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歪んだ生物
歪んだ望み
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地上はもう真っ暗だった。俺はふらつき、時折道端に倒れて気を失いながら、必死になって家に帰った。
家には誰もいなかった。幸いなことに、イコマ先生も、テツマキさんも居ない。血を廊下にまき散らしながら医療セットを取り出し、傷の縫合を始めた。
チキさんには頼れない。スズシロが……スズシロが敵だと、ネクサスに教える必要が出てきてしまう。俺は相当に混乱していた。パラサイトに治療を一任しながら、頭の中は取っ散らかっていた。激痛と、敗北と、スズシロのことが渦巻いていた。
「なんでだ」
何度もつぶやいた。でも、俺の記憶は変わらなかった。パラサイトが記録した映像を何度見ても、そこに映っているのはスズシロだった。彫刻のような冷たい顔と、青い瞳は間違いようがない。
ソファを血まみれにして、ようやく治療は終わっていた。だが俺は落ち着けなかった。ネクサスとSACを止める手段は無くなったのだ。ディヴァイサーの貢献も無駄にした。ディヴァイサー……アイツになんて言えばいい? 俺と仲の良かった後輩は、お前の家族を殺したのと同じテロリストでしたって?
血が足りない。血を作らなければ。冷蔵庫に抱き着き、必死に開いて中身を取り出す。調理済みの冷凍ハンバーグがある……解凍しようとしてやりきれなくなり、そのまま袋を逆向けて口の中に全部放り込む。
ガリゴリと噛み、飲み込んで急いで水場に駆ける。いくらか吐いて、ようやく頭がすっきりし始めた。……スズシロは、敵なのだ。
操り人形のようにぎくしゃくした動きで、血まみれのソファに腰かけてテレビをつける。情報だ。再起しなければ。俺はまだ、死んでない。死んでいなければやりようはある。
グラニーツァのアジトでの火事は全くニュースになっていない。一体あれは何だったのか……あのおかげで助かったが、原因が分からなければ素直に喜べない。
チキさんの血入りカプセルを飲むと、ほんの少しだけ体がマシになる。抉られた脇腹の痛みが和らぎ、思考が前向きになり始める。
「……シマヨシさん……」
マントラじみて呟き、目を瞑る。今は耐えなければ。俺はクラップロイド。まだやれる。まだやれる、ハズだ。
徐々に全身が発熱を始めた。どうやら雑菌が体内に入ってしまったようだ。前向きな思考がつんのめり、溶けて、視線が定まらなくなってくる。
目の前に描いたシマヨシさんの幻影が、ニヤニヤと笑うコラプターに変わる。そして瞳を狂気に燃やすアレクセイに変わり、最後に青い目のスズシロが現れる。
思い切り床に吐き、ソファから立ち上って抗生物質を取り込もうと棚を探る。だが、床はグンニャリと歪み、俺の足を掴んで引き倒して来た。
ああ、だめだ。全て歪んで見えてきた。床で熱に喘ぎながら、嘔吐と吐血を繰り返す。とても、寒い。毛布が必要だ。ベッドは2階か……階段を這って上ろうとして、誰かに足を掴まれた。
見れば、1階の床がたくさんの手になって、俺の足を掴んで引きずり込もうとしていた。たくさんの手のはざまからは、見たことのある目、目、目。どれも俺を恨みがましく見つめている。
「俺のせいじゃない」
「「「キミのせいだよ」」」
「俺は悪くない」
「「「どうしてアオちゃんが……」」」
「まだアイツを助けられるはずだ」
「「「だが、僕は死んだ」」」
「やめてくれ、許してくれ……お願いです、許してください……」
「「「俺達はもうとっくに何もできない」」」
自分が何を言っているのかも分からず、ぼそぼそと許しを請う。俺を掴んだ手は、力強く俺を抱え上げ、2階のベッドに叩き込んで抑えつけてきた。
「やめろ……俺は……」
「クソ、イコマ急げ! かなりヤバい状態だ、この馬鹿……!」
「俺……俺……」
「いいから!! じっとしてろ!!」
その人物は、携帯で電話しながら、俺を片腕で抑えつけてくる。すごい力だ……あるいは、俺が弱いのかもしれない。
「行かないと……」
その言葉を最後に、胸を抑えつけられた俺は意識を闇の中に沈めてしまった。
◆
目を覚ました時、目の前には見知った天井が広がっていた。……俺の家だ。
上体を起こすと、家の中は妙にすっきりと片付き、血の痕もなくピカピカになっていた。居間ではテレビの音が騒がしい。リビングでは、かちゃかちゃと食器を動かす音がする。
全身を見ると、いつの間にかパジャマに着替え、ちゃんと処置がなされていた。どうやら時間帯は昼間のようで、燦燦とさしこむ陽光が窓枠で照り返す。
「……」
痛みをこらえて起き上がり、階段を苦労して降りる。そして1階につき、リビングを見ると、イコマ先生が忙しそうに食材を刻んだり、フライパンを取り出したりしていた。
「これ賞味期限切れてる……もー、捨てなさいって言っ、てるの、に……」
動作の途中で俺が見ていることに気付いたイコマ先生は、数秒間固まる。対する俺も固まっている。頭の中では俺はとっくに死んでいて、いま見ている光景は天国と地獄のどちらか、脳内議論が沸き起こっていたからだ。
