クラップロイド

しいたけのこ

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歪んだ生物

弱み

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 起きた時、また鎖骨の辺りに点滴の管が付いているのに気付く。そして体中に包帯が巻かれているのを見て、状況を理解する。助けられたのだ。

「あ……お、おはよ……」
「……チキさん」

 灰色の病室の中、血色の悪い少女が、白衣の余ったすそを引きずりながら忙しく動き回っている。

「助けてもらったみたいで……ありがとうございます」
「フヘ……ちょっと、いま、忙しくて……まだディヴァイサーちゃん、安定してない……」
「ウロサキが?」

 驚いて起き上がろうとして、全身の痛みで怯む。まだ目が覚めただけで、限界の体という現状は変わっていないようだ。

「む、無茶しすぎ……ちょっと寝てて……手が回んないから……」
「お、俺……アイツ、大丈夫なんですか」
「分かんない……な、何とかすっからよ……」

 ぱたぱた走っていき、彼女は部屋から出て行く。一人になり、俺は枕に頭を預けて現状の整理に努める。

「……パラサイト、今何時だ」
(ハローワールド。おはようございます、ご主人様。現在時刻は17時28分)

 窓から見える空は夕暮れ時だ。まだ『明日』は来ていない。チャンスは潰えていないのだ。

 ベッドから降り、点滴スタンドにすがって歩き出す。フラフラするが、歩けないわけではない。上々だ。

(ロイドモードを維持する場合、2分以内に給油が必要。また、電波を遮断されたことで市内の監視システムへの接続を失っています)
「なら急がないとな……」

 やはりGMDの供給ラインは連中にとって相当脆弱な情報源なのだ。だからこそ、グラニーツァのオールバック男は俺達を殺すつもりで来ていたに違いない。それをしくじった今、かなり追い詰められているハズだ。追うなら今しかない。

 それに、本当ならGMDを受け取った瞬間にサプライヤーを殺せば面倒が無かったハズ。そうしなかった理由があるのだ。たとえば、一度の接触で十分な量のGMDは確保できていない、とか。あのサプライヤーは別の組織にも重宝されている、とか……。

 なんにせよ、休んでいるわけにはいかない。目に見えた敵のミス、つけいるチャンスだ。


 杖のように点滴スタンドをつき、部屋から出る。もう少しだ。体が少しずつ慣れ始めている。灰色の廊下を酔っぱらったような足取りで歩き、窓枠に寄っかかるように短い休憩を取る。

 その時、廊下脇の扉が開き、額の汗を余り袖で拭きながらチキさんが現れた。

「ふぃー、しんどかっ……ん? ど、ドーっち……? トイレ?」
「お疲れ様です……いや、そろそろ退院しようかと」
「フヘ……ば、馬鹿も休み休み言った方が面白い……え、マジ?」
「マジっす……」

 入退院を繰り返して、チキさんへの負担はすごい事になっているだろう。本当に申し訳ないが、それでも行かなければ。

「……ディヴァイサー、平気そうですか」
「う、うん……安定、した……」
「そう、すか……」

 助かったのなら、それ以上のことはない。俺もアイツも死ぬほど殴り合ったが、死んでほしかったわけじゃない。

「……アイツに、伝えてもらえますか。お前のおかげで死なずに済んだって」
「うぇ……わ、わかった……」

 息をするだけで痛む全身。冷や汗をかきながらしばらく目を瞑り、そしてまた目を開く。アイツの分も、俺は負けるわけにはいかない……

 と思っていると、チキさんが出てきた部屋からドタンと音がした。思わずチキさんと目を合わせ、1も2もなく部屋に突入する。


 俺が居た部屋と同じような灰色一色の部屋だったが、しかし違うのはものものしい器具が並んでいることだ。そのどれもが、数字やグラフを示している。

 その器具から伸びる、あまたのチューブに繋がれたウロサキ……彼女はベッドから転げ落ち、這いずるようにドアへ進もうとしている。

「ば……馬鹿っ」

 チキさんは大慌てでウロサキのそばに屈みこみ、血色の悪い顔をこわばらせて彼女の体を持ち上げ、ベッドへと連れ戻す。そして外れたチューブを彼女の体へとつけ直し始めた。


 俺は呆然とそれを見ていたが、やがて我に返り、ベッドのそばへ歩いて行く。ウロサキは器具に繋ぎ直されながら、ベッドのフレームを音が鳴るほど握り込み、また動こうとしている。

