クラップロイド

しいたけのこ

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サソリの毒

能動的突入

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(おはようございます。朝です)


 頭の中ですさまじい警報音じみたものを鳴らされ、俺は眉間を抑えて起き上がる。窓から朝の光が差し込み、俺の顔を照らす。


「今、何時だ……」
(朝の6時30分です。爽やかな空気ですね!)
「クソ、昨日のは夢じゃなかったのかよ……!」

 微かに夢オチを期待していたのだが、そう上手くはいかなかったらしい。俺の中の寄生虫は元気に声を発している。

(さあさあ、起きて下さい。まずは顔を洗い、歯を磨いて清潔になりましょう)
「朝っぱらから元気だな、お前……」

 脳内の声に操られるように身を起こし、立ち上がろうとして違和感を覚える。体が、おかしい。全身の皮が突っ張るような感覚を覚える。

 体を見下ろすと、鍛えた覚えのない体に、うっすらと筋肉の影がついている。どうやら俺の動きに連動しているらしく、偽物ではないようだ。

「おい、体……」
(ご主人様が寝ている間に、最適な肉体へのアップグレードを進めておきました。もう少し時間が掛かりますが、今は十分と言って差し支えないでしょう)
「不自然にもほどがあるだろ、コレ……」

 言いながら、何とか歩いて洗面所に到着する。そして歯ブラシを握ろうとし、へし折ってしまった。

「……」
(こんな日もありますよね)
「ねえよ。おい、なんだコレ」
(仕方のない事です。自分の力を制御してくださいね)
「クソ……」


 低血糖であまり回らない頭に喝を入れ、今度は折らないように予備の歯ブラシを取り出す。そして慎重に歯磨き粉を絞り出し、ホッとして蛇口を捻ろうとして捻じり壊した。


 破壊された蛇口からピューピューと水が噴出する。その様を見ながら、俺は愕然として手の中の鉄くずを見ていた。


「……オイこれ」
(私が手順をリードします、直せますよ)
「いいよ、もう……修理の人呼ぶよ……」


 とりあえず鉄くずを水の噴出口に取りつけて噴水を抑えると、諦めて歯磨きを行う。


 俺の心情に反して爽やかな朝だ。鳥の囀りが聞こえるし、窓を開けば風が吹き込むし、二つ隣の民家のやり取りが聞こえる。


 どうやらあちらの御家族の朝ご飯はベーコンエッグのようだ。楽しげな声がする。


「おい、この……この耳が良すぎるの、どうにかならないのかよ」
(お気に召しませんでしたか?)
「倫理的に不味いだろ」
(ふふ、パラサイト・ジョークです。普通の聴覚に戻しておきますね)
「人の身体使ってジョーク言うなよ……」

 面倒な寄生虫だ。俺は歯磨きを終え、朝飯の準備に取り掛かった。






「今何時だ!?」
(8時15分です)


 全速力で通学路を走りながら、頭の中の声と会話する。アレからフライパンを握りつぶし、卵を粉砕し、換気扇の紐を引き千切り、冷蔵庫を壊しかけてようやく力の制御のコツを掴みかけていた。

 そうこうしているうちに時間は無情にも進んでおり、もはや高校までの道のりを全て全力疾走しなければならないほど切迫した状況に陥っていた。


「こっからアワナミ高校までかかる時間は!?」
(ご主人様の脚力ならあと3分で到着できますよ。それより、前方の曲がり角に注意してください)
「えっ……」
(飛び出して来ます)


 俺がその忠告を吟味する暇もなく、前方交差点の曲がり角から影が飛び出した。俺は咄嗟に止まれないほどのスピードで走っており、このままでは大惨事になる事は想像に難くない。

「やっ……」


 ヤバイ。今の俺は握っただけで蛇口を捻じり切る化け物だ。そんなヤツが全速力で走って人とぶつかったら、交通事故より悲惨な事になる。


(では、このように躱してください)


