
『進化だと……』
「おや、分かりませんか? あなたと同じになったのですよ」
同じ。意味が掴めない俺の脳内に、警報音が鳴り響く。シュウの右脚に視界がフォーカスされ、分析結果が表示された。
(ご主人様、ご注意ください。彼の右脚には、機械が……埋め込まれています)
埋め込まれている。透視しようとした瞬間、俺の顔面に蹴りが叩きつけられた。
ドガッシャァァァァ!! 吹き飛び、壁を突き破り、駐車場へ放り出される。キュオン。遅れて音が響く。
「ハ! やはり同じ土俵に立ってみれば、こんなものですか」
興奮した様子のシュウが瓦礫の上に乗り、右脚を覆うズボンの布を引き裂いた。
そこには……信じがたい事に……機械が、満ちていた。肉ではなく、冷たい灰色の鉄が、蒸気を噴き出して、パルス光を節々から発している。脚の形の、機械だ。
「見るがいい。これがヨモツ・ギア・プロジェクトの恩恵。……お前の死因ですよ」
キュオン。パルス光と同期する音を響かせ、呆然とする俺に向けて蹴りが放たれた。反射的に躱そうと身を引いた俺の顎を、2段目のキックが捉える。
風圧の中、吹き飛ばされている自分を知覚する。直後何かに背中から突っ込み、大爆発を起こした。この油の匂いは、タンクローリー……
熱と炎で揺らぐ視界の中、トドメに歩いてくるシュウが見えた。
だが、彼は何かに気付き、その脚の力で大きく跳躍して消えた。
数秒後、俺も気付く。パトカーや消防車のサイレン音だ。
命拾いした。炎の中で起き上がり、俺もまた撤退を開始した。
周囲では、休日出勤のためにスーツを着込んだ人や、遊びに出るためのラフな服装の人が多い。いいな……俺の代わりに行ってくれないかな。
今日、俺はオトカワ家に赴こうとしている。事の発端はみみちゃんから送られてきたメール、『お姉ちゃんたちがわからずやです たすけて』という、相当焦っていることがうかがえるもの。
前回、乙川 まみさんに俺がクラップロイドであると露見した。彼女はみみちゃんを守るため、市民ホールの活動から手を引くことを決意。おそらく、その事でみみちゃんとバチバチやり合っていると思われる。
もともと乙川家は、みみちゃんが誘拐されてから活動に否定的だったらしく、俺の正体の露見でいよいよみみちゃんの支持者が居なくなったのだろう。
「……」
ぽちぽちと大将さんに遅刻報告のメールを送り、時間を見れば9時だった。今日は久々に、八百屋のおっちゃんもイコマ先生も来てくれる日だったようだ。戦力不足は心配しなくていいだろう。
……乙川家に行ったところで、どうすればいいんだろうか。みみちゃんは活動したいんだろうし、でも彼女の姉妹の気持ちも理解できるし……。
危ないからもう来ないで? いや、それはもう言った。みみちゃんはそれを跳ねのけて来てくれていたのだ。
みみちゃんが必要なんです? ……自発的に危険に巻き込むのはどうなのだ。言う前から乙川家総出でボコられる未来が見える。
助けてくださいテツマキさん。脳内の鉄の警官に声をかけると、思った通りの答えが返って来た。
(腹を決めろ。お前の度胸を見せろ)
ですよね。
俺は頭の中で最悪のシナリオを描き、1人で笑った。そして立ち上がり、覚悟を決めた。
◆
「……もう一度、言ってもらえます?」
俺の前、恐ろしい目つきでそう言うのは、乙川 あみさん……乙川4姉妹の長姉である。もともと勝気がちな釣り目が、怒りできゅっと釣り上がる。
「秋祭り、4人で出てください」
もう一度、俺は言った。脳内のイマジナリーテツマキさんも呆れかえっているのが分かる。だが、誰に呆れられても、誰に怒られても、俺はこの筋書きで挑むと決めた。
乙川家のリビングは圧迫面接じみて、俺1人に対し、乙川4姉妹がテーブルの向こうに座っている。最初は事務的に迎えられたが、だんだんと姉妹は怒りで仮面が剥がれているのを感じる。
みみちゃんは泣きはらしたのであろう真っ赤な目で、きょとんとして俺を見ている。まみさんはお手本のような『あちゃー』顔だ。次姉のえみさんはあわあわしている。
ごうっ。そんな炎の幻聴を背に、あみさんが背筋を伸ばした。恐ろしい威圧感だ。だが俺も背筋を伸ばし、彼女を真っ向から見返す。
「……堂本さん、でしたっけ」
「はい」
