クラップロイド

しいたけのこ

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サソリの毒

破滅の足音

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「いて、いでで……」
「ほら動かないの。染みるだろうけど」

 塗り薬を塗られながら、俺はジンジンする痛みに耐えていた。イコマ先生は容赦なく青あざに薬を塗ってゆく。

「まったく、トイレに行ったと思ったら喧嘩してたなんて。物静かだと思ってたけど、キミも年頃の男子ね」
「すみません……」

 取り敢えず、不良と喧嘩をしてボロ負けしたという設定にしておいた。先生は最初は怒っていたが、すぐに俺をつれて薬局へ向かった。今は車の中で薬を塗布されている。

「ここまでしてくれなくて良かったっすよ」
「本当はお医者さんに連れて行きたかったんだけどね」
「大げさっす。やめてください」

 心配性にもほどがある。そもそも他人の子供一人がアザまみれになってたところで、どうにも思わないのが大人なんじゃなかっただろうか。

「ま、これに懲りたら喧嘩はしない事だね」

 バシ、と背中を叩かれ、痛みがじんわりと体に広がる。俺は頭を掻きながらシャツを下ろし、一応頭を下げた。

「すみません、手間かけて」
「……その『手間をかける』っていうの、好きだよね」

 何故か少し悲しそうに、先生が言う。しかし俺の言葉は当然だと思う。他人の手を煩わせたんだから、その分面倒だったハズだ。

「私って、そんなに冷たい人間だと思われてる?」
「……いや、そんな事は……」

 しかし、先生にとっては違ったようだ。俺は顔を上げ、先生の寂しそうな顔を見て言葉に詰まってしまう。対人経験の不足から、こんな時にどんな言葉を掛ければいいのか分からない。

「キミが仮に生徒じゃなくても、私にとってはもう知り合いだよ。助けない理由はないし、キミが傷付くのはすごく悲しい事」
「……」

 何も言い返せない。俺は今まで、人を助けるのに理由がいると思っていたのだ。だから、先生の考え方は、とても新鮮だった。

 何とか言葉を探し、情けない一言だけ絞り出す。

「……そうっすかね」
「そうだよ。キミだって、目の前で人が傷付くのは嫌でしょ?」
「……まあ、そりゃあ嫌っす」
「それと同じ」

 けど、俺のは、『自分の気分が悪くなるから嫌』とか、そういうレベルだ。先生みたいな善人じゃない。今回、ショッピングモールで人質を助けたのだって、自分の身体からパラサイトを追い出すヒントが貰えるかもと思っての行動だった。

「……とにかく、それだけ。さ、コンビニ行こう!」
「コンビニ、まだ諦めてなかったんすね」
「だって私のお昼ご飯がかかってるんだよ!? 堂本くんも頑張ってナビして!」





『……えー、今季のJリーグのマジックポイントは……』

「ああ。ああ、武器輸出は順調だ。……何? じゃあそこには賄賂を渡すとしよう。港湾を貸し切りにするのは……本命のタンカーは一隻で良い。ではな」

 浅黒い肌の男が電話を切る。と同時に、彼が持った携帯にすぐに着信が入った。

 男は溜息を吐き、通話をオンにする。途端に切羽詰まった声が通話口から溢れて来た。

『もしもしボス、大変です! またしてもヤツが……』
「もしもし、何だ。何があった」
『と、とにかくテレビをつけてください! 今、ニュースでもやってるハズです!』

 要領を得ない部下の説明に苛立ちながら、ボスはテレビを見る。そこには、いつぞやの銀色に輝く人間と、クラリス・コーポレーション社製のロボットスーツが激闘を繰り広げる映像が映し出されていた。


『えー、ご覧いただけていますでしょうか。にわかには信じがたい事ですが、このような映像を、人質だった方が逃げている最中に撮影されたとのことです。現場の方々へのインタビューによると、「ロボットが助けてくれた」「ロボットが犯人たちを次々に倒していった」と……』

「……フン」
『ど、どうしましょうか、ボス。これじゃあ、俺達……』
「どうもこうもねえ。コイツがどうしても俺達と絡みたいなら、お望み通りそうしてやるまでだ。『プレゼント』を使うぞ、三つ使って良い。おびき寄せてぶっ殺せ」
『み、三つも!? ……は、ははは、流石ボスだ! あんなガラクタ野郎、恐れるまでもねえ!』
「ああ、結果をきちんと出せよ。奴の首を持ってくりゃ、宴にしてやる。じゃあな」
『必ずやってみせます!』

