クラップロイド

しいたけのこ

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黄泉の端

雨の中で

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「市民ホール解体に反対しまーす!」
「あら、大変ねえ」
「あ、市民ホールで普段何が行われてるか、ご存知ですか? 地域に根差した活動を……」
「ああはいはい、ごめんなさいね。忙しいから」
「……くっ」
(ファイトです、ご主人様!)



「チラシお願いしまーす! 市民ホールの保護に……」
「ちょっと、邪魔」
「あ、すみません……」
「チッ」
「……」
(……ファイトです、ご主人様!)


「はーおにぎり旨かった……ん? チラシ何処だ?」
「あ! 市民ホールマンだ! やーい、チラシ取ってやったぞ!」
「何ぃ!? コラ返しなさい……ってか市民ホールマンってなんだよ!?」
「こっちこっち、へへっ!」


「ご協力お願いしまーす! 市民ホールの……」
「ん? おぉタカ坊主、最近店に顔出してくれねえと思ったら、こんなとこで何してんだ?」
「あ、八百屋のおっちゃん。えっと……市民ホールが近々解体されるらしくて、それをとめるために……」
「市民ホールが? そうか……何か俺にできることがあるかい?」
「あ、それじゃここに署名を……あとこのポスターも店に貼ってほしいんだ」
「おっしゃ、任せとけ!」



「……今日は雨か」

 市民ホール保護活動に参加し、数日目。今日は学校があったため、放課後からいつも通り、市民ホール前の広場へ向かっていた。大がつくほどの雨であり、叩きつけるような雨粒で、人々はいつも以上に足早に通り過ぎる。

 大将さんと出会ってから毎日活動しているわけだが……やってみればわかる、根気のいる作業である。呼びかけても応えてくれる人は少なく、風が冷たくて屋内がすぐ恋しくなる。


 そして何より、俺は何をやっているんだという気分になってくる。中国マフィア『ジュウロン会』や、ロシアの犯罪組織『グラニーツァ』を補足し、叩き潰さなければならない義務があるというのに。

 もちろん、普段の犯罪を抑制していないわけではない。だがそれ以上に、俺には誓ったことが……


「あ? 何やってんだテメー」


 アッ、と思った時には遅かった。派手な金髪、耳にごてごてのピアス、きわど過ぎるホットパンツ。いつも俺をいじめている女子グループのリーダーギャル、キジョウ アカリがそこに居た。私服のコイツは初めて見たが、なんか派手さしかないな……。


 無視だ無視!! 俺は勇気のガン無視を繰り出した。まるでそこに何も居ないかのように振る舞い、目を他へ向け、今日も渡されたおにぎりをカッ食らう。カンケーないですよ!!

 と思った次の瞬間、俺の手のおにぎりを叩き落とそうと、マニキュアぺかぺかの手が伸びてきた。ギリギリでおにぎりを守り、怒りの視線を彼女へ向ける。


「んだコラ。テメー最近ナマイキなんだよ」


 キジョウは怒りに燃える視線を俺へぶつけてくる。んだコラはこっちの台詞なんだが? 無視してわざと大きな口を開け、おにぎりをぱっくり飲み込む。

 と思っていると、脛蹴りを放ってきた。俺は一歩退き、回避する。少し前まではこの境遇を受け入れていただろうが、ある人と境遇脱出の約束をしたのだ。小さな抵抗を積み重ねよう。

「邪魔するな。帰れ」
「あ゛ぁ?」

 正直ちょっと怖かったが、ロシアのテロ組織やアジアのマフィアファミリーに比すればどうってことない。てかなんでここに居るんだ、コイツ……。面倒すぎる。俺のこと好きなのかな……?(童貞)


「このッ」


 襟首を掴まれそうになるのを、拳で弾き返す。遅れて、彼女がさしていた傘が地面に落ちる。思わずクラップロイドとしての身のこなしを発動してしまった……。キジョウは手を抑え、信じられないものを見る目で俺を見ている。

