クラップロイド

しいたけのこ

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歪んだ生物

GMD:真価

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 戦いの中、深呼吸を繰り返し、俺は熱狂の波に飲まれないよう必死だった。呼吸を乱せば、必ず思考が止まる。思考を止めれば、必ず隙を生む。隙を生めば、有効打を呼び込む。今のように。


 バネのような蹴りを食らい、地面を水きり石のように跳ね転がって何とか受け身を取った。追撃に走ってくるアレクセイに対し、スズシロが割って入るのが見える。


「随分ト仲ガ良イヨウジャナイカ! スィーニトモアロウモノガ!」
「関わりない事に気を乱される。それが貴様の限界だ」


 パ、パァンッ!! スズシロは素早いガードを繰り返し、マシンガンのようなバネキックを丁寧に弾き返す。特に素晴らしいのはその足運び。完全に防御として割り切ったステップは、非常にスムーズだ。


 俺は一度、大きく深く息を吸い、それで戦場へ飛び込んだ。アレクセイの獣耳が動き、その顔がこちらへ向く。視界から外れるような水面蹴りを、彼は小跳躍で躱し、ソバットを叩き込んでくる。


 上体への衝撃をバク転でいなし、地面に足を付けてもう一度視界に相手を捉え直す。スズシロのフェイントを織り交ぜた蹴りがアレクセイの顔に叩き込まれ、怯みが生まれるのが見える。

 その隙を逃さず、思い切りパンチを叩き込む……否! 寸前、彼の獣耳がまたしても動き、拳を掴まれていた。ギラリと光る青い瞳が、殺意に染まるのが見える。


 片手を窄め、鋭利な爪をまとめて振るわれるその瞬間、スズシロが庇いに入った。彼女は片腕を素早く打ち振り、爪の切っ先を逸らす。


「ぐ……」
『スズシロッ……!?』


 だが、彼女は無事ではない。腕から血を噴き出しながら、激痛に呻いている。その傷は深い……どうやら前腕を抉られたようだ。


「クク、弱ミハ持ツベキデハナイナァ……」
『テメェ……!!』


 瞬間的に沸き上がる憤怒を、深呼吸でとどめる。まだだ。まだ、この感情をコントロールしなければ。


 またしても、至近距離での応酬が始まった。初めてグラニーツァのメンバーと戦った、トラック上の戦いの記憶を思い出しながら、俺は必死に腕を動かす。あの時は片腕が使えない『フリ』をして乗り切った。だが今回はそんな搦め手には頼れない。


 そして目の前の男は、あの敵よりもはるかに難敵。繰り出される一撃は重く、隙を見せなくとも、いずれは命を削り切られる。深呼吸を繰り返し、アレクセイの目を見つめる。そこに疲労の色はない。


 俺はヘルメットの内側、絶望的な深呼吸を続ける。今日に入り、これで何戦目か。何度か給油を経て、数時間に渡る戦いの末、ようやくアレクセイに辿り着いた。絶対に逃がせないのに、体が重い。油を差していない機械のように関節が軋む。


 復帰したスズシロが拳を構え、すり足で接近する。それを蹴りでけん制し、アレクセイと俺達は2対1の体制に入る。


 拳が交わり、肉や鉄がぶつかる音を響かせながら、少しずつ立ち位置が入れ替わる。スズシロは片腕の負傷が響き、万全な戦いができていない。アレクセイもそれを理解し、たくみに負担を掛け続ける。


