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歪んだ生物
怒りを繋ぐために
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「遅い!!」
叫びの後、テツマキさんの足払いで俺はスッ転んだ。重心を下に持っていってたつもりだったのだが、すさまじい怪力、そして技術だ……。荒々しいという言葉がしっくりくる。
「お前は本当に弱弱しいな……」
「すみません」
手を掴まれ、引き起こされる。先ほどから、イコマ先生はハラハラと俺達の戦いを見守っている。
スズシロとの邂逅から帰宅後、俺はテツマキさんと組手で鍛えていた。学ぶことは多い……ちょっと多すぎてめまいがする。
「右腕、まだ使えないのか」
「ゆっくりなら」
「なら使え」
「ちょっと、大丈夫なの?」
「平気っす」
せっかくの機会なら、やるしかない。右腕のホルダーを外し、ゆっくりと肩を回す。まだ痛むが、動かせないわけじゃない。
中庭の土を踏みながら、テツマキさんが踏み込んでくる。俺の襟首を掴み、脚を交差させて体をねじる。
背中から叩きつけられ、転がって衝撃を逃がす。そして構えを取り、距離を測って拳を打ち込む。
パァン! テツマキさんは体をくの字に曲げるようにし、俺のこぶしを手の甲で受け流す。そして曲げた体から、溜めた膂力を解放して俺の顎を打ち上げた。
「ぐえっ」
いかにもまぬけな声をあげ、一瞬宙に浮かぶ。空を見上げながら、俺はまた地面に叩きつけられた。
「踏み込みだな」
テツマキさんは手をぐにゃぐにゃと回し、ストレッチのように腰を捻りながら俺を見下ろしている。その頬には汗ひとつ流れていない。
「踏み込み……?」
「踏み込みが弱い。思い切りがない。殴るなら、全部覚悟して殴る必要があるだろ」
「全部って?」
「お前、悪い想像しかしてないな? 相手に読まれてるかも、避けられるかも、カウンターを受けるかも、相手を取り返しがつかないほど傷付けてしまうかも……そんなことばかりを」
正直めちゃくちゃ覚えがある。慎重と言えば聞こえはいいが、踏ん切りがついていないのだ。ぐぬぬと言い返せずにいると、呆れた表情でテツマキさんが続ける。
「そんなだから敵におくれを取る。攻撃するなら、攻撃する。防御するなら、防御する。思考を迅速に切り替えるんだ」
「……迅速に」
「お前は何のために戦ってるんだ? 世間体のためか? そうじゃないだろ」
何のために……確かに、世間体なんかのためじゃない。俺は……
「……自分の為っス」
「いい答えじゃないか。なら相手なんぞ気にするな」
俺が戦うのは、動いてないと気が狂いそうだからだ。今にもそこらの影からシマヨシさんが恨めし気な目で見てきそうな気がするからだ。
それを自認した瞬間、俺はそれまでの余裕がなくなったのを感じた。何度負けた? 何度あの人を失望させた? 俺は……俺は、何をしている?
