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黄泉の端
大会
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一発芸大会はまさに、宴もたけなわだった。笑える特技も、皆を唸らせる特技も、面白くない特技も、すべてが皆を盛り上げる要因になっていた。
当日は無料で味噌汁とおにぎりの炊き出しも行われているため、単純に昼食目的として訪れた人も多い。俺は『ロイドモード』のまま、味噌汁の大鍋をかき混ぜている。
『アッツいなぁ……ほい、もう一杯』
「かっかっか、よく働いてんなぁこのロボット!」
『俺はロボットじゃ……まあいいか』
当日は晴天だった。雲一つない青空は高く、気持ちの良い風がホール内に吹き込む。
「あ、あの! クラップロイドさんにサイン貰ってもいいですか!」
『あ、サイン? サインは……えっと、考えてなかったな。パラサイト、何か準備できるか』
(では、こちらで準備いたします)
そうこうしている間にも、市民ホールの大会は佳境に差し掛かり始めた。司会の大将さんの拡声器ボイスが盛り上げを際立て、熱量はゆっくりと上がってゆく。
『次は……えっと、あぁ、meat meat meatの女の子か』
(はい。トメさん達に連絡は大丈夫ですか?)
『ああ、あの人たちはなんだかんだ本番はしっかりこなすし』
「クラップロイドー! 腕相撲しようぜー!」
『おっ、負けないぞ』
手加減した腕相撲で苦戦しながら、それとなーく、ステージの方を見る。……meat系女児、来ないな。なかなか焦らしてくれるぜ。
数秒経過し、数十秒経過し、1分経ったところで流石に違和感を覚える。何か運営上でトラブルが発生したのだろうか。
そんな事を考えていると、慌てたようにイコマ先生が駆けてきた。今日は彼女も運営に携わってくれており……ん? なんだか顔が蒼白だ。
「どう……クラップロイド、大変!」
『どうしたんすか。落ち着いてください』
「た、大変……えっと、大変なの! みみちゃんが!」
『みみちゃん……ああ、meat系女児がどうしたんすか』
次の瞬間、俺は声を失った。
「みみちゃんが、攫われたの!」
◆
「警察にはもう連絡してあって、親御さんにも」
『パラサイト、急げ。監視カメラの映像全部洗ってそれらしいの見つけてくれ』
「皆さん、落ち着いて聞いてください!」
俺はみみちゃんの控室に置いてあったという紙を見る。『クラッふ゜ロイド ジャ魔をすルな オ前が消えレバ 彼女を返す』……新聞の切り抜きモンタージュで書かれたそれは、底知れぬ邪悪を感じさせる。
(発見しました。アワナミ高地、コンビナート近くの廃墟です)
視界に浮かぶ監視カメラ映像では、嫌がるみみちゃんを、複数人で廃墟に連れ込む男たちの姿が映っていた。
なんという事だ。俺が甘すぎた。もっと早くに気付けるハズだった。何人かの顔を見たことがある……アワナミ組の本拠地で見た顔だ。
『……見つけました、俺行ってきます。アワナミ高地、警察に連絡してください』
「えっ!? ちょ、ちょっと待って……」
『行きます』
全力で駆け出し、市民ホールの扉を開いて道路を飛び越え、全速力に乗る。
俺は余裕を失っていた。自分が招いた事件。安易に日常にクラップロイドを持ち出した弊害。ツケは、必ず回収される。だが、被害を受けるべきなのは彼女ではないハズだ。
ないハズだ。シマヨシさんの顔が、テツマキさんの顔が、泣きながら俺に背を向けるスズシロの顔が思い起こされる。そうだ、いつだって割を食うのは『馬鹿じゃなかった人たち』。なんで俺は油断した!!