 早期決着。ボタボタと地面に振りまかれる、もはや誰のかも分からない血を見て、俺はその言葉を脳裏に浮かべた。それが、いけなかった。


 ほんの少しの焦燥の思考が、俺の姿勢を崩した。そしてアレクセイはそれを見逃す手合いではなかった。爆発的に砂利を蹴り、鞭のようにしなるキックが放たれる。


 それを、スズシロが庇おうとした。俺の思考は真っ白に染まり、2度目はさせないと、彼女の腕を引っ張り、倒した。何もかも感情任せの、最悪の動きだ。

「せんぱっ……!?」


 悲鳴が聞こえた直後、ヘルメットのバイザーに蹴りが叩きつけられ、視界が真っ暗になる。首が上向き、アレクセイが見えなくなる。


 ただ目の前には、空があった。




 それでも、俺は必死に深呼吸を繰り返した。





 一瞬が永遠のように引き延ばされ、深呼吸の途中で俺の意識が取り残された。




 視界を下へ向ける時間はない。俺が動きを見せれば、アレクセイは俺の腹部へ致命的な一撃を叩き込み終える。ドクン。早鐘のように打っている筈の鼓動が、ひどくゆっくりと耳に響く。




 そして俺は、疑問を感じる。なぜ、今、俺は……アレクセイが腹部へ攻撃してくると考えた? 首でもみぞおちでも、何処でも急所はあるのに……




 ピリと、腹部に何かを感じる。覚えのある感覚。殺気を纏った、強い……視線。



(ご主人様)
(分かってる)



 パラサイトの語り掛けを、俺は脳内で肯定した。演算と、俺の思考が、一致した。殆ど無意識的に、俺の腹を貫こうと伸びてきていた手を、掴む。


「!!!!」
『ドンピシャ』


 顔を向けた時、見えたのは愕然とするアレクセイの顔だった。なんだ、そんな顔もできるんじゃないか。ヘルメットの内側で、深呼吸を継続する。


 そして手を掴んだまま、全身を緩める。重心を脚に預け、エネルギーを体内に浸透させ……


 一歩、踏み込む!! 砂が噴き上がり、アレクセイの焦りに満ちた顔が近づく!!


「待ッ……」


 俺の拳は、吸い込まれるようにその顔へ叩きつけられた。ゴシャリといやな音が鳴り響き、虎の牙が折られ、宙を舞う。アレクセイは吹っ飛び、廃工場のレンガ壁に思い切り打ち付けられた。


「き、きさ、貴様っ……なぜ……」


 変身が解除されていき、元のロシア人としてのアレクセイに戻りながら、彼は混乱の中で何か言おうとしている。だがそれを遮る音が鳴った。


 サイレンの音だ。目をやれば、数十台のパトカーが走ってきていた。廃工場近くに停まると、中から数十人の完全武装した警官が降りてくる。郊外に来るにしては早い方だが、少々待たされすぎた。


『観念するんだ』
「……くッ……!!」


 アレクセイは顔をゆがめると、その体を引きずるようにして廃工場の中へと逃げてゆく。あそこを最後の砦とする気なのだ。

 俺は残心の姿勢を解くと、後ろで倒れたまま呆然としているスズシロの手を引く。さっきは思い切り引き倒してしまったが、大事なさそうだ。

『すまん、つい……』
「……いえ。そういう人だと分かっていたので」

 ぱっぱと砂をはたき落とし、スズシロは溜息を吐きながらそう零す。……なんか、周囲に負担かけてばっかりだな。気まずくなって目を逸らす。


『そのマスク、イカすな』
「いいから行きますよ。アレクセイは放っておいていい人間じゃありません」
『えっと……』


 周囲を見渡せば、ネクサスと警察が結託し、GMD兵と戦っている。ジュウロン会は応戦しつつ、いつでも撤退できるよう固まり始めている。もはやこの取引に用は無いのだろう。