膝立ちから立ち上がり、テツマキさん相手に構える。元鉄の警官も顔から余裕を消し、みなぎる緊張感で向かい合ってくる。
踏み込み、思い切り拳を叩き込む。またそれを弾かれ、しばしの格闘戦が始まった。
◆
(朗報です、ご主人様)
夜の涼しい風が網戸からリビングを吹き抜ける中、俺はぐったりとソファに沈んで虫の息である。テツマキさんは病み上がりの俺にも一切容赦なかった。体で教えるとはまさにこの事だ。
「ろーほー……?」
(GMD解毒薬が完成いたしました。これを警察に提出すれば、すぐさま薬の生産に取り掛かれることでしょう)
「マジか!?」
がばっと頭を上げてリアクションすると、台所で料理していたイコマ先生が短い悲鳴を上げて塩をフライパンの中にひっくり返したのが見えた。
「あっ、す、すみません……」
「もう!! どうしたの?」
「なんだ、大丈夫か?」
のっそりのそのそと、首にタオルをかけたテツマキさんも中庭から現れる。タンクトップには汗のシミがすごいことになっている……今まで動き続けていたらしい。
「えと……えっと、GMD……ええと、解毒薬ができたんです!」
「!!! 本当か? すぐに警察に届けに行かないとな」
「えっと……でもどうしよう、俺が届けるわけにも……」
「私……も辞めてしまったしな……」
なんてこった。どうすれば……いや、思い付いたぞ。
「あ、ネクサスに届けてきます! これならたぶん、警察にも情報が行く!」
「成程な……奴らの拠点を知ってるのか?」
「えっと……知り合いのアジトなら」
「分かった。送ろうか?」
「走ってきます!」
言いながら、居ても立っても居られない俺は玄関で靴を履き、飛び出す。散歩していた人や、帰りのサラリーマンがビックリしたように俺を見るが、そんなの構っていられない。
なんて久々の嬉しいニュース! 信号待ちのタイミングで携帯を取り出し、チキさんへメールを送る。『解毒薬完成 届けに行きます』……しかし、いつもなら3秒で既読がつくのに、反応がない。
もう一度、『今ってお邪魔して良いですか?』の文章を送る。……しかし、反応がない。
「ああもう、なんだよ……」
走りながら通話をかけようとすると、思いもよらぬ無機質な声が返ってきた。
『おかけになった電話番号は、現在使われておりません。番号をお確かめになってお掛け直し下さい』
「え?」
思わず立ち止まる。往来をゆく人々の群れの中、いきなりの孤独感に包まれる。チキさんの携帯は……使えなくなっている? ま、まさか人間関係リセット型のメンヘラだったのか……?? いやそれにしたって、番号から変えるか?
事実確認のために、また走り始める。そしてチキさんのアジトへ到着し、扉を開いて突入した。
だが、誰もいなかった。灰色の内装は相変わらずだが、部屋を覗けば、棚やベッドは一切が撤収されていた。
「ど……どういうことだ……?」
熱源探知やエックス線を駆使しても、この施設には誰もいない。あれだけ重傷で、厳重にベッドに繋がれていたハズのウロサキすら、居ない。
コツ。後ろで気配があった。振り返ると同時、俺の首に何かが食い込み、その勢いで壁に叩きつけられた。
ギリギリと首を締め上げられながら、見上げるとそいつは……マーカスだ。奴は俺の首を掴み、吊り上げて、バンダナの穴越しに鬼のような視線を俺にぶつけてくる。
「俺を何も知らないバカだと思ってるなら、大間違いだ」
開口一番、彼は憤怒の形相でそう呟く。俺はじたばたともがきながら、その膂力に抗おうとする……無理だ。丸太のような腕は、全力の抵抗でもびくともしない。
「ディヴァイサーの役割は『3つ』だった。1つ、『GMDの調査』。2つ、『クラップロイドの監視』。3つ、『スィーニの監視』」
ドクン。その名前を聞き、俺の心臓が跳ねる。反射的にスーツアップし、首を締め上げる手を弾き返して距離を離す。
着地して目を上げれば、マーカスはもう踏み込み、パンチを放っている。辛うじて反応し、両手で拳を弾き返そうとして逆に弾き飛ばされた。
コンクリート床の上で滑り、もう一度壁に叩きつけられる。一瞬暗くなった視界を取り戻すと、目の前いっぱいに深緑のジャケットが翻っていた。
フックが来る!! 両腕で頭部を覆うようにガードし、相手の動きに沿って体をねじる。肩に受けた衝撃をなんとか流し、勢い余って床に手をつき、側転で距離を取る。
思考を迅速に。打撃ガードのスキルはさんざん磨いてきたハズ……防御の構えで向き直ると、マーカスはそこに居なかった。
『え』
間抜けな声を漏らした俺の喉に、強烈な衝撃。いつの間にか俺の側面を取っていたマーカスのラリアットだ。吹っ飛ばされ、床に転がる。
コンクリートに手をついて咳き込んでいると、頭の上からマーカスの声が降ってきた。
「ディヴァイサーには知らせていなかったが、それで十分だった。スズシロ アオコと名乗るあの少女が不審が動きを見せれば、俺に報告が入る」
『げほっ、くそ……』
「今日の昼間、スィーニと会っていたな。何を話した」
『何、も、ごほっ……』
「いいか」
すっとぼけようとすると、マーカスは俺を蹴り飛ばし、胸の上にヒザを乗せてきた。その圧力……! アーマーのパワーを加算しても、押し負けてしまうほど!
