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歪んだ生物
生物改造事件 4件目
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家に帰ると、既にイコマ先生の姿は無かった。机には書き置きが残してあり、「今日は遅くなりそうなので先に帰らせてもらいます。冷蔵庫にごはんの作り置きがあるからね」とあった。時計を見れば、既に日付が変わってかなり経つ。
誰も居ないリビングはやけに広々と感じられる。パラサイトは作業の容量を事件の整理に充てており、俺に積極的に話しかけては来ない。
俺は右腕の電熱火傷に氷袋を押し当てながら、静かな空間の中で椅子に座りこむ。そして気を紛らわせるためにテレビを点けると、椅子に座って天井を見上げた。
(ハッ、今度は死ぬまで殴ってやる!)
(死ねェ!!)
脳裏では、先ほど潜り抜けてきた死線が何度もリピートされる。死が一寸外をかすめる感覚。当然と言えば当然の話だが、悪党と戦うとなれば、あちらは毎度こちらを殺すつもりで掛かってくる。
対して、俺は相手を殺すつもりはない。あくまで気絶、あるいは拘束狙いだ。
それは命のやり取りを行う中で、想像以上のハンディキャップだ。相手は遠慮ないが、俺は遠慮する。正直言ってかなり無理をしているというのが現状だ。
……だが、殺しを行えば、きっとシマヨシさんは喜ばない。それに警察相手に立ち回るのにも不利だろう。
『……ですからね、クラップロイドの自警団じみた活動を何処まで許容するか。これが今後の課題と言えるでしょうね』
ふとテレビを見れば、昼間に俺と怪人が戦った場所がクローズアップされ、破壊の痕跡が映し出されていた。専門家たちは難しい顔をして腕を組み、あるいは顎をさすり、意見をぶつけ合っている。
『先ほども言ったように、クラップロイドというのは怪人と一緒に暴れまわって被害を広げる、いわば悪質な「相乗り屋」のようなもんです。気が済むまで暴れれば、あとは適当なところで怪人をノして警察にポイ!』
『しかし、地元警察たちには感謝の声も多いとか。彼らが言うには、殺しはしないというのが、今のところそこらの悪党と彼を分ける線引きとなっているようです』
『それは今の都合ですよ! 今に見ていなさい。個人の理性などに乗っかった正義感は、もろく崩れるでしょう! その証拠に、スコーピオンズとかいう犯罪者集団の首領は、ヤツと戦ったばかりに死んだそうじゃないですか!』
どうやら、世間では俺がスコーピオンズの首魁を殺したことになっているようだ。
耳が痛い。確かに、スコーピオンズのリーダー『コラプター』と戦った際の映像などはない。ゆえに、ヤツがどう死んだかを立証できるのは、今のところ状況証拠のみなのだ。
――クラリス・コーポレーションは……真っ黒だぜ――
『今回は世界的な自警団NGO、“ネクサス”の一員であるマーカスさんをお招きしています。どうもマーカスさん』
『ええ、どうも。今回はお招きいただきありがとうございます』
『早速ですがマーカスさん、今回アワナミ市で話題の自警団活動について……』
ふと、物思いに沈みかけた俺は意識をテレビへ向けた。テレビには、上等なスーツに窮屈そうに身を包み、重苦しい雰囲気でカメラを見つめる男の姿があった。
彼はどう見てもカタギではなさそうな傷が頬に付いているし、どう見てもカタギではなさそうな耳たぶの欠けがある。目元を申し訳程度にマスクで覆っているが、意味があるのか……?