 警察側の圧倒的な優勢であり、もうしばらくすればグラニーツァは制圧されるのが目に見えていた。


『そうだな。行こう』
「……捕縛には強力しますが、出頭する気はありませんから」
『……聞こえないフリした方が良いのか、今の』
「そうですね」


 ほんの少しだけ声色を緩ませ、スズシロはもう一度ナックルガードをはめ直す。そして俺達は足並みを揃え、廃工場へ突入した。







 廃工場内、錆だらけのベルトコンベアーのレーンに隠れながら、俺達はゆっくりと歩を進めていた。中はまるで迷路のように入り組んでおり、隠れられる場所が豊富だ。


 それはすなわち、アレクセイの不意打ちも警戒しなければならないということ。危険な箇所をスキャニングしつつ、広大な工場内を歩いていると……。


「動くな」

 という言葉と共に、側頭部に銃口が押し付けられた。覚えのある声に両手を挙げつつ視線をやると、脇腹を衣服で縛りあげたテツマキさんだ。


「先輩」
『待てスズシロ、この人は違う』

 スズシロがキリングオーラを纏って前に出ようとするのを、手で制する。テツマキさんは息を荒くして目を細めていたが、やがて俺の頭から銃を離した。

「お前か、クラップロイド……すまん、目がかすんでな……」
『テツマキさん、なんでここに』
「外は化け物のパレードだっただろ。ここの中は安全だと思ってな……グッ……」


 痛みに呻きながら、テツマキさんはレーンにもたれかかる。その瞳は徐々に色を失いつつあり、体温が徐々に減じて行くのが見える。

『……マジで、これ以上動いたら駄目っす』
「いい、構うな……私の命は私が好きに使う。それよりお前、なんでここに?」
「アレクセイがここに逃げ込みました。最後の一押しに来たんです」

 何を言おうか迷っていた俺の代わりに、スズシロが答えた。テツマキさんはチラと彼女を見ると、納得したようにうなずく。

「あぁ、視界がブレて2人に見えてたワケじゃないんだな……。ネクサスのメンバーか?」
「そんなところです。テツマキさんでしたか? 動けるなら、私達についてきた方が安全です」
「……もし私が人質に取られても、容赦しないと約束するなら行ってやる」
「そんな心配は不要です。先輩は知りませんが、私は貴女に思い入れありませんから」
「気に入った……あとで一杯奢ってやる」


 ……なんか初対面の2人の方が俺より仲良さそうじゃない? 気のせいかな。テツマキさんは皮肉に口元を歪め、拳銃を布で手に縛り付けて歩き出す。


『……周囲をスキャンしてますけど、鉛が多くてあんまり上手く行ってないです。アーマーへのダメージも回復しきってなくて……』


「私を探したかね、諸君」


 その声に、俺達3人は一斉に振り向いた。工場の2階、俺達を見下ろすように立ち、その男は立っていた。アレクセイ。


「あー、探したぞ伊達男。両手をあげてゆっくり腹ばいになれ」
「クック、やってくれたな……我が計画はこれにてご破算。ドクトリン・ブレーカーも、ショック・リアクターも、すぐにあるべき場所へ戻るだろう」
『……最初から無理だったんだ、アレクセイ。今からでも遅くない。死んだ人は戻らないけど、それはこれからのお前の反省が無駄って事じゃない。もうやめよう』


 俺はある種必死に呼びかけた。コイツはクラリス・コーポレーションの闇に近い人間だ。それに、今が『コーヒーでも飲みながら、人を説得する』チャンスだと感じたのだ。アレクセイの乱れたオールバックとやつれた顔は、いくら悪人でも哀れに思える。

『たとえお前がショック・リアクターを爆発させようとしても、うちには機械を操るスーパーヒューマンが居る。……詰みだ、アレクセイ』


 だがアレクセイは狂気の笑いを漏らし、何か大きな袋を後ろから引きずり出した。

 アレは……取引の開始時、ロシア人が廃工場に運び込むのが見えた袋だ。しかし、分析の結果報告はアーマーダメージにより乱れ、何が入っているのか見えない。



『そこに入っているのがどんな武器でも……』




 そう言いかけた俺は、固まった。袋のジッパーが開かれ、中から現れたのは、どんな大きな武器でも、エネルギー・リアクターでもなく……女の子だったからだ。




 茶色のボブカット。閉じられたまぶたに、長いまつげ。苦し気に歪んだ顔は、しかしその表情でも、彼女が本来持つ優しい印象を与える。


 袋から出てきたのは、カモハシさんだった。


「……!!!」


 誰よりも強烈な反応を示したのは、スズシロだ。彼女は息を詰まらせ、重い打撃を食らったかのようによろめく。その反応に喜悦の表情を浮かべ、アレクセイは口を開いた。


「キミの最大の弱点は、この娘だろう? スィーニ」
「……、」
「最後にものを言うのは人の繋がりだ……キミからは学ばせてもらったよ、クラップロイドくん! だからこそ、ショック・リアクターなどに頼らず、私はこれを選んだ」


