クラップロイド

しいたけのこ

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黄泉の端

家族の話

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「……アンタと会ったのがダメだったんだって」
『そうか……』

 真っ暗な蔵の中で、全身をライトアップした俺は、キジョウと話し込んでいた。無事を確認できたのは良いが、その後のことを全く考えていなかったのだ。

 蔵の中には、全くと言っていいほど何もなかった。新しい机、新しい椅子、ふるい蜘蛛の巣。それだけだ。

「シュウは何回も聞いてくるけど、別にアンタに話したことなんて無いし。アンタからも言ってくれない?」
『いやぁ、それは……どうなんだろ』
「なんか、アタシがアンタと話した後から、市民ホール守るために活動しはじめてんじゃん? それがシュウは気に食わないみたいなの」
『俺がお前に情報を受け取って、アイツの邪魔をするために動いてるって?』
「そう」

 いつもならブチギレて『アンタのせいでこうなってんじゃん! クソが!』とか言いそうなものだが、今のキジョウはしおらしいものだった。疲れ切っているのかもしれない。


 蔵の壁にもたれかかり、俺はどうすればいいのか頭を働かせる。そしてふと思い出し、腹部開閉機構を作動させ、懐から弁当箱を取り出した。今日の俺の昼飯だが、食べていなかったのだ。

『……食うか、これ』
「え?」
『メシだよ。ちょっと遅いけど』

 きっと、キジョウはロクに飯を食わせてもらっていないだろう。そう考えた俺の推理は、当たっていたようだ。彼女は大きく腹を鳴らし、恥ずかしそうに顔をそむける。

「いらね」
『やせ我慢すんなよ……』

 水筒と弁当箱を彼女の目の前の机に置くと、しばらく警戒した後、彼女は弁当箱に手を伸ばし、開いた。まるで野生動物だ。

 今日の弁当はチキンナゲットに、つくね団子、切り干し大根とほうれん草のごま和え、そして白飯だ。ちょっと楽をしたが、俺は楽をして食うこの味のコスパが大好きなのだ。

 キジョウも好きだったらしい。彼女は目を輝かせ、俺を一瞥して、箸を手に取って急いで食べ始めた。そんなに焦らなくても取りはしない。


『……うまいか』
「うん」
『そうか』


 忙しく食べる彼女を見ていると、普段の許せない振る舞いを差し引いても哀れに思えてくる。組長の娘で、蔵に閉じ込められ、母親も面会に来るわけではなく、父親も彼女に無関心。

 彼女も被害者なのかもしれない。俺はそんなことを考え始めていた。もし家庭の境遇が少しでも違えば、彼女は俺をいじめることなく、普通に……友達と遊んで、放課後に出かけて、そして笑って『ただいま』を言っていたのかもしれない。

 そして、心の奥に、ざわりと火が点く。アワナミ組は肉親すら搾取の対象にしてはばからない。彼女から搾り取っているのは『恐怖』だ。キジョウ アカリは組長の娘だが、容赦はしない。いわんや、組の外の人間をや。そういう事なのだろう。


 許せない。



「ごちそーさま」
『うん。良かった』
「あんた、ロボットなのに料理できるんだ。上手いね」
『まあ、そうだな。うん』


 ロボットではないんですけどね? 空になった弁当箱をしまい込み、俺はまた思考を回し始める。どうにかしてキジョウを助け出せないものか。


 組を壊滅させるのは、無理だ。ハッキリ言って、今日会った『若頭』『ヨウザン』『アマタ シュウ』このうちどれか1枚のカードでも出てくれば、それは非常に難しくなる。今日は本部にそのメンバーがそろい踏みしているようだし。


 ならば、どうすべきか。


「なんでこんなことになってんだろ」

 ふいに、可笑しそうにキジョウが笑った。腹が満ちて、ものを考える余裕が出てきたのだろう。彼女は引きつるように笑って、蔵の窓を見ている。

『それに関しては……悪かった。俺が接触したのが原因だ』
「そうじゃなくてさ……私、なんでアンタに会っただけでこんな事されてんだろって」

 ……その答えは、他ならぬ彼女自身が一番よく分かっている事だろう。俺は何か言おうとし、口を閉ざす。

「ガッコーでもさ。ヤクザの娘だ、あばずれの娘だ、ってずっと陰で言われてッからさ。ナメられないようにしなきゃなんないし。よく男にも絡まれっから、男子でも怖くねえって、やって見せなきゃなんないし」

 なるほど、学内にボディガードは入って来れないだろうから、自分の身は自分で守らなければならなかったという事だろう。だから恐怖で全身を武装し、敵を寄せ付けないようにしていたのだ。

