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歪んだ生物
怪物への道筋
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「……」
ボッコボコにされた。打撃を防御するスキルを学べるのは良いが、そればかり鍛えられている気がする。
特に今日は右腕を執拗に攻められた。怪我しているところなので攻められるのは想定済みだったが、痛みは想定以上だ。今もじくじくと痛んでいる。
(……今は、開いている薬局もありません。明日まではこの状態で過ごしていただくしかないでしょう)
「そうか……」
(ご主人様、やはり反撃をすべきです。やられっぱなしなのは、よくありません)
「いいだろ、他の奴がいじめられるよりは。俺の方が頑丈だし……」
ボロボロになった鞄を担ぎ、泥まみれの頬を拭い、右腕を庇いながら帰路を歩く。今はすっかり真っ暗だ。午後7時半。夏場といえど、この時間になれば暗くなる。
「抗生物質のストックってまだあったっけ……」
(1錠のみです。6時間ごとに、定期的に飲まなければ、効果は薄いでしょう)
「そうか……」
ひとつの事件を解決するのにもリスクがあるものだ。あんな化け物がたびたび出てきたら身が持たない。
(……明日までに、スーツの耐電性を改善しておきましょう)
「助かる」
生物改造事件。まるで人間と他の生物を無理やりに融合させたかのような怪物は、今日は2件、立て続けに現れた。1件目はアワナミ駅、12時30頃。2件目はアワナミ3番通り、16時40分頃。
怪物となった人々は、いずれも透明な液体の入った注射器を所有していた。そのうちの少量は回収し、今、俺の鞄の中にある。鳥類のような変化を起こしていた怪物の分である。
「……帰ったらまず、薬品を色々と調べてみないとな……それと、あと、犯人の事件以前の動向を監視カメラのハッキングで追わないと」
(分かりました)
「……もしかして、もうやってるか?」
(はい。今情報を収集し、まとめようとしているとこです)
「はあ、流石……」
有能なものだ。だから普段と比べて無口だったのだろう。俺は感心のため息を吐き、家に帰りつく。鍵を取り出し、玄関のドアに挿して開くと、ようやく安心できる光景が広がった。我が家だ。
すぐにでも自分の部屋に行ってベッドに身を投げ出したいが、そうは行かない。まずは給油が必要なのだ。電気をつけようと、スイッチに手を伸ばし……俺は固まった。
電気はついていた。
そうだ。こんな真っ暗な中で帰ってきて、室内が視認できるのはおかしい。俺は出かける時、家の電気はすべて消す。
(視界をエックス線モードに切り替えますか)
「……いや」
奥の部屋から物音がした。俺はおもわず拳を構え、スーツアップしかけてやめる。正体がバレかねない。
迷っていると、物音はどんどん大きくなり、奥の部屋のドアががらりと開いた。思い切り緊張してその姿を見れば、俺より高い背に、黒い長髪、深い茶色の瞳の……
「あ、堂本くん! 何処行ってたの!?」
「……イコマ先生だったのかよ!!」
俺の担任であるイコマ先生だった。数少ない『クラップロイドの正体』を知る人であり、理解者でもある彼女は、こうして時々俺の家の家事を手伝いに来てくれるようになっていた。教育委員会に見つかっていないといいけど。
彼女はぱたぱたと駆けてくると、どろどろな俺のありさまを見てしきりに心配している。
「どうしたの?! 怪我だらけだし、右腕なんてひどいことになってるし! またクラップロイドとしての活動? メールいくら送っても無視されるし……」
「あ、へ、え?」
長い間携帯を見ていなかったのを思い出し、見てみると、本当にたくさんのメール通知が来ていた。最初は「今日お邪魔してもよいですか?」という丁寧な件名だが、数を重ねるにつれ、心配によって丁寧の仮面が剥がれて行ってしまっている。
「え、っと……その、ごめんなさい」
「あ……ん、ごほん。こっちこそ、取り乱してごめんね」
