クラップロイド

しいたけのこ

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歪んだ生物

電撃的

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 俺の突きだした右拳と、牛の怪物が繰り出したパンチが衝突! 衝撃波が白い発泡トレーを数個吹き飛ばす!

 あまりの膂力差にのけぞった俺目掛け、怪物のすさまじい蹴りが迫る! 俺は素早く跳躍、後退しながら躱し、鮮魚コーナーのショーケースの上へと飛び乗る!


『買い物するなら デパート カワナベ 買い物するなら……ザザッ、緊急放送です。店内の皆さまは今すぐ避難してください。繰り返します、緊急放送……』


 あらかじめ録音されていたデータが放送され始め、慌てた客たちが我先にと出入口へ殺到する。紫色の空気をまとった人物は……人ごみの中へ消えてしまっている。だが体格のデータは入手した、次は逃がさない。

 それよりも、今は。


「フシューーーッ、フシューーーーーーッ……!!」


 牛の怪物は四つん這いになり、今やひづめと化した掌で地面をかく。危険な構えだ。このままぶつかればただではすまないだろう。

 だが俺の後方にはまだ逃げおおせていない客たち、従業員が大勢いる。一瞬の逡巡を経て、俺は覚悟を決め、腰を落として力をためる。


 ダン!!! 牛の怪物が地面を蹴り、山の如き体でタックルをしかける! 俺もまたショーケースから跳躍し、怪物の腹部へと……


『おおぐっ!?』


 まるで軍艦に突っ込んだ小型ヨットじみて、俺の突撃はいとも簡単に跳ね返される! 空中に弾かれた俺の脚を掴み、怪物はお菓子コーナーの棚へと叩きつける!!


 背部アーマー越しに甚大な衝撃を食らい、俺は肺の中の空気をすべて吐き出す。そこへ怪物が足を振り上げ、トドメのストンプを振り下ろす!!


 破砕音!! ギリギリで転がって回避し、起き上がってもう一度距離を測り直す。

牛の怪物はにやりと悪意に満ちた笑みを浮かべ、俺を見下ろす。その全身からミチミチと筋肉の音がする。


(敵の筋肉量、なおも増大中。……どうやらあの薬は改良されているようです。底は未だに計り知れません)
『参るな……客は避難できてるか?』
(店内の客・従業員避難率、65%。パニックが発生しており、避難に遅れ有り)
『……』


「……クラップロイド……」


 不意に、牛の怪物が口を開いた。俺は拳を構え、油断せず相手を見つめる。

 牛の怪物の瞳には、理性と呼べる光はない。ただ、狂ったような熱と、そして憤怒が見えるのみ。……憤怒。俺に向けられる覚えはない……。


「クラップロイド。クラップロイド、クラップロイド……! 英雄願望の屑……! お前は社会が生み出した歪みだ!」
『……なんだか耳が痛い』
(最適な反撃を各種ご用意できますが)
『ヤツの弱点を探ってくれ。それと、俺と面識がある相手かどうかも……』
「お前を殺す! 全部殺す! あのムカつく上司も、お前の後に殺してやる!!」
『……いや、やっぱり面識は無いかも……』


 闇が深そうだ。つつかない方がいいのかもしれない。


 ともかく、止めるしかない。俺は気合を入れなおし、敵に向かい合う。真正面から力でぶつかり合って勝てる相手ではない。……ならば、技術で何とかするのみ。


 怪物の方も、怒りを体奥にしまい込み、更に膨張を続ける筋肉に殺意を乗せる。殺意。慣れない相手だ。きっと一生慣れることはない。


「ぶち殺してやる……ぶち壊してやる!!」
『来い!!』
「オォア!!」


 怪物が吼え、爆発的な瞬発力で薙ぎ払うように蹴る! 一歩遅れれば下半身をミキサーのように潰されていたであろう一撃を、ギリギリの反射跳躍で躱す!!


(いや……高い)


 躱したものの、俺は空中でクロスガードの姿勢を取った。そう、跳躍が高すぎる。これでは一撃を躱せても、次の一撃を躱すことが


 ドパァン!! クロスガードを突き抜ける衝撃に、ピンボールじみて弾き飛ばされる! 怪物はパンチを振りぬいた姿勢で、反動に身を震わせている。


 俺は床を跳ねながらなんとか受け身を取るが、勢いを殺しきれず、壁に打ち付けられて止まった。右腕の火傷の鈍い痛みがぶり返し、思わずうめき声を上げる。


すぐ隣では、腰を抜かした子供が悲鳴を上げ、母親がそれを庇うように抱き込む。怪物は容赦なく迫って来る。



「大丈夫マー君!?」
「こわいよぉ、こわいよぉぉぉ」
『クソッ、大丈夫だからね……! ママさん、従業員用の出入り口だ! そこから逃げてください!』
「は、はい!!」