「あなた、うちのみみちゃんに何か吹き込んでくれたみたいですね。それが上手く行ったから、今度は私達ですか」
「わたしはそんなのじゃ……」
「みみちゃんには話してないでしょ!」
ばっしーん! そんな音が聞こえるほどのぴしゃりとした言い返し。何か言おうとしたみみちゃんは、口をつぐんで俯く。
流石にこれは怒りの矛先を間違ったと感じたらしく、あみさんはチラっと罪悪感のこもった視線を飛ばし、次に俺をキッと睨みつけてくる。
「この子を誘拐されておいて、まだ懲りずに勧誘しているその面の皮の厚さだけは認めます」
「……」
「でも、危険と分かっている場所にわざわざ人を呼び込むなんて、誠意に欠ける行動ではありませんか? あなた、みみちゃんにも最初、説明していなかったそうですね」
「それは、俺の不徳の致すところです。……本当に申し訳ありませんでした」
机の向こうへ、頭を下げる。なんなら椅子を退けて土下座しようかと思ったが、流石にひと様の家なので自粛した。それに、土下座して済む問題じゃない。
それはあみさんも同じ感想だったらしい。もっと怒りが燃え盛る音が聞こえた気がした。
「謝られれば解決する問題ではありませんよね? 今日だって、こんな急に訪ねてきて……常識が欠けてるんじゃないでしょうか」
「それは! それは、わたしが助けを呼んだんです。おねえちゃん達が分かってくれないから」
「分かってくれないからって、私達が何を分かってないって言うの。どれだけ危ないか分かってないのはみみちゃんの方でしょう」
だめだ姉妹で言い合いを始めそうだ。俺は咳払いし、もう一度注意を此方へ引き付ける。
「俺は、みみちゃんの歌を聞きました。そして、彼女があなた達と一緒に歌いたいと思っているのも」
「!」
まみさんが反応し、俺を見てくる。あみさんは少しだけ怯み、言葉を探しているようだった。そして、ゆっくりと声を出す。
「……それで?」
「俺は彼女の歌声が好きです。きっと、秋祭りで聞く沢山の人も好きになってくれる。あなた達が一緒なら、もっと」
「ふん。わざわざ市民ホールで歌う意味もないでしょう」
「……そうでもないですよ。少なくとも、みみちゃんにとっては」
そう言って、俺はみみちゃんへ視線を投げる。彼女は一瞬だけこちらの意図を図りかねた顔をしていたが、すぐに頷いた。そうだ、ここはキミが踏ん張ってくれないといけないところだ。
あみさん、えみさん、まみさんの視線がみみちゃんへ集まる。彼女はもぞもぞして、それから自分の心を示すべく口を開いた。
「……おねえちゃん。私、市民ホールが好きです」
「何度も聞いたわよ、みみちゃん。いくら好きでも……」
「わたし、お父さんも好きでした」
「……」
その言葉に、長姉は何か言おうとしていた口を止められた。彼女の中に、何か決定的な揺らぎが生まれるのが見える。
乙川家の末妹は純粋だった。何度も彼女の中で生まれていた揺らぎを、この時はじめて、姉妹で共有することになったのだろう。4姉妹は、皆、黙って次の言葉を待っていた。
「いつも傍に居なくても、ずっと病院に居ても、家に帰って来なくても、お父さんが歌う歌が好きでした。お姉ちゃんもお母さんも泣くから、イヤなことなのかなって、わすれようとしたけど……」
「……みみ」
「市民ホール、おなじなんです。あそこのおばあちゃんが作ってくれるおにぎり、好きです。あそこに集まって笑ってくれる皆の顔が好きです。わ、わたし……」
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涙を振り払い、みみちゃんは目を上げた。そして、あみさんを見た。
「わたし、押し込められて、泣いていたくない。ぜんぶ大事だから、ぜんぶ大事にしたい」
「……」
あみさんは声を失っていた。俺も、その言葉を前に、声を出すのさえ躊躇われた。
音が無くなったかのような空間の中で、不意にあみさんが溜息を吐いた。脱力し、椅子にもたれ、天井を仰いで顔を手で覆う。
そして、一言だけ、ぽつりと漏らした。
「……姉ちゃんが悪かったよ。ごめん」
その泣きそうな言葉を聞き、みみちゃんは決壊したように涙をこぼし、しゃくり上げ始めた。あみさんがみみちゃんを抱っこし、ぽんぽん背中を叩き、隣の部屋へ行くのを、俺は眺めるしかなかった。