 脳内にアナウンスが響き、目の前にシミュレーションが現れる。俺は一も二も無くそれに従い、体を回転させて踊るように脇をすり抜けた。


 飛び出して来た影は相当に驚き、ぐらりと揺れて倒れかけている。俺はその背中を受け止め、がしりと引き寄せて支えた。


 ふわりと鼻孔をくすぐる香り、支えた指の間からさらさらとこぼれる黒い長髪。俺より背丈の大きいスーツ姿の彼女は、深い茶色の瞳を丸くして俺を見ている。

「えっと……」

 支えたは良いが固まってしまい、そのまま数秒見つめ合う。俺の脳内でこの次にどう動くのが正解かを探っていると、女性の方から身を起こした。

「えっと、ごめんね。急いでて、ちょっと不注意だったわ」
「あ、はい、こっちもすみません」

 普通に大人な対応で返され、固まっていた自分が恥ずかしくなる。これだから対人経験が乏しいのは駄目なんだ……。

(シャイなんですね、ご主人様)
「黙れよ……」
「え?」
「あ、すみません、何でもないんです」

 怪訝な顔をする女性を見、慌てて口を閉じ、一歩下がる。こうしている間にも時間は進んで行く。

「……え、えっと、俺、もう行かなきゃなんで! 失礼します!」
「あ、待っ……」


 呼び止められそうな雰囲気を感じ取ったが、しかし時間が無い。俺はロケットスタートで走り出し、高校へと一直線に、今度は曲がり角に細心の注意を払って突き進んだ。






「……」

 時間ギリギリで教室に突入し、俺は気配を殺しながら席に着いた。既に生徒たちは皆それぞれのコミュニティで互いに楽しげに語り合っている。

「てかさ、マジやばくね? あんな事件があった翌日に学校とかさ、マジやばくね?」
「ヤバイよねー。うちらの学校マジブラック」

 教室の隅々まで届くくらいの大声で話しているのは、鬼城 灯の取り巻きのグループだ。今日も元気そうで何より。

(聴覚レベルを一段階下げますか?)
「よせよ、日常的に体をいじろうとするのは……」

 鞄を置き、いつも通り残りの時間を読書で潰そうとしていると、気になる声が響いてきた。

「それにさ、一人腰抜けが逃げ出したらしいし。ソイツは良いよね、気楽だっただろうし」
「分かる! やばいよね、裏切り者ってカンジ」

 ……どうにもこの声の意識は俺に向いているような気がして、チラリと目をやればやっぱり俺の事らしい。女子生徒の集団は俺の方をちらちら見ながら、わざとらしい大声で話している。

 だが、集団の中心に居るリーダー格、鬼城はいつもと様子が違う。黙り込み、射すくめるような目つきで俺を睨んでいる。少し目が合った俺は、肝が冷える思いで即座に目を逸らす。


(言い返さなくて良いのですか? 最適な罵倒を各種ご用意できますよ)
「やめてくれ、黙っておくのが一番いいんだ……」

 好戦的なパラサイトに、俺はうんざりしながら言葉を返す。いつだってそうだった。反撃は駄目だ。反撃すれば、長引く。そうなると面倒だ。

 結局、一人が黙っている方が一番うまく行く。そういうものだ。

(人間の営みは時折計算しかねます。ご主人様がそれでよろしければ、私は何も言いません)
「……ああ」

 そうして俺は、耳にイヤホンを突っ込んで知らないふりで読書を始めようとし……ガラリと、教室の扉が開いた。俺は入って来た先生を見、違和感を覚える。いつもの担任ではない。

 それに、時間もまだ朝のHRには余裕がある。一体何事かと、クラス全体が静まり返る。


「皆、聞いてくれ。今日から担任が変わる」
「……」

 途端、コソコソ、ひそひそ話がそこら中で噴火した。入って来た先生は、それを止めようともせず、話を続ける。

「キミ達の担任の先生は、昨日の見学の後すぐに辞表を出した。彼は皆に、守ってやれなくてすまなかった、と伝えて欲しいと言っていた」

(衝撃の展開ですね)
「そうか?」

 なんだかすごく劇場みたいな台詞回しだ。担任の先生は、確かに昨日は何の行動も起こせていなかった。だが即座に辞表とは行動派だ。その行動力をいじめ撲滅にも使ってほしかった。


「事件の後だからと言って、休みを入れるのは逆にキミ達に良くないと思っていた。だが、教育委員会での協議の末、やはり少しの間休みを置くのが良いという結論になった。よって、明日から2週間、このクラスは休みになる」

 ちぐはぐな対応だ。大人の対応とは、元からこんなものだっただろうか。

(良かったですね、ご主人様。ホリデーですよ)
「理由が嬉しくないし、不謹慎だからよせよ」


 ボソボソ呟きながら、先生を見る。彼はハンカチで額を拭いながら、話を続けた。

「そして、えー……新しい先生を紹介する。イコマ先生、どうぞ」

 ガラリ、と扉が開いた。イコマ先生は、ポニーテールで髪をまとめ、キマったスーツ姿で歩いて入って来る。そして、その深い茶色の瞳で教室を見渡し、俺と目が合い、止まった。


