クラップロイド

しいたけのこ

文字の大きさ
上 下
51 / 60
黄泉の端

事情

しおりを挟む
「誠に申し訳ございません」

 畳の上、天田 修は土下座していた。天下の大鯨会、淡浪組の若頭補佐である彼の立場として、考えられない行動である。だが……彼の下げた頭が向かう先を見れば、その疑念も解消する。

 頑固な槌を思わせる禿げ頭の老人が、その土下座をじっと見つめていた。黒い着物に、袴を着用した小さなその老人はしかし、その身の丈に合わぬ威圧感を放ち、辺りに座るヤクザを抑えつける。小指も薬指もない手が、どれほど長い間、彼がこの世界に身を置いてきたかを語る。

 彼こそは淡浪組組長、『海鬼 戒蔵』。構成員8000を超える組を従える、アワナミの闇の帝王である。広大なる座敷の上、彼が少し身を動かすだけで、プレッシャーが波のように広がった。

「修。頭上げろや」
「……しかし」
「上げろ。二度も言わせんじゃねえ」

 天田 修はゆっくりと顔を上げる。その顔をじっと睨みながら、海鬼はしゃくれた顎を動かして喋り出す。

「その『クラップロイド』てのが、邪魔してんのか」
「いえ。クラップロイドは排除した障害です。しかし……市民ホールの団結、思った以上でした」
「団結だぁ?」
「けん制を一度掛けたにも関わらず、連中は未だに呼びかけ運動を続けています。民意も徐々に傾き始めており、このままでは……」

 天田はそこで言葉を区切り、目を閉じる。そして、意を決して言葉を繋いだ。

「……このままでは、クラリス・コーポレーションとの協定、破ることになりかねません」
「カーッ!! てめえが請け負ったシノギをてめえで放るだと! 無様極まりねえ!」

 海鬼はそう言いながらも、怒り狂った様子ではない。言葉を投げながら、顎をさすり、何か手を考えている様子である。

 その傍、まるで弾避けの組員のごとく近くに座っていた男……刀を傍に置いた男が喋り出した。彼の涼し気な創面は、しかし狂気に染まっている様子はない。つまり、この会話に割り入って良い身分なのだ。

「失礼を承知で申し上げますが……クラップロイド、甘く見て良い存在でない事は確かです」
「あぁ? 何か知ってやがるのか、九条」
「は。ヤツはこれまでに、スコーピオンズ、グラニーツァ、ジュウロン会を相手取って生き残った男。そのどれも、大激戦でした故」
「んなこた、知ってる。てめえ、くだらん茶々を入れるんじゃねえ」

 海鬼の厳しい言葉に、九条と呼ばれた男は首を振り、辛抱強く続ける。

「あやつには『周りを巻き込む』という力があります。単純な戦闘力では測れぬ部分ゆえ、見積もりを間違われぬ方がよろしいかと……証拠に、市民ホール解体の反対運動はますます無視できぬものに」
「……」

 そんな事は分かっている。天田は唇をかみしめ、その報告をおこなう九条を憎々しげに睨む。

 しかし、海鬼は顎をさすると、頷いた。

「成程、『熱』か。面倒なヤツを敵に回しっちまったもんだな」
「仰る通り……手を打つならば、早急になさった方が良いでしょう」
「おい修。てめえ、兵隊をいくらか貸してやる。きっちり片付けに動け」
「はっ……ありがとうございます」

 天田が頭を下げるが、しかし伏せられたその顔は喜びからほど遠い。その顔は未だ、九条への憎悪に歪んでいる……。




「おう。話せるか、今」

 座敷から退出した天田を待っていたのは、同じく淡浪組若頭補佐の『八神 鷹山』だった。彼は筋骨隆々の腕を組み、柱に寄りかかって気安く呼びかける。同じ若頭補佐の2人は……いや、現若頭の九条を含めて、彼らは3人で五分の兄弟分だった。