素直に謝ると、拍子抜けしたかのようにイコマ先生も落ち着きを取り戻し、咳払いして謝ってくる。そして少し顔を赤くし、視線を落として早口で喋りだした。
「と、ともかく、一日お疲れさまだったね。その、少しでも助けになればと思って、ご飯とか作って持ってきたから」
「え、すみません。そこまでさせちゃったんスか」
適当に10秒ゼリーでも飲もうと思っていたんだが……とか考えていると、イコマ先生は俺の左手を握り、にっこり笑顔になった。
「栄養バランス。考えてね」
「は、はい」
……怖い笑顔である。確かに最近は帰って来るなりご飯を適当に済ませて寝てしまっていたからなぁ……。
先生は俺の返事に笑顔のまま頷くと、そのまま手を引き始めた。
「さ、ちゃんと食べてね。ご飯冷めちゃうよ」
「ちょ、ちょっと待ってください、まだ靴脱いでなくて……あ、ちょっと!」
◆
「……また無茶をしたんだね」
晩御飯を食べながら、イコマ先生に今日の事件のあらましを説明する流れになっていた。俺は気まずい思いをしながら、ガソリンが注がれたコップをあおる。20分ごとにこうした『給油』をしなければ、ロイドモードの俺は稼働を停止してしまうのだ。
先生は少し辛そうな顔をしていたが、だが無理に笑顔を作って俺を見る。
「……でも、堂本くんはよくやってるよ。ユキちゃんも褒めてたよ、『根性ある』って」
「あはは、あのテツマキさんが?」
「そうそう。そのユキちゃんだけど……」
先生は何か言おうとしていたが、そこでインターホンが鳴った。そして聞き覚えのある声。
「おーい堂本。開けろ」
「あ、ユキちゃんだ」
「え? テツマキさん?」
「今日来るって言ってたんだ。伝え遅れてごめんね」
「食べてて!」と言い残し、イコマ先生は玄関へ出迎えに行く。携帯のメールを確認すると、イコマ先生の嵐のようなメール連打に埋もれて『今晩に行く』という単刀直入すぎるメールが届いていた。
携帯もっと見ないとなぁ……と思っていると、リビングのドアが開き、テツマキさんとイコマ先生が入ってきた。
「堂本。暴れたもんだな」
「テツマキさん」
「飯か、私の分はあるか?」
「ユキちゃんのもあるよ。温めようか?」
「頼む」
テツマキさんはまるで勝手知ったる我が家のようにリビングを横断すると、机について深々と息を吐いた。ショートカットの茶髪も心なしかしおれているように見える。
「……事件、大変みたいっすね」
「まあな。どうも、取り押さえたあの容疑者だが……暴れる前後の記憶がないと言うんだ」
「記憶が?」
「うむ。人間の形に戻ってからは記憶があるそうなんだが、それ以前となるとさっぱりだとさ」
言いながら、テツマキさんはポケットをがさごそと探り、何かの薬を取り出した。どうやらそれは……抗生物質のようだ。
「それは……」
「お前、監視カメラの映像を見たぞ。電線を腕に巻いていたな、よくもまあ」
「堂本くんそんな事したの!?」
バレてら。その部分はイコマ先生にも話していなかったので、今初めて聞いた先生が悲鳴を上げている。
「まあ、損失などは構わん。どうせあの電線は建て替え時期だったし、ライフラインの復旧もすぐにかなった」
「そ、そうっスか……」
「よくないよ! だから堂本くん、腕に怪我してたの!?」
「す、すみません……」
この2人が揃うといつも両極端な意見で色々と振り回されるな……。
「だろうと思ったんだ、お前は本当に戦い方が下手だな。これを飲んでしばらく安静にしていろ」
「あっ、はい……」
テツマキさんから差し出された抗生物質を大人しく受け取る。テツマキさんはうんうんと頷くと、ふう、と息を吐いて椅子に背を預ける。
「だが助かったのも事実だ。お前の……無謀な突撃もまた、助けになっている」
「……そうっスかね」
「そうだ。……まだ警察も調査中だから詳しい事は言えんが、お前が居なければ進展もなかっただろうよ」
「……」
助けられなかった警官の事を思い出し、少し口が止まってしまう。テツマキさんは困ったように眉根を寄せ、俺の肩を強めに叩いた。