 俺も止まった。何故ならイコマ先生は、朝に俺とぶつかりかけた、あの女性だったからだ。


(おや、運命の出会いですね)
「……黙ってろ……」

 割りと衝撃を受け、俺はようやくそれだけ言った。





「……では、本日のHR、っていうか顔合わせね。を、終わります! 解散!」

 イコマ先生が元気よく宣言すると、クラス中が動き出した。昼前にはホームルームが終わり、さっさと帰ろうとするヤツで教室の前の廊下がごった返す。

 俺もさっさと帰るか……と思いながら鞄を担ぐと、後頭部に固い感触がぶつかった。跳ね返って落ちたそれはどうやらジュースの缶のようだ。

振り向くと、いつものメンツが立っていた。鬼城と、その取り巻きである。

「おい腰抜け、テメー1人だけあそこから逃げ出してたらしいな」

 相当腹に据えかねていたらしく、鬼城は怒りに燃える瞳で詰め寄って来る。取り巻き達はクスクス笑い、成り行きを見守っている。

 俺はそれに違うとも合っているとも言わず、じっと黙って見つめ返す。

「アタシらが死にそうな思いしてる時に、1人でこそこそ逃げ出しやがって。そういうのを何て呼ぶか知ってるかよ。卑怯者って呼ぶんだよ、世界で最低の人種」

(ご主人様、言い返すべきだと思います。私も怒りそうです)
「……」

 黙っていた方が良い。俺は自分の脳内で繰り返し、心を石像のように固めて行く。たとえ俺がコイツの命の恩人だったとしても、言っても伝わらない。万が一伝わっても良い事などない。黙っていれば、世界はうまく回る。俺は歯車。自己暗示成功。

 今回もどうにか殴る蹴るの暴行を受けるだけで済みそうだなーと考えていると、介入してくる影があった。その人は俺と鬼城の間に手を差し込み、スペースを開くと、微笑みながら口を開いた。


「ちょーっと、良いかな。不穏な空気だったから」
「なんだよ、オバサン」
「き、傷付くなぁ……まだ20代なんだけど」


 イコマ先生だ。何を思ったか、彼女は鬼城の前に立ちふさがった。

「鬼城 灯さん……だったよね? 怖かったよね、アナタが一番矢面に立って、人質になった皆の事を守ってくれたって聞いてるよ」
「……だからなんだよ」
「でも、怖さって共有できないの。そうやって人に恐怖を押し付けるのは、良くない事だよ。いくらアナタでも、認められない」


 俺は少し意外に思っていた。教師というのは、クラス内のこういったいざこざには全く介入しないものだと思い込んでいた。

 鬼城は真正面から意見されたのが気に食わなかったのか、顔を歪めて怒りに吼える。

「うっさいな! アンタに関係ないでしょ、チョーシ乗んないでよ!」
「これが教師の役目だよ。これ以上やったらダメ。アナタの親ともお話しなきゃダメになる」
「クソ親に何の関係があんだよ!」
「大ありだよ。これ以上話を続けるなら、職員室でしよう?」


 ……長い沈黙があった。鬼城は俺を睨み付け、鼻を鳴らすと、スタスタと歩き出す。取り巻き立ちは、これまでにない展開に困惑し、戸惑いながらも鬼城に付き従う。


 イコマ先生は額の汗をぬぐうと、俺に向き直った。

「怖かったー。大丈夫?」
「……はい、大丈夫っす。手間かけてすみません」

 今回も黙って乗り切るつもりだったのだが、どうやらこの先生はそうさせてくれないらしい。

「大丈夫なら良かった。朝の恩返しね、これ」
「……」

 言いながら、先生は悪戯っぽくウィンクする。気にする事もないのに……というか、やはりバレていたらしい。ワンチャン隠し通せるかと思ったのだが。

「でも、キミも言い返さなきゃダメだよ? 言われっぱなしはカッコ悪いし」
「……そうっすね」

 まあ、先生には分かってもらえないだろう。俺は鞄を担ぎ直し、適当に返事をして教室から出ようとする。が、またしても声がかけられた。

「あ、良ければこの後話さない? 私も赴任したばっかりでさ、この辺の案内とかしてもらいたいし」
「……」


 まさか助けてもらった直後に「いやです」とも言えない。俺は漏れそうになる溜め息をこらえ、返事した。





「いやー助かっちゃうなー、既に可愛い教え子1人ゲット! って感じ?」
「ははは」

 思わず乾いた笑い声が出る。先生はハンドルを回しながら、にこにこと笑っている。


 先生の車はカタカタと揺れ、どうにも眠気を誘う。俺は助手席に座ったまま、強いて人当りの良い笑顔を浮かべ、じっと前を見つめる。

「えーと、この交差点を?」
「右です」

 最寄りのコンビニまで案内して! ついでだから連れて行ってあげるね! と言われ、いやですとも言えず、今はイコマ先生の車の中に居る。

(厳密に言えば、直線距離と実際の走行距離に差が出ます。今回ご主人様がお選びになったコンビニは、私の計算の結果、少し遠いかと思われます)
「……」

 俺は普段そこまでコンピューターじみた生活を送っていない。言い返す気力もなくぼーっと外を見ていると、ビルの街頭ディスプレイに昨日の人質事件のニュース映像が流れる所だった。ビルから飛び出す銀色の影は、既に都市伝説のように扱われ始めている。