 ぴ、と通話を切り、男はニュース番組を見つめる。テレビ画面では、銀の人間が、ドロップキックでロボットスーツを弾き飛ばしていた。


 ボスと呼ばれた男は、油断ならない眼光で何事かを考え込む。そして、使い古された黒電話へと歩み寄り、受話器を取り上げた。


「……もしもし。ああ、俺だ。……殺して欲しい奴が居る」


 静かな室内に、静かな声が染みわたった。





「ふう、コンビニに行くのにこんなに時間がかかるなんて思ってなかったけど……それでも、目標は達成したね!」
「ええ、良かったっすね……」

 イコマ先生をコンビニに案内した俺は、危うく昼飯まで一緒に食わされそうになっていた。知り合いと会う予定がある、という事にし、なんとか逃れられたが。

「じゃあ、ここでお別れね。次に会うのは2週間後かな?」
「はい、そうなると思います。失礼します」
「うん、元気で居るんだよ? あと、喧嘩はしない事」

 釘を刺され、俺は苦笑いして先生に背を向ける。そしてコンビニから真っ直ぐ家に向かおうとした時……携帯が震えた。メールだ。


 俺にメールを送る人なんて居ただろうか……そう思いながら携帯を開くと、なんとシマヨシさんから一通来ていた。そういえばメアド交換してたな、と思いながら内容を確認する。

『件名:ニュース見たけど

 内容:キミ、また無茶したな? 少し話があるから、直接会って話そう』


 ニュースに映るようなヘマをしただろうか。不思議に思って街頭ディスプレイを見上げると、人質事件の被害者が撮影したとされる、銀の人形とロボットスーツの大激闘の映像が流されていた。

「マジかよ……」

 おのれ情報化社会。今日はお説教に次ぐお説教だ。俺は内心で人質の誰かを呪いながら、指定された住所へと急いだ。





 指定された住所は、趣味の良いカフェだった。低層ビル群が視界の下に広がるようなテラスがせり出し、風が店内を吹き抜けて行く。

 俺を呼び出した張本人は、テラスのパラソルの下、腕時計を見ながらじっとしていた。が、やって来る俺を見つけると、ニッコリと笑みを浮かべて手を振って来た。


 振り返すのも恥ずかしかったので、咳払いして目を逸らし、向かいの席に座る。シマヨシさんは俺が手に下げたレジ袋を認め、ぎょっとして喋り出した。

「ああ、ごめんよ。お昼ご飯、もう買っちゃってたかな……」
「いえ、これは晩飯のつもりっす」

 本当は昼飯のつもりで買ったのだが、まあいつ食べても味は変わらない。俺の言葉を聞くと、シマヨシさんはほっと胸をなでおろす。

「良かった。無理に呼び出して、しかもそれでキミのお昼の予定を壊してたら悲惨だよ」
「……まさか、お説教のために呼んだんでしょう。悲惨も何も」
「え、お説教? ああ、そうだった、お説教だったな。ごほん……」

 本当に当初の予定を忘れていたらしく、シマヨシさんは笑みを消し、座り直して俺を見つめる。俺は少し気まずい思いをしながら、それでもシマヨシさんの目を見つめ返す。

「……ええと、何処も痛まないかい?」
「いや、それお説教なんすか……」
「ごめんよ、やっぱり気になって。確かに言いたい事はいっぱいあるけど、これが一番心配だよ。あのニュース映像でも、こっぴどくやられてたし」
「……まあ、大丈夫っす。どうも」

 あまりのゆるさに脱力しながら、俺は何とかそれだけ返す。本当は痛まないところが無いほど全身が痛かったが、それを言って無用な心配をかけるのは嫌だった。

「そうかい、良かった。あー、なら、そうだな……本格的に、お説教に移行するとしよう」
「……」

 ようやくシマヨシさんの雰囲気が変わる。俺は頬を掻き、少し目を逸らしてしまう。

「……今回の行為は、結果的には上手く行ったけど、とても褒められた行為じゃないっていうのは、理解してるよな」
「……」
「気持ちは分かる。人質事件が発生してて、自分がそれを解決できる能力を持ってたなら、解決したくなっちゃうっていうのも」
「……」

 違う、と言いたかった。だが、シマヨシさんを失望させてしまうのではないかという、利己的な感情が俺を阻んだ。

「でも、今回は慣れてる警察たちに任せるべきだった。一歩間違えば死人が出てたんだ。キミがちょっかいを出して、人が死んだらどうするつもりだったんだ?」
「……」
「タカくん、こっちを見るんだ。俺の目を見なさい」