『待ってろ……!!』
銀の風になりながら、俺は全力の一歩を踏み込み、大きく飛翔した。
◆
「はなしてー! やだー!! おねえちゃん助けてえーー!!!!」
椅子に縛られ、ギシギシと身動きしながら泣きわめく女の子を部屋の中央に、黒服の男たちが展開する。そして、灰色のスーツの男と、金髪の少女が立っている。
スーツの男はシュウ。金髪の少女、キジョウ アカリの護衛である。だが今日は違う仕事も並行して行っていた。それこそは、市民ホール再興の妨害、クラップロイドの排除である。
「ねえ、シュウ……なんであの子、攫われたの?」
「お嬢は知る必要のない事です。車でお待ちになってくださいと何度も言ったでしょう」
キジョウの問いに対し、心底からの苛立ちを感じながらシュウは答える。今日だけは、この馬鹿女の護衛の任を外れたかった。だが、そんな権利は与えられなかった。
彼は数年前のジュウロン会との抗争、『白電戦争』で大きな間違いを犯した。その迂闊のせいで当時の若頭を死なせ、同抗争での手柄を帳消しにしてしまったのだ。本来ならば、空いた若頭のポストに自分が座るハズだった……だが、それは奪われている。
彼は焦っていた。このままでは、このくだらない一家の護衛で一生を終える。そんなつもりは、彼にはなかった。市民ホールの周囲一帯の地上げを終え、上納金を収め、地位を登り詰める。それがプランだったハズなのに、そこにクラップロイドが現れた。
まったくもって、ふざけた話だ。ゆえにここで殺す。クラップロイドをおびき出し、必ず、殺す。
「ねえ、やっぱりやめて。あの子、解放してあげようよ」
「黙っていてください、お嬢。車へ戻ってください」
全く苛立たしい女だ。足りない頭で、何を言うかと思えば餌を放せなどと。そもそもお前こそは俺の敗北の象徴。一刻もはやく消し去りたい汚物にも似た存在だ。
「だってあんなに泣いて……」
「……さっきからくだらない事をペチャクチャと、癪に障りますねェ。いいですかお嬢、これは戦争なんですよ! 我々と、クラップロイドの! 貴女のような素人の出る幕はないんです!」
とうとう苛立ちが頂点に達し、シュウは叫ぶ。明らかに怯んでいるキジョウに対し、しかしシュウは止まらない。
「そもそも貴女がクラップロイドに余計な情報を漏らさなければ、こうはならなかった! 呪うならご自分の口の軽さを呪うのですねェ。……尤も、既に呪われつくした一生でしょうが。オイ、連れて行け」
シュウが顎でクイと指示を出すと、男が1人歩み寄り、キジョウの腕を掴む。
それまで怯み、俯いていたキジョウは……しかし、その掴みを振り払い、真っ向からシュウを見て叫んだ。
「……ざけんなクソ! てめえのクソ野郎加減をアタシに押し付けんじゃねー!!」
「なんですと?」
「その子離せや!! こんなやり方知られて困るのはお前の方だろ!!」
「……」
その言葉に、シュウの糸目が少しだけ開かれる。それは、目の前の少女を少しでも見直した目の色だろうか。部屋の中は静まり返り、泣きわめいていた女の子すら呆然としている。
次の瞬間、窓ガラスが割れ、銀色の風が吹き込んだ。
それが何なのか……殆どの人間が視認すらする前に、1人が頭を掴まれ、叩き伏せられた。気を失ったその体が投げられ、2人目が倒される。
反射的にチャカを抜いた残りの男たちが銃撃を……いや、遅い。クルクルと回転する銀のアーマーは、男たちの首元へ飛び掛かり、ボディプレスで圧し潰した。
「ちぃ」
シュウは素早く銃を抜き、数歩退いて構える。既に室内の男たちは半数が壊滅。
彼は……クラップロイドは、全身から怒りのオーラを発しながら、ゆっくりと立ち上がり、構える。その甲殻類じみた装甲は、内包者の怒りに耐えかねるがごとく、ミシミシと音を立てて軋んでいる。
『……アマタ シュウ。アワナミ組若頭補佐。お前か』
「これはこれは! ご存知いただいているようで大変光栄ですねェ、クラップロイド!」
『その子を解放しろ。俺はもう、ここへ来たぞ。お前をブチのめすまで何処にもいかないと約束してやる』
「くっく、それをウチの業界では『口約束』と呼ぶのですよ! かかれ!」
戦場が動き出した。
一斉にかかってくる男たちに対し、クラップロイドは防御をしない。攻撃を全てアーマーで弾き、弾けない攻撃は身に食らい、バーサーカーのように血を振り飛ばしながら1人1人を倒してゆく。