 俺の四肢の末端が冷えてゆく。カモハシさんのバイタルは確認できる。生きている。だが、薬で無理やり眠らされているらしく、彼女の首筋には注射痕が見える。

「一般人を人質に取ったのか、外道め……」

 テツマキさんは舌打ちし、拳銃の狙いを定めようとする。だがアレクセイは即座にカモハシさんを抱え上げると、盾のように彼女を密着させ、いやらしい笑みを浮かべた。


「これから起こる事は、私の理想の代償だと思いたまえ。そしてキミたちへの試練だと!!」


 そう言いながら、アレクセイが取り出すのは……注射器。GMD入り。俺は全身が総毛立つのを感じ、ヒザを曲げて思い切り跳躍しようとした。だがそれよりも早く、俺の隣から誰かが跳躍していた。


 それはスズシロだ。目に殺気を漲らせ、空中で回転しながら蹴りをアレクセイへ叩きつけようとする。


 だが、それをこそアレクセイは待っていたようだった。彼はもう片方の手で拳銃を構え、空中で軌道を変えられないスズシロを撃った。何度も。


 全身から血を噴出させ、落ちてゆくスズシロを、俺は抱えて受け止めた。テツマキさんが拳銃を持ち上げようとしたのを、アレクセイは銃撃して倒れさせる。


 そして、彼はGMDをカモハシさんの首筋へと突き立てた。


『!!!』


 効果はすぐには表れなかった。都合よく不発だったのだ。そうであってくれと、俺は1秒の中で何千回と祈った。腕の中、血を失ってゆくスズシロは、胸に開いた穴から出血し、血だまりを作ってゆく。テツマキさんも太ももを撃たれ、更に流血。1階は血まみれだ。



 そして、効果が表れ始めた。カモハシさんは目を見開き、その焦点の合わぬ瞳を行き来させ、何かを探しているようだった。彼女は口をパクパクとさせ、苦しそうに顔を歪ませる。あの目は助けを求めている目だと、それで分かった。


「はっは……ハッハッハ……!」
『んの野郎……!!』


 笑っているアレクセイの元へ跳躍し、銃撃を躱して蹴りを叩き込む。吹っ飛んだ彼を無視し、俺はカモハシさんを抱え上げた。

『カモハシさん、分かるか! 俺だ、自分を保ってくれ!!』
「た、たす、けて」
『聞こえるか! 気を強く保って!!』


 カモハシさんは痙攣し、その全身が変形してゆく。抗うかのようにその血走った目から涙があふれ、床を爪が抉る。興奮剤が含まれていたのだ。自我がもたない。

「たすけ、て、あおちゃん……」


 その言葉を最後に、彼女の瞳から黒目が消えた。ぐるんと上向いた瞳から、最後の涙が一筋だけ頬を伝った。


 俺は吹き飛ばされた。衝撃が襲ってきたのだ。カモハシさんの攻撃だった。彼女は四つん這いになり、メキメキと全身の骨を拡張させてゆく。


 その肌が、ウロコで覆われてゆく。濡れた頬が硬く庇われ、やわらかな口元に牙が伸びる。蛇人間だ。初めての『生物改造事件』の時、駅で戦ったあの怪物に酷似している。


 だが今回、助けはない。


 そして相手はカモハシさんだ。


 しばらく手で顔を覆い、人ならざる唸り声をあげていたその怪物は、すぐ傍でへたり込んでいる俺を見つけた。そして立ち上がった。反射的に俺も立ち上がると、猛攻が始まった。