「お前は、俺達ですら知り得ていなかった今日の大規模襲撃を予知していた。お前が潜入したその日、グラニーツァのアジトで『クラリス・コーポレーション』の関与を示す証拠が爆発隠滅!! そして今日、スィーニに会った!!!」
『ぐっ……ぎ……!』
「お前をグラニーツァのスパイだと疑う理由は十分すぎるほどに揃っている!! 答えろ!! 何を話した!!」
『分か、った……!! 話す、話すから、緩めてくれ……!!』
ほんの少しだけ緩められる拘束に、息を大きく吸って酸素を確保する。なんとか呼吸を戻し、少しずつ話しだす……話さなければ殺される。
『今日の襲撃、は……クズハから情報を貰った』
「クズハ? グラニーツァ所属の暗殺者か」
『アイツは、スパイだ……SACのエージェント』
「……」
マーカスが黙り込み、何かを測るような沈黙が続く。俺は本当のことを言っているが、これが信じてもらえなければ終わりだ。……いや、信じてもらえる確率の方が低そうだが。
『アイツとは、なんというか……スコーピオンズの時から知り合いで、今回も俺のところに情報を持ってきて……利用しようとしてた』
「続けろ」
『こ、今回は、ドクトリン・ブレーカーを集めきって、最後の取引のタイミングで止めようって話で……だから、今日の襲撃も、技術者をあえて攫わせて……』
「今日の襲撃はドクトリン・ブレーカーが目的ではなかったがな」
『え……』
な、なんだって? 確かにクズハは『襲撃がある』としか言っていなかったが、まさかアイツ、会話の中で俺をハメたんじゃないだろうな?
「奪われたのは核兵器に匹敵するエネルギーサイズのショック・リアクターだ」
『しょっく……?』
「もういい。お前は何も知らないようだな」
マーカスは脱力し、俺の上から足をどかす。息をしやすくなり、床に手をついて上体を起こす……いったい、何が起きているんだ?
『何が、あったんだ……?』
「ショック・リアクターはエネルギー源だ。表向きはな」
説明を始めるマーカスの脇腹から、ドパッと血液が噴出した。色々驚愕して見ていると、マーカスはバンダナを取り、脇腹をきつく締めあげて止血する。
あれが恐らく、クズハにやられた傷なのだろう。なんでそんな状態で俺より何倍も強いの……?
「制御するには危険すぎるほどに膨大なエネルギーを生むため、クラリス・コーポレーションで廃棄される予定だった……それを奪われた」
『な……』
「SACか。アイツの動きは『企業ばって』いたからな……厄介な組織だ」
今度は木の幹のような右腕からジワリと血がにじみ出し、マーカスは左手で抑える。何か所負傷したんだこの人……。
「なぜ言わなかった」
『……アンタたちと同じように、信用できてなかったんだよ』
「そうか」
特に言い返さず、中年男は目を瞑る。そのしぐさは反省しているようでもあり、あるいは、その言葉を甘んじて受け入れているかのようでもあった。
「スィーニは?」
『……仲のいい後輩で、グラニーツァ所属だって知ったのは昨日。殺されかけてたから、伝える余裕はなかった』
「成程な」
それだけ聞き終えると、マーカスは俺に手を差し伸べてきた。掴むと、ぐいと引っ張って立たされる。
「俺達は国へ帰る」
『え?』
「ショック・リアクターの輸出を止めるには、もう戦力が不足している。俺達は各々の国を守るしかない」
『ま、待ってくれ! 5日後だ、すぐに連中は最終取引を……』
「その情報が罠の可能性もある」
罠。その言葉を聞き、言葉を詰まらせてしまう。俺もつい先日、まんまと乗せられたからだ。
「1つの行動ですべてが救えれば、それほど良い事はないだろうな。だが、現実は甘くない」
『……』
「俺達にできるのはただ、『最悪』を防ぐことだけだ。ネクサスには……リーダーの俺には、その責任がある」
バシュッ……今度は砲丸のような左肩から横一文字に血潮が噴き出す。大男はボロボロの体を筋肉で抑え込み、俺を見つめて話し続ける。
「クズハはひどい負傷だ。SACも撤退することになるだろう……グラニーツァはいまや無敵の存在だ」
『……』
「小僧……俺達が最も重視すべきなのは、信用だったとはな……報道規制を敷く自警団が、皮肉なものだ」