 まあ、そりゃそうだ。俺はこれまで抵抗と呼べる何かをしてこなかった。いきなりこんなことをすれば、誰だって驚くだろう。


「……二度と俺に絡むな。邪魔もするんじゃない。家に帰れ」


 傘を拾い上げ、キジョウへ差し出す。派手ギャルはじっと俺を睨んでいたが、ひったくるように俺の手から傘を奪うと、俺に背を向けて駆けだした。

(そうです! やっちまえ! 追ってトドメを刺すんですご主人様! そこで飛び蹴り!!)
「いや、やめてくれ」

 一連のやり取りの最中、ずっと脳内で恐ろしいことを叫んでいたパラサイトをいさめ、俺はまた呼びかけ運動に戻る。


 雨が激しい。声を張り上げないと聞こえないほどだ。

 今朝、窓に叩き付ける雨粒の音を聞いた時は台風かと思っていたが、気象予報士はそうは言っていなかった。クラスの男子が、休みにならなかったのをぼやいていたものだ。

「パラサイト。この雨、いつ止むんだ」
(天気予報によると、向こう三日は雨が続くようです。洪水警報の時はお知らせいたします)
「助かる。……そうか、洪水しそうかぁ」

 ばちばちと鳴る傘の音を聞きながら、俺はまた声を張り上げる。市民ホールの解体に反対しまーす!!


 するとその時、隣に気配を感じた。チラリとそちらを見ると、灰色のスーツ姿の、眼鏡の男が立っていた。頬には刀傷のようなものがあり、明らかにカタギではない気配を、その糸目の奥から発している。

 彼は真っ黒な傘の下で、俺と細い目が合うとニッコリと笑った。仮面のような表情だ。

「えっと……市民ホールの解体に反対でーす! お話聞いて行かれますか?」
「市民ホール? 反対運動か。エラいねえ、ボク」
「ぼ、ぼく……」

 ガキ扱いされすぎじゃないかね。複雑な心境だったが、まぁ話が通じる人種で良かった。カタギじゃない人間は大抵日本語すら通じないからね。

「私は別の用事でねェ。こちらに金髪の美しいお嬢さんが走って来なかったかい? 派手なカッコウだったから、目に留まらないってコトはないと思うんだがねェ」
「あー……」

 おそらくはキジョウのことだ。……素直に話していいのかな。目の前の糸目男がまとう雰囲気は不穏で、恐ろし気なものだ。

「なんスか、人探しスか? 交番とかの方が適任だと思いますよ」
「いやいや、そこまで大したことではない。ただねェ、複雑な事情で、家出をしてしまったようなんだ。大事になる前に見つけたくてねェ」
「あー……」

 家出か。アイツ、家の中でもあんなド派手な恰好でうろついてるのか。家が違えば、常識から違うものだ。

「いや、俺は見てないっスね。心配なら早めに警察に連絡したらどうスか?」


 と、言おうとした。精確には、「俺は見てないっス」までを言えた。次の瞬間、俺の肩には手が置かれていた。


「……!!」
「嘘じゃないだろうね?」


 それは、締め上げるような力ではない。だが俺はその圧力におののいた。歴戦の戦士しか放てない圧。テツマキさんやスズシロ、クズハやマーカスでさんざん味わった圧だ。それを、コイツが放っている。

「……いや、マジです。知らないっスね。ほら、あそこのおまわりさんとかなら知ってるんじゃないスか? 呼びましょうか?」
「……いいや、いい。そうか、お邪魔したねェ」