 体格は強化され、膂力が俺より勝る。ボロボロの体では、一発受けての反撃すら楽にはいかない。何より、俺の中に躊躇いがある。


『カモハシさん頼む! 聞いてくれ、こんなの違う! 踏み止まってくれ!!』
「グガアッ……!!!」


 彼女のものではない憤怒の炎に巻かれながら、カモハシさんは苦しみの声を上げる。一瞬だけ躊躇うそぶりを見せたが、彼女はすぐに打ち込んできた。


 大振りな打撃。普段なら躱せていただろうが、しかし傷の痛みで怯み、モロに食らって吹っ飛ばされた。倒れ込んだ俺に馬乗りになり、彼女は何度も腕を叩きつけてくる。

『……っ、カモ、ハシさん……!!』


 視界が何度もホワイトアウトする衝撃の中、俺はその名を必死に呼ぶ。呼ばれるたび、彼女は何かに気付くかのように動きを止める。だが、すぐに炎に飲まれ、攻撃を続ける。


 苦しんでいるのは俺だけじゃない。いや、俺の苦しみなんていかほどのものだ。不本意な暴力を振るわされる彼女に比べれば……。カモハシさんは立ち上がると、俺の足を掴み、一階へと叩きつけるように放る。


 床に墜落し、俺は血の海の中に居た。テツマキさんが舌打ちし、銃口を力なく2階へ向けるのを、必死にその手首を掴んで止める。やめてください。撃たないで。あの子は違う。


 スズシロは吐血し、床に手をついて起き上がろうとする。だが、動けない。その体はダメージを受け過ぎている。


 俺が、動かなければ。全身全霊で起き上がろうとしたその時、首を掴まれ、持ち上げられた。カモハシさんだ。彼女は大きく口を開いた。


 その口内は緑の粘液が糸を引く。毒だ。パラサイトの分析結果を見ながら、俺は覚悟を決めた。それは死ぬ覚悟ではない。生かすための覚悟だ。


 肩を噛まれ、アーマーを貫通された時、俺は彼女を逃がさないようがっしりと掴んだ。そして叫んだ。


『パラサイトッ!! アーマーを解除しろ!!』
(アーマー解除? しかしそれは)
『いいから、しろォッ!!!』


 ドクドクと体内に注ぎ込まれる冷たい異物を感じながら、俺は叫んだ。毒だ。凄まじい毒。名だたる毒蛇の、生物を殺すための毒が、俺の体内を駆け巡っているというパラサイトの警告が視界に表示される。


 そして、アーマーが解除される。久しぶりに外気に触れる全身に、俺は全身の傷を自覚する。アーマーの補助なしでは、既に腕一つ動かすのすら辛い。だが、踏ん張りどころだ。


 俺はカモハシさんを掴んだまま、彼女の目を覗き込んだ。


「カモハシさん頼む……! 俺を見てくれ……キミはこんなことができる子じゃない。絶対に違う……グゥッ……」
「……」
「頼む……勝ってくれ。あいつらは人の心を好きにできると思ってる。違うって証明しなきゃならないんだ。もう歪んでしまってる俺達じゃなくて、キミが……カモハシさんが、証明してくれなきゃいけないんだ」

 肩の激痛が曖昧になってくる。毒が効いてきたらしい。

 カモハシさんは、縦長の瞳孔を持つ目を、徐々に大きく見開く。目の前の血まみれの男は、俺だと気付き始めたのだ。


「キミは優しい。俺も、スズシロも、何度もキミに助けられた。キミはヒーローだ。キミこそヒーローなんだ。仮面もなく、人の悪意と戦えるキミこそ……だから、お願いだ」


 ――負けるな。頼む。


 カモハシさんはよろめいた。そして俺を落とし、頭を抱え、ぽつぽつと涙を落とし始めた。その口からは、うめき声ではなく、人の言葉が漏れる。


「たす……けて……やだ……いやだ、たすけて堂本くん……たすけて……あおちゃん……!」


 今しか、ない。この好機は続かない。俺は即座に決断し、彼女のこめかみを指で突き、気絶させた。


 力を失い、くずおれるカモハシさんを見る。やったのだ。毒による動悸が酷くなり始めるのを感じ、俺は脱力してベルトコンベアーにもたれかかる。隣で、同じような姿勢のテツマキさんが苦笑しているのが見えた。