「……抱え込むな。手の届く範囲を考えろ。全部お前の責任だと思うのは、傲慢だぞ」
「……すみません」
「飯をちゃんと食え、ミスター・クラップロイド。シホの……イコマ先生の飯はうまいだろ?」
「ユキちゃん! 堂本くんがケガしたらちゃんと叱ってって言ってるでしょ!?」
「いいだろうが、コイツは生きてる。皆も助かった、良い事づくめだ」
「ご飯あげないよ!?」
「……あー、うーむ、やはりそういう破滅的なやり方はよくないな堂本……」
◆
晩飯を食べ終わり、俺とテツマキさんはリビングで「生物改造事件」について捜査を進めていた。(イコマ先生の皿洗いを手伝おうとしたのだが、「いいから休んでて」と強めに言われてしまった)
「犯人からの供述が取れんのは痛い……それに、例の薬品の検査も一向に進まん。警察も手一杯なんだ、別件で」
「……」
俺はカバンから透明な薬品入りの試験管を取り出し、光にかざして見つめる。澄んだ無色の液体は、気泡をはらんで不穏に揺れる。
俺が薬品を取り出したのを見たテツマキさんは、呆れたように声をかけてくる。
「……お前、それは」
「ああ、ええっと……夕方ごろの鳥の怪人の懐から出てきたものを、ちょっとだけ拝借したんス」
「手癖が悪いヤツだ。……何か分かったか?」
「いや、これから調べようかと……」
「そうか」
言いながら、俺は液体を一滴だけ指に垂らし、口に含む。そうしてパラサイトの解析機能で成分を分析しようと……
「……なあ」
したところで、テツマキさんから声がかかった。パラサイトのデータに集中しようと目を閉じていた俺は、思わず視線をテツマキさんの方へやる。
鉄の警官は、少しだけ悩んだような顔になり、俺を見ていた。イコマ先生がリビングで洗い物をしている音がやけに大きく響く。
「……お前、どうするんだ。本当にこのまま、クラップロイドとして活動し続けるのか」
「……」
想定していた問いだった。だが、真剣に心配されているような目で見られると、すらすら言えるはずだった答えもつまづいてしまう。
「……えっと、まあ……」
「まあ、ってお前なぁ。そんなもので済まされる行動じゃないんだぞ。怪我だって、今回のよりもっと重いものが多くなってくるだろうし」
「……」
「イコマじゃないが、本当にそれでいいのか。きっと人生を使い潰すぞ。お前はまだ、まともに生きていけるだろ」
「……」
まあ、そうなのだろう。背を向ければ、きっと普通に生きられる。恩人の事も、助けられなかった人の事も忘れてしまえば……。
「……だって俺、まだ恩を返せてないですし」
「……」
「受けた恩に比べたら、こんな怪我大したことないっスよ。本当です」
「……ばかが」
テツマキさんは吐き捨てるようにつぶやく。曖昧な笑顔を作ろうとしたその瞬間、俺は頭を掴まれ、テツマキさんの胸に抱かれていた。
驚いて身を離そうとするが、テツマキさんはぐっと力をこめ、俺の頭を離さない。そしてそのまま、ぽんぽんと背中を叩き始めた。
「……えっ、えっと……」
「馬鹿が。このまま少しくらいは年相応にしてろ。……全くお前は」
テツマキさんは優しい声色でそう言いながら、俺の背中を一定のリズムで叩き続ける。子供じゃないんだから……と言おうとしたが、俺は不思議とあらがえず、そのままテツマキさんに身を預けてしまう。
心地いいのだ。俺のもとにもし父さんや母さんが残っていてくれたのなら、こうやって俺を慰めてくれたのだろうか……馬鹿な想像だが、たまに抑えられなくなる。
「……今日の事を責任に思っているのなら」
「……」
そのまま静かに、テツマキさんは語りだす。
「それは間違いだ。今日死んだ奴は確かに代えがたい勇気を持つ男だったが、それでもアイツは選択の自由があった中で、あの行動を選んだ」
「……」
「奴の正義を忘れない事が、私たちにできる供養だ。ヤツの正義に染まれとは言わんが、志したものを忘れてやるな」
……俺は、何か言おうとした。だが、言葉に詰まってしまう。