そこへ、シュウが飛び込んだ。彼は銃を撃ちながらクラップロイドの懐に飛び込み、その長い脚で蹴りを繰り出す。
クラップロイドは避けない。蹴りを喉元に食らったまま脚を掴み、壁に叩きつける。シュウの抵抗の銃弾を肩で受け、血を噴出させながら、もう一度叩きつけてコンクリ壁を突き破る。
塵煙が舞う中、バイザーから漏れる光を後に残し、クラップロイドは更に追撃に走る。
シュウは風車のように脚を振り回し、けん制しつつも起き上がると、軽快なステップで距離を測る。
ヒュン、と音が鳴った。クラップロイドは肩を掠める衝撃によろめく。蹴りが放たれたのだ。シュウは更に腰を捻り、次々に蹴りを放つ。
蹴りが放たれるたび、その軌道上に風の穴が開く。スピードも威力も凄まじい。マシンガンのような蹴りがアーマーを叩き、靴底のスパイクと火花を散らす。
しかし、クラップロイドは譲らなかった。全身に喝を入れ、蹴りに真っ向からぶつかり、逆に怯みを生じさせると、その拳をシュウの頬へ叩きつけた。
眼鏡が宙を舞い、遅れて衝撃が発生し、2人にまとわりつく塵煙を吹き飛ばす。ヤクザ者は吹き飛ばされ、壁に叩きつけられると、口の端の血を拭い、瞳から侮りの色を消して立ち上がった。
2人の人間離れしたやり取りを背に、キジョウは動き出していた。倒れたヤクザの懐からナイフを取り出し、女の子を拘束しているガムテープを切り裂く。
「えっ……」
「いくよ、ホラ。居たくないでしょ、こんなところ」
「で、でもおねえちゃん、大丈夫なの?」
「……平気だから」
こんな子供にも心配されてしまう自分の情けなさを恥じつつも、しかしキジョウはやるべき事を見失わなかった。この女の子を逃がすのだ。
手を繋ぎ、部屋から歩き出る。ここは2階だ、1階へ降りなければ……。遠い部屋で、鉄と肉がぶつかる音、破砕音が響いている。
階段は途中で失われ、ボロボロの段が飛び飛びになっている。彼女は先に降り、腕を広げて女の子を見上げた。
「ほら、大丈夫だから降りてきな!」
「で、でも……高い、こわいよ……」
「平気! ぜったい受け止めてやるから!」
キジョウの必死の呼びかけに、女の子も覚悟を決め、そろりそろりと体をはみ出させる。そしてずるりと落下した。
それをドサリと受け止め、キジョウは笑った。
「ほら、大丈夫だったでしょ」
「う、うん」
女の子は膝をすりむいていたが、しかし頷く。健気なものだ。キジョウは頷くと、また小さな手を引き、出口へ向かう。もう少しで、逃げられる。
だがその時、天井が突き破られ、質量が落下してきた。それはクラップロイドを下敷きにしたシュウだ。
彼は口元を拭い、怒りと共にクラップロイドへのトドメを繰り出そうとし……そして、キジョウに気付いた。
「……おやおや。お出かけですか、お嬢。これは重大な裏切りだ」
「……何したってアタシの自由でしょ! いちいちウザいんだよ、お前!」
「いいでしょう。コイツを片付けたら、次は貴女の問題について、親分に報告を……」
次の瞬間、シュウが引き倒された。クラップロイドが脚を掴み、寝技に持ち込んだのだ。叫び、拳を振り上げ、叩きつける。
『行けッ! 逃げろ!!』
「う、うんっ! 行くよ!!」
壮絶なやり取りの音を後ろに聞きながら、キジョウは女の子を連れて廃墟から飛び出す。
眩しい陽が差す外の世界では、結構な数のパトカーが走ってくるのが見える。キジョウは……
キジョウは、女の子の手を離した。そして立ち止まり、一歩退いた。
「え……お、おねえちゃん?」
「いきな。もう大丈夫でしょ。ケーサツにホゴしてもらえ」
「お、おねえちゃんは?」
「……ちょっと、やらなきゃいけない事があるから」
そう言い、キジョウはきびすを返して駆けだす。未だに戦いの収まらぬ廃墟の中へ向け。
クラップロイドは死にかけの体を怒りで無理に動かし、蹴りのリーチの、更に内側へ潜り込む。シュウという若頭補佐……この男は、危険だった。勢いで倒せる相手ではない。しかし彼は止まれなかった。敵に知らしめる必要があったのだ。『無関係の市民を巻き込むと、どうなるのか』。
