クラップロイド

しいたけのこ

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歪んだ生物

GMD:忠誠心

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「死ねェ!!」


 飛び掛かって来たワニの怪物の首根っこを掴み、地面に叩きつける。18体目を倒したが、しかし敵の攻勢が止む気配はない。倒した怪物たちも、しばらくすると起き上がる。


 戦況は芳しいとは言えない。マーカスは傷付いた体でも流石の練度で、大量の……恐らくは100人以上の敵を一度に相手して、互角以上に渡り合っている。ブリッツもディヴァイサーも凄まじい勢いだが、いかんせん敵が多い。グラニーツァだけではなくジュウロン会も相手取らないとならないのだ、少しずつ疲弊が見え始めている。


 よそ見をしていると、背中側から危険が迫るのを感じた。回転蹴りで背後を薙いでけん制すると、そこに立っていたのは例のアレクセイの巨漢部下だ。

 猫のタイピン、黒いハンチング帽、いかつい時計……間違いない。グラニーツァにとってGMDの供給路だった男だ。彼は鼻先を掠めた俺の蹴りを目で追う事もなく、俺をじっと見つめている。


『探したぜ、GMD男……』
「お前を止めろとの命令だ」
『そうかよ、止めてみろ』

 くいくいと手招きして挑発しながら、俺はファイティングポーズを取る。コイツを倒せるものか……分かるようになってきたが、コイツもまた別格の実力者だ。立ち振る舞い、呼吸の仕方、筋肉量……もしかすると、スズシロと並ぶレベルかもしれない。

 そんな事を考えていると、彼はその全身を包むスーツを脱ぎ始めた。えっ、ストリップショーですか!?

「……お前を倒すのは、少し骨が折れそうだ」
『全く同じ感想だね……』

 パサ、パサ。地面に積み重なってゆく衣服。露わになったその肉体は、奇妙な機械に覆われていた。光る節々、これは……リム・ギア。身体能力の増幅装置だ。


 彼は大切そうに猫のタイピンを外すと、それを衣服の中にしまい、俺へ向き直って拳を構えた。


「いくぞ」


 ブォン!!! まばたきの間もなく、俺の頭があった空間を拳がえぐる。ダッキングでそのハンマーじみた拳を回避し、俺はカウンターの蹴りを相手のヒザへと放っていた。

 だが彼は一歩退き、蹴りを躱すと同時に構えを取り直す。堅牢で、城を思わせる防御的な構えだ。俺と同じ、ガードタイプ……やりづらいことこの上ない。

『さっきの躱されると思ってなかったんだけど……』
「こちらの台詞だ」

 ドタァン!! 砂利を踏んだとは思えない強烈な音の踏み込みと共に、巨漢は俺へのタックルを繰り出す。軽自動車でもぶつかったかのような強烈な衝撃を受け、数歩よろめいて構えを取り直そうとし……


 金属音が響き、俺は地面に倒れ込んだ。ヒザを蹴り抜かれたのだ。その事実を認知した時、巨漢はトドメのストンプを繰り出していた。


 必死に体をねじり、その一撃を回避する。踏まれた地面で砂利が噴き上がるほどの威力……!! 食らえばアーマーごと潰されていたに違いない!


 地面を両手で弾き、立ち上がる。巨漢は容赦ない連撃で、肘、タックル、拳を次々に繰り出す。荒々しく、読みづらい動きだ。そして俺の予感は、相手の動きに嫌なものを感じていた。ボクシング、マーシャルアーツの混じった動作の中に、何か別のものがある。


 ドッシャァン!!! また、踏み込みがあった。巨漢は俺を半歩ほど通り過ぎながら、ロケットのような威力の拳を俺に叩きつけようとしている。

 俺は深く鋭く息を吸い、ガードの姿勢を取った。当たった瞬間に受け流す……その気概で、相手の拳が着弾する瞬間を見つめる。


 が、ガードに当たる直前に拳がガパリと開かれ、ヘルメットが掴まれた。咄嗟のことで対応できずに居ると、彼はなめらかな動きで俺の背後に回り、首に手を回してがっちりと固定する。


「落ちろ」
『……ッ!!』


 組み技だ……! 感じていた嫌な予感は、これだったのだ。アーマー越しでも息が出来ないほどのパワーで首を締め上げられ、俺は宙に浮いた足をばたつかせる。恐ろしきは体格差……馬力が出せない!