結局、甘かったという事だろう。しばらく一人で自警団をやってきて、ぬるい犯罪を相手にし、誰も死なないのをいい事に平和ぼけをしていたのだ。俺はまだまだ、青い。
「……すみません、ちょっと辛かったです」
「そうか。まあ、顔を見ればわかる」
「一人でやれると思ったんですけどね……」
「イキるな阿呆」
がしがしと乱暴に頭を撫でられ、すっと離される。少し気恥しく思いながら、俺は姿勢を正して座りなおす。
テツマキさんは何事もなかったかのように懐からメモ帳を取り出すと、事件の要点を書きだし始めた。
「ともかく、事件のあらましはこうだ。奴らは監視カメラの目も届かない場所から、突如怪物に変身した状態で現れ……一般人を相手に大暴れを開始した」
「そこですよね。怪物になった人の素性は割れたんスか?」
「普通の中年サラリーマンに、OLだな」
「ウーン……?」
なんとも、普通過ぎて事件と結び付けづらいところが出てきた。一体なぜ怪物になってしまったのか、憶測もできない。
「……そういえば、クラリス・コーポレーションの名前は出てきましたか?」
「……出てきた。この2人の所属する会社はいずれも、クラリス・コーポレーションの系列だ」
「……」
これだけでクラリス・コーポレーションと薬品を結びつけるのは乱暴だろう。だが、俺としては胸騒ぎなんてレベルを通り越して怖い。
(薬品の解析が半分終わりました。興奮剤に似た成分も含まれているようです)
「……薬品の解析が進んでるんですけど、どうも興奮剤みたいなのが入ってるみたいです」
「興奮剤か。暴れていた説明が、つく……か?」
「なんでしょうね、なんか……妙だな」
妙だ。最初から暴れることが目的なら、興奮剤なんて入れる必要はない。怪物に変身してから、思い切り暴れまわればいいのだ。
……そして、妙なのはそれだけじゃない。暴れる前後の記憶が無いというのは、どう考えても普通ではない。百歩譲って「暴れていた時の記憶が無い」ならまだ、興奮剤の作用で記憶が曖昧になっていると説明がつくのだが……
何かが致命的におかしいのだ。そう、何かが……
その考えを形にしようとした瞬間、テツマキさんの携帯が鳴った。彼女は片眉を吊り上げると、立ち上がって部屋の向こうへと歩いてゆく。その雰囲気は険しい。
入れ替わるように、イコマ先生がカットされた林檎を皿にのせてやってきた。洗い物も終わったようで、にこにこしている。
「すみません、洗うのまでやってもらって」
「いいよいいよ。その手じゃ洗うのも難しいでしょ?」
「いやまあ、そうっすかね……」
「これね、親戚から届いた林檎だから。一緒に食べよう!」
「あ、どうも」
こんなに良くしてもらっていいのかなぁ……イコマ先生と会うと最近恐縮しっぱなしな気がする。
俺はぽりぽりと頬を掻きながら、食べないのも失礼なので林檎をいただき……
「おい堂本」
林檎をいただこうとしたところで、テツマキさんがいかめしい顔つきで戻ってきた。彼女はイコマ先生を一瞥すると、俺に視線を戻し、口を開く。
「アワナミインターチェンジで例の怪物が出たそうだ。現在トラックで逃走中」
「と、トラックで!?」
なんだその理性のありそうな逃げ方は。全然これまでの暴れ方と違うじゃないか。
「申請外の荷台乗車を見とがめ、止めようとしたところで怪物化したらしい。現在検問を突破されたと」
「それじゃ、今は?」
「高速道路だ。夜とはいえ金曜、交通量もそれなりにある。止めないと不味い」
言いながら、テツマキさんは置いてあった荷物を抱え上げ、ジャンパーを着用する。イコマ先生は突然の事に驚いているようで、おろおろしている。
「え、ど、どうするの2人とも?」
「えええっと、とにかく俺も行きます」
「堂本くんも行くの!? そのケガで!?」
「でも行かないと」
俺も適当な上着を着、ばたばたと玄関へ走り出る。テツマキさんはブーツを履くと、バイクのキーを取り出して振り返った。
「イコマ、すぐ戻る。行ってくる」
「行ってきます!」
出発の挨拶を済ませ、俺とテツマキさんは玄関から出ていった。