対するシュウ。蹴り脚を回し、二段目に繋ぎながらも、目を見開く。このクラップロイドという存在は、危険だ。強い、強くない、そういう次元の話ではない。何よりも、『市民のために怒る』、その性質が危険そのもの。アワナミ市の団結の切っ掛けとなりかねない。
団結は厄介だ。人は『自分の数が多い』と認識すれば、勢いづく。勢いづけば、戦う。戦えば、変わる。それは支配からの脱却だ。
「成程。甘く見ていたようですねェ」
『謝ったら許してやるよ……あの子に土下座で、悪い事はもうしませんってな!』
「クック、ユーモアのセンスもある。やはり危険だ」
膝で弾き、クラップロイドとの距離を取ると、シュウは片脚を上げて構えた。膝を胸まで上げたそのフォームは、まるで膝関節から下の力を全て抜いたかの如く、ゆったりとリラックスしたものだ。
クラップロイドはしかし、深呼吸し、迂闊に攻め込まない。目の前の敵の構えに対し、底知れぬ危険を感じたのだ。あるいは、リラックスした状態から放たれる一撃こそ危険と、彼の経験から知っているのかもしれない。
2人の間に、極度の緊張感が溢れる。クラップロイドはガード重視の構えのまま攻め込む隙を伺う。シュウの顔から感情は消えている。その構えに、1ミリも揺らぎはない。
天井の残りが音を立てて崩落した瞬間、2人は霞んだ。先に仕掛けたのは、クラップロイドだ。拳を握り込み、ガードの構えのままタックルを
バチィィィィィィィン!!! 直後、シュウの脚が消えた。いや、消えたのではない。それは空を切り裂く速度でもって、クラップロイドのヘルメットを叩きつけていた。一瞬、力のベクトルが衝突し、静寂が生まれた。
そして結果が生じる。銀の衝撃波じみて、クラップロイドは吹き飛ばされ、壁に背を叩きつけられてずるずると伸びた。シュウは脚をゆっくりと戻し、スーツの襟を正す。それは勝利の所作だ。
トドメを。殺害のため、クラップロイドへ拳銃を向けたシュウの背に、何か固いものが押し付けられた。ヤクザ組織の幹部である彼は即座に理解する。自分の背中に当たっているのは、銃口だ。
「……お嬢。これはもう、冗談ではすみませんよ」
「冗談でやってると思ってんの……」
キジョウ アカリだ。彼女は震える手で、シュウの背中に拳銃を押し当て続ける。シュウは溜息を吐くと、手に持った拳銃をクルクルと回し、上へ向けた。
「で、何がお望みです? 全く我儘なことだ」
「そ、そいつ……逃がして。生きたまま」
「はぁ。それで、何か得が?」
「警察に証言しないであげるよ……アンタが誘拐の犯人だって」
「……」
「どっ、どうせ、適当なテッポーダマ、身代わりに出頭させるんでしょ。それも出来なくなっちゃうかもね」
廃墟の外では、警察が包囲を完成させようとしている。時間はもう無い。決断するならば、即座にしなければ。
シュウは拳銃を放り捨てると、両手を挙げた。そして言った。
「……なら、行きますよ。ここに居たらまずいのはお嬢も同じです」
「あ、歩いて。先に。安全なところまで行ったら銃、離してあげる」
「はいはい……」
2人は歩いて去ってゆく。
数秒後、クラップロイドは電撃的に再起動し、跳ね起きた。自分の有様を、そして外を見て、理解する。見逃された。
そして、逃げなければならない。警察はクラップロイドにも容赦しないだろう。銀の人形は怒りに震えながら、深呼吸の後に駆け出し、現場から即座に逃亡した。
当日は無料で味噌汁とおにぎりの炊き出しも行われているため、単純に昼食目的として訪れた人も多い。俺は『ロイドモード』のまま、味噌汁の大鍋をかき混ぜている。
『アッツいなぁ……ほい、もう一杯』
「かっかっか、よく働いてんなぁこのロボット!」
『俺はロボットじゃ……まあいいか』
当日は晴天だった。雲一つない青空は高く、気持ちの良い風がホール内に吹き込む。
「あ、あの! クラップロイドさんにサイン貰ってもいいですか!」
『あ、サイン? サインは……えっと、考えてなかったな。パラサイト、何か準備できるか』
(では、こちらで準備いたします)
そうこうしている間にも、市民ホールの大会は佳境に差し掛かり始めた。司会の大将さんの拡声器ボイスが盛り上げを際立て、熱量はゆっくりと上がってゆく。
『次は……えっと、あぁ、meat meat meatの女の子か』
(はい。トメさん達に連絡は大丈夫ですか?)