 逃れるために咄嗟に道の向こうを指さすと、彼は首を振って俺から離れた。やっぱりカタギじゃない。俺から離れてゆくその手に、小指がないのだ。

「見つかったらいいすね」
「ああ、どうも」

 彼は足早にその場を離れて行った。……警察の気配をチラつかせた途端にこの反応。キジョウとはあまり良い関係ではないのかもしれない。


 助けが要るかも。俺はそう考え、行動を起こすことにした。

「パラサイト。今の男より先にキジョウを見つけたい。可能かな」
(今、市内の監視カメラシステムに接続しています。……最も新しいのは、アワナミ自然公園付近のカメラ映像)
「よし、行くぞ」

 俺は雨に紛れ、追跡を開始した。





 俺がキジョウを見つけた時には、既に夕暮れが近くなっていた。公園の近くのベンチに座り、傘もささずにびしょ濡れになっている。いかにも、私傷付いています、といった風体だ。

「……」

 面倒極まりないな。アイツにどうやって「お前は今、ヤクザっぽい危険人物に狙われていますよ」と伝えようか。物陰に隠れたまま、俺は沈思黙考する。こうしているうちにも、あの糸目男は近くに来ているかもしれない。

「……誰か、アイツと仲良くて俺とも仲いいヤツ居たっけ……伝言で伝えてくれないかな……説得して、どっかに逃げ込むとか……」
(居られません)
「直球だよなぁ……」

 パラサイトの無情な結果表示に悲哀を感じながら、俺は必死に考える。あの糸目男は本当になんなんだ。あんなヤクザとキジョウに何か関係があるのか、それともアイツは何かの事件に巻き込まれてしまったのか。

 そこまで考え、ふと閃く。そうだ、クラップロイドとして彼女の前に出ればいいんじゃないか?

「パラサイト、スーツアップできるか?」
(それは勿論可能です。オイル・フルチャージ。30分の継戦能力)
「よし、スーツアップだ!」
(了解、スーツアップ)

 途端に銀色の甲殻類じみた装甲に包まれ、俺は物陰から歩み出る。人通りも少なく、見た人も「ああ、また居る」みたいな感じで通り過ぎて行ってくれる。たぶんコスプレだと思われてる。


 そのまま歩き、キジョウの前に立つと、彼女はゆっくりと顔を上げた。そして、またゆっくりと、目を見開いた。どうやら普通に驚いているようだ。

「あ……アンタ、くらっぷ……」
『えっと……どうも、クラップロイドです』
「……何の用。アタシ、面倒は御免なんだけど」
『い、いやぁ、その。何か困ったことはないかい? クラップロイドが解決してあげよう!』