だが、直後に思いっきりタックルするように抱き着かれて、全身の痛みで確信した。俺は生きてる。
「……先生、痛いっす……」
とりあえずそう言って、体を離そうとして抱き着かれてをしばらく繰り返した。テレビを見ていたテツマキさんに呆れられて引き剥がされるまでそれが続いた。
◆
「グラニーツァね」
先生にはさめざめと泣かれ、しばらくして落ち着いてから、俺は事情を説明していた。こういう時に場をしめる要員としてテツマキさんが居てくれると本当に助かる。
「どうりで、テレビでずいぶん騒がれてると思ったよ」
「知らなかったんすか」
「本庁から別働隊が来ていた。連中、任務は黙っていたがな」
「……ていうか、テレビで? 騒がれてる?」
「見てみろ」
気に食わなそうにテツマキさんがテレビを指し示すと、そこでは大騒ぎになっていた。
いくつもビルに車が突っ込み、爆発を起こすシーンが撮影されている。どんどん傾いて行くビルのガラスが粉砕され、路上にまき散らされるのが見える。
次いで、映像が別の場所に移る。倒れ行くビルの内部で、テロリストたちが何かと戦っている。黒煙の中で、一瞬だけ電撃が見えた……そしてまた、爆発がビルの側面を吹き飛ばす。
最後の映像は悲惨だった。数名のブラックスーツがGMDを摂取して暴れ回っている。機動隊と変異者がぶつかるところで、ニュース映像は終わっていた。
「ある情報筋じゃ、ネクサスのリーダーが出ても収拾がつかない大混乱だったとか……めちゃくちゃだ。地元警察は蚊帳の外だよ」
どうやらもう、最悪は起きてしまった後のようだ。マーカスとクズハが潰し合うなんて、まさにグラニーツァの理想のシナリオ通りじゃないか。
「……お前、これを止めるために駆けずり回ってたのか」
「…………」
失敗した。むしろ動いて状況を悪くしたと言っても過言ではない。サプライヤーを死なせ、ディヴァイサーを動けなくした。敵の罠に飛び込んで勝手にボロボロになってるんだ、世話ない。
大失敗だ……ヒザにのせた左拳を握り締め、悔しさに耐える。甘すぎた。犯罪者共を、舐めてかかりすぎたのだ。それに加えて、スズシロの存在……。
「で、どうする」
昼食の鯖をパクパク口に運びながら、テツマキさんはこともなげに俺に尋ねてきた。まだ俺、動いていいのかな……そんな意味を込めて目を向けると、鉄の警官は真っ向から見返して来る。
「おい、諦めるなんて言うなよ? 私達だって本庁の連中に好き勝手されてるんだ。ここはネクサスに好き勝手されてるクラップロイドも情報を共有すべきだと思わないか?」
「えっと……」
「今日、なんで私がここに居られるかの理由を考えれば、私の胸中も少しは想像つくんじゃないか?」
そう言われれば、確かに……街でこれだけの大犯罪が起こっているのに、なんでテツマキさんは俺の家に居るんだ?
「え、なんでっスか?」
「……引っ込んでろと言われたんだ。足手まといだとな」
「……」
……どうやら、テツマキさんと俺は似たような境遇らしい。彼女は至極不満そうに鯖をバラバラにして、白飯をかき込んで食っている。
「我々はGMDの捜査だけしていろとよ。体のいい厄介払いじみてるが、他にやる人間が居ないからチームを動かすわけにもいかない」
「……体制って大変すね」
「だから辞表を叩きつけてきた」
「え?」
「返事は聞いてないから、もしかすると受け入れられてないかもな。だがそんなことは問題じゃない」
俺の困惑を全く意に介さず、彼女は俺の方を見つめてくる。め、目力が強い……。ていうか、辞表? え?
「問題は、テロリストなんぞに嘗められてるって事だ。人の命の将来を好き勝手に決めていい、秩序なんて知ったことかってな」
「じ、辞表って……」
「何人死んだかはまだ分かってない。だが、今判明してる限りでも10人は軽く超えてる。10人だぞ、堂本……多すぎる」
「……」
「バカみたいなしがらみで、死なせた人数だ……もう我慢ならん」
どうやらテツマキさんは本気のようだ……この人が本気じゃなかった時はないけど。
10人……10人の死。俺の失敗で死なせた人数だと考えると、いよいよ逃げも隠れもできない。やるしかない。
「……連中にさらわれたドクトリン・ブレーカーは、30人っす」
「……すまんが、そのドクトリン・ブレーカーから説明してくれ」
「分かりました」
どれだけ失敗したって、まだまだここからだ。俺も気合を入れ、飯を食うべく箸を掴んだ。
◆
深呼吸し、集中を深める。構えを取ったまま、30分が経過していた。
中庭。干されているソファのカバーが風にはためく。どうやらイコマ先生が洗濯してくれたようで、他にもモップや制服も洗濯ばさみで挟まれている。……本当に頭が上がらない。
拳を握り、ゆっくりと虚空へ打ち込む。出来る限り、記録されたスズシロの動きを追って咀嚼する。……アイツ、本当に練り上げられた実力者だ。落ち着いて鑑賞できる今なら分かる、相当に慣れていて、油断がない。
(なんでだ)
意味のない問いを頭に浮かべては、それを考えないようにする。悪党をやるのも、ヒーローをやるのも、人の事情ってものがある。俺がすべきことは一つ、グラニーツァを止めることだ。
だがマーカスはどうなったのか。ブリッツは、そしてクズハは……?