 ダメだ、このままでは気絶する!! 徐々に暗くなる視界の中、とある一点が日の光を受けて輝いた。それは、彼が先ほど衣類の中にしまった猫のタイピンである。ポケットから顔を覗かせるそれは、この乱闘の中で静かな存在感を放っていた。


 こんだけ図体がデカくて猫好きか。テロリストでもなければ、俺とさぞかし話が合ってただろうに……そんな事を考えた時、違和感を覚える。テロリストで、なければ?


(((私が組織からのテストで両親を殺した時も……)))
(((アイツら、父さんに爆弾を持たせてさ)))


 そうだ。テロリストでなければ、相手はその辺の気の良い兄貴分にでもなっていただろう。あのタイピンは、その『名残』だ。決して手放せないほど大切な名残。酸素量が少なくなる中で、俺は電撃的なひらめきに身を任せた。


『だああああぁぁぁぁ……!!!』


 思い切り足をばたつかせる。巨漢は締め上げる力を強め、宙ぶらりんに留めようとする。だが、地面に足がつく必要はない……掠るだけでいいのだ!!!


 ザッサァ! 砂利が足裏に掠り、飛んだ土埃が衣服を……猫のタイピンを目がける。それに気づいた彼は、一瞬だけ、力を弱めた。その一瞬があれば十分だ。


 肘打ちで相手の腹部を叩き、腕をほどいて向き直る。相手はしばらく俺と、土まみれになったタイピンを見つめていたが、やがて俺に意識を集中させ直した。


「……しぶといな」
『ハァッ、ハァ……そりゃどうも……』


 なんとか呼吸を戻しながら、集中を深めようとする。今の手は奇襲のようなものだ。二度は使えない……二度とあの技を食らうわけにはいかない。


 対する巨漢は、暫時目を瞑り、そして開き、また構えた。その構えはやはり城門じみて堅固だ。練度が凄まじい……。


 俺も手探りで構え、先ほどの掴みを拒否できる体勢を作る。直後に、打撃が襲ってきた。


 巨漢はもはや組み技に持ち込もうとする布石を隠そうとはしていない。打撃に紛れて何度も手を伸ばし、腕や肩、どこでも良いから俺の体を掴もうとしてくる。


 その握力……リム・ギアが無くとも恐ろしいレベルだ。必死に掴みを弾き返し、俺は深呼吸を継続する。深めろ……深めなければ、倒せない。意識をゆっくりと深層へ到達させ、一撃を弾き続ける。


 これだけのやり取りが続きながら、相手は苛立つという事がない。じっと相手の目を見つめ、俺はそんな事を考えていた。心が死んでいるのか、それとも……深くは分からないが、コイツの強さの根源はそれだ。どの一撃も実に丁寧であり、すべて脅威である。


 バチィン! 伸びてきた一撃に電撃パンチを叩き込んで弾き逸らし、相手の顎をアッパーで叩きあげる。男は数歩よろめき、ゆっくりと俺へ視線を戻す。


「電流か」
『卑怯なんて言ってくれるなよ……』
「まさか」


 巨漢は口の端の血を拭うと、また構えた。しかし、今度の構えはより攻撃的だ。……さっきまでのは、様子見って事か。

「ようやく、お互いに切れるカードの底が見えてきたな」
『……実は俺、太ももからミサイル出せるんだぜ』
「面白いやつだ」


 引っかからないよね。


 相手は瞬時に踏み込み、大振りな打撃を繰り出す。振りぬかれたラリアットを両手で止めようと掴むと、腕ごと巻き込むように捉えられ、放り投げられた。


『うっ、ぐぅ!?』


 予想外の動き! 背中を地面に打ち付けられ、即座に転がって起き上がる。寝ている時間はない!


 巨漢もすぐさま追撃を繰り出して来る。ジャブ、フック、フック、ストレート、そして掴み!! すべて捌き切り、今度は俺が攻勢に出る!!


 ローキックを相手の脛目掛け放つ! 巨体に見合わぬ敏捷性で躱されるが、しかしそれが狙いだ。一歩引いた相手に合わせ、攻撃的な構えで踏み込む。短打で相手の苦手とするレンジのバトルに持ち込むのだ!


 懐に飛び込み、腰を捻って相手を叩く。まるで大木を相手にしているかのような感触だが、相手は人間! 必ずダメージが蓄積している筈! 掴みかかってくるのを弾き返し、電撃パンチをもう一発叩き込む!