 だからってイジメはどうかと思うけども……。

「でもこんなのには無力なんだ。オヤジはぜんぜんこっちの事、見てくれねえし。アンタに接触したら、ちょっとは振り向いてくれるかと思ってたんだけど」
『……』

 すこしだけ、驚いた。俺との出会いを、キジョウは彼女なりに利用しようとしていたのだ。


 そして、彼女は……まだ、ウミキ カイゾウのことを。


「こういう事言ったらさ。たいてい、『金が欲しいんだろ』って言われるんだよ。シュウにも言われた。『組長は忙しいから、たかるんなら別のヤツにしろ』って」

 その言葉の雪崩は止まらなかった。それは、俺が意図せずして引き起こした感情の激流だった。喉の奥でわだかまっていた本音を、少しだけ突いてしまったのだ。


「でも違うよ。父親に少しでもこっちを見てほしいって、変かよ。家に帰っても、ババアはうぜえし。変な宗教ハマってて、毎晩違う男連れ込んで。私、どこに行けばいいんだよ」


 彼女は……キジョウ アカリは、泣いていた。その涙は、いくつも蔵の床に落ちて、弾けた。


 俺はかけるべき言葉を見失い、結局諦めて、ハンカチを差し出した。彼女はそれを受け取り、頬を伝う涙をぬぐう。


「……ごめん。アンタに言っても、解決しないよね」
『……』
「それに、被害者ヅラばっかもできねえし。ひどいことばっかしてきたんだから」
『……それなら、謝ればいい』
「え?」

 その問題に対する言葉は、スッと出てきた。そうだ。どれだけ間違ったって、きっとそこから戦える。

『ひどい事が何なのかは知らないけど、謝ればいい。もちろん、それで解決といかなくても、お前の反省が無駄ってワケじゃない』
「……」
『何より、恐怖だけじゃ先は長くない。お前も分かってるだろ? 恐怖で戦ってたら、それ以上の恐怖で抑えつけてくるヤツに勝てないんだ』

 アワナミ組は、それを知っている。知っていて利用しているのだ。この街に、彼ら以上に恐怖を振りまく存在が無いから。

『行くところがないなら、友達を作ればいい。恐怖で従えた手下じゃなくて、心を預け合える友達を。お前は、そのやり方しか知らなかったんだろうけど……きっと、この先は変われる』

 きっと、その可能性がある。誰の娘だとか、そんなのは関係ない。戦えば、変わる。

『俺が保証する。お前は変われる』
「……」
『ただ、ちょっとの勇気と、いざって時に踏ん張れる足があればいいだけだ』

 俺だって、これまでに無茶を通して来た。いろんな犯罪組織を相手に戦って、犠牲も多かった。

 でも、まだ戦える。

「……あんたって、なんでそこまでやんの?」
『なんで?』
「だって、他人じゃん。面倒じゃん」
『ああ、まあ……』

 まあ、確かに面倒極まりないけど……やらなきゃならない事はある。それは、




 次の瞬間、俺は跳躍していた。蔵の天井に貼り付き、装甲をダークブルーに戻し、息を殺して動きを止める。


 蔵の正面の扉を開き、入ってきたのは糸目の眼鏡男だった。アマタ シュウ。キジョウへの尋問を行っている張本人である。


 キジョウが小さく息を飲む音が聞こえ、俺は祈りに目を瞑る。バレてくれるな。今バレるのは最悪だ。

「お嬢、ずいぶん長く留めてしまいましたね。そろそろ家に帰れますよ」
「そう……」
「ところで、今、誰かとお話しになっていましたか? スマホはこちらで預かっていたと思いましたが」
「き……気のせいじゃない?」

 頼む頼む頼む。蔵の天井、俺はじっと解放の瞬間を待つ。キジョウ アカリは目を逸らし、蔵の窓を見る……そこには曇り空しかない。

 シュウは眼鏡を直すと、咳払いして続けた。

「まあ、良いです。長々と付き合わせて申し訳ありませんでしたねェ、お嬢。今日から家に帰れますよ」
「……オヤジは?」
「組長はお忙しいんです。いちいちお見送りには来られませんよ」

 にべもない返答だ。半ば監禁されていた娘が解放されるというのに、謝罪にも来ないということか。

 キジョウは目を伏せ、失望に唇を噛む。ボディガードは至極面倒そうにため息を吐くと、蔵の戸を開いて彼女を促した。

「さあ、出てください。この蔵だっていつまでも使えないんです」
「……分かった」
「こちらへ」

 少女がぞんざいに連れ出され、蔵の戸が閉じた。俺はゆっくりと警戒を解き、着地し、詰めていた息を大きく吐いた。





 散々だった。アワナミ組の本部から脱出した俺は、夕暮れる街を帰りながら、コリをほぐすべく肩をグルグル回す。

 アレだけやって、成果はキジョウの周囲の人間関係の確認だけ。まあそれが大事と言われればそうかもしれないが、俺にしてみれば徒労感が強い。だってアイツ、放っといても解放されたんだもの。