それにしてもパンパンの筋肉だ。身動きすればボタンが弾けそうなレベルである。
「……ネクサス?」
(犯罪防止NGO団体、ネクサス。ニューヨークに本拠地を構える巨大な組織です。アメリカ、日本、中国、ロシアなどの企業が出資しており、……)
リモコンでテレビの音量を上げる。静かなリビングに音が満ちる。ああ、聞いたことがある。世界には、自警団によって守られている国もあると……。たまにニュースで活躍が報じられるが、メンバーを見るのは初めてだ。
筋肉の塊のような男は、重々しい声を続ける。
『聞き及んでおります。クラップロイドと名乗る存在が犯罪を抑止するために働いており、彼がこの夏、スコーピオンズと呼ばれる犯罪シンジケートを潰したという事も』
(メンバーの本名は明かされておりません。今テレビに出演しているマーカスというこの人物も、恐らくは仮の名でしょう)
やはり名前を隠さないと活動に支障が出るのだろうか。俺は椅子に座り直し、マーカスを見つめる。
『端的に言って、あのクラップロイドという存在は目障り極まりない! そうでしょう?噂ではヤツの出しゃばりのせいで潰せる組織も潰せなかったとか……』
『私はそうは思いません』
ニコニコと同意を求めようとした専門家の顔が、重苦しい声で固まった。マーカスと名乗った男は、腕を組んだまま、むっつりと声を押し出す。
『クラップロイド……彼の理念は立派だ。人殺しをせず、怒りに身を任せる事もしない。芯を持つ男なのでしょう』
『だから、彼は人殺しなのですよ! スコーピオンズのリーダーを……』
『直接の証拠はない。聞くところによると、ヤツは自殺したそうじゃないですか。……それに、私なら、自分の力の誇示のために生かして捕らえる。殺すメリットが無い』
マーカスの言葉に、専門家がぐっと詰まる。対して俺は、半ば口を開けてテレビ画面を見つめていた。
この人はプロだ。アマチュアの俺とは違いすぎる。『殺すメリット』なんて言葉を聞いたのは初めてだ。
『……では、クラップロイドの正体についてはどうです? どうやら、こちらが何か言う前から「男」だと断定していらっしゃるようだが!』
『自明の理でしょう』
専門家が気を取り直し、再度食って掛かる。が、マーカスは眉一つ動かさず、相変わらず低い声で言う。
『彼の腰を見れば、男性特有の骨盤の形を補うようにアーマーが覆っている。アレは恐らく動きを助けるための補助具の一部です。人間以上の踏ん張りが可能な構造になっている。
更に、時折彼は戦闘に慣れ切った兵士のような動きをすると思えば、素人でも思いつかないような雑な戦い方をすることもある。……ここから察するに、動きを補助する機能がスーツに備わっているのでしょう。あるいは、人の動きを予測する機能か』
流れてくるテレビの音声にぞっとしてしまう。外から見ただけでここまで見抜かれるとは思っていなかったのだ。
だが、マーカスの推理はそこでは止まらなかった。
『また、体格から察するに彼の肉体は発展途上。妥当なところとして、高校生か、その辺りの年齢でしょう。
そして、事件が発生してから駆け付けるまでの時間、彼の全速力、稼働限界時間をそれぞれ分析すれば、彼の普段居る場所が……』
……沈黙が訪れた。俺は正体を突き止められる一歩手前まで来られて戦々恐々になっていたし、マーカスはといえば謎のフリーズで静かになっている。専門家たちも推理に呆気にとられ、放送事故じみた静けさがテレビから発されていた。
『……失礼、喋りすぎました。憶測は、あまりよくない』
やがてマーカスが謝罪し、凍った時間が解けた。番組の司会が慌ててキューを出し、ぶつ切りで次の話題が始まる。
『え、えー、それでは……いま、アワナミ市から次々に消えているとされる研究者たちについて、CM明けから……』
俺は脱力し、いつの間にか半立ちになっていた姿勢から椅子に座りこんだ。洗剤のCMが楽しそうなBGMを流す中、ぼうっとブルーライトを見つめる。
正体は隠せているつもりだった。が、正直、見る人が見ればそうでもないのかもしれない……。そもそも、あまり正体の隠蔽に注力をしていなかったというところはあるが……。