 何とか時間を稼がねば。母子が這う這うの体で出入口の扉を押し開くのを横目に、俺はネックスプリングで跳ね起き、もう一度拳を構える。怪物がドシリドシリと歩み寄ってくる。


「やはり英雄願望の屑。偽善者。お前は殺されて当然のゴミ屑だ」
『手厳しいね……大人しく殺されるつもりはないぞ』
「ヒーロー面を!!!! やめろ!!!!」


 とんでもない圧が飛び来たり、びりびりと空気が震える。だが俺も負けるわけにはいかない。皆が逃げる時間を稼がなければならない。何度でも立ち上がり、戦うのみ。



 ドシン!! 怪物は一歩踏み込み、俺の腹部目がけた前蹴りを繰り出す! 身を翻して躱せば、代わりに蹴りを受けた壁が粉砕され、薄暗い従業員スペースがあらわになる。


 俺は固く握りしめた左拳を……床へ叩きつける! ヒビが広がり、破片が飛び散る!!


「ハッ、血迷ったか!」


 吼えるように笑い、怪物はかかと落としで俺の頭蓋骨を叩き潰そうとする! それを間一髪で躱すと、俺は拳を握り締め、もう一度床へパンチを叩き込む!



 バガァッ! 床が割れ、黒々とした送電線が現れる。俺は腕を突っ込み、電線を千切り……


「させるか!!」


 背中を掴まれ、強大な力で投げられる! 菓子棚、インスタントラーメン棚、調味料棚をそれぞれなぎ倒し、俺は床に転がった。


 パラパラと商品が転がる中、咳き込みながら起き上がれば、怪物が突進してきているところだ。咄嗟の抵抗じみて両手を上げたが、それを巻き込んで俺の体はぐしゃりと圧力に負け、はね飛ばされて天井に叩きつけられた。


『ッガッハ……!!』


 ヘルメットの内側で吐血し、顔をゆがめかけた俺は、直後に素早く体を丸めた。


 一瞬後、丸まった空中の俺に、怪物の回転蹴りが直撃した。背中からの衝撃にエビ反りになりながら、凄まじい勢いで吹き飛び、デパートの壁を突き破って表通りへと落下する。


 アスファルトの上でバウンドし、どしゃりと投げ出される肢体。一瞬意識を失っていた俺は、なんとか死の淵から意識をすくい上げ、まだ肉体が動くことを確認する。


『ご……ゴホッ、ゴッホッ、ゲホッ、ア゛……』


 全身が痛すぎる。正直言って死んだ方がマシなレベルの激痛だ。特に右腕の火傷の傷痕がどんどん痛みをぶり返してきている。痛み止めが切れたのだ。それに加え、この衝撃……!


 避難で出て来た客たちが落ちて来た俺を見、悲鳴を上げて反対方向へ逃げ出す。通りを走っていた車や無関係の人々も、俺を見て指さし、何事かささやき合ったり、急ブレーキで事故を起こす車もある。

 人ごみの中に一瞬、カモハシさんと、スズシロが見えた。……カモハシさんは心配そうな顔で、アーマーを着ている俺をすら助けようと、歩み寄ろうとしていた。だが、スズシロはそんな彼女の手首をつかみ、俺を一瞥すると、反対方向へと駆けだす。


 ドシン!! 巨大な質量が落ちて来た音がした。見れば、牛の怪物が、全身から湯気を上げながら、俺を追ってデパートから飛び出したところだった。


「トドメだ、クラップロイド。お前は所詮何もできないクズだ。目立ちたがりの偽善者め」
『……』


 好き勝手言ってくれるものだ。……だが、あの一瞬で『充電』できた。


 前回の戦いで、何も学ばなかったわけじゃない。『電気は心強い味方になってくれる』……そう。いつだって、使い方を間違えさえしなければ……!!


 俺は両拳に青いパルス電撃を迸らせ、怪物と向き合った。あの一瞬。デパートの送電線を切った瞬間、漏れ出た電流を俺のアーマーは確かに吸収した。今はまだ、吸収量の限界は微々たるもの。だが!!


「死ね!!」
『ここだ……!!』


 大振りな拳の攻撃が、俺の頬を……捉える直前。俺は一歩踏み込み、怪物のゴツゴツした腕に沿うように躱した。怪物が目を見開く。シュリシュリシュリ。音を鳴らすのはヤツの腕と擦れた俺の体だ。


 バチチチィ!! 拳が電流を迸らせる! その拳を、怪物の脇腹へ目掛け、突き込む!!


「グワガアアアアアア!?」


 ヂリヂリヂリヂリィ!! 怪物の体表を青い電撃が走る! 痙攣する怪物は、スタンし、よろめいて後ずさる!! このチャンス、逃がすわけにはいかない!!


 更に一歩詰め、拳を引く! 残る電力量、拳2発分! 上等!!