犯罪者を前に、俺達は互いを信頼しなさすぎたのだ。そして今、巨大すぎるツケがまわってきた。
ネクサスやSACには頼らないつもりだった。だが、いざこうして言葉にされると、のぼっていた梯子がいきなり消失したような不安感に襲われる。
『……俺……』
「だが、ここまでだ。ネクサスは散り、アワナミから離れる。クラリス・コーポレーションは今まで通りの静けさに沈むだろう」
マーカスはもはや俺に目もくれず、沢山の傷を抑えながら部屋から出てゆく。そして去り際に、少しだけ立ち止まり、背を向けたまま言った。
「……ディヴァイサーだけは、お前はグラニーツァのスパイではないと言っていた」
『……!』
「ここに来るのも、ずいぶん引き留められた。あの娘は本気でお前を信じていた」
ウロサキ……アイツがどんな気持ちでマーカスを引き留めたのか、想像しただけで喉の奥が熱くなる。ここまで、来たのに……ここまでなのか……?
『ま……待ってくれ、せめて』
カーテンを千切り、マーカスの足元の血だまりを指ですくって化合式を描いてゆく。そして、それを投げ渡した。GMDの解毒薬だ。
マーカスはキャッチし、しばらくそれを眺めていたが、理解したのか笑みを浮かべる。そして、俺を見た。
「……そうか。俺が間違っていたな。……お前を、もっと信じていれば」
『……それは、お互い様だろ』
「さらばだ、クラップロイド。アワナミは、お前が守れ」
ひらひらとカーテンを振り、ネクサスのリーダーは歩いて去っていった。
後に残され、俺はまた1人で戦う覚悟をあらたにした。
叫びの後、テツマキさんの足払いで俺はスッ転んだ。重心を下に持っていってたつもりだったのだが、すさまじい怪力、そして技術だ……。荒々しいという言葉がしっくりくる。
「お前は本当に弱弱しいな……」
「すみません」
手を掴まれ、引き起こされる。先ほどから、イコマ先生はハラハラと俺達の戦いを見守っている。
スズシロとの邂逅から帰宅後、俺はテツマキさんと組手で鍛えていた。学ぶことは多い……ちょっと多すぎてめまいがする。
「右腕、まだ使えないのか」
「ゆっくりなら」
「なら使え」
「ちょっと、大丈夫なの?」
「平気っす」
せっかくの機会なら、やるしかない。右腕のホルダーを外し、ゆっくりと肩を回す。まだ痛むが、動かせないわけじゃない。
中庭の土を踏みながら、テツマキさんが踏み込んでくる。俺の襟首を掴み、脚を交差させて体をねじる。
背中から叩きつけられ、転がって衝撃を逃がす。そして構えを取り、距離を測って拳を打ち込む。
パァン! テツマキさんは体をくの字に曲げるようにし、俺のこぶしを手の甲で受け流す。そして曲げた体から、溜めた膂力を解放して俺の顎を打ち上げた。
「ぐえっ」
いかにもまぬけな声をあげ、一瞬宙に浮かぶ。空を見上げながら、俺はまた地面に叩きつけられた。
「踏み込みだな」
テツマキさんは手をぐにゃぐにゃと回し、ストレッチのように腰を捻りながら俺を見下ろしている。その頬には汗ひとつ流れていない。
「踏み込み……?」
「踏み込みが弱い。思い切りがない。殴るなら、全部覚悟して殴る必要があるだろ」
「全部って?」
「お前、悪い想像しかしてないな? 相手に読まれてるかも、避けられるかも、カウンターを受けるかも、相手を取り返しがつかないほど傷付けてしまうかも……そんなことばかりを」
正直めちゃくちゃ覚えがある。慎重と言えば聞こえはいいが、踏ん切りがついていないのだ。ぐぬぬと言い返せずにいると、呆れた表情でテツマキさんが続ける。
「そんなだから敵におくれを取る。攻撃するなら、攻撃する。防御するなら、防御する。思考を迅速に切り替えるんだ」
「……迅速に」
「お前は何のために戦ってるんだ? 世間体のためか? そうじゃないだろ」
何のために……確かに、世間体なんかのためじゃない。俺は……
「……自分の為っス」
「いい答えじゃないか。なら相手なんぞ気にするな」
俺が戦うのは、動いてないと気が狂いそうだからだ。今にもそこらの影からシマヨシさんが恨めし気な目で見てきそうな気がするからだ。
それを自認した瞬間、俺はそれまでの余裕がなくなったのを感じた。何度負けた? 何度あの人を失望させた? 俺は……俺は、何をしている?