そのまま見続ける気にもなれず、テレビの電源を落とす。リビングはまた、物音ひとつない静かな空間に戻る。
ネクサス。マーカス。俺の正体。世間の目。結局その日は、頭がごちゃごちゃになったまま、夜通し考えに耽ってしまった。
◆
(おはようございます。朝です)
警報音を頭の中で鳴らされ、俺は身じろぎして顔をあげた。どうやら土曜の朝になったようだ。小鳥が窓の外で鳴いている。
「……どうだ、監視カメラ映像の解析は終わったか?」
(残念ながら、終わったとは言えません。どうやら彼らは、意図的に『監視カメラの網にかからない場所』を選んで薬品の受け渡しを行っているようですね)
「……手が込んでるな。それだけの情報を持ってる連中でもあるのか」
(そこで、アワナミ市内の監視カメラの目の届かないエリアをピックアップし、マッピングしました。更に、これまでの被疑者3名の行動範囲から絞り込みを)
「ふむ……オッケー、成程」
目の前に浮かび上がる市内の青いマップ映像。そこへ、疑わしいエリアが赤く塗りつぶされてゆく。
「結構多いな」
(また、例の『人を怪物化させる薬品』から、気化しやすい成分のみを抽出して解析。空気中にその成分がある場合、紫色に染まって視認できるようにしました)
「オーケーオーケー……今日はパトロールになりそうだな、人間モードで」
(たまには悪くないでしょう。新しい服でも買いに出かけてはいかがです? 今季のおすすめファッションをお知らせできますよ)
「はあ、それはどうも……」
そういえば、イコマ先生にも「ちゃんと栄養バランスを考えて食事しろ」と言われていたのだった。……週末くらい、なんとか自炊してみるか。
幸い、今は事件も起こっていないようだ。それなら多少はゆっくりできる。
俺は立ち上がると、帽子と肩掛け鞄を掴み、玄関へ向かった。
◆
「えーと、……あと買わなきゃならないのは、牛乳と……ひき肉と……」
(豆板醤もお忘れなく)
「ああ、豆板醤……」
周囲を見回しながら、大型デパートの中をうろつく。俺は普通の人々の生活に混じり、生物改造事件の薬品の痕跡を探していた。
『買い物するなら デパート カワナベ 買い物するなら デパート カワナベ 安い値段で こんなに買えちゃう』
買い物かごを持ち、中毒性のある曲を背景に、牛乳パックを手に取る。ここのパトロールが終われば、次はまた別のエリアに行き、次はまた別のエリアへ行き……という感じになるだろう。
騒がしい店内では、子供が大はしゃぎでカートを押して走ったり、それを親が注意したりしている。ばったり会った奥様達が何か早口で話してたりするし、若いカップルが腕を組んで歩いていたり、……
「……あ」
「……」
……見たことのある顔が見えた。同級生であるカモハシさんの後輩幼馴染、スズシロだ。どうやら彼女も休日という事で、買い物に来ていたようだ。涼しげなスキッパーシャツを着こなしている。
「……どうも」
「あ、どうも……」
なんだかめちゃくちゃしぶしぶ挨拶され、俺も挨拶を返す。用は済んだとばかりにスズシロが何処かへ歩き出す……が、俺はこの前のカフェ代を奢ってもらったのを思い出した。
「あ、ちょ、ちょっと待った」
声をかけられたスズシロは立ち止まり、嫌なものを見る目つきで振り返る。数テキストのやり取りで心が折れそうだ……。
「ホラ……カフェ代、忘れてたから」
「え? ……ああ」
金を差し出すと、初めは困惑していたスズシロだったが、やがて得心したようにそれを受け取った。
そして、あらためて俺に向き直ると、じっと目を見つめてくる。
「……この間は、どうも」
「こ、この間?」
なんかしたっけ……やらかした覚えがたくさんありすぎてお礼参りにしか思えない……
「……カフェで。もう少しであのケバい女子を叩くところでしたけど、先輩が止めてくれたんですよね」
「……あ、あー……」
ここまで言われ、スズシロが鬼城との対峙の話をしているのだとようやくわかった。成程、アレは確かに俺もひやひやの一瞬だった。危うくいじめの矛先がスズシロ達に向かうところだったのだ。
「いや、まぁ……別に、俺は何もしてないし……」
「……」
普段悪党どもに殴られまくっているのに比べれば、大したことじゃない。まあ、あの殺気には流石にちょっとビクッとさせられたが……。
