クラップロイド

しいたけのこ

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歪んだ生物

歪みの同期

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 座った状態で深呼吸し、体の負傷を、そして精神の均衡を探る。

 じわじわと全身が治癒してゆくのを感じる。肉体の可動域は少しずつ広がり、痛みは取り除かれ始めていた。


 この数日、街は不気味なほどの静けさを保っていた。まるで明日のグラニーツァ最終取引へ向け、アワナミ全体が覚悟を決めているようでもあった。

 そしてネクサス……大規模犯罪は見かけなくなった。だが同時に、ネクサスという犯罪の抑止力は消えていた。いま、犯罪者たちにとっては『様子見』の時なのだろう。誰かが火ぶたを切れば、それは止めようのない波となってこの街を覆うに違いない。


 息を吸い、吐く。最終取引の情報が罠なら、俺がナメられるだけで済む。だがもし情報が本当で、その上でしくじれば、アワナミがナメられる。この街は犯罪者の巣窟になるだろう。

 警察には連絡済みだ。どこまで頼れるかは分からない……テツマキさんは「アテにするな」と言っていたが。


 息を吸い、吐く。千切れ、穿たれた肉体組織が少しずつ再生しているのを感じる。深める……もっと、深める。きっと、明日までに全快は見込めない。右腕は違和感が残るが、使える。だが胴体の傷は、時が経っても治りきらないものが出てくるだろう。

 その歪みに、肉体を同期させなければ。息を大きく吸い、吐く。みちみちと鳴る肉体は、傷を縫った糸で抑えつけられている。かなり痛いが、動けるのは有難い。


 脳裏に描くのは、テツマキさん、コラプター、スズシロ、アレクセイ、クズハ、そしてマーカスの動きだ。彼らは皆、俺より強い。だからこそ、その動きから学ばなければならない。ディヴァイサーとブリッツは無理。


 特にクズハとマーカスは段違いの実力者。2人の動きを脳内で再現すればするほど、まだまだ奴らには引き出しが多い事が分かる。……背筋にうすら寒い感覚が走るほど、奴らは強い。


 呼吸を深め、あの動きに同期させるべく肉体を固く結んでゆく。そしてやおら立ち上がり、目の前の虚空へとラッシュを繰り出し始める。


 呼吸、訓練。このセットを繰り返し、既に何時間か経過していた。汗が滴って音を立て、空を切る拳が鳴る。グラニーツァは強い。スコーピオンズのようなごろつき集団とは比べ物にならない。


 蹴りで宙を裂き、一瞬だけ動きを止める。何かムズっと来た……これは、視線だ。反射的にバックステップしてそちらに顔を向けると、窓の外、電線に止まったカラスが首をかしげて俺を見つめていた。


 こんな変な特訓を人に見られたのかと思ってしまった……。全くびっくりさせやがるぜ。ひゅー、と息を吐いて、気付く。


「……視線って、質量あるんだな」

 いまの一瞬のムズつきを覚えれば、何か変わるかもしれない。カラスに手を振り、注意を引く……その目がこちらを見ると、やはりほんの少しだけ、感覚がある。

「……」

 これは離してはならない感覚だ。すぐさま座り込み、深呼吸を始める。これを刷り込むべし。視線の感覚は、絶対に足掛かりだ。いまはまだ漠然としているが、鋭く感じられれば、相手がどこを狙っているのかもわかるようになるハズ。


 集中していると、頭の中で声が響いた。

(身体拡張完了。エンジンアップデート利用可能)
「ふーっ……エンジンアップデート?」
(乗用車レベルのエンジンを取り込めます)

 最初は何のことか分からなかったが、そこまで説明されてようやく理解する。アーマーの性能が上げられるのだ。……しかし、どこでエンジンを手に入れようか。

 前は咄嗟に道に停まっていたバイクからエンジンを取り出したが、アレは本来許されないしなぁ……。

「どっかいいエンジンを手に入れられる場所……あ」

 そこまで考えて、俺はとある場所を思い付く。あるじゃないか、エンジンが沢山ある場所……。


「……よし行くぞパラサイト。敵情視察としゃれ込んでやろう」
(了解。ルートを表示します)