膝立ちから立ち上がり、テツマキさん相手に構える。元鉄の警官も顔から余裕を消し、みなぎる緊張感で向かい合ってくる。
踏み込み、思い切り拳を叩き込む。またそれを弾かれ、しばしの格闘戦が始まった。
◆
(朗報です、ご主人様)
夜の涼しい風が網戸からリビングを吹き抜ける中、俺はぐったりとソファに沈んで虫の息である。テツマキさんは病み上がりの俺にも一切容赦なかった。体で教えるとはまさにこの事だ。
「ろーほー……?」
(GMD解毒薬が完成いたしました。これを警察に提出すれば、すぐさま薬の生産に取り掛かれることでしょう)
「マジか!?」
がばっと頭を上げてリアクションすると、台所で料理していたイコマ先生が短い悲鳴を上げて塩をフライパンの中にひっくり返したのが見えた。
「あっ、す、すみません……」
「もう!! どうしたの?」
「なんだ、大丈夫か?」
のっそりのそのそと、首にタオルをかけたテツマキさんも中庭から現れる。タンクトップには汗のシミがすごいことになっている……今まで動き続けていたらしい。
「えと……えっと、GMD……ええと、解毒薬ができたんです!」
「!!! 本当か? すぐに警察に届けに行かないとな」
「えっと……でもどうしよう、俺が届けるわけにも……」
「私……も辞めてしまったしな……」
なんてこった。どうすれば……いや、思い付いたぞ。
「あ、ネクサスに届けてきます! これならたぶん、警察にも情報が行く!」
「成程な……奴らの拠点を知ってるのか?」
「えっと……知り合いのアジトなら」
「分かった。送ろうか?」
「走ってきます!」
言いながら、居ても立っても居られない俺は玄関で靴を履き、飛び出す。散歩していた人や、帰りのサラリーマンがビックリしたように俺を見るが、そんなの構っていられない。
なんて久々の嬉しいニュース! 信号待ちのタイミングで携帯を取り出し、チキさんへメールを送る。『解毒薬完成 届けに行きます』……しかし、いつもなら3秒で既読がつくのに、反応がない。
もう一度、『今ってお邪魔して良いですか?』の文章を送る。……しかし、反応がない。
「ああもう、なんだよ……」
走りながら通話をかけようとすると、思いもよらぬ無機質な声が返ってきた。
『おかけになった電話番号は、現在使われておりません。番号をお確かめになってお掛け直し下さい』
「え?」
思わず立ち止まる。往来をゆく人々の群れの中、いきなりの孤独感に包まれる。チキさんの携帯は……使えなくなっている? ま、まさか人間関係リセット型のメンヘラだったのか……?? いやそれにしたって、番号から変えるか?