雑念を捨てなければ。さらに呼吸を深め、肌に感じる陽光すら遮断する。こうして意識の深みに到達すると分かる。いかに負傷の多いことだろうか。全身の傷のひとつひとつを、細胞が全力で治そうとしているのを感じる。
きっとスズシロは『この境地』にとっくに達していたのだろう。だから、俺の新しい傷もすぐに見抜いていた。他人の体の状態すら瞬時に把握するその集中は、いかほどの練度なのか想像もつかない。
「フゥー……」
まだ、深める必要がある。マーカス、ブリッツ、クズハ……頼りたいのはやまやまだが、今ある手札で戦わなければ。呼吸を継続しながら、頭の内側の雑念をひとつずつ潰してゆく。
スズシロ……グラニーツァの幹部、スィーニと呼ばれる冷たい女。あの話しぶりからして、アレクセイを切り捨てるのはかなり前から決まっていた既定路線のようだ。問題行動が目立っていたのだろう。
対して、アレクセイは絶対に切り捨てられるわけにはいかない。理想や夢などよりも、命がかかっているからだ。奴は5日後の最終取引を何としても完遂しようと画策しているはず。
それに対して、どう動けるか。まずは廃工場での取引を潰す。……恐らく2人で動くことになるだろう。テツマキさんには無理を強いるが、あの人はやわじゃない。
拳を突き出し、蹴り足を上げる。その場でアレクセイも取り押さえられれば良いが、グラニーツァの本部がどう動くか分からない。スズシロが介入してきた時に、俺はどこまでやれるのか……客観的に考える必要がある。
体勢を戻し、重心を足元に据える。……あの動き。素早すぎて、きっとシミュレーションは間に合わない。俺が自分で考えて闘う必要がある。
集中を解き、少し休憩する。この集中は思った以上に体力を消費する。できれば両腕で慣れて行きたいが、右腕はまだ完治していない……少しずつ、一歩ずつにしなければ。
その時、携帯が震えた。尻ポケットから取り出してそれを見ると、メールが来ていた。件名は『今話せますか』、文面は公園で待っているというもの。……差出人は、スズシロだ。一瞬面食らったが、しかしいかにも肝の据わった彼女がやりそうなことだ。
何が目的か、行ってみなければ分からない。俺は了承の意をメールで送り、立ち上がって全身を伸ばした。
◆
アワナミ自然公園につくと、子供たちが大勢遊んでいた。親が世間話に花を咲かせて、日の光の中で楽しそうに見える。だが、彼らの話題はやはりテロに関するもののようだ……聞いているだけで顔が暗くなる。
ベンチに座り、辺りを見回してスズシロを探していると、元気に遊び回る子供たちが目に入る。……なんだか、懐かしい。ほんの少し前には、俺もあんな感じだったのだろうか。父さんと母さんが別れる前なんてもう覚えていないが……少しだけ、これからも愛してくれる親が居る子供たちが羨ましくなる。
ふと、隣に気配を感じた。いつの間にか、いつものスキッパーシャツを着たスズシロが、俺の隣に座っていた。
「……元気そうですね」
「あぁ、久しぶり」
「ええ、昨日ぶりです」
木陰のベンチは静かなものだ。子供たちがきゃーきゃーと騒ぐ声が遠くに聞こえる。
「訊きたかったんだけど……スズシロってのは、偽名か?」
「いいえ、本名です」
「そうか」
ほっとした。流石にカモハシさんに嘘をついてたワケじゃなかったんだな……なんで俺がほっとしてるのか分からないけど、とにかくコイツとカモハシさんの友情に嘘はなかったわけだ。
「ミノ先輩に言わなかったんですね」
「言ってどうするんだよ……」
「言ったら、少なくともミノ先輩に私を警戒させられてました」
「……かもな」
回りくどい。けど、たぶん、少なくともコイツにはそれが相当効くのだろう。……本当に、面倒なつながりを持ってしまったものだ。
「スーツアップ、しないんですか」
「した方がいいのかな……」
「……それは、そうでしょう」
言いながら、俺達は2人、遊び回る子供たちを見つめる。奇妙な緊張に包まれた、しかし平和な時間だ。……平和なんて、そんな緊張の上にしか成り立っていないのかもしれないな。
「悪かったな。気を遣わせて」
「……別に。遣ってません」
「そうか」
「そうです」
俺をクラップロイドだと見抜いてからの時間は、スズシロにとって苦しいものだったハズだ。なのに、俺ときたら、『超人になったらどうする』なんて無神経な質問をしたりして……もっと鋭ければ、あの時点で気付けてたのかもしれない。
あるいは、スズシロはヒーローだ、なんて、コイツにとっては笑える話だったのかもしれない。
「私は、嬉しかったです。あんな風に肯定してもらえたのは……ミノ先輩と、2人目だったから」
「……まぬけだったよな、俺」
「……まあ、否定はしません」
ゆるゆると言葉を交わしていると、本当にいつもと変わらない会話のように感じてしまう。だが、どちらも分かっている。この先には、決して避けられない壁が存在しているのだと。
だからこそ、会話の進みはゆっくりなのだ。……どこかで、決意しなければならない。
「なんで幹部に? 空手が上手いからか?」
「……それは、順序が逆です。私は生まれた時から組織に心と体を捧げていますし、素手を鍛えるのはその一環でしかありません」
「ハーフっぽいもんな。家族に構成員が居るのか」
「父と母はどちらも、熱狂的なグラニーツァのメンバーでした」
なんだか息苦しい話だ。スズシロは冷たい横顔を崩さず、相変わらず彫像のように感情が読めない。
「人を殺すために鍛えられて、人を欺くために文化に溶け込もうとしました。日本の学校に通っていたのも、そのためです」
「……そこで、カモハシさんと出会ったのか」