 バチチチィ!!! 巨漢の全身のリム・ギアが火花を散らし、光を失ってゆくのが見える。これなら、勝てる! ……と思っていたが、甘かった。相手は吼え、俺を蹴って吹き飛ばす。


『ちぃっ、まだこんなパワーが……!』
「嘗めるなよ、クラップロイド!」


 彼は全身の筋肉を隆起させると、半壊したリム・ギアをその筋肉圧だけで破壊し、脱ぎ捨てた。そして、今度は拳ではなく、両手を開いた『掴み特化の構え』を取る……本気を出したのだ!


『GMDは使わないのか……』
「嘗めるなと言ったはずだ。俺にとってそれは余計なドーピングに過ぎない」
『……』


 その言葉は真実だ。彼の肉体は、彼が一番操りやすい形に整えられている。GMDなどという薬物は、彼には無用どころか、害でしかないのだろう。


 もう一度深呼吸し、俺もまた構える。攻めにも守りにも転じられる構え……クズハとマーカス、テツマキさんとスズシロのそれを融合させたような構えだ。これが俺の最終カード……最も訓練してきた構え。これを見せるのは、出来ればアレクセイ相手であってほしかった。


『……尊敬するぜ。敵だけど』
「好きにしろ」


 1秒後、打ち合いが開始された。差し込まれた巨大な掌を、手の甲で叩き落として一歩退く。巨漢が一歩詰め、掌を叩きつける。俺が一歩退き、掌で受け流す。一歩詰められ、一歩退く。


 足元で砂利がザリザリと音を立てるのを感じながら、そのやり取りを必死に続ける。深呼吸を継続し、目を相手から逸らさず、打ち込む隙を探る。……いや、危険だ!!!


 俺は咄嗟に後ろをふりむき、飛び掛かってきた鳥類の怪物をキックで打ち落とす。視線を感じたのだ。殺気に満ちた視線は、より鋭く感じられるようになってきた。


 が、背中から強烈な視線。ふりむく暇もなく、後ろ首を掴まれ、高く持ち上げられる。

「隙を見せたな」
『クッソ……しまった……!!』


 一発キドニーに食らい、脚を掴まれて頭上に持ち上げられる。や、やられ放題だ……どうすればいい……!? 体の下、巨漢の体に膂力がチャージされていくのをアーマー越しに感じる。


『焦るなクラップロイド、深呼吸だ……深呼吸……ッ!!』


 ここから何が来るのか。何をされるのか……俺が考えるべきなのは? ダメージを軽減すべきなのか、そもそもダメージを起こさせない策を取るのか。深呼吸。意識を深める。時間のながれが遅くなり、一瞬の中に閉じ込められる。


 巨漢の膂力は、貯まる一方。そして……そして、俺は何かを感じ取った。


 それは重さの点だ。掲げられた身体がゆっくりと、傾いている。重心……身体の中に、重力の中心を感じる。


(……そうか。この体勢、チャンスだ)


 俺は息を吐き、全身の力を抜いた。ぐんにゃりと液体じみてとろける筋肉を錯覚し……そして、流れ落ちる瞬間に、力みを一気に解放する!!


 落ちてゆくその一瞬、俺はロシア人の首に腕を掛けた。グルリと縦回転し、重力、引力、威力を全てテコの原理で流し返す。



 その瞬間、巨漢はまるで海面を叩くクジラの尾の如く、その体を反転させた。2メートルを超える巨体が地面に叩きつけられる光景を前に、一瞬だけ戦場の注目が集まる。


 しかし組技使いの巨漢は伊達ではない。体を捻って受け身を取り、大半の衝撃を地面に吸わせると、転がって起き上がる。ほぼ俺と同タイミングに立ち上がり、彼と俺の視線がかち合う。


 ロシア人は口の端の血を拭い、無感情に構え直す。俺は一瞬のマグレで勝ち取ったチャンスを自覚しながら、深く深く息を吸い、もう一度構えた。


「しぶといヤツだ」
『…………そっくり返すよ』


 その時、一瞬だけ、目の前のロシア人は笑った。それに目を奪われた直後、打ち合いが始まる。


 ゴウ!! 空気を裂く音と共に、掴みが飛来する。だが俺は全身から力を抜き、その腕に沿って体を回転させた。


 シュリシュリシュリシュリ!! 音を鳴らすのは、ヤツの腕と擦れる俺のアーマーだ。両手の掌底を構え、回転とともに踏み込み、そして……叩きつけ……!!