「……いってらっしゃい……」
あとに残されたイコマ先生の声が、静かな玄関に響いた。
ボッコボコにされた。打撃を防御するスキルを学べるのは良いが、そればかり鍛えられている気がする。
特に今日は右腕を執拗に攻められた。怪我しているところなので攻められるのは想定済みだったが、痛みは想定以上だ。今もじくじくと痛んでいる。
(……今は、開いている薬局もありません。明日まではこの状態で過ごしていただくしかないでしょう)
「そうか……」
(ご主人様、やはり反撃をすべきです。やられっぱなしなのは、よくありません)
「いいだろ、他の奴がいじめられるよりは。俺の方が頑丈だし……」
ボロボロになった鞄を担ぎ、泥まみれの頬を拭い、右腕を庇いながら帰路を歩く。今はすっかり真っ暗だ。午後7時半。夏場といえど、この時間になれば暗くなる。
「抗生物質のストックってまだあったっけ……」
(1錠のみです。6時間ごとに、定期的に飲まなければ、効果は薄いでしょう)
「そうか……」
ひとつの事件を解決するのにもリスクがあるものだ。あんな化け物がたびたび出てきたら身が持たない。
(……明日までに、スーツの耐電性を改善しておきましょう)
「助かる」
生物改造事件。まるで人間と他の生物を無理やりに融合させたかのような怪物は、今日は2件、立て続けに現れた。1件目はアワナミ駅、12時30頃。2件目はアワナミ3番通り、16時40分頃。
怪物となった人々は、いずれも透明な液体の入った注射器を所有していた。そのうちの少量は回収し、今、俺の鞄の中にある。鳥類のような変化を起こしていた怪物の分である。
「……帰ったらまず、薬品を色々と調べてみないとな……それと、あと、犯人の事件以前の動向を監視カメラのハッキングで追わないと」
(分かりました)
「……もしかして、もうやってるか?」
(はい。今情報を収集し、まとめようとしているとこです)
「はあ、流石……」
有能なものだ。だから普段と比べて無口だったのだろう。俺は感心のため息を吐き、家に帰りつく。鍵を取り出し、玄関のドアに挿して開くと、ようやく安心できる光景が広がった。我が家だ。
すぐにでも自分の部屋に行ってベッドに身を投げ出したいが、そうは行かない。まずは給油が必要なのだ。電気をつけようと、スイッチに手を伸ばし……俺は固まった。
電気はついていた。
そうだ。こんな真っ暗な中で帰ってきて、室内が視認できるのはおかしい。俺は出かける時、家の電気はすべて消す。
(視界をエックス線モードに切り替えますか)
「……いや」
奥の部屋から物音がした。俺はおもわず拳を構え、スーツアップしかけてやめる。正体がバレかねない。
迷っていると、物音はどんどん大きくなり、奥の部屋のドアががらりと開いた。思い切り緊張してその姿を見れば、俺より高い背に、黒い長髪、深い茶色の瞳の……
「あ、堂本くん! 何処行ってたの!?」
「……イコマ先生だったのかよ!!」
俺の担任であるイコマ先生だった。数少ない『クラップロイドの正体』を知る人であり、理解者でもある彼女は、こうして時々俺の家の家事を手伝いに来てくれるようになっていた。教育委員会に見つかっていないといいけど。
彼女はぱたぱたと駆けてくると、どろどろな俺のありさまを見てしきりに心配している。
「どうしたの?! 怪我だらけだし、右腕なんてひどいことになってるし! またクラップロイドとしての活動? メールいくら送っても無視されるし……」
「あ、へ、え?」
長い間携帯を見ていなかったのを思い出し、見てみると、本当にたくさんのメール通知が来ていた。最初は「今日お邪魔してもよいですか?」という丁寧な件名だが、数を重ねるにつれ、心配によって丁寧の仮面が剥がれて行ってしまっている。
「え、っと……その、ごめんなさい」
「あ……ん、ごほん。こっちこそ、取り乱してごめんね」
素直に謝ると、拍子抜けしたかのようにイコマ先生も落ち着きを取り戻し、咳払いして謝ってくる。そして少し顔を赤くし、視線を落として早口で喋りだした。