『ああ、あの人たちはなんだかんだ本番はしっかりこなすし』
「クラップロイドー! 腕相撲しようぜー!」
『おっ、負けないぞ』
手加減した腕相撲で苦戦しながら、それとなーく、ステージの方を見る。……meat系女児、来ないな。なかなか焦らしてくれるぜ。
数秒経過し、数十秒経過し、1分経ったところで流石に違和感を覚える。何か運営上でトラブルが発生したのだろうか。
そんな事を考えていると、慌てたようにイコマ先生が駆けてきた。今日は彼女も運営に携わってくれており……ん? なんだか顔が蒼白だ。
「どう……クラップロイド、大変!」
『どうしたんすか。落ち着いてください』
「た、大変……えっと、大変なの! みみちゃんが!」
『みみちゃん……ああ、meat系女児がどうしたんすか』
次の瞬間、俺は声を失った。
「みみちゃんが、攫われたの!」
◆
「警察にはもう連絡してあって、親御さんにも」
『パラサイト、急げ。監視カメラの映像全部洗ってそれらしいの見つけてくれ』
「皆さん、落ち着いて聞いてください!」
俺はみみちゃんの控室に置いてあったという紙を見る。『クラッふ゜ロイド ジャ魔をすルな オ前が消えレバ 彼女を返す』……新聞の切り抜きモンタージュで書かれたそれは、底知れぬ邪悪を感じさせる。
(発見しました。アワナミ高地、コンビナート近くの廃墟です)
視界に浮かぶ監視カメラ映像では、嫌がるみみちゃんを、複数人で廃墟に連れ込む男たちの姿が映っていた。
なんという事だ。俺が甘すぎた。もっと早くに気付けるハズだった。何人かの顔を見たことがある……アワナミ組の本拠地で見た顔だ。
『……見つけました、俺行ってきます。アワナミ高地、警察に連絡してください』
「えっ!? ちょ、ちょっと待って……」
『行きます』
全力で駆け出し、市民ホールの扉を開いて道路を飛び越え、全速力に乗る。
俺は余裕を失っていた。自分が招いた事件。安易に日常にクラップロイドを持ち出した弊害。ツケは、必ず回収される。だが、被害を受けるべきなのは彼女ではないハズだ。
ないハズだ。シマヨシさんの顔が、テツマキさんの顔が、泣きながら俺に背を向けるスズシロの顔が思い起こされる。そうだ、いつだって割を食うのは『馬鹿じゃなかった人たち』。なんで俺は油断した!!