事実確認のために、また走り始める。そしてチキさんのアジトへ到着し、扉を開いて突入した。
だが、誰もいなかった。灰色の内装は相変わらずだが、部屋を覗けば、棚やベッドは一切が撤収されていた。
「ど……どういうことだ……?」
熱源探知やエックス線を駆使しても、この施設には誰もいない。あれだけ重傷で、厳重にベッドに繋がれていたハズのウロサキすら、居ない。
コツ。後ろで気配があった。振り返ると同時、俺の首に何かが食い込み、その勢いで壁に叩きつけられた。
ギリギリと首を締め上げられながら、見上げるとそいつは……マーカスだ。奴は俺の首を掴み、吊り上げて、バンダナの穴越しに鬼のような視線を俺にぶつけてくる。
「俺を何も知らないバカだと思ってるなら、大間違いだ」
開口一番、彼は憤怒の形相でそう呟く。俺はじたばたともがきながら、その膂力に抗おうとする……無理だ。丸太のような腕は、全力の抵抗でもびくともしない。
「ディヴァイサーの役割は『3つ』だった。1つ、『GMDの調査』。2つ、『クラップロイドの監視』。3つ、『スィーニの監視』」
ドクン。その名前を聞き、俺の心臓が跳ねる。反射的にスーツアップし、首を締め上げる手を弾き返して距離を離す。
着地して目を上げれば、マーカスはもう踏み込み、パンチを放っている。辛うじて反応し、両手で拳を弾き返そうとして逆に弾き飛ばされた。
コンクリート床の上で滑り、もう一度壁に叩きつけられる。一瞬暗くなった視界を取り戻すと、目の前いっぱいに深緑のジャケットが翻っていた。
フックが来る!! 両腕で頭部を覆うようにガードし、相手の動きに沿って体をねじる。肩に受けた衝撃をなんとか流し、勢い余って床に手をつき、側転で距離を取る。
思考を迅速に。打撃ガードのスキルはさんざん磨いてきたハズ……防御の構えで向き直ると、マーカスはそこに居なかった。
『え』
間抜けな声を漏らした俺の喉に、強烈な衝撃。いつの間にか俺の側面を取っていたマーカスのラリアットだ。吹っ飛ばされ、床に転がる。
コンクリートに手をついて咳き込んでいると、頭の上からマーカスの声が降ってきた。
「ディヴァイサーには知らせていなかったが、それで十分だった。スズシロ アオコと名乗るあの少女が不審が動きを見せれば、俺に報告が入る」
『げほっ、くそ……』
「今日の昼間、スィーニと会っていたな。何を話した」
『何、も、ごほっ……』
「いいか」
すっとぼけようとすると、マーカスは俺を蹴り飛ばし、胸の上にヒザを乗せてきた。その圧力……! アーマーのパワーを加算しても、押し負けてしまうほど!
「お前は、俺達ですら知り得ていなかった今日の大規模襲撃を予知していた。お前が潜入したその日、グラニーツァのアジトで『クラリス・コーポレーション』の関与を示す証拠が爆発隠滅!! そして今日、スィーニに会った!!!」
『ぐっ……ぎ……!』
「お前をグラニーツァのスパイだと疑う理由は十分すぎるほどに揃っている!! 答えろ!! 何を話した!!」
『分か、った……!! 話す、話すから、緩めてくれ……!!』
ほんの少しだけ緩められる拘束に、息を大きく吸って酸素を確保する。なんとか呼吸を戻し、少しずつ話しだす……話さなければ殺される。
『今日の襲撃、は……クズハから情報を貰った』
「クズハ? グラニーツァ所属の暗殺者か」
『アイツは、スパイだ……SACのエージェント』
「……」
マーカスが黙り込み、何かを測るような沈黙が続く。俺は本当のことを言っているが、これが信じてもらえなければ終わりだ。……いや、信じてもらえる確率の方が低そうだが。
『アイツとは、なんというか……スコーピオンズの時から知り合いで、今回も俺のところに情報を持ってきて……利用しようとしてた』
「続けろ」
『こ、今回は、ドクトリン・ブレーカーを集めきって、最後の取引のタイミングで止めようって話で……だから、今日の襲撃も、技術者をあえて攫わせて……』
「今日の襲撃はドクトリン・ブレーカーが目的ではなかったがな」
『え……』
な、なんだって? 確かにクズハは『襲撃がある』としか言っていなかったが、まさかアイツ、会話の中で俺をハメたんじゃないだろうな?
「奪われたのは核兵器に匹敵するエネルギーサイズのショック・リアクターだ」
『しょっく……?』
「もういい。お前は何も知らないようだな」
マーカスは脱力し、俺の上から足をどかす。息をしやすくなり、床に手をついて上体を起こす……いったい、何が起きているんだ?