「と、ともかく、一日お疲れさまだったね。その、少しでも助けになればと思って、ご飯とか作って持ってきたから」
「え、すみません。そこまでさせちゃったんスか」
適当に10秒ゼリーでも飲もうと思っていたんだが……とか考えていると、イコマ先生は俺の左手を握り、にっこり笑顔になった。
「栄養バランス。考えてね」
「は、はい」
……怖い笑顔である。確かに最近は帰って来るなりご飯を適当に済ませて寝てしまっていたからなぁ……。
先生は俺の返事に笑顔のまま頷くと、そのまま手を引き始めた。
「さ、ちゃんと食べてね。ご飯冷めちゃうよ」
「ちょ、ちょっと待ってください、まだ靴脱いでなくて……あ、ちょっと!」
◆
「……また無茶をしたんだね」
晩御飯を食べながら、イコマ先生に今日の事件のあらましを説明する流れになっていた。俺は気まずい思いをしながら、ガソリンが注がれたコップをあおる。20分ごとにこうした『給油』をしなければ、ロイドモードの俺は稼働を停止してしまうのだ。
先生は少し辛そうな顔をしていたが、だが無理に笑顔を作って俺を見る。
「……でも、堂本くんはよくやってるよ。ユキちゃんも褒めてたよ、『根性ある』って」
「あはは、あのテツマキさんが?」
「そうそう。そのユキちゃんだけど……」
先生は何か言おうとしていたが、そこでインターホンが鳴った。そして聞き覚えのある声。
「おーい堂本。開けろ」
「あ、ユキちゃんだ」
「え? テツマキさん?」
「今日来るって言ってたんだ。伝え遅れてごめんね」
「食べてて!」と言い残し、イコマ先生は玄関へ出迎えに行く。携帯のメールを確認すると、イコマ先生の嵐のようなメール連打に埋もれて『今晩に行く』という単刀直入すぎるメールが届いていた。
携帯もっと見ないとなぁ……と思っていると、リビングのドアが開き、テツマキさんとイコマ先生が入ってきた。
「堂本。暴れたもんだな」
「テツマキさん」
「飯か、私の分はあるか?」
「ユキちゃんのもあるよ。温めようか?」
「頼む」
テツマキさんはまるで勝手知ったる我が家のようにリビングを横断すると、机について深々と息を吐いた。ショートカットの茶髪も心なしかしおれているように見える。
「……事件、大変みたいっすね」
「まあな。どうも、取り押さえたあの容疑者だが……暴れる前後の記憶がないと言うんだ」
「記憶が?」
「うむ。人間の形に戻ってからは記憶があるそうなんだが、それ以前となるとさっぱりだとさ」
言いながら、テツマキさんはポケットをがさごそと探り、何かの薬を取り出した。どうやらそれは……抗生物質のようだ。
「それは……」
「お前、監視カメラの映像を見たぞ。電線を腕に巻いていたな、よくもまあ」
「堂本くんそんな事したの!?」
バレてら。その部分はイコマ先生にも話していなかったので、今初めて聞いた先生が悲鳴を上げている。
「まあ、損失などは構わん。どうせあの電線は建て替え時期だったし、ライフラインの復旧もすぐにかなった」
「そ、そうっスか……」
「よくないよ! だから堂本くん、腕に怪我してたの!?」
「す、すみません……」
この2人が揃うといつも両極端な意見で色々と振り回されるな……。
「だろうと思ったんだ、お前は本当に戦い方が下手だな。これを飲んでしばらく安静にしていろ」
「あっ、はい……」
テツマキさんから差し出された抗生物質を大人しく受け取る。テツマキさんはうんうんと頷くと、ふう、と息を吐いて椅子に背を預ける。
「だが助かったのも事実だ。お前の……無謀な突撃もまた、助けになっている」
「……そうっスかね」
「そうだ。……まだ警察も調査中だから詳しい事は言えんが、お前が居なければ進展もなかっただろうよ」
「……」
助けられなかった警官の事を思い出し、少し口が止まってしまう。テツマキさんは困ったように眉根を寄せ、俺の肩を強めに叩いた。
「……抱え込むな。手の届く範囲を考えろ。全部お前の責任だと思うのは、傲慢だぞ」
「……すみません」
「飯をちゃんと食え、ミスター・クラップロイド。シホの……イコマ先生の飯はうまいだろ?」