「……あの人は……ずっと周囲から距離を取っていた私に、いつまでも心配したり、声をかけてきたり……遊びに誘ってきたり。本当に、鬱陶しいくらい優しい人です」
まあ、それは俺も身をもって体験した。なんでわざわざ気配を消そうとしてる俺に声をかけて来るのか分からなかったが、昔からそういう人だったなら納得もする。
スズシロは氷のような瞳で、じっと子供たちを見つめている。そして、口を開いた。
「……私が組織からのテストで両親を殺した時も、あの人だけは私の変化に気付いてました」
一瞬だけ、子供たちの喧騒が聞こえなくなる。そしてすぐに、体が感覚を取り戻す。テストとして親を殺させる組織……覚えがある。
「両親は喜んでました。私が銃の引き金を引いて、彼らの胸を撃ち抜いた時も笑ってました」
「……」
「2人の死体を裏山で処理して、家に帰ろうとしてた時に……ミノ先輩が、私を見つけたんです」
(((わ、泥だらけ!! アオちゃん、大丈夫……?)))
(((……な、泣きそうなの? 大丈夫だからね、私がついてるからね……)))
(((よしよし……大丈夫大丈夫。家、帰ろ? ついてってあげるから)))
「……虫がいい話かもしれませんが、あの人だけは巻き込みたくありません」
「……」
「お願いします。ミノ先輩は、こんな事に巻き込まないでください」
そうだ。コイツはずっと最初から、カモハシさんを巻き込むな、と警告していた。……こういう事だったのだ。
「……そう、だな。アイツは、こんな事知らなくていい」
「……ありがとうございます」
そこは、俺も同意見だ。テロリストとの抗争なんて、範囲が広がれば広がるほどに血を見ることになる。カモハシさんが死ぬ瞬間なんて、絶対に見たくない。
「けど、分かってるハズだ。こんな事続かない」
「……分かってます。これが終わったら、私はアワナミから消える」
歪んだ解決方法だ。だが、それはスズシロが望んで持った歪みじゃない。生まれながらに押し付けられた歪みだ。
(((こんな力!! 欲しくなかった!)))
俺の脳裏で、ディヴァイサーの言葉が木霊する。アイツも、特異なパワーを持って生まれたことで、家族を失ってしまった。
そして俺は力を持って慢心し、大切な人を死なせた。
……俺達は皆、歪んだ生き物なのかもしれない。木陰の向こうで遊ぶ子供たちには、絶対になれない人種なのだろう。
「……アレクセイは、今から5日後、工業地区の廃工場で最終的な取引に入ります」
スズシロは強いて無感情に、その情報を俺に伝える。その口調は、スィーニとしての彼女を想起させる。
「彼はグラニーツァからも切り捨て命令が出ています。先輩が止めたところで、本部から狙われることにはなりません」
「……ネクサス達は?」
「マーカスはクズハと相打ちのような形になり、治療中との情報が入っています。どちらの復帰も、5日後には間に合わないでしょう」
やっぱり最悪が起きていたのだ……。頭を失った自警団組織と、スパイできないスパイ組織はどちらも手を貸してもらえないと思った方がいいだろう。
どうにかするしかない。こうなったのは、俺の責任なのだから。
「……お前は、これでいいのか」
「いいのか、って?」
「スィーニとしての顔を捨てて、普通にスズシロとして生きていけないのか?」
「……組織は裏切り者を許しません。まず殺すのは、故郷の近しい人間から……私が残れば、ミノ先輩が狙われます」
それは、『スズシロがどうしたいか』じゃなく、『どうすべきか』の話でしかなかった。だが、結局それが、俺達の力の限界だった。
「……ごめん」
「なんで先輩が……謝るんですか」
「……」
俺は弱い……こんなに力不足を痛感したことはない。もっと、グラニーツァを跳ねのけるくらいに強ければ。カモハシさんとスズシロの小さな幸せを守れるくらいに強ければ……。
「……助けてくれたよな。あの時、エレベーターに叩き込んでさ」
「……」
「それだけじゃない。スズシロとカモハシさんはずっと助けてくれてた。活動へのアドバイスとか、俺をリンチから守ってくれたりとか」
俺にできることは、本当に小さい。できるお返しなんてたかが知れてる。でも、それでも。
「俺の意見は変わらない。ヒーローはガワじゃない」
「……」
「だから、俺にできるのは、誰かのヒーローを助けるってことだけだ」
スズシロが居ない間、カモハシさんは絶対に守り切る。いつか、スズシロが笑って帰って来れるようになる、その日まで。
「お前もいつか、必ず助ける」
「……そうですか」
「ああ。絶対だ」
強くならなくては。俺はベンチから立ち上がり、木陰から歩いて出ていく。
「……無理、しないでください」
「ああ。お前もな」
そうして、スィーニとクラップロイドは別れた。
家には誰もいなかった。幸いなことに、イコマ先生も、テツマキさんも居ない。血を廊下にまき散らしながら医療セットを取り出し、傷の縫合を始めた。
チキさんには頼れない。スズシロが……スズシロが敵だと、ネクサスに教える必要が出てきてしまう。俺は相当に混乱していた。パラサイトに治療を一任しながら、頭の中は取っ散らかっていた。激痛と、敗北と、スズシロのことが渦巻いていた。
「なんでだ」
何度もつぶやいた。でも、俺の記憶は変わらなかった。パラサイトが記録した映像を何度見ても、そこに映っているのはスズシロだった。彫刻のような冷たい顔と、青い瞳は間違いようがない。
ソファを血まみれにして、ようやく治療は終わっていた。だが俺は落ち着けなかった。ネクサスとSACを止める手段は無くなったのだ。ディヴァイサーの貢献も無駄にした。ディヴァイサー……アイツになんて言えばいい? 俺と仲の良かった後輩は、お前の家族を殺したのと同じテロリストでしたって?