「何か」
「まあ、そう邪険にすんなや。この後どうするつもりなのか、一応兵隊の育成を任されてる俺も聞いとこうと思ってよ」

 顎で部屋を指し、八神は障子戸を開いて入ってゆく。天田も溜息を吐き、その後に続く。

 彼らはほぼ同時に座布団に座り、見合う恰好になった。

「で、どうする?」
「クラップロイドを片付けますよ」
「そうじゃねえ。その手段をどうするかって聞いてんだ」
「……あなたに関係ありますかねェ?」

 ほとんど挑発的に、天田は八神を睨む。その視線を受け、筋肉の塊のような男は、溜息を吐いて相手を見返す。

「お前、これがラストチャンスだぞ。分かってんのか。これをミスれば、若頭補佐からも降ろされる。このシノギは別のヤツが受け持つ事になる」
「……わざわざどうも。用件がそれだけなら、私はここで」

 天田は腰を上げ、中座しようとする。だが、八神は鋭い声を発した。

「お前、お嬢を餌に使う気だろう」
「……」

 その声に、障子を開けようとしていた天田の動きが止まる。そして振り返り、八神を見る。

「……それが?」
「別に止める気はねえ。俺達は外道で、それがやり方だ。だが……お前、しっぺ返しを食らうぞ」
「また私が慢心するとでも?」
「いいや、違う。だが、お前、さっきの九条の言葉が聞こえてなかったようだな」

 九条。その名が出た瞬間、天田はかすかに眉間を動かした。そこにあるのは、苛立ちの感情である。

「……それで? 聞いていなかったから何なんです」
「クラップロイドはお前に利用された人間の熱を必ず『束ねる』ぞ。クラリス野郎がどれだけ金を落とすのかは知らねえが、あの機械野郎のもたらす損害と天秤にかけられた時、どっちが切り捨てられるかよく考えろ」
「くだらない。殺せばおしまいだ」

 天田は吐き捨てると、今度こそ障子戸を開き、歩み出てゆく。


「……」


 八神はしばらく動かなかったが、やがて姿勢を崩し、畳に手をついて立ち上がる。そして曇り空を見上げ、ため息を吐いた。

「……アカリお嬢か」

 そのつぶやきは、中庭の池の鯉しか聞いてはいなかった。




「堂本さん! 寂しくありませんでしたか!」

 元気よく声をかけてくるみみちゃんに、俺は思わず頬が緩むのを感じる。市民ホールの前で、呼びかけ運動中の俺達に、小さな加勢が合流してくれていた。
 

 ただ、加勢は彼女だけではなかった。


「おいーっす」


 なんと、オトカワ姉が来てくれたのだ。彼女はサングラスにきらきらのジャケットを着こみ、おどけた敬礼を送ってくる。

「今日はまみさんも来てくれたのか」
「ちっすちっす。なんだかんだ、うちの一番上の姉ちゃんは『ダメ―』って言ってたけどさ。でもみみちゃんが来たいって言うなら止めらんないじゃん?」
「ごめん。心配かけたよな」
「たかっちまーだ気にしてんの! あは、みみちゃん怒ってたよ! 『堂本さんは悪くないのになんで謝るんだ』って、泣きながら――」
「わー!! わー!! それ黙ってるって約束したのですけど!!」

 みみちゃんが顔を真っ赤にして止めるのを、俺達は笑いながら眺めた。そしてまた、呼びかけ運動を開始する。


 次の目標は、ホール全体を使っての『百人一首かるた大会』だ。その先にも、色々な目標が待っている。……そして、最後は『秋祭り』。そこまでやり切れば、俺達の勝ちは揺らがない。