やがて長姉の泣き声も隣の部屋から聞こえ始めたころ、まみさんが肩をすくめて言った。
「……4人で歌えって、大胆すぎ。心臓止まるかと思ったんデスケド」
「名案かと思ったんだよ……ですよ」
そういえばもう1人居たなと、次姉のえみさんを見て慌てて言葉遣いを取り繕う。
えみさんの目元は髪で隠れ、全く表情がうかがえないが、やがて彼女はビッと親指を立てた。なんなんだこの人は……。
◆
「条件がある」
2人そろって真っ赤な目元で戻って来たあみさんとみみちゃんは、椅子に座り直しながら、先ほどよりいくらか緊張の薄れた様子だ。
特にあみさんは丁寧だった言葉遣いが崩れ、そのレディースっぽい見た目に相応しくなっている。怖い。
「条件?」
「秋祭りで歌う条件」
そういえばそんな話だったな。みみちゃんの想いを引っ張り出せればなんでもいいと思ってたから忘れてた。
「えっと、どんなのでしょうか」
「1つ目。二度とみみちゃんを危険に晒させない事」
成程、2つ以上あるらしい。まあ1つ目はこちらとしても絶対条件だ。
「尽力します」
「尽力じゃ足りない。もしダメだったらアンタをバイクの後ろに括りつけて引きずり回してやる」
「か、必ず守ります」
「よし」
怖すぎませんか? 暴走族の長?
「2つ目。これからは姉妹全員で呼びかけに行ける日しか行かない」
「!?」
「あ、あーはい……大丈夫です」
次姉のえみさんが超絶反応して水をこぼすのを見ながら、俺はおどおど返事するしかない。それはどういう感情の表れなんだ……。
「3つ目」
指を折り、あみさんはニヤリと笑って俺を見た。さあ何が来る。
「……半端な舞台にしないこと。うちのみみの歌を聞かせてやるんだから、最低でもホールに満員じゃないとね」
「……勿論です」
「いいよ。それなら私も乗せられてあげる」
覚悟を決めた返事に、あみさんは立ち上がり、手を差し出して来た。俺も立ち上がり、手を握ると、すさまじいグリップが返って来る。
痛みに怯んでいると、あみさんは狂暴な笑顔を浮かべ、トドメの一言を放った。
「これからよろしくね、ボディガードくん」
……気合入れてボディをガードしてないと殺されそうだ。
◆
なんとか秋祭りへの4姉妹参加を勝ち取ってフラフラ市民ホールへ向かっていると、また鼓膜が震えた。ホワイトノイズじみた音の後、チューニングされて言葉が聞こえ始める。
「……これは」
(どうやら、以前に調査した『ジュウロン会』の施設が攻撃されているようです。少々お待ちください……)
(((……応援を! こちらアワナミ4、現着し応戦中ですが……ぐわっ!? なんだこの、ばけ……)))
(マッピング完了。視界に表示します)
激しい衝撃音で途切れる無線に、俺は思わず耳を抑える。
それと同時に、そう離れていない通りから爆炎が立ち上るのが見えた。表示されたマップでは、ストリート3つ分の距離だ。
「……くそ、急ぐぞ!」
(了解。情報収集を継続します)
現場へ駆け出した俺は、ほんの数秒で惨憺たる現場を目の当たりにすることになった。
ひっくり返ったパトカーに、赤々と炎を噴きあげる中華料理店。店内では、倒れた店員が数名確認できる。
「パラサイト、スーツアップ」
(了解、スーツアップ)
銀のアーマーに包まれ、店の扉を慎重に押し開く。……中に入れば、惨状がさらに見える。何か衝撃を食らい、倒れている人々。壁に開いた大きな穴は、今もパラパラと破片を落とす。
銃を構えて倒れている人間もおり、まあカタギの店ではないことが裏付けられた。
『……いくらカタギじゃなくても見殺しにも出来ないしな』
ぶつぶつ独り言を言いながら、店内の中国人を担いで外へ運び出す。炎は天井をなめつくすように動いており、全焼は免れないだろう。時間がない。
その時、店の奥から悲鳴が聞こえた。バッと顔を上げ、そちらを透視すると、1人の中国人が誰かに追い詰められている。
『パラサイト』
(この事態を引き起こした犯人で間違いありません)
『くそ、1人でここまでやったのか! どんな怪物だよ』
毒づきながら走る。透視した視界の中、中国人の喉元へ向け、その人物が蹴りを繰り出そうとしている……! 明らかに、人を殺す蹴り!!