 ま、解決解決。鼻歌を歌いながら、人の波に乗って帰宅する。……そういえば、俺も家に誰も待ってない族だったな。

 急にむなしさに襲われながらも、家の鍵を開き、だだっ広いリビングに鞄を放り投げる。そして、晩飯を作る気にもなれず、ばったりとソファに倒れ込んだ。



 家族か。俺にとって、少し前までは、テツマキさんがそうだったのかもしれない。俺の力不足で死なせてしまってからは、家の中の静けさが辛い。今でも、玄関が開く音がしたら、あの人が来たんじゃないかと期待してしまう。


 あの人ならどうしただろう。いや、考えるまでもないな。あの人なら、怒り狂って、ウミキ カイゾウの所まで一直線に突き進んで、その胸倉をつかんで怒鳴りつけていたんだろう。自分の娘くらい面倒見ろ、甲斐性なしって……。


 ヤクザの親分相手にそんな事を言うテツマキさんを思い浮かべ、俺は少し笑ってしまった。そして、少しだけ泣いた。ほんの少しだけ、寂しい。


 やがて俺はソファの上、疲労と、柔らかさに包まれたまま、うとうととまどろみ始めた。





 じゃっじゃっと何かが焼ける音を聞き、俺は跳ね起きた。ボヨン、とソファのスプリングでバウンドすると、キッチンでフライパンを振るう後ろ姿が見えた。


「あ、起きた? おはよう、堂本くん」
「……イコマ先生」


 すわ侵入者か、そう考えかけた俺は、その栗色の瞳が振り向いて安堵する。俺の正体を知っていて支援してくれている1人の、イコマ先生が家に来ていた。

 慌てて時計を確認すると、もう21時を回っている。ね、寝まくっていた……。

「もうちょっとでご飯できるよ。疲れたの? 寝てたけど」
「あ、ええ。ちょっと、今日は色々修羅場続きで……」
「……また危ないこと?」
「いやぁ、今日はそんなに」


 まあ、綱渡りだったのは確かだけど……。そう思って言い淀んでいると、イコマ先生は少しだけ笑顔を曇らせる。

「……ごめんね。止める権利はないんだけど、どうしても心配で」
「いや、ぜんぜん! 最近は市民ホール解体に反対する運動ばっかりで、ぜんぜん平気っすよ」

 嘘じゃない。今回の潜入だって敵情視察みたいなものだし、運動の一環と言えなくもないのだ。

「そういえば、なんか話題になってるよ。先生たちも『堂本をホール前で見かけたー』とか、『ポスターを貼りに来たー』とか」
「いやぁ……目的達成への第一歩って喜ぶべきなんでしょうけど、目立ちたくはなかったなぁ……」
「もう、なにそれ」

 イコマ先生は吹き出し、フライパンから炒飯をお皿により分け始める。美味しそうな匂いにつられて立ち上がり、俺も手伝い始めた。


「そういや、先生は市民ホールって使います?」
「私? うーん……あんまり。縁もないし」
「どうですか、これを機に。土曜に一発芸大会あるんですけど」
「あはは、私? 何か手伝えるかな」

 イコマ先生が一発芸を披露しているところは正直見たい。見たいが、想像もつかないしな……。

「あ、ピーナツを放り投げて、口で受け止められるよ。しかも1度に5粒! 凄いでしょ」
「え、マジっすか」

 それは普通にすごいと思う。

「じゃあ、盛り上げるために皆にピーナッツ袋を配って、時間もおやつが欲しい頃に……」
「ふふ、すっかり運営視点だね。そうだなぁ、生徒を支援するのも先生の役割だろうし……そういう事なら出ちゃおうかな」
「え、マジでいいんですか!?」

 まさか本当にスカウト成功するとは思っていなかったので驚きだ。イコマ先生はクスクス笑うと、悪戯っぽく付け加えた。

「うん、いいよ。堂本くんがちゃんとしてるか見張っててあげないとね」
「あ、あはは……」


 乾いた笑いが口から漏れる。何にせよありがたい。出演者を確保できて、ワンチャン運営を手伝ってもらえるかも……いや甘えちゃだめだな。


 その日は先生が帰るまで、ずっと運営の話で盛り上がってしまった。


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