 険しい道だが、もう俺は戦うと決めた。クラリス・コーポレーションのたくらみが無くとも、このホールは守る。俺がここの事を好きなのだ。



 そうして、午前を終え、ホール内で一息ついていると……ぴとっ、と頬に冷たい感触が貼り付いた。

「うおわっ!?」
「ふっくくく、たかっちビビり過ぎじゃん?」

 見れば、オトカワ姉……まみさんが俺のほっぺに麦茶ボトルを押し付けていた。それまでおにぎりを食べてぼんやりしていた俺は、一気にスイッチが入ったように背筋を伸ばす。

「び、びっくりした……いやホント、何かと思った」
「あっはは、面白! みみちゃんが気に入るわけだわ、くくく……」

 どうやら俺の挙動がツボったらしく、まみさんはしばらく笑い続けていた。そろそろ傷付くな、という頃に彼女はようやく笑い止み、目じりの涙をぬぐいながら口を開く。

「いや、ごめんて! なんか、遠くから見てると老人ぽいフンイキがヤバかったからさ。なんか元気づけようかと」
「老人? マジ? 俺が?」
「うん、ヤバかったよ。エンガワで余生過ごしてます感」

 なにそれは……。俺はまだまだ若いんですが、なんでそんな枯れた風な言われようをしなければならないんですか?

 俺の傷付いた顔が面白かったのか、まみさんはまた噴き出して笑い始めた。

「じょーだんじょーだん! 半分くらいじょーだんだから!」
「半分マジなのかよ……」
「あっはは、おもしろ」

 ひとしきり笑ったあと、オトカワ姉は俺の隣にわざわざパイプ椅子を持ってきて腰かけた。

「みみちゃん、どう? しっかりやってた?」
「あぁ……まぁ、今日見た通りだよ。あんな感じで、いつも助かってる」

 過剰に俺の世話を焼きたがるのはなんとかしてほしいけど、逆に言えば欠点はそのくらいだ。歳の割にしっかりしすぎているくらいに手がかからない。

「そう。うちでもさ、塾の送り迎えも要らないくらい、ずっと手がかからない子だから……ま、しっかりやってるのは疑ってなかったケド」
「そうなのか……」
「うん。ここの一発芸大会に出てるって聞いた時はびっくりしたよ。一言も聞いてなかったのに! って。……まあ、『誘拐事件』の知らせもセットだったからしょうがないかもだケド」

 あぁ、うむ。やっぱりその話になるよな。俺はおにぎりを半分ほど口に放り込み、彼女の次の言葉を待つ。

「あの子、歌うって言ってた?」
「あぁ……うん。聞かせてもらったけど、すごく上手だった」
「やっぱり。あの子、歌いたいのに家じゃ歌わないんだ」

 ……なんだかものすごく事情のありそうな言い方だ。オトカワ姉を見ると、どこか遠い目で、炊事の手伝いをするみみちゃんを見ていた。

「それは……なんで、って聞いて良いのか?」
「……あのね。私達、4人姉妹で、お母さんが1人なんだ」

 俺が尋ねると、まるで聞いてもらいたかったかのように、まみさんは口を開く。それは、ずっと背負っていた荷を、ようやく他人に預けられると知った表情に似ていた。

「まだ、もっともっと、みみちゃんが小さい頃……小学2年生だったかな。お父さんが死んでさ……喉の、ナントカって所にガンがあったんだって」

 癌。……あぁ、かつての俺の恩人をむしばんでいたのと同じ病だ。お人好しの顔が浮かび、それを失う辛さが蘇る。

「ま、その人が大好きだったのが歌なの。病床に居ても、私達がお見舞いに行ったらずっと歌ってたくらい」
「そうか。……お父さんは、歌が上手だったか?」
「うん。すごく上手だった」

 なるほど、あの歌声は遺伝だ。もしかすると、彼女の姉妹は全員歌が上手なのかもしれない。

「最初は誰だったかな……お母さんだったかも。『あの人を思い出すから、歌わないで』って……たぶん、ぽろっと言っちゃったんだと思うんだ。あの人、父さんの葬式とかの手続きで、ずっと泣く暇もないほど疲れ切ってたから……」
「……」

 それは……どうにもならない話ではある。母親の気持ちを思えば、喪失感と痛みでグチャグチャになった気持ちがようやく追いついてきたのだ。整理できなくとも仕方がない。

「で、次が……親戚の誰だっけ。覚えてないけど、『歌いすぎで喉にガンができたんじゃないか』って」
「……それは、そうなのか?」
「分かんない。お医者さんの話はお母さんだけが聞いてたし」

 口さがない親戚も居たものだ。『歌は人を不幸にする』……そんな認識が姉妹に植え付けられても、仕方がないほどの経験。

「でも、みみちゃんは歌いたがってたんだ。だから、あみちゃん……ああ、一番上のお姉ちゃんが怒っちゃって……」

 ――いい加減にして、みみ! アンタが歌ったってお父さん戻ってこないんだよ!