「た、頼み申す……ほんとに死ぬ……動こうとするのもNG……こ、これ以上やったら麻酔で無理やり眠らせる……」

 チキさんは辛そうにぜえぜえ言いながらウロサキの動きを拘束している。ウロサキは歯を食いしばり、全力で動こうとしているが、覗き込む俺を見てふと力を抜いた。

「……」
「……」

 奇妙な沈黙があった。ウロサキは人工呼吸器を取り付けられながら、様々な感情の混じった目で俺を見ている。そして、俺の懐に手をかざした。

 懐の中、携帯が震えるのを感じて取り出す。そこには一通、メールが来ていた。

『連中のリーダーにシグナル弾付着済み』

 文面を見て、ウロサキに目を戻す。彼女は弱弱しくうなずくと、また携帯に掌を向ける。

『どうせあの情報も嘘じゃないんでしょ 明日までに何とかしたいなら急いで』

 ……場数が違うもんだなぁ。頭をかき、俺はまた覚悟を決め直す。やるしか、ない。

「……ありがとな、ヒーロー」

 『やっぱりムカつく』と書かれたメールを受け取り、俺は病室から歩いて出て行く。そしてスーツアップした。





 負傷が、大きすぎる。チキさんのアジトから数分ロイドモードで過ごして、俺は痛感していた。

 もはや全身の傷は動くだけで開きかける。いくつの弾丸に抉られたか分からない。実際、いくつかの傷は開き、アーマーから足元にじんわりと染み出して血の足跡を作っている。

 携帯にテツマキさんのメールが送られてきたのを確認すると、やはりサプライヤーの死亡を知らせるものだった。謝罪を送信し、シグナル弾の追跡に集中する。


 裏路地を辿り、できるだけ人目に付かないように移動を続ける。時折ぼやける視界を、首を振ってハッキリさせ、とうとう壁にすがって立ち止まる。

『……視界が滲むんだけど、給油したよな、俺……』
(血が足りません。ロイドモードの補助機能で、ようやく一般人程度の活動ができています)
『あぁ、クソ』

 苦しい局面だが、しかしようやくチャンスが巡ってきたのだ。本当ならネクサスに任せておきたいが、連中は絶対にクズハとの衝突を避けられないだろう。

 できるだけ情報を集めて、うまいこと撤収。スニークがある程度できて、データ収集もパラサイトがお達者なのだから、適任は俺なのだろう。


 そんな事を考えながら歩いていると、やがてシグナルの発信源に到着した。どうやらガレージのようで、地上に3階分ほどのこじんまりとした建物が立っている。

 内部をエックス線の視界で透視してみると、多種多様な車やバイクが、今も整備されている。……見たところ、どれも違法に改造されたものばかりだ。

 そして最も恐ろしいのは、その地下……東京ドームがまるごと入るんじゃないかというような広範囲に、まるで蟻の巣じみていくつも部屋が配置されているのだ。

 ブラックスーツ隊や他のロシア人が、傷の治療をしていたり、銃を手入れしているのが見える。相当数が詰めているようで、音波を視覚化した視界はせわしない。


『……スニークモードで、潜入する』
(了解、スニークモード)

 覚悟を決め、装甲の薄いスニークモードに変身する。この状態でフルメタルジャケット弾を撃たれれば、もはやアーマーは気休め程度にしかならないだろう。だが、どっちにしろ同じだ。一発食らえば死ぬ。

 そうして、俺はロシア人の地下シェルターへと足を踏み入れた。





 ……潜入して分かったことだが、地下の部屋はどうやらある程度の数に分かれた部隊が所有しているらしい。ブラックスーツ隊がナイフを研いでいたり、銃弾を確認していたり……ラジオを聞いていたり、冷蔵庫の酒を数えていたりする。


 通気口を左腕だけで這って移動しながら、俺は必死に情報収集をしていた。全身から垂れる血をグリスのように利用し、アーマーとダクトが擦れる音を最小限に抑える。

 連中は本気で核戦争を起こす気らしい。娯楽室のような施設や巨大食堂まで地下に収めているあたり、地上に居住不可になった時に地下でやり過ごすつもりなのだろう。イカレてる。