「……無茶をしたな、ヒーロー」
「先輩……体は」
「けっこ、きつい、かな……まあ、俺、丈夫だし……」


 だんだんと血の流れが遅くなる音を聞きながら、荒い息を整えようとする。毒は強力だった。恐らく俺は死ぬ。まあ、悪くない命の使い方をした。クラップロイドとして死ねるなら、多少はシマヨシさんへの罪も軽くなるだろう。


 俺より重傷なハズの2人が、俺を心配して顔を覗いてくる。心配しすぎだ。大したことじゃない。

「……2人が無事で、」


 良かった。そう言おうとした次の瞬間、向こうで何かが立ち上がるのが見えた。それは奇声を上げながら、銃口を俺へ向け、引き金を引いた。




「クラップロイドォォォォォォォォオオオオオオオ!!!!」



 アレクセイだ。彼は憤怒の表情で、俺へ銃を撃つ。……最後の最後に、非合理的なヤツだ。すぐにくたばるヤツを撃っても、意味はない。結局、アイツも、機械になれてないじゃないか。




 笑った俺は、すぐにその笑みを引っ込めることになった。俺を抱きかかえるように庇った人が居たのだ。その人は、傷付いた体を強いて動かし、鉄の意志でもって俺を守った。





 そうだ。この人が、目の前で諦めるおれを守らないハズがない。なんで俺は動けなかった。その人は、テツマキさんは、背中に一発銃弾を食らい、そのまま俺にもたれるように倒れこんできた。





「てつまきさ……」




 彼女をかかえ、俺はパラサイトにすぐその体を走査させた。背中から入った弾丸は、その分厚い筋肉を突き破り、骨を貫き、心臓から半ば飛び出していた。アーマーをも貫く弾丸を食らったのだ。だが、彼女は笑っていた。




 笑っているから、生きているのだと思っていた。だが違う。彼女は表情を動かさない。笑った表情のまま、死んでいた。そうだ、この人も俺と同じことを考えたのだ。すぐ死ぬ人間を撃って、ざまあみろと。




「うあ、あ、ああ。ああ、あああああああああああ!!!」




 憤怒の炎が俺を包み込んだ。


 先ほどまで死にかけていたのが嘘のように、俺は全身をアーマーで包み、アレクセイへ飛び掛かった。ヤツの手を掴み、拳銃を叩き落とし、顔を殴りつけた。馬乗りになり、首を掴み、頭を殴り続ける。