 いや! 危険だ! 咄嗟に掌底とバックステップを併用し、巨漢の体を弾いて離れる。果たして第六感の通り、機銃掃射じみた大量の弾丸が、それまで俺がいた場所を巨漢ごと薙ぎ払った。巨体が押され、倒れ伏す!


 振り向けば、アジア人達が俺を危険視したらしく、アサルトライフルをこちらへ向けているのが見える。彼らは射撃を継続し、俺へ火線を引き直す。


 バックステップ、バックフリップ、着地点に居たグラニーツァメンバーを蹴って跳躍。着地したところを狙い撃たれ、アーマーに角度を付けて弾丸を弾いてゆく。


(どの弾丸もフルメタル・ジャケット仕様。直撃は貫通を意味します)
『アーマーは分厚くならねえのかよ、クッソ……』


 肌に感じる視線を最大限に利用し、なんとか弾の雨を手甲で弾いてゆく。だが躱しきれない細かな傷が全身に増えてゆく……!


 そして、特大の悪寒。視界の端、撃たれ、薙ぎ払われた筈の巨漢が……起き上がる!!


「……お前を止めろとの命令だ。……命令。だ」

 繰り返し呟き、彼はボロボロの体を引きずるようにこちらへ向かってくる。なんという執念……人はロボットではない。無理に命令を遂行すれば、死んでしまうというのに!


 そして俺も、決断しなければ! すなわち銃弾の雨を身に食らってでも反撃するのか! このままジリジリと削られ続け、致命的な一撃に持ち込まれるのか!


 やらねば! 深呼吸し、痛みを覚悟し、巨漢に向き直ろうとしたその時!!


 電撃を帯びた棒が振り下ろされ、ロシア人の後頭部を直撃。彼は瞬時に叩き伏せられ、顔から地面に突っ込んだ。


「伏せろッ!!」


 叫び、青い電撃を帯びたスタンロッドを放り投げながら、その女性は……テツマキさんは、スライディングしながら拳銃を撃ちまくる。俺を撃っていたアジア人が数名倒れ、数名は射撃を継続する。


 俺は近くへ来た彼女を掴んで跳躍し、トラックの陰へと飛び込んだ。銃弾が背後で弾ける音を聞きながら、喜色に溢れる声を絞り出す。


『マジで、ナイスタイミングっす!』
「そろそろ助けが必要な頃合いだと思ったんだ! この貸しも出世払いでいいぞ!」
『へへ……ビッグにならなきゃ返せないな』

 テツマキさんは陰から身を乗り出し、数発射撃しては体を引っ込める。俺も最適なタイミングを計りつつ、飛び散る火花や土埃の向こうへ目を凝らす。


『テツマキさん、俺がヘイト集めるんで……』


 と言いかけた瞬間、俺の本能がキョウレツな警鐘を鳴らした。振り向くと、視界いっぱいに鈍色の切っ先が広がっていた。


 咄嗟に首をかたむけた俺の頬を、ギャリギャリと青龍刀が擦り、トラックの荷台に突き刺さった。面長で無表情な暗殺者の顔と、ヘルメット越しの俺の顔が突き合わされる。


 ベイ・ユアン。ジュウロン会の暗殺者。音もなく、俺の背後に近づいていたのだ……彼は青龍刀を手放し、素早く袖の下から拳銃を取り出すと、ヘルメットの眉間へ押し付ける。


 その手首を、他の誰かが掴んだ。テツマキさんだ。彼女は柔道の動きで体を捻り、暗殺者を放り投げる。


 ユアンは地面に片手をつき、柔軟に着地すると、もう片方の袖からも拳銃を取り出し、バネのように飛び出しながら連射する。


 俺はテツマキさんを庇ってガードの姿勢を取り、銃弾を弾いてゆく。鉄の警官は俺の肩に肘を置き、拳銃で狙いをつける。


 直後、視界から暗殺者が消える。パニックに陥りかけた俺の思考を、「上だ!」というテツマキさんの叫びと、パラサイトの演算結果が現実へ引き戻す。敵は身を屈め、跳躍したのだ。