「なんか血の臭いしないか?」
「いっつもだろ」

 食堂で飯を食べているブラックスーツ隊が、鼻を上向けて不審がる。だが彼の同僚はうんざりしたように、ペースト状の食糧をつっついてぼやく。自動翻訳機能で会話を聞きながら、俺は必死に這って移動している。

「アレクセイは本気でドクトリン・ブレーカーを売りさばくつもりだと思うか?」
「あのイカレ野郎はいつでも本気だろ」
「おい、誰が聞いてるか分からないんだぞ」

 ふと、気になる話題が聞こえて動きを止める。格子から覗き込み、机に向かって飯を食う彼らを見つめる。

「俺達がグラニーツァから切り捨てられそうって噂、聞いたか」
「アレクセイが急進的すぎるって? 聞いたよ、5年も前からずっと聞いてる」
「今日はとうとう本部からスィーニが来るんだとよ。いよいよ俺達も寿命じゃねえか?」
「ブリッツやらマーカスやら、大物を呼び寄せちまったもんだよな……」

 どうやら世知辛い事情があるようだ。悪党やるのも楽じゃないらしい。

「ドクトリン・ブレーカーを1人2人くらい貰って逃げねえか? そうすりゃ楽だろ」
「馬鹿が、逃げた後どうするんだ。グラニーツァは裏切り者を許さないのを知ってるだろ」
「どうせ切り捨てられりゃ死ぬ! 分かってんだろ?」
「……さあな。どっちにしろ、ドクトリン・ブレーカーの居場所なんて分からねえだろ。アレクセイは隠してる」
「なんだ、お前知らねえのか」
「何を?」


 ……気になる会話だ。耳をデカくして聞いていると、彼らはとんでもない事を言い出した。

「スィーニが来るってことで、本部にドクトリン・ブレーカーの居場所のデータを渡さなきゃならないんだ。今、どっかの部屋にあるハズだぞ」
「マジか!」

 マジか!? 一瞬で視界のぼやけが消え去り、心臓がバクバクと鳴り始める。どどどどドチャンスじゃないの!?


「あの新入り女にも知らせてねえハズだ。アレクセイはだいぶ疑ってたからな」
「クズハか? アジア人だが、良いヤツだろ。セクシーだし」
「言ったろ? アレクセイはイカレてやがるんだよ。誰にも心を許してねえ」

 クズハ……この情報を持っていないのか、あるいは確定してない情報を俺に伝えるのをためらったのか。いずれにせよ、俺達(SACとネクサスと俺)はお互いを信用できてないな。

 だがこの際もうどうでもいい! こんな情報を手に入れたなら、じっとしてる意味はない。さっさと捜索を開始して……


「チャースチ」


 その時、身も心もすくみ上がるような冷たい声が聞こえた。一瞬で3℃ほど下がる気温。食堂のブラックスーツ2人は慌てて立ち上がり、敬礼の恰好を取る。

「あ……アレクセイ様!」
「いらっしゃるとは思いませんでした! お許しください!」
「気を緩めるな」

 男性の声だ。殺気に満ち満ちた、恐ろしさを感じさせる声である。どうやらブラックスーツたちにとっても恐ろしい存在らしく、彼らは敬礼したまま冷や汗を流している。

 少しだけ身を乗り出し、ダクトから声の正体を確かめる……やはりあのオールバックの男だった。彼は上品な佇まいで、2人を交互に見る。

「誰がきみたちの会話を聞いているか分からんからな。資本主義者は何処にでも現れる」
「は……はい!」
「申し訳ありませんでした!」
「良いのだよ。休息も必要だ……ところでイリーチ君、祖国のガールフレンドは元気かね?」
「!! は、げ、元気……です……」

 声をかけられた男は、真っ青になって黙り込む。成程……奴らの異常なまでの忠誠心は『脅し』によって成り立っている部分もあるって事か。ごろつきをまとめ上げるなんてのは、一筋縄じゃいかないらしい。