『何が、あったんだ……?』
「ショック・リアクターはエネルギー源だ。表向きはな」
説明を始めるマーカスの脇腹から、ドパッと血液が噴出した。色々驚愕して見ていると、マーカスはバンダナを取り、脇腹をきつく締めあげて止血する。
あれが恐らく、クズハにやられた傷なのだろう。なんでそんな状態で俺より何倍も強いの……?
「制御するには危険すぎるほどに膨大なエネルギーを生むため、クラリス・コーポレーションで廃棄される予定だった……それを奪われた」
『な……』
「SACか。アイツの動きは『企業ばって』いたからな……厄介な組織だ」
今度は木の幹のような右腕からジワリと血がにじみ出し、マーカスは左手で抑える。何か所負傷したんだこの人……。
「なぜ言わなかった」
『……アンタたちと同じように、信用できてなかったんだよ』
「そうか」
特に言い返さず、中年男は目を瞑る。そのしぐさは反省しているようでもあり、あるいは、その言葉を甘んじて受け入れているかのようでもあった。
「スィーニは?」
『……仲のいい後輩で、グラニーツァ所属だって知ったのは昨日。殺されかけてたから、伝える余裕はなかった』
「成程な」
それだけ聞き終えると、マーカスは俺に手を差し伸べてきた。掴むと、ぐいと引っ張って立たされる。
「俺達は国へ帰る」
『え?』
「ショック・リアクターの輸出を止めるには、もう戦力が不足している。俺達は各々の国を守るしかない」
『ま、待ってくれ! 5日後だ、すぐに連中は最終取引を……』
「その情報が罠の可能性もある」
罠。その言葉を聞き、言葉を詰まらせてしまう。俺もつい先日、まんまと乗せられたからだ。
「1つの行動ですべてが救えれば、それほど良い事はないだろうな。だが、現実は甘くない」
『……』
「俺達にできるのはただ、『最悪』を防ぐことだけだ。ネクサスには……リーダーの俺には、その責任がある」
バシュッ……今度は砲丸のような左肩から横一文字に血潮が噴き出す。大男はボロボロの体を筋肉で抑え込み、俺を見つめて話し続ける。
「クズハはひどい負傷だ。SACも撤退することになるだろう……グラニーツァはいまや無敵の存在だ」
『……』
「小僧……俺達が最も重視すべきなのは、信用だったとはな……報道規制を敷く自警団が、皮肉なものだ」
犯罪者を前に、俺達は互いを信頼しなさすぎたのだ。そして今、巨大すぎるツケがまわってきた。
ネクサスやSACには頼らないつもりだった。だが、いざこうして言葉にされると、のぼっていた梯子がいきなり消失したような不安感に襲われる。
『……俺……』
「だが、ここまでだ。ネクサスは散り、アワナミから離れる。クラリス・コーポレーションは今まで通りの静けさに沈むだろう」
マーカスはもはや俺に目もくれず、沢山の傷を抑えながら部屋から出てゆく。そして去り際に、少しだけ立ち止まり、背を向けたまま言った。
「……ディヴァイサーだけは、お前はグラニーツァのスパイではないと言っていた」
『……!』
「ここに来るのも、ずいぶん引き留められた。あの娘は本気でお前を信じていた」
ウロサキ……アイツがどんな気持ちでマーカスを引き留めたのか、想像しただけで喉の奥が熱くなる。ここまで、来たのに……ここまでなのか……?
『ま……待ってくれ、せめて』
カーテンを千切り、マーカスの足元の血だまりを指ですくって化合式を描いてゆく。そして、それを投げ渡した。GMDの解毒薬だ。
マーカスはキャッチし、しばらくそれを眺めていたが、理解したのか笑みを浮かべる。そして、俺を見た。
「……そうか。俺が間違っていたな。……お前を、もっと信じていれば」
『……それは、お互い様だろ』
「さらばだ、クラップロイド。アワナミは、お前が守れ」
ひらひらとカーテンを振り、ネクサスのリーダーは歩いて去っていった。
後に残され、俺はまた1人で戦う覚悟をあらたにした。
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