血が足りない。血を作らなければ。冷蔵庫に抱き着き、必死に開いて中身を取り出す。調理済みの冷凍ハンバーグがある……解凍しようとしてやりきれなくなり、そのまま袋を逆向けて口の中に全部放り込む。
ガリゴリと噛み、飲み込んで急いで水場に駆ける。いくらか吐いて、ようやく頭がすっきりし始めた。……スズシロは、敵なのだ。
操り人形のようにぎくしゃくした動きで、血まみれのソファに腰かけてテレビをつける。情報だ。再起しなければ。俺はまだ、死んでない。死んでいなければやりようはある。
グラニーツァのアジトでの火事は全くニュースになっていない。一体あれは何だったのか……あのおかげで助かったが、原因が分からなければ素直に喜べない。
チキさんの血入りカプセルを飲むと、ほんの少しだけ体がマシになる。抉られた脇腹の痛みが和らぎ、思考が前向きになり始める。
「……シマヨシさん……」
マントラじみて呟き、目を瞑る。今は耐えなければ。俺はクラップロイド。まだやれる。まだやれる、ハズだ。
徐々に全身が発熱を始めた。どうやら雑菌が体内に入ってしまったようだ。前向きな思考がつんのめり、溶けて、視線が定まらなくなってくる。
目の前に描いたシマヨシさんの幻影が、ニヤニヤと笑うコラプターに変わる。そして瞳を狂気に燃やすアレクセイに変わり、最後に青い目のスズシロが現れる。
思い切り床に吐き、ソファから立ち上って抗生物質を取り込もうと棚を探る。だが、床はグンニャリと歪み、俺の足を掴んで引き倒して来た。
ああ、だめだ。全て歪んで見えてきた。床で熱に喘ぎながら、嘔吐と吐血を繰り返す。とても、寒い。毛布が必要だ。ベッドは2階か……階段を這って上ろうとして、誰かに足を掴まれた。
見れば、1階の床がたくさんの手になって、俺の足を掴んで引きずり込もうとしていた。たくさんの手のはざまからは、見たことのある目、目、目。どれも俺を恨みがましく見つめている。
「俺のせいじゃない」
「「「キミのせいだよ」」」
「俺は悪くない」
「「「どうしてアオちゃんが……」」」
「まだアイツを助けられるはずだ」
「「「だが、僕は死んだ」」」
「やめてくれ、許してくれ……お願いです、許してください……」
「「「俺達はもうとっくに何もできない」」」
自分が何を言っているのかも分からず、ぼそぼそと許しを請う。俺を掴んだ手は、力強く俺を抱え上げ、2階のベッドに叩き込んで抑えつけてきた。
「やめろ……俺は……」
「クソ、イコマ急げ! かなりヤバい状態だ、この馬鹿……!」
「俺……俺……」
「いいから!! じっとしてろ!!」
その人物は、携帯で電話しながら、俺を片腕で抑えつけてくる。すごい力だ……あるいは、俺が弱いのかもしれない。
「行かないと……」
その言葉を最後に、胸を抑えつけられた俺は意識を闇の中に沈めてしまった。
◆
目を覚ました時、目の前には見知った天井が広がっていた。……俺の家だ。
上体を起こすと、家の中は妙にすっきりと片付き、血の痕もなくピカピカになっていた。居間ではテレビの音が騒がしい。リビングでは、かちゃかちゃと食器を動かす音がする。
全身を見ると、いつの間にかパジャマに着替え、ちゃんと処置がなされていた。どうやら時間帯は昼間のようで、燦燦とさしこむ陽光が窓枠で照り返す。
「……」
痛みをこらえて起き上がり、階段を苦労して降りる。そして1階につき、リビングを見ると、イコマ先生が忙しそうに食材を刻んだり、フライパンを取り出したりしていた。
「これ賞味期限切れてる……もー、捨てなさいって言っ、てるの、に……」
動作の途中で俺が見ていることに気付いたイコマ先生は、数秒間固まる。対する俺も固まっている。頭の中では俺はとっくに死んでいて、いま見ている光景は天国と地獄のどちらか、脳内議論が沸き起こっていたからだ。
だが、直後に思いっきりタックルするように抱き着かれて、全身の痛みで確信した。俺は生きてる。
「……先生、痛いっす……」
とりあえずそう言って、体を離そうとして抱き着かれてをしばらく繰り返した。テレビを見ていたテツマキさんに呆れられて引き剥がされるまでそれが続いた。
◆
「グラニーツァね」
先生にはさめざめと泣かれ、しばらくして落ち着いてから、俺は事情を説明していた。こういう時に場をしめる要員としてテツマキさんが居てくれると本当に助かる。
「どうりで、テレビでずいぶん騒がれてると思ったよ」
「知らなかったんすか」
「本庁から別働隊が来ていた。連中、任務は黙っていたがな」