 こんな台詞他の奴にも言ったことないぞ。俺だったら不審者認定してすみやかに通報する。

 だがキジョウはそうしなかった。疲れたように笑うと、アイシャドーの溶け切った顔をそらし、鼻をすする。……なんだか、本当にただならぬ事情がありそうに思えてきた。

『……その、言ってみて気が楽になるかもしれないし。俺って世間一般からすると不審者で、他に話が漏れることもないから、気楽に話してみたらどうだ?』

 なんで俺をいじめてるギャルにここまで気を使っているのか。……まぁ、シマヨシさんやテツマキさんならこうするだろうし、しょうがない。

「アンタ、道端でベンチに座ってるヤツ全員にこうやって話しかけてんの?」
『ははは……今日は雨だし、せめて傘をさしてくれてたら違ったかもな』
「変なヤツ」

 そうですね。

「……オヤジとババアがウザくてさ。いつもに増して鬱陶しくて、飛び出してきちゃった」

 いつにも、あるいはいつもにも、という語が正しい気もするが……まぁコイツはイコマ先生の授業を真面目に受けてなんていないだろうしな。

『家出?』
「うん。家出。よくあるっしょ、そんなの」
『あぁ、まあ……ただの家出ならよくあるな。でも本当にそれだけか?』
「……」

 本当にそれだけなら、あんなコワモテの糸目男が追っかけて来るものだろうか? 何かコイツには隠し事がある気がする。何か、大きな隠し事だ。

 それを裏付けるように、キジョウは黙り込んだ。その目は俺を見ていない。地面を、その下をずっと見ている。

「……アタシ……」

 彼女が何か言おうとしたその時、ざしざしと足音が近づいてきた。その存在は誰かと通話しながら、無遠慮に空間に割り込んでくる。


「ああ、もしもし。……ええ、見つけました。これから連れて帰ります」


 あの糸目男だ。いささか濡れた面積の増えた灰色スーツからハンカチを取り出し、傘の柄を拭いながら、俺を睨みつけてくる。もう来たのか、早い到着だ。

 キジョウはびっくりしたように目を見開き、震え始めた。その唇が紫色なのは、寒いせいだけじゃないだろう。


「シュウ……! アンタ、なんで……」
「困りますよ、こんな事をされては。さあ帰りましょう」

 うんざりだ、という口調でシュウと呼ばれた糸目男が手を差し出す。キジョウはいっそう震え、怯えるように自分の体を抱く。

 シュウはますます面倒そうな表情になり、舌打ちして続ける。

「今ならオヤジ殿もそこまで怒ってないそうです。さあ、早く」
『待て』

 事情はよく分からないが、こんな場面を見過ごしていてはあの世でテツマキさんにマウントパンチを食らう。根性を見せる時だ。

『この子が嫌がっているだろう。一方的すぎるぞ、そのオヤジさんも交えてちゃんと話し合うべきだ』
「貴様がしゃしゃり出る場面ではないんだよ、クラップロイド」
『俺がしゃしゃり出るタイミングはいつだって俺が決める。お前じゃない』

 この家出事変は、すでに俺の中でリッパな『事件』になっている。解決しなければならない目標である。

『この子は嫌がってる。怯えてすら居るんだ。明らかにカタギじゃない人間に誘拐じみて連れて行かれるのを、俺が指をくわえて見てるとでも思ってるのか』
「……良いんですか、『お嬢』? これを知って、オヤジ殿が何と言うか」

 その時、聞きなれない呼称が糸目男の口から飛び出した。オジョー? ……って何だ? オダギリジョーの略?

「今なら、何もなかった、気の迷いだった、で帰れます。ですが、ここで一戦、俺とクラップロイドが交えるとなると……親分に報告しなければならない。あなたとコイツが密会していた、とね。今なら間に合うんですよ」
「……!!」

 オジョーでもオダギリジョーでもなく、キジョウはもっと激しく震え始める。そしてやおら立ち上がると、シュウと呼ばれた男の方へと歩いて行った。

 さっきまでとは態度が違いすぎる。困惑しながらも、しかし俺も引き下がるわけにはいかない。

『ちょ、ちょっと待て! どうしたんだいきなり、どういう事だ?』
「貴様が知る必要はない。家族の問題だよ」

 親分。お嬢。オヤジ。家族。いくら鈍い俺でも、徐々に問題の輪郭が見え始めた。

『……お前、ヤクザの娘なのか?』
「ちちち、そこらのヤクザと一緒にしないでほしいねェ。彼女のお父上は大鯨会直系、アワナミ組の組長。海鬼 戒蔵だ」


 なぜか灰色スーツの方が得意気に答え、キジョウの方は真っ白な顔のままである。



 ウミキ カイゾウ。一般人だったころの俺でも聞いたことがあるくらいのビッグネームだ。ここ、アワナミ市に昔から根付くヤクザ組織、アワナミ組の組長である。外国の犯罪組織との抗争がたびたび問題視される武闘派の組だ。



「さ、帰りますよお嬢。風邪を引いたら怒られるのは俺です」
「……」


 シュウはキジョウに傘をさすと、共に歩き始めた。介入したいが、しかしキジョウの肩身が狭くなる。なにより、ここでおっぱじめれば、周りを巻き込んでの大きな戦闘となることは想像にかたくない。



 俺は結局、離れてゆくシュウと、震えるキジョウの背中を見つめる事しか出来なかった。


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