 グラニーツァのガレージにお邪魔してやる。





 ロシアから来たテロ組織は、どうやら表向きはカーディーラーとしての看板を構えているらしい。フロント企業というやつだろう、数名のロシア人が忙しそうに働いている。

「……で、私の愛車は帰ってくるんだろうな」
「多分……?」
「多分と来たか、全く」

 テツマキさんのバイクをわざわざパンクさせ、ガレージ潜入に付き合ってもらっていた。今、俺達は無害な客でしかない。テツマキさんは数日前に警察を辞めているし、俺に至ってはハナタレ高校生だ。


 微妙に間違っている日本語の書類にサインしながら、テツマキさんは受付の向かいに座って油断なく辺りに目を走らせている。

 俺は車に興味津々、バカな高校生のフリを敢行中だ。演技が真に迫ってて良いとテツマキさんのお墨付きだ……なんか複雑なんだけど。


 そこらに置かれているナットやタイヤを触りつつ、お目当てのエンジンに向かって進んで行く。天井や壁を見回しても、監視カメラの類は見当たらない。やはり記録に残すとマズい事があるのだろう。


 ロシア人は鬱陶しそうに俺達をチラ見するが、何もしてこない。当然、俺達は(見かけ上)カタギだからな……。そう簡単に手を出すわけにはいかないのだろう。

「ニェイトログイ!!」
「え?」
「ニェイ……サワルナ、スワレ」

 が、やはりそう上手くは事が運ばない。1人が俺を睨みつけ、座るように言いつけてくる。これ以上強引に進むのは無理だろう……と思っていると、テツマキさんが腰を上げた。

「おい! そのバイクは繊細なんだ、そんな荒っぽい直し方をするな!」

 彼女は肩を怒らせ、自分のバイクめがけて荒々しく歩いてゆく。演技だとしても絶対あの怒りを身に食らいたくないなと思ってしまうレベルの迫真ぶり。

 ロシア人たちはタジタジになり、ぺこぺこ頭を下げたり、なんとか宥めようとしたりしている。だがテツマキさんはブチギレながら、もっと偉い人間を出せと喚きたてている。そして一瞬だけ俺を見て、ウィンクした。

「……ほんと、頭上がらないよ」

 俺を見張っていたロシア人も慌ててテツマキさんの方へ走ってゆく。


 できる限り腰をかがめ、俺も行動を開始した。手頃な乗用車のエンジンを探し、また、あわよくば情報を探すべく……そろりそろりと進み、受付を乗り越えて奥へ進んで行く。

 大きな控室のような場所に出る。まだ数名のロシア人が居るが、皆忙しそうに車を手入れしているのが見える。トラックからバイクまで様々なものが出されており、隠れるのにちょうど良い。


「とんだクソ客だな、俺達……ん?」
(こちらのエンジンは違法改造されていますが、規格は適合します。摂取なさいますか?)
「そうだな……なんだコレ?」

 奥のテーブル上に投げ出されるように置いてあったのは、妙にとげとげしいデザインのエンジンだ。車用……ではなさそうに見える。妙に丸く、握りこぶしくらいに小さく改造されている。

「……何のエンジンだ」
(これは……まるで人間の心臓を模したような作りですね。奇妙ですが、食べられない事はありません)
「…………」

 なんだか妙な感じだが……グラニーツァにはエンジン・アーティストでも居たのだろうか。

「まあ、なんでもいいか」

 パクっと口に含み、がりがりごりごりバキバキと噛み砕く。そして思いっきりごっくんと飲み込むと、全身がバクンと脈打つのを感じた。


 一瞬後、体の深奥から溢れてくるパワー。いますぐこの力を振り回したくて仕方ないほどの疼きが、指先にまで満ちる……この瞬間は、やはり慣れそうにない。

(エンジン取り込み完了。燃費、パワーともに向上。ロイドモードで30分の継続行動が可能)
「いいね、30分……大目的は完了、あとは情報を、!?」


 その瞬間、俺は咄嗟に体を隠した。作業するロシア人たちの奥、信じられないものが見えたからだ。

 車のミラー反射から少しだけそれを覗く……やはり間違いない。アレクセイだ。彼は何かしら、部下と話し込んでいるように見える。そしてひときわ大柄な部下に命令し、表のガレージの方へ行かせているようだ。