「……ていうか、テレビで? 騒がれてる?」
「見てみろ」
気に食わなそうにテツマキさんがテレビを指し示すと、そこでは大騒ぎになっていた。
いくつもビルに車が突っ込み、爆発を起こすシーンが撮影されている。どんどん傾いて行くビルのガラスが粉砕され、路上にまき散らされるのが見える。
次いで、映像が別の場所に移る。倒れ行くビルの内部で、テロリストたちが何かと戦っている。黒煙の中で、一瞬だけ電撃が見えた……そしてまた、爆発がビルの側面を吹き飛ばす。
最後の映像は悲惨だった。数名のブラックスーツがGMDを摂取して暴れ回っている。機動隊と変異者がぶつかるところで、ニュース映像は終わっていた。
「ある情報筋じゃ、ネクサスのリーダーが出ても収拾がつかない大混乱だったとか……めちゃくちゃだ。地元警察は蚊帳の外だよ」
どうやらもう、最悪は起きてしまった後のようだ。マーカスとクズハが潰し合うなんて、まさにグラニーツァの理想のシナリオ通りじゃないか。
「……お前、これを止めるために駆けずり回ってたのか」
「…………」
失敗した。むしろ動いて状況を悪くしたと言っても過言ではない。サプライヤーを死なせ、ディヴァイサーを動けなくした。敵の罠に飛び込んで勝手にボロボロになってるんだ、世話ない。
大失敗だ……ヒザにのせた左拳を握り締め、悔しさに耐える。甘すぎた。犯罪者共を、舐めてかかりすぎたのだ。それに加えて、スズシロの存在……。
「で、どうする」
昼食の鯖をパクパク口に運びながら、テツマキさんはこともなげに俺に尋ねてきた。まだ俺、動いていいのかな……そんな意味を込めて目を向けると、鉄の警官は真っ向から見返して来る。
「おい、諦めるなんて言うなよ? 私達だって本庁の連中に好き勝手されてるんだ。ここはネクサスに好き勝手されてるクラップロイドも情報を共有すべきだと思わないか?」
「えっと……」
「今日、なんで私がここに居られるかの理由を考えれば、私の胸中も少しは想像つくんじゃないか?」
そう言われれば、確かに……街でこれだけの大犯罪が起こっているのに、なんでテツマキさんは俺の家に居るんだ?
「え、なんでっスか?」
「……引っ込んでろと言われたんだ。足手まといだとな」
「……」
……どうやら、テツマキさんと俺は似たような境遇らしい。彼女は至極不満そうに鯖をバラバラにして、白飯をかき込んで食っている。
「我々はGMDの捜査だけしていろとよ。体のいい厄介払いじみてるが、他にやる人間が居ないからチームを動かすわけにもいかない」
「……体制って大変すね」
「だから辞表を叩きつけてきた」
「え?」
「返事は聞いてないから、もしかすると受け入れられてないかもな。だがそんなことは問題じゃない」
俺の困惑を全く意に介さず、彼女は俺の方を見つめてくる。め、目力が強い……。ていうか、辞表? え?
「問題は、テロリストなんぞに嘗められてるって事だ。人の命の将来を好き勝手に決めていい、秩序なんて知ったことかってな」
「じ、辞表って……」
「何人死んだかはまだ分かってない。だが、今判明してる限りでも10人は軽く超えてる。10人だぞ、堂本……多すぎる」
「……」
「バカみたいなしがらみで、死なせた人数だ……もう我慢ならん」
どうやらテツマキさんは本気のようだ……この人が本気じゃなかった時はないけど。
10人……10人の死。俺の失敗で死なせた人数だと考えると、いよいよ逃げも隠れもできない。やるしかない。
「……連中にさらわれたドクトリン・ブレーカーは、30人っす」
「……すまんが、そのドクトリン・ブレーカーから説明してくれ」
「分かりました」
どれだけ失敗したって、まだまだここからだ。俺も気合を入れ、飯を食うべく箸を掴んだ。
◆
深呼吸し、集中を深める。構えを取ったまま、30分が経過していた。
中庭。干されているソファのカバーが風にはためく。どうやらイコマ先生が洗濯してくれたようで、他にもモップや制服も洗濯ばさみで挟まれている。……本当に頭が上がらない。
拳を握り、ゆっくりと虚空へ打ち込む。出来る限り、記録されたスズシロの動きを追って咀嚼する。……アイツ、本当に練り上げられた実力者だ。落ち着いて鑑賞できる今なら分かる、相当に慣れていて、油断がない。
(なんでだ)
意味のない問いを頭に浮かべては、それを考えないようにする。悪党をやるのも、ヒーローをやるのも、人の事情ってものがある。俺がすべきことは一つ、グラニーツァを止めることだ。
だがマーカスはどうなったのか。ブリッツは、そしてクズハは……?