「彼女の健康のためにも、気張りたまえよ」
「「は! グラニーツァのために!」」

 ……もし俺が悪党だったら、絶対にグラニーツァには入らないね。滝のように冷や汗を流す2人は、まさに戦々恐々といった具合だ。つられて俺までしんどくなってくる。


 アレクセイと呼ばれたオールバック男は、うんうんと頷いたのち、急にダクトの方に視線を飛ばしてきた。

『!!』

 素早く体を引っ込め、視線から逃れる。バレたか? いや、呼吸の音ひとつさせてはいなかったハズ。

 熱源探知モードでしばらく様子を見ていると、アレクセイはようやく警戒を解き、2人に向き直った。

「……たまには通気口を掃除しなければな。2人に頼めるかね?」
「はっ! おまかせを!」
「では、頼んだ」

 血も凍るような存在感はそこから離れてゆく。残された兵士2人は胸を撫で下ろし、腰を抜かしたように椅子に座り込む。

「ダクト掃除ね」
「言ったろ? イカれてる」


 そんな会話を背後に、俺はまた這って移動を再開していた。アレクセイという男の追跡をしていれば、いつかはドクトリン・ブレーカーの居場所を掴めるだろう。

(アレクセイという男、かなり苛立っている様子です。心拍、血圧、体温から見て、ストレスレベルは尋常ではありません)
『……マジで追い詰められてるって事だな』

 聞いたところ、グラニーツァ内部でも『アレクセイ派閥』は切り捨てられそうな立場らしい。急進派か……母体の連中はもっと温厚なのかな……いやそれはないか。

 それに加えて、グラニーツァ本部からの『スィーニ』という派遣。推し量ることしかできないが、いま、アレクセイの心中は穏やかではないはずだ。ざまあない。


 アレクセイの歩きに追従して這っていると、いつしか巨大な倉庫のような場所に入った。いくつも並んだ棚には、大量の箱が納められている。エックス線で箱内部を確認すると、どうやら紙の資料が入っているようだ。

 彼はあたりを神経質そうに見回した後、倉庫の壁を押し込む。そして手元を隠し、何かを高速で入力した。

『……』
(暗号パネルのようです。アルゴリズム把握)
『助かる』

 数秒後、壁がプシュリと音を立てて開き、ドアじみて内側に開いてゆく。オールバックの頭は念を入れるように辺りを見回し、静かに壁の向こうへ入っていった。数秒後、壁は元通りに嵌り直す。

 成程、秘密の部屋に入室ってワケか。いよいよ本命が待ち受けていそうだ。一層気合を入れ、ダクトの格子をこじ開けて飛び降りる。


 そして先ほどのアレクセイと同じように壁を押し込む。すると、手元に操作パネルが現れた。

『よし、パラサイト。解除頼む』
(お任せください)

 左手が高速で動き、操作パネル上に現れた図形を複雑にしてゆく。何十角形になったか分からないところで、ようやく先ほどと同じように壁が開いた。


 奥には蛍光灯が途切れつつも続いており、廊下が伸びている。左右に部屋は見えず、突き当りには上り階段がある。


 踏み込んだ俺の背後で、壁が戻ってゆく。見上げると、どうやら上の階の一室にアレクセイは入ってゆくようだ。

 隠れ場所も何もないが、追わないわけにはいかない。ホラー作品で手記を残しつつ真相に迫る人物の気持ちで、俺も階段を上ってゆく。

 殺風景な1階に反して、2階はきらびやかだった。まるで客室じみており、シャンデリアやソファ、深紅のカーペットが豪華だ。

 ドアがひとつだけ見える。その向こう、アレクセイの存在を示す熱源が動いている。俺は扉のすぐ傍に寄り、聴覚を拡張して内部の様子を探る。


(((……)))

 奴は椅子に座り、動かないが……PCを操作する音が聞こえる。どうやら大切なデータを扱っているようで、時折その手を止めて、何事か熟考する様子が見受けられる。

 チャンスか。身を屈め、ドアを突き破るために力を溜める。アレクセイを抑え込むのに5秒も要らないだろう。PCのデータを確保し、アレクセイを人質にここから脱出……まあ、計画っぽく聞こえるから良い方だな。

 もし死んだらクズハにフォローしてもらおう。そう思い、念のためペットボトルからガソリンを摂取し、集中を深めてゆく。いよいよ膂力を爆発させようとしたその時、扉の向こうで動きがあった。