 憎い仇の顔は、どんどん潰れ、血まみれになってゆく。だがヤツは笑っている。肺を引きつらせ、顔をゆがめ、耳ざわりな笑い声をあげる。それがますます癪に障る。



 憤怒が心臓を強く鼓動させていた。俺はトドメのための拳を大きく振り上げ、ヤツを見た。笑いの奥に、ほんのわずかな怯えを宿した男の顔を。



 その瞬間、俺はテツマキさんの顔を思い出した。振り上げたこぶしを振り下ろそうとし、その顔に止められた。鉄の警官の笑い顔。死に際でさえ、清々しい。


 コイツのせいではない。


 俺が、死のうとしたから。


 俺のせいだ。



『うわああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!』



 アレクセイの顔めがけ、俺は叫んだ。アーマー越しの絶叫が、廃工場に響き渡る。



 その叫びに、もはや何ひとつ意味はなかった。


 ひとしきり叫び、俺は前のめりに倒れた。アレクセイはもはや気絶している。そして俺も限界である。霞む視界で、何度調べても、テツマキさんの状態は変わらない。死体だ。



 こつ、こつと、誰かが歩いてきた。ふらふらの足取りの彼女は、スズシロだ。彼女は俺にアーマー越しに触れ、目を伏せ、何か言おうとした。何度か躊躇って、結局、


「ごめんなさい」


 と、つぶやいた。何を謝られたのか、俺には理解できなかった。お前は悪くない。そう言おうとして、俺は言葉を出せず、咳き込んだ。心臓がひどくゆっくり脈打っている。




 その時、廃工場の裏手の出入り口が開いた。そこからコツ、コツと、何か巨大なものと、小さいものが入ってきた。それは3メートルもありそうな痩身の巨漢と、そいつに守られるような立ち位置の、腰の曲がった小さな老婆だ。

 巨漢は帽子の下から覗く真っ赤な瞳で工場内を見渡すと、危険はないと判断したのか、ゆっくりと脇へ退いた。


「なんとまぁ」


 小さな老婆は仰々しい仕草で口元を覆い、工場内の惨状を見る。その頭の三角帽が揺れ、手に持った杖が軋む。

「これが結末、ってことかい。グラニーツァの名を貸してみれば、しょうもない結果にぶち当たったもんだねえ」
「ベラヤ様。無事に片づけました」


 普段にもまして丁寧な口調でそう報告するのは、スズシロだ。彼女はマスクの機構を作動させ、口元をあらわにして跪く。


 ベラヤと呼ばれた老婆は、フンと鼻を鳴らし、順繰りにこの場の者を見渡す。気絶したアレクセイ、倒れ込んで荒い息を繰り返す俺、死んでいるテツマキさん。

「ま、いいさ。スィーニ、撤退だよ。ショック・リアクターはこちらで回収してる、引き際ってやつだ。本国へ戻ってまたしばらく潜伏しなきゃねえ」
「はっ」
「クロフィー! アンタ、使えるコマの回収はしたんだろうね!」
「……もうやった」
「そんじゃあ車を回してきな! 気が利かないったらないねェ」


 指示を受け、巨漢はノシノシと歩いてその場から立ち去ってゆく。


 ベラヤ、クロフィー。コイツらがグラニーツァの幹部級に違いない。ここで、倒せば……!!


 動こうとして、俺はチカチカと途絶する意識と格闘する。動け。動け、俺の腕。俺の足。俺の、体。


 ふざけるな。まだ何も終わってないぞ。指が血だまりを掻き、体に徐々に活力が灯ってゆく。だが、遅すぎる。間に合わない。



 スズシロはまたマスクの機構を作動させ、顔を半分隠して歩き出す。ベラヤと共に。その横顔は、もう過去への憂いを断ち切ったスィーニとしてのものだ。ふざけるな。


『す……ず……しろ……』


 弱弱しい声で呼びかける。だが、聞こえていないようだ。老婆と少女は、もはや廃工場の出入り口まで到達した。光で、見えなくなる。


『スズシロ……!!』


 体が届かないなら、せめて。俺は息を吸い、必死の叫びにすべてを籠める。


『す、ず、シローーーーッ!!!』



 どくん。心臓が、力を使い果たそうとしている。まだだ。もってくれ。スズシロと老婆が振り向くのが見える。どちらも、驚きで目を見開いている。


『これで終わりじゃないぞ……!! 俺は何年、何十年かかってもお前を助け出す……!!』


 横たわったまま、なんと説得力の薄い言葉だろうか。だがそんな弱気な思考を殴りつけ、俺は血に溺れながら声を絞り出す。枯れかけた声が、響く。



『かならずお前を、カモハシさんの隣に連れ戻す……!! だから……だから……』



 それだけ言い、俺は全身から急速に熱が失われるのを感じた。あぁ、使い果たした。もう、言葉も紡げない。



 最後に見えたのは、涙を一筋だけ流し、俺達に背を向けるスズシロの姿だった。



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