 怪物の太ももを殴りつけ、電撃を流し込む! 怪物は耐え切れず、ドシリと全体重を膝に乗せる。頭が殴りやすい位置に降りてくる。好機!


 右腕を全力で引き絞り、狙いを定める……火傷の痛みがぶり返す。だが歯を食いしばり、もう一度だけ体に喝を入れる。


『食らえ……!!』


 怪物が呻き、腕を上げて防御しようとする。だが、俺の拳は、防御を貫いて怪物の頭を叩きつけた!


 バチィ!! 怪物は弾かれ、道路に叩きつけられるように倒れる。俺も全身の力をことごとく使い果たし、膝をつく。


 右腕はもう限界だ。万力で締め付けられるような痛み、焼きごてを押し付けられるかのような熱。冷たい汗が止まらない。

(オイルエンプティ、オイルエンプティ)
『……分かってる……』


 いつもの息苦しさが襲ってくる。ギリギリの勝利だったのだ。確実に敵は手ごわくなっている。薬が進化している……。

 生物改造事件の裏に居る黒幕は、どうやら一筋縄ではいかないようだ。薬を適当な人物に渡すだけではなく、恐らく「経過を観察」し、改良を重ねている。前回はすぐに変身解除されていたのに、今回はクラップロイドとしての活動限界時間にまで追い込まれている……。



 とにもかくにも対象を捕縛しなければ。俺は腕を抑えながら立ち上がり、チェーンでも探そうとし……首を掴まれ、吊り上げられた。

「く、ラァァァァップ……ロイドォォォ!!」

 牛の怪物が、道路から起き上がりながら、俺の首を締め上げている。山のような肉体は脈動しながら、二本の脚で辛うじて立ち上がる。


『しまっ、た……』


 倒し切れていなかったのだ。怪物の目は怒りと殺意に歪み果て、筋肉はなおも膨れ上がる。


(オイルエンプティ、オイルエンプティ、オイルエンプティ)


 締め上げられる首のアーマーがみしみしと音をたてる。ヤツの幹じみた手首を繰り返し殴りつけるが、効いている様子はない。いや、むしろ憤怒を煽っているようで、更に力がこもる……!

『ア、が、ハ、……』

 息ができない。視界が狭くなる。人々が怯えているのが見える。怪物は吼え、トドメの膂力を……


「遅くなったな」


 ドドウ。俺を掴んでいる腕が揺れた。同時に締め上げていた力が失われ、俺は地面に落ちて咳き込む。


 咄嗟に息を吸い込み、顔を上げた俺の目の前で、深碧のミリタリージャケットがひるがえった。


「ここまでよく持ちこたえた、小僧キッド。後は任せて置け」


 どこかで見たことのある横顔。傷のある頬。筋骨隆々で傷まみれの腕が、ジャケットの袖を突き破るようにして伸びている。


 目元をマスクで隠した彼は、よろめく怪物を前に、腕を組んで仁王立ちした。そして大声で宣言した。


「この現場は『ネクサス』のリーダーであるこの俺、『マーカス』が請け負った!!」


 大音声に、アスファルトが震え、道端のタクシーのフロントガラスがカタカタと音を鳴らす。『ネクサス』のリーダー。それはつまり、世界を股にかける自警団組織のリーダーであるという事……つまり、この男は。


「ネクサス……?!」


 怪物は訝しんでいたが、やがて怒りを思い出し、拳を固める。かなり消耗しているようだが、その体奥の闘志は消えぬどころか燃え盛っている……薬の効果も、いよいよピークのようだ。山のような肉体は、はち切れんばかりに膨れ上がる!!

 対して、マーカスと名乗った男は、ゴキリゴキリと首を鳴らすと、後は余計とばかりに怪物を手招きした。その構えから全く恐れは感じられない。俺は後ろでそれを見ながら、膝をついて咳き込んでいる。



 怪物が吼え、拳を突きだす。マーカスはするりとそれを躱し、ド、ド、ド、と怪物のみぞおちへ3発叩き込んだ。息を呑むほど無駄のない、洗練された動きだ。それでいて、筋肉に深々とめり込むほどの威力。

「お、ご……!?」


 怪物はよろめき、後ずさる。マーカスはゆるりと踏み込み、怪物の腹部に両拳を押し当てた。ドパァン! 何かが破裂したような音が鳴り響いた。


 怪物は数歩あとずさり、信じられないものを見る目でマーカスを見つめる。やがて、山のような肉体は、ゆっくりと仰向けに沈んでいった。



 4発。たったの4発で怪物を倒し切ったこの男は、懐から太い縄を取り出すと、気絶した怪物を流れるように縛り上げる。そして、俺を振り向く。


「……無事か」
『あ、ああ……はい、え? はい』


 遠くからサイレンの音が近づいてくる。俺が素で動揺しながら返事をすると、マーカスは頷き、俺の肩を力強くポン、と叩いた。


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