 なんと、熱源がひとつ、地上からまっすぐ部屋めがけて降りてきたのだ。一瞬パニックになったが、この動きには覚えがあった。エレベーターだ。


『クソ……』

 小声で毒づく。エレベーターはすぐに到着するだろう。1人ならやれるが、2人はキツイ。苦戦している間にPCのデータを消されれば犬死にが待っている。もう少し様子を見る必要がある。


 じりじりしながら次の動きを待っていると、エレベーターが止まり、乗っていた熱源が部屋に入ってくるのが見えた。アレクセイは立ち上がり、嬉しそうな声を上げる。


(((やあやあ、よく来てくれた同志スィーニ。何か飲むかね? 祖国のワインでも?)))
(((必要ない)))


『……?』


 妙に聞き覚えのある声が聞こえ、胸の内がざわついた。この声……何処かで?


(((同志アレクセイ。今回の勝手な活動に対する弁解を聞いてやる)))
(((活動、とは?)))
(((ドクトリン・ブレーカーの誘拐、GMDの取引、そしてそのサプライヤー殺害。どれも目立ちすぎだ)))


 違う。そんなハズがない。声を聞くたびに確信に変わってゆく疑念を、どうにか誤魔化そうとする。だが……だけど、そんな。


(((すべて、グラニーツァの理想のため)))
(((グラニーツァの理想の何を知る。貴様はこれまで有用だったが、もはや組織の為にならない。私がここで貴様を切り捨てない理由があるか?)))
(((ここに、ドクトリン・ブレーカーの居場所のデータがある)))


 ぐちゃぐちゃになった頭を必死に整理し、情報を手に入れようと集中する。だが、集中すればするほど、アイツの顔が浮かぶ。俺は、どうしたらいい。


(((これまでさらってきた30人を、売りさばく……数億ドルはくだらないだろう)))
(((それで?)))
(((そうすれば、本部は我々を切り捨てないだろう。我々こそが英雄となる)))
(((夢物語だな。ネクサスにまで目を付けられておいて、まだ目が覚めないか)))
(((ネクサスなど、どんな脅威になりうる? ネズミはもう捕まえたぞ)))


 その言葉を聞いた直後、ガチャリと扉が開いた。咄嗟に構えて部屋を見ると、大きな机に向かって座ったアレクセイと、その向かいに立っているのは……やはり……


『……スズ、シロ』
「……」

 スィーニと呼ばれていたその少女は、少しだけ驚いた目で俺を見る。だが、すぐに静かな表情に戻り、冷たい視線を送ってくる。

「私はクズハくんが情報の撒き餌にかかると思っていたが……この様子では、彼女はシロのようだな」
『撒き餌だと……?』
「ドクトリン・ブレーカーの居場所のデータがある、などと部下に漏らすと思うかね? 少し考えればわかる事だ。キミは罠にかかったのだよ、クラップロイド」

 ハメられた。クズハはこちらを信用していなかったのではなく、こちらを信用していたからこそ、この情報を俺に渡さなかったのだ。


 スズシロは無表情に、アレクセイに向けて言う。

「……それで、満身創痍の雑魚ひとり捕まえてネクサスを封じ込めたつもりか」
「いいや、スィーニ。私は敵の中で最も危険なのはこのクラップロイドだと考えているよ」


 バタン!! 階下でにわかに足音が多くなる。すぐに数名のブラックスーツが現れ、俺にアサルトライフルの銃口を向けて止まる。

 俺はもう、頭が真っ白だ。両手を挙げて降参すると、アレクセイは満足げに笑い、机から巨大な銃を取り出して向けてきた。

「キミをここで潰せて、私は安心している。ネクサスは体制を重視し、動きが硬直しがちだが……キミはそうではなかった。信念を持ち、確実に歩みを進めてきていた……実に危険な敵だったよ」