雑念を捨てなければ。さらに呼吸を深め、肌に感じる陽光すら遮断する。こうして意識の深みに到達すると分かる。いかに負傷の多いことだろうか。全身の傷のひとつひとつを、細胞が全力で治そうとしているのを感じる。
きっとスズシロは『この境地』にとっくに達していたのだろう。だから、俺の新しい傷もすぐに見抜いていた。他人の体の状態すら瞬時に把握するその集中は、いかほどの練度なのか想像もつかない。
「フゥー……」
まだ、深める必要がある。マーカス、ブリッツ、クズハ……頼りたいのはやまやまだが、今ある手札で戦わなければ。呼吸を継続しながら、頭の内側の雑念をひとつずつ潰してゆく。
スズシロ……グラニーツァの幹部、スィーニと呼ばれる冷たい女。あの話しぶりからして、アレクセイを切り捨てるのはかなり前から決まっていた既定路線のようだ。問題行動が目立っていたのだろう。
対して、アレクセイは絶対に切り捨てられるわけにはいかない。理想や夢などよりも、命がかかっているからだ。奴は5日後の最終取引を何としても完遂しようと画策しているはず。
それに対して、どう動けるか。まずは廃工場での取引を潰す。……恐らく2人で動くことになるだろう。テツマキさんには無理を強いるが、あの人はやわじゃない。
拳を突き出し、蹴り足を上げる。その場でアレクセイも取り押さえられれば良いが、グラニーツァの本部がどう動くか分からない。スズシロが介入してきた時に、俺はどこまでやれるのか……客観的に考える必要がある。
体勢を戻し、重心を足元に据える。……あの動き。素早すぎて、きっとシミュレーションは間に合わない。俺が自分で考えて闘う必要がある。
集中を解き、少し休憩する。この集中は思った以上に体力を消費する。できれば両腕で慣れて行きたいが、右腕はまだ完治していない……少しずつ、一歩ずつにしなければ。
その時、携帯が震えた。尻ポケットから取り出してそれを見ると、メールが来ていた。件名は『今話せますか』、文面は公園で待っているというもの。……差出人は、スズシロだ。一瞬面食らったが、しかしいかにも肝の据わった彼女がやりそうなことだ。
何が目的か、行ってみなければ分からない。俺は了承の意をメールで送り、立ち上がって全身を伸ばした。
◆
アワナミ自然公園につくと、子供たちが大勢遊んでいた。親が世間話に花を咲かせて、日の光の中で楽しそうに見える。だが、彼らの話題はやはりテロに関するもののようだ……聞いているだけで顔が暗くなる。
ベンチに座り、辺りを見回してスズシロを探していると、元気に遊び回る子供たちが目に入る。……なんだか、懐かしい。ほんの少し前には、俺もあんな感じだったのだろうか。父さんと母さんが別れる前なんてもう覚えていないが……少しだけ、これからも愛してくれる親が居る子供たちが羨ましくなる。
ふと、隣に気配を感じた。いつの間にか、いつものスキッパーシャツを着たスズシロが、俺の隣に座っていた。
「……元気そうですね」
「あぁ、久しぶり」
「ええ、昨日ぶりです」
木陰のベンチは静かなものだ。子供たちがきゃーきゃーと騒ぐ声が遠くに聞こえる。
「訊きたかったんだけど……スズシロってのは、偽名か?」
「いいえ、本名です」
「そうか」
ほっとした。流石にカモハシさんに嘘をついてたワケじゃなかったんだな……なんで俺がほっとしてるのか分からないけど、とにかくコイツとカモハシさんの友情に嘘はなかったわけだ。
「ミノ先輩に言わなかったんですね」
「言ってどうするんだよ……」
「言ったら、少なくともミノ先輩に私を警戒させられてました」
「……かもな」
回りくどい。けど、たぶん、少なくともコイツにはそれが相当効くのだろう。……本当に、面倒なつながりを持ってしまったものだ。
「スーツアップ、しないんですか」
「した方がいいのかな……」
「……それは、そうでしょう」
言いながら、俺達は2人、遊び回る子供たちを見つめる。奇妙な緊張に包まれた、しかし平和な時間だ。……平和なんて、そんな緊張の上にしか成り立っていないのかもしれないな。
「悪かったな。気を遣わせて」
「……別に。遣ってません」
「そうか」
「そうです」
俺をクラップロイドだと見抜いてからの時間は、スズシロにとって苦しいものだったハズだ。なのに、俺ときたら、『超人になったらどうする』なんて無神経な質問をしたりして……もっと鋭ければ、あの時点で気付けてたのかもしれない。
あるいは、スズシロはヒーローだ、なんて、コイツにとっては笑える話だったのかもしれない。
「私は、嬉しかったです。あんな風に肯定してもらえたのは……ミノ先輩と、2人目だったから」
「……まぬけだったよな、俺」
「……まあ、否定はしません」
ゆるゆると言葉を交わしていると、本当にいつもと変わらない会話のように感じてしまう。だが、どちらも分かっている。この先には、決して避けられない壁が存在しているのだと。
だからこそ、会話の進みはゆっくりなのだ。……どこかで、決意しなければならない。
「なんで幹部に? 空手が上手いからか?」
「……それは、順序が逆です。私は生まれた時から組織に心と体を捧げていますし、素手を鍛えるのはその一環でしかありません」
「ハーフっぽいもんな。家族に構成員が居るのか」
「父と母はどちらも、熱狂的なグラニーツァのメンバーでした」
なんだか息苦しい話だ。スズシロは冷たい横顔を崩さず、相変わらず彫像のように感情が読めない。
「人を殺すために鍛えられて、人を欺くために文化に溶け込もうとしました。日本の学校に通っていたのも、そのためです」
「……そこで、カモハシさんと出会ったのか」
「……あの人は……ずっと周囲から距離を取っていた私に、いつまでも心配したり、声をかけてきたり……遊びに誘ってきたり。本当に、鬱陶しいくらい優しい人です」
まあ、それは俺も身をもって体験した。なんでわざわざ気配を消そうとしてる俺に声をかけて来るのか分からなかったが、昔からそういう人だったなら納得もする。
スズシロは氷のような瞳で、じっと子供たちを見つめている。そして、口を開いた。
「……私が組織からのテストで両親を殺した時も、あの人だけは私の変化に気付いてました」
一瞬だけ、子供たちの喧騒が聞こえなくなる。そしてすぐに、体が感覚を取り戻す。テストとして親を殺させる組織……覚えがある。
「両親は喜んでました。私が銃の引き金を引いて、彼らの胸を撃ち抜いた時も笑ってました」
「……」
「2人の死体を裏山で処理して、家に帰ろうとしてた時に……ミノ先輩が、私を見つけたんです」
(((わ、泥だらけ!! アオちゃん、大丈夫……?)))