スズシロは、相変わらず感情の読めない瞳で俺をじっと見つめてくる。見つめられるのに慣れていない俺は、頭を掻き、視線をよそへやる。
「……痣、増えてますね」
「あ、ああ、うん……そうだったかな……」
よく見ているものだ。俺の方が、いつできた痣かも把握しきれていないのに。
指さされたように自分の頬を触れば、確かに痛みを訴えてくる痣がひとつ増えている。恐らく昨晩の生物改造事件での傷だ。
「それも、階段から落ちた傷ですか」
「……いや、コレは風呂場で滑って転んだんだ」
昨日のテレビの事を思い出し、もしやスズシロも俺の正体に感づいているのでは……などというような馬鹿な妄想が広がりそうになる。
だが、気付けるはずがない。俺は冴えない男子高生を完璧に演じられているはずだ。……少なくとも、今のところ。
スズシロは納得いかないようで、俺をじっと見つめている。俺の瞳から嘘を読み取ろうとしているのだろう。だが、俺は昔から嘘をつくのが上手く……
「あ、アオちゃんったらこんなところに……あー、堂本君!?」
突如背後から響いた声に、びっくりして振り向く。そこには、パーカーを着たカモハシさんが立っていた。なんだかよく分からないもこもこの紐付きパーカーだ。
「……堂本先輩に会ったので、少し話していたんです。遅れてごめんなさい」
「いいよいいよ~、怒ってないもん。……それより、堂本君もここに来てたんだ~! 今日のお買い物も一緒に誘えばよかったね!」
「ハハハ……」
どうやらスズシロとカモハシさんは一緒にショッピングに来ていたようだ。お邪魔しちゃったかな……お邪魔しちゃったようですね。さっさとこの場を離れよう。
「じゃあ、俺はこの辺りで」
さっさとおいとましよう……と思ったのだが、そうは問屋が卸さなかった。突如、紫色の空気を纏った人物がデパートの関係者用入り口から出てきたのだ。
(ご主人様。例の薬物を所持していると疑わしい人物です。追跡なさいますか)
「……」
「堂本君、もう行っちゃうの~? 一緒にご飯でも食べたかったんだけどなぁ……」
「先輩、無理強いは出来ません。行きましょう」
なんだか俺を誘おうとしているカモハシさん、そして俺と距離を取ろうとしているスズシロ。正直スズシロの行動は有り難い、だが……
「……スズシロ。カモハシさんの事頼む」
「え?」
「えっ」
間に合わない。紫色の空気は二手に分かれている。一方は悠々と歩くフードの男に、もう一方は……屈み込み、苦しみの声を上げる人物に……!
生鮮コーナーの一角で、その人物は首筋を抑えていた。周囲の人々は心配そうに、あるいは嫌そうに距離を置く。
やがて、筋肉が膨張し、スウェットの背中が破れた。背筋が盛り上がり、肩、腕、胸と続いた。
その頭部からはコブが生え……否、角だ。バッファローに酷似した角が生えたのだ。山のような筋肉の上に、鋭い凶器が乗っている。
生物改造事件、4件目。俺は辺りを見回し、誰にも見られず変身できる場所を……
「ど、堂本くん、逃げようよ」
ふと、袖を掴まれた。カモハシさんだ。彼女は心配そうに俺を見つめている。
その向こう、スズシロも困惑気味に俺を見ている。「何をしている、逃げないのか」という疑問がありありと浮かんでいる。
だが、逃げるわけにはいかない。俺はカモハシさんの手を握り、袖から離させる。そしてスズシロを見て言った。
「頼むぞ」
スズシロは……ある種、それで察したようだった。それ以上は何も聞かず、ただ、カモハシさんの手首を掴んで駆け出した。
俺も正反対へ走り出し、監視カメラの目の届かないエリアへ突入する。そして叫ぶ。
「パラサイト、スーツアップだ!」
(了解、スーツアップ)
駆ける俺の全身が、銀のスーツに包まれる。
数メートル先、牛の怪物が俺を振り向いた。
誰も居ないリビングはやけに広々と感じられる。パラサイトは作業の容量を事件の整理に充てており、俺に積極的に話しかけては来ない。
俺は右腕の電熱火傷に氷袋を押し当てながら、静かな空間の中で椅子に座りこむ。そして気を紛らわせるためにテレビを点けると、椅子に座って天井を見上げた。
(ハッ、今度は死ぬまで殴ってやる!)