「……たぶんね、誰も本当にあの子を傷付けようなんて思ってなかったんだとおもう。でも、こじれちゃったんだ」

 俺には、みみちゃんの気持ちが分からなかった。

 ただ、長姉である乙川 あみの気持ちは、痛いほどに分かった。父親に戻ってきてほしいと願っていたのは、きっと、みみちゃんの方ではなく……

「……そうか」
「うん。だからね、たかっちの前で歌ったって聞いて、ちょっとホッとしてる。あの子、心許してるんだ」

 オトカワ姉は笑ってそう言った。その目は、心の底からみみちゃんの幸せを願っている人のものだった。

「……秋祭り、出し物でボーカル4人出ないか?」
「無理だよ。だって、誘拐のせいで今までよりもっとピリピリしてるし。『また父さんみたいに』って、お母さんも絶対出させないつもりだし。ここに来てるのもギリギリ」
「それじゃあ、その誘拐の原因が無くなれば……」


 その時、俺の耳がノイズに満たされた。砂嵐が鼓膜に叩きつけられるような感覚に、思わず口を止めて身を強張らせる。これは……無線傍受!

(ご主人様、お話中失礼します。こちらの通信をご確認ください)
「……たかっち?」

 パラサイトの声が思考に割り込んでくる。俺は通信内容に集中すべく、片耳を手で覆って目を閉じる。

(((……り返す。こちらアワナミ組『アマタ シュウ』。クラップロイド、聞こえているだろう。お前が無線を傍受する網を張り巡らせているのは分かっている)))

 アマタ シュウ。こちらに呼びかけてきている! 俺は素早く辺りを見回し、全員がここに揃っているかを確認する。……いや、居る。みみちゃんも、まみさんも、トメさんも、ウメさんも、大将さんも。

 ならば、何の用で呼びかけている?

(((今から『アワナミ高地』へ来い。コンビナートが見えるあの廃墟だ。……来なければ、お嬢がどうなるか分からないぞ)))

 お嬢。シュウがそう呼ぶのは一人しか思い当たらない。すなわち、キジョウ アカリ。

 なぜアイツに人質にされているのか分からないが……いや、分からないか? 誘拐事件当日、アイツは警察に保護されていない。おそらくは何かしらのもめごとがあった……シュウが俺を見逃したのと関係するもめごとが……


 そして今、アマタ シュウはツケの清算に乗り出そうとしている。俺を呼び出し、殺すことで。


「ああくそくそくそ、駄目だ駄目だ……!! くっそ、行くしか……!」
「たかっちどうしたんだって! おかしいよさっきから!?」
「まみさん、えっと……ええと、とにかく! 警察呼んでくれ! いいか、電話口で説明するんじゃなく、ここに呼びつけてから、『アワナミ高地に行け』って伝えて!」
「なに!? なんで?! 意味わかんないんデスケド!?」

 みみちゃんのですけど口調はこの子の影響! 俺覚えた!

「アワナミ組だ、また余計な事しようとしてる! 俺……その、俺ちょっと用事思い出したから!!」
「言ってる事支離滅裂じゃない!? ちょっと!?」


 俺は彼女の応答を待たず、全力で駆け出した。大将さんとみみちゃんの脇を駆け抜け、市民ホールの扉を突破し、アスファルトを踏みつけながら、叫んだ。

「パラサイトッ、スーツアップ!」
(了解、スーツアップ)

 

 アーマーに覆われた俺は、銀の電撃じみて、黒々としたビルの谷間を遡った。

しおりを挟む

処理中です...