『やめろーッ!!!』
厨房の台を飛び越え、全力で割り込む……そこには、信じられない光景があった。
「おや、やはり来ましたか」
『な……』
灰色のスーツ、糸目、眼鏡の……アワナミ組若頭補佐、アマタ シュウが居た。彼は、俺が封じたハズの脚で立ち、ネクタイを締め直しながら視線を此方へ向ける。
「去死吧ーッ!!」
「ふん」
一瞬の隙に、シュウの後ろの中国人が拳銃を向ける……が、キュオン、と特徴的な音が響き、中国人は倒れ伏した。その喉元は衝撃に潰れ、半分ほど内にめり込んでいる。
殺したのだ。シュウの右脚が、今、一瞬だけ霞んだ。予備動作もなく、蹴りを放ったということ! 俺は咄嗟にガードの構えを取り、じっと相手を見つめる。
「お前に倒された時は絶望したものですよ。私の脚も、使い物にならなくなりましてね」
『……そいつは悪かったな。喧嘩両成敗ってことで、謝り合って終わりにしないか?』
「いえいえ、むしろお礼を言いたかったくらいです。私は進化したのですから」
キュオン。一瞬後、俺はガード越しの強烈な衝撃をこらえて数メートルも後退っていた。いま、見えたのは……ヤツの右脚がするりと動き、キックの型を取り……そこからは見えなかった。スピード……恐ろしいほどの速度。
『進化だと……』
「おや、分かりませんか? あなたと同じになったのですよ」
同じ。意味が掴めない俺の脳内に、警報音が鳴り響く。シュウの右脚に視界がフォーカスされ、分析結果が表示された。
(ご主人様、ご注意ください。彼の右脚には、機械が……埋め込まれています)
埋め込まれている。透視しようとした瞬間、俺の顔面に蹴りが叩きつけられた。
ドガッシャァァァァ!! 吹き飛び、壁を突き破り、駐車場へ放り出される。キュオン。遅れて音が響く。
「ハ! やはり同じ土俵に立ってみれば、こんなものですか」
興奮した様子のシュウが瓦礫の上に乗り、右脚を覆うズボンの布を引き裂いた。
そこには……信じがたい事に……機械が、満ちていた。肉ではなく、冷たい灰色の鉄が、蒸気を噴き出して、パルス光を節々から発している。脚の形の、機械だ。
「見るがいい。これがヨモツ・ギア・プロジェクトの恩恵。……お前の死因ですよ」
キュオン。パルス光と同期する音を響かせ、呆然とする俺に向けて蹴りが放たれた。反射的に躱そうと身を引いた俺の顎を、2段目のキックが捉える。
風圧の中、吹き飛ばされている自分を知覚する。直後何かに背中から突っ込み、大爆発を起こした。この油の匂いは、タンクローリー……
熱と炎で揺らぐ視界の中、トドメに歩いてくるシュウが見えた。
だが、彼は何かに気付き、その脚の力で大きく跳躍して消えた。
数秒後、俺も気付く。パトカーや消防車のサイレン音だ。
命拾いした。炎の中で起き上がり、俺もまた撤退を開始した。
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神崎未緒里
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※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

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