 終わりなのか。視線を走らせ、どこかに打破の糸口を探す。スズシロの表情は読めない。アイツは、一体、何者なんだ。

「さて、クラップロイドくん。そのアーマーを脱いでくれたまえ」
『……』
「どうした? 頼むよ」

 選択の余地はない。おそらくは脱いでも撃たれる。従えば、数秒は寿命が延びるだろうが……結局は同じことだ。

 ゆっくりと手を下げる時間が、まるで永遠のように感じられる。アーマー解除……その言葉を声にしようとしたとき、またしても爆音が響いた。


 遠くで何かが爆発したようだ。地下全体が鳴動し、音を立てて軋むのを感じる。ブラックスーツたちが怯んだのを直観で感じ取り、俺は思い切り跳躍した。


 宙を舞う俺を追った火線はしかし、掠りもしない。ブラックスーツの後ろに着地し、蹴りで吹き飛ばしてボーリングのピンのように他のブラックスーツも倒す。


 まだ負けてなどいない。そう思って構えた俺の肩が血を噴きだした。険しい顔のアレクセイが俺に銃口を向けている。

「往生際が悪いのも、危険要素だな」


 次々に撃たれる弾丸。しかし俺はアーマーに角度をつけ、火花を散らして1発ずつ銃弾を弾いてゆく。

 やり取りの中、天井に設置されたスプリンクラーが作動し、辺り一面に水が撒かれ始めた。どうやら施設内のどこかで火災が発生しているようだ。


 この地下で火災は地獄だぞ……さっさと脱出しなければならない。そう思った俺の眼前に、するりと人影が入り込んできた。

 それを脳が認識する前に、顎、みぞおち、腹部に3連撃を食らい、よろめいて後ずさる。スズシロ。彼女は冷たい表情のまま、更に連撃を繰り出す。


 全身の傷が開き切り、血が噴き出すのを感じながら、しかし俺は抗った。スズシロの腕を掴み、後ろへ投げ飛ばす。

 彼女は柔軟に体を回転させ、二本の足で着地。立ち位置を入れ替えつつ更に連撃を継続する。


 綺麗なキックを食らい、部屋の中へと吹っ飛ばされる。こちらが満身創痍とはいえ、あの動き……! 万全の状態でもどんな勝負になっていたか分からないレベルだ!


 流石はスズシロ、と考えかけて猛烈な違和感で止まる。コイツは……コイツは犯罪者になってしまったのか? カモハシさんの前で見せていたあの笑みは嘘だったのか? 俺は、コイツを止めなければならないのか?

 バァン! 銃声を聞き、反射的に腕を上げて銃弾を受ける。角度を付けきれず、貫通した銃弾が腕甲にめり込み、血が漏れる。


「チッ、流石にしぶといな」


 オールバックを水で濡らしながら、アレクセイは席から立ち上がり、ナイフと銃を構える。いよいよコイツも本腰を入れて俺を殺すつもりのようだ。


 アーマーの隙間から大量の血を漏らしながら、俺はしっかり立ち上がる。部屋の隅に追い込まれた……いや、エレベーターがまだある。パラサイトが視界に表示したミニマップを確認し、必死に希望を灯す。まだだ、まだやれる。


 スプリンクラーの水が止まらず、土砂降りの雨じみている。スズシロとアレクセイは円を描くように、俺の周囲を回って隙をうかがい……仕掛けてきた。


 まずアレクセイが来た。ナイフを振り上げ、獰猛に振り下ろして来る。左手で防御すると、たやすくアーマーを貫通され、手の甲から切っ先が飛び出した。


「フッ!!」


 そのまま壁に押し付けられ、もう一方の手で構えた銃を胴体へ何発も撃ち込まれる。アーマーが大きく抉れ、脇腹から血肉がこぼれて床に散る。

『カッ……ぎ……!』

 殺される。必死に左腕を振ってナイフを振り払い、膝蹴りで相手を突き放す。アレクセイが怯んだ隙をカバーし、スズシロが目の前に立って空手を振るう。


 一撃一撃はさばけない速度ではない。だが……反撃の腕が、振れない。スズシロを殴ろうとするたびに、コイツの心配そうな顔と、見たこともないカモハシさんの泣き顔が邪魔をしてくる。


『なんでだ』


 力なく呟いた俺のみぞおちに、正拳突きが叩き込まれた。人形のように両手足から力を失い、吹っ飛ばされて壁に叩きつけられる。

 それでも立ち上がろうとした俺の頭上で、ベルのような音が鳴った。見れば、俺の背中で圧し潰されたエレベーターのボタンがひび割れ、点滅していた。

 すぐにエレベーターのドアが閉まり、スズシロとアレクセイが見えなくなる。ゆっくりと地上へ上がってゆく箱の中、俺は呆然としていた。


 助かったのだ。嵐のような胸中を抱えたまま、全身から力が抜けるのを感じた。

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