「ユキちゃん! 堂本くんがケガしたらちゃんと叱ってって言ってるでしょ!?」
「いいだろうが、コイツは生きてる。皆も助かった、良い事づくめだ」
「ご飯あげないよ!?」
「……あー、うーむ、やはりそういう破滅的なやり方はよくないな堂本……」
◆
晩飯を食べ終わり、俺とテツマキさんはリビングで「生物改造事件」について捜査を進めていた。(イコマ先生の皿洗いを手伝おうとしたのだが、「いいから休んでて」と強めに言われてしまった)
「犯人からの供述が取れんのは痛い……それに、例の薬品の検査も一向に進まん。警察も手一杯なんだ、別件で」
「……」
俺はカバンから透明な薬品入りの試験管を取り出し、光にかざして見つめる。澄んだ無色の液体は、気泡をはらんで不穏に揺れる。
俺が薬品を取り出したのを見たテツマキさんは、呆れたように声をかけてくる。
「……お前、それは」
「ああ、ええっと……夕方ごろの鳥の怪人の懐から出てきたものを、ちょっとだけ拝借したんス」
「手癖が悪いヤツだ。……何か分かったか?」
「いや、これから調べようかと……」
「そうか」
言いながら、俺は液体を一滴だけ指に垂らし、口に含む。そうしてパラサイトの解析機能で成分を分析しようと……
「……なあ」
したところで、テツマキさんから声がかかった。パラサイトのデータに集中しようと目を閉じていた俺は、思わず視線をテツマキさんの方へやる。
鉄の警官は、少しだけ悩んだような顔になり、俺を見ていた。イコマ先生がリビングで洗い物をしている音がやけに大きく響く。
「……お前、どうするんだ。本当にこのまま、クラップロイドとして活動し続けるのか」
「……」
想定していた問いだった。だが、真剣に心配されているような目で見られると、すらすら言えるはずだった答えもつまづいてしまう。
「……えっと、まあ……」
「まあ、ってお前なぁ。そんなもので済まされる行動じゃないんだぞ。怪我だって、今回のよりもっと重いものが多くなってくるだろうし」
「……」
「イコマじゃないが、本当にそれでいいのか。きっと人生を使い潰すぞ。お前はまだ、まともに生きていけるだろ」
「……」
まあ、そうなのだろう。背を向ければ、きっと普通に生きられる。恩人の事も、助けられなかった人の事も忘れてしまえば……。
「……だって俺、まだ恩を返せてないですし」
「……」
「受けた恩に比べたら、こんな怪我大したことないっスよ。本当です」
「……ばかが」
テツマキさんは吐き捨てるようにつぶやく。曖昧な笑顔を作ろうとしたその瞬間、俺は頭を掴まれ、テツマキさんの胸に抱かれていた。
驚いて身を離そうとするが、テツマキさんはぐっと力をこめ、俺の頭を離さない。そしてそのまま、ぽんぽんと背中を叩き始めた。
「……えっ、えっと……」
「馬鹿が。このまま少しくらいは年相応にしてろ。……全くお前は」
テツマキさんは優しい声色でそう言いながら、俺の背中を一定のリズムで叩き続ける。子供じゃないんだから……と言おうとしたが、俺は不思議とあらがえず、そのままテツマキさんに身を預けてしまう。
心地いいのだ。俺のもとにもし父さんや母さんが残っていてくれたのなら、こうやって俺を慰めてくれたのだろうか……馬鹿な想像だが、たまに抑えられなくなる。
「……今日の事を責任に思っているのなら」
「……」
そのまま静かに、テツマキさんは語りだす。
「それは間違いだ。今日死んだ奴は確かに代えがたい勇気を持つ男だったが、それでもアイツは選択の自由があった中で、あの行動を選んだ」
「……」
「奴の正義を忘れない事が、私たちにできる供養だ。ヤツの正義に染まれとは言わんが、志したものを忘れてやるな」
……俺は、何か言おうとした。だが、言葉に詰まってしまう。
結局、甘かったという事だろう。しばらく一人で自警団をやってきて、ぬるい犯罪を相手にし、誰も死なないのをいい事に平和ぼけをしていたのだ。俺はまだまだ、青い。
「……すみません、ちょっと辛かったです」