(死ねェ!!)
脳裏では、先ほど潜り抜けてきた死線が何度もリピートされる。死が一寸外をかすめる感覚。当然と言えば当然の話だが、悪党と戦うとなれば、あちらは毎度こちらを殺すつもりで掛かってくる。
対して、俺は相手を殺すつもりはない。あくまで気絶、あるいは拘束狙いだ。
それは命のやり取りを行う中で、想像以上のハンディキャップだ。相手は遠慮ないが、俺は遠慮する。正直言ってかなり無理をしているというのが現状だ。
……だが、殺しを行えば、きっとシマヨシさんは喜ばない。それに警察相手に立ち回るのにも不利だろう。
『……ですからね、クラップロイドの自警団じみた活動を何処まで許容するか。これが今後の課題と言えるでしょうね』
ふとテレビを見れば、昼間に俺と怪人が戦った場所がクローズアップされ、破壊の痕跡が映し出されていた。専門家たちは難しい顔をして腕を組み、あるいは顎をさすり、意見をぶつけ合っている。
『先ほども言ったように、クラップロイドというのは怪人と一緒に暴れまわって被害を広げる、いわば悪質な「相乗り屋」のようなもんです。気が済むまで暴れれば、あとは適当なところで怪人をノして警察にポイ!』
『しかし、地元警察たちには感謝の声も多いとか。彼らが言うには、殺しはしないというのが、今のところそこらの悪党と彼を分ける線引きとなっているようです』
『それは今の都合ですよ! 今に見ていなさい。個人の理性などに乗っかった正義感は、もろく崩れるでしょう! その証拠に、スコーピオンズとかいう犯罪者集団の首領は、ヤツと戦ったばかりに死んだそうじゃないですか!』
どうやら、世間では俺がスコーピオンズの首魁を殺したことになっているようだ。
耳が痛い。確かに、スコーピオンズのリーダー『コラプター』と戦った際の映像などはない。ゆえに、ヤツがどう死んだかを立証できるのは、今のところ状況証拠のみなのだ。
――クラリス・コーポレーションは……真っ黒だぜ――
『今回は世界的な自警団NGO、“ネクサス”の一員であるマーカスさんをお招きしています。どうもマーカスさん』
『ええ、どうも。今回はお招きいただきありがとうございます』
『早速ですがマーカスさん、今回アワナミ市で話題の自警団活動について……』
ふと、物思いに沈みかけた俺は意識をテレビへ向けた。テレビには、上等なスーツに窮屈そうに身を包み、重苦しい雰囲気でカメラを見つめる男の姿があった。
彼はどう見てもカタギではなさそうな傷が頬に付いているし、どう見てもカタギではなさそうな耳たぶの欠けがある。目元を申し訳程度にマスクで覆っているが、意味があるのか……?