 言われ、俺は少し逸らしていた視線をシマヨシさんの顔へ向ける。彼の目は真剣そのもので、パラサイトなんて使わなくても本気だって事が伝わって来た。


「慣れない力を使って人を殴るのは、気持ち良かったかい?」
「……」


 息が詰まった。俺は咄嗟に否定しようとし、できなかった。犯罪者を殴るのは、確かにとても楽しかったのだ。まるで、そう、ゲーム感覚のようで。


「……技術というのは、悪用しようと思えば、いくらでもできる」
「……」
「タカくん。常に罪悪感を持てとは言わない。だが、手を出すなら、責任を全て背負う覚悟が必要だ。キミにそれができるのか。戦えるのか」
「……」


 何も言い返せない。律儀な大人相手になると、どうにも俺は弱くなる。


「……軽率な行動でした」
「行動そのものを責めはしないよ。キミが救った人達は、キミに感謝してるしね。ただ、ちょっと不安になっただけだ。タカくんが、揺らいじゃいないだろうかって」
「ホント、敵いませんね。昨日会ったばっかりなのに」
「あはは、なんだか他人の気がしなくてね。……大丈夫、キミは良い子だよ。出会った時からずっと知ってるけどね」
「持ち上げないでください」


 この人は、自分と俺が同じくらいお人よしであると信じて疑っていないのだ。だから、こういう事を平気で言って来る。

 だから、シマヨシさんは苦手だ。好きだが、苦手だった。この人は、いつか俺に失望するに違いない。そう確信してしまっているから。

「さて! 暗い話ばかりになってしまったが、ふふ、驚いたよ。あのドロップキックは見事だった。鍛えたのかい?」
「……いえ、鍛えたっていうか、身体を勝手に改造されたっていうか」
「ははは、なんだかそれも複雑そうな話だな。まあ、まずはご飯を食べよう。今回こそ奢らせてもらうからね」
「いや、今回も割り勘で」





「はー……」

 顛末書を作成しながら、彼女は深い溜め息を吐いた。前回のショッピングモール立てこもり事件での無許可の発砲を上から見咎められ、責任を問われてこのような書類を作成しているのだ。

 警察署である。署内の他の皆は昼食を食べており、各々に対処しなければならない事務仕事を片付けたり、通報を受けて出動し始める者も居る。


『……なお、今回の事件で警察と共に人質を救出したとされるこの銀色のロボットですが……』


 ふと、ニュースが流れるのを聞き、彼女は視線をそちらへ向けた。テレビ画面には、銀の人間とロボットスーツが戦っているワンシーンが繰り返し流れている。

 彼女は苦々しい表情でこめかみを抑え、手元の顛末書へ視線を落とす。今回、彼女がこの書類を書かされている理由は、あの銀の人間を助けるために発砲した事に起因している。



 あの瞬間、彼女は躊躇いなく、銀の人間を圧倒するロボットスーツめがけて発砲した。結局あの助けが必要だったのかどうか分からないが。

(助かった)

 あの妙に人間臭い一言。世間はあの銀色の存在を「ロボット」と呼んでいるが、彼女には中身が居るようにしか思えない。


 警察も、あの存在を定義しかねている。敵なのか、味方なのか。逮捕すべきか、野放しにすべきか。


 どうにも計りかねる相手だ。彼女は溜息を吐き、立ち上がった。

「おい、テツマキ」
「はい」


 その時、彼女を呼ぶ声があった。彼女の上司が、たいそう嫌そうな顔でこちらを見ている。

「今回のクラリス・コーポレーション絡みの事件の捜査で、お前が呼ばれてる」
「分かりました」
「3Fに対策本部がある。行け」

 どうせ木っ端の使い走り役だろう。彼女は、とある理由から、自分の出世を全く諦めてしまっていた。


 彼女がこのアワナミ警察署へ赴任した直後の時、警視正……つまり、署長にボディタッチでセクハラされたのだ。

(ふふふ、ボーイッシュな娘は嫌いではないぞ)