『待ってろ……!!』
銀の風になりながら、俺は全力の一歩を踏み込み、大きく飛翔した。
◆
「はなしてー! やだー!! おねえちゃん助けてえーー!!!!」
椅子に縛られ、ギシギシと身動きしながら泣きわめく女の子を部屋の中央に、黒服の男たちが展開する。そして、灰色のスーツの男と、金髪の少女が立っている。
スーツの男はシュウ。金髪の少女、キジョウ アカリの護衛である。だが今日は違う仕事も並行して行っていた。それこそは、市民ホール再興の妨害、クラップロイドの排除である。
「ねえ、シュウ……なんであの子、攫われたの?」
「お嬢は知る必要のない事です。車でお待ちになってくださいと何度も言ったでしょう」
キジョウの問いに対し、心底からの苛立ちを感じながらシュウは答える。今日だけは、この馬鹿女の護衛の任を外れたかった。だが、そんな権利は与えられなかった。
彼は数年前のジュウロン会との抗争、『白電戦争』で大きな間違いを犯した。その迂闊のせいで当時の若頭を死なせ、同抗争での手柄を帳消しにしてしまったのだ。本来ならば、空いた若頭のポストに自分が座るハズだった……だが、それは奪われている。
彼は焦っていた。このままでは、このくだらない一家の護衛で一生を終える。そんなつもりは、彼にはなかった。市民ホールの周囲一帯の地上げを終え、上納金を収め、地位を登り詰める。それがプランだったハズなのに、そこにクラップロイドが現れた。
まったくもって、ふざけた話だ。ゆえにここで殺す。クラップロイドをおびき出し、必ず、殺す。
「ねえ、やっぱりやめて。あの子、解放してあげようよ」
「黙っていてください、お嬢。車へ戻ってください」
全く苛立たしい女だ。足りない頭で、何を言うかと思えば餌を放せなどと。そもそもお前こそは俺の敗北の象徴。一刻もはやく消し去りたい汚物にも似た存在だ。
「だってあんなに泣いて……」
「……さっきからくだらない事をペチャクチャと、癪に障りますねェ。いいですかお嬢、これは戦争なんですよ! 我々と、クラップロイドの! 貴女のような素人の出る幕はないんです!」
とうとう苛立ちが頂点に達し、シュウは叫ぶ。明らかに怯んでいるキジョウに対し、しかしシュウは止まらない。
「そもそも貴女がクラップロイドに余計な情報を漏らさなければ、こうはならなかった! 呪うならご自分の口の軽さを呪うのですねェ。……尤も、既に呪われつくした一生でしょうが。オイ、連れて行け」
シュウが顎でクイと指示を出すと、男が1人歩み寄り、キジョウの腕を掴む。
それまで怯み、俯いていたキジョウは……しかし、その掴みを振り払い、真っ向からシュウを見て叫んだ。
「……ざけんなクソ! てめえのクソ野郎加減をアタシに押し付けんじゃねー!!」
「なんですと?」
「その子離せや!! こんなやり方知られて困るのはお前の方だろ!!」
「……」
その言葉に、シュウの糸目が少しだけ開かれる。それは、目の前の少女を少しでも見直した目の色だろうか。部屋の中は静まり返り、泣きわめいていた女の子すら呆然としている。
次の瞬間、窓ガラスが割れ、銀色の風が吹き込んだ。
それが何なのか……殆どの人間が視認すらする前に、1人が頭を掴まれ、叩き伏せられた。気を失ったその体が投げられ、2人目が倒される。
反射的にチャカを抜いた残りの男たちが銃撃を……いや、遅い。クルクルと回転する銀のアーマーは、男たちの首元へ飛び掛かり、ボディプレスで圧し潰した。
「ちぃ」
シュウは素早く銃を抜き、数歩退いて構える。既に室内の男たちは半数が壊滅。
彼は……クラップロイドは、全身から怒りのオーラを発しながら、ゆっくりと立ち上がり、構える。その甲殻類じみた装甲は、内包者の怒りに耐えかねるがごとく、ミシミシと音を立てて軋んでいる。
『……アマタ シュウ。アワナミ組若頭補佐。お前か』
「これはこれは! ご存知いただいているようで大変光栄ですねェ、クラップロイド!」