それにしてもパンパンの筋肉だ。身動きすればボタンが弾けそうなレベルである。
「……ネクサス?」
(犯罪防止NGO団体、ネクサス。ニューヨークに本拠地を構える巨大な組織です。アメリカ、日本、中国、ロシアなどの企業が出資しており、……)
リモコンでテレビの音量を上げる。静かなリビングに音が満ちる。ああ、聞いたことがある。世界には、自警団によって守られている国もあると……。たまにニュースで活躍が報じられるが、メンバーを見るのは初めてだ。
筋肉の塊のような男は、重々しい声を続ける。
『聞き及んでおります。クラップロイドと名乗る存在が犯罪を抑止するために働いており、彼がこの夏、スコーピオンズと呼ばれる犯罪シンジケートを潰したという事も』
(メンバーの本名は明かされておりません。今テレビに出演しているマーカスというこの人物も、恐らくは仮の名でしょう)
やはり名前を隠さないと活動に支障が出るのだろうか。俺は椅子に座り直し、マーカスを見つめる。
『端的に言って、あのクラップロイドという存在は目障り極まりない! そうでしょう?噂ではヤツの出しゃばりのせいで潰せる組織も潰せなかったとか……』
『私はそうは思いません』
ニコニコと同意を求めようとした専門家の顔が、重苦しい声で固まった。マーカスと名乗った男は、腕を組んだまま、むっつりと声を押し出す。
『クラップロイド……彼の理念は立派だ。人殺しをせず、怒りに身を任せる事もしない。芯を持つ男なのでしょう』
『だから、彼は人殺しなのですよ! スコーピオンズのリーダーを……』
『直接の証拠はない。聞くところによると、ヤツは自殺したそうじゃないですか。……それに、私なら、自分の力の誇示のために生かして捕らえる。殺すメリットが無い』
マーカスの言葉に、専門家がぐっと詰まる。対して俺は、半ば口を開けてテレビ画面を見つめていた。
この人はプロだ。アマチュアの俺とは違いすぎる。『殺すメリット』なんて言葉を聞いたのは初めてだ。
『……では、クラップロイドの正体についてはどうです? どうやら、こちらが何か言う前から「男」だと断定していらっしゃるようだが!』
『自明の理でしょう』
専門家が気を取り直し、再度食って掛かる。が、マーカスは眉一つ動かさず、相変わらず低い声で言う。
『彼の腰を見れば、男性特有の骨盤の形を補うようにアーマーが覆っている。アレは恐らく動きを助けるための補助具の一部です。人間以上の踏ん張りが可能な構造になっている。
更に、時折彼は戦闘に慣れ切った兵士のような動きをすると思えば、素人でも思いつかないような雑な戦い方をすることもある。……ここから察するに、動きを補助する機能がスーツに備わっているのでしょう。あるいは、人の動きを予測する機能か』
流れてくるテレビの音声にぞっとしてしまう。外から見ただけでここまで見抜かれるとは思っていなかったのだ。
だが、マーカスの推理はそこでは止まらなかった。
『また、体格から察するに彼の肉体は発展途上。妥当なところとして、高校生か、その辺りの年齢でしょう。
そして、事件が発生してから駆け付けるまでの時間、彼の全速力、稼働限界時間をそれぞれ分析すれば、彼の普段居る場所が……』
……沈黙が訪れた。俺は正体を突き止められる一歩手前まで来られて戦々恐々になっていたし、マーカスはといえば謎のフリーズで静かになっている。専門家たちも推理に呆気にとられ、放送事故じみた静けさがテレビから発されていた。
『……失礼、喋りすぎました。憶測は、あまりよくない』
やがてマーカスが謝罪し、凍った時間が解けた。番組の司会が慌ててキューを出し、ぶつ切りで次の話題が始まる。
『え、えー、それでは……いま、アワナミ市から次々に消えているとされる研究者たちについて、CM明けから……』
俺は脱力し、いつの間にか半立ちになっていた姿勢から椅子に座りこんだ。洗剤のCMが楽しそうなBGMを流す中、ぼうっとブルーライトを見つめる。
正体は隠せているつもりだった。が、正直、見る人が見ればそうでもないのかもしれない……。そもそも、あまり正体の隠蔽に注力をしていなかったというところはあるが……。
そのまま見続ける気にもなれず、テレビの電源を落とす。リビングはまた、物音ひとつない静かな空間に戻る。
ネクサス。マーカス。俺の正体。世間の目。結局その日は、頭がごちゃごちゃになったまま、夜通し考えに耽ってしまった。
◆
(おはようございます。朝です)