 彼は何か資料のようなものを手に見つめており、相当集中している。こうしてミラー越しに見つめる俺の視線にも気付かないほどだ。

「チッ……いますぐぶん殴って捕まえてやりたいな……」
(ここはこらえ時です)
「分かってるよ……しかし、よっぽど気を取られてるんだな。会話を盗み聞きできるか?」
(了解、聴覚拡張モード)

 途端に周囲の音量のつまみが一気に捻られた。工具の甲高い音やエンジンが立てる乱暴なサウンドの中から、必死にアレクセイ達の声にフォーカスする。なんとか聞き取ろうとし、深呼吸して集中する……。


(((……ジュウロン会の動きは?)))
(((ベイ・ユアンが出張ってくるそうです。やはりあちらとしても失敗できない取引かと)))


 あのオールバック野郎……ぴっかぴかの正装で部下と話し込んでいるが、顔色はかなり緊迫した人間のそれだ。あの表情を見るに、今回の情報は罠じゃなさそうだな。

 にしても、取引のお相手はジュウロン会ってのか。脳内メモしておこう。


(((よろしい。こちらも各自GMDを持って出ることとしよう。緊急時は迷わず使用し、何としても取引を進めること)))
(((はっ)))

 一瞬、アレクセイがチラリとこちらを見る。俺は瞬時にミラーのカバー角度から外れ、車に背中を密着させて呼吸を鎮める。……音を聞いていたが、誰も探りには来ないようだ。


(((念のため、ショック・リアクターに例の装置も取り付けたまえ)))
(((了解しました)))
(((さあ、急げ急げ! クレーマーに構っている暇はない!! 時は待ってくれないぞ!!)))


 そして奴らの気配は去ってゆく。俺は極力抑えていた呼吸を解放し、腰を上げて静かに移動を始めた。テツマキさんに報告しなければ。


 受付の向こうでは、相変わらず騒ぎ立てるテツマキさんが居た。奥から出てきた巨漢相手にも恐れずブチギレを続ける辺り、あの人の精神性の方がヒーロー向きだ。

「そ、その辺にしましょうよ!! この人たちも悪気があるんじゃないんだから!」

 俺はいかにも怖がっている風にテツマキさんの肩に手を置き、なんとか引き剥がす。まだ怒りが持続していたようだが、やがてテツマキさんはシャツの襟を正すと、肩を怒らせて受付に戻ってゆく。


 そして、小声で尋ねてくる。


「何か分かったか」
「ジュウロン会、ベイ・ユアン。聞き覚えはありますか」
「チッ……ある」


 ガシガシと頭を掻き、テツマキさんは苛立ちも露わにそう言う。その顔は心底うんざりしている表情だ。

「ジュウロン会はチャイニーズマフィアだ。麻薬と土地の開発、買い叩きで急速に勢力を伸ばしつつある……アワナミにも爪を食い込ませ始めてる。地元ヤクザとの抗争も過去にあった」
「ベイ・ユアンの方はどうすか」
「ジュウロン会お抱えのアサシンだ。警察も歯が立たん、通称は『処刑人』」

 ……闇が芋づる式に出てくるなぁ……。俺は死ぬまでクラップロイドをやることになりそうだ。

「そいつらが明日の取引に出てくるそうです」
「なら、この情報の精確性は疑うべくもないレベルだな。罠で他組織の名前を出すマヌケはいない」
「だといいんすけど」

 自信がないなぁ……そう思っていると、テツマキさんは俺の肩をどやしてきた。

「万一罠でもお前と私で切り抜ければいい話だ。違うか」
「……その通りっすね」

 ……本当に頭が上がらない。GMDを摂取しても、ヒーローとしての用途にしか使わなそうな人だよ……でも多分、お願いしても摂取はしてくれないんだろうな。それでいい。


 それでいいのだ。隣に居てくれるだけで、本当に救いになってくれている。


「……ありがとうございます」
「バイクは出世払いでいい」
「え゛」

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