『その子を解放しろ。俺はもう、ここへ来たぞ。お前をブチのめすまで何処にもいかないと約束してやる』
「くっく、それをウチの業界では『口約束』と呼ぶのですよ! かかれ!」
戦場が動き出した。
一斉にかかってくる男たちに対し、クラップロイドは防御をしない。攻撃を全てアーマーで弾き、弾けない攻撃は身に食らい、バーサーカーのように血を振り飛ばしながら1人1人を倒してゆく。
そこへ、シュウが飛び込んだ。彼は銃を撃ちながらクラップロイドの懐に飛び込み、その長い脚で蹴りを繰り出す。
クラップロイドは避けない。蹴りを喉元に食らったまま脚を掴み、壁に叩きつける。シュウの抵抗の銃弾を肩で受け、血を噴出させながら、もう一度叩きつけてコンクリ壁を突き破る。
塵煙が舞う中、バイザーから漏れる光を後に残し、クラップロイドは更に追撃に走る。
シュウは風車のように脚を振り回し、けん制しつつも起き上がると、軽快なステップで距離を測る。
ヒュン、と音が鳴った。クラップロイドは肩を掠める衝撃によろめく。蹴りが放たれたのだ。シュウは更に腰を捻り、次々に蹴りを放つ。
蹴りが放たれるたび、その軌道上に風の穴が開く。スピードも威力も凄まじい。マシンガンのような蹴りがアーマーを叩き、靴底のスパイクと火花を散らす。
しかし、クラップロイドは譲らなかった。全身に喝を入れ、蹴りに真っ向からぶつかり、逆に怯みを生じさせると、その拳をシュウの頬へ叩きつけた。
眼鏡が宙を舞い、遅れて衝撃が発生し、2人にまとわりつく塵煙を吹き飛ばす。ヤクザ者は吹き飛ばされ、壁に叩きつけられると、口の端の血を拭い、瞳から侮りの色を消して立ち上がった。
2人の人間離れしたやり取りを背に、キジョウは動き出していた。倒れたヤクザの懐からナイフを取り出し、女の子を拘束しているガムテープを切り裂く。
「えっ……」
「いくよ、ホラ。居たくないでしょ、こんなところ」
「で、でもおねえちゃん、大丈夫なの?」
「……平気だから」
こんな子供にも心配されてしまう自分の情けなさを恥じつつも、しかしキジョウはやるべき事を見失わなかった。この女の子を逃がすのだ。
手を繋ぎ、部屋から歩き出る。ここは2階だ、1階へ降りなければ……。遠い部屋で、鉄と肉がぶつかる音、破砕音が響いている。
階段は途中で失われ、ボロボロの段が飛び飛びになっている。彼女は先に降り、腕を広げて女の子を見上げた。
「ほら、大丈夫だから降りてきな!」
「で、でも……高い、こわいよ……」
「平気! ぜったい受け止めてやるから!」
キジョウの必死の呼びかけに、女の子も覚悟を決め、そろりそろりと体をはみ出させる。そしてずるりと落下した。
それをドサリと受け止め、キジョウは笑った。
「ほら、大丈夫だったでしょ」
「う、うん」
女の子は膝をすりむいていたが、しかし頷く。健気なものだ。キジョウは頷くと、また小さな手を引き、出口へ向かう。もう少しで、逃げられる。
だがその時、天井が突き破られ、質量が落下してきた。それはクラップロイドを下敷きにしたシュウだ。
彼は口元を拭い、怒りと共にクラップロイドへのトドメを繰り出そうとし……そして、キジョウに気付いた。
「……おやおや。お出かけですか、お嬢。これは重大な裏切りだ」
「……何したってアタシの自由でしょ! いちいちウザいんだよ、お前!」
「いいでしょう。コイツを片付けたら、次は貴女の問題について、親分に報告を……」
次の瞬間、シュウが引き倒された。クラップロイドが脚を掴み、寝技に持ち込んだのだ。叫び、拳を振り上げ、叩きつける。
『行けッ! 逃げろ!!』
「う、うんっ! 行くよ!!」
壮絶なやり取りの音を後ろに聞きながら、キジョウは女の子を連れて廃墟から飛び出す。
眩しい陽が差す外の世界では、結構な数のパトカーが走ってくるのが見える。キジョウは……
キジョウは、女の子の手を離した。そして立ち止まり、一歩退いた。
「え……お、おねえちゃん?」
「いきな。もう大丈夫でしょ。ケーサツにホゴしてもらえ」
「お、おねえちゃんは?」