 上に視線をやろうとした瞬間、脳天への衝撃と共に地面に叩き伏せられる。一手遅かった。転がって視界を確保し、地面に手をついて起き上がる。


 着地したユアンは、両手の拳銃をテツマキさんへ撃ちながら、踊るように跳躍を繰り返し、空中回し蹴りを俺の首へ繰り出している。なんというスピード。ギリギリでガードしたが、彼はその蹴りを支点に、曲芸師のようにさらなる跳躍を行っている。


 空中に浮かんだ暗殺者は、クルクルと回転しながら、俺とテツマキさんへ銃弾の雨を降らす。当然、どの弾もフルメタル・ジャケット仕様。直撃は貫通を……


 ボン!! ガードに徹していた俺の肩口で、小規模な爆発が発生した。真っ白になった視界の中、俺は理解する。混ぜられた。貫通する弾に、爆発する弾。バランスが崩れ、そこへ弾丸の雨が降り注ぐ!


 その瞬間、俺の背中に何かが叩きつけられた。前方に吹き飛ばされ、テツマキさんを巻き添えにトラックに突っ込む。


 すわ新手か。テツマキさんの無事を確認しつつ、敵意と共に向き直ると……そこに居たのは、狐のドミノマスク、エセ着物、素肌に巻かれた包帯が痛々しい……クズハだ! マスク越しでも分かる美貌を不機嫌そうに歪め、ベイ・ユアンと向き合っている。

「……お前が来たか」
「この戦場、やはり止めるべきは貴様よの。……クラップロイド。まだやれるか」
『げほっ、やれる……お前、平気なのか』
「甘い事を抜かすな。平気でなくともやらねばならんのじゃ」


 傷だらけの体で構えながら、女スパイはそう答える。そうだ、皆がアレクセイを止めるために来ている。平気でなくとも、立たねばならない。


「アイツは……」
『今のところは、味方っす……行けますか、テツマキさん』
「あぁ、もっと最悪な現場も経験してる」


 言いながら咳き込むテツマキさんの脇腹からは、血が漏れ出している。俺達はどちらも限界が近い……ここでベイ・ユアンを相手取っていたら、アレクセイに辿り着けない。

 クズハに任せるしかない。視線を送ると、女スパイは頷いた。いつも余裕を持っている彼女にしては珍しく、その瞳には焦燥の色がある。


「急ぐのじゃ。アレクセイはショック・リアクターを起爆させる手に出かねんぞ。そうなれば、アワナミが吹っ飛ぶ」
「フン。余裕がないな、ネイ・シェン。お前はそちら側で生きていくのに慣れていないんじゃないのか?」
「よう喋るのう、ユアンよ。良い女を前に、興奮するのは分かるがの」


 ベイ・ユアンは袖からステッキを取り出し、しごきながら伸ばして、構える。クズハは扇子を開くと、その縁の刃を光らせながら、一歩退いた。どろりと濁った殺気が場に満ち満ちる。


 これ以上、ここに留まっていてもメリットはない。俺たちでは足手まといだ。テツマキさんに肩を貸すと、俺は戦場から離脱を始めた。


「くそ、目がかすむな……」


 鉄の警官の珍しく弱弱しい報告に、俺は不安になってその傷を見てしまう。そこまで深くはなさそうだが、負傷した箇所が不味い……。パラサイトの分析では、肝臓からの血が止まらなくなっている。


『そこで処置します、傷口を抑えてて……』
「ああ、くそ。足は引っ張らないつもりだったんだが」
『何言ってるんすか、テツマキさんが居ないと俺はとっくに死んでますよ』


 手頃な物陰へ入り、衣服を引き裂いてテツマキさんの脇腹をきつく縛る。パラサイトの指示通りに動いているが、しかし彼女の出血は少し遅くなっただけだ。サッキュウにこの争いを止めさせ、病院に連れて行かねばならない。

『……テツマキさん、ここで待っててもらえますか』
「そう言われるのが怖かったんだ……チクショウ」
『絶対止めます。この戦い』
「あぁ、疑ってない……行ってこい」

 失血に喘ぎながら、テツマキさんはそれでも気丈に笑う。……ホントに、この人にパラサイトが宿れば、どれだけ良かったか。俺はヒーロー、向いてないよ。今だって少し泣きそうになってしまっている。


「行ってきます」

 俺は歯を食いしばり、ボロボロの体に鞭打って、物陰から飛び出した。

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