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「……どうだ、監視カメラ映像の解析は終わったか?」
(残念ながら、終わったとは言えません。どうやら彼らは、意図的に『監視カメラの網にかからない場所』を選んで薬品の受け渡しを行っているようですね)
「……手が込んでるな。それだけの情報を持ってる連中でもあるのか」
(そこで、アワナミ市内の監視カメラの目の届かないエリアをピックアップし、マッピングしました。更に、これまでの被疑者3名の行動範囲から絞り込みを)
「ふむ……オッケー、成程」
目の前に浮かび上がる市内の青いマップ映像。そこへ、疑わしいエリアが赤く塗りつぶされてゆく。
「結構多いな」
(また、例の『人を怪物化させる薬品』から、気化しやすい成分のみを抽出して解析。空気中にその成分がある場合、紫色に染まって視認できるようにしました)
「オーケーオーケー……今日はパトロールになりそうだな、人間モードで」
(たまには悪くないでしょう。新しい服でも買いに出かけてはいかがです? 今季のおすすめファッションをお知らせできますよ)
「はあ、それはどうも……」
そういえば、イコマ先生にも「ちゃんと栄養バランスを考えて食事しろ」と言われていたのだった。……週末くらい、なんとか自炊してみるか。
幸い、今は事件も起こっていないようだ。それなら多少はゆっくりできる。
俺は立ち上がると、帽子と肩掛け鞄を掴み、玄関へ向かった。
◆
「えーと、……あと買わなきゃならないのは、牛乳と……ひき肉と……」
(豆板醤もお忘れなく)
「ああ、豆板醤……」
周囲を見回しながら、大型デパートの中をうろつく。俺は普通の人々の生活に混じり、生物改造事件の薬品の痕跡を探していた。
『買い物するなら デパート カワナベ 買い物するなら デパート カワナベ 安い値段で こんなに買えちゃう』
買い物かごを持ち、中毒性のある曲を背景に、牛乳パックを手に取る。ここのパトロールが終われば、次はまた別のエリアに行き、次はまた別のエリアへ行き……という感じになるだろう。
騒がしい店内では、子供が大はしゃぎでカートを押して走ったり、それを親が注意したりしている。ばったり会った奥様達が何か早口で話してたりするし、若いカップルが腕を組んで歩いていたり、……
「……あ」
「……」
……見たことのある顔が見えた。同級生であるカモハシさんの後輩幼馴染、スズシロだ。どうやら彼女も休日という事で、買い物に来ていたようだ。涼しげなスキッパーシャツを着こなしている。
「……どうも」
「あ、どうも……」
なんだかめちゃくちゃしぶしぶ挨拶され、俺も挨拶を返す。用は済んだとばかりにスズシロが何処かへ歩き出す……が、俺はこの前のカフェ代を奢ってもらったのを思い出した。
「あ、ちょ、ちょっと待った」
声をかけられたスズシロは立ち止まり、嫌なものを見る目つきで振り返る。数テキストのやり取りで心が折れそうだ……。
「ホラ……カフェ代、忘れてたから」
「え? ……ああ」
金を差し出すと、初めは困惑していたスズシロだったが、やがて得心したようにそれを受け取った。
そして、あらためて俺に向き直ると、じっと目を見つめてくる。
「……この間は、どうも」
「こ、この間?」
なんかしたっけ……やらかした覚えがたくさんありすぎてお礼参りにしか思えない……
「……カフェで。もう少しであのケバい女子を叩くところでしたけど、先輩が止めてくれたんですよね」
「……あ、あー……」
ここまで言われ、スズシロが鬼城との対峙の話をしているのだとようやくわかった。成程、アレは確かに俺もひやひやの一瞬だった。危うくいじめの矛先がスズシロ達に向かうところだったのだ。
「いや、まぁ……別に、俺は何もしてないし……」
「……」
普段悪党どもに殴られまくっているのに比べれば、大したことじゃない。まあ、あの殺気には流石にちょっとビクッとさせられたが……。
スズシロは、相変わらず感情の読めない瞳で俺をじっと見つめてくる。見つめられるのに慣れていない俺は、頭を掻き、視線をよそへやる。
「……痣、増えてますね」
「あ、ああ、うん……そうだったかな……」
よく見ているものだ。俺の方が、いつできた痣かも把握しきれていないのに。
指さされたように自分の頬を触れば、確かに痛みを訴えてくる痣がひとつ増えている。恐らく昨晩の生物改造事件での傷だ。
「それも、階段から落ちた傷ですか」
「……いや、コレは風呂場で滑って転んだんだ」