「……ちょっと、やらなきゃいけない事があるから」
そう言い、キジョウはきびすを返して駆けだす。未だに戦いの収まらぬ廃墟の中へ向け。
クラップロイドは死にかけの体を怒りで無理に動かし、蹴りのリーチの、更に内側へ潜り込む。シュウという若頭補佐……この男は、危険だった。勢いで倒せる相手ではない。しかし彼は止まれなかった。敵に知らしめる必要があったのだ。『無関係の市民を巻き込むと、どうなるのか』。
対するシュウ。蹴り脚を回し、二段目に繋ぎながらも、目を見開く。このクラップロイドという存在は、危険だ。強い、強くない、そういう次元の話ではない。何よりも、『市民のために怒る』、その性質が危険そのもの。アワナミ市の団結の切っ掛けとなりかねない。
団結は厄介だ。人は『自分の数が多い』と認識すれば、勢いづく。勢いづけば、戦う。戦えば、変わる。それは支配からの脱却だ。
「成程。甘く見ていたようですねェ」
『謝ったら許してやるよ……あの子に土下座で、悪い事はもうしませんってな!』
「クック、ユーモアのセンスもある。やはり危険だ」
膝で弾き、クラップロイドとの距離を取ると、シュウは片脚を上げて構えた。膝を胸まで上げたそのフォームは、まるで膝関節から下の力を全て抜いたかの如く、ゆったりとリラックスしたものだ。
クラップロイドはしかし、深呼吸し、迂闊に攻め込まない。目の前の敵の構えに対し、底知れぬ危険を感じたのだ。あるいは、リラックスした状態から放たれる一撃こそ危険と、彼の経験から知っているのかもしれない。
2人の間に、極度の緊張感が溢れる。クラップロイドはガード重視の構えのまま攻め込む隙を伺う。シュウの顔から感情は消えている。その構えに、1ミリも揺らぎはない。
天井の残りが音を立てて崩落した瞬間、2人は霞んだ。先に仕掛けたのは、クラップロイドだ。拳を握り込み、ガードの構えのままタックルを
バチィィィィィィィン!!! 直後、シュウの脚が消えた。いや、消えたのではない。それは空を切り裂く速度でもって、クラップロイドのヘルメットを叩きつけていた。一瞬、力のベクトルが衝突し、静寂が生まれた。
そして結果が生じる。銀の衝撃波じみて、クラップロイドは吹き飛ばされ、壁に背を叩きつけられてずるずると伸びた。シュウは脚をゆっくりと戻し、スーツの襟を正す。それは勝利の所作だ。
トドメを。殺害のため、クラップロイドへ拳銃を向けたシュウの背に、何か固いものが押し付けられた。ヤクザ組織の幹部である彼は即座に理解する。自分の背中に当たっているのは、銃口だ。
「……お嬢。これはもう、冗談ではすみませんよ」
「冗談でやってると思ってんの……」
キジョウ アカリだ。彼女は震える手で、シュウの背中に拳銃を押し当て続ける。シュウは溜息を吐くと、手に持った拳銃をクルクルと回し、上へ向けた。
「で、何がお望みです? 全く我儘なことだ」
「そ、そいつ……逃がして。生きたまま」
「はぁ。それで、何か得が?」
「警察に証言しないであげるよ……アンタが誘拐の犯人だって」
「……」
「どっ、どうせ、適当なテッポーダマ、身代わりに出頭させるんでしょ。それも出来なくなっちゃうかもね」
廃墟の外では、警察が包囲を完成させようとしている。時間はもう無い。決断するならば、即座にしなければ。
シュウは拳銃を放り捨てると、両手を挙げた。そして言った。
「……なら、行きますよ。ここに居たらまずいのはお嬢も同じです」
「あ、歩いて。先に。安全なところまで行ったら銃、離してあげる」
「はいはい……」
2人は歩いて去ってゆく。
数秒後、クラップロイドは電撃的に再起動し、跳ね起きた。自分の有様を、そして外を見て、理解する。見逃された。
そして、逃げなければならない。警察はクラップロイドにも容赦しないだろう。銀の人形は怒りに震えながら、深呼吸の後に駆け出し、現場から即座に逃亡した。
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