その際、反撃として相手の片腕を捻り上げ、机に叩き伏せてしまった。これが一年前。


 警察は身分社会だ。そして、その身分社会で、上の人間に逆らうのは得策ではなかった。


 今では署内のあだ名は「男女(おとこおんな)」「ゴリラ」など、品性の欠片もない。出世の芽もない。今回の発砲の不手際のせいで、それはもっと絶望的になった。

「行くか」

 彼女はショートカットの茶髪を帽子の中に納め、歩き出す。腐っていても仕方ない。チャンスは戦って掴むものだ……もしかしたら、そんな考え方はもう古いのかもしれないが。





「ふーむ、パラサイトくんか……キミに懐いているようだな」
「懐いてるっていうか、一方的に俺に構ってるってか……」


 色々と話し込むうちに、陽がだんだんと傾き始めていた。今は午後三時だ。


 そろそろお暇しようかと思って口を開き掛けると、それまで楽しげに話していたシマヨシさんは、突然眉根を寄せ、口をハンカチで覆って脇を向いた。


「ごほっ、ごほっ、けほっ、……」
「大丈夫っすか……」


 風邪だろうか、などと呑気な事を考えて、何気なくシマヨシさんが口元から離したハンカチを見る。白いハンカチには、血がべっとりと付着していた。

「え」
「大丈夫だ、大丈夫だから」
「いや、大丈夫じゃないでしょ」

 俺はウェイターさんを呼ぼうと席を立ちかける。が、シマヨシさんは俺の手を掴み、引き留める。

「大丈夫、すぐに治まるから。参ったな、ごほっ、キミと話すのが楽しくて、ちょっと喋り過ぎてしまった」
「おい、パラサイト……」
「よせよ、タカくん。僕をスキャンなんてするな、薬だってもらってるんだ」

 俺の行動を先回りで封じ、シマヨシさんは懐から錠剤を取り出して飲み込む。が、それでも彼は咳き込み、ハンカチで口元を抑える。

「シマヨシさん……」
「ふー、落ち着いてきた、ごほっ……哀れんだりしないでくれよ、僕は大丈夫だ。ごめんよ、心配かけて」
「いや、大丈夫なんすか」
「ふふ、大丈夫だ。やっぱりキミは優しいな」


 こんな事で優しいなんて言わないで欲しい。普通は心配する。俺がかける言葉を見つけられないで居ると、シマヨシさんはニッコリと笑った。

「心配いらない、ふー……キミを治す方法も見つかった。安心しろ、治せるんだ。パラサイトを身体から取り出せる」
「……」
「ふふ、驚いたか? 実は、今回呼び出したのはこれがメインでね……びっくりさせたかった……別の事でびっくりさせちゃったから、ダメかな。あはは」
「あはは、じゃないっすよ。なんで……」
「……やっぱり、ダメだったよな。ごめんよ」


 パラサイトを身体から追い出せる。ようやく厄介払いできるのに、俺は全く喜べなかった。シマヨシさんの隠し事が、刃のように胸の奥に突き刺さっている。


「……今夜、クラリス・コーポレーションの本社に『磁場発生装置』が運ばれてくる。それを使えば、キミの体内にあるパラサイトを取り出せる」
「……」
「……僕の身体の事は、心配いらない。自分の心配をしなさい」
「……死ぬような重症なんすか、シマヨシさん」
「あはは、参ったなぁ……今日はもう帰りなさい。送っていこう」


 はぐらかされてしまう。律儀な大人だと思っていたシマヨシさんの卑怯な一面を見て、俺は思いのほか動揺していた。そして、それ以上の言葉が出て来ない。


 シマヨシさんが立ち上がった。俺は暫く立ち上がれず、じっと考え込んでから立ち上がった。





「……」


 家でひとりきりになっても、俺はずっと考えていた。晩飯を食うのも手が付かず、気が付けば夜になり、真夜中になりそうな頃になっても俺は考え込んでいた。


 父親が俺を捨て、母親も俺を見限った。俺は世界に期待しないように、期待しないようにと生きて来た。いじめられている時だって、先生が俺を見捨てた時だって、ずっと諦めて生きて来た。


 それでも、シマヨシさんが現れた。こんな俺を「良い奴」だなんて言ってくれる人は初めてで、あんなに律儀な大人に出会うのは初めてで、俺も少し期待してしまったのかもしれない。もしかしたら世界には、どんな人にも希望をくれる、本当のヒーローが居るのかもしれない、なんて。


 でも、だからこそ、俺の脳裏にはシマヨシさんの白いハンカチ、真っ赤な吐血がこびりついて離れない。俺は手のひらで顔を覆い、考えをまとめようとする。だが、できない。


(ご主人様。ご主人様、聞いていらっしゃいますか)
「……」


 頭の中、パラサイトの声が響く。俺は返事をせず、ぼうっと床を見詰める。


(ご主人様、クラリス・コーポレーション本社にまたしても襲撃です。今回は『スコーピオンズ』の犯行声明が出ています)
「……」


 クラリス・コーポレーション。スコーピオンズ。もやがかかったような頭の中で、その二つの言葉は妙に強く印象付けられた。


(夜間の襲撃という事で、警察は未だ対応に苦慮しています。人員の招集自体がうまくいっておらず、凶悪犯罪への対処が困難になっているのが一因)
「……」


 言われなくても分かっている。腐っている暇など無い。立って戦わねば。今、それができるのは俺だけだ。


「最適ルートを示してくれ。行こう」
(流石はご主人様です。行きましょう)

 平常運転のパラサイトの存在を有難く思いながら、俺は立ち上がった。

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