(((……な、泣きそうなの? 大丈夫だからね、私がついてるからね……)))
(((よしよし……大丈夫大丈夫。家、帰ろ? ついてってあげるから)))
「……虫がいい話かもしれませんが、あの人だけは巻き込みたくありません」
「……」
「お願いします。ミノ先輩は、こんな事に巻き込まないでください」
そうだ。コイツはずっと最初から、カモハシさんを巻き込むな、と警告していた。……こういう事だったのだ。
「……そう、だな。アイツは、こんな事知らなくていい」
「……ありがとうございます」
そこは、俺も同意見だ。テロリストとの抗争なんて、範囲が広がれば広がるほどに血を見ることになる。カモハシさんが死ぬ瞬間なんて、絶対に見たくない。
「けど、分かってるハズだ。こんな事続かない」
「……分かってます。これが終わったら、私はアワナミから消える」
歪んだ解決方法だ。だが、それはスズシロが望んで持った歪みじゃない。生まれながらに押し付けられた歪みだ。
(((こんな力!! 欲しくなかった!)))
俺の脳裏で、ディヴァイサーの言葉が木霊する。アイツも、特異なパワーを持って生まれたことで、家族を失ってしまった。
そして俺は力を持って慢心し、大切な人を死なせた。
……俺達は皆、歪んだ生き物なのかもしれない。木陰の向こうで遊ぶ子供たちには、絶対になれない人種なのだろう。
「……アレクセイは、今から5日後、工業地区の廃工場で最終的な取引に入ります」
スズシロは強いて無感情に、その情報を俺に伝える。その口調は、スィーニとしての彼女を想起させる。
「彼はグラニーツァからも切り捨て命令が出ています。先輩が止めたところで、本部から狙われることにはなりません」
「……ネクサス達は?」
「マーカスはクズハと相打ちのような形になり、治療中との情報が入っています。どちらの復帰も、5日後には間に合わないでしょう」
やっぱり最悪が起きていたのだ……。頭を失った自警団組織と、スパイできないスパイ組織はどちらも手を貸してもらえないと思った方がいいだろう。
どうにかするしかない。こうなったのは、俺の責任なのだから。
「……お前は、これでいいのか」
「いいのか、って?」
「スィーニとしての顔を捨てて、普通にスズシロとして生きていけないのか?」
「……組織は裏切り者を許しません。まず殺すのは、故郷の近しい人間から……私が残れば、ミノ先輩が狙われます」
それは、『スズシロがどうしたいか』じゃなく、『どうすべきか』の話でしかなかった。だが、結局それが、俺達の力の限界だった。
「……ごめん」
「なんで先輩が……謝るんですか」
「……」
俺は弱い……こんなに力不足を痛感したことはない。もっと、グラニーツァを跳ねのけるくらいに強ければ。カモハシさんとスズシロの小さな幸せを守れるくらいに強ければ……。
「……助けてくれたよな。あの時、エレベーターに叩き込んでさ」
「……」
「それだけじゃない。スズシロとカモハシさんはずっと助けてくれてた。活動へのアドバイスとか、俺をリンチから守ってくれたりとか」
俺にできることは、本当に小さい。できるお返しなんてたかが知れてる。でも、それでも。
「俺の意見は変わらない。ヒーローはガワじゃない」
「……」
「だから、俺にできるのは、誰かのヒーローを助けるってことだけだ」
スズシロが居ない間、カモハシさんは絶対に守り切る。いつか、スズシロが笑って帰って来れるようになる、その日まで。
「お前もいつか、必ず助ける」
「……そうですか」
「ああ。絶対だ」
強くならなくては。俺はベンチから立ち上がり、木陰から歩いて出ていく。
「……無理、しないでください」
「ああ。お前もな」
そうして、スィーニとクラップロイドは別れた。
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