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だが、気付けるはずがない。俺は冴えない男子高生を完璧に演じられているはずだ。……少なくとも、今のところ。
スズシロは納得いかないようで、俺をじっと見つめている。俺の瞳から嘘を読み取ろうとしているのだろう。だが、俺は昔から嘘をつくのが上手く……
「あ、アオちゃんったらこんなところに……あー、堂本君!?」
突如背後から響いた声に、びっくりして振り向く。そこには、パーカーを着たカモハシさんが立っていた。なんだかよく分からないもこもこの紐付きパーカーだ。
「……堂本先輩に会ったので、少し話していたんです。遅れてごめんなさい」
「いいよいいよ~、怒ってないもん。……それより、堂本君もここに来てたんだ~! 今日のお買い物も一緒に誘えばよかったね!」
「ハハハ……」
どうやらスズシロとカモハシさんは一緒にショッピングに来ていたようだ。お邪魔しちゃったかな……お邪魔しちゃったようですね。さっさとこの場を離れよう。
「じゃあ、俺はこの辺りで」
さっさとおいとましよう……と思ったのだが、そうは問屋が卸さなかった。突如、紫色の空気を纏った人物がデパートの関係者用入り口から出てきたのだ。
(ご主人様。例の薬物を所持していると疑わしい人物です。追跡なさいますか)
「……」
「堂本君、もう行っちゃうの~? 一緒にご飯でも食べたかったんだけどなぁ……」
「先輩、無理強いは出来ません。行きましょう」
なんだか俺を誘おうとしているカモハシさん、そして俺と距離を取ろうとしているスズシロ。正直スズシロの行動は有り難い、だが……
「……スズシロ。カモハシさんの事頼む」
「え?」
「えっ」
間に合わない。紫色の空気は二手に分かれている。一方は悠々と歩くフードの男に、もう一方は……屈み込み、苦しみの声を上げる人物に……!
生鮮コーナーの一角で、その人物は首筋を抑えていた。周囲の人々は心配そうに、あるいは嫌そうに距離を置く。
やがて、筋肉が膨張し、スウェットの背中が破れた。背筋が盛り上がり、肩、腕、胸と続いた。
その頭部からはコブが生え……否、角だ。バッファローに酷似した角が生えたのだ。山のような筋肉の上に、鋭い凶器が乗っている。
生物改造事件、4件目。俺は辺りを見回し、誰にも見られず変身できる場所を……
「ど、堂本くん、逃げようよ」
ふと、袖を掴まれた。カモハシさんだ。彼女は心配そうに俺を見つめている。
その向こう、スズシロも困惑気味に俺を見ている。「何をしている、逃げないのか」という疑問がありありと浮かんでいる。
だが、逃げるわけにはいかない。俺はカモハシさんの手を握り、袖から離させる。そしてスズシロを見て言った。
「頼むぞ」
スズシロは……ある種、それで察したようだった。それ以上は何も聞かず、ただ、カモハシさんの手首を掴んで駆け出した。
俺も正反対へ走り出し、監視カメラの目の届かないエリアへ突入する。そして叫ぶ。
「パラサイト、スーツアップだ!」
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数メートル先、牛の怪物が俺を振り向いた。
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表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
タイムワープ艦隊2024
山本 双六
SF
太平洋を横断する日本機動部隊。この日本があるのは、大東亜(太平洋)戦争に勝利したことである。そんな日本が勝った理由は、ある機動部隊が来たことであるらしい。人呼んで「神の機動部隊」である。
この世界では、太平洋戦争で日本が勝った世界戦で書いています。(毎回、太平洋戦争系が日本ばかり勝っ世界線ですいません)逆ファイナルカウントダウンと考えてもらえればいいかと思います。只今、続編も同時並行で書いています!お楽しみに!

ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
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※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
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