「……昨日は大変だったね。色々あったんでしょ」

 突如かけられた先生の声に、思わずドキリとして振り向く。先生は唇を結び、じっと前を見詰めている。


「銃なんて、怖かったよね。誰だって逃げ出しちゃうよ」


 先生の言葉に、思わず安堵する。俺はてっきり、昨日のもろもろの大乱闘や、車キャッチの事を言われているのかと思ったのだ。

「ええ、まあ、怖かったっす。情けないっすけどね」

 適当にそれっぽい事を言って流そう……そう思っていると、先生は真顔で首を横に振った。

「ううん、情けなくない。怖いよ、普通怖がっちゃうもん。キミは賢い行動をしたと思う」
「……」

 否定されるのも辛いが、こうまで肯定されるのも慣れてない。俺は居心地も悪くもぞもぞと座り直し、また窓の外に視線を戻す。

「……だから、思いつめないようにね。キミを悪く言う人も居るかもしれないけど、キミは絶対悪くない」
「……ありがとうございます」
「言わなきゃ駄目な事を言うのが先生の役割だよ」

 律儀な人なのだ。シマヨシさんとはまた違った生真面目さをイコマ先生から感じ、俺はよく分からない感情に襲われていた。大人とはもっと汚くてどうしようもない生き物だと思っていたのだが、これでは思っていたのと違う。

 もし俺の父さんや母さんが、彼らのような人だったら……そんな意味の無い妄想をしかけたその時、不意に車が止まった。見れば、交通渋滞が発生している。

「何だろ、通行止めかな?」
「……ホント、何でしょうね」
(数キロ先の区画が封鎖されています。情報を収集中……どうやら何らかの事件が発生した模様)


 停まっている車の列はとても長く、数分ではとても片付きそうにない。イコマ先生は困ったように眉根を寄せている。

「どうしよ、これじゃコンビニ行けない……」
「そうっすね……」
(クラリス・コーポレーション絡みの事件のようです。更に情報を収集します)


 クラリス・コーポレーション。俺は一瞬停止し、考えこみ、そして動き出す。これはチャンスだ。立て続けに起きている事件に関連性が無いとは思えない。

犯罪者共が狙っていたのは、俺の中にある『パラサイト』。今回狙っているのも、それに関連する製品の可能性は高い。


「すみません先生、俺ちょっとトイレ行って来ます」
「え、ちょっと待って……堂本くん!?」


 俺は車のドアを開き、歩道へ降りて走り出す。先生の声が追って来たが、それを振り切って全力疾走に入った。






「情報が足りない、もうちょっと集められるか」

 走りながら、俺は脳内の同居人に話しかける。返事はノータイムで返って来た。

(警察無線を傍受。ご主人様の脳内に流します)

『……ガガピー……犯人たちは「クラリス・コーポレーション」の輸送トラックの積み荷へ襲撃をかけています。総人数は分かりませんが、武装しています』
『ええい、奴らは一体何なんだ。昨日から立て続けに……ヘリの到着にはまだかかるのか!』
『それが、その……この周囲一帯の区画は高層ビルが密集しており、ヘリの到着にはいつもの倍以上の時間がかかると……』


「……警察も苦戦してるな。ていうか、天下の日本でそんなに犯人側の武装が充実してるのかよ」
(天下の日本という認識をしているのは一般人だけです。水面下での武器取引はどの国でも横行しているものですよ)
「できるなら一般人のままで居たかったよ……!」


 やがて封鎖されている区画が見えて来る。警察官がパイロンや標識看板を置き、一般車両の進入を阻んでいるのだ。

「オッケー、スーツ着用の良い場所は……」
(そこのゴミ箱の裏に隠れれば、丁度良いかと)
「よーし……」


 俺は裏路地に飛び込み、ゴミ箱の裏に隠れる。数秒後、銀色のアーマーを全身に纏い、俺は飛び出した。


「ちょっとキミ……な、何者だ! この先は封鎖されてる、止まりなさい!」
『お待ちのヘリっす! どうも!』


 意味不明な事を言いながら、俺はハードル跳躍じみてパイロンを跳び越える。見張りの警官は銃を抜き、俺に狙いを付けながら肩の無線に叫ぶ。

「きっ、緊急事態発生! コスプレした不審者が封鎖区域に侵入、指示を仰ぎます!」

(通信をかく乱しますか?)
『大丈夫だ、行くぞ!』


 結局銃弾が飛んで来る事も無く、俺は警察の封鎖区域へと突入していった。


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