「そうか。まあ、顔を見ればわかる」
「一人でやれると思ったんですけどね……」
「イキるな阿呆」
がしがしと乱暴に頭を撫でられ、すっと離される。少し気恥しく思いながら、俺は姿勢を正して座りなおす。
テツマキさんは何事もなかったかのように懐からメモ帳を取り出すと、事件の要点を書きだし始めた。
「ともかく、事件のあらましはこうだ。奴らは監視カメラの目も届かない場所から、突如怪物に変身した状態で現れ……一般人を相手に大暴れを開始した」
「そこですよね。怪物になった人の素性は割れたんスか?」
「普通の中年サラリーマンに、OLだな」
「ウーン……?」
なんとも、普通過ぎて事件と結び付けづらいところが出てきた。一体なぜ怪物になってしまったのか、憶測もできない。
「……そういえば、クラリス・コーポレーションの名前は出てきましたか?」
「……出てきた。この2人の所属する会社はいずれも、クラリス・コーポレーションの系列だ」
「……」
これだけでクラリス・コーポレーションと薬品を結びつけるのは乱暴だろう。だが、俺としては胸騒ぎなんてレベルを通り越して怖い。
(薬品の解析が半分終わりました。興奮剤に似た成分も含まれているようです)
「……薬品の解析が進んでるんですけど、どうも興奮剤みたいなのが入ってるみたいです」
「興奮剤か。暴れていた説明が、つく……か?」
「なんでしょうね、なんか……妙だな」
妙だ。最初から暴れることが目的なら、興奮剤なんて入れる必要はない。怪物に変身してから、思い切り暴れまわればいいのだ。
……そして、妙なのはそれだけじゃない。暴れる前後の記憶が無いというのは、どう考えても普通ではない。百歩譲って「暴れていた時の記憶が無い」ならまだ、興奮剤の作用で記憶が曖昧になっていると説明がつくのだが……
何かが致命的におかしいのだ。そう、何かが……
その考えを形にしようとした瞬間、テツマキさんの携帯が鳴った。彼女は片眉を吊り上げると、立ち上がって部屋の向こうへと歩いてゆく。その雰囲気は険しい。
入れ替わるように、イコマ先生がカットされた林檎を皿にのせてやってきた。洗い物も終わったようで、にこにこしている。
「すみません、洗うのまでやってもらって」
「いいよいいよ。その手じゃ洗うのも難しいでしょ?」
「いやまあ、そうっすかね……」
「これね、親戚から届いた林檎だから。一緒に食べよう!」
「あ、どうも」
こんなに良くしてもらっていいのかなぁ……イコマ先生と会うと最近恐縮しっぱなしな気がする。
俺はぽりぽりと頬を掻きながら、食べないのも失礼なので林檎をいただき……
「おい堂本」
林檎をいただこうとしたところで、テツマキさんがいかめしい顔つきで戻ってきた。彼女はイコマ先生を一瞥すると、俺に視線を戻し、口を開く。
「アワナミインターチェンジで例の怪物が出たそうだ。現在トラックで逃走中」
「と、トラックで!?」
なんだその理性のありそうな逃げ方は。全然これまでの暴れ方と違うじゃないか。
「申請外の荷台乗車を見とがめ、止めようとしたところで怪物化したらしい。現在検問を突破されたと」
「それじゃ、今は?」
「高速道路だ。夜とはいえ金曜、交通量もそれなりにある。止めないと不味い」
言いながら、テツマキさんは置いてあった荷物を抱え上げ、ジャンパーを着用する。イコマ先生は突然の事に驚いているようで、おろおろしている。
「え、ど、どうするの2人とも?」
「えええっと、とにかく俺も行きます」
「堂本くんも行くの!? そのケガで!?」
「でも行かないと」
俺も適当な上着を着、ばたばたと玄関へ走り出る。テツマキさんはブーツを履くと、バイクのキーを取り出して振り返った。
「イコマ、すぐ戻る。行ってくる」
「行ってきます!」
出発の挨拶を済ませ、俺とテツマキさんは玄関から出ていった。
「……いってらっしゃい……」
あとに残されたイコマ先生の声